南京事件 難しいグレーゾーン捕虜殺害
気が進まないのに、いつの間にか南京事件の暗く深い森に迷い込みそうになっています。
おっと危ない。今日で締め括ってしまいます。
実は、ブログを始めて8年になりますが、南京事件についてはおそらく一回もやっていないはずです。
やりたくないテーマなのです。
なぜかと言えば、ひとことで言えばらちがあかないテーマだからです。
たとえば、中国と日本の「大虐殺」派筆頭の東大の加藤陽子氏は9年前に出した『満州事変から日中戦争へ』という本の中で40万人説を出していますが、荒唐無稽にもほどがあります。
こういう人とは、中国共産党・政府と同じでまったく議論そのものが成立しないと思います。
最後になると、「侵略した土地で1人でも殺せば虐殺だ。侵略した日本が悪いぃぃ」という感情論になるのは目に見えているからです。
南京事件や慰安婦問題かイヤなのは、事実の探求ではなく、初めから結論を用意した政治闘争になっているからです。
そして、中国共産党の豊富なプロパガンダと、日本外務省の比類ない無為無策によって、宣伝の主要な場を欧米、カナダなどに移行し、「南京アトロシティ」「南京マサカー」として完全に根付いている現実があります。
また、1930年代と現代では人権感覚が隔絶しており、兵士の殺害についても極めて狭く解釈されるようになっています。
これは慰安婦問題でも見られたことで、管理売春が世界の一般的制度だった戦前と現代を並べて、今のラジカル・フェミニズムの規範で過去を裁こうとしています。
当時の人々は、当然のこととして当時の価値観、当時の制度と法の下で生きているわけですから、本来後世の私たちは腰をかがめて、当時の人たちの視線に立たねばならないはずです。
そこで、私はひとつの価値尺度として、国際法的にはどうなのだろうかという視点を考えてみました。
というのは、戦時国際法であるハーグ陸戦条約・ジュネーブ条約は80年前と今も共通だからです。
私が今回言っていることは、どこそこで日本兵が何百人殺したというレベルの話からいったん離れて(後述しますが)、それが「組織的・計画的虐殺なのか、それとも戦闘行為なのか」ということです。
私は計画的大量虐殺はなかったと思います。日本軍に30万人という那覇市人口に等しい市民を丸々殺害し、処理する能力も意志もありませんでした。
1937年12月に南京城陥落で喜ぶ日本兵。https://the-liberty.com/article.php?item_id=10397
かといって、日本がまったく白い手袋だったとも思いません。
掃討戦における捕虜の大規模な殺害、便衣兵摘出時の一般市民殺害は、日本軍側記録にも残されています。
戦闘員との交戦と違って、丸腰の捕虜と便衣兵はいわばグレーゾーンなのです。このことに触れないと公平さを欠きます。
やや詳しく見てみます。
南京戦において、中国軍が全面崩壊し、掃討戦に移った1937年12月14日から、日本軍は大量の中国兵を捕縛しています。
①第13師団 幕府山付近 ・・・1万4777人 捕虜(飯沼守日記)
②第16師団 堯化門鎮 ・・・7200 捕虜(第36連隊戦闘詳報)
③下関など南京北側 ・・・3096 捕虜 (第33連隊戦闘詳報)
④城内安全区摘出 ・・・約2000 便衣兵(佐々木到一私記)
⑤城外 ・・・数千名 便衣兵(同上)
⑥第9師団 南京北部掃討地域 ・・6670 便衣兵(歩兵第7連隊戦闘詳報)
⑦第6師団 下関 ・・・約5500 捕虜(第45連隊史・第6師団戦闘詳報)
⑧第6師団 漢中門外 捕虜と認めず・・・約1000名 捕虜と認めず(折田護日記)
⑨第114師団 南京城南部 ・・・1659 捕虜 (歩兵第66連隊第1大隊戦闘詳報)
⑩国崎支隊 江興州 ・・・2350 捕虜 (国崎支隊戦闘詳報)・計 ・・・4万5000人
・うち処刑が記録されているもの①②③④⑤⑧⑨ ・・・計約4万人
・捕虜として認められて殺害された者①②③⑨ ・・・計2万6730人
これらは部隊の戦闘詳報と従軍した兵士の日記などによる数字ですが、ひとり単位までカウントされていても必ずしも正確ではありません。
これは戦闘詳報では往々にして戦果を誇大に書いてしまう人間心理が働くからで、上の表にある「佐々木到一私記」は有名な資料ですが、「当師団のみで5万人を解決した」と書いている部分もあります。
ですから、おおよその手掛かりとなる数字ていどに押さえていただきたいのですが、これに民間人で便衣兵と誤認された数を加えて、おおよそ4万人前後となります。
この数字に民間人被害数を加えたものが、秦郁彦氏などが唱える3.4万~4.2万という「中虐殺」説です。(『南京事件・「虐殺」の構造』)
「便衣兵」は現代では死語となっていますが、中国特有の市民の姿をした兵隊です。今風に言えば、テロリストと言っていいでしょう。
私服を着ているのにいきなり爆弾を投げてきたりします。もちろん国際法違反ですが、中国はこれをおおっぴらに行ったために、日本はこれに悩まされ続けました。
この戦法が問題なのは、軍が一般市民までも「怪しい奴ら」とみてしまうことです。
米軍が4千人ものテロリストによる戦死者を出したイラク戦争を見れば、お分かりいただけるかと思います。まったくあれと同じ構図です。
レジスタンスがいけないというのではなく、大戦中のレジスタンスはドイツ軍からみればリッパなテロリストに写ったでしょうが、軍服は着ていなくても腕に腕章をしたり、揃いの徽章をつけたベレーなどをかぶっています。
レジスタンスは国際法的には「市民軍」(militia and volunteer corps )扱いを受けますが、正規軍同様に戦時国際法を守る義務は課せられていて、破ればただのテロリストとして裁判なし処分されても文句はいえません。
脱線しますが、よく「自衛隊はいらない。市民が守るんだ」と元気のいいことを言うリベラル文化人がいますが、そんなことをすれば侵攻軍によって裁判なし処刑されるのでお止めください。
武器もない、その扱いも知らない「市民が戦う」って、それって竹槍持って本土決戦をするってことですか(苦笑)。本気でやったら地獄でしょうな。
それはさておき、一方軍人はジュネーブ条約によって、捕虜の資格を持ちます。
脱走を企てたり、抵抗をしない限り、捕縛した側もやたら撃ってはいけません。
集めされた便衣兵。私服を着て民間人と判別不能。ヘルメットの跡などて判別したが、最後は雰囲気だったという。
では、この便衣兵はといえは、戦闘員が充たすべき以下の条件全部に違反していますから、アウトです。
戦闘員が充たすべき条件とは
①責任を持つ指揮官がいること。
②遠方から見てはっきりとわかる軍隊の徽章、軍服を着用していること。
③武器を隠し持っていないこと。
④戦時国際法を遵守した行動をとること。
1、To be commanded by a person responsible for his subordinates.
2、 To have a fixed distinctive emblem recognizable at a distance.
3、 To carry arms openly.
4、 To conduct their operations in accordance with the laws and customs of war.
南京戦において中国軍の司令官は、中国文化の「エライ奴から先に逃げる」という文化を発露して、真っ先に逃げてしまいました。
しかも「お前ら死守しろ」と言って、降伏すらしなかったのですから話になりません。
卑怯もさることながら、指揮官は敗北した場合、敵軍に降伏を通知せねばなりません。
白旗を持った軍使が敵陣に赴き、「わが軍は本日何時何分を以て貴軍に投降いたしました」ということを通告し、「分かりました。では何時何分を以て戦闘行為を中止しますから、武器を捨てて陣地から出てきてください」という答えを貰わねばなりません。
これが国際法的に「正しい負け方」なのです。
下の写真がシンガポール陥落時の英軍の降伏軍使の写真です。日本軍の先導者に率いられて白旗と国旗をもって従っています。これが文明国のスタンダードです。英軍のシンガポール降伏。これが「正しい降伏」の仕方
南京戦の場合、あくまでも司令官・唐智生が降伏のための軍使を送って、降伏が日本軍司令官・松井岩根によって認められなければ降伏は成立しないのです。
よく勘違いされますが、兵隊が手を上げて投降した時点では捕虜としての要件を充たしていません。
本当に降伏する意志があるのか戦闘中では見極めがつかないし、武器を隠し持って攻撃されるかもしれないからです。
陸戦条約では投降した敵を殺傷することを禁じていますが、現実には中国軍のテロリストまがいの戦争をくぐってきた日本軍にとって、微妙なところです。
まとめておきます。
●投降兵(正規軍兵)
①武装解除の上で、捕虜として捕縛した投降兵を殺害することは違法。
②ただし、捕虜の敵対行為が原因で殺害した場合、状況により判断が[異なる。
③投降とほぼ同時に殺害した場合、戦闘中、戦闘行為の継続中ととるか、虐殺ととるかは個々に判断。
というわけで、私はこの捕虜殺害とされた約2万6千人に関しては、国際法的にも日本に非があると言われても仕方がないと思っています。
ただし、日本は当時捕虜条約を批准していなかったので、違法ではないとする説もあります。
南ベトナム・サイゴンの崩壊の日。逃げた兵士が捨てた軍靴や装備が散乱している。
さて、司令官が真っ先に逃げてしまったために、それでなくても士気が高いとは言えない中国軍は我先にとヘルメットを捨て、軍服を脱いで市民から服を奪って隠れようとしました。
このために日本軍は、本来想定していなかった「摘発」をするはめになりました。
この時に戦闘で興奮している日本兵によって、多くの誤認殺害がなされたと思われます。
民間人の人数に言及した資料としては、スマイス調査報告がありました。かなり問題のある資料なのですか、スマイス報告書の数字はこうです。
・農村部の一般市民殺害数(対象は江寧県の一部・・・推定1000人以下。
・都市部
「兵士の暴行」・・・2400人
「拉致」されたもの・・・4200人
計 死者3400人 拉致4200名
一方、安全区国際委員会という外国人居留者から日本大使館に提出された「南京暴行報告」によれば、安全区内における「殺人」は50名でした。
スマイス報告書は「拉致」が便衣兵摘発なのかどうかわかりませんし、もしそうだとしたら処刑された可能性があるわけでそれと重複カウントされた可能性があります。
したがって、農村部で1000人以下、都市部で2000~3000人(うち便衣兵の摘発が1000~2000人)、計3000~4000人ていどだと思われます。
また、この民間人被害者の相当部分、特に農村部の被害の多くは、軍規が崩壊した中国軍も関係していることは想像に難くありません。
また中国軍には督戦隊という味方の兵士が逃げないように、後ろから機関銃で撃つための特別部隊すらいました。
映画『スターリングラード』で冒頭にでてきますね。あのチャイナ・バージョンです。
この督戦隊が機銃を乱射して、軍服を捨てて逃げようとする自軍の兵士をなぎ倒していたという証言もあります。
私個人の推測としては、捕虜の違法殺害の2万6千人に、摘発時の誤認民間人殺害2000~4000人を加えた2万8千~3万人ていどだと推測します。
あるいは安全区国際委員会の民間人被害者50名が正しければ、一気に下がって2万6050人という事になりますが、なんともいえません。
「虐殺ゼロ」派は、捕虜が国際法要件を充たしていない、便衣兵処分は正当であるとしていますが、後者はともかくいったん受け入れた捕虜を裁判なし処刑したことはいかがなものでしょうか。
南京事件を、おおざっぱに見てきましたが、数字はとりようでいくらでも変化するので、あくまでも目安にすぎません。
問題は何度も繰り返しますが、「国家意思」の有無です。
便衣兵といい、督戦隊といい、戦争のルールがまったく違う相手と戦ったのが、当時の日本だったのです。
それは今に至るもまったく変わりません。
« 「南京アトロシティ」の挙証責任は中国にある | トップページ | 日曜写真館 極限の植物 »
そもそも南京事件は「ハーグ陸戦条約」が適用される通常の戦闘ではなく、「事件」あるいは「事変」という扱いであったのが少なくとも事件当時の真実認識ではなかったでしょうか。
さらに、「戦争」の重要な要件たる「戦線布告」もありませんでした。
日中双方とも「正式の戦争」とすると、国際法規に縛られ戦いにくくなり、それだけでなく、中国側にはアメリカの中立法に抵触し戦略物資を調達出来なくなるという「戦闘そのものが実現不可能」になる重大な理由がありました。
つまり、「便衣兵」は陸戦法規の埒外で、「捕虜」という枠内には該当しなかったと思います。
この事について、日中双方の事情に疎かった安全区域内のイギリス人は、事後にこの事情を知り、安全区域内に逃げ込んだ国民党軍兵士に「投降」を勧めたことを後悔した手記を残しています。
こう言うと、「いや、帝国陸軍の通信物を見ても捕虜と明記しているし、不足ながらも捕虜としての扱いに腐心しようとしていた」という事実をもって、その根拠・証明として秦氏らは上げますが、むしろ帝国陸軍は「後顧のため、最低限の非難を回避する為に基準を自らに厳しく置く」、という事を常に実践しており、それは国際への不信を持った帝国陸軍が「自らに課した矜持ゆえ」、と言えます。
実にその事が、後に「実相」を見えにくくしているという皮相ではありますが。
そうすると、事件被害者の実人数は秦氏の研究よりもかなり少なくなるのですが、人数の多寡はこのさいあまり問題ではありません。
問題の所在は便衣兵の処置でなく、それに付随した「民間人の殺害」です。
帝国陸軍は細心の注意をもって選別を行いましたが、状況がこれを許さず、また部隊によってこれが十分に履行されないケースがありました。
しかしこの事は、ブログ主様が言われるように、
≫「国家意思」
の存在などない事は明らかで、それは東京裁判が認めています。
記録される日本軍の暴行や強姦の数々は多くが誇張だったとしても、まったく何もなかったのではないのだし、軍規の乱れも確かにありました。
しかし、この事の処分は、東京裁判において「責任者」・中支那方面軍司令官松井石根大将の処刑で終結しています。
私は、この責任の大部分は当時の国民党・蒋介石にあると思っています。
事件のキーワードは便衣兵であり、なぜこのような「便衣兵」が生じたのか?という事が大きな問題と思います。
上海戦以後、ソ連への参戦要請もむなしい結果となった国民党・蒋介石は、我が身の事しか考えず、組織的に南京から撤退するという事をしないどころか、逆に特戦隊をおいて兵士を城外に逃げられないようにし、彼らが「便衣兵」にならざるを得ない状況を作り出したのです。
もちろん、南京市民もそのまま置き去りです。
日本人はこうした事情、歴史をもっと良く知るべきですね。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年2月 4日 (土) 09時26分
戦争中の残虐行為と言う点では、アメリカ、ソ連、中国の方がはるかに上です。アメリカのグアム、サイパン、沖縄戦での行為、日本各地の空襲。旧ソ連の日本が降伏後の旧満州、北方領土での行為。敗戦後の中国共産党による日本人狩り。朝鮮半島での日本人への暴行。
全て戦争による国際条約違反行為です。
戦争中の行為ですから、ここまでが戦闘行為と線引きするのは本当に難しい。国民党だって日本人入植者を殺しまくり、関東軍は入植者からは腰の軍刀は竹光かと非難されたぐらいです。そんな時代の出来事を平和な現代の感覚で考えるから、おかしくなるのです。ましてや日本は中国、韓国はじめアジア諸国に賠償もしています。
数多く戦争をしてきたアメリカ、ヨーロッパ諸国が対戦国に賠償をしたという話は聞きません。(ドイツは別にして)
日本は敗戦後、これらの罪をすべて押し付けられてしまいました。その陰でアメリカ、ソ連、中国などの罪は全て隠されてしまいました。
また、日本人の精神性として、言い訳はしない。中韓の様に泣きわめいて抗議もしない文化があります。
いつか二日市収容所のコメントをされた方が居ましたが、恥を知る日本人はそんなことを表に出しません。
今後日本がやるべきことは、淡々と客観的事実を発信していくことです。慰安婦問題だって世界が少しずつ認識し始めています。東中野先生の指摘で南京虐殺館から撤去された写真もあります。
投稿: karakuchi | 2017年2月 4日 (土) 09時27分
まずは、やりにくい南京事件の記事、ありがとうございました。
捕虜の扱いについては、日本を悪とするために、勝った側・つまり連合国側のいいようにされていますよね。
実際、米国だって日本軍降兵を英語が話せないと尋問できないからと、白旗を振っても捕虜にせず殺していた。
有名な「生きて虜囚の辱めを受けず」は、降伏しても殺されるとの話が広がったことも理由のひとつ。
ともあれ、一度捕虜にしたあとの虐待や殺害と、白旗を振っている時点での(武器放棄前)殺害は意味が違うので、そのへんは注意ですね。当然、記事にもあるように、便衣兵はアウトです。
スマイス報告は、どちらが殺したかも分からないからなあ。南京事件と直接関係はないのですが、黄河決壊事件などをもっと世間に知らせて当時の中国軍の悪業と(基本的にはクソ真面目な)日本軍の勤勉さをわかってもらえれば、状況もかわるのかな。
督戦隊が存在するほどの士気・練度の低さ、食料不足、攻撃前に南京市内にいた外国人記者の(軍服を脱いで民間人の服を奪うなど)証言などもみるに、むしろ同士討ちがあってもおかしくない。
最後に。
一人でも殺したら虐殺だって言う人に、一度くらいはこう言ってやりたい。
虐殺したのはお前らだろ、中国人は軍隊が味方殺しを平気でやる国だからな、と。
投稿: お金が無い! | 2017年2月 4日 (土) 09時39分
山路さんの指摘される「事変」(インシデント)のこともかこうとおもった思ったんですが、長すぎてはしょりました。
米国を中立国に固定されないためです。上海事変からその配慮で動いています。
これは中立国になると輸入ができなくなるというのが理由でしたが、ズルズルとエスカレートする遠因になります。
そのうち、上海から南京までを区切って書いてみたいですすね。
お金がないさん。あのスマイス報告のかなりの部分は中国敗残兵の仕業です。
城内における死体も督戦隊絡みが多くあったとされています。
経の私の記事はかなり多めに見た数字を結論にしています。
投稿: 管理人 | 2017年2月 4日 (土) 10時28分
> 南京事件や慰安婦問題かイヤなのは、事実の探求ではなく、初めから結論を用意した政治闘争になっているからです。
同感します。
> 本来後世の私たちは腰をかがめて、当時の人たちの視線に立たねばならないはずです。
そうだと思います。
> そこで、私はひとつの価値尺度として、国際法的にはどうなのだろうかという視点を考えてみました。
国際法からお考えになりますか。そんな発想は私にはありませんでした。実態がどうだったのかを想像することが中心になりがちです。判断基準は、常識ということになります。
> 私は計画的大量虐殺はなかったと思います。
それは間違いないでしょう。
> 1937年12月14日から、日本軍は大量の中国兵を捕縛しています。
捕縛した捕虜はどのように処分されたかが私は分からない。捕虜は全員が殺害されたのか、あるいは捕虜収容所などの施設もあったのかなど、分かりません。捕虜収容所の話など聞きませんね。
> 秦郁彦氏などが唱える3.4万~4.2万という「中虐殺」説です。
秦郁彦氏の説の根拠はそれなんですね。
> 「便衣兵」は現代では死語となっていますが、中国特有の市民の姿をした兵隊です。今風に言えば、テロリストと言っていいでしょう。
この便衣兵は、当時でも今でも不法だと思います。
> 南京戦の場合、あくまでも司令官・唐智生が降伏のための軍使を送って、降伏が日本軍司令官・松井岩根によって認められなければ降伏は成立しないのです。
そうでしょうね。筋が通ります。
> よく勘違いされますが、兵隊が手を上げて投降した時点では捕虜としての要件を充たしていません。
これは勘違いが多いですね。
> 陸戦条約では投降した敵を殺傷することを禁じていますが、現実には中国軍のテロリストまがいの戦争をくぐってきた日本軍にとって、微妙なところです。
中国戦線ではこんな悩ましいことが多かったのでしょうね。
> 私個人の推測としては、捕虜の違法殺害の2万6千人に、摘発時の誤認民間人殺害2000~4000人を加えた2万8千~3万人ていどだと推測します。
この数字は秦郁彦氏の説の数字に近いですね。捕虜殺害の軍の記録などの証拠はあるのでしょうか? 各部隊が捕虜を確保したという記録だけでは不十分なような気がします。捕虜の収容施設はあったのか、一旦収容所に収用しその後処刑をしたのか、あるいは敵兵が現場で投降してきた時点で殺したのか。そのあたりも知りたいものです。
投稿: ueyonabaru | 2017年2月 4日 (土) 10時39分
山地さん
> この事について、日中双方の事情に疎かった安全区域内のイギリス人は、事後にこの事情を知り、安全区域内に逃げ込んだ国民党軍兵士に「投降」を勧めたことを後悔した手記を残しています。
ここ分かりにくいのですが、ご説明願えますか?
> こう言うと、「いや、帝国陸軍の通信物を見ても捕虜と明記しているし、不足ながらも捕虜としての扱いに腐心しようとしていた」という事実をもって、その根拠・証明として秦氏らは上げますが、むしろ帝国陸軍は「後顧のため、最低限の非難を回避する為に基準を自らに厳しく置く」、という事を常に実践しており、それは国際への不信を持った帝国陸軍が「自らに課した矜持ゆえ」、と言えます。
実にその事が、後に「実相」を見えにくくしているという皮相ではありますが。
そうすると、事件被害者の実人数は秦氏の研究よりもかなり少なくなるのですが、人数の多寡はこのさいあまり問題ではありません。
ここも分かりやすくご説明いただければありがたい。実数もできるだけ知りたいのです。
それに、捕虜収容所のような施設の有無も疑問として、「ありんくりん」さんの記事を読んだ中で提示しましたが、捕虜収容所はなくて、安全地帯に中国兵たちは逃げ込んだのだということかと思い始めています。
> 記録される日本軍の暴行や強姦の数々は多くが誇張だったとしても、まったく何もなかったのではないのだし、軍規の乱れも確かにありました。
そうだと思います。
> 上海戦以後、ソ連への参戦要請もむなしい結果となった国民党・蒋介石は、我が身の事しか考えず、組織的に南京から撤退するという事をしないどころか、逆に特戦隊をおいて兵士を城外に逃げられないようにし、彼らが「便衣兵」にならざるを得ない状況を作り出したのです。
もちろん、南京市民もそのまま置き去りです。
日本人はこうした事情、歴史をもっと良く知るべきです
ね。
ソ連の参戦も期待していたのですね。知りませんでした。歴史を知らねばなりません。
投稿: ueyonabaru | 2017年2月 4日 (土) 11時02分
ueyonabaruさん
上記の手記は、当時安全区内にいたイギリス人宣教師の書いたもので、イギリス公文書館に保管されているもので、意味は、
便衣を着て安全区内に逃げ込んで来た国民党軍兵士に、避難民が巻き添えになるので、軍服を着て出て行って、「捕虜」となるように説得した。
この宣教師にしてみれば、日本がハーグ陸戦法規を批准している事は承知でしたので、それならば当然に「捕虜」としての扱いを受けることが出来るだろう、との親切心からの説得でした。
結果として(便衣のまま出て行ったか、あるいは身柄に合わない軍服を着たうえで出たかのどちらかで)処刑されたようです。
また、当時の記録ではまだ英国は正規の「戦争」とは見做していず、それならば宣教師の説得した内容は誤謬であったという事になります。
日本軍がこの法規に従ったとしても、ハーグ陸戦法規では戦闘員が民間人に成りすます事自体が違法なので、便衣した兵を殺害した事自体に対する批判はありません。
また、秦氏の言うように、「念のため」日本軍が法規に従ったとしても(あるいはその上、不十分であったとしても)それを持って日本軍が「戦争」と認識していた事を証明するワケではないと思うのです。
ですが、それは国際法上は東京裁判で決着がついてしまっている事で、論争自体意味がないですが。
そもそも現在の中国を建国した中国共産党は、南京で日本軍と戦っておらず、したがってこの事件の直接の当時国ではありません。
中共は日本軍に追い回されて散り散りになっていたのです。
日本軍と戦っていたのは蒋介石の国民党軍であり、「中華民国」つまり今の台湾なのですから、二重三重におかしいと言わねばなりません。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年2月 4日 (土) 13時22分
「慰安婦問題や南京問題は中共の政治工作・プロパガンダだ」という認識は、すでに日本でも一定程度広まっていて、その目的は日本に対する政治的優位性を確保する為とか、内政を補完するための道具、と考えられておりました。
しかしマイケル・ヨン氏と古森義久氏の正論3月号の対談によると、そう単純でも安泰でもないようです。
ヨン氏によれば、中共の目的は日本人の「非人間化」にあるのだと言っています。
日本人の「非人間化」は、問題を通じて日本と韓国、日本と米国を引き離したい中共の戦略に基づいた謀略活動・工作活動によるものに他ならず、単なるナショナル・プライド(国の名誉や誇り)といったレベルの問題ではない、という事です。
また、特に今強調したい点として、ラディカライゼーション(過激化)をあげており、現在の韓国人の姿を、「中共のパペットにすぎない」としています。
そのうえで、ラディカライゼーション(過激化)への過程・狙いは「はじめは反日」、やがて「罵倒」にかわり、いずれは一線を越え「日本人へのテロ」を敢行するようになる。
「本当に日本人の殺害に及ぶようになるだろう」と言っています。
大事な事は、(米国のある地域では既にそうであるが)「日本人である」というだけで、差別や攻撃の対象にされつつあるという事。
日本人を殺したり、日本人が殺されたりしても自分の良心に咎めないという状態に置く事。
そういう状況を中共は作り出しつつあるのだ、としています。
思うに、中共は経済的な資本主義体制として遅れて来た国であるだけでなく、共産主義的思想面でも他の社会主義国に遅れをとって来ました。
ヨン氏の意見を読んで深く頷けたのは、かつて60年代に「人間は構成しうる」としたブルガリアのルカーチや、ソ連の「社会による子供の育成政策」がすぐに思い出されたからです。
どちらもマルクス主義の進化した思想であり、前者は画一的な人間を人為的に作るため、後者は子供を親から無理に引き離し、結果的にロシアマフィアの予備軍を排出しただけに終わりました。
共通するのは、人間性や人権を無視して「国家の強化」を図るための「人造人間」を作ろうと作為した事で、彼らの頭にあったのは「個」をなくし、その事によって自国の「統治」をしやすく、もって国家の強化を図る事でした。
それを今この現代においても中共は、大衆をコントロールし、全体主義化に通底するプロパガンダを、皮肉にも入口としての「人権」を用いて行っているのですね。
もともと儒教の観念と行動には「対等・平等」は存在しません。
儒教の立場は「自分本位」です。
現在の中共幹部、あるいは中国人が皆儒教的精神をくまなく保持しているはずはありませんが、気質として受け継いでいる部分も多いです。
これが共産主義思想と合作した場合、最悪の結果になるだろうし、その実験対象はまず日本人なのですね。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年2月 4日 (土) 14時42分
山路さん、ありがとうございました。
あと、私が気になるのは、幾人の捕虜を処刑したか、その数字だけです。この数字を出すのは難しいでしょうね。捕虜の収容所というのは多分なかったのでしょうね。安全地帯に逃げ込んだ中国兵が日本軍に殺されたというのが、実状なんでしょうね。(細かすぎる私の疑問は封印します)
ともかく、中国兵への組織的虐殺はなかったというのは確かのようです。
投稿: ueyonabaru | 2017年2月 4日 (土) 17時09分
ueyonabaruさん。
まず第一に、当時は捕虜収容所を作っていない(あるとしてもかなりの後方・上海など)ことをご承知ください。
このことは、様々な説のうちのひとつ、捕虜取り扱い専任の榊原参謀の東京裁判の話にでてきます。
ぐぐれば分かりますので、反論がある説だと承知してください。
第二に、日本・中国双方とも戦争にすることを避けて宣戦布告していないため、国際法上の捕虜解放、つまり捕虜の名簿を作り解放宣誓したうえの正規の解放もできませんでした。
南京攻略時は、公式の命令文に(記録として残ると戦争だと認識していたとなるため)捕虜という言葉を使いたがらなかったともいいます。
それがまた、話を難しくしている理由のひとつです。
投稿: お金が無い! | 2017年2月 4日 (土) 18時38分
皆様のコメントを読んでいろいろ考えさせられます。
でも当時中国と言う統一した国の概念はあったのでしょうか。国民党だって中国と言う国を政治的に統治していません。と言うことは日本は何と戦ったのでしょう。
投稿: karakuchi | 2017年2月 4日 (土) 22時36分
米軍も捕虜にせず殺しまくっていたし、南京のケーズなんてワンノブゼムなんですけどね。
投稿: ednakano | 2017年2月 4日 (土) 22時57分
米軍も捕虜にせず殺しまくっていたし、南京のケーズなんてワンノブゼムなんですけどね。
投稿: ednakano | 2017年2月 4日 (土) 22時57分
karakuchiさん
日本軍が戦ったのは主に中華民国軍でした。まだ、中国は統一国家ではありませんでした。当時は、中華民国軍もあり、共産党軍もあり、さらに汪兆銘の南京政府軍もあったのではないでしょうか(南京政府軍があったかどうかは?)。中国と戦ったのではないことは確かです。
法律的にどのように考えればよいのか?
投稿: ueyonabaru | 2017年2月 4日 (土) 23時13分
>やりたくないテーマなのです。
>なぜかと言えば、ひとことで言えばらちがあかないテーマだからです。
同意します。真相を突きつけてもあちらは個別の写真を記念館で取り下げはしても人道の罪で盛ればいいとふんでいます。
山路さんが引用されている正論のような意図と動きをその本を読んでない私も認識して、ここ数日私はここでも迂闊に過去の日本人がどうだったとか、何かしらあったとか、今後の身を守り理論武装する際に不利になるような事を、もう日本人は気楽に書いたり喋ったりするのをストップすべきだと提案しているのです。
記憶遺産登録で、もう検証から進む脱却の道は細くなりすぎました。
実際に海外で、
日本人が中国人を蔑視していた、
日本人はそれ故に南京で虐殺した、
日本人は今でも中国人を馬鹿にしている、
というセットで「中国人が日本人を殺すのは復讐でありどっちもどっち」だと東アジア一括りに距離を置かれるリスクがあるのです。
日常においてのヘイトクライムでは、過去に軍の命令があったからマスカウだったかどうかはほぼすっ飛ばされて、上の3つの結論に「だから殺す」で実行されます。
太古より日本人は中国人を蔑視していなかった、
日本人は戦争時、敵国として南京の中国人を沢山殺した、
日本人は今の中国人を野蛮な遅れた存在だと馬鹿にしているのではない。国際ルールや人権保護の規範を守れと言っているのだ。
…私は過去の検証をすっ飛ばして外に向けてはこれしか言わないのですが、これでは日本人として屈辱的なんでしょうか。歴史的に不十分なのでしょうか。
投稿: ふゆみ | 2017年2月 4日 (土) 23時42分
ふゆみさん
このブログでは深く考えることが大事であるという姿勢で私は臨んでおります。真理探究のような気持ちなんです。ですから、気楽に書くこともありますが、基本は真面目なんです。
> 記憶遺産登録で、もう検証から進む脱却の道は細くなりすぎました。
これは、日本人としてできるだけの反撃はすべきだと思いますよ。
、
> …私は過去の検証をすっ飛ばして外に向けてはこれしか言わないのですが、これでは日本人として屈辱的なんでしょうか。歴史的に不十分なのでしょうか。
歴史的に不十分だと思います。真実を追及するという観点が抜けております。
投稿: ueyonabaru | 2017年2月 5日 (日) 00時05分
ueyonabaruさん、そうですか。私はその姿勢に同意はできません。違うということで終わりにします。
投稿: ふゆみ | 2017年2月 5日 (日) 00時12分
ueyonabaru 様
そうなんですよ。当時の中国は日本の歴史に例えると戦国時代みたいなもので、国民党が織田信長、共産党が徳川家康ですかね。たとえが下手ですみません。
ただ国民党は打倒日本のためアメリカなどが持ち上げたのですね。
中韓との関係は日本が一つ譲歩すると二つ三つ要求してくる。気が付くと相当侵食されている。そんな感じですね。だからこそ安倍総理のおい韓国いい加減にしろが、国民の支持を受けるのでしょう。
投稿: karakuchi | 2017年2月 5日 (日) 00時59分
上海戦では多用されたが南京では便衣兵戦術が使われたという記録がない。
ちなみに便衣兵戦術は日本軍がもっとも得意としている。最も有名なのが沖縄戦の護郷隊。彼らは少年兵であり便衣兵でもあった。あと日本軍は中国戦線で憲兵などが中国服を着ていたこともある。
投稿: | 2018年10月23日 (火) 12時59分