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南京事件はジェノサイドか?

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APA事件は、中国外務省が日本の一私人が「南京大虐殺」を否定したから極右だ、中国人は泊まってはならんぞ、と言い出したこところから始まっています。 

これについて私は外国政府の、日本国民に対する思想干渉であって、そのようなものは受け入れてはならないと考えています。 

なんか変だなと思ったら、逆の立場で考えてみると分かり易くなります。 

日本政府が中国のホテルに、「南京大虐殺なんじゃらという本があったからけしからん、反日だから撤去せよ」と言っているようなもので、そんなことを日本が言い出したら血相を変えて中国はお怒りになるでしょう。 

自分にやられたらイヤなことは他人にしないのが、文明のルールです。 

では、南京事件はどのように考えたらいいのでしょうか。 

「虐殺」と日本語でいうとひとことで済んでしまいますが、実は歴史的に虐殺をやったりやられたりして多く体験を蓄積してきたヨーロッパには様々な概念が存在します。ちょっと見てみましょう。 

まずはジェノサイド(genocide)という概念があります。

これがもっとも世界で流布している虐殺概念でしょう。「民族絶滅」と訳しますが、実は日本人は経験したことがありません。

というのは、これはヒトラーがユダヤ民族にした行為を指すからです。この言葉は造語でポーランド系ユダヤ人のラファエル・レムキンが作ったものです。 

ジェノサイドは戦争犯罪ではありません。

なんども書いてきていますが、戦争犯罪には戦争相手国がいますが、ユダヤ人絶滅政策は、自国民に対して行われたのです。 

この時、ジェノサイドを目撃したヤン・カルスキは『私はホロコーストを見た・下』でこう書いています。 

「ドイツ人は、ポーランド人、あるいはあなた方被征服民族をそうしたように奴隷にしようとしているのではない。彼らが今しているのは、ユダヤ人をすべて絶滅させることなのです。明らかな違いはそこにある」 

服従でも、奴隷化でもなく、文字通りの絶滅がジェノサイドです。 

つまり、特定の民族を地上から消滅させる絶滅政策、これがジェノサイドの意味です。

数はとりあえず問題にはなりません。「民族絶滅政策の実行」、これが重要です。

さきほど日本人は経験していないと書きましたが、日本は一貫してユダヤ人保護政策を取っているからです。

同盟国だったドイツから厳重な抗議を受けましたが、キッチリ拒否し、日本の統治下にある地域を通じて逃亡に協力しています。

1930年代には、ナチスに追われるユダヤ難民を、ソ連経由で満州に入植させて保護しようという「河豚計画」がありました。

しかしこのユダヤ人救出計画も、39年にソ連が独ソ不可侵条約を結んだことで挫折します。

そして同年のポーランド、バルト三国の侵攻により、ユダヤ人の脱出ルートは完全に閉ざされます。

その閉じようとする最後の扉を渾身の力で開いた人物がいました。それがリトアニアのカナウス領事であった杉原千畝です。

彼は、最後の最後まで「命のビザ」をユダヤ難民に渡し続けました。彼が、しびれる手でビザを渡しながら残したユダヤ難民にかけた言葉が残されています。

「ヴァジャ・コン・ディオス!(神と共に行きなさい)」。

Photohttp://blog.looktour.net/vol-22-jtb/

ではそのような日本人が、中国人のジェノサイドを行ったでしょうか?

当時の日本人に「中国人を皆殺しにしろ。絶滅させるべきだ」と主張した人物がいたでしょうか。

戦前の日本において深く中国の「独立」に関わったのは、いずれも右翼と呼ばれた大アジア主義者のひとたちでした。

玄洋社の頭山満、黒龍会の内田良平は、アジアの解放に生涯を捧げました。
頭山満 - Wikipedia
内田良平 (政治運動家) - Wikipedia

頭山や内田が今生きていたら、「朝鮮人死ね」と叫んでいるような在特会の連中に鉄拳制裁を加えたことでしょう。 

もちろん個人で中国を蔑んでいた者はいたでしょうが、中国人絶滅を唱えた勢力はありませんでした。

では南京攻略作戦の指揮官だった松井岩根は、「大虐殺」を命じたほどの狂信的中国嫌いだったのでしょうか。
松井石根 - Wikipedia

正反対です。松井の理想は「日中提携」「アジア保全」でした。日中戦争に心を痛めており,和平を陰で工作していたほどです。

南京攻略軍司令官だった松井は、日中和平を探るトラウトマン仲介を期待して軍を郊外に止めていましたが、第10軍の突出によって、結局攻略戦を命じざるを得なくなります。
トラウトマン和平工作 - Wikipedia

松井は、常々兵にこう語っていたそうです。

「軍紀を緊粛すべきこと」「支那人を馬鹿にせぬこと」「英米等の外国には強く正しく、支那には軟く以て英米依存を放棄せしむ」(上海派遣軍参謀副長の上村利道陣中日記・かな表記に変換)

南京攻略戦において、日本軍の一定の非道がなされたことは事実だと思いますが、問題はそれが部隊によって組織的に行われたのかどうかです。

ましてや司令官が組織的に、「中国人を根絶やしにしろ」とジェノサイド命令を下した事実があるのでしょうか。

中国が主張する30万人虐殺説が事実ならば、あらかじめ虐殺専門部隊を組織し、虐殺死体処理部隊がそのための装置を準備していなければ遂行不可能です。

日本軍がそのような部隊を持っていたという事実は、発見されていません。

もちろん現地軍の松井司令官はそんな命令を下していませんし、大本営陸海軍部の記録は検証可能ですが、「中国人の民族絶滅を計れ」という命令はおろか、会議においてそのような発言ひとつ記録されていません。

第2次上海事変から始まった日中戦争は重慶までに及びますが、日本は軍事目標主義を貫いたために軍事的効果が上がらず、被害のみが累積してらちがあかないために、決着をつけるべく首都・南京攻略にエスカレートしたのです。

重慶爆撃を米国の日本本土爆撃やドイツのゲルニカと同列に扱う人がまれにいますが、軍事施設をねらったものがはずれて民間人に被害が出た重慶のケースとは次元が違う話です。

このような日本軍がいきなり次の南京では、組織的に首都住民全員を殺したというのですから驚きます。

その首都・南京の市民全員を殺せば、かえって抗日意識に火を着けるようなもので政治的にありえませんが、まぁいいでしょう、これも突如日本軍がテンパってそう思ったとしましょう。

ならば、日本軍が首都全員殺戮を命じた命令書があったわけですから、一枚でけっこうですから証拠文書を見せて頂きたいと思います。

むしろ出てくる文書は、虐殺指令とは真逆の松井司令官が出した「南京城の攻略および入城に関する注意事項」といった指示書です。

松井がいかに、細々とした中国の市民と外国権益の保護に心を砕いたのか分かる一文です。
南京戦 - Wikipedia

1. 日本軍が外国の首都に入城するのは有史以來の盛事であり、世界が注目する大事件であるため、正々堂々将來の模範たるべき心構えをもって各部隊の乱入、友軍の相撃、不法行為などは絶対に無いように。
2. 部隊の軍紀風紀を厳粛にし、中国軍民をして日本軍の威武に敬仰帰服せしめ、いやしくも名誉を毀損するような行為が絶対に無いように。
3. 外国権益、特に外交機関には絶対に接近しないこと。中立地帯には必要のないもの立入を禁止する。所要の地点に歩哨を配置する。 中山陵革命志士の墓、明孝陵に立入を禁止する。
4 入城した部隊は選抜し、城内外の外国権益の位置を撤退して把握し、絶対に過誤のないように歩哨を配置する。
5 掠奪行為、不注意といえども失火したものは厳罰に処す。憲兵を入城させ不法行為を摘発する。

また司令部には国際法学者の斉藤良衛博士を招いて指示を仰いでいるほど、国際社会に配慮しています。

攻略が開始されたのは1937年(昭和1年)12月7日、激戦の末中国軍司令官・唐智生が部下を捨てて逃走したのが12月12日、南京陥落が12月13日です。

翌14日から掃討戦が開始され、掃討が終わって松井司令官の入城が12月17日のことです。Photo_3

中国側の主張によれば、このわずか10日間、さらに限定すれば抵抗を受けながら市民の大虐殺は遂行できませんから、狭く限定するなら戦闘終了後の掃討期間の4日間に30万を虐殺した事になります。

ここでは数字は脇に置きます。南京住民数が20万だろうが30万だろうが、本質的なことではありません。こういう事にこだわると全体が見えてきません。

要は、日本軍がわずか4日間から10日間の間に30万人という那覇市(31..5万)規模の人口を殺戮し、その死体を物理的に処理することが可能かどうかです。

政治的に考えてはいけません。そう考えると左右のバイアスに支配されるからです。

あくまでも物理的にできるかどうか冷厳に考えて下さい。

さて、松井司令官と同時に入城した南京市内には死体は見当たらなかったことは、多くの従軍記者・作家たちの証言どおりです。
http://www.history.gr.jp/nanking/reason16.html

従軍した石川達三氏はインタビューでこう答えています。

「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です。大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません。何万の死体の処理は、とても2、3週間では終わらないと思います。あの話は私は今でも信じておりません。」

「生きている兵隊」が発禁になり、実刑を受けた作家の言葉です。

また当時朝日新聞従軍記者団を率いて、一番乗りで入城した橋本登美三郎氏の証言。

「南京の事件ねえ。全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話にでるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは互いに話にするし・・・それが仕事だからね。
噂としても聞いたこともない。朝日新聞では現地記者ばかり集めて座談会もやったが、あったのなら、露骨でないにしても、抵抗があったとか、そんな話が出るはずだ。」

勘違いしていただきたくないのですが、このような従軍記者・作家の証言を、私は「虐殺ゼロ論」の証拠として上げたわけではありません。

ですから、軍の非行はなかったなどと言うつもりもありません。

戦闘中、あるいは掃討作戦中に、南京市民・中国軍兵士に対して非人道的なことが行われたことは大いにあり得ることです。

Photo_4

しかしそのような戦闘中の非行と、中国が主張する30万人もの計画的大虐殺、あるいは民族絶滅(ジェノサイド)などとはまったく別の話です。

それにしても30万人地方都市ひとつの住民全員を丸々殺害して、なんの痕跡も残さないとは、なんという手際のよさでしょうか。

それもわずか10日、狭く限定すれば掃討期間の4日間で!

考えてみていただきたい。単純計算で1日3万人を計画的に殺し続けたのですよ。

ナチスの絶滅収容所のベウゼツ強制収容所は南京「大虐殺」とほぼ同規模の約43.5万人を殺害しましたが、その「処理」に約1年間かかっています。
絶滅収容所 - Wikipedia

そのための特別部隊と特別あつらえの死体焼却装置がフル回転して、1日せいぜいが千人「処理」するのがやっとだったようです。
ベウゼツ強制収容所

わが皇軍はナチスが国家政策として遂行して1年かかる作業を、わずか10日間でやり遂げた事になってしまいます。

仮にできたとします。

であるならば師団規模(約1万人)規模の虐殺・処理を行う専門部隊が戦闘部隊とは別枠でいなければなりません。

実際にドイツは、SSの指揮下の準軍事組織・「特別行動部隊」(ディンザッツ・グルツペン)と呼ばれる、ユダヤ人虐殺専門部隊が存在しました。

医師のエルヒャナン・エルケスは、荒れ狂うユダヤ人殺戮について英国にいる子供たちに宛てた1943年の手紙の中でこう書いています。

「彼らは大量殺戮という任務を終えると、頭のてっぺんから靴の先まで、泥とわれわれの仲間の血にまみれて戻ってきて、テーブルについて、軽い音楽を聴きながら、料理を食べ、飲み物を飲むのです。彼らはまさに殺戮のプロでした」(杉原幸子『六千人の命のビザ』)

この彼らナチ虐殺部隊の中からすら、発狂者を多く出しています。

大量殺戮をなんとも思わなくなるサイコパス的人格を持たねば、虐殺専門部隊など務まらず、それは常人の所業ではないのです。

当時のドイツ国防軍ですらそれは遂行できなかったから、このような「行動部隊」を作ったのでした。

では、日本軍がこのようなナチス虐殺専門部隊を組織したという記録が残っているのでしょうか。

そもそもこのような大規模殺戮をするのは、一般の兵士には無理なのです。なぜなら精神が破綻して後の戦闘で、使い物にならなくなるからです。

中国政府にお聞きしたい。

日本軍がこのような大量虐殺をしたという命令書、あるいはそれを遂行した虐殺専門部隊の組織命令書が一枚でも残っていたら提出願いたい。

またどうやったら30万人もの膨大な死体の山を、わずか10日間で「処理」できたのかご教示願いたい。

そして虐殺を体験した南京市民の証言があるそうなので、ぜひ日本の専門家による反対尋問を許可願いたい。

ジェノサイド以外に、「虐殺」(Atrocity)と、むごたらしく殺すという意味の「マサカー」(masscre)などがありますが、果たして南京事件はこれに該当するかもう少し考えていきます。

今日は長くなりましたので明日に回します。

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コメント

 今日もありがとうございました。この記事は多くの方々に読んでいただきたいと思います。杉原さんの言葉は感動しました。

> 重慶爆撃を米国の日本本土爆撃やドイツのゲルニカと同列に扱う人がまれにいますが、意図的に住宅地域をねらったはずれ弾で民間人に被害が出たとは次元が違う話です。 

 こちらの意味は少し分かりにくいのですが・・・・・。

投稿: ueyonabaru | 2017年2月 2日 (木) 09時30分

すいません。文章がおかしかったですね。なおしました。ありがとう。

投稿: 管理人 | 2017年2月 2日 (木) 09時59分

戦後、日本のシンドラーとして杉原千畝が持ち上げられてきたけれど、どこか、戦前・戦中の大日本帝国に逆らってビザ発給したという話になっているんですよね。

しかし、単に彼が日本の方針に逆らってビザ発給しても、ユダヤ人を本当に救えたのかと思います。映画などでも、まるで帰国後そのせいで首になったみたいな話が流布していますが、実際はそのまま外務省にとどまり、戦後外務省のリストラで退官したのが事実です。

そもそも、彼の書いたビザを持ってシベリア鉄道で満州にやってきたユダヤ人を満州で入国させるかどうかで、外務省は難色をしましたが、当時満鉄総裁の松岡洋右、東條英機関東軍参謀長,朝鮮軍司令官 板垣征四郎が、外務省の講義を跳ね返して、満州に入国させ、当時の国際中立都市である上海に行かせたわけで、彼らの判断がなければ、ユダヤ人は虚しく送り返されたことだろう。
戦後これが語られなかったのは、この3人がA級戦犯だからだ。


投稿: ednakano | 2017年2月 2日 (木) 10時48分

APAの経営方針で、すごいと思うのは、特定の国からの客のシェアを10%以内に抑えて、特定の国からの客に依存しないように、価格調整しているという点です。

経営者はえてして得意分野や売れ筋にフォーカスしてしまいがちですが、目先の利益を追わずに、バランスとるという姿勢には感心します。

投稿: ednakano | 2017年2月 2日 (木) 10時51分

APAが「目先の利益を追わず」だって?
今年、福岡で九州大学の受験生の足元みて一泊4万5千円で「ご奉仕」していたの知らないのかな。

それにAPAの元谷は安倍晋三の後援会「安晋会」の副会長で首相とも関係が近いんだから、せめてあの電波妄想史観は我が国の認識とは違うと否定しときゃいいのにね。

投稿: 安倍の云々(でんでん) | 2017年2月 2日 (木) 11時49分

安倍のデンデンさん。何を勘違いしているのですか。私はアパを守っているのではなく、日本の言論の自由を外国政府の干渉から守っているのです。
1泊いくらとろうと無関係だし、後援会に入ろうと知ったことではありません。

投稿: 管理人 | 2017年2月 2日 (木) 12時04分

私はけして身贔屓ということではなく、冷静に資料を読んで、南京大虐殺など無かったと思っております。
この議論を見ていると、「幽霊は居るか居ないか」みたいな事を真剣に議論しているような話に見えて来ます。
否定派がどんなに論理的に説明して、冷静に論破すればするほど、肯定派は激昂して、「だったら存在しない事を証明しろ」などと言います。「不在証明」が論理的には無理なのだから、貴方が、存在を事を証明せよと言っても、怪しい伝聞証拠しかなく、終いには自分は見たと言い張る始末です。

実際中国が主張する日本軍の虐殺の様子は、通州事件でやった悪逆非道とほぼ同じです。自分たちがやった事ですから、そういう点はやたらくわしいのです。(なので逆に通州事件は論理的に証明できてます)。
中国やその他利害関係者は金輪際認めないでしょうが、日本は論理的にあり得ないという状況証拠を積み上げ、国際社会に訴え続けることしかないのでしょう。冷静な国、人なら必ず理解できると信じて。

投稿: 都下人 | 2017年2月 2日 (木) 13時44分

素晴らしい(フラグ回収)

物理的に不可能というのは、まったくそのとおりだと思います。
中国文化の好きな私の友人でも、項籍より凄い(秦の大軍を新安で虐殺したこと)と皮肉を言うくらいです。

私は以前から、虐殺の証拠とされる中島今朝吾の日記を見て、気になっていました。
何故武装解除していない兵も全く戦意を失い、とあるのか。それは、国民党の堅壁清野が原因で、抵抗できるだけの体力さえ無かったからではないか、と。
隠したいものの為に、目立たせたいものの実数を10倍くらいにするのも、中国文化ですから。

投稿: お金が無い! | 2017年2月 2日 (木) 16時06分

途中送信されたので追記。

ようは、中国側の悪業を隠す為の誇大広告だろうと思っています。
勿論、日記の他の記述のように、惨い殺害などしていたこともあるでしょう。
しかしその一方で、別の資料には武装解除の後、南京に捕虜を移送したとの記述もあります。

これ以上は、明日の記事の後にします。

投稿: お金が無い! | 2017年2月 2日 (木) 16時59分

お金がないさん。
明日書きます。

投稿: 管理人 | 2017年2月 2日 (木) 17時11分

ドレスデン和解に関してコメントした名無しです。先月からこのブログを見始めました。今はバックナンバーも合わせて見ています。管理人さんの農業と沖縄情勢の詳しさには感服します。
以後、お見知り置きを。

投稿: 中華三振 | 2017年2月 2日 (木) 18時36分

私はここで講釈を垂れるような語学力はないのですが、ジェノサイドのWiki日本語版の中にある、
>集団殺人であっても、民族・人種抹殺の目的を伴わない場合はジェノサイドに当らない。
というカテゴライズでネイティブが喋っているように思います。
記事中にある通りユダヤ虐殺への非難が起源の言葉なのですが、被害者の枠はジェノサイド条約適用の際はもっと広くとられる傾向にあると思います。
南京についてはここ数年Nanking masscreという書き方を目にします。
明日以降にでてくるのでしょうが、ジェノサイドと人道の罪と戦争犯罪のカップリングで書いた人権非道のベン図の濃いもの程、歴史修正の壁が高いです。

投稿: ふゆみ | 2017年2月 2日 (木) 23時06分

ひどいスペルミスですみません。
Nanjing Massacreです。

投稿: ふゆみ | 2017年2月 3日 (金) 00時09分

私も南薫虐殺は無かったと思っています。
東中野修道教授は、南京虐殺の証拠とされる写真は実はそうではないと発言し、その裏付けもとっています。
ただ戦争中ですから、軍服を脱ぎ捨て民間人に紛れ込んだ国民党兵士も数多くいた。その過程で兵士と間違われた人たちも多くいたと思います。どこまでが戦闘行為でそうでないのか、戦争ですから線引きは難しいですね。
中帰連の人たちの証言も、沖縄戦の証言の様に突き詰めていくと矛盾するところも多々あります。
あくまで私個人の思いです。日本軍兵士の中にも通州事件のような日本人虐殺の恨みを晴らしてやろうという気持ちは兵士の末端まであったと思います。それでも30万人は無いですね。
そして私たち日本人が忘れてはならないのは、南京虐殺館の建設資金を出したのは旧社会党だということです。

投稿: karakuchi | 2017年2月 3日 (金) 00時37分

管理人さんの他の書き込みが面白くて、とても勉強になってます。でも、これについてはちょっと違和感。ドイツと日本の違いについてはご指摘の通りですし、30万という数字もあり得ないと思います。ですが、そもそもドイツと日本では問題のポイントが違うのではないでしょうか。計画的なドイツに対して日本は最初から最後まで場当たり的で現状追認の積み重ねで戦争の深みにはまりました。計画的政策は悪だが、計画性がなければ悪質性が低いとでもいわんばかりの立論は、日本の問題を考える上で避けた方がよいのではと思いました。

投稿: 南門 | 2017年2月10日 (金) 15時28分

南門さん。コメントありがとうございます。
ええ、私も日本は無計画、かつ場当たり的な戦争をしています。まったくおっしゃるとおりで、下記の記事でそのいい加減さをかなり強く批判したと思っています。
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-f12d.html

悪質性というのは何を基準にするかですから、それ次第だと思います。

投稿: 管理人 | 2017年2月10日 (金) 15時41分

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