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2017年2月 1日 (水)

戦争目的が明確でない戦争は負ける

057

かんしゃくを起こしてすいません。 私が「オレを敬え」といったとか言わないとか。

ちろんそんなことは考えたこともありませんし、ただ私は記事にはテーマというものがあるし、それに沿った議論が欲しいと述べただけにすぎません。

さて、APAを擁護するのは歴史修正主義の虎の尾を踏むという神谷氏の論説があり、さらに歴史的人種差別についてに議論が展開してきました。

私はこの記事の末尾にも書きましたが、日本を歴史修正主義とする考えの裏には、植民帝国を日本によって奪われた欧州諸国の恨みつらみがあると思っています。

本国を蹂躙したドイツは当然憎いが、植民地という金のなる木を切り倒した日本も同じくらい憎いということのようです。

だからナチスと日本を同格に並べたいのです。中国の「南京大虐殺」プロパガンダはさぞかし欧州人の耳に快かったでしょう。

欧州が人権先進国だから歴史修正主義を唱えているわけではないのです。

欧州に今なお恨まれているように、日本は不十分な「植民地解放戦争」を起こして、自らの国を滅ぼしました。

結果として、アジア諸国は独立を果たしました。あくまでも結果としてです。

では、日本にとっていまなお背負い続けている大東亜戦争に遡ってみます。

以下は旧稿ですが、再掲します。結語の部分を大幅に加筆し写真も追加しました。

掲載当時一回読まれた方は、末尾からお読みください。

なお「大東亜戦争」という表記は日本の歴史的呼称であって、それ自体は価値判断を含みませんので、念のため。 

さて、まず私のスタンスですが、あらかじめ設定された原理主義的見方を排除します。 

それは単に左翼方向に対してだけではなく、私と親和性が高いはずの保守の方に対してもです。 

理想は必要ですし、理念なき行為はありえません。 

だからこそ、理念・原理で大戦を見ると、たった一行で終わってしまいます。 

<白人帝国主義vs唯一の有色人種独立国日本>です。 

もちろんこれを説くとなると、一冊の本が必要なことはいうまでもありません。

ですから、あえて置きます。 

「いったんは」というのは、そこから入らないというだけで、原理的な主義主張も当然視野にいれねばならないからです。 

そうでないと、ただの政治力学主義になってしまいます。 

簡単に大戦について書いておきます。 

まず、<戦争目的>を明確にすべきです。 

そもそも戦争は外交が破綻したときに取られる、国際政治の非常の手段です。 

したがって、<戦争目的>は外交によって得られなかったものを、戦争によって回収することです。

これが定まらないと、<戦争戦略>、あるいは戦争計画が立てられません。

原理的には、<戦争目的>とすべきは「アジアの解放」以外なにかありますか。あるはずがありません。 

日本はアジアのみならず世界唯一の有色人種独立国(タイがありますが、そんな国力はありません)として呻吟した歴史があって、その中からアジアの植民地同胞を解放する義務に目覚めたのは、事実です。 

ならば、この主題を真正面から戦争の冒頭に大きく掲げるべきでした。

ただし、これを掲げるとアジア全域の植民地すべてを日本が独力で解放せねばならなくなります。

事実、それに近いことになって、日本は国を滅ぼしました。 

ところが日米戦争開戦において日本が掲げたのが、なんと「自存自衛」でした。言い換えれば、自国の存在の防衛のためだ、というのです。

これなら、全方位と戦争する必要はなくなるはずでした。

当時、政府と軍がなんと言っていたのか、検証してみましょう。

Photo_5

開戦当時の外相であった東郷茂徳は、開戦直後の1941年12月16日にこう衆議院で演説しています

「(米英政府の蒋介石政権への援助を)容認することが如きことがありせば、帝国は支那事変(※日中戦争の日本側呼称)4カ年にわたる建設的成果を犠牲とするのみならず、帝国の生存の脅威せられ、権威を失墜する」

これが、日本の外務省が作った開戦理由です。 

この演説で東郷外相は、5つの開戦事由を上げています。

①重慶政府(※蒋介石国民党政府)への米英の援助
②米国の資源輸出の禁止などの経済封鎖
③日米交渉の破綻
④米英による包囲網
⑤米英への国際社会の屈従

この東郷の演説から4年余で国を滅ぼした戦争の、国民と国際社会に向けたメッセージとしては、余りにも貧弱で、何を言いたいのかすらはっきりしません。 

 ①から④までは、すべて外務省の対米交渉が不調だったことを、ひたすら愚痴ったものにすぎません。  

②の対日石油輸出の禁輸は、日本の南部仏印(※現代のベトナム南部)進駐という武力進出に対しての米国の制裁が原因ですが、 これでは「米国の制裁に対して戦争をする」という一国的理由しか読み取れません。 

本来、ここで掲げるべき「アジアの解放」はひとことも登場しません。 

同じくもうひとりの当事者である、大本営の戦争目的についての発言を見てみましょう。 

大本営政府連絡会議(1941年11月20日)における、占領予定の東南アジア地域の欧米植民地の処理です。(出典「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯5」)

「南方占領地域行政実施要領」
第一 方針
 
占領地に対しては差し当たり軍政を実施し、治安の回復、重要国防資源の急速獲得及作戦軍の自活確保に資す。
 占領地領域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に定めるものとす。

ここにも「アジア解放」のひとこともありません。

あるのは、「資源の急速獲得」であって、 「植民地の最終的帰属、将来は別途処理」という言い方で、植民地解放はあいまいにしています。 

植民地の資源を押さえればいいのだ、日本の植民地として残すか、独立させるかは後から考えよう、ということです。

おいおい、「アジア解放」ならば、そこから発想しろよと思います。

外務当局は、外交の失敗のツケをまわし、大本営は資源確保しか言わない、残念ですが、これが大東亜戦争の開始の実相です。 

それでは、東郷が開戦の原因とした、②④の「米英の包囲網」はどうでしょうか。

東郷によれば、「この包囲網は米国、英国、中国、オランダが参加していて、日本に資源や原油を輸出させないようにして、オレたちを締め上げているんだ。だからこれを軍事力で突破するんだ」ということです。 

結論から言いましょう。ただの幻想です。いかに当時の政府と軍が視野狭窄に陥ってテンパっていたかを示すものでしかありません。 

なぜなら、輸入資源は枯渇していませんでしたから。

閉ざされていたのは、唯一米国からの輸入だけなのです。

ウソをつけ、日本は米国から原油を禁輸されて干上がっていて、これ以上制裁されたら自慢の海軍も動かなくなるのを恐れていたんじゃないか。

残念ですが、違います。原油も資源も、米国ルート以外に別に存在しました。

それがオランダ領インドネシアです。当時の言い方で「蘭印」です。

実はあまり知られていませんが、日本は蘭印と2回にわたって資源交渉をしています。

1940年11月、つまり開戦1年前に日本はオランダ領インドネシア(蘭印)と、資源をめぐる貿易の交渉をしています。これを「日蘭会商」と呼びます。 

Photo_4

オランダは日本の要求をほぼ丸飲みしています。「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯4」によれば以下です。
日蘭会商 

・生ゴム  ・・・2万tの日本側要求に対してオランダ側回答1万5千t 75%
・錫・錫鉱石・・・同3千t 同3千t 100%
・パーム油 ・・・同1万2千t 同1万2千t 100%
・ボーキサイト・・・同40万t 同24万 60%

このような正常な貿易が成立しているにかかわらず、日本側から交渉を打ち切ってしまっています。

では当時、蘭印はどのような立場にあったのでしょうか。
オランダ領東インド - Wikipedia

この日蘭会商のあった半年前の40年5月に宗主国オランダは、既にドイツによって侵略を受けて亡命政府となっていました。

蘭印はこの亡命政府の下に入ったのですが、いかに弱い立場かわかります。日本包囲網など夢想もしなかったはずです。

英米が蘭印に圧力をかけ不調に終わらせようとしたことは事実ですが、英国がこの交渉に圧力をかけた理由は、日本を経由して戦略物資の天然ゴムなどがドイツに渡ることを恐れたからです。

こんなことにまで三国同盟の悪しき影響が出ています。

ナチスドイツとの三国同盟こそ、わが国近代史上最大の失敗です。

一片の利益もなく、狂気のナチスと同盟したために、敗戦後も同列の扱いを受け続ける事になります。

結局日本側は、この日蘭会商が不調だからという理由で、世界で誰も言っていない「ABCD包囲網」というイリュージョンを妄想し、その一角にオランダを位置づけてしまいました。

ちなみに、このオランダ領インドネシアこそ、当時世界有数の産油地帯で、その中心のパレンパン油田だけで、日本の1年間の石油消費量を生産したほどです。

しかも質的に極めてハイオクタンの優良な品質でした。
パレンバン - Wikipedia

極論すれば、ここだけ押さえれば他に何もいらないのです。最小限の軍事行動、ないしは軍事力を背景とした外交圧力で済んだのです。

ただし、ここは当時、蘭印全産油量の74%を英国系資本が、残りの26%を米国系スタンダードオイルが支配していました。

米英両国は、蘭印に対日石油交渉を引き延ばし、契約の量と期限を制限させる圧力をかけていました。

また、日本軍進入の際は、全ての石油備蓄と精油所・油井を完全に破壊するということも、蘭印に命じていたようです。

結局、この圧力に屈して日本はこの日蘭会商から撤退してしまいます。

後に日本軍は1942年2月に精鋭のパラシュート部隊により確保しています。

Photo_3

藤田嗣治

本国が亡国の淵にあって根無し草状態だった蘭印と、事を構える必要があったのか、はなはだ疑問です。 

軍事力を背景にして外交的に処理できる案件であって、日蘭会商を粘り強くつづければ、原油は充分に入手可能だったのです。 

仮に軍事力を最小限行使するなら、この交渉決裂時のスタンダードオイルの油井に限定した確保です。理由は「米英の破壊工作からの予防措置」です。

蘭印が原油を売れば、兵を直ちに引き上げればいいのです。

当然、米英は怒るでしょうが、戦争事由にまではなりません。

まぁ、それならばそもそも仏印進駐などせねば、米国の制裁を回避できたわけですが。

ここまでさかのぼると、第2次上海事変以降の日本の対中政策の失敗が問題となってくるので、キリがないのでここで止めることにします。

というわけで、後の東南アジア全域に対する侵攻は不必要な戦域拡大でした。

日本がパレンバンで原油を得れば、後はどうにでもなるのですから。

当時の独立勢力に裏から支援するなりなんなり、やりようはいくらでもあります。特にフィリピンなどはなんの資源もありませんから、侵攻する理由がありません。

フィリピンは米国領でしたから、ここへの侵攻は米国にとって開戦事由足り得ます。

そもそも、資源獲得が戦争目的ならば、なぜ米国と戦端を開いたのでしょうか?

政治的に敵対関係にあったのは事実ですが、やりようはいくらでもありました。

そもそも数回あった中国との和平の機会を潰した馬鹿野郎は近衛なのです。

和平が成っていれば米国からとやかく言われる筋合いもないし、大陸に100万もの兵力を残留させたままで、米国と全面戦争するはめになるという信じがたい状況に陥ることはありませんでした。

あ、いかん大東亜戦争は「そもそも論」をすれば、きりがないのでした。

とまれ米国を敵に回したのは下策の極みです。

真珠湾攻撃という愚作を止め、フィリピンさえ攻撃しなければ、米国の日本に対する開戦理由は消滅します。

英国や中国は米国に泣きつくでしょうが、アチラのことですから放っおけばいいのです。

Photo_2

しかも真珠湾攻撃という投機的作戦に、みごとに失敗してしまいます。

え、大成功ではないかと。

とんでもない、あそこで沈んだのは老朽戦艦ばかり(後に引き揚げて復活)、空母はおらず、軍港施設は丸ごと残りました。

日本海軍の全員教官クラスの熟練の操縦士の見事さ、極北の海上ルートを大艦隊で隠密に航海した海軍将兵の熟練度に対しては、称賛以外の言葉はありませんが、真珠湾攻撃そのものが無意味でした。

結局、開戦したくてたまらなかったルーズベルトに、まんまと開戦の口実を与えたにすぎなかったからです。

私はルーズベルト謀略論はないと思っていますが、彼が日本に先制攻撃をさせようとしていたことは事実だと思われます。

これを企画した山本五十六は愚将の名に値します。

後の二兎を追ったミッドウェイといい、米豪遮断作戦で広大な南太平洋地域に日本軍をばらまいたことといい、この人物の戦争指導者としての資質を疑います。

真珠湾作戦の現場力の素晴らしさに目を奪われて、戦略としてのそれまで賛美するのは間違いです。

つまり、資源だけを見れば、蘭印さえ押さえればいいのであって、日米戦争は不要どころか、せっかく蘭印で獲得した資源を日本に輸送できなくなるという意味でも、下策の極でした。

原油や鉱物資源が、ことごとく米潜水艦の餌食となって沈められたのは、ご承知の通りです。

Photo_2

日本は民間船舶のほぼすべてをこの海上ルートで失い、海員の墓場としました。

丸腰で戦う海員の勇敢さは海軍兵士に勝っていましたが、ことごとく沈められました。

軍事的解決を考えたのなら、なぜ輸送まで考えないのか、なぜ海上護衛を発想していないのか、いかにやっつけで日本が戦争に突入してしまったのか分かります。

しかも、資源輸送のみならず、広大な太平洋に兵隊と航空機をばらまき、その上やらなくていい米豪遮断作戦などに手を出してしてしまいました。

Photo_3

結果,ガダルカナルを日本海軍航空隊の墓場にし、孤立した島への増援はできず、餓死者が続出しました。

日本軍兵士は銃弾に倒れた数より、餓死とそれによる病死が上回るという説すらあるのです。

最後には、戦闘艦のはずの潜水艦や駆逐艦に米俵を積んでのネズミ輸送に頼る始末です。

話になりません。ロジスティクをまったく考えずに、戦争をした罪は重いのです。

ロジ不在の物資不足による現地軍の枯渇は、現地住民との摩擦まで引き起こしています。

逆に言えば、いかにこの大戦が準備しないでズルズルと引き込まれるようにして始まったものかがわかります。

Photo_4http://www.sankei.com/photo/story/news/150413/sty1504130002-n1.html

そしてとどのつまりは、敗北が必至になると狂気の特攻作戦に手を出してしまいます。

私は特攻隊員には涙しますが、それを命じた外道共は殴ってやりたい。

当時の学歴エリートたちの、気持ちが悪くなるほどの無能さです。

作演出はメチャクチャ、役者は超優秀、これが当時の日本軍だったのです。

思えば、世界最低の日本の学歴エリートと、世界一の現場力というのが、いまに至るも日本の宿痾です。

もうひとつの「戦争目的」だったアジア解放ですが、開戦という絶好のタイミングをはずして、ようやく大きく掲げだしたのは、もはや戦局が確実に日本敗北に傾いた1943年の大東亜会議あたりからでした。
大東亜会議 - Wikipedia

Photo

Wikipedia

致命的に遅いとしかいいようがありません。

シンガポール陥落時期あたりで大東亜会議をやれば、世界に「反人種差別闘争」、あるいは「植民地解放闘争」としてこの戦争を主張することが可能でした。

そうすれば後の様相は、そうとうに違ったはずです。 

このように俗にいうABC包囲網などは、被害妄想であって、ひとつひとつ個別の国のパーツに分ければ、外交的手段、ないしはミニマムの軍事行動で解決可能でした。

それをあろうことか対戦相手をひとつにして四面楚になったと思い込み、頭に血が昇って自滅したのが、わが国です。 

大戦は避けることが可能な戦争でした。やるべきではない戦争でした。

私は当時に生きていたら、できる限りの知恵を絞って戦争に突入せぬ道を探ったことでしょう。

それでもなお、力及ばず戦争に突入したら、兵役に就きます。それが仮に「犬死」だとしても、です。

なんどもいいますが、あの大戦は回避可能でした。

アジア民族の解放も、軍事侵攻以外の方法で可能だと思っています。

しかし、いったん戦端をこちらから開いた以上、その大義であるアジアの解放をなぜ全面に掲げなかったのか、その曖昧さ、腰の座らなさに腹がたつのです。

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アジアの解放を信じて散った将兵は大勢いました。

それは後の東南アジア住民の証言からも明らかです。 多くの日本兵が戦後の民族解放闘争の現場指揮官として散っていきました。

ベトナム、インドネシアに、いまでも彼らの足跡を見ることができます。

彼ら無名の日本軍将兵こそが、純粋に大東亜戦争の理想を体現していたのです。

英霊に報いるためにも、私は開戦当時の政府・軍中枢を許してはならないと思っています。 

彼らは日本人の手によって裁かれねばなりませんでした。それは敗戦責任という、国民に対する罪です。

もっとも強く敗戦責任を感じられておられたのが、昭和天皇陛下でした。

そしてもっともそれから逃れようとしたのが、当時の政府と軍の指導者たちの戦後でした。

あの戦争を教条で裁断しようとするとわからなくなります。

左翼リベラルのように悪辣な「侵略戦争」として切り捨てると、戦後のアジア諸国の独立に貢献した日本の位置を説明できないし、逆に保守が言う「アジア民族解放戦争」だとするにも今日見てきたように無理がありすぎます。

結論的に言えば、私はあの戦争は、するべきでない戦いを不用意に始めてしまったアジア解放の理念をどこかに持っていた国の悲劇だと思っています。

歯切れが悪くて申し訳ありませんが、公平に言って「結果としてアジアを解放してしまい、ヨーロッパ宗主国の憎悪を買った国」というのが実際の日本の姿なのです。

一方、欧州諸国が日本をナチスドイツと並べるのは、この宝の山だった植民地を失っ怒りの反映です。

戦後彼らは表向き植民地解放を批判できないために、中国の「南京大虐殺」プロパガンダを丸飲みにしました。

南京事件をナチスと同列のジェノサイドと呼ぶことによって、日本に対する憎悪を合理化できたのです。

日本に対する歴史修正主義批判も、ここから始まっています。

このような戦に巻き込まれて亡くなった230万の兵士、80万の市民の霊に頭を垂れます。

合掌。

再録

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コメント

今日の記事は残念。
ドイツは自国民の虐殺者の銅像に毅然と文句を言い、日本は逆に勲章を与えた。
ああ、日本は自身を敗者として、悪者として貶め、勝者におもねっている、恥ずかしい。

だけど、ドレスデンから真珠湾への流れの中で、敗者でも死者を悼むべき時に悼み、勝者の罪を明らかにする事も出来るようになるだろう。

そういう事だったと思います。
しかし、ここで戦争目的がどうこうと言ってしまうと、内容に関わらず

ああ、やっぱり歯ぎしりするほど悔しいのね。

と思ってしまいます。
数日前に訪れたばかりの新参者なので、管理人の人となりが分からない故の戯言だと、聞き流してください。

すいません。何をおっしゃっているのかわからない・・・。

お金が無い!さん。

オレもカネは無いけど、あなたが何を言いたいのか全く理解できません。
「記事が残念」とか、「歯ぎしりするほど悔しいのね」など、何を見てわざわざ書き込んでいるんでしょう?
残念なら無視すればいいだけだし。わざわざ飛び込んでくる行為自体が意味不明。

反論があるのなら、ちゃんと指摘して論理的に話さなければいけません。
できないのはただの荒らしですよ。

昭和天皇は、国連脱退&三国同盟をやった「松岡洋右」まで(松岡は後に後悔してますが)靖国に合祀するのか!と、
78年以降靖国参拝を止めてますね。

心中をご察し下さいとしか・・・。

昨日までの話の流れを考えて、

1.ドイツは敗者だけど毅然と抗議して素晴らしい

2.日本は逆に敗者の立場として虐殺者におもねって恥ずかしい。

3.真珠湾演説で、そんな日本も変わりつつある。

ここまではいい。このあと、勝者敗者の差はともかくとして、戦争中の犯罪に対して正して・糺していく、というなら素晴らしいと感想したでしょう。

でも、ここで戦争目的に触れてしまったら、ドイツのように敗者でも毅然とした態度で勝者側に言いたいのは、戦争中の犯罪ではなく、戦後に押しつけられた日本は悪という公式なのかな、と思いまして。

戦争目的をどんな方向から見ても、戦争指導者が悪の公式は変わらない。変えられない。
なら私たちが言っていくべきなのは、それ以外の…例えば、勝者側が隠してきた真実や、プロガバンダで作り上げられた悪は間違いだ、ということなのでは、と思いまして。

すみません、意味不明かもしれない。

お金がないさん。なるほどね。
うーん、私、「戦争目的をどんな方向から見ても、戦争指導者が悪の公式は変わらない」という部分なんですがね、そうかな。

私は「戦争目的」が大本営がいう「資源の獲得」ならばやりようはいくらでもあったと思っています。詳しくは記事読んでね。

戦争目的をこの「資源獲得」方向からみればおかしいですね。悪とまではおもいませんが、自分の都合です。

戦争目的は国際社会への発信です。普遍的価値観を主張するべきです。こう言うときは本音は言っちゃダメなのです。
ですから 「オレはアジアの苦しむ植民地同胞の独立の為に立ち上がったんだ」と大声で叫ばねばならなかったのです。
ショボイ声で、「オレ、ぐるりを敵にしたんで、追い込まれたから戦うんだ」では北朝鮮です。

したがって戦争目的は、長年日本が国際社会で唱えてきた「人種差別反対」でなければなりません。
え、そんな事日本はしていたのと思われそうですが、国家として最初に人種差別反対を主張したのはうちの国です。

これを真正面から掲げろというのが私の考えです。
ならば後世の評価も大分ちがったのにと思います。
ただし遅ればせですが、戦争途中で掲げて、結果として日本はアジア解放のきっかけを作ったことは事実です。
この結果を強調するのが保守の人たちです。
間違ってはいませんが、戦争当初からしっかり観察すれば必ずしもそうではないのがわかるはずです。

次に「戦争指導者」ですが、どこまでを指導者と呼ぶかについては置くとして、これも書きましたが「悪」というよりデタラメでした。
負けて当然のハチャメチャでした。

ですから、私は当時の日本が「戦争目的」を間違って掲げてしまったこと、「戦争指導」がデタラメだったことを批判しています。

戦争とは冷徹に勝敗が決しますから、日本は米国の支配下に組み込まれました。
その結果、勝者のプロパガンダを丸飲みするはめになりました。
米国のプロパガンダならともかく(それも腹立ちますが)、まともな戦闘すら交えていない中国共産党や、ましてや当時日本だった韓国までもが「南京大虐殺」「慰安婦」でいまも執拗に日本を国際社会の場でディスりまくっているわけです。

日本が「ドレスデン和解」が可能なのは米英オランダのみです。宗教は違うが、民主主義の共通価値を共有しますからね。
しかし中国はこの共通項がないので不可能です。
韓国とは日韓合意でしたことになっていますが、相手がひっくり返してくれました。どうなりますやら。

答えになっているのかわかりませんが、とりあえずこんなところで。

>欧州が人権先進国だから歴史修正主義を唱えているわけではないのです。
もちろんそうです。あれは彼等同士で成立するように構築してあるので、普遍化の限界があります。普遍化自体相当無理があったんじゃん、というツケを今彼等は払い中です。

>本国を蹂躙したドイツは当然憎いが、植民地という金のなる木を切り倒した日本も同じくらい憎いということのようです。

戦後処理時の過去形としてはあったと思います。しかし、植民地を失った恨みが人々の間でリアルだった時期と、中共が本格的に南京事件の大型化を働きかけた時期とに結構なタイムラグがありませんか?
政治的には短い空きかもしれませんが「人の差別意識」的には考慮すべきで、歴史修正主義が台頭してきた頃の心理分析に植民地をメインで登場させる実感が、私には持てないです。しかし私が日本において少数派なのもわかっています。

目障り、邪魔、と言われたところがライバル国としてのスタート地点。しかしそこから選んだ道が細くて険しいものばかりでした。
当時、結果として独立を果たした南と東南のアジア人達は今、中華帝国に対抗するのに日本と組むとして、あの細くて険しくて清くてクソ真面目なのすごいやつは、もういっぺんは御免だと思っています。
しかし私達日本人がこれだけの天災の中で暮らしを維持するのにクソ真面目さは必須です。私はそんな日本人に誇りを持ちます。
でもそれを諸国へ広めたり真似してもらえる位理解してもらうのは特殊すぎて、そこは無理だと辞めました。

今後、日本が国策として選ぶ道が細くて険しい場合、それでも行こうという時に、その素晴らしさを理想で飾るともっと険しい方向へ追い込まれる可能性を、今朝の記事は示唆していると私は読みました。
今から組む戦争に備えた同盟の目的がはっきりしているとしても、東南アジアだったら日本をわかってもらえると思う保守の方々には一段目を厳しく持ち直す事を提案します。
そしてみなさんの違う意見を是非知りたいと思います。

目的不明の戦争は負けるのは、その通りだと思います。その上で当時を見て結局目的不明の戦争だったんだなと証明されたような感じです。

そうなったのは三国同盟が原因ですが、三国同盟は日英同盟が破綻したのが遠因だと思いますし、日英同盟が破綻したのは第一次世界大戦で日本が英国の要請に積極的に応えなかったのが遠因だと聞いています。

当時の国民も今の国民と同じように、他国の戦争に加わって身内が死ぬのはおかしいという感情が大きかったようです。

これはつまり集団的自衛権の義務を果たさないと、ダメだという事だと思うのです。

いかがなものでしょうかね?

 今日の記事は前にも取り上げられましたね。

> もちろ;そんなことは考えたこともありませんし、ただ私は記事にはテーマというものがあるし、それに沿った議論が欲しいと述べただけにすぎません。

 当然なお気持ちです。私たちも、自分の話の方へつい行ってしまいがちで、すみません。少しご容赦願います。

> 日本を歴史修正主義とする考えの裏には、植民帝国を日本によって奪われた欧州諸国の恨みつらみがあると思っています。

 これも当然あるだろうと思いますね。そして、自分達の悪ぐらいあるいはそれ以上の悪は日本にもあるのだろうという予見があるのでしょう。もし、日本に悪がなかったとしたら、自分達西欧人が悪い、劣るということになってしまいます。それでは困るのでしょう。

> 結果として、アジア諸国は独立を果たしました。あくまでも結果としてです。

 謙虚ですね。

> 理想は必要ですし、理念なき行為はありえません。

 同感です。

> 原理的には、<戦争目的>とすべきは「アジアの解放」以外なにかありますか。あるはずがありません。

 独立自存が戦争目的でもあり得ることだとは思うのです。

> 日本はアジアのみならず世界唯一の有色人種独立国(タイがありますが、そんな国力はありません)として呻吟した歴史があって、その中からアジアの植民地同胞を解放する義務に目覚めたのは、事実です。

 おっしゃるとおりです。日本人には、根底には江戸時代末期頃から庶民段階でもそのようなアジア主義的思いはあったとすべきです。

> ならば、この主題を真正面から戦争の冒頭に大きく掲げるべきでした。
ただし、これを掲げるとアジア全域の植民地すべてを日本が独力で解放せねばならなくなります。
事実、それに近いことになって、日本は国を滅ぼしました。

 結局は世界の大半を敵に回してしまったのですから、そんなことなら、最初から大きく出て、「大東亜解放」という旗印を掲げるべきだったということでしょうが、そんな勇気は当時なかったというべきではないでしょうかね。蒋介石の国民党との連携でもあれば、アジアの解放、アジア主義も成立したでしょうが、肝腎の中国と小競り合いをしていたわけです。

> 植民地の資源を押さえればいいのだ、日本の植民地として残すか、独立させるかは後から考えよう、ということです。

 そんな状況ではなかったでしょうか。まず、自国の戦争の方が優先するのです。それは理解できます。

> 一片の利益もなく、狂気のナチスと同盟したために、敗戦後も同列の扱いを受け続ける事になります。

 ナチスと組むべきではなかったですね。
 
> そもそも数回あった中国との和平の機会を潰した馬鹿野郎は近衛なのです。

 渡部昇一氏は、近衛首相を批判しておりますね。

> 大陸に100万もの兵力を残留させたままで、米国と全面戦争するはめになるという信じがたい状況に陥ることはありませんでした。

 これは、ホントに下策でした。

> これを企画した山本五十六は愚将の名に値します。
後の二兎を追ったミッドウェイといい、米豪遮断作戦で広大な南太平洋地域に日本軍をばらまいたことといい、この人物の戦争指導者としての資質を疑います。

 山本元帥のばくち的な発想は信じがたい。

> シンガポール陥落時期あたりで大東亜会議をやれば、世界に「反人種差別闘争」、あるいは「植民地解放闘争」としてこの戦争を主張することが可能でした。

 そうなんですよね。

> それでもなお、力及ばず戦争に突入したら、兵役に就きます。それが仮に「犬死」だとしても、です。
なんどもいいますが、あの大戦は回避可能でした。
アジア民族の解放も、軍事侵攻以外の方法で可能だと思っています。

 残念がるお気持ちは伝わってまいりますが、私は、日米戦争は不可避だった思うのです。その理由は、中国を懐柔できなかったこと、そして、アメリカ大領領ル-ズベルトが日本との戦争をしたいと思っていたことを挙げます。

> しかし、いったん戦端をこちらから開いた以上、その大義であるアジアの解放をなぜ全面に掲げなかったのか、その曖昧さ、腰の座らなさに腹がたつのです。
E9edea75961168723f50e86005c27849

 それは、アメリカとの開戦時のことでしょうか。そうであれば、その時点で「大東亜解放」を掲げるべきでした。すこし遅すぎました。

> 彼ら無名の日本軍将兵こそが、純粋に大東亜戦争の理想を体現していたのです。

 彼らは偉い。

> 左翼リベラルのように悪辣な「侵略戦争」として切り捨てると、戦後のアジア諸国の独立に貢献した日本の位置を説明できないし、逆に保守が言う「アジア民族解放戦争」だとするにも今日見てきたように無理がありすぎます。

 大東亜解放戦争であったと主張してもいいと私は思います。実際にはそうだったのですから。中国の蒋介石はこれに賛同しませんでした。蒋介石の判断が間違っていたのです。彼にはどんな理念・理想があったのだろうか。そこが分からない。単なる中華思想なのか? クリスチャンでしたよね。蒋介石の罪は大きい。共産主義を中国に引き入れてしまったのだ。

> 一方、欧州諸国が日本をナチスドイツと並べるのは、この宝の山だった植民地を失っ怒りの反映です。
戦後彼らは表向き植民地解放を批判できないために、中国の「南京大虐殺」プロパガンダを丸飲みにしました。
南京事件をナチスと同列のジェノサイドと呼ぶことによって、日本に対する憎悪を合理化できたのです。

 そんなところだと思います。

ふゆみさん

> しかし、植民地を失った恨みが人々の間でリアルだった時期と、中共が本格的に南京事件の大型化を働きかけた時期とに結構なタイムラグがありませんか?

 そうなんですよ。中国共産党は南京事件を歴史戦の材料として後になって取り上げたのでしょう。

> 政治的には短い空きかもしれませんが「人の差別意識」的には考慮すべきで、歴史修正主義が台頭してきた頃の心理分析に植民地をメインで登場させる実感が、私には持てないです。しかし私が日本において少数派なのもわかっています。

 ふゆみさん、分かりやすいように言い換えてもらえますか?

> 当時、結果として独立を果たした南と東南のアジア人達は今、中華帝国に対抗するのに日本と組むとして、あの細くて険しくて清くてクソ真面目なのすごいやつは、もういっぺんは御免だと思っています。

 今東南アジアの国々は日本と組むのは御免だと思っているのでしょうか?

> でもそれを諸国へ広めたり真似してもらえる位理解してもらうのは特殊すぎて、そこは無理だと辞めました。

 日本人が世界へ貢献できる点があればなんであれやっていくべきでしょう。理解は、すぐには得られなくても構いません。

結果としてアジアを開放したと言う論理の根拠を教えてください、まぁ無いでしょうがね。

 戦争は人間のやる最大の愚行であるが故に、戦争の大義名分はとても大事ですね。そして人種差別撤廃という立派な「建前」と宣言した日本が、ナチスドイツと同盟してしまったことは、政治的に最大の失敗だったと考えています。ナチスドイツとの同盟自体が、ほとんど意味がないことだったし、ユダヤ人の『扱いに関しても、日本はドイツと考えが合わなかったわけですから。大体、日本の首脳でさえ、仮にドイツが欧州を制圧して勝った場合、日独の戦争もあると考えていたわけで、地政学といっても、巨大なソ連を挟んだ地政学は間延びしすぎです。

 日本がアメリカに向かって開戦したこと自体は、当時の日本の首脳陣の2つ目の失敗といって良いでしょう。まあ、ドイツと同盟しなかったら、アメリカにいろいろ言われても、開戦には至らなかったんでしょうが、わざわざ正々堂々と宣戦布告南下して開戦しなくてもよかった。おまけに通達が遅れて、だまし討ちといわれている。アメリカはしょっちゅ戦争しているが、ほとんど宣戦布告はしていないので、アメリカに卑怯だと言われる筋合いはないのだが。昭和天皇におかれても、民主主義国家の日本が、独裁国家ドイツなんぞと組んで、民主主義の米英と戦うのは間違いだと岩荒れていたが、明治憲法の不備から、日米開戦を止められなかった。

 植民地解放に関しては、軍事侵攻がなければ非常に難しかったと考えています。植民地支配の旨味を欧米列強が易々と手放すはずがない。そして、アジア人に日本兵が白人を駆逐する姿を見せ、教育を施し、軍事訓練をした日本軍の現地部隊がなければ、独立はできなかっただろうし、当時の感覚では平和的に独立しても、アジア諸国にそれを維持する気概は生まれなかっただろうと思います。

 ただし、日本軍だけでなく、当時米軍に黒人兵がいて、場合によっては白人の上官が黒人というケースがあったことも、白人至上主義を崩壊させる役目を負っていたようで、米軍の進駐が植民地解放に与えた影響もある増すけどね。

 意外かもしれませんが、太平洋戦争でも、アメリカ国内やハワイには、日本軍待望論が存在していて、黒人の中には、日本軍が差別的白人支配を打倒してくれるという考えを持つ人も、存在したようです。実際は笑い話レベル化も知れませんが、それぐらい当時の白人による差別がひどかったことと、日本が人種差別撤廃を訴えたことに期待する有色に期待という時代の空気があったということでしょう。

かつて…(以下略) さん

> そうなったのは三国同盟が原因ですが、三国同盟は日英同盟が破綻したのが遠因だと思いますし、日英同盟が破綻したのは第一次世界大戦で日本が英国の要請に積極的に応えなかったのが遠因だと聞いています。

 日英同盟の破綻はアメリカ側が働きかけたようですよ。ハッキリしたことは分からないのですが、一言、教えてくださる方はおりませんか?

> これはつまり集団的自衛権の義務を果たさないと、ダメだという事だと思うのです。
いかがなものでしょうかね?

 日米同盟も片務的なものですが効力はあります。同盟には色々と形態はありうると思いますよ。日英同盟では
日本はドイツ軍と戦っております。東アジアでアメリカに共同作戦をとれないのであれば、日米同盟は破綻しますが、仮に米国とメキシコが戦闘状況に陥った時にはアメリカのどこまで協力できるかは事情により異なってくるのでしょう。日本から遠いところでの戦であれば、それなりの協力のあり方もあるのでしょう。

山本さん

結果としてアジアを開放したと言う論理の根拠を教えてください、まぁ無いでしょうがね。

 論理も何も、結果がそうでしょう。

ednakanoさん

> ナチスドイツと同盟してしまったことは、政治的に最大の失敗だったと考えています。
  
 そうですね。三国同盟の表向きは、防共協定というものだったらしい。日本人はユダヤ人差別には軍でも反対の意向があったらしい。杉原リトアニア領事でしたかがユダヤ人を救ったことで有名ではありますが、それよりも大きなユダヤ人救済が日本軍にはあったようです。満州軍の当時の東條英機は、ソ連経由で満洲までやってきた脱出ユダヤ人を援けたそうですよ(資料で示さなくてごめんなさい)。

> ドイツと同盟しなかったら、アメリカにいろいろ言われても、開戦には至らなかったんでしょうが、わざわざ正々堂々と宣戦布告南下して開戦しなくてもよかった。

 私の偏見かもしれませんが、ル-ズベルトは日本をやつけたいと思っていたので、日本がドイツと組まなくても何か仕掛けてきたのではないかと思っております。なにしろ、イギリスはナチスドイツの攻撃で非常な苦境にあったのですから、アメリカはどうしても戦列に加わりイギリスを援けたかっただろうし、日本は対中国の観点から、米国にとって邪魔な存在だったのでしょうよ。

> 植民地解放に関しては、軍事侵攻がなければ非常に難しかったと考えています。植民地支配の旨味を欧米列強が易々と手放すはずがない。そして、アジア人に日本兵が白人を駆逐する姿を見せ、教育を施し、軍事訓練をした日本軍の現地部隊がなければ、独立はできなかっただろうし、当時の感覚では平和的に独立しても、アジア諸国にそれを維持する気概は生まれなかっただろうと思います。

 まったくそのとおりです。

> ただし、日本軍だけでなく、当時米軍に黒人兵がいて、場合によっては白人の上官が黒人というケースがあったことも、白人至上主義を崩壊させる役目を負っていたようで、米軍の進駐が植民地解放に与えた影響もある増すけどね。

 そうですか、その見方同感できます。

> 意外かもしれませんが、太平洋戦争でも、アメリカ国内やハワイには、日本軍待望論が存在していて、黒人の中には、日本軍が差別的白人支配を打倒してくれるという考えを持つ人も、存在したようです。
実際は笑い話レベル化も知れませんが、それぐらい当時の白人による差別がひどかったことと、日本が人種差別撤廃を訴えたことに期待する有色に期待という時代の空気があったということでしょう。

 笑い話レベルでではない話でしょうよ。人種差別は、沖縄の戦後には、私たちも垣間見たのですが、軍隊というアメリカ軍の公平な組織であっても、差別意識というものはありました。今は想像できないでしょうが。私の若い頃は南アの差別も酷かったですね。日本人が人種差別を嫌ったのはホンモノです。黄色人種も差別されてましたから。

>ふゆみさん、分かりやすいように言い換えてもらえますか?
分かりにくくてすみません。
公民権運動や反戦運動後の西欧人達(政府ではないです)が、アジアのあそこもその隣も日本のせいで盗られた失った!チッ!猿のくせに余計なことを!とは思ってないよ多分。という事です。
政治的にも欧州は、アフリカについては縄張り意識がまだありますが持て余していますし、右翼もアジアを取り戻したいなんて思ってないです。

>>当時、結果として独立を果たした南と東南のアジア人達は今、中華帝国に対抗するのに日本と組むとして、あの細くて険しくて清くてクソ真面目なのすごいやつは、もういっぺんは御免だと思っています。
>今東南アジアの国々は日本と組むのは御免だと思っているのでしょうか?
軍事経済ともに結びつきたいですが、日本のような几帳面に物事を作り込む国になりたいとは思っていない。
その昔日本軍は、君らが独立して自分達の作りたい国づくりをしてね、と言えた事は素晴らしいのです。だから彼等はありがとうと言ってくれています。それに応えるのは今の安倍外交位の感じで十分なのではと思います。上から目線っぽくないのが良いです。
友好関係にあっても全然違う宗教観を持つ、異文化の国同士で相手を尊重する、というのをもっと保守の人達には意識していて欲しいのです。なーんか下に見てる人が多いように感じます。ここの人が、というのではないですよ。

ふゆみさん、


> 政治的にも欧州は、アフリカについては縄張り意識がまだありますが持て余していますし、右翼もアジアを取り戻したいなんて思ってないです。

 そうですか。分かるような気がします。

>>当時、結果として独立を果たした南と東南のアジア人達は今、中華帝国に対抗するのに日本と組むとして、あの細くて険しくて清くてクソ真面目なのすごいやつは、もういっぺんは御免だと思っています。

 なるほど、それも分かるような気がします。日本人几帳面すぎるのですよ。そこは、南の地方の人々には苦手なところですね。

> それに応えるのは今の安倍外交位の感じで十分なのではと思います。上から目線っぽくないのが良いです。

 上から目線もイヤでしょうが、几帳面さが嫌われる面もあるのかもしれません。完全な性格の人間はいないのですから、時間をかけてお互いがなれるしかないでしょうね。海外で働く日本人達の姿をTVでよく見るのですが、現地によく溶け込んでおりますね。感動しますよ。

> 友好関係にあっても全然違う宗教観を持つ、異文化の国同士で相手を尊重する、というのをもっと保守の人達には意識していて欲しいのです。なーんか下に見てる人が多いように感じます。ここの人が、というのではないですよ。

 賛成です。

お前ね、コメント引っ張ってくるのはいいけど引用文が長過ぎて読みづらいんだよ。
多少はジンブンがあって気が使えるなら少しは要約しなさい。

国際連盟発足時、日本は「人種平等の原則」を提唱し、世界中の有色人種の希望となりました。確かに「(白人からの)植民地解放」を明確にしていれば、たとえ負けても大義名分はたったかもしれないですね。

ナチスのユダヤ抑圧政策への協力なんて東条英機も断固として拒否してるわけですし、よりによってナチスドイツと同盟なんて愚策を。後だからなんとでも言えるのかもしれませんが、過去に学ぶことは重要ですね。

歴修正主義云々(←いまちょっと話題、くだらんけど)、とか言ってるどっかの大国なんざ、歴史抹殺してますね。ナントカ大革命とかヘブン門事件とか。民族浄化とか。

なんにしても過去にとらわれて、前にすすめないのはもう勘弁してほしい。

上にたつものがアレだとどんどん衰退していくのは、どっかの最大野党が絶賛放映中ですね。


ウエヨナバル云々さん

わざわざ読まなきゃいいじゃないですか。できそこないの教師みたいな口調やめたほうがいいですよ。嫌われるから。

私は、日本の始めた大東亜戦争は止むに止まれず始めた自衛戦争だと思っています。いったん始まれば当時日本の信託統治領だったグアム、サイパンなどの広大な南太平洋地域も防衛しないとならない。戦火が拡大するのは必至だったと思います。それ以外にもちょっとだけ日本人の精神性とかけ離れた少しばかり欲が出たのも事実だと思うのです。欧米列強だってことごとくアジアの資源を独り占めしている。日本だって少しは欲を出していいはずだ。その少しばかりの欲が、本日のテーマである戦争目的の喪失に繋がったのではと思っています。
日清、日露戦争の勝利で日本もちょっとばかり自信過剰になった時期があったのかも知れません。
それがもろに白人優先の当時の世界観とぶつかった。
でも、結果的に白人優先の当時の世界で、黄色人種だってやればできるみたいな気概をアジア人にもたらしたのも事実です。それがのちのインドの独立やベトナムの独立戦争に繋がったとは今の私の知識で断言できませんが。ただ一つ言えることは今でもグアム、サイパンの人たちは日本は沖縄は最後まで護ったのに何故自分たちを切り離したんだ。恨みつらみの一言は言うそうです。

ウエヨナバルに告ぐ様

ueyonabaru様が自分の見解を述べていることに気が付きませんか。


本日のテーマである戦争目的の喪失の件でもう一つ原因があったように思います。
日本社会で軍人が威張っている時期が日本の歴史の中であったと思うのです。それが日清日露、大東亜戦争の時代です。その時代の中で日本帝国海軍と陸軍の覇権争いがあった。それも戦争目的を失った一つの要因ではないでしょうか。そこは今から勉強します。

旧日本軍の無計画で拙劣なやり方、軍上層部が日本軍兵士や一般の日本人に対しても過酷な状態を強いた事実はそのとおりだし、糾弾されるべきものとは思います。
しかし、日中戦争を終結させない事には大東亜戦争は避けられず、(当時の政治状況から考えても)その立場から言えばその分岐点というか、ポイント・オブ・ノー・リターンと言うものは「宇垣内閣の流産」にあったと思うのです。
たとえば、宇垣内閣を流産させた張本人である陸軍の石原莞爾が首相になったとしても、大東亜戦争の回避はまだ可能だったと思います。
海軍さえも「勝つ事」よりも「負け方」を考え真珠湾を行ったように、宇垣以降は開戦は避けられなかったのじゃないでしょうか。

ここらへんの歴史認識の違いはさておき、
「英・蘭とも和解すべし」というのはユニークだし、名案ですよ。
(この考えは、どこかに出展がありますか?もしあるなら、詳しく読んでみたいのですが。)
確かに南京事件の顕在化(中共によるプロパガンダの始まり)とタイムラグはありますが、大きな括りで「終戦処理が不十分」であったとは思えるのです。
そこを突いて来ているのが中共なので、かつ中共などと言うものを真正面から相手にしても仕方がなく、多少とも迂遠なようでも慰安婦合意方式(それほど直接的ではないにしろ、包括的な「和解」という意味で十分)の如く、「国際の承認」を受けてしまう事がまず肝要なのではないかと。
私は、この事はこれまではむしろアメリカ自身が(日本の国際化・親欧州化を)阻んで来たのではないかと考えています。
ですが、今なら実現可能です。

ueyonabaruさん

>ただし、日本軍だけでなく、当時米軍に黒人兵がいて、場合によっては白人の上官が黒人というケースがあったことも、白人至上主義を崩壊させる役目を負っていたようで、米軍の進駐が植民地解放に与えた影響りますけどね。

この話はジェラルド・ホーン教授のRace War!がソースです。アメリカでの日本期待論もそうですね。

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