福島事故後1年目 大震災に耐えた東日本の社会は崩壊しかかっていた
①緊急時・収束過程基準
②住民参加
③最適化
簡単に説明しましょう。
まず緊急時・収束過程基準(※ICRPの表現ではありません)ですが、これは空間線量や食品基準値に適用されますが、このとき政府の説明がいいかげんだとかえって混乱を深めてしまいます。
事故直後に出た、コメの暫定基準値500ベクレルといったものがそれにあたります。
これはわが国だけが高く設定しているわけではなく、どの国もICRPの指導に沿って実施している緊急時基準値です。
下図はチェルノブイリでもっとも深刻な被害が出たベラルーシの食品基準ですが、13年かけて段階的に基準を厳しくしているのがわかります。
■ベラルーシにおける食品規制値の推移
単位ベクレル/㎏
86年 88年 92年 96年 99年
・水 370 18.5 18.5 18.5 10
・野菜 3700 740 185 100 40
・果物 同上 70
・牛肉 3700 2960 600 600 500
・パン - 370 370 100 60
・豚肉・鶏肉 7400 1850 185 185 40
・きのこ(生) - - 370 370 370
・きのこ(乾燥) - 11100 3700 3700 2500
・牛乳 370 370 111 111 100
幼児食品 - 1850 37
日本はベラルーシが13年かけてやった基準値引き下げを、たった1年間でしてしまったことになります。
これで東日本の農業・水産業が打撃を受けなかったら、そのほうが不思議です。
東日本の農水産業は、大震災でたたきのめされ、その後に風評被害で再び殴られたことになります。まさに往復ビンタです。
しかもこれだけ消費者の空気に過剰反応した民主党政権は、国民に満足な説明をせずにお上からのお達しといった出し方をしたために:かえって混乱に拍車をかけてしまいました。
馬鹿としかいいようがありません。
「輸入食品の基準値のほうより、なぜ国産食品のほうが高いのだ」という疑問が生じたのです。
こんなものを食べて大丈夫なのか、子供は感受性が高いので障害をおこしたりはしないか、という声が多くの主婦層から上がってしまいました。
量販店には、「当店は東日本の食品は取り扱っていません」「すべての食品は自社計測しております」、などというポスターが張られることになります。
そしてさらに政府が馬鹿丸出しにも、「レントゲン1回分より低い」などという比喩を使ったために、国民はそういう言われ方したら、「私たちは毎日レントゲンを浴びて暮らしているのか」と考えます。
このようなやってはいけないリスク・コミュニケーションをさんざんして、民主党政権はパニックを拡大しつづけてしまったのです。
反原発運動家、共産党、そして朝日、毎日、東京などのメディアは、ここぞとばかりに低線量内部被曝脅威論を煽りしました。彼らは「東日本にはもう住めない」という合唱をします。
いまでこそ下の写真に登場する「内部被曝の国際的権威」とやらの化けの皮ははがれていますが、こういう者たちが「40万人ガン説」という疑似科学を流布したのです。
クリストファー・バズビーを「内部被曝の国際的権威」と持ち上げた東京新聞2011年7月20日
2番目にICPOがいう「住民参加」ですが、政府は原発事故直後に年間被曝基準を、1mSvから20mSvに引き上げました。
これまた当然のこととして、突如20倍になったことに多くの住民は驚き、恐怖しました。
これも科学的には正しい措置なのですが、ここでも充分な政府の説明ケアが欠落していました。
こうなるともう誰も政府を信じなくなります。国民は、政府の公式発表より週刊誌やネットの流言蜚語を信用するようになります。
その時期から、数万人規模の避難区域外からの県外避難者や、自主避難者が大量に発生し始めます。
また2012年2月には、政府は福島県の事故周辺20キロメートルを警戒区域とし、福島県飯館村などを計画的避難区域に設定しました。
ここで、政府の指示による大量の認定避難者が出ます。
これについてのリスクコミュニケーションも、またおざなりでした。
政府は、区域の設定時点において、放射能と健康に関して正しい情報を出して、避難することが妥当かどうか、住民自身にいったんボールを戻して、話あって決定させるべきでした。
そうとうの地域で屋内にいればまったく問題のない空間線量だったはずです。じっくり、政府や行政が説明し、ひとりひとりの意志を確認できるていどの時間的余裕はあったはずです。
お仕着せの半強制避難では、かえって問題が隠されてしまって、解決が遠のいてしまいます。
このような場合、政府のとるべき態度はひとつしかありませんでした。
パニック心理に膝を屈することではなく、政府のいうことに耳を貸してくれるようにすることでした。
すなわち、正しく情報を公開し、正しく説明し、充分な住民の議論をしてもらうことてす。
政府は、「皆さん、ひたすら規制値を下げればいいというのは間違いですよ。そうすることによって別の社会的弊害が起きるのです」と国民に説明すべきでした。
これがICRPがいう「最適化」です。「勧告111」はこう述べています。
「最適化とは、被曝のもたらす健康被害と、それをなくそうとする防護対策の不利益のバランスを取ることだ。例えば、避難によって地域社会の崩壊、また経済活動の停滞などが起こる可能性がある。」
こうして、パニック心理におもねった政府の安全配慮は、かえって復興の妨げになってしまったのです。
このように大震災に耐えた日本社会の秩序は、原発事故収拾過程のたび重なる政府の失敗によって、まさに崩壊の危機に瀕していたのです。
~~~~~~~
2012年3月 3日の記事再録
HN「首都圏のママ」さん。
あなたはほとんど私の書いたことを読んでおられませんね。だからちっとも噛み合わない。ひとり相撲をなさっている。 はっきり申し上げて不毛です。
こんな危険だという{学説」がある、というのをどんどん張り付けてこられても、無意味です。私も今までそれなりに読んできましたから。
私は現役の農業者です。実践家です。生活人です。運動家でもなければ、理論を道具にする人間もありません。
ただ、論理の筋道はつけておきたいと思っています。それも結論があって決めつけるのではなく、新たな証拠やデータが出たら、その都度修正できるような柔軟な眼を持っていきたいと考えてきました。
低線量が内臓諸器官に影響を与えるという学説はかなり前から知っています。
セシウムの約6割は筋肉組織に残留します。それも生物学的半減期の間です。そしてセシウムはヨウ素のように甲状腺で濃縮することはありません。
なぜならヨウ素は甲状腺ホルモンの一種ですから、甲状腺内で300倍に濃縮されますが、セシウムは全身均等被曝といって、全身の筋肉に拡がって分布します。
一カ所で濃縮されるヨウ素と違って特定の器官に影響を与えることはないといわれています。これが現時点での国際的な放射線防護学の定説です。
いやそうではない、という異説もあります。私にとっては「そのような説がある」という認識です。 致命的なのは疫学的証拠に欠けることです。
どちらが正しいのかは数年後にわかるでしょう。もしクリストファー・バズビー氏のいうように福島で40万人がガンになれば、この異説の正さが裏付けられたことになるでしょう。
それまでは、各々の信条に照らして生きるしか方法はありません。
さて、私の基本的な放射能問題に対する考え方はひとつです。
農業現場の、いやもっと正確に言えば東日本の被曝した農地の生産者として、自分の地域の農産物の安全をどのように回復させていくのか、です。
都市住民はいとも簡単に「5bq以下」といいます。この数値が、1㎏中の膨大な数の分子の中でわずか5個の放射性物質が出す放射線量というミニマムな状態だと知って言っているのでしょうか。
現実にゲルマニウム測定器で測る所を見たことがあります。1分間ではなにも出てきません。15分でポツ~ンとひとつでてきました。30分で2個。そしてその時は40分で3個でした。
ゼロリスクを求める人たちは一度この低線量の測定風景を見学するといいでしょう。いかに5bqやゼロベクレルが非現実的なことか実感できるでしょう。
ところで、「ゼロ」ということは存在しない、「無」だということです。「ない」という証明ほど困難なことはありません。
首都圏のママさんは「検出下限値の5bq」とあっさり言われましたが、失礼ですが言うだけならなんでも言える、と思いました。
おそらくは私たちの地域の農産物は、米とシイタケを除いて5bq以上出ることは考えられないでしょう。その程度まで私たちの自主計測でも下がってきています。
しかし、今後は分かりません。まだ私たちも全部の畑の隅から隅まで計ったわけではないし、森林の放射性物質が大水や大風でまた畑に降ることも可能性としては捨てきれないからです。
チェルノブイリ事故時のドイツ南部は福島南部、茨城北部とだいたい同じ土壌放射線量でしたが、数年後の5bqを超える数値の検出例もあるそうです。5年間は警戒を要します。
このような中で、いきなり5bqやゼロベクレルを求めるというのは非現実的にすぎます。
特に私たちより厳しい状況に生きる福島農業にとってそれは明確に不可能です。技術的にも財政的にも、あらゆる意味で不可能です。
ですから、私はこのような過剰に先鋭な基準値は、逆にザルになると思っています。
これが100bqという新基準値程度ならなんとかスクリーニングでふるいにかけることができます。
しかし、新鋭の2千万円するゲルマニウム測定器を使って長時間測定しなければならない30bq以下は、農業現場で測定することは不可能です。
もしそのようなことを求められても対応できる産地は全国でも皆無でしょう。
出荷ロットごとのサンプリングによるスクリーニングなら可能でしょうが、その場合数百袋で一検体という範囲となります。そしてその場合のそのスクリーニングはさきほど述べたように30bqが精一杯です。
100bq程度なら、高額ですがベルトコンベア式のスクリーニング器械もあります。しかし、30bq以下で出荷ラインを流すとなると、とてもではないがスクリーニングだけで数時間かかって出荷不能となるでしょう。
更に5bqでやるとなると流通の無作為抽出しかないでしょう。その場合、枯れ草の中の針を探すようなことになります。
私の規制値についての考えは、まずはたとえばコメならば、500bqを半分のバージョン2の250bqに下げて、その間に除染を進行させながら翌年に基準値バージョン3としてまた半分、そしてまた翌年にバージョン4としてその半分というような漸進的な段階を踏んだ基準値が望ましいと思っていました。そして5年間でバージョン5として30bqていどにまで落とします。
しかし、厚労省は農水省となんの協議もすることなく、消費者の不安を農業者に責任転嫁するためだけにこんな新基準値を作ってしまいました。
こんないいかげんなやり方をすれば必ず現実にシッペ返しされます。きっとザルとなると思います。
首都圏のママさん。低線量被曝についての議論は私はしたくありません。
低線量被曝にこだわり続けるのなら、それはあなたの生き方です。あなたはあなたの信条で生きて下さい。
残念ですが、現時点であなたの不安や要望と私の現実が交わることはありません。私は自分の現実と闘わねばなりませんから。
« 「ニュース女子」検証版を見て | トップページ | THAAD配備のたびに持ち上がる日韓のスキャンダルの嵐 »
「原子力事故」カテゴリの記事
- 福島にはもう住めない、行くなと言った人々は自然の浄化力を知らなかった(2019.03.11)
- トリチウムは国際条約に沿って海洋放出するべきです(2018.09.04)
- 広島高裁判決に従えばすべての科学文明は全否定されてしまう(2017.12.15)
- 日本学術会議 「9.1報告」の画期的意義(2017.09.23)
- 福島事故後1年目 大震災に耐えた東日本の社会は崩壊しかかっていた(2017.03.16)
こうやって当時の記事を振り返ってみますと、この頃はまだこのブログも知らず、私自身が判断つかない時期であった事が思い出されます。
私は比較的理解が遅かった方だと思いますね。
バズビー博士の記事も当時読んだ記憶があり、何が真実かわからなかったです。
恥ずかしながら。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年3月16日 (木) 09時34分
当時の政権の初動のまずさは確かにそうですね。現政権も、せめてチェルノブイリとの違いをしっかり広報しながら原発再稼働進めるべきですが、初動のミスにより、その理解を得るのは誠に難しいのでしょう。
しかし事実を発信し続けなければ、この闇は晴れない。
少しずつでも拡散していくしかないのですね。
投稿: ednakano | 2017年3月16日 (木) 10時25分
念のため、安全サイドで考える。そして、規制基準は厳しければ厳しいほど安全である。まぁその通りなんでしょうが、ものには限度というものがあります。
ここで言われていますように、ある点を超えると意味がなくなるだけでなく、逆に弊害の方が大きくなり逆効果になるという話ですね。
似たような話で、最近私が気になっているのは"除菌"を目的とした商品とそのTVコマーシャルです。身の回りにバイキンがいっぱいて、手のひらにもバイキンという生き物が気持ち悪く動いている。
それを退治して清潔=安全になるというものです。その昔、潔癖症という精神的な"病"があり、手袋やマスクを手放せなくというものでした。
低線量被曝の問題に触れるたびにこのことを思い出します。本人はいたって真面目なのです。真剣に考えた結果、"病"に侵されてしまっているのです。
原因は明白だと思うんですけどね。平たく言えば考え過ぎ。厳密に言えば科学的な知識と思考パターンの問題であり、哲学の問題でもあると思います。
本来見に見えない ものを視覚化(バイキン)するにとどまらず、放射線の場合、ベクレルやシーベルトといった単位で数値化してしまった現代科学。
数値化するのは科学の宿命、されどその数値の境界線が引けない科学。そんな"無責任な科学"によって、踊らされているかのようです。
長くなりますがもう一言。
低線量被曝の影響は"分からない"のではなく、統計学のことばで「有意差がない」と言うのが正しい言い方です。以前にも少し述べましたが、統計的検定(仮説検定)で「有意差なし」となった場合の解釈の問題です。
データが無いのではなく、データはあるのです。もちろん広島、長崎のものです。有意差が出るようなデータが無かったのです。有意差はそのデータの量と、バラツキ具合によって「あり」「なし」が決まります。αリスク5%の確率で。
一方"差がない"こと、つまりここで言うところの"放射線の影響がない"ことの証明は統計学の原理上できません。いわゆる"悪魔の証明"とはこのことを指します。
ただ、私はこのケースで「有意差なし」となっていますので「低線量被曝の影響ない」と解釈すべきと考えています。新薬の臨床データで「有意差なし」となれば、その薬の効果はないと解釈するのが通例だからです。
投稿: 九州M | 2017年3月16日 (木) 15時17分
ロム専ですが、毎日読ませていただいております。
コメント欄も皆さま大変に知識があって、参考になります。
私は食品関係に従事している者なのですが、その職業柄、食の安全みたいな講演会を聴きにいったりもするのですが、なにしろ聞くに耐えないものが多く、大抵途中で退席してしまいます。
と言うのも、なにしろ食品添加物は悪だと、こんなに身体に良くないものは、早く死んで欲しいダンナに食わすのはいいけども、子供や孫に食べさせるんですか?みたいな講演が非常に多いんですね。
投稿: ねむりねこ | 2017年3月16日 (木) 21時13分
すみません、途中で送信してしまいました。
そんな講演って、ある意味宗教みたいなものです。
そんなのを聴きながら『あー、こういうのを受け入れる人達が、福島の人たちを差別したり、いじめたりしちゃうんだろうな』って思うのです。
結局は、感情的に『イヤなものはイヤなのよぉ!』みたいなことで、そこに科学的なデータは聞かない人らの集まりなんですね。
どれだけの量がどのくらいの摂取量で健康被害があるのか、リスクとベネフィットでどちらをとるのか、そんな簡単はないのですね。
こちらのブログをみていて、原発もオスプレイも、豊洲も、みんな根幹は同じなのだな、と感じます。
みな自分で考えることを放棄している、周りがそうだこらそれと同調して、それが楽な今の世の中に一石を投じているブログ主様を本当に尊敬いたします。
これからもよろしくお願いします。
ご自愛なさってください。
毎日楽しみにしております。
投稿: ねむりねこ | 2017年3月16日 (木) 21時27分
連投、お許しください。
『リスクとベネフィットでどちらをとるのか、そんな考え』でした。
タイプミスでごめんなさい。
今日は福島のいわき地区に出張していて、思い入れがあるところだったものですから、つい熱くなってしまいました。
ここら辺を周っていると不覚にもいい歳して涙が出そうになってしまうものですから、このカテには投稿してしまいました。
投稿: ねむりねこ | 2017年3月16日 (木) 21時36分
あの頃、御用学者という言葉の元にまともな教育者、研究者たちの言葉を否定し、それどころかその人たちを攻撃するので、みな口を塞いでしまいました。 私の知り合いの先生もうっかり正論を言うとクビにされかねないので黙っているんだと言っていました。まともな研究者は科研費をもらったりメーカーと共同研修しているのが当たり前で、それを御用学者とさければ、まともな研究者はいなくなります。
私は、日本人が筋道や科学を考えずに、感情だけで動く人間になってしまったと、未だにがっかりしています。学校で理科や算数を習ったのは社会では役に立たないと公言している人がいますが、物事を正しく判断する基本的な学問です。
ブログ主さんは、私の思っていることを的確に表現していただいているので力強い存在です。
投稿: マイクロ波 | 2017年3月16日 (木) 22時00分
ねむりねこさんおコメントも皆さんのコメント全てが示唆深いものがあります。私個人でも、反省すべき点がありました。多様な分野で働いておられる方々のご意見は参考になります。このブログの厚みが感じられた一日ですね。
投稿: ueyonabaru | 2017年3月17日 (金) 00時54分
九州Mさんの喩えは極めてわかりやすいです
「潔癖症という精神的な"病"があり」
潔癖症は病気だとみんなわかるのに、放射能ゼロリスクは病気だとわからない人が多いのには呆れ果てます。
たぶん、同じ事は、アベガー人たちにも言えます。というかその病気を煽る事で党勢を伸ばそうという党とかメディアがいるから、悪化するのだとも思います。
メディア、特にテレビはとても危険だと思います。放送法さえ守らない。だからむしろ、放送局を解放して好き勝手いいけれど、責任はとれとやった方がいいんではないかと思わなくもありません。
でも、そんなことしなくとも、希望はネットに触れる新世代が、テレビしか見ない人たちを超える数になることでしょう。
それだけが最後の希望です。このブログを多くの人が見る事で冷静に考えられる人が増えますように。
投稿: かつて…(以下略) | 2017年3月17日 (金) 05時37分