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2017年3月29日 (水)

翁長知事、「次の一手」 その3 山城博治被告の保釈報道

020

山路さんの3回目です。

山路さんにかかると、外部からはケイオス(混沌)にしか見えない沖縄の政治の構造が、スッと透視図を与えられたような気持ちにさせられます。

山路さんの論考には、沖縄内部からしか分かり得ない肌感覚を伴いながら、なお情緒にからめ捕られない凄さをかんじました。

しかも、ただ客観的であるばかりではなく、内には生まり島への熱い気持ちが凛と張りつめています。

私が知り得るかぎり、最良の沖縄政治評論だと思います。

今日は本来頂戴した論考の冒頭部分であった、地元紙についての章を掲載します。

テーマ性を明確にするために枕にあったこの部分は、恐縮ですが最後にさせていただきました。

ご存じのように沖縄政治の歪みの原因のひとつは、地元紙の極端なバイアスです。

文中山路氏が述べておられるように、この地元紙の問題性はただ偏向しているからだけではなく、「唯一の世界観しか県民に与えない」ということこそが問題なのです。

地元紙のまるでネルソン・マンデラ釈放のような見出しだけ見ているとつい錯覚しそうなりそうですが、これは無罪放免となって出獄したのではありません。

ただ、初回裁判日程が決定したから保釈を認められたにすぎません。

また、山城容疑者は「政治犯」ではなく、暴行罪などに問われた刑事被告人です。その目的が政治的だったにすぎません。

そのような刑事被告人をまるで「良心の囚人」のように報じる地元紙に、私は異様さすら感じます。

むしろ「囚人」は、地元紙が作った「唯一の世界観」という見えない檻に閉ざされた県民のほうなのです。

              ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

Photo翁長知事、「次の一手」その3 
                                   山路敬介 

承前

■山城博治被告の保釈報道 

毎度の事ながら、沖縄二紙に目を通すと誠に暗澹たる気分にさせられます。 

3月19日から20日の一面をかざるのは、両紙ともに「山城博治保釈」のニュースでした。 

二紙そろって論調は、「ヒーローの復活」、「不当な逮捕・拘留からの開放」、「(釈放)運動の成果実る」等々、お涙頂戴のシーンさえ一面から登場する演出も臭みたまらず、「いくら何でも、ここまでやるか!」と思わせる異様さでした。 

あのような卑劣で粗暴な暴力犯罪者の保釈を、あたかも多くの県民が待ち望んでいたかのように伝える報道は明確に誤りで、それだけでなく「運動」も「運動体」もごく一部の活動家や活動家を気取ったの面々だけのものなのであり、一般の県民とはまったく無縁の世界でありまして、まったく関係がないのが事実なのです。 

また、このさい運動側が裁判所に抗議に押しかけたり弁護人が不必要なパフォーマンス入りで執拗な保釈請求を繰り返した事と、山城博治被告の「保釈決定」の裁判所判断の間も何ら関係がありません。 

裁判が始まったのであるから、ただ単に向後拘留する意味はなく(条件を付したうえでの)保釈が認められたという裁判所の判断としては至極妥当、冷静ないつもの平常運転であるにすぎません。(つまり、当たり前の「お約束事」に過ぎないのです) 

同じように、暴力団気取りの添田某の保釈が認められなかったのも、執行猶予中の身の上ゆえ、これも当然の判断でした。 

今回の保釈が何やら「運動の成果」ででもあるような間違った印象を県民に与える沖縄二紙の馬鹿げた報道姿勢はもはや度を越しており、私自身、個人の一読者として再三にわたり電話や投稿の手段をもって抗議して来ておりますところですが、反応は鈍く、いつものとおり私の投稿は一度として採用されたためしはなく常に「なしのつぶて」です。 

二紙は、単なる「偏向新聞」なのではありません。 自社の論調だけが唯一の正義であり、それゆえあえて「県民」にたったひとつの世界観しか提示して見せているのです。

反対の意見は黙殺するか、あるいは自社の論調を補強する道具として使える場合のみ、「さらしもの」的に利用します。 

そうした状態は現在に至っても、かつて仲井眞前知事が言った「特定の団体のコマーシャルペーパー」そのままであり、「新聞」の名に値する価値は沖縄二紙には絶対にありません。

                                                 (了)

                                                                                     文責 山路敬介
                                       掲載責任 ブログ主

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コメント

通常、メディアは相手の立場に関わらず刑事訴追されしかも拘留されている人物は○○被告と表するはずです。しかし、沖縄二紙は山城博治被告に対しては一貫して「山城議長」でした。立派な二重基準です。

この二紙の俺様が絶対的に正しい、県民は俺様に従えと言わんばかりの姿勢は、沖縄県民は愚民であると宣言しているに等しいと思います。

沖タイに添田某の県民への感謝状なるものが載ってましたけど、多少なりともその人物像がわかる人には気持ち悪いことこのうえないでしょうね。

最後に、今回の寄稿文はわかりやすくて本当に参考になりました。山路さん、管理人さん、有難うございます。

クラッシャーさん。
そう、それね!

どう見ても普通のマスコミなら地元でいくら偏っていても「〇〇被告」と書きますわな。沖縄の異常な言論が透けて見えます。
むしろ沖タイで高江の異常ぶりを書いた(よく載せられたな)記事を書いた記者が、どうなっているのか心配です。。

山路さん、ご苦労様でした。
沖縄在住の方の丁寧な解説ですこーしだけ沖縄の状況の理解が深まった気がします。

それにつけても、沖縄の新聞2紙のなんともかともの偏向ぶりには、ほんとうに腹がたちます。

八重山日報に期待するしかないのでしょうね。

翁長知事の「撤回宣言」をうけて、菅官房長官が「工事停止による損害が発生した場合、県や知事個人への損害賠償請求の可能性」に言及しました。
沖縄二紙はこれに即座に反応。
「知事権限行使を制限させる目的」、「知事個人を抑圧」、「スラップ訴訟だ」などといつもの狂いっぷりです。
まったく、こっちの頭がおかしくなりそうです。

菅氏が言ったのは、次のとおり。

翁長氏が「撤回」を本当にするならば、
①それは高裁和解条項に反しており、かつ最高裁判決に基づいて翁長知事自から追認した「埋め立ての承認」の精神を反故にするもの。

②結果としてそれは「知事権限の濫用」にあたり、「違法」である。

③知事の「違法行為」によって一定期間工事がストップするならば、一日あたり数千万の費用(税金)が無駄になる。

④その場合、国家賠償法などにより県や知事個人に損害賠償を求める場合もある。

このような見解は当然の事です。

また、最近では翁長氏と同じように、左派リベラルに騙されて個人的損害賠償責任を負う結果となった、国立市の元市長の上原公子氏の事例もあります。
 小池知事は国立市関連のこの判例を意識して、石原元知事をここに追い込もうとしている。
そのくらい最前線において、首長の判断にはシビアな潮流なのです。
まして「知事権限の濫用」という違法行為を元に我々の血税が濫費されるならば、その帰結は国立市の例よりもさらに明々白々。
こんな事が沖縄だけに許されるハズもない。
だからこれは、二紙が言うような「スラップ訴訟」などでありようがなく、「脅し」でも何でもない。
当たり前の事なのです。

今は沖縄二紙こそ、翁長知事の「権力者の愚行」を思いとどませる論陣を張るべき時で、それが新聞本来の使命です。
ところが逆に「焚きつける」どころか、知事を操縦しているのが「二紙」の正体だ、と言って良いのが現状だから、始末におえません。


皆様

ここ三回にわたり私の拙い論考を我慢して読んで下さり、本当にありがとうございました。

もとより私にはブログ主様のように、「複雑な事を分かりやすく簡潔に書く」、という文章作成上のウデはなく、そのためいたずらに長くなってしまった反省しきりです。

ブログ主様には、随所に適切な画像を入れて頂いたり、話題の前後を入れ替えるなど編集の手を煩わせてしまいました。
感謝いたします。

なお、ここのコメント欄は他に比してレベルが高い意見が多く、是非とも方々のそのような意見を「記事」として読んでみたい、と常々思うものです。
本ブログの企画として進行されるようですので、次を楽しみにしています。

添田と山城のことを気にしていた私としても今日の記事はわかりやすかったです。

よーぞーさんに聞きたいんだけど
八重山日報の編集中が幸福実現党の応援演説に駆けつけていたんだけどこれって偏向しとるんじゃねーの?
けっこうタイムスや新報は翁長批判もするし、基地反対派の負の面も取り上げていたけどそれでも偏向しているのかな。

八重山日報の編集中→編集長

個人的にはメディアは多少の偏向はあるものだしそれで良いと思っています。
沖縄2誌の報道内容も一つの方向性としてはアリと感じる事はあります。
しかしながら山路さんの指摘にもあるように沖縄メディアの最大の問題点は多様性の無さとひとつの世界観しか受け手側に提供しようとしない姿勢です。
地元2誌の報じる肯定や批判ふくめて内容タイミングともにほぼ同じで文字だけ抜き出されたら違いを判別出来る人なんているのでしょうか?
この状況のタチの悪い所は「2誌が同じように報じているのだからこれは絶対に間違いの無い事なのだろう」と読者を容易に誘導する事が出来る点で、報道の自由と言いつつ県民思想の統制すらその気になればやれてしまう危険な状況とも言えます。

さらには昨年のオスプレイ騒動の時に現場保存を第一にしなければいけない状況で無許可に規制線内に入り込んだ事を武勇伝のように報じたりするなど報道モラルの面でも疑問符をつけざろうえない行為を多々行っています。
知事の弱気発言を批判記事を出したら出したで県ナンバー2の副知事が「ご相談」に伺うメディアなんて他に聞いた事がありません。

一部にある八重山日報に対する待望論もこの閉塞した世界に風穴を開けて欲しいという期待から来るものでしょう。
しかしながらあくまでも異なる視点で時事を判断できるソースが1つ増えるというだけの事で「八重山日報は全て正しい」と過剰に傾倒するのもまた危険な事だと思います。

「幸福に統一された科学の教会」さん。HN自体があてこすりのようですが、カーボンコピーですね。
いつも保守の論説に合うと、お前は幸福のナンジャラだ、統一ドータラだといいさえすれば論証終了と思っているのは、ちょっとまずくはありませんか。
知的頽廃です。

全国で保守を支持すると、お前は新興宗教だといわれるのは、全国広といえど、間違いなくここ沖縄だけです。
もしそうなら、現政権の支持率は5割を越えていますから、5割の日本人は幸福のなんたらなんでしょうか。

もうやめたらどうですか、こういうディスりかた。不毛です。

確かに沖タイは画期的にも、2016年9月8日付けで高江の住民が反対運動に難渋している様を報じました。
拍手しましたが、後に書いた城間記者は自己批判のような弁解をせねばなりませんでしたね。
琉球新報も翁長氏の「批判」はしていますが、それは承認取り消しの時の話ではありませんか。

問題は翁長氏批判をするかどうかではないのですよ。
さらに言えば社論がどうであってもいいのです。
沖タイが某左翼政党支持だろうと、琉新が某国が好きだろうと、かまいません。

同じように、八重山日報の編集長がどこを応援しようと自由です。

そういう言い方をすれば、翁長氏は共産党の赤嶺氏の応援演説で、志位さんと宣伝カーに乗っていましたが、では翁長氏は共産党員なのでしょうか。

どうぞそうしてください。
それをどう受け取るかは県民が自分で考えることですから。

しゅりんちゅうさんが言うように、どこの政党を応援しようと、どの候補を支持しようと、それは新聞社の勝手です。
新聞社における社論は自由であるべきですが、ただし「報道」だけは公正中立であるという担保が要ります。

ところがオスプレイ報道や、今回の山城被告の保釈劇のように、新聞というより機関紙のような主観が入りまくった「報道」をするのが地元紙です。

これでいいのでしょうか、と私は問うています。

当時、東京・国立市長選で上原公子氏に投票した者としてひと言。大学通りにふさわしくないマンションであり、私も建設反対の署名をしました。

3/24の朝日新聞でオピニオン欄の一面を使い「政策と市長の賠償責任」として個人の損害賠償判決を批判しています。この記事で大事な点がふたつ抜けています。

ひとつは市長の時、議会答弁で当該マンションを「違法建築物」と虚偽の発言し、これが決め手となって損害賠償が認められたのです。

それと2期8年市長をやり退任した2007年の参議院選挙に社民党から立候補し落選した経歴です。

彼女は住民運動あがりで、市長になってもそのノリで議会答弁などをしていたのです。住民運動の場でゆるされても、市長という立場で、議会という公式の場では安易な扇動的な発言がゆるされないのは当然のことです。

それと市長退任後とはいえ「社民党」という”色”をつけたことは、愚かな行為と言えるでしょう。

後任の市長の最初の1期めの選挙(2007年)までは”革新陣営”として共産党を含めまとまっていたのですが、2期めの時に共産党が離脱し、対立候補を立て保守系一人と革新系2人の三つ巴の選挙となり保守系市長になりました。そして、その後の議会もこの流れで保守系が多数派となったのです。

上原氏はかつての仲間、共産党(当時の議会で第一党)から見捨てられました。そして個人賠償を負うことになったのです。しかし、上原氏の個人賠償は、自らの発言・行動によるものであり、身から出らさび、自業自得とも言えるものです。賠償金額も当初は2、500万円でしたが、現在延滞金を含め4500万円に膨れ上がっているようです。

現在、支持者でカンパ活動をしているようですが、社民党という”色”でどれだけ集まりますやら。まことに気の毒です。

状況が不利となったら、共産党は必ず組織防衛に走り逃げます。沖縄・高江でもそのようですね。共産党にとって一番大事なものは自分達の組織だということです。仲間(自陣営であっても自組織でない者)を見捨ててでも、逃げるのです。さすが革命政党、屍の上を走るのです。

沖縄の翁長知事にも個人損害賠償がいきそうです。また、高浜原発での仮処分取り消しの高裁判決が出ましたので、ここでも原告に損害賠償が請求される可能性が出ました。賠償額はいくらになるのでしょうか?今から慌ててても遅いですね。

日本は隣国と異なり法治国家ですから、当然の帰結ではあります。

幸福実現党の推薦があっても信者とは限らないし、例の動画など、ゆがんだ沖縄の言論空間で、一定の役割果たしてますから、共産党や社民党応援するよりましでしょう。世界日報だって、沖縄2紙よりましですから。

信者じゃなくても幸福実現党を応援する意識は、八重山住人の何割かには存在しはじめています。

私も信者ではまったくないですが、結果的に幸福実現党には期待しています。

なぜなら、他に、受け皿になる政党がないのですから。

幸福に統一された科学の教会さん

> けっこうタイムスや新報は翁長批判もするし、基地反対派の負の面も取り上げていたけどそれでも偏向しているのかな。

 はい、確かに偏向新聞です。間違いありません。新聞社としての意見は偏向しても仕方ない面もあるとは思うが、社会の公器と言われる新聞社は紙面に責任がありますよね。公平、公正でなければなりません。
事実は事実のまま報道すること、報道しない自由は極力行使しないこと、異見も積極的に載せること、山路さんの投稿が採用されないなんておかしいとは思わないのですか? それに、捏造記事、印象操作などまったく受け入れられませんね。4月からは、八重山日報をとることにしております。

九州M さん

国立市の例を引き合いに出したのはコメントのほうですが、「大事な点」が二つ抜けているのでは? との事。

いまは手元に詳しい資料がないので間違ったらアレですが、おっしゃるとおり決め手は「違法建築」と議会で発言したからです。
しかし、問題の所在(争点)は当該発言が市長による「不法行為」に該当するかどうか? でしたよね。
結果として最高裁で、それが「不法行為」を構成したと確定された為に、元市長個人への「損害賠償」が実現したのでした。
翁長知事における場合も法的には同様(いえ、もっと明白です)の構成で、先の高裁判決に従わない司法軽視や、知事権限の濫用は「国立判例」からも容易に「不法行為」なり得、よって知事個人への損害賠償の可能性について言及したのが「官房長官発言」でした。

余談ですが、首長の「個人責任」を認める司法の潮流は明らかで、私はこの事の意味を「不備な行政法の改正」に対を成すものだと思っています。


次の九州M さん指摘は重要で、「知事個人への賠償責任」の追求も、その後の自治体内の政治状況に「よりけり」と言う事です。
国は、沖縄県への損害賠償請求は比較的容易に出来ますが、現行法では沖縄県から翁長知事への個人賠償という事になると、「議会の判断」が重要だという事です。

実際、まだ国立市のような場合は異例ともいえ、多くの自治体が損害賠償を行っても、その責任が首長本人に届く事はありません。
しかし、司法の判断は近年「首長の責任範囲」を驚くほど広くとっています。
この事を念頭においた「官房長官発言」は失当でも何でもありませんね。


先週から忙殺されていて書き込みできませんが毎朝の拝読は欠かしておりません。
山路さんの沖縄政局、生々しい分析をありがとうございます。
これを読むと、浦添市長のような常識的なスタンスが県内主要政治から浮くのがよく分かりました。宜野湾市長もリアリスト系ですよね。
名護にもそういう人が立ってもらえるとよいのですが。

久しぶりに書き込みます。
沖縄二紙は公平中立だとは思いませんし地方紙は概ね左寄りですね、その上で沖縄にも全国紙が流通されればいいんでしょうが。
しかし八重山日報が公平中立とはちょっと言えないですね。また紙面も少なく、沖縄本島でどれだけ頑張れるか。沖縄は過去保守系新聞もあったようですが部数も伸びず続かない。
ただでさえネット社会で衰退の一途にある紙媒体、どうなりますか。

ところでニュース女子で注目されている我那覇真子氏らの東京での国民集会の動画を見ました。
非常にためになりましたが、我那覇氏の父上はちょっとやりすぎではという印象。自らの言葉を英霊の言伝とし戦前回帰を願う。自民県連に苦言を呈されたらしく、県連批判。
森友で日本会議が悪い方にクローズアップされている今、大丈夫かと心配になりました。
沖縄でも日本会議系の保守はちょっと肩身が狭いかもしれません。

山路さんの論考大変参考になりました。ジャーナリストや大学教授の論説も確かに参考にはなるのですが、やはり個々人の分析というのは非常に有益なものであると思いました。

このような論考が新聞紙面などで取り上げられることを願いますが、そうでなくてもこの場で少しずつでも目に触れる機会があることがネットの良い面だと思います。

さて山城被告の件については山路さん並びにコメント欄の皆様の認識に賛同しますので改めて書くことはありませんが沖縄2紙については僭越ながら私の意見を書かせていただきたいと思います。

私自身は県外人ですが、まずは沖縄2紙の新聞の情報量に驚きました。故郷の地方紙は内容が薄く読み応えがないといいますか…確かに沖縄では国政を左右する事象が起きているので当然だとは思いますが記事の質はともかくとして、こういった姿勢は県民にとっては有益であると考えます。とにかく読みごたえがあるということです(笑)

肝心の記事の質については公平に紙面に掲載しろという声が大きくなっているというのは良いことだと思う反面、やはり組織としての空気というかネットが隆盛する前から沖縄に覆いかぶさっていた思想が県民の望んだ結果、現在の紙面に表れているのではないかとも思うのです。

小室直樹氏の著書で日本教の社会学という本でも出てきますが善悪というものは空気感でそれが逆転してしまう。この主張は的を得ていると思います。

それに照らし合わせると沖縄を覆っている空気というものを変える必要があると思います。それを変える力をもっているのが『ネット』なのではないでしょうか。


新聞紙面で取り上げられない主張をネットで充足しながら自身の思想を形成する。そうすることで自ずと空気が変わり新聞紙面の公平性が増していくと考えます。

cyzer さん

 ご寄稿興味深く読みました。

> 私自身は県外人ですが、まずは沖縄2紙の新聞の情報量に驚きました。故郷の地方紙は内容が薄く読み応えがないといいますか…確かに沖縄では国政を左右する事象が起きているので当然だとは思いますが記事の質はともかくとして、こういった姿勢は県民にとっては有益であると考えます。とにかく読みごたえがあるということです(笑)

 なるほどそのような感じを持たれますか。しかし、こうも考えられますよ。

 沖縄の新聞社は自信過剰である。国際の状況などは正確にに分析する能力はないのに国際問題を堂々と論じる。原発問題も深く理解していないのに知っているかのように論じてゆく(借り物の論説でしかない)。

 沖縄というのが歴史的にも他府県とは異なっていたため、ある独立性を帯び、沖縄中心史観が沖縄全域を覆ってしまうことが度々ある。沖縄独立論もそういう環境から出てきている。悪く言えば井の中の蛙的なもの。それを新聞社や沖縄県民が自覚していない。

 沖縄中心主義でもいいのだが、もう少し客観性をもった発想をしなければならないといつも思っている。日本の中の沖縄県であ、そして世界の中の日本であることは基本だ。

 沖縄の新聞が読み応えがあるというご感想は面白いです。いい意味での沖縄中心主義であって欲しいが、マスコミは世界の中心が沖縄であり、世界が沖縄の主張する正義を理解してくれるのだと思い違いをする。要するに知識不足だからそうなるのです。

> 肝心の記事の質については公平に紙面に掲載しろという声が大きくなっているというのは良いことだと思う反面、やはり組織としての空気というかネットが隆盛する前から沖縄に覆いかぶさっていた思想が県民の望んだ結果、現在の紙面に表れているのではないかとも思うのです。

 それが沖縄の他県と異なる歴史から来るものでしょう。それは必ずしも県民にとって悪い材料でもないと思うのですが、よい方向へ生かしていきたいものです。

> 小室直樹氏の著書で日本教の社会学という本でも出てきますが善悪というものは空気感でそれが逆転してしまう。この主張は的を得ていると思います。
それに照らし合わせると沖縄を覆っている空気というものを変える必要があると思います。それを変える力をもっているのが『ネット』なのではないでしょうか。

 そうだと思いますね。しかし、八重山日報のような活字による媒体も必要だと思います。活字は、資料的価値は大きいのですから。

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