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集団的自衛権「巻き込まれ論」について

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中華三振さんのご質問に答えていきます。憲法について書くつもりでしたが、まぁいいか、大きな意味で憲法とも関係ありますしね。

「管理人は集団的自衛権の中で日本はアメリカのイラク戦争のような対外戦争(起きるかどうかは別です)に付き合わされることはない、断ることもできるとおっしゃりますが、それに関して説明していただけますか?
確か以前にイラク戦争におけるNATOの例を挙げていましたが、多国間での集団的自衛権と日米の一対一の集団的自衛権では状況も異なり、日本はちゃんとNOと主張できるのか心配だったので。」

安保法制の審議でもいきなり賛成か反対かといった二択から始まり、「どういう安全保障を目指すのか」というかんじん要のテーマが論じられずに、いきなり重箱の隅をつついたような各論に入ってしまいました。 

あげくに「徴兵制が来る」という話にもならないヨタですから、ため息も出ません。 

まずは前提知識から入りましょうね。

本来、国際社会においては<自衛権>は、「集団的」も「個別的」の区別はありません。あるのはただの自衛権です。 

というのはどの国も自分の国を守るためには、原理的にはふたつの方法しかないからです。 

おっと、三つ目があると共産、社民がいいそうなので三択としておきますか。 

①同盟を結ばずに、自分の国だけの防衛力で国民の平和と財産を守る。
②同盟を結んで、相互に協力関係を作って国民の平和と財産を守る。
③独自の武力も同盟も結ばずに、国民の平和と財産を守る。
 

①は、スイスに典型的な武装中立、あるいは自主防衛型です。
②は、日米安保や、その発展型としてのNATOのような「集団安全保障体制」です。
③は、侵略軍が来ても白旗を掲げて酒を呑めばお引き取り願えるという考えです。
 

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①のレアなケースはスイスですが、スイスの核シェルター普及率はなんと100%超ですが、日本は0.002%です。

日本でも核武装をと言う人がいますが、まずは核シェルターを大都市だけにでも完備してからにするべきでしょう。

撃たれ弱い核武装国家などはありえませんから。

全員が兵役の義務を負い、義務兵役の後には予備役招集されるために各家庭にはライフルが置いてあります。

ちなみに日本の陸自の弱点は、予備役の層が薄すぎることです。

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また外交的にも国連に加盟していないのにかかわらず、各種国際機関・会議に場を提供することで、国際的な義務を遂行しています。

一方我が国で①をとって場合、『コストを試算 日米同盟解体』という本の中で防衛大学の研究者が試算していますが、自主防衛に徹した場合22兆から23兆のコスト増です。 

よく安易に「米国の従属を拒否して自主防衛を」という人が保守にいますが、愚論です。 

日米同盟は相互に要求するものを与え合う双務性を持っています。 

米国は基地を日本に置かせてせてもらう代わりに、「日本列島にいる」というプレゼンス(存在感)で、大きな抑止力を提供しています。 

日本にとっては接受国負担(いわゆる「おもいやり予算」)などの年間約3600億ていどの負担で、世界最高水準の安全保障環境を手に入れることができました。 

つまり安全・安価・現実的という意味で、②の同盟関係を結ぶのが、もっとも上策です。 

③は朝日文化人好みですが、個人の非戦の誓いと国家の安全保障政策を混同しています。

個人がなにを信条にしようと自由ですが、国として「侵略軍が襲来しても、国民は勝手に生きろ。国は知らん」ということでは、なんかなぁ、です。 

②の同盟関係で自国の平和を維持する手法は、人類の歴史と共に始まっていて、近世の戦国時代にも合従連衡はあたりまえで、それが国家間協定として普遍化したものです。

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さらに2度の大戦を経ることで、「いかにしてドイツに3回目の大戦をやらせずに、新たな欧州秩序を作るのか」という問題意識からNATOが誕生しました。 

国連は当初は「国連軍」をおき、集団安全保障体制を目指しましたが、朝鮮戦争の勃発による東西冷戦で破綻したままになっています。

しかし、世界には悲惨が満ちあふれていて国連も放っておくわけにもいかず、苦肉の策で生れたのがPKOです。 

国連憲章の第7章、第8章では、集団安全保障を「国家の自然権」として認めていますが、今回日本でテーマとなった「集団的自衛権」のほうは、第7章末尾にチラリと書かれていることでわかるように、あくまでも例外的な選択です。 

どうしてそうなったのかといえば、日本の場合、周辺に欧州のような共通の文化圏や国力を持った国がなかったために、米国との同盟を活用するしか方法がなったからです。 

実は、日本国憲法は自衛権自体を否定している以上、集団的自衛権もクソもありません。

そりゃそうでしょう。

どこの国に「わが国は国民を守らない。周辺国の厚情を頼りに生きていくと決意した」と書く馬鹿がいるでしょうか。そんな非常識な国は、自慢ではありませんが世界広といえど、うちの国だけです。 

なんと憲法は世界の安全保障認識で相手にされていない、③の非武装中立主義だからです。ガーン。 

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枕が長くなりましたが、以上を頭に入れたうえで考えていきます。

中華三振さんのご質問は、「大国の戦争に巻き込まれないか」ということですね。

「集団的自衛権が戦後どう使われたのか検証が必要だ。ベトナム戦争、チェコ侵略、アフガン戦争。こういう例を見ると大国による侵略や軍事介入の口実にされた」(共産党・井上哲士議員2014年5月29日))

共産党の論理は、半世紀以上前からこの党が一貫して安保反対の理由に上げてきた、いわゆる「巻き込まれ論」です。

米国と既に集団的自衛権(=同盟)を結んでいて戦争になったのは、唯一ベトナム戦争だけです。

しかも北ベトナムを西側諸国は承認していなかったために、厳密には「第3国からの侵略」に該当しません。

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フォークランド紛争は、米国の同盟国のアルゼンチンと、同じく米国の同盟国であってなおかつNATO加盟国の英国の戦争でしたが、地理的範囲外ということで、米国も他のNATO諸国も介入しませんでした。

9.11同時多発テロ以降の対テロ戦争において、米国が集団的自衛権を使ったのではなく、使ったのは英仏独伊などのNATOです。

しかもこれはNATO第5条の自動介入条項を使ってはおらず、それぞれの国の判断に基づいた軍隊派遣でした。

日本では湾岸戦争において、米国が俺様主義で、世界を戦争に巻き込んだようにいわれていますが、そんなに単純ではありませんでした。

当時米国務長官だったジェームズ・ベーカーは、『シャトル外交激動の4年』という回想録をものにしています。

その中でベーカーは、同盟国やアラブ諸国を文字どおりシャトルのように走り回って多国籍軍への参加を呼びかけたのですが、もっとも手を焼いたのは英国だったと書いています。

どう口説いてもノー。どんなに条件を英国に有利にしてもノー。ベーカーが匙を投げかかったところで、やっと協力を得られたと書いています。

そんなものです。それでいいのです。ただし、英国は一回イエスといったら、最後まで献身的につきあってくれたとも書いています。

つまり、米国とつきあうかどうかはあくまでも、自国の国益を優先して判断するのはあたり前であって、その国がしっかりした外交方針を持つことが大事なので、集団的自衛権うんぬんとは別次元の話なのです。

そもそも集団的自衛権はNATOに典型的なように、勝手に自国の思惑だけで戦争することを防ぐ仕組みです。

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2014年7月に集団的自衛権を閣議決定したときに、マスコミは一斉に「戦争の歯止めあいまい」(東京7月2日)と書き立てました。

逆です。集団的自衛権は個別的自衛権を恣意的に使って、「自衛」の美名の下に暴走することを抑える仕組みだからです。

NATOは「ドイツを縛るため出来た」と、先ほども書きましたが、ドイツには単独自衛権が事実上与えられていません。

1949年4月にNATOを作ったのは、軍事大国ソ連の強大な圧力に抗するためにはドイツに最前線でがんばってもらわねばならず、かといってナチスの再来になられても困るという二律背反する命題の唯一の解決法でした。

この仕組みができてようやく、ドイツは再軍備が可能となりました。つまり、集団安全保障体制こそが「歯止め」そのものなのです。

これと似たことは、実は日本にも当てはまります。

日本は日米安全保障条約という集団的自衛権を締結することを条件として、自衛隊を持つことが可能になったのです。

実の話、当時も3択でした。

①自衛隊を持たず、占領軍にそのまま日本を守ってもらう。
②戦前と同じように再軍備する。
③日米安保を結ぶ。

日本は、③の集団的自衛権たる日米安保条約を締結しました。賢明な歴史判断だったと思います。

あまりおおっぴらにいわれませんが、米国は旧軍将校グループを過度に警戒していて、1950年代まで安保を「ビンの蓋」論で米国本国に説明していた時期があります。

日米安保は、歴史的にも日本の戦前復帰型暴走に対する集団的自衛権による「歯止め」だったわけです。

ただ集団的自衛権と名乗りを上げると、憲法上ややっこしいので、与党野党共に「大人の智恵」ということにして、「見ないようにしようね」と言ってきた報いが、2年前にやってきたのです。

かくして2年前の集団的自衛権論議は、既に日米安保という「あるものをない」が如く扱い、単独自衛権のほうが集団的自衛権より平和的だという、世界の流れを知らないところで語られていたことになります。

 

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コメント

山本太郎なんかは声高に「集団的自衛権」ではなく「個別的」で済む話だと叫んでましたね。
私には大増税して軍備増強した上で世界から孤立したいようにしか聞こえませんたでしたけど。彼の場合はとにかく「反米」ありきなのでしょう。

フォークランド戦争ではアメリカは表だっては動いていませんでしたが、CIA情報を積極的に英国に流したり、軍も当時最新型のAIM-9Lを直前に用立てたりしていました。

安倍総理も公明党への配慮なのかどうも何故かこんな時期に中途半端な案を出してきたなぁ、と。焦っているのかどうなのか。
朝鮮情勢が緊迫しながらも連休中なんだから大好きなゴルフだけしてるか、逆に官邸に籠ってればいいんですよ。。

投稿: 山形 | 2017年5月 5日 (金) 06時55分

 中華三振さんのような疑問を持たれる方に共通する考えには、おそらく「強大な米国と、非力な日本」という図式が根底にあるのだと思うのですね。
 米国から見た「日本の存在」を過小評価し過ぎるするきらいがあるのだと思います。

 実際問題、日本を失えば米国は丸裸も同然で、オセロ式に世界は中共一色になりますよ。
 その危険性を米国に明白に教えてくれたのが、「日米中の正三角関係」などと言った、お馬鹿な民主党政権だったワケで、(逆説的ですが)そういう意味で民主党の存在も「全く無駄」というワケではなかったのですね。(笑)
 
 米国における日本の重要性は、従来から言われる「米軍基地」の存在のゆえばかりでなく(それだけでも十分に重大ですが)、最近では安倍外交の成果が非常に大きいと言えます。
ある意味、国際関係からみた米国の「弱体化ゆえの孤立」に歯止めをかけました。
 
 米国の苦しい時は、なおさら一貫して同盟相手として強力に支えて行く事が信頼強化につながりますし、常にそうした関係の醸成に心を砕く事がお互いに重要です。
 逆に、そうした姿勢を常日頃保つ事こそが、対米関係において等分の発言権を維持する事ができる源になるのだし、対米関係においても「日本の国益」に沿った判断を可能にするのですね。

投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年5月 5日 (金) 09時30分

論説、有り難うございます。わかりやすかったです。
ところで最後の2行、集団と単独が、逆ではないでしょうか?
タイポだと思いますが。

投稿: ヒデミ | 2017年5月 5日 (金) 09時39分

>日本は日米安全保障条約という集団的自衛権を締結することを条件として、自衛隊を持つことが可能になった
①自衛隊を持たず、占領軍にそのまま日本を守ってもらう。
②戦前と同じように再軍備する。
③日米安保を結ぶ。
③の集団的自衛権たる日米安保条約を締結しました。賢明な歴史判断だったと思います。

このすばっとしたご指摘、ここならではですね。すごいです。
④非武装国として武力を一切放棄したまま中立
というのが9条派が無理やりここに足している選択肢ですが、記事前半にあるように、個人の信条としてはあり得ても国家の存在条件を担保出来ないので、並べる事すらおかしい訳です。

投稿: ふゆみ | 2017年5月 5日 (金) 10時04分

ひでみさん。句読点抜けですね。すいません直しました。

投稿: 管理人 | 2017年5月 5日 (金) 10時30分

> かくして2年前の集団的自衛権論議は、既に日米安保という「あるものをない」が如く扱い、単独自衛権のほうが集団的自衛権より平和的だという、世界の流れを知らないところで語られていたことになります。

 当時、私も安保条約のことについて触れないのが不思議でありました。国会議員というエリ-トは安保条約が集団的自衛権の最小単位(二国間)であることを知っている筈だと思っておりました。もしかすると、知らなかったのかもしれませんね。そう言いたくもなります。

 個別的自衛権という言葉が人によって違っていましたね。個別的自衛権ですべてがOKだという憲法学者もおりました。この方は、多くの時間を自説の宣伝に費やしました。観念的な言葉の羅列です。簡単に言えば、個別的自衛権の発展形が集団的自衛権なんでしょう。根本は国家の生存権、自衛権があるということなんでしょう。

 観念的な議論が多すぎたのですが、要は、日本国の安全なんですよね。日米同盟を強化するしかありません。日米が協力して、世界平和に勤めるしかないと私は思います。

 グロ-バリズムというのは、世界の中で普遍の価値観があるべきだという考えなんでしょう。経済のグロ-バリズムもありますが、思想のグロ-バリズムあるわけです。自由、平等という普遍的な価値観もあり、これを否定することはできませんが、アメリカ人の言う自由、平等という価値観は、ロシア人にとってはどこか違ってくる筈です。中国でも違っているでしょう。日本人でも違うはずです。

投稿: ueyonabaru | 2017年5月 5日 (金) 12時53分

管理人さん、ありがとうございました。今後は記事とは関係のない話は避けます。
集団的自衛権の時もそうですけど最近はアメポチというのが流行りなんですかね?安倍・トランプ会談においてもアメポチ。左右問わず安倍首相を批判するときに使われるのがアメポチという便利な言葉です。私としては小沢のような中ポチよりは百倍良いと思うのですが

投稿: 中華三振 | 2017年5月 5日 (金) 18時21分

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