憲法はシンプルなほうがいい
昨日は憲法記念日でした。なんだか書く気になれませんでしたね。
そもそも、あえて祝日まで作って顕彰しなければならないご大層な存在とは思えません。
そのうえこの朝鮮半島有事の前夜の時期に、です。
この間、もっとも面白かった憲法について書かれた本は、まちがいなく『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫の法哲学入門』と『憲法の涙』でした。
昨日の憲法記念日の発言を聞くと、「一行たりとも変えてはならない」とする共産党、あるいは「加憲として財政均衡主義は盛り込むが、9条は変えるな」という民進党、はたまたマッカーサー憲法から始まって9条批判に終始する保守派のテンプレのような改憲論議より、はるかに面白い本でした。
井上さんがうまいことを言っていますが、憲法論議は一種の「お仲間トーク」になってしまっています。
井上氏はリベラル派であるにもかかわらず、原理主義的護憲派についてこういうことを述べています。
「いわば通勤電車の中でお化粧にはげむ若い女性と同じですね。その女性にとって他の乗客の視線はなきに等しく、ただのモノでしかない。こういう原理主義的護憲派にとって、彼らに批判的な人々の存在などなきに等しく、ただのモノだと思っている。相互批判的な対話のパートナーとして存在しない」 (『リベラルの・・・』以下同じ)
井上さんは原理主義的護憲派に対しての苦言として書いていますが、そっくり同じことが改憲派にもいえそうです。
改憲派は、もはや改憲するかしないかということなど議論の対象としてはいません。
いかなる方法で、いかなる時期に、誰が、という方法論に議論が移ってしまっているために、今さら原理主義的護憲論者と会話するだけ無駄だと考えています。
互いにこの調子ですから、同じ日本国民でありながら、相手は「なきものに等しい」わけです。
双方共にポジショントークで、これでは憲法そのものの議論が盛んになるはずがありません。
井上氏の議論が大変に面白いのは、その接点を作ろうとしていることです。
もちろん歩み寄って中とって下さい、と言っているわけではなく、整理して論点を煮詰めています。
たとえばそうですね、今回の北朝鮮危機は、私たちの頭の上に北朝鮮の核ミサイルが落ちてくるかもしれないという状況もはらみながら展開しているわけです。
ところが野党は、「今行われている日米共同訓練や米艦護衛など、憲法9条の威嚇だから違憲だ。避難訓練をするのは恐怖を与える」というわけです。
さすがここまで野党の病が進行しているとは、私も思いませんでしたね。
「攻撃させないぞ」という意思表示や、ほんとうにそのような事態になったら国民の安全をどう守るのかということまで違憲として禁止してしまえば、私たち国民は9条をお守り袋に入れて念仏を唱えていればよいのでしょうか。
ならば、この人たちはもはや宗教的平和主義者です。
しかし、そうかといえばそうでもないようです。井上氏はこう苦言を呈しています。
「自衛隊と安保条約が提供してくれている防衛利益を享受しながら、その正当性を認知しない。認知しないから、その利益の享受を正当化する責任も果たさない。
利益を享受しながらその正当性を認めない。私にいわせれば、これは右とか左とかに関係なく、許されない欺瞞です」
この北朝鮮危機に際して、避難訓練まで否定するならば、この人たちはこう政治主張せねばならないはずです。
「自衛隊を即時解体し、安保条約も即時廃棄しろ」、と。
共産、社民は元来その考えですから別にして、野党第一党の民進党までが同調するとなると、これは私もひどい欺瞞だと思います。
つまり、自衛隊と安保は少なくとも今ないと大変なことになるというのは分かった上で、それを否定する「憲法を一行たりとも変えるな」と言っているからです。
大変に分裂していますが、そのことに気がつかないようです。
日本共産党サイトより引用http://www.jcp-tokyo.net/2014/1025/150533/
憲法は自衛隊も、安保も否定しています。
9条に書いてあるように、「国際紛争の解決において交戦権を否認する」ということは、原理的には野党が言うようにこの半島有事において「なにもするな」ということです。
上の写真の護憲派集会のように、「憲法がありさえすれば命が守れる」と考える人は、どうぞそのまま信じていてください。
ただし、それはあなたたちの個人的信念にすぎないので、他の国民押しつけないでください。
一方、政党は個人とは違って権力を行使すること、言い換えれば、「自分たちの意見を押しつける」ことが使命です。
ですから「護憲」を叫ぶなら筋を通して、民進党は共産党と野党共闘をして、政権をとったら憲法どおりに自衛隊を解体し、安保を廃棄します、と公約して衆院選を戦うことです。
井上氏はこれは憲法論議の姿を借りた政策論だと断じます。
「ただ単に自分たちが維持したいと考える安全保障体制を、とにかく反対者に押しつけよう、と。そのために、憲法を使えるなら使え、と。彼らは『護憲派』と称しているけど、実際には自衛隊に永遠に違憲の烙印を押し続けることで、違憲状態を固定化しようとしている。それは『護憲』の名に値しない」
端的に、安全保障問題はただの政策論にすぎません。財政や福祉、教育などの分野と同じで通常の国家政策と同列に論じられるべき事案です。
ならばそれは、国会という民主的プロセスを経てフェアな政治競争で問われるべきです。
「憲法を一行たりとも変えない」という立場は、非武装中立主義、あるいは絶対的無抵抗主義なのですから、それでどうしたら北朝鮮のミサイルを防げるのか、具体的政策として国民に見せればよいのです。
もちろん彼らもとりあえず大人ですから、実際は無理だと分かっています。だから見て見ぬふりをするのも「大人の智恵だ」、くらいに軽く考えてきました。
その心理の背景には、「北朝鮮や中国が危険だなんてただの右翼のデマだ」くらいの甘い情勢認識があったからです。
しかし実際に、脅威が現実の姿を取ると、今度は憲法論議にカモフラージュしてしまいます。
ずるくはないですか。
憲法は国の最高規範ですから簡単に書き換えることができない、いわゆる硬性憲法がいいと私は思っています。
ですから、憲法は余計なことを書き込まないシンプルなものがふさわしいです。政権の解釈によってふらつくようでは、最高法の名が廃ります。
解釈によって恣意的に変更できないものでなければ、憲法は空洞化するばかりです。
この部分に関して私は、護憲派と意見を共にします。
だから熱海の温泉旅館よろしく増改築をくり返してきた9条はいったん全削除し、すっきりと国軍規定するに止めるべきなのです。
交戦権かどうたらとか、いうようなことは書き込んではなりません。書けばくどくどとその概念規定を書かねばならず、政権の恣意になりかねないからです。
そうなりそうな部分は書き込まずに、骨組みだけ書き込んだらいいのです。
そして安全保障論議、あるいは国家戦略に属する部分は、民主的決定プロセスで開かれた討論をすべきです。
井上氏が憲法の役割としてこう述べておられるのは卓見です。
「憲法の役割というのは、政権交替がおき得るような民主的体制、フェアな政治競争のルールと、いくら民主制があっても自分を守れないような被差別少数者の人権保障、これらを守らせるためのルールを定めることだと私は思います」
「被差別少数者の人権」については政治利権がからむので賛成しかねます。替わって私が入れるべきだと思うことは、天皇条項でしょう。
天皇のあり方は、政権が変わるたびに変えられては困る国の根幹です。
日本国憲法がこと細かく(重複までしていますが)思いついたことを書き込んだために、時代にあわなくなったことを反省材料にすべきでしょう。
民進党や公明党は、「加憲」などと言っていますが、民進のように財政規律主義を書き込めば、その時の経済状況に応じた機動的な経済政策をとることができなくなります。
また、環境権もけっこうですが、CO2削減のために原子力を選択した時代もあり、いったん事故が起きれば真逆に走るわけです。
このような個別分野は憲法がすべき仕事ではありません。政治的立場によって変わるもの、あるいは時代の判断が必要なことを、憲法に書き込むことは止めるべきです。
憲法はシンプル・イズ・ベストなのです。
■関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-fca9.html
■写真 野ばらです。すごくいい香りですよ。
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【「自衛隊を即時解体し、安保条約も即時廃棄しろ」、と。
共産、社民は元来その考えですから別にして、】
ってことですが、
更に、
【解体・廃棄後、他国(中国等)で同じことをシてはいけない。】
も、追加するべきでしょうね。
投稿: 宜野湾市民N | 2017年5月 4日 (木) 09時40分
同感です。
憲法は、せいぜい10条以内のシンプルなものでいいと思いますね。
憲法記念日? あんなもの要らないですよ。(休日は欲しいですが)
ところで最近私は、井上達夫氏に批判的です。
天皇論に関する「朝生」での激越な姿など見るにつけ、この方自身がよくよくの「正義原理主義者」なのであって、原理的という意味では「護憲主義者」と相違ないではないか?と考えるようになりましたね。
長谷部教授と法専門誌で論争した中で「いわゆる八月革命説」の話が出たと記憶します。
(論争自体は井上氏の圧勝に見えました)
長谷部はこの事に特別な反論をせず、ですが、心の中では「宮澤の解釈を批判するなら、他にどういう方法があったというのだ? 清水澄博士のように、岸壁から身を投げるより仕方がなかったではないか!」と叫んでいたと思いますね。
学者だから仕方がないのですが、「正義」ばかりに囚われていては、「仕方がないもの」を「仕方がないものとして」受け入れる「幅」を失います。
しょせん日本国憲法は「矛盾の象徴」みたいなものなので、そういう狭量さも井上氏が学会で孤立する原因なのではないか、と思ったりします。
それと、「原理的正義論者」の行き着く先は危険で、論理的には必ず「脱米国」へと向かわざるを得なくなります。
長谷部教授や小林教授は井上氏によれば「変節漢」ですが、彼らの考えは「安倍晋三の下では改憲させない」と言うのが(その根拠ない)本心なので、また考えも変わるでしょう。
その点、安倍首相も良くわかっていて、2020年には「改憲」などと言ってみる。
これは「牽制」か、「観測気球」でしょう。
平和安全法制以来、矢継ぎ早に必要なはずの、自衛隊法も海上保安法の改正も一向に話題にすら出て来ない。
改憲以前に本丸は実はこっちで、国会における法律論争を期待された稲田防衛相もクビを取られたも同然のなかで、一人気を吐く安倍総理の苦衷を見たような気がしています。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年5月 4日 (木) 09時52分
憲法は聖徳太子の17条憲法ぐらいで良いのではないかな。あとは法律で定めれば良いのだから。
天皇様は現在のままではいけない。伝統的な天皇のあり方に即したものにするべき。天皇は日本人の精神的元首であり、政治との関わりは今のままではいけない(国事行為を整理する)。一方、政治的元首を置く必要があると思うが、それは首相を公選すれば可能だ。アメリカの大統領制に近いものにするべきだ。
現在の護憲派は平和憲法を宗教的な教義のように考えている。平和憲法は平和を守れないのだから早急に改正すべきだ。
「ありんくりん」さんと同じ考えの部分もあり、そうでない部分もあるでしょう。憲法改正論議を開始しましょうよ。
投稿: ueyonabaru | 2017年5月 4日 (木) 10時00分
すみません、管理人は集団的自衛権の中で日本はアメリカのイラク戦争のような対外戦争(起きるかどうかは別です)に付き合わされることはない、断ることもできるとおっしゃりますが、それに関して説明していただけますか?(以前の記事で説明していたのなら示してくれたら幸いです。)
確か以前にイラク戦争におけるNATOの例を挙げていましたが、多国間での集団的自衛権と日米の一対一の集団的自衛権では状況も異なり、日本はちゃんとNOと主張できるのか心配だったので。
投稿: 中華三振 | 2017年5月 4日 (木) 19時45分
横から失礼します。過去記事膨大で探せませんが、私の記憶では
「我が国の存続危機事態発生時にのみ集団的自衛権を行使できる」という事項がイラク派兵や遠方紛争介入を断る為に使えたはずです。
投稿: ふゆみ | 2017年5月 4日 (木) 20時43分
朝日新聞を欠かさず、法学部で憲法専門の教授についていた夫。もちろんとりあえず安倍は許しません。
しかし、今回の安倍案に「へぇーふーん、うーんこれなら…」と、物凄く食いついています。こういう層に響くのか!と、注視しています。あ、家庭は円満ですよ。
投稿: ふゆみ | 2017年5月 4日 (木) 20時48分
ふゆみさんの情報は興味ぶかい。
投稿: かつて…(以下略) | 2017年5月 5日 (金) 01時42分
中華三振さん。また記事とは関係ないんだけど。
記事にしてこたえます。
安部さんの改憲案は公明を考えたものでしょうが、ひどいですね。まだ時間があるのが救いです。
投稿: 管理人 | 2017年5月 5日 (金) 02時18分
>安部さんの改憲案は公明を考えたものでしょうが、ひどいですね。まだ時間があるのが救いです。
まったく同感です。
目的を逸しているとしか思えません。
別の目論見があるのかも?
投稿: 山路 敬介 | 2017年5月 5日 (金) 06時10分