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2017年6月21日 (水)

朝日に騙されない為に!その2    山路敬介(宮古)

018
山路敬介(宮古)氏の論考の2回目です。

この朝日の戦争責任というテーマは、かつて私も長い期間考え続けてきたもので、どこかで短い記事にした記憶もあります。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-10db.html

私にとって朝日はただの新聞一般ではなく、自己形成を語る上で避けては通れないほど染みついた価値観そのものでした。

中学生時代には文章修行のつもりで、天声人語と社説を毎日ノートに書き写していた時期すらあります。

「声」には何度も投稿し、採用された時には天にも登る気持ちでした(苦笑)。

Photo_5本多勝一「中国の旅」から、日本は永久に続く中国への謝罪の旅を始めねばならなくなった

高校時代などは、本多勝一の『中国の旅』の連載を毎日切り抜き、読書会をしたことすらあります。

この『中国の旅』は、本多記者が中国当局の紹介する「生き証人」を、なんの裏付け取材もすることなくそのまま事実として報じ、今に至る「南京大虐殺」論のルーツとなっています。

私は丸ごと真実だと疑ってもみませんでした。なにせ日本一のクォリティペーパーがおごそかに言っているんですからね。

かくて朝日は、中国の嘘八百、ないしは白髪三千丈を、無検証で丸ごと権威づけしてしまったことになります。

後に本多記者は裏付け取材をせずに書いたが、あれは「そのような証言をそのまま書いたノンフィクションだ」と居直ったものです。

おいおい、本多さん。当時の連載を読む読者の側に立ってごらんなさいよ。本多氏はひとこともこれが中国当局が提供した「証人」だとは書いていませんでした。

共産中国でそんな自由な取材なんか、ありませんもんね。

ですから、まるで『戦場の村』のように自分の足で書いたノンフィクションだと誰しもが思いこまされたわけです。

ところが違った。

あれは中国当局の「やらせ」であり、それをそのまま日本に報じてスクープにしたのです。

これこそが「朝日スタイル」です。

この本多記事は、証言をなにひとつ裏取をしないで祭壇に祭り上げました。

後の「従軍慰安婦」における吉田清治証言、福島事故における吉田所長調書、そして現在進行形の前川文書に至るまで、一貫した「朝日スタイル」の原型となっています。

そして、このことを外交カードに使う中韓に、わが国は苦しみぬくことになります。

その時、朝日はどちらについたかって?

ご承知のとおりです。朝日は外国の側に立って、外国の国益に沿って、外国の目線で日本と日本人を断罪し、反省と謝罪を迫ったのです。

当時の私は「朝日少年」、戦後リベラルの申し子そのものでしたが、朝日は私のような少年少女を大量に作りだし、彼らを安保闘争という「戦争」に駆り立てていきました。

この光景は、まるでかつて国民を戦場に駆り立てていった、この新聞の姿と二重写しになっていきます。

今の私の対象を突き放して見ようとする姿勢は、この反省から生れたものです。

さて、朝日の罪は、単に戦争中に軍部のプロパガンダに協力したというレベルだったら軽いものでした。

戦争協力といえば今は大変な罪悪のように語られていますが、総力戦においてそれは「国民の義務」だったにすぎないからです。

むしろ問題は、大戦に至る昭和の時期の節目節目に登場し、かならず間違った方向に国民を誘導してきたことにあります。

満州事変、国際連盟脱退、三国同盟、日中戦争といった曲がり角ひとつひとつに、朝日はこの道を選べば日米戦争となるしかない道をに国民を導いてきました。

山路氏が述べられているように、朝日は偏った報道を続けて情報を与えず、軍部のプロパガンダを耳に吹き込み、国民を戦争に追い込んだのです。

戦後もまた同じことを、立場だけ正反対にして延々と再演しています。

そして今もなお、なにひとつ自らを省みることなく・・・。

                    ~~~~~
 

Photo
                 朝日に騙されない為に!その2
                                      山路敬介(宮古)

承前 

■ 日米開戦を寿いだ日本国民 

 
 少し話がかわります。
 先の日米開戦責任について、軍部の専横だとか陸軍の強硬派に専ら責任を帰す書物はあきれるほど読みましたし、なるほど詳細に知れば知るほど軍部の責任は軽いものではない事がわかります。

 しかし、国民はその「軍部」しか頼るすべはないと考え、したがって程度の差こそあれ国民の大部分が「支持」していたのもまた事実です。

 真珠湾攻撃をもって日米開戦の火蓋が切られた日、一般国民の感情は、「あぁ、これでやっと積年の憂いが終わった」、「光明が見えた」という、むしろ安堵に似た、ため息めいた感傷的なものだったといいます。

 これは初戦に大勝したからというだけのものでは決してなくて、「もう戦争しか残された道はない」という切羽詰まった意識が一般国民に強く感覚としてあったからです。

 その点、知識人も例外ではありませんでした。
 同様の開戦の日の心理描写は太宰治の小説他でも多数出てきますし、左右問わず例えば竹内好や斉藤茂吉、伊藤整などが書いたものにも多数残されています。

 あの高見順ですら、戦争反対・戦争憎悪の気持ちからでもない、戦争謳歌・開戦歓迎の気持ちでもないと前置きしつつ、「なんとも言えぬもの悲しい気持ち」と微妙な表現をしています。

 それでも一般人であれ知識人であれ、大勢は米国に「必ず勝てる」という確信があったわけでもなさそうで、私には、それなのになぜ多くの国民が「戦争への道」を肯定したのか?が、長らくの疑問だったし、そこにこそ隠された本当の「戦争責任」があるのだろうと思います。

 朝日は戦後、すでに通説となっている「多くの国民は戦争に反対していたが、軍部の強硬派が満州事変など様々な既成事実を作って日本を戦争に引きずり込んだ」と喧伝しましたが、国民が倦んでいた戦争は「日中戦争」であり、上述のように「日米開戦」は概ねその逆だっただろうと思うのです。 

 ここには講和のさいの戦争責任がからむ微妙な問題も存在するので、一口で非難しづらい部分ですが、このような誤謬は今では必要な憲法改正もせず、国家を敵するような人間を多く生む戦後の日本の潮流を作ってしまった一因になったと思え、嘘や誤謬から真実を生み、ある人々の「信念」に転化した悲惨な状況を今に生んだものと考えます。

Photo_21943年3月5日。朝日新聞が企画した35枚の100畳敷きの写真ポスターが有楽町の東京本社正面に掲げられ、10日には陸軍軍楽隊の演奏が行われた。朝日は一貫して一億火の玉をアジり続けたが、負けるやいなや、「あれは軍部に強いられたものだ」と述べた。


■朝日の戦争責任

 朝日新聞は戦後、自らの責任として「戦争を止められなかった事」を重畳反省する旨の論説を掲載した事があります。

 しかし朝日は外野席にいたのではなく、その責任は「戦争を止められなかった」などという一般論として濾過して語られては歴史を間違います。

 彼こそまさに陸軍と組んだ「主犯」であり、ともに国民を戦争の悲惨に引きずり込んだ重要な役割を果たしたと見るべきで、ある意味では陸軍以上に責任が重大であったと言わざるを得ません。

 当時はラジオ以外、少数の雑誌をのぞき新聞だけが国民の意見形成の手段でしたから、事実は新聞で拾うより方法がなく、俄然新聞の影響力は巨大だったのです。

 戦線を南方に展開させ、無謀な二正面作戦を実行させる契機となった昭和研究会や尾崎秀美に見るだけでなく、世界から離反せる決定的なナチスドイツとの同盟を「バスに乗り遅れるな」といって、大キャンペーンを張ったのは「朝日新聞」でした。

 戦争を煽った朝日ニュース映像は陸軍との合作でしたが、こんな事は陸軍の支持ではなく朝日が自から進んでやった事です。

Photo_3

 なぜなら、海軍はヒトラーの有色人種差別を十分に理解しており猛反対でしたし、「わが闘争」がはっきりそれを示していた事も朝日は承知したうえで、それを一行も報じておりません。

 もし、それを報じたならば日本国民がヒトラーを受け入れるはずはありませんでした。
Photo_4
 「満州は日本の生命線」という、大キャンペーンもありました。

 朝日は満州堅持の歌や映画・劇まで作り、国民意識の高揚に努めた結果、世論ゆえに満州放棄という戦争回避の為の最終的決定的カードも切れなくなったと言っていいでしょう。

 このような例はそれこそ無数にあり、それも国家にとって決定的重要な意思決定局面で、必ず「朝日の弊害」が立ち現れるのです。

 この朝日の病気は戦後も同様で、それを一々書くのも疲れますので割愛しますが、今はもう「私たち国民は、いかに朝日から身を守るか」を考えたほうが賢明のようです。

                                                (続く)

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コメント

田原総一郎氏が言うには朝日が慰安婦や南京虐殺についての記事を書くのは嘗て自分たちが国民を煽って戦争に導いてしまったことへの罪悪感からの贖罪だと言ってました。それによって外交関係が拗れているので本末転倒なわけですが
それと、戦中の戦争協力の記事に関してはどこも同じような論調だったので朝日だけが悪いとは一概には言えないのでは?

戦前の戦争へ導く煽動も、戦後の反体制運動へ導く煽動も、現在の反日運動へ導く煽動も、一貫して朝日の体質は変わらないと最近改めて感じました。

つい先日、数年前にテレビで放送された番組のビデオを見ていましたが、ここでも朝日新聞かと、ため息がついてしまう事がありました。

原爆についてNHKが製作した特集番組でした。

内容は、広島の原爆投下後に救護活動の為現地に入り、残留放射線により二次被爆してしまった10代の陸軍兵士についてです。
戦後に故郷へ帰り、そこで受けた差別や放射能の後遺症に苦しんだ事を取材した物でした。

そこには、戦後の日本社会において、メディアが原爆や被爆者について謂れのない差別や風評を撒き散らした事について語られています。
当時の紙面を映して語っているのですが、映っていた新聞が朝日新聞でした。

被爆者を「悪霊」と言った言葉で揶揄したり、そこら中に禍々しい言葉が並んでいました。
戦中はあれだけ軍や兵士を持て囃していたのに、戦後はまるでバケモノ扱いです。

中華三振さんへ
>戦中の戦争協力の記事に関してはどこも同じような論調だったので朝日だけが悪いとは一概には言えないのでは?

これは僕も同意する部分ではありますが、「捏造記事」であったことを謝罪したはずの慰安婦問題が関係する日韓合意を韓国政府が反故にしようする気が満々な事に対して全く他人事のようなスタンスを貫いて、学園モノの火付け役に社運を懸けている朝日には心底呆れています。

実際に目の当たりにしている印象の強さもあるのかもしれませんが、こと朝日に関しては戦後以降の方がより悪質で劣化した報道機関になってしまっていると感じずにはいられません。

 中華三振さん

 そういう意見も頂戴するかと思いましたが、例えば朝日は陸軍に輸送用軍用機の払い下げを懇願し、これを二機無償で払い下げを受けたりしています。
それでいて同じ時期、国民に対しては紙面を使って戦闘機充実の為の募金を呼びかけたりしていたんですよ。
 こうした癒着構造は他紙とはまったくレベルが違うし、他紙は朝日に軍情報を独占される中で、今の他のマスコミと同じ事で朝日に追随していた構図だったですよ。

 田原氏の代弁は頂けませんね。
 まず朝日自身の行ってきた日露戦争以降の行動を自から明らかにしないで、どうして「反省しているゆえの報道」と言えましょうかね?
それをしないで、国民にだけ何らかの反省を強いる態度は「傲慢」であり、国民を馬鹿にしてますよ。

私は、新聞も人気商売(売れてなんぼ)で、特に朝日は
商都大阪で育った新聞だけに、その性格も強いと思い
ます。マスコミというものは年収1000万円超の従業員
続出の商売ですので、売れればその路線を突っ走り
ます。人気のある商品なら、工場で増産して売りさばく
のは当たり前です。

ここで、いや!マスコミには社会的責任があるのだよ、
と言う人もいますが、そんなものどこにも担保されてい
ません。そんな法は無いのです。営利目的の企業です。
「程度の低い記事・報道なら、おれっちは買わねぇぞ」
という賢い消費者がいないと、悪貨は良貨を駆逐する
だけです。

で、現在モンダイなのがポピュリズムです。民主主義
が安定すると必ず直面します。ざっと見て、賢い国民
より馬鹿な国民はずっと多い。これでより多く売り上
げようとすれば、確実に大多数受けする記事・報道を
するのは商売の基本ですわ。

朝日の馬鹿さ加減は、彼等の客の馬鹿さ加減でもあり
ます。私は、朝日は客が変われば変わると思う。でも
今だ何故サヨク脳が少なくない数で発生してくるのか
解りません。団塊世代と共に無くなるとは思えません。

ポピュリズムは、選挙の投票行為にも現れるので、賢
い政治家が賢いまま落選してゆくのか、馬鹿受け狙い
のピエロで当選するのか、馬鹿な政治家が馬鹿モロ出
しして正直者だとして当選するのか、などなどこれから
も影響大だと思いますわ。

この間の共謀罪の議論でもそうでしたが左翼は「歴史は繰り返す」という言葉を好んで使います。

前にツイッターでそのような主張をされていた方がおられました。それによれば東日本大震災=関東大震災、特定秘密保護法=治安維持法、2020年の東京五輪=1940年の幻の東京五輪だそうです。

歴史が繰り返しているというのであればなおさらあの戦争をだれが煽ったのか、どうして止められなかったのかをじっくり検証していく必要があります。軍部や昭和天皇だけが悪いわけではないんです。

もうすぐ沖縄の慰霊の日が来ます。日本が悪い、軍部が悪い、天皇が悪いでは無くてあの戦争をじっくりと検証しその本質を明らかにしていほしいと思います。そうしなければまた歴史は繰り返してしまいます。

長文失礼しました。

今日の記事だけでなく、実はこのデジャビュにも似た感覚を最近よく感じるなあと思ってたら、あれです、旧民主党政権ができるまでのあの期間ですね。 やれ麻生さんの漢字読み間違いとか、中川昭一氏の急死、松岡利勝氏の自殺とか、あの倒閣キャンペーンの流れです。
組織としては民主党に一度も票を投じたことはないですが、地元の民主党推薦議員に票を投じたことであの失われた3年を作り出したことへの悔恨の念は二度と忘れません。
前大戦といい、日本を誤った道筋をつけようとする流れの陰には必ず他と癒着したメディアがいて、それに乗っかる人間がいるもんだ、と朧気に考えていたのが、この度の記事でその思いがますます強まるばかりであります。
せめて自分らだけは誤った道を往かぬよう、目と頭を冴えていかねばなりませんね。

> それでも一般人であれ知識人であれ、大勢は米国に「必ず勝てる」という確信があったわけでもなさそうで、私には、それなのになぜ多くの国民が「戦争への道」を肯定したのか?が、長らくの疑問だったし、そこにこそ隠された本当の「戦争責任」があるのだろうと思います。(山路さん)

 大変に重要なご指摘だと思いますね。戦前の朝日新聞などの責任を問うことよりもさらに重要、究極の責任論だと思いますよ。日本人はなぜ世界最強国アメリカに宣戦布告をしたのでしょうか。日本は世界の覇権国家たらんとしたのでしょうか。そんな思いはなかったし、アメリカに勝てるという自信もなかった筈です。それが、なぜ?

 これは責任論でもありますが、原因は何だったのかを問う原因論でもありますね。今後、これをテ-マに議論したいものです。いま有る戦前の朝日への責任論は表層のもののように私は思っております。私は、朝日の戦前の戦争責任は問いたいとは思いませんが、戦後の朝日新聞が日本人を自虐的にした責任はたしかにあると思うのです。

 朝日が戦前に政府の政策への妥当な批判をできなかったという責任はあるかも知れませんが、これについては詳細には私は指摘することはできません。知識不足ですね。ただ、朝日が戦意高揚のアジテ-ションをしたというのは、どの国も戦時には行うことであり、朝日だけのものでもないでしょう。

 当時の国民に、アメリカに立ち向かうという意志が明瞭にあったという事実は、深く考えていかねばなりませんね。

ueyonabaruさん

 戦時中に戦意高揚のためにアジ的傾向の報道に傾くなんて事は、おっしゃるようにどこの国の新聞社にもあるわけなんですね。
 問題は「日米開戦」であって、これについて果たした朝日の役割は、これは相当キツイですよ。
 それこそ日中戦争の継戦のためには日米戦争に突入せざるを得なかったと考えるにしても、当時の月刊誌など見る限り、血の近い中国人と戦うのを忌避したい趣旨の投書も多数見られるし、少なくも長引く日中戦争は相当嫌がっていたのも事実なんですよね。
 
 それ以前の「リットン報告書」なんぞにしても、今では当時の日本にとって穏当なものであった事が確認出来ますが、朝日の報道はその内容事実を隠したような報道しかしておらんワケで。

 要するに、国民は偏った報道により「日米開戦」を容認する心情を植えつけられた部分が大きかったのであって、その最大の責任は朝日にあるだろう、と考えた次第です。
 「反朝日ブーム」に乗ったような、些か牽強付会な部分もある論考とは思いましたが、最近まとめて手に入れた当時の縮尺版などを見るにつけ、そう思わざるを得ないですよ。

 ところで、ueyonabaruさんと私とは、その「歴史観」が相当近いと思ってます。
 特に、私は「日本の努力だけを持ってしては「日米戦争」は避けられなかっただろう」考えてきたし、貴兄も同様と思うのです。
 
 私はまだ、この考えに確定的な変更はないのです。
ただ最近では、もし当時の朝日を中心とする報道がマトモであれば、国民の意識や判断はずいぶん違ったものになり、ある種の犠牲を払ってでも「日米戦争を回避する道が開けたのではないか?」と考えるようになったのです。
 
 戦前に「民主主義はなかった」というのは嘘(女性の権利や、官民訴訟などの問題点はありましたが)で、大政翼賛会も国際連合離脱も、そして「日米開戦」ですらも概ね世論の動向に合致してるし、民主主義が機能しているがゆえに、まともで力の弱い政治家たちは、その「世論」の中で呻吟していたのです。
 結果、間違いなく当時として日本一のインテリゲンチャであった昭和天皇すらも、開戦を容認するより仕方のない仕儀に立ち至ったものと考えるのです。

 

 山路さん、大変に示唆深いご返答をいただきました。ありがとうございます。

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