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2017年8月29日 (火)

特攻隊に海兵出身者はいかなかったのか?

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終戦記念日を前後して大量のドキュメント風番組が日本を覆いました。 

そのひとつに池上彰氏の、「池上彰の戦争を考えるSP 特攻とは何だったのか?」(8月13日放映)があります。
http://www.tv-tokyo.co.jp/yomu/business/entry/2017/014476.html 

池上氏は「自分のライフワーク」だとして、こう述べています。 

「戦争を知る人がどんどん少なくなってくると、何かこう、戦争を美化する、そういう動きがあるんですね。
ところが、今、特攻隊の生き残りの人達が次々に声を上げています。そして「特攻隊は決して美化できるようなものではない」と、おっしゃっているんですね。戦争を美化するような動きに対して、「いやいや、本当の戦争を知ってほしい」と、多くの人が今、思うようになったのではないかと思うんです。そういう人達の話を今こそ聞く必要があるのかな、そういう意識を持ってこの番組を作りました」

 Photo
私はこの番組が、当時を生きた「特攻隊の生き残りの人達が次々に声を上げています」と言ったことに心配を感じていました。 

というのは、いまや90前後の年齢に達しておられる体験者の「記憶」を、いったん精査検証する必要があるからです。 

ノンフィクション作家である神立尚紀は、こう自分の取材した零戦搭乗員について書いています。https://mobile.twitter.com/koudachinaoki?p=s 

「昨年99歳で亡くなられた元零戦搭乗員原田要さんは最晩年、80歳代の頃と仰ることが随分違っていた。空戦中「敵搭乗員の顔など見えない」筈が「怯えた顔を見た」になったり、ガ島に不時着した時、火など吹いていなかったのが「火を吹いた」になったり。当事者の回想にも検証は欠かせない所以である

 原田氏は神立氏の著書に印象深く登場する、今は幼児教育に戦後の半生を捧げた方でした。 

きわめて温厚にして、理性的な人で証言には信憑性がありました。しかしその彼をして証言が変化していくのです。 

実は原田氏は、神立氏が初めて取材して以降、多くのメディアの取材にさらされたようです。 

TBSは、原田氏をメーンにした番組さえ作りました。 

神立氏はこう慨嘆しています。 

「原田さんに関して言えば、晩年、左系の取材者や団体が相当寄ってきていた。来る者を拒まない方だったし、耳が遠いための生返事も多かったから、それを都合よく解釈されたり誘導されたりということはあったと思う。加齢による諸々の問題はやむを得ない。問われるべきは質問者、取材者の側の資質や思想」

 「しかし私に対しては70歳代の頃から仰ることは殆ど変わらず、常に抑制的かつ理知的だったから、やはり聞き手側の資質、過剰な期待に応えようとするサービス精神が裏目に出たのかと。零戦乗りから幼稚園園長へ、原田さんの戦中戦後の歩みを最初に本に書き発表したのが私だったから、本当に悔やまれる」

「一般に、記憶違いとは別に、インタビューや講演の回数が増えるほど話が大きくなり、話を重ねるうち本人の中でもそれが実体験の記憶と置き換わってしまう傾向がある。だから取材慣れして話の上手い人ほど実は書きづらい。これはやむを得ないことだが、当事者の体験を伝え残すことは、想像以上に難しい」

池上氏の番組では、「海軍兵学校出身の特攻隊員はいなかった」ような描かれ方をしていました。

もちろん嘘です。 

池上氏か「ライフワークだ」とまでいう以上、数字に当たっているはずです。

池上氏が海兵出はいない、学徒兵を死地においやって、エリートは温存したのだと番組で述べている海兵出身の特攻隊員の比率について、小川和久氏はこう指摘しています。 

「海軍の全航空特攻作戦における少尉候補生以上の士官クラスの戦死は769人で、そのうち海軍兵学校出身者は121人(15%)です。あとの648人は学徒出陣などによる飛行予備学生です。
 これは、飛行予備学生の命が「消耗品」として軽く扱われたのではなく、当時の搭乗員全体における海軍兵学校出身者と予備士官の割合を反映しています」(『NEWSを疑え!』第612号 2017年8月28日特別号)
 

予備士官とは、いわゆる学徒兵です。特攻隊の多くは彼らが担うことになり、多くの悲劇を残しました。 

では、池上氏が言うように、学徒兵だけが特攻に行ったのでしょうか。 

もちろん違います。小川氏が言うように、搭乗員自体の比率に海兵出身者が少なかったためです。 

他の兵種に海兵出身が配置されたために生じたことです。

この海兵出身者の過半数が、短い期間に戦死していきます。 

「海軍兵学校出身者の戦死率は非常に高く、戦死・戦没率は68期生66.32%、69期生64.72%、70期生66.28%にものぼります」(同上)

池上氏は、印象トリックを使ったわけです。

Photo_2
私は特攻作戦に強い批判を持っています。池上氏がいうような「美化」する気などまったくありません。

あの番組の中の体験者の証言のように、「拒否できない」空気は厳然としてありました。

戦闘機はおろか、練習機で死地に赴いた青年たちすらいたのです。

このような命令を下した指揮官を、私は憎みます。

戦後に生き残ってはならなかったのは、まさしく命じた側の彼らでした。

「作戦の外道」と自らわかっていた発案者である大西は、その責任をとって介錯を拒み長時間の激痛の中、自死しました。大西のような指揮官がいったい何人いたのでしょうか。

再び、私たちの民族が滅びる危機に陥ろうとも、このような作戦は絶対にとるべきではありません。

であったとしても、いやあるが故にこそ、祖国を守ろうとして一命を捧げた青年たちの当時の状況と現実を、正しくなにがあったのか、なかったのかを冷静に検証せねばなりません。

大変なご苦労をされた元特攻隊員に対して心苦しいかぎりですが、その証言もまた検証の対象の外ではないのです。

■追記 記事を書いているときに、北が日本上空を通過する弾道ミサイルを発射したようです。現時点(6時30分)では詳細は不明です。午後にアップできるような状況ならば記事にします。

 

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コメント

池上さんは元々「現場記者」志望でそうなったんだけど、「週間こどもニュース」で評価されて、キャスター(アンカーマン)になった人ですね。
説明が丁寧で上手だったり、選挙速報番組での鋭さが賞賛されてますけど、
麻生総理叩きの政治バラエティー番組(池上さんが「昼間は居酒屋で学生と語らったのに、麻生さん夜はまた高級ホテルのバーに行っちゃいました」・・・雛壇芸人達一斉に「エエーッ?それダメっしょ!」)のゲスさを見てからは、私は常に疑問を持ってます。
テレビでは話し上手だし好感は持てる人物なんですけどね。。TBSもまた出鱈目な番組を堂々と流したもんです。あそこは戦争関連になると毎度のことだけど。


神立氏は現役パイロットだった人に成り手がいなくなったので「零戦会」の会長を務めていますが、賛否両論ありますね。
取材の多さから考えて、今回の指摘は妥当だろうと思います。


06:02、まさかの政府からの緊急メールがありました。NHKよりも1分近く早かったですね。
金坊やは、いったいどうなるのでしょう。。
グアム狙いではなかったけど、そのくらいの距離は飛んでますね。
ちなみに少年期に疎開や空襲体験のある親父殿(ノンポリというか正しい意味でリベラル)は「あの太ったアンちゃん暗殺されるのが北朝鮮国民にとっても一番だべ!」と。


私、ちょうど湾岸戦争の頃に冬の宮城県野蒜海岸(津波で壊滅しました)で徹夜ドライブの後に流木で焚き火しながら海を眺めつつ夜明け。
地元のお爺さんが犬の散歩で通りかかり声をかけられました。最近も入水自殺があったとかで心配したと。
「いやいや、ドライブして遊びに来ただけですから(苦笑)。今コーヒー淹れますから一緒にどうぞ!」と。
談笑してるうちに・・・
『オレは特攻隊員だったんだ!』
『次はオレの番かと思ってた時に戦争が終わった。』
なんですとー!
『この前貰ったのが総理大臣海部俊樹の賞状と銀盃だけだぜー、全く』
『君達のような若者の時代だなあ。この国がどうなるのか分からないけど、しっかりやって生きてくれよ!』
いや、重い!重いからっ!
元軍人らしく矍鑠としたお爺さんでした。ちなみに海軍予科練出身だと。
一時の邂逅でしたが、色々と話を聞けました。

そして8時にキッカリにすぐ近くの松島基地からブルーインパルスを含むT-2が次々に爆音轟かせて頭上を旋回しなが上昇していきました。。
「特攻隊員の生き残りが基地と共に暮らしてるんだなあ」と感慨しかり。

親父の知り合いではもう90代だけどバリバリ元気な「元震洋隊員」がいます。大村での訓練(かなりテキトーだったらしい)が終わって、いざ本土決戦へ(こんなの絶対に上手く行くはずないと思ったとか)というところで終戦だったそうです。


 池上彰という人は、中立を装ってはいるけれも紛う事なき左派ですよ。
 
 押し付け憲法論がかまびすしい頃、現在の憲法は「日本の学者たちの改正案がベースだったので押し付けとは言えない」、などと真っ赤なウソを垂れ流してました。

 戦争にしても特攻隊にしても美化するのは論外です。
しかし、ライフワークとしているなら、このような初歩的な事実くらいは間違えないで欲しいもの。

 本記事で指摘されるように、証言者の内容が、時代の変遷と変化する風土によって変わってくるのは止むを得ません。
 はるか以前、シベリア抑留経験者へのヒアリングを手伝った経験から同様に感じました。

週刊こどもニュース、なつかしいです。
池上おとうさんの頃は毎週見ていました。こどもニュースw

池上さん、しゃべりは上手いですよね。
ただ、見かけの誠実さとは反対に、事実の中に捏造や嘘を織り交ぜるパターンが多い。やっぱり池上さんもマスゴミの人間なんだなーってことで、残念です。

池上彰というキャラクターは、ある意味無色透明で、番組の方針に沿ってもっともらしく話すのがうまいだけで、発言内容も番組ごとにコロコロ変わる、カメレオンのようなものです。

著作については全く読んだこともありませんが、最近は佐藤優との対談本とかが書店にあるんですが、手に取る気にはなりませんね。

TVにとって使いやすいアイコンに過ぎないでしょ。彼を右とか左とか言うのも暗線砂気がしますよ。わかりやすく言えば嘘つきの八方美人です。

まぁ、70数年も前のことを・知ったかぶりしてどうの・こうの言うこと事態が「間違いで・大きな勘違い」


何時まで「真相なんて掴めない過去に拘っているの?」

さっさと明日に向かって進むべきを・阻害するための道具として使われている。に、過ぎないのでは


イタリア・ジェンツァーノの花祭り、
http://yuuma7.com/200m%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88%EF%BD%9E%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%8A%B1%E7%A5%AD%E3%82%8A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3/

最後に・子供達が花を蹴散らして走る=「過去に決別・明日に向かって走る」の、方が痛快で・すがすがしいでは、ないか

私の伯父の一人が予科練で練習中に終戦をむかえてます。
小学生の頃に特攻隊について質問したことがありましたが口が重く居たこと以外は語らなかったですね。
お国のためというよりは家族のために命を捧げる覚悟であったと思います。

池上氏の番組は見なくなりました、報道など鵜呑みにしないことが賢明でしょうかね。


今朝は妻が北朝鮮がミサイル射ったってーと騒ぐので目覚めました。
ニュースなどはこればかり…。

確か〜テレ朝のワイドスクランブルで夜回り先生こと水谷修氏が、今朝今まで聞いたことのない音(Jアラート)がして直ぐ家族を起こし換気扇を閉め…云々と言ってました。

次のどこにお住まいなのかしら?
北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城、栃木、群馬、新潟、長野。

東京は鳴ってませんが、もし警報が出ても木造住宅街、避難するような頑丈な建物は無いねと妻と話してました。

「どうだ、お国の為陛下の為に逝ってくれるか?」と、
もし20歳やそこらの私が言われたら、「アホンダラ1号
逝きまーす」と言っていたと思いますわ。

その年頃では、二元論というか教条主義というか集団
主義が好きというか、個人的な複雑系の確率・統計的
思考は出来ないので、軍部は狡猾というかあざといと
いうか、若者の心理を手玉に取ったとしか思えません。

それでも「命を捨てれば形勢逆転で勝てる」のであれ
ば、まだ浮かばれますが、どっちみちボロ負けで犬死
させられるのです。軍部上層部のマスターベーション
としか言いようがありませんやね。

ただ軍の現場では、マジ断腸の思いで特攻をさせたり、
文字通り必死の思いで特攻したのは間違いありません。
アソビや酔狂で、爆弾抱かえて突っ込むなんて出来る
わけありません。ご冥福をお祈りしますとしか・・

それを高いギャラを盗るTV芸人が、なんやらそれらしい
コメントをするなんて、「アンタは神様か?仏様か?」と
ツッコミたくなります。

管理人様の視点、ご意見に全面同意です。もちろん大変な思い、つらい経験もあったでしょうが、残念ながら後知恵で混入したものに引きずられ、拘束されるのが人間であり、特に先の戦争に関してはバイアスがかかったものが面白くとりあげられることが多いようです。妹尾某の著作しかり、空襲がなく、戦前の街並みが保存されている町で育ったはずなのに防空壕体験を吐露する元都知事候補しかり…。本当の「教養ある大人」とは、池上彰や佐藤優の言うこと・書くことに対して「違うだろ」と即座に言える人だと、思っております。

ぼびーさん。

防空壕体験、石原さんのことかな?それはいいとして・・・
仰ることを否定するわけではないのですが、いわゆる地下防空壕に潜って空襲に耐えるようなステレオタイプで書かれてきた体験だけではなくてですね、
直接空襲被害の無かった山形市街地でも「簡易防空壕の作り方」のガリ版刷りのマニュアルのビラが全家庭に配られました。
内容は家庭といっても田舎でどこも庭付きで狭い畑で大根や芋等を作ってましたから・・・
曰く「庭の土を掘って木材や梯子で覆い蓆を被せ、土を被せる」といったもの。
実際には防空壕どころかスプリンター防御にすらならない代物ですが、当時の国民は真剣にやっていたのです。

またこんなド田舎でも目の前には昭和8年当時の新聞で「出来たぞ、東北一の大校舎!」という目立つコンクリの小学校があって、周囲の家は防火のために取り壊しに。我が家の隣まで進んだところで終戦を迎えてます。学校にも迷彩塗装が行われて半分のところでした。90年代までは一部残ってました。
小学生だった親父殿達は2キロほど郊外の親戚の家に疎開生活。兄弟で有事の役割を決めていました。親父は空襲警報が鳴るとまだ幼かった叔母(後のクリスチャン)を迎えに行き抱えて走ったそうです。
市北部には小さな飛行場と日飛の疎開工場があり終戦間際に艦載機による空襲がありました。今の山形刑務所の辺りです。親父は蔵王の南から侵入して超低空で北に向かうF4Uの姿とパイロットを見たと。そして用水路に飛び込んで様子を伺っていたそうです。

こんな田舎の城下町ですらそんなんだったし、親戚の話など聞くとはるかに凄惨だったですから、
某候補者さんを擁護はしませんけど、そんな時代を生きた方なんだと思いますよ。

山形さん

ほびーさんの空襲体験を語った元都知事候補は確か〜
昭和15年生まれで終戦の時は二十歳だった発言して失笑をかった鳥越俊太郎だと思います

あ、なるほど!(苦笑)

録画してあったのを流し見したのですが……。

だいぶ昔に紛失しましたが、うちには「戦藻録」(玉音放送後に部下と共に特攻した宇垣の書いた本)がありまして、読んだ事があります。
また、最近は人気ゲームの影響で、海軍関係の情報は非常に多く出回っています。

そういった、ちょっとした資料を知っていれば直ぐに分かるような嘘を混ぜ込んでいるのは、池上氏がどうこうよりも、番組作りが下手糞すぎると思います。
特別攻撃隊がどういったもので、それを批判することと、戦史を改竄するかのような事を放送するのは、まったく別のこと。
TVがこういう方向で報道すればするほど、「また間違える」んじゃないかと思いますけどね。

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