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2017年8月23日 (水)

石橋湛山を知っていますか?

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石橋湛山というへそ曲がりがいます。

戦前は植民地放棄と軍備縮小を主張し、戦後GHQに抵抗した数少ない日本人として公職追放になった男です。 

戦前、日本が戦争に転がり込んでいく1920年代から30年代にかけて、日本は別れ道に立っていました。 

ひとつの道は、列強に伍して地域大国になろうとする道であり、日本はシベリア出兵、満州事変、そして泥沼の日中戦争を経て、結局、もっともやってはならなかったはずの米国との戦争をするはめになります。 

もちろんこの歴史経過は日本だけが能動的に動いたわけではなく、米英露中といった各国の思惑の錯綜から生れています。 

わが国の悲劇は、あの大戦にまともな脚本も振付師もないまま突入してしまったことです。

しかし、あの時期なら地獄への道行はまだ止めることは可能でした。 

そのことを東洋経済新報を根城に主張したのが、石橋湛山でした。 

Photo石橋湛山

湛山は、これを「小日本主義」と唱えました。今の眼から見ても、よくこの時代にこんなことを主張したと驚きます。
 

湛山は高橋是清が実現したリフレ政策を支持したのですが、是清の替わりに湛山が大蔵大臣にでもなっていたら、2・26で殺されていたことでしょう。

そのくらいリスキーな思想だったのです。

湛山は、いままで日本が近代において獲得した権益を、一切放棄してしまえと言います。 

つまり、台湾、朝鮮、満州といった「大日本帝国」版図を縮小し、オリジナル日本に戻れ、と言っているわけです。 

それを湛山は、「一切を棄つる覚悟」(東洋経済新報1921年7月23日)という論文にまとめ、軍縮問題では海軍軍縮を呑むべきだと唱えました。

「さればもし我が国にして支那またはシベリヤを我が縄張りとしようとする野心を棄つるならば、満州、台湾、朝鮮、樺太等も入用ではないという態度に出づるならば、戦争は絶対に起こらない。従って我が国が他国から侵さるるということも決してない。
論者は、これらの土地を我が領土とし、もしくは我が勢力範囲としておくことが、国防上必要だと言うが、実はこれらの土地をかくしておき、もしくはかくせんとすればこそ、国防の必要が起こるのである。それらは軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起った結果ではない」

いうまでもなく、当時、絶対的極少派で、とうてい当時の軍部にとって許しがたい危険思想であったはずです。 

なぜ、このような植民地(朝鮮は正確には合邦ですが置きます)を「一切捨つる覚悟」を持たねばならないのでしょうか。 

よく誤解されるのですが、湛山は左翼反戦イデオロギーとは無縁です。 

むしろ湛山は、この「小日本主義」を経済的合理性を基盤にする、<戦略的道義戦>として語っているのです。 

まず湛山は、植民地経営のバランスシートを見ろと述べています。 

「これらの土地を我が領土とし、もしくは我が勢力範囲」とするから軍備がいるのであって、国を守るためにほんとうに必要な軍備なのだろうかと問うています。 

日清戦争以降の軍事コストの国家予算に占める比率をみたのが、下図です。 

Photo_2山田朗 『軍備拡張の近代史』
http://sinojapanesewar1894.com/920jmilitaryexpansion.html

このグラフを見れば、日清戦争でそれまで2千万円台だった軍備予算が、一挙に1億円の大台に乗り、しかも戦後も減ることなく、そのまま青天井となってしまっているのがわかります。 

朝鮮の植民地経営が、巨額の持ち出しに終わって、しかもコリア国民からなにひとつ感謝されるどころか憎悪を浴び続けていることは、ご承知のとおりです。 

朝鮮における植民地経営は、日本の財政補填でかろうじて成立していました。 

Photo_3http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-finance.html

当時の大日本帝国が貧困から抜け出せなかった最大の原因は、国力にそぐわない過剰な軍備と植民地経営にあります。 

湛山は日本が率先して領土的野心を「捨つる覚悟」で、欧米列強に対して道義的に優位に立てると説いたわけですが、では本当に捨ててしまった場合、日本はどうなるのでしょうか。 

湛山はこう述べています。

「例えば満洲を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか。
また例えば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。
英国にせよ、米国にせよ、非常な苦境に陥るであろう。なんとなれば彼らは日本にのみ、かくのごとき自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保ちえずに至るからである」

ひとことで言えば、湛山は欧米列強に対して、力による戦いではなく<戦略的道義戦>をしかけよと言っているのです。 

列強の植民地支配が当然の戦前期にあって、わが国が真っ先に植民地を放棄する道義戦を仕掛けた場合、欧米列強に支配されて植民地・半植民地にされたアジア・アフリカの諸国民は、自由と独立に向けて立ち上がるだろうと、湛山は言います。

「その時には、支那を始め、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、日本が台湾・朝鮮に自由を許したごとく、我にもまた自由を許せと騒ぎ立つだろう。
これ実に我が国の位地を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の位地に置くものではないか。我が国にして、ひとたびこの覚悟をもって会議に臨まば、思うに英米は、まあ少し待ってくれと、我が国に懇願するであろう」

この湛山の読みは、実現可能だったと思われます。 

特に、当時世界最大の植民地であったインド国民は歓声をあげて、日本の「一切を捨つる覚悟」を迎えたと思われます。 

湛山は続けてこう言います。

「ここにすなわち『身を棄ててこそ』の面白味がある。遅しといえども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救われる。しかも、これこそがその唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は、同時に、我が国際的位地をば、従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である」

国力において大人と子供の差がある日本と欧米列強が同じ土俵で戦っても無駄で、むしろ「朝鮮・台湾・満洲を棄てる、支那から手を引く、樺太も、シベリアもいらない」と叫ぶことこそが、有色人種唯一の列強となってしまったがゆえの、<日本の孤独>を救済するのだと湛山は主張します。 

軍事的手段によらずとも、その富は自由貿易を盛んにすることによって得られます。 

軍事的衝突は多くの死者を出し、破壊を呼び、憎悪を残しますが、貿易はWinWinの関係です。 

当時、朝鮮・台湾はすでに日本がインフラ整備を大半終わっていたのですから、日清戦争の目的どおり完全独立を認めて、対等な貿易関係を結べばいいのです。

当時この植民地放棄・独立を認めていたら、今も永遠に続くかに見えるコリアの「恨」はなかったことでしょう。 

湛山の「小日本主義」は、あくまでも日本の利害を基礎にしています。これが凡百の左翼インテリの空想的反戦論と根本的に異なることです。 

湛山は、こう「小日本主義」を結びます。 

「汝らまず神の国とその義とを求めよ、しからばこれらのものは皆、汝らに加えられるべし」 と」

8月になるとメディアはうなされたように「戦争の反省」を報じますが、たまにはどうしたら大戦が回避しえたのか、湛山に立ち戻って「小日本主義」をかんがえてみてもいいのではないでしょうか。

 

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コメント

 湛山があの時代に軍部に批判的な意見を述べたり、報道のポピュリズムに流されない生き方が出来た事は大いに評価すべきと思います。
今の日本のジャーナリストが一番必要な部分を、あの困難な時代に持っていたのですから当然です。

 しかしそれ以上の部分において、現在の日本の知識人たちの石橋湛山評価は過大・美化されすぎだと思いますね。
「反戦前」を軸にした戦後民主主義思想の臭みがプンプンするし、その証拠に戦後に憲法改正を可とした点は批判的か、あるいは取り上げられもしません。

 私は「湛山がリアリストであった」というのは間違いで、欧米が結果的に植民地主義を放棄したのは、その萌芽は以前からあったとしても第二次大戦のゆえであった側面が強かったと考えています。
 
 日本が事前に道義的に満州を率先して放棄しても、原因と時期は変化しましょうが日米間の衝突は避けられなかったものと思います。
 
 むしろあの時点で、ああいうカタチで日本が敗北した事がアジアの国々においても最良だったし、日本にとっても良かったのではないか? と考えますね。
 妙な言い方ですが、結果的にあの「戦争の価値」は多くの犠牲をともなった分だけ有為に存在したし、そこは十分肯定されるべきだと思うのです。

 また、朝鮮半島を上述の時点で放棄したとしても、現在におけるような「反日」を回避出来たとも思えません。
「その面での理由を与えなかっただろう」という見立ては正しいでしょうが、結局のところ「反日」が政治的に有利だからやっているのであって、常時いくらでも別件が生み出され続けるだけのものですね。
 これを回避するには、常に日本が経済的にも軍事的にも優位になっている事しかありません。

当時の世界の思想として
白人=支配者、有色人種=被支配者
という考えが、当然のように定着していたので
日本が植民地を放棄した→欧米も放棄しろ!
という流れが生まれるかというと、
そうはならないんじゃないかと思います。

むしろ、やっぱり有色人種に植民地支配は無理だったね
となりかねないかと

 道義的に優位に立つというのは、相手が同等の紳士である場合には成り立つかもしれませんが、この場合難しいのじゃないですか。
 たとえば昨今「歴史を見つめなさい」と人に諭す方々が、他国大学の歴史論文の観覧を妨害したりします。この方々は道義的に劣位にあると思われますが、反省したり行動を改めたりなさるでしょうか?

田中秀臣さんかしらんと思えばアリンクリンさんでしたか。
以前から指摘されてましたが、最近はどこかで見たことあるような既視感の強い記事が多くなってきて管理人さん疲れているのかなと少し心配です。
「ネットの集団知」なんて聞きあきましたし単なる寄せ集めの雑な知識のパッチワークなんて見苦しいばかりですよ。
ちょっとぐらい休んだって誰もこのブログのことは忘れはしませんから、真似っこを減らして記事の質が高く維持して頂きたいものです。

リフレ政策(アベノミクス)を戦前に実施しようとしていた点で、その先見性は驚嘆すべきものがあります。
もともとジャーナリストで経済学は独学ということですからさらに驚きです。ケインズと同レベルに独学でたどり着いていますので。

私個人としてはリフレ政策の祖として大変尊敬している人物です。

「小日本主義」については左派知識人からは平和主義的思想として過大評価というか、ズレた評価をされてきたと思います。
管理人さんのいうように石橋の本質は<戦略的道義戦>であり、単なる道義=平和主義ではありません。

私の言葉で言い換えると<経済的な効用>を全ての原理として考えたのです。簡単にいうと「儲かるか儲からないか」です。
その論理的帰結が<戦略的道義戦>ということでしょう。
石橋を持ち上げてきた戦後知識人にはその<経済的な効用>の側面を見ていないため、山路さんのいうような過大評価に繋がっています。

経済的な効用の面からは植民地政策よりも、貿易協定の方がお互いWINWINであるという視点は大変斬新なものです。ヨーロッパが未だにEUという呪縛で苦しんでいるわけですから、、、、

歴史のIFとして当時の各植民地が独立する機運になるかどうかは、複雑な世界情勢の中だったので難しい問題ですが、現代で言えばEUを離脱しようとする動きを考えると独立の機運というのは経済的な効用を刺激することで高まった可能性は十分あります。

まあその石橋の考えは100年早すぎたかもしれませんが、
<経済的効用>
で国際政治を眺めて見るという斬新な視点からはまだまだ学ぶものは多いと考えています。

喜望峰さん、ちゃんと記事を読まれていますか?
田中さんも何日か前に石橋湛山を取り上げましたが今日のブログ主さんの記事と内容はそんなに被ってないと思いますけど。
ただし、ここ2、3年の記事が以前のような冴えがなくなり言葉は悪いですが少し雑になったような気がしますね。
なので喜望峰さんのコメントには半分は批判で半分は同意します。

喜望峰氏、匿名氏。この時期に湛山をとりあげると、「被る」・・・、まぁ題材が一緒ですからね、としかいいようがありません。
もちろんあのニューズウィークの田中論考は読んでおりますよ。
「八月十五日の石橋湛山―リフレと小国主義による日本の再生」ですね。http://www.newsweekjapan.jp/tanaka/2017/08/post-12.php

皆さま、どうぞ読み比べて下さい。これが剽窃というなら、もう論説など書くのをやめてしまったほうがましです。
田中さんの戦前期におけるリフレ政策論は傾聴に値しますが、外交論としてはほとんど論じておられません。

傲慢のそしりを承知でいえは、日清戦争以降の国家予算における軍事費の青天井、植民地経営による財政補填の厳しさと当時の日本の状況を、田中氏は枚数の制限のためか、具体性にまったく触れられていません。

石橋の「小日本主義」は、一般的な理想主義から生れたのでもなく、ましてや反帝国主義思想から生れたのではないのです。
まさにこのような貧困から抜け出せない当時の日本の状況から生れた、だから説得力があるわけです。

このように私は石橋の「小日本主義」を捉えて、それこそが彼の思想の核だということを指摘しました。
これは石橋を論じる時に、これをはずして論じることが不可能なキイワードです。もし喜望峰氏ができるなら、どうぞおやり下さい。

また、私は「小日本主義」を受けて、これが実現可能性は極少ながらも戦争回避のための「もうひとつの道」だった、という指摘をしました。
これを私は「戦略的道義戦」と名づけました。
明日論じるつもりでしたが、当時、日本の手元にある数少ないカードは人種差別反対と、植民地解放でした。

日本は唯一の非白人列強として、自ら植民地を独立させるという歴史的偉業を成し遂げることによって、白人列強と対峙しえたかもしれません。

つまり「小日本主義」は、シュリンク(縮小)することではなく、逆に外に虐げられた有色人種の盟友を得ようということなのです。

そのように考えると、「小日本主義」は日本にとって充分に国益上の戦略的武器になり得ます。
そのように石橋を評価する人はほぼ皆無なはずです。

喜望峰さん、「匿名くん」さん。このどこが「寄せ集めの知識のパッチワーク」でしょうか。教えて下さい。

ところで「冴え」があるとかないとか、やめてくれませんか。それはただのあなたの主観ではありませんか。たいへんに無礼です。
主観で、他人を斬らないように。私も生身ですから。

読んでみましたけど、剽窃とまでは思いませんけど影響は受けたんだろうなとは思いました。
取り敢えず言っておきたいのは、石橋は政権の立場に合わせて自分の意見をコロコロ替えるような人間は一番軽蔑したでしょうね。
どこの誰とは言いませんが。

今朝の記事もたいへん勉強になりました。管理人さんの見立てに、なるほどなるほどと思い、そのあと山路さんのコメントを拝読して、そうなのか、と、知らなかったいへん石橋湛山のことを立体的に思い浮かべることができました。
第2次世界大戦の前の日本って、以外とグローバルだったのかなぁ。世界を相手に成長しようという望みが強かったんだなぁと感じました。

左派にとってよく言われていないみたいな西田幾多郎(すみません一度も読んだことないですのに、名前だすのは、ルール違反ですね、ごめんなさい)とか考えることを仕事にしている知識人が考えた日本のあるべき姿って、どのようなものだったのかしら。これからの日本のあるべき姿はどのようなものかしら。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればすべては与えられる」
シンプルだけど、一番難しいこと。かなえられたら、どのような日本になるかな。

喜望峰さんのイチャモンかと思ったら田中秀臣さんの記事を読まれていたのですね。
言わなければ「似ているのは気のせい」と押し通すことができたのに過剰に反応し過ぎなのでは?
最後のメディア批判が特に雑に感じました。

「匿名くん」というHNは止めてもらえますか。匿名は認めていないし、匿名性に守られてとやかくいうわけですね。
それと私が喜望峰氏に「イチャモン」?ぶざけないで下さい。逆です。
だいたい喜望峰氏はまともに記事を読んでいません。
「過剰に反応」ですと?自分で煽っておいて、よく平気でこういうことを言いますな。
きみが煽ったんです。

まぁいいか。「匿名くん」さん、論点を変えましたね。こんどは「メディア批判が雑」ですか。
あなた、この数カ月の私の記事を読んできたのですか。

私が一貫してモリカケで批判し続けた基調は、メディアの腐敗・堕落・暴走です。
日本のメディアはいまや客観的報道機関ではなく、ただのイデオロギー注入装置になっています。

書かなかったけれど、NHKの終戦特集はひどいものでした。
あのような表面をなでたような浅薄な切取による「8月15日懺悔」で、「戦争」が語られることを私は恐れます。

では、メディアの「8月15日懺悔」に抜けているのは視点は何でしょうか?
それはどうしたら大戦を回避しえたのか、です。
回避シナリオの考察なき、ただの「懺悔」は、自分の良心を安堵させるものでしかありません。

私は石橋の「小日本主義」は、いままでの左派知識人の理解から、当時彼が考えていた形をさらに発展させて後世の私たちが考えるべきに足るものだと思っています。

そういうつもりで書き始めたら、いきなりこうですからね。

あのう文章ちゃんと読んでますか?
私は「喜望峰さん」が「ブログ主さん」にイチャモンをつけていると書いたのです。
それに私は喜望峰さんが今回の記事を真似だと言ったのを批判していますよ。
NHKの番組でもかなり踏み込んで石橋についてとりあげたことがありましたし、各メディアのスタンスを十把一絡げにして苦言を呈するのが雑だと書いたのです。
それに一度アップロードした文章を何度も細々と手直しするのはあまり感心はできませんね。
コメントはある種の議事録でもあるので何度も改竄されたんじゃ堪りません。

匿名くん 、イチャモンについては、すいません、間違えました。

で、「雑」とか軽々に他人の文章に言わないで下さい。

あなたは私がどういう気持ちで読むか、まったく考えていないでしょう。だからあっさりと言えます。

お聞きしたいのですが、あなたは高みの批評者ですか。なにかどこかの雑誌に載っている記事を批評する人だと思っているのでしょうか?

違うでしょう。あなたはただのネチズンです。文筆家と、批評者が分離した紙媒体ではない。
こうして、あなたのコメントに短時間で答えがきます。双方向なのです。
善きにつけ悪しきにつけ、ネット言論とはそうなのです。

ならば、言葉を選んだらいかがですか。
不満があるなら、どうぞ言論で返してください。これが大原則です。
あなたは高みから「雑」とか言っているだけです。正直言ってそういう態度は喜望峰さんよりいらつかせます。

「8月15日」で石橋に触れたものがあるなら、どうぞ教えて下さい。そしてその内容と私の記事が噛み合っているか、教えて下さい。

それなくして、「雑」とか言われるのは困ります。


匿名君さま、
管理人さんが指摘していることは、重要だと思います。

 朝に記事を読みましたが、大変興味深く思いました。仕事が一段落して皆さんのコメントなど読んでおります。

 大日本主義がいいのか小日本主義がイイのかは単純には言えないことだと思います。それにしても、戦前には大日本主義だけでなく石橋湛山のような小日本主義もあったのですね。自由な言論があった日本のことを見直しました。

 大雑把な見方しかできませんが、当時に小日本主義でいくのは難しかったのだろうと思っているのです。一片の清涼な風ではありました。理想主義が感じられます。これは、現代でも参考にできる考え方だと思います。

 日清、日露と戦い勝利し領土の拡張をなしとげた国民には理想的な小国民主義を受け入れるのは無理だったと思うのです。

 アジア解放という点から見れば、日本軍が南方地域で快進撃を続け、ヨ-ロッパ列強を駆逐し、そこの国々の独立を促がしたことを評価すべきだと思います。これは、偏に、日本軍が強かったからだと思いますね。

 日中戦争において勝利し、日本が中国を支配下に置こうとしたのではないと思うのです。あんな大きな国を統治する面倒なことはやりたくなかった筈です。中国が友好国として、お互いに独立していようと思っていたと思うのですよ。残念にも、中国はアメリカと手を組み日本に敵対してきましたね。

 日本という国はホントご苦労なことをしてきたと思うのです。明治の時代から、ずっと戦い続けてきたのですね。この戦いの歴史を知ることはとても大事だと思います。
しかし、何のために戦い続けてきたのでしょう。私は大東亜の解放戦だったと結論しております。日本は大東亜解放の使命(方向性)が与えられていたのではないでしょうか。

 現在は小日本主義でいくしかないのだろうと思うのです。これは非武装中立、日本国憲法重視をするというのではありません。十分な軍備を備え、経済力も一流であり、かつこの小日本が世界のリ-ダ-ともなろうとするものですね。

 匿名さん

 喜望峰氏のコメントは論外だけど、匿名さんのコメントも大変失礼だと言わざるを得ませんね。

例えブログ主様が田中氏の記事を読まれて、それに触発されて記事を書かれたとしても、そんな事は何の問題でもありません。

 しかも両者を読み比べた場合、本記事は(同意するかどうかは別にして)田中論考よりもかなり突っ込んだ敷衍や独自的見解があり、そもそもそこの部分が文章の結語です。
ですので、これは100%ブログ主様の論説として間違いありません。

 なお、そもそも田中氏の今回の論説内容自体、目新しい見解ではありません。
 以前から左右問わず、広く石橋の評価として多くの人たちによって既に論じられて来たところのもので、私自身、類似のものを幾つも読んでいますし、ブログ主様もそうでしょう。

なので、ブログ主様が田中記事を読もうが読むまいが田中氏のオリジナティーを拝借したかのような問題にもなり得ません。

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