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« 日曜写真館 メコンデルタにようこそ | トップページ | 山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道 その2 »

2017年9月25日 (月)

山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道 その1  

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山路敬介氏の投稿を掲載いたします。 

篠原章氏の新刊、『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』(飛鳥新社)の書評に止まらず、山路氏の鋭い分析が加わってたものになっています。 

優れた著作に、優れた書評に恵まれたことを心から感謝します。 

4回分割でお届けします。その間、私の通常記事は別途掲載といたします。

              ~~~~~~~~~~
 

書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道  
              ~ 疎外される本土の納税者~      その1

                                    山路敬介

■はじめに
 

ベストセラーとなった前作「沖縄の不都合な真実」から2年半。 8/31篠原章氏の新著「外連の島・沖縄」(飛鳥新社)がようやく出版されました。 

概略のご紹介と私個人の持論も入れて、沖縄とは何なのか?、沖縄の何が問題か? 少々感じた事を論じたいと思います。 

 
篠原氏は「保守派」という括りのある言論人ではありません。
 

沖縄の問題を語る知識人として異例で、左右いずれにも後ろ盾となるような団体性はなく、権力的な方向に寄る傾きもありません。 

強いて言えば、他の人よりも思想的には個人・自由・民主主義的傾向を強く矜持としているように見る事が出来ますが、その書いたものから特段の「色付け」は伺えません。

かく言う私も保守派とは言えませんが、篠原氏の「米軍基地を(さらに本格的に)減らすためには~云々」との命題を掲げる発言を度々されるところから印象し察するところ、「SACO合意以上の米軍基地の削減はやるべきではない」と考える私とは根本的に意見の相違があるのだろうと考えています。

しかし本書での沖縄の深奥に迫る現状認識や歴史的経緯への洞察はきわめて深く、しかも完全に納得出来るものだし、かつ様々の理由から結論として「補助金は沖縄の為にならない」と言わざるを得ないのであって、そこも完全に一致します。

日本人は沖縄に多年にわたる特別の愛情を注ぎ込みながらも、彼我の違いを簡略化した一面的理解しか持つことはなく、要するに「自分好みの絵ヅラ」に当てはめて考えて来たのではないだろうか?
 

日本政府は沖縄の本質的問題を理解せず、あるいはそこをスルーして対峙して来なかったゆえ、今だに安全保障を一地方に人質として取られ続ける失態を補助金で糊塗し続けるが、もはや限界を越えているのではないか? 

沖縄県や沖縄の為政者の「外連」は明らかだが、主権者である沖縄県民自身が果たして民主主義の義務と責任を果たして来たと言えるのか?  

また、その結果として自主的・主体的な生き方を見いだせていないとすれば、それを阻害し縛り付けているものを歴史的要因の中からも正して行かなくてはならないのではないか?

これらの問いは非常に深刻な意味を含み、本書は多額の補助金の交付を中心とした従来型の中央の沖縄関与の方法が、「基地の問題」とはまったく別の次元で沖縄をダメにし、交付する金員の意味を曖昧にしてやればやるほど、結果的に日本と沖縄を「別個の意識下」に置く事になる構造を明らかにしたものです。

無理にでも本書の難点をあげるならば、著者は普通一般の沖縄県人よりも沖縄の事を深く理解して在りながら、自身が沖縄県人ではないだけにいわゆる被支配層一般へ向けた責任の言及が少なかった事になるかと思います。
 

なお、「外連」(けれん)とは、簡単にいえば「ごまかし」、「はったり」、「いかさま」と言う意味だそうで、私はこれを膝を打って得心するほどに「当を得た表現」であると思い、
ほぼ全編にわたりその事例が十二分に実証性をともなって行き届いている事が特筆される点と思います。
 

 
本書が、(これまでの沖縄関連本を見ればわかるように)公平に論じられた本格的な類書もなく、土台となる先行した研究や評論もほぼ皆無の中で、飛び級的に問題の核心に迫る事が出来たのは奇跡的です。

それは、多種多様の「ニセ沖縄愛」を表明する知識人・言論人・マスコミ人・本土からの運動家らとは違い、長年にわたり好悪を越えた深い地点から沖縄の「酸い甘い」に浸り切って来た著者の経験からの結果からによるのだろうと思います。
 

それだけでなく左右いずれにも属さない立ち位置も必須条件であったし、沖縄取材において特に重要な事は「嘘つきたちの言う建前」からでも、「本音」を的確に拾い上げる悟性が必要で、筆者にそれが備わっていた点が大きかったと言えます。

 普天間基地跡地利用に関する経済効果評価書は「ウソのかたまり」
 

 
すでに良く知られるように沖縄県議会事務局が普天間跡地利用の経済効果を野村総研に依頼して、その結果の馬鹿げた数値を公表し日本中に恥を晒した事がありました。
 

そもそも一見して実にお粗末な代物で、県民なら誰もが「そんなハズはないだろう」と直感的に肌で感じられるものでした。

それでも議会が責任持って発出した数値だし、シンクタンクのネームバリューもあったのでしょう、この調査結果を根拠とした論説が本土でも多数出始めました。

しかし、財政学者でもある篠原氏が前作その他において徹底的にその問題点を指摘され、以来この調査結果を論拠に使う言論人は、イデオロギーに塗れた厚顔無恥の輩しかおらなくなりました。
 

 
このようなイカサマで恣意的な調査結果を得るために多額の税金が使われたのですから、県民は誰がどういう目的で、どういう前提を付して野村総研に依頼したか、その点を明らかにして責任を問うべきところでした。
 

しかし、そもそも県議会・県庁・知事・マスコミ総出の一丸となった「外連」だし、沖縄県ではこの手の「責任追及」は二紙が乗り出してこない限り望むべくもなく、そうした声はとうとう起こりませんでした。 

 
この例の場合、保守も革新もその垣根はなく、「公」はともかく「民」も同調するような「一体性」を見せたは事は特に留意が必要です。
 

県議会がこうした欺瞞的な調査・発表を行った理由は、表向き「普天間の早期返還を促すため」ですが、それだけでなく各人各派の思惑は様々でした。

ただ、そこに通底する「補助金獲得に資する」ための共通了解は暗黙のうちに確固としてあり、それが全県的にあのような「ウソ」を平然とまかり通らせた原因だと言えます。
 

何事につけ暗黙のうちに「金づるとしての日本政府」を横目で見た、要するに日本を対位的視点から見る事を離れられず物事を捉える事、それをそうは見えないように宣伝と嘘でくるみ、そうする事によって利益を得る「身についた体質」がこの「外連」を行わせしめたと思うのです。 

 
■ 沖縄は「優遇」されている
 

 
近年は本土の保守派を中心に「基地が在るからといって、沖縄県は優遇されすぎているのではないか?」という、きわめて健全で当然の疑念が発せられるようになりました。

こうした声を警戒する、反論となる沖縄県庁の公式見解はこうです。
 

≫「平成27年度決算ベースで、沖縄県の国庫支出金は全国10位。
 地方交付税まで含めた国からの財政移転は全国12位。
 また、人口ひとりあたりで比較すると5位で、復帰後一度も全国1位にはなっていない。」
 と、します。

本土の有識者やマスコミ関係者など一般のリベラルな人たちは、一部本土保守派の論調に対し、この沖縄県庁の見解を口を揃えてなぞります。
 

しかしそれは無知とはいえ、明らかに沖縄県による「事実の隠蔽」にまんまと引っかかり、もしくはそれに意図的に加担する行為です。

この事は本書第7章で詳しく論じられているとおり、県による「沖縄への批判をかわすため」の詭弁にすぎません。
 

合算する必要のない地方交付税を合算し、高率補助や一括交付金の存在に一切触れもせず「沖縄県は特に優遇されているとは言えない」と言い抜ける事で、問題を顕在化させないように隠蔽・糊塗する念入りに工夫された「操作された論述」です。 

 
沖縄県への優遇措置はそんなものだけでなく、酒税、揮発油税、航空機燃料税、石油石炭税、NHK受信料の軽減措置、別口の防衛省からの補助金事業等々、数え上げたらキリもありません。
 

しかし私はこれを「全て無くせ」などと言っているのではありません。 

必要で妥当な政策ももちろん多いし、「米軍基地が存在する事の対価」である事が明瞭となり、そのうえで数量的な妥当性が国民的に認識される限りこれを容認する立場です。 

しかし、こうした事実を隠して物事を運ぼうとする県の姿勢が「外連だ」という事は言わなくてはなりません。

本書によれば同種の沖縄県庁による統計上のトリックは、沖縄経済の基地依存度を5%とした点にも現れています。
 

これも事実上、基地が存在するがゆえ支払われている振興予算をすっかり除外する事による「意図的に操作された数値」だと言えます。

翁長県政の目玉、法廷闘争

なお本書は第2章から約100P分にわたりこの2年半の翁長県政のイカサマぶりを克明に追っており、その解説としても記録としても秀逸です。
 

これにくらべて、これまで私が「ありんくりん」で度々書かせて頂いた沖縄県・翁長知事の馬鹿げた訴訟合戦とその法廷戦術についての解説は非常に分かり辛かったと反省しきりでして、お恥ずかしい限り。 

本書では特段の法律知識がない場合でも、とてもわかりやすく時系列的に要点も簡潔にまとまっていて、もう私の多量の手持ちの資料も捨ててもいいかなと思いました。

ここで詳細は書けませんがご興味ある方はここをじっくり読まれる事で、その表出される言葉や行動とは裏腹に翁長氏がいかに愚劣なハッタリ屋か、司法制度を目的外利用し、果たして日本の司法そのものを汚し、いかに日本中に「沖縄の品位」を貶める所業を行ったか良くご理解頂けるものと思います。

あわせて、それならなぜ翁長氏はそういう愚劣な行動をとったのか? それを県民はやや容認しているように見えるのは何故なのか? と、考える所からこそ沖縄理解の端緒が開かれても然るべきだと考えます。

沖縄の為に何をしてくれるのか?
 

 
 「お前はいったい沖縄の為に何をしてくれると言うのか?」、「いやなら米軍基地をすべて本土に持って帰れ!」等々。
 

このような言葉を当の県民から投げつけられたら、あなたならどうしますか?

答えを発する以前の問題として、そういう問いを臆面もなく投げつける事の出来る相手の傲岸にして恥知らずな人間性をまず疑うでしょうし、そのような異常にたじろぎ、ひるんで、かかわり合いになりたくないゆえに、黙してこれを遠ざけるようにするでしょう。
 

 
しかし、本土のリベラル系の知識人はじめマスコミ関係者や、自分勝手な正義を標榜する人たち、似非反差別者たちやネットスラングでいう「意識高い系」は違います。
 

彼らは狭小で偏頗な民主主義理解しか持たず出来ず、かつ浅薄で一面的な歴史理解ゆえ、機会主義的で自己拡大欲求を満たす事の出来る「お手軽な道具」として沖縄問題をあつかい、あるいは「長いものには巻かれろ」精神から深く考えもせずに、このような言質に簡単に迎合してしまうのであって、迎合しないまでも「一理ある」と簡単に考えてしまうのです。 

まことに「軽い正義」であるとしか言いようがありません。 

彼らは、そのほとんどが自己の利益のためにする目的なのであって、ニーチェが言う「同情する事によって至福を覚えるような、哀れみ深い人たち」でもあるのです。

こうした言葉を投げかけられるのは沖縄に多少の疑義を言う知識人達の宿命のようなもので、いわば「踏み絵」だし、被害者ヅラした人間が行う「被害者優位の論法」に立ったある種のマウンティング行為でもあります。

著者(篠原氏)もそうした洗礼を受けた例外ではありませんでした。
 

問題は、このような薄汚い言葉を実際に吐くのは運動家相当の人達とまず相場は決まっておりますが、言葉にせずとも「本土に何かをしてもらうのは当然だ」と、漠然と考える県民がまだ多くある事なのだと思うのです。

著者はそうした場面に遭遇するたびに考え、結果として「沖縄の心」とは都度公式に説明されるような「平和を愛する心」などでは決してなく、「愛されたい心」こそ「沖縄の心」なのだと確信するに至ります。
 

これもまた仮象の姿であり、「外連」の一節です。 

                                           (続く)
 





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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

 外連の島・沖縄を購入いたします。

 沖縄の基地が返還されたら今までより沖縄の経済はもっと発展するの理論(盲論)に最初に反論したのは又吉康隆氏でした。この県議会事務局作成の発展理論に対する反論が県内の学者たちから一つもない状況に対し又吉氏はけしからんことだと言っておりましたね。沖縄の学者はなにをしているのかと。

 又吉氏とはこの件に関して意見交換もしたことがあります。又吉氏の議論も正論だと思うものの、総合的、体系的な構成にはなっておらず少し足りないものを感じてはおりました。専門の経済学者ではないのですから仕方がない面もあったかと思います。

 篠原氏の「沖縄の不都合な真実」も読ませていただきましたが、沖縄の支配層を資本家と公務員たちと二分類の類型を示しながら論じていることには納得がいきませんでしたね。沖縄の世論形成はそんなに単純な類型では論じられないでしょう。ほかにも世論形成の原因がある筈です。

 今般の新刊では沖縄への過剰な国庫負担について数字を挙げて論じているのではないのかと期待をしております。沖縄の学者たちが国庫金支出が極端ではないという理論を唱えることがたまたまありますが、これは欺瞞だと思いますし、誠実な学問的態度ではないと思っております。

 

興味深い書評をありがとうございます。続きも気になりますが、まずは書籍を確認したいとも思います。

初めてメールを差し上げます。
良質で高レベルのブログとかねてより時々読まさせて頂いております。

篠原章氏の著作に関して、山路敬介氏の的を得た書評であると感じました。

沖縄県民の一人として痛切に思うことは、「閉鎖的な沖縄言論界」です。違う意見を持つものが集まり「議論」もなされない。基地問題ひとつとっても「反対派」「容認派」「賛成派」「よく分からない派」が一堂に会しての「議論」すらさえ出来ない(やろうとしない)この現状です。何故やらないのか?やれないのか?を少し考えれば自ずとその答えは見え隠れしてきます。

沖縄の補助金体質は政府と県との「共犯」で成り立っているものと思います。政府の「沖縄への忖度」と言葉を換えてもいいかもしれません。こと税金が絡むわけですから、つまりは、日本国民全体の問題でもあるわけです。「納税者視点」で現在の沖縄への補助金全般と税金優遇政策を考えれば、どうであるのか?を改めて考えてみる必要はあると思います。

「沖縄の不都合な真実」同様に、沖縄県民へ対して「あなたたちはどのように生きたいのですか?」と問題提起している、と感じました。ともあれ、県2紙を始め県内のメディアは、先のベストセラーの著書をまともに「取り上げてもない」状況でしたので、今作も同じように「スルー」でしょうかね。論壇で激論するのは、高望みというものでしょうね。その程度の沖縄の言論界だということでしょう。

 山路さんのおっしゃること同感します。続きも楽しみにしております。

 県議会事務局の基地経済論は誤っております。常識ある県民なら直観的にも分かり得る過ちをおかしております。このことに対し、県議会事務局の責任を問う行動が必要だと思っております。

 狼魔人日記の江崎氏が県知事の国連出張を裁判にかけると主張しておりますが、県議会事務局のこの愚挙も責任追及の対象に十分になり得るものです。これの被害は大きいのです。

 糸数参議院議員は、この県議会事務局の理論を選挙戦で使い、基地はない方が県経済にとって良いのだと演説もしたものです。大田前知事はこの県議会事務局作成の報告書を材に基地不要論を新聞で唱えましたね。私の地元の経済人である照正組の社長もこれについて言及しましたよ。

 風説でしかないものを真に受けてしまう浅はかな知識人は沖縄にも多いのです。

 今後私たちは、誤った理論であると思われるものには徹底的に対抗していった方がイイのではないかと思っております。

 「外連の島~」が私たち県民に語りかけるものは総じて、
≫「沖縄県民へ対して「あなたたちはどのように生きたいのですか?」と問題提起している」

宜野湾くれない丸さんが言うように、この通りと思います。
 つまりは、我々県民の「生き方」を問うているのです。
我々の主体性とは何か? 民主主義とは何か?それは、県民の側からこそ発せられなければならない事です。

その意味でueyonabaruさんご紹介の又吉康隆氏は、「内なる民主主義」という、正しく沖縄問題の極点をついた提議をしていると言えますね。

狼魔人日記の江崎氏もそうです。
もし、沖縄県民が正しい生き方をしていて、民主主義を大切に考えているなら、「知事の国連出張」を糺すべき事は「重大な一歩」になるだけでなく、放置すべき事柄ではありません。

次の衆院選で富川某という若者が幸福実現党から立候補するようですが、彼の主張は「下地島を自衛隊航空自衛隊基地に」と言うものです。

現在の沖縄と日本を取り巻く環境を考えたとき、どう考えてもまっとうと言わざるを得ない主張です。

ところが意識下ではともかく、国から出る政策でもなければこれを考えもせず、こうした意見を相手にもしない言論空間が構成されてしまっているのが沖縄です。


はじめまして。
90年代~00年代の一時期、10年近く沖縄県民だった、地方民です。
私の知る限り、沖縄の人は東京大阪名古屋だけを内地と思っている節がありますね。沖縄本島に限れば、インフラや各種税優遇など内地の田舎民が渇望しているものを享受している認識が薄いです。むしろ、基地があるんだから当たり前みたいな事を言う人もいました。

大好きな場所ですし、私にとって、人生の転換点になった場所です。大好きな友人もたくさんいます。
それでも、米軍基地=悪、の表面的には統一された思想を「ちょっと違うのでは?」という話ができない限り、内地の活動家に食い物にされるのではないでしょうか。
本島でも南部、中部、北部で基地に対する捉え方は違うと言うのが私の認識です。離島もきっと異なるでしょう。

沖縄の友人達が、現実を見据えて本音を言える日、沖縄の未来のための先入観のない議論が出来る日が早くやってくることを祈っています。

記事の感想からかけ離れたコメントを長々と投稿して申し訳ありません。

山路様

人事異動で新しい環境に馴染むのに精一杯でとても投稿できる状態ではありませんが、今日は仕事の疲れも忘れるような記事でした。
私の頭の中で、何かおかしいと感じてはいるがうまく説明出来ない。
本日は、目から鱗で頭の中のもやもやがスーと整理されたような気持ちです。
篠原氏の本も是非読んでみたい。
ありがとうございました。

山路様

沖縄のことをうまく説明できないと書きました。
何故かと言いますと、私が沖縄で一緒に汗を流した仕事仲間は「あいつら(沖縄左翼の事だと思っています。)の言うことはみんな嘘だ。」と言います。
一方で「ヤマトンチュー(本土人)は汚い。信用できない。」と言う声も多く聞きました。
そのギャップを本日の記事で理解しました。

>「平和を愛する心」などでは決してなく、「愛されたい心」こそ「沖縄の心」、これもまた外連の一節
納得しました。後半二回も楽しみにしております。しかし、これは根が深いです。

君の見解の薄さには飽き飽きするよ、文章は長いが中身は空っぽで読んでて疲れる割には得るものが全くない。
篠原の嘘を1つ指摘しておく、ある地上波で篠原が普天間の人口を聞かれた時に宜野湾市の人口を持ち出して大幅に増加中してると詭弁を披露していた事がある、普天間と宜野湾市をごちゃまぜにしてい視聴者を騙す悪質な詭弁だ、宜野湾市全域が基地の被害を受けているわけではないし、宜野湾に隣接する市町村も基地の被害を受けているエリアもある。
そもそも米軍は行政区を区切って訓練してるわけではないのだよ。
最後に一言、普天間の人口は減っているのが事実だ。

連投で申し訳ないがもう一つ指摘しておく。
普天間基地が儲るから住民が住み着いたという嘘のしてきだ。
元々普天間基地は空軍が年に数回パラシュート訓練するだけの危険性の少ない基地だった、そこでの雇用なんて管理に必要な僅かの人数だ。
普天間が今の様な危険な基地になったのはハンビー飛行場が返還された事に起因する、ハンビーが返還された為に海兵隊が普天間基地に移動して今の様な形態になっただけの話だ。
歴史を知らない人が勝手な妄想を含まらせていい加減な事を言われては迷惑だ

嘘路氏

私の書いた記事についての反論ではないようなので、詳細は控えますが、貴殿はもうすこし勉強なさった方がいいと思います。
老婆心ながら。

嘘路氏へ。なにを言いたいのかさっぱりわかりません。
この論考は篠原氏の著作に対しての山路氏の書評であって、それに対してコメントを向けるのが常識です。
篠原氏の批評を書いた山路氏に「シノハラがぁ」と言ってつっかかっていくことなど、お門違い違いもいいところです。
常識をわきまえなさい。

篠原氏の書評に関して、様々な感想やご意見があろうかとは思いますが、ここまで内容を掘り下げボリュームがある書評は、山路様のものだけだと思います。この事だけでもちゃんと評価すべきことだと私は思います。

>「お前はいったい沖縄の為に何をしてくれると言うのか?

私は自分の足で、この二本の足で、立ちたいのです。先ずはそれです。そして、少しづつでも歩きたいのです。立ち止まるのも進むのも自分の意志をもってしてやりたいのです。

>篠原氏は「保守派」という括りのある言論人ではありません。

私もそれを感じました。右だの左だのといったことに囚われている時点で、既に思考停止だと思います。そんな枠組みはもう過去のものだと思います。

最後に一言、
「普天間爆音訴訟団に入らない。賠償金もらえるかもよ」と誘われたことがあります。もうそんな生き方やめましょうよ。

 宜野湾くれない丸さん

宜野湾くれない丸さんは、「外連の島」をすでに読まれたように拝察いたしました。
そして、あの本から沖縄県人として私と「同じ感じ」を受け取っているように思います。

私はあの本から「刺された」、という感じがどうしても強くしてしまうのですね。
言い方を変えれば、あれによって「沖縄県人に引き戻された」と言ってもいいと思う。

以前、宜野湾くれない丸さんは「沖縄県人の議論下手」というか、議論に詰まると爆発してしまうようなメンタリティーのある事を話した事がありましたよね?

八重山日報の仲新城誠氏が、石垣市のひとつの現状をさして正論11月号の188Pでこう述べています。

≫「沖縄で生まれ育ったウチナーンチュに対し、移住してきたナイチャーがいつしか主導権を握り、現地のウチナーンチュを糾合し、反基地活動や反リゾート開発運動に駆り立てる。
そんな光景を私は何度も目撃して来た。」
「弁舌のさわやかさ、メディア活用の巧妙さなど、ナイチャーの能力は、しばしばウチナーンチュを圧倒する。「理屈ではナイチャーにかなわなさぁー」。ウチナーンチュたちはそう慨嘆しながら結局はナイチャーに従う」

きちっとした議論は「納得」と「相互理解」、民主主義の根幹であるし、そこが苦手なのが沖縄県人の欠点です。
そもそも議論は歴史的に支配層の専売特許だ、と思っているフシさえあると見えるんですね。

議論しないから本質も見えないし、完全に納得もしていない。
結局は「自分自身」も確立出来ず、二紙などに歪められた方向に引っ張って行かれる要因となるんです。
結果、愚かにも「賠償金もらえるから、普天間爆音訴訟団に入ろうよ~」という、短絡的な事になるのです。

ところがですね、そうした抑圧甘受志向は人間の鬱憤を溜めますね。
金銭で解決する手段も「説得」と「納得」の一つの有効策ですが、人間は理が立たないと腹に落ちませんし、金員の使い道自体が上の方で滞留しているのが現実です。

このままでは、米軍基地を沖縄からさらに減らそうと行為するとしても、それは県民の総意によってでは有り得ない。
問題は県民の民主主義意識の中にある。
こういう事を篠原氏は言っているのだと、私は「外連の島」から読んだワケです。


山路さん

山路さんの言葉を借りれば、私は「深い愛情」をもって「刺された」とでも言うのか、そのように感じます。凡そ真逆の事を感じ思う方もいらっしゃるでしょう。でも、それを「ヘイト」だの「ヘイトを煽る」だのと大きな声で叫ぶのが「単純」でなおかつ「思考停止」状態だと思います。私は恥ずかしい気持ちでいっぱいです。

もっと言えば「悪口」も「プラスパワーに変えてしまう強かさ」を持ち得なければ、この先、生き残れませんよ。

確かに「饒舌なヤマトンチュ」はそれはそれは大勢おります。しかも、その人たちの誰もが「良き隣人」とは限りません。少し社会経験のある人であれば、このような事は肌感覚で分かるようになっていくものです。
理路整然と起承転結はっきと主張されるのが「怖い」のだろうと思います。言葉へ対しての「恐怖感」がDNAに組み込まれているようなものさえ感じます。

基本的に、シマンチュは言葉や文字で自身を表現するよりも、歌や踊りや運動で表現することの方が得意だと思います。でも現代を生きていく上では、ひとつよりは、二つの方法、三つの方法を持ち得た方がいいに決まっているし、その方が「世界が広がっていく」、ひとつしか持ってないと、それを奪われたときや、否定あるいは受け入れられなかった時に「恐怖」を感じ、パニックに陥ってしまう。

つまり、シマンチュは、社会的なコミュニケーション訓練の未熟さがある、という事です。「未熟」を「はにかみ屋さん」と受け取る事もあるでしょうが、このような未熟さが、底辺にあり、なおかつ劣等感がその上に被さっている。明治以降「日本人になりたい」という希望が強すぎたが為に、ちょっと上手く行かないと、それらは全て偏屈で歪んだ劣等感へ増幅していく。復帰以降はその構造の更に上に「補助金」や「優遇策」という「見通しの甘かった(必要以上でもある)国策制度」を政府は実施したし、米軍基地の存在も複雑さを増大させた大きな要因でもある。

民主主義意識が「無い」あるいは「低い」のであれば、それを「構築」して行こうではありませんか。「無い」ことをマイナスに考える「癖」は「もう捨てましょう」。血を流し民主主義を勝ち取ってきた歴史をもった世界各国の「見本」を私たちは沢山持ち得ているわけですから、「血を流さずとも」私たちはそれを構築する事は「出来て当然」です。

「自分の足で立つ」と決めて、その為には何をどうすればいいのかを揶揄されようが、貶されようが、からかわれようが、「自分の二本の足で立ち上がる」事が最も重要な事なのではないでしょうか。「自立」するためには、先ずは「自律」です。このような事を篠原氏の著書並びに山路さんの書評で感じた次第です。
長くなりました。すみません。

 宜野湾くれない丸さん

同感ですね。

私はあの本で、「これまでの、モヤモヤしていたものが晴れた」というか、ようやく「結論が出た」という気持ちが強くしました。

書いたモノは著者の意図さえ離れて幾重にも意味を成していくのも宿命で、そこには私や宜野湾くれない丸さんのような感想と真逆の読み方をされる人もあるでしょう。
しかし、いまに分かる。 
最終的には、100%理解されるものと思いますね。

沖縄県人の敵は沖縄県人自身の心の中に在り、自分自身をこそ見つめ直さなければならないという事。
その弱さゆえ、沖縄県人は「向き合うべき対象が何であるか」すら見えなかったきらいがあります。

「自立」と「自律」。
この二つは切っても切れず、その点も宜野湾くれない丸さんと同様に最も大切に感じられました。


山路さん

「バカが少し利口になった時っていうのがいちばん怖いんだぜ。バカを突き放すのではなく、バカのパワーを持ちながらも少し利口になれるということ。賢くなりすぎると、今度は行動ができなくなるからな。お利口さんは意味づけをしたがるけど、バカっていうのはすぐ行動に移すんだよ。これからは行動するバカが増えてくる時代だ。」

「あくまで個人の意思だ。組織としてやったら単なる社会運動と一緒だぜ。計画的な反逆はダメなんだよ。権力側は強いからな。個人的に、不満の解消方法をもっと鋭くしていかなきゃいけない。」

「お前はお前のロックンロールをしろ!」

知人のアジテーターが叫んでた言葉のいくつかです。亡くなってもう27年になります。彼の言葉には「ハッ!」とさせられることが度々です。

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