山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道 その3
山路敬介氏の投稿の第3回を掲載いたします。
当初4回完結と思っていましたが、内容的なまとまりを重視して、5回分割にいたしました。
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■書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道
~ 疎外される本土の納税者~ その3
山路敬介
承前
■ いかに多額の補助金を得ても、多くの県民の生活は一向に良くなる事はない。
沖縄とは不思議な県です。
基地があるゆえの本土からの潤沢な補助金は使い切れないほどなのに、貧困率は日本一です。
一方、一千万円以上の所得者の率は日本で五指に入ります。
それでありながら常に平均所得は全国最下位辺にあるのですから、いかに多くの人が貧困ランクであるかがわかります。
つまり沖縄は抜きん出た「格差社会」なのだ、という事です。
そうした問題から語られるのは常に政策の不備の観点からですが、沖縄においてはもう少し複雑で、歴史的・社会風潮的な面からの観点も外せません。
本書において著者の篠原氏は「支配者層」というワードを二回用いました。
最初はエスタブリッシュメントとしての意味で、「外連」を仕組んだのは彼らであったと指摘します。
二度目は沖縄の「支配者層」の範囲として、そこに公務員までを含めた定義をしました。
これをお読みになる皆様は「支配者層」とか「被支配層」という表現を「古臭い」と思う方もいらっしゃるでしょうし、「左翼用語ではないか」と目を剥く人もいるでしょう。
あるいは、「沖縄であれ、民主主義国家システムを採用した日本の一地方なのだから、そのようなヒエラルキーが今や存在するハズがない」と断ずる方もいるでしょう。
確かにそれもそうですが、それでも私は沖縄を考えるときは例え一旦は二分論的誤謬に陥るとしても、現在においても歴史的観点からも「支配者・被支配者」的問題の立て方も有為であろうと考えています。
本書では上掲以上多くの意味を込めて述べられていませんが、補助金を軸に支配者は「補助金を持ってくる者、それを配分する者、直接的に補助金の恩恵を受ける者、税の軽減などを受ける事業者」と雑駁に規定出来ると思います。
対する被支配者はそれ以外の普通の一般労働者で、その両者の溝や所得格差は本土におけるよりも金銭的だけでなく精神的にも深く、それが貧困の実態をもたらしている要因となっている面が大きいのです。
また沖縄は本書で指摘されるとおり生産性が低く、付加価値が高い商品を生み出す産業構造になっていない不安定さがあります。
そこから沖縄では経済学でいう「トリクルダウン理論」が下層まで行き届きづらい社会だと考えますが、それだけではありません。
証明困難ですが、私は支配被支配いづれの層にも前時代的で封建制の残滓みたいなメンタリティーを許容する雰囲気があると思っています。
そこへ生産性の低さゆえに不安定を憂慮する保守的姿勢も加わることで、資本の回転や長期的人材投資に振り向けるよりも、蓄財と家族優先主義的な守りの経営を好み、賃金の手当が最下位課題にしかならない原因が融合されて来るのだと考えます。
問題は、過度な補助金の存在や税金の軽減措置が本来あるべき基幹的で生産性の高い産業の育成を結果的に阻害しているのだという事、精神的にも旧弊を拭い去れない方向に作用してしまっている事を認識する事だと思います。
(続く)
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コメント
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>証明困難ですが、私は支配被支配いづれの層にも前時代的で封建制の残滓みたいなメンタリティーを許容する雰囲気があると思っています。←
たしかにこれはあると思います。
あと、諸産業の生産性の低さは人的なものもありますが、沖縄の気候と地理的なものも影響すると思います。
続き楽しみにしています。
投稿: やもり | 2017年9月27日 (水) 10時05分
やもりさん
ありがとうございます。
ご同意頂いた「前時代的で封建制の残滓みたいなメンタリティーを許容する雰囲気」ですが、それが何に由来するのか? そこが問題の根本かと。
私の見るところ、どうもかって本土のどこにもあった「閉ざされた山中の田舎集落」におけるそれとも違うのです。
あと、「生産性の低さ」と気候や地理条件の関係ですが、私たちはこれを東南アジアの国々を普通に思い浮かべる事で感じられる事だと思うのですよね。
ただ、沖縄県で一番に生産性が高い地域は大東島なのですよ。
左翼ならばすぐに「大東島には米軍基地がないから」と即答しそうですが、違いますね。
わかりやすく言えば、大東島の人たちはフロンティア精神のDNAみたいなものを、今だに保持し続けているからだと思うのです。
少なくも、気候や地理的条件と生産性との相関関係は一概に結び着けられません。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年9月27日 (水) 14時18分
山路さん、コメントありがとうございます。
そうでしたね。南北大東島は絶海の孤島です。
そこは沖縄本島、宮古八重山の周辺離島よりも、はるかに地理的に、気候的に不利な場所です。その二つの島は明治期からの東京八丈島の移民による開拓から始まっています。数百年に及ぶ琉球王府時代の圧政を経験をしていない島です。
大東島には行ったことはないのですが、そこの出身者とお話をしたことがあります。ご本人のもともとの性質もあるとは思いますが、変に社会に対しての捻くれというか、僻み根性が見当たらなかったというのが新鮮に見えた思い出があります。
山路さんコメントの
>私の見るところ、どうもかって本土のどこにもあった「閉ざされた山中の田舎集落」におけるそれとも違うのです。
その部分、私も同じように感じています。
夫側の親族がそれこそ平家の落人伝説があるような山のまた山の中という田舎に住んでおり、お祝い事や法事の度に行くのですが、閉ざされ方が違うのですよね。
沖縄社会の閉ざされ方と何が違うのか、漠然としてわかるけどわからない。そのことを考えると陰鬱とした気分になります。
投稿: やもり | 2017年9月27日 (水) 16時00分
大東島の生産性について少し話をさせて頂きます。
大東島はサトウキビ産業がメインの島で耕作面積の9割近くを占めていると思います。近年カボチャ、馬鈴薯などが増えているみたいですが、やはり沖縄県でも干ばつの酷い地域で今以上の普及は見込めないと聞いております。
そのほかの産業をみても公共工事などを生業とする建築業が占めていて、サトウキビを含め非常に補助金依存度の高い島だというのが私の認識です。 フロンティア精神と仰りますが、沖縄県でも特殊な地理的条件下にありますから、商店等の仕入れ輸送費補助、農林水産物の輸送費補助、燃料の輸送費補助、色々な補助によってその生産性を保っているようです。
ですから、フロンティア精神と言われれば少し違和感をおぼえますね。
一人当たり所得も県内トップですが、真に生産性が高いとは言えないのではないでしょうか?
投稿: 八重瀬民 | 2017年9月27日 (水) 17時08分
やもりさん
いやもう、同じような観点から同様に考えていらっしゃる方が、このブログのコメント常連さんにいらっしゃる事がとっても嬉しいです。(万歳!)
大東島は、
≫「数百年に及ぶ琉球王府時代の圧政を経験をしていない」
本土の地理的に閉ざされた田舎は沖縄とは、
≫「閉ざされ方が違う」
まったく同意です。
おっしゃるように南北大東島は八丈島の移民から始まっていますが、続いて宮古・八重山からの移民も多くありました。
八重山の事は分かりかねますが、宮古については琉球時代末期から、特に本島よりも薩摩の直接的影響力が大きかった地域だと調べました。(「だから宮古の人間は怒りっぽいのだ」などとかつては言われたくらいです。(笑))
つまるところ大東島には旧琉球士族が渡った形跡もなく、その影響力が皆無であった事が幸いした、と言えるのではないかと思いますね。
それと、本土の田舎と沖縄社会の閉ざされ方が違うのは、封建時代の経験や質の違いによるものと思っています。
琉球王朝時代も広義の意味では「封建時代だった」と言えると思うのですが、本土のそれとは明らかに違います。
琉球はむしろ原始共産制に近く、民に対しても中国の「愚民政策」に近い扱いではなかったか、と思うのです。
しかしまぁ、私の力量ではそれも証明困難なのですが。(笑)
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年9月27日 (水) 17時39分
八重瀬民さん
おっしゃるように大東島ではサトウキビ産業がメインだし、建設業も重要な要素ですね。
つまりは補助金を利用する事は外せないのだし、それは離島の宿命でもあります。
生産性を上げるために補助金を如何に有為使うか、という事が本島や宮古では出来ていなく、結果的に最終目的の住民所得向上に結びつかないのが現状です。
観光業やサービス業にいくら特化しても雇用こそ生みますが、労働生産性に結びつきません。
むしろ、労働生産性向上・住民所得の面からみると足枷ですらあると言えます。
その点、大東島では本島や我が宮古島よりもはるかに土地改良が進んいて、ハーベスターが利用しやすいように農地を効率化するなどして、最小の基盤から最高の収益を上げる努力を常に怠りません。
一概に土地改良といっても、そこには農業者の理解と協力・負担がなければ行えない事業で、この面でも中々理解が得られない本島などよりも遥かに優位にあります。
輪作もそうですね。
キビ畑で馬鈴薯やかぼちゃを作るなんてことは、本島や宮古島では有り得ないですよ。
それこそ最大の結果を希求して、長期間研究と実験を重ねた努力の結果ですよ。
それにしても、おっしゃるように地味が痩せている場所も多く限界もあるので、近年ではキビを利用したラム酒生産などに乗り出しています。
そうした努力のひとつひとつは、小さな結果しかならないように見られがちですが、何といっても人口が少ないので、我々が考えるよりも遥かに労働生産性を押し上げることに寄与しているのです。
このように不利な条件からでも、豊かさを求めて不断の努力と協力体制を続けるメンタリティーが、歴史的に見てフロンティア精神から来ているのではないか? と言っても、それはあながち間違いではないと思うのですが。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年9月27日 (水) 19時02分
山路さん
> 琉球はむしろ原始共産制に近く、民に対しても中国の「愚民政策」に近い扱いではなかったか、と思うのです。
大変興味深い見方ですね。琉球史あまり知らないのですが、明治の頃、上杉県令でしたか、沖縄の庶民の貧しさに驚いたということがあったそうです。そして、県令は県民のために私財を投じたという話も聞いおります。私の琉球時代のイメ-ジですが、士族は昼間から酒を飲みながらゲ-ムに興じていたという当時の欧米人の報告もあり、いったいどんな琉球だったのかと不審な思いがあります。
封建時代というと身分社会でありますが、当時の琉球は身分社会であることはそうなんでしょうが、本土の同時代に比べると、産業もなくて、商業活動も見るべきものはなかったのでしょうね。狭い土地での閉ざされた社会ですから、貧しいものだったことは推察できることです。原始共産社会に近いものがあったとも考えられますね。地続きの本土社会は隣接藩との交易もあり広範囲での経済活動があった筈でその点琉球とは異なりますね。ここら辺り、テ-マにしてみたいですね。
> そうした努力のひとつひとつは、小さな結果しかならないように見られがちですが、何といっても人口が少ないので、我々が考えるよりも遥かに労働生産性を押し上げることに寄与しているのです。
大東島の方々は努力しているようですね。裏作でジャガイモやカボチャなどを生産することは、少額なりとも沖縄県の富(GDP)の拡大には通じるものです。ラム酒の研究・開発もトライしてもらいたい。
沖縄の老人は農業生産に貢献できるような体制が必要だと思います。老人が月に3万円の稼ぎをすると決意するだけでも、沖縄の人たちの意気は上がると思いますよ。補助金頼みだけでは決して豊かにはなれません。まず、働くことですよ。
投稿: ueyonabaru | 2017年9月27日 (水) 23時40分
ueyonabaruさん
まったく同感です。
≫「老人が月に3万円の稼ぎをすると決意するだけでも、沖縄の人たちの意気は上がると思いますよ。」
いくつになっても、「まず、働くこと」です。
小事をあげつらって苦情を言うことや、不満ばかり漏らす事は「沖縄県人の悪いクセ」です。
倫理的にも正しくありませんね。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2017年9月28日 (木) 07時08分