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2017年9月29日 (金)

山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道 最終回

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山路敬介氏の投稿の第5回を掲載いたします。これで完結しました。 

連載の真っ最中に政局の大激動があったために、静謐な環境で読んでいただけなかったことが残念でしたが、篠原氏の深い論旨と響きあったような内容でした。

優れた論考に感謝します。

篠原氏の著書は、すでに沖縄の書店でもベストセラーになっていると聞きます。ぜひお手に取って読んでいただくことをお勧めします。

                       ~~~~~~  

山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道  ~ 疎外される本土の納税者~          最終回 
                                               山路敬介
 

承前 

■ それでも20年後の沖縄は明るいだろう事 

 
つい先日も20代の若者たちと親しく話す機会がありまして、歴史の話になったので少々意地の悪い質問をぶつけてみました。
 

「明治新政府はグラント将軍の助言もあって、清との領土問題の決着を宮古島以南の割譲をもってつけようとした。清においてこれが受け入れられ、かつ日清戦争もなければ私たちは中国人だった可能性もある訳だが、これをどう思うか?」というものです。

これに対して彼らは「そうした設問はバカバカしく、建設的ではなくナンセンスだ」、「そういうイフを言うならば、その後中国の一員として有り続けたか?という設問も成立する事になるので、議論として無意味」としつつ、どうしても答えるならば「その時の明治新政府にとって、宮古島以南は不必要だと判断したのだと考えるべき」で、「そこから現在にとって何が言えるか、が設問されるべき」というのです。

これは実にそのとおりで、ハイデカーの「存在と時間」の中の「我々は記録(歴史)に向かうとき、過去へと手探りで戻って行くのではなく、記録の意味は未来から到来するのである」という一節の意味のとおりです。

こうした若者の考え方こそが「歴史を有為に用いる」という事であり、「歴史の先見」という意味合いであろうと深く考えさせられました。

同時に、今「日本にとって必要な宮古島になる事」を考えるとき、それが具体的に何を指すか言うまでもないでしょう。

沖縄の若者はまだまだ大人しいですが、もう東京の若者と遜色ないレベルに来ていると思います。
 

東京の若者と同じく長引くデフレ不況の中で揉まれ、良くも悪くも個人主義的ですが、苦労はちゃんと身に着いていて、意見が簡単に揺らぎません。 

これだけ偏頗な沖縄の言論空間におかれても一様の歴史観というものを持ちませんし、結論を出すことを急ぎ過ぎもしません。 

それがともすれば「意見がない消極性」に見える事もありますが、賢明さは沖縄の前世代とは比べものになりません。

「外連の島」でも述べられていますが「琉球独立」志向がすこしづつ増えているのが事実だし、二紙の記者たちの中には「琉球独立」を報道の目的とする、と公言するバカもいるようです。
しかし私は、今ここを乗り越え、もう二十年して若者たちがリーダー世代になれば、やがて沖縄も変わるだろうと思います。
 

 沖縄は「世代交代」が急がれるべきです。

■「誰もが見る事が出来る」のに見ようともせず、「誰も見たことがない沖縄」だけが、どんどん作られていく

「外連の島」の中ほどで、唯一おどろくほど詩情あふれる一節が登場します。

「漆黒の夜にわずかな光陰が滲み出す暁方の那覇港に臨み、重々しい塩の香りとともに、水面から蜉蝣(かげろう)のごとく沸き立ってくる海霧の中に身を置けば、朦朧と浮かび上がる海岸線の佇まいに、ただただ息を呑む」

 「東シナ海の光と闇と香りが、乾いた心の中に狂おしく重なる ~誰も見た事がない、そして誰もが見る事の出来る本物の沖縄」

これが著者(篠原氏)の沖縄に対する原体験であり、原風景なのでしょう。

沖縄の青い海と青い空、人々の人懐こい笑顔と親切心。
これは紛う事なき真実だし、このような麗しいイメージを持って頂く本土の方々は多いと思います。

ですけれども、沖縄県民も本土の人と同じような悩みを抱えつつ生き続けている人間の集合体なので、迷いもし、間違いもします。

しかし、考察の結果を無理に一口に総括するならば、沖縄は本土にくらべ「民主主義」が足らないと言わざるを得ません。

私には、そこに行き着くほか考えはありませんでした。

そこを「良いイメージ」だけでくるんで終結させるのでは、残念ながら沖縄はダメになる一方です。
これも甘えるようですが、本土の方々の批判が必要だし、「それに飢えている」と言ってもいいのです。

批判がなくて飴だけ貰ったのでは、「沖縄」は一人きりのヨチヨチ歩きで、本当にどっかへ行ってしまいます。

「誰もが見る事が出来る」のに見ようともせず、「誰も見たことがない沖縄」だけが、どんどん作られていく現状は無念でなりません。 

                                              (了)

※お断り 最終節は山路氏のコメントの転載です。本稿の結語にふさわしい文章でしたので、編者の独断で付け加えさせていただきました。ご了承ください。

 

 

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コメント

今回は前半部分、くすっと笑えましたし、明るい気分にもなりました。

歴史を学ぶというのは、ただ単に昔のことをおさらいすることではなく、よりよい未来を作るためだと思っています。

 「外連の島」の中ほどで、唯一おどろくほど詩情あふれる一節が登場します。

「漆黒の夜にわずかな光陰が滲み出す暁方の那覇港に臨み、重々しい塩の香りとともに、水面から蜉蝣(かげろう)のごとく沸き立ってくる海霧の中に身を置けば、朦朧と浮かび上がる海岸線の佇まいに、ただただ息を呑む」

 「東シナ海の光と闇と香りが、乾いた心の中に狂おしく重なる ~誰も見た事がない、そして誰もが見る事の出来る本物の沖縄」

これが著者(篠原氏)の沖縄に対する原体験であり、原風景なのでしょう。

沖縄の青い海と青い空、人々の人懐こい笑顔と親切心。
これは紛う事なき真実だし、このような麗しいイメージを持って頂く本土の方々は多いと思います。

ですけれども、沖縄県民も本土の人と同じような悩みを抱えつつ生き続けている人間の集合体なので、迷いもし、間違いもします。

しかし、考察の結果を無理に一口に総括するならば、沖縄は本土にくらべ「民主主義」が足らないと言わざるを得ません。
私には、そこに行き着くほか考えはありませんでした。

そこを「良いイメージ」だけでくるんで終結させるのでは、残念ながら沖縄はダメになる一方です。
これも甘えるようですが、本土の方々の批判が必要だし、「それに飢えている」と言ってもいいのです。

批判がなくて飴だけ貰ったのでは、「沖縄」は一人きりのヨチヨチ歩きで、本当にどっかへ行ってしまいます。(笑)

「誰もが見る事が出来る」のに見ようともせず、「誰も見たことがない沖縄」だけが、どんどん作られていく現状は無念でなりません。

山路さんのコメントが、たいへん良い文章なので、本文の最後に入れさせていただきました。

「議論する」ことに「全く慣れてない」し、「慣れようともしない」この南の島々の人たち。議論=喧嘩、あるいは、「自己主張だけの言い合い」の場と化したところしかみたことがありません。

奄美で生を受け、昭和40年代に小中学を奄美で過ごした私は、学校では島口を喋った「悪い子」として黒板の前に殆ど毎日立たされ、郷土の偉人(?)として先生から配布された「西郷隆盛」の教材を読まされ、ひとたび選挙となれば島中乱れ飛ぶ札束と陰口とヒソヒソ話の坩堝。ある候補者の「マンガ本」が町中の家庭にこれまた配布される。昭和天皇来島時には「日の丸の小旗」を持たされ、陛下と皇后陛下に向けて満面の笑顔をする。それこそ町中「笑顔」で一杯。

ようやく島を脱出し、上京して大学生となったが、帰省すると親戚の叔父さんが「ちょっと来い」と言って、地元選出の国会議員の事務所へ連れていかれ、「甥っ子です。東京の大学行ってます。宜しくお願いします」と。

「島言葉を使おう!」
沖縄県の広報コマーシャルで現在オンエアー中です。
「使うな」と言ってきた人たちからの「反省の弁」を聞いたことがありません。

私はたまたま奄美という土地に、島に生を受けただけに過ぎない、「一個人」です。シマンチュでありますが、「一個人」です。どっかの誰かの都合に「振り回される」のは「こりごり」です。

奄美にも、沖縄にも「暗い明るさ」を感じます。「抜け出ようぜ!」という「個人」の「声」が出てきてこそ、本当の「笑顔」が持ち溢れてくるのでしょう。

5回連載、熟読いたしました。県内からこの考察が出て、更に、俺の目の黒いうちはとかいうのでなく若い世代へフラットな目線を向けられ、未来を託されている事を尊敬いたします。

3回目くらいに「この外連は何世代か若い者達をどう絡め取っているのかな?」と思っていたのですが、今日まさにシメで書かれていましたね。

古きを知ろうと遡る者は、有る地点を定点に語り出す時に、言葉と自我と客観と、他者とのギャップがもたらす虚構に飲み込まれることはある程度必定です。それを自覚して尚知る事の価値を、山路さんのような方が若い世代に示されることは、日本の宝です。

山路さんの補足コメント全面、大いに納得します。

「約束や決まりを守る」「明るく、前向きに生きる」「フェアに戦う」

第二回目掲載の我喜屋氏の話題に揚げられていたものです。恥ずかしながら沖縄に足りないのは民主主義の前提でもあるこれらのことなのです。
それから、宜野湾くれいない丸さんの気持ちもわかります。宜野湾くれない丸さんの経験されたことがそのまんま私の経験ですから。
>奄美にも、沖縄にも「暗い明るさ」を感じます。「抜け出ようぜ!」という「個人」の「声」が出てきてこそ、本当の「笑顔」が持ち溢れてくるのでしょう。
ほんとうに、そのとおりだと思います。

山路コメントに篠原さんの沖縄の原風景の描画、思い描くだけでも懐かしく感じました。


一連の記事拝読いたしました。翁長知事の誕生により(厳密には太田元知事時代から)沖縄の政治家の言動は、沖縄に多額の補助金をもたらしたかも知れません。
ただ、失ったものも大きい。それは人間にとって一番大事な「信用」です。嘘、ごまかしの島と言う評価が定着した現在、信用を取り戻すのは大変な努力と時間がかかります。
「信用」では飯は食えない。まずは金だ。金を寄越せ。と沖縄のリーダーたちが思い続けるなら沖縄は変わらない。篠原章氏の著作からの引用ですが沖縄には
「物くれるのが我が主」「東は拝むが西は拝まぬ」と言うことわざがある。それは中国、日本、アメリカと言う大国のはざまで生まれた業らしいのですが、与えられて当たり前。与えられなければあらゆる手段を講じて要求する。と言う意味だそうです。あくまで受け身なんですね。そこには主体性はありません。
ただ、ここ日本本土で暮らす沖縄出身者たちは能力もあるしよく働く。重要なポストについている方たちも沢山います。人ではなく環境ですね。
今の利権にどっぷり浸かった人たちに期待は出来ませんが、その後に続く世代には期待したい。
情報が隔離された時代と違い、今は沖縄にいても東京と変わらぬ情報が飛び交う時代ですから。


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