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2017年9月28日 (木)

山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道 その4

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山路敬介氏の投稿の第4回を掲載いたします。次回最終回です。  

                        ~~~~~~ 

書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道  
              ~ 疎外される本土の納税者~      その4

                                             山路敬介
 

  ■ 歴史(試論)

「賢者は歴史に学ぶ」などと申しますが、歴史ほど厄介なものはありません。
 

歴史の捉え方が明らかに後世の人たちの「気質」の形成において、重要な影響を及ぼす事例は少なくありません。 

歴史に保守的に拘泥すれば進歩は有り得ず、自己都合に引き寄せて誤った解釈を採用するならば道を誤ります。 

ここでも明らかな証明をする事は困難なのですが、私は現在の沖縄の過ちの原点はここにあると思い、以下のように以前から考えています。

そもそも「琉球藩」となった時点で正式に明治日本の一員となるべく両者の決着は着いており、その点尚泰自身は見切りも諦めもついていたのですから、その後の士族の不満は本土なみに処理すべきでした。
 

本土では「無血開城」などと言って穏便な政体変革が行われたように美化されますが、会津連藩同盟の反逆や彰義隊の乱、秋月の乱や新風連、西南の役に至るまで徹底的に反抗士族は殲滅されました。

沖縄において同様に出来なかった理由は多々ありますが、本土との環境の違いがあまりにも大きかった要因が大で、その点で明治新政府は琉球国を「封建制」以前の存在であると認識していたと概略思われるのです。 

少なくも、本土におけるような狭義の「封建制」が確立されていなかった点が躊躇の原因だったと思われます。

結果、沖縄での明治新政府は杣山事件等で見られるような士族優先をやらざるを得なく、それら士族のあまりにも苛烈な民衆支配に憤った新潟の中村十作たちが現れる明治36年までも、「旧慣温存政策」を続けました。
 

この「旧慣温存」の撤廃こそが沖縄の新時代の実質的な幕開けなのに、それが十分にドラステックでなかった為に、「時代の区切り」が完全に行えなかった点が最重要な歴史の観点だと考えます。

これこそ本土との差異であり、明治新政府による沖縄一般民衆に対する本土との「差別」の歴史だったと言えるかも知れませんが、問題は転換点が明確でなかった為に「気質的」に封建時代の残滓を後々まで引きずる原因になったのではないか、と考えられやしないかと思うのです。

それでも大正時代や昭和恐慌あるいは先の大戦前までは、リーダーとしての鹿児島県人や薩摩商人が数多く土着していたので、これを打ち破り改善する原動力にもなっていたのではないか。
 

遅くとも先の大戦を期に、それら日本型リーダーが帰郷した事が戦後の沖縄の様相に大きな影を落としたと仮定出来ないか、と考えています。

旧慣温存が沖縄の近代化を送らせた原因である事は本書でも触れられております。
 

現在においても一般民衆と王朝との関係性に留意することなく、あたかも当時においてすらも琉球王国が一般大衆に支持されうる素晴らしいものであったように描かれるバカバカしくも一面的な歴史認識が存在します。 

またそれに付随して反抗士族らの言い分をも「了」とする考え方が、本土ようなスマートさのない単純な沖縄の支配者層の頭をかく乱させ、結果的に進歩を妨げ、まるで封建制琉球に逆戻りするような様相を見せる遠因を作っている面もあるんだろう、と考えざるを得ません。

つまるところ補助金の存在を通して、日本政府による「旧慣温存」は今も続いているようにも思えるし、それをして結局のところ旧慣温存時代と等しく一般県民を苦しめている一因となっていると思わざるを得ないのです。
 


■ 沖縄はどこまで「被害者」か?

第二次大戦での「沖縄戦」は県民にとって悲惨であった事は間違いありません。
 

ですが、戦争の悲惨は沖縄だけにあった事ではない事実は度々このブログでも取り上げられているとおりで、そこに絶対的な差異はないのです。

確かに本土に比べ比率的に多くの方々が亡くなりましたが、原爆を落とされた事はなく、ソ連兵による略奪陵辱はなく、沖縄からシベリアに連れて行かれたわけでもありません。
唯一の地上戦が行われた地域ですらもありません。

米軍統治が悲惨であったように二紙では今でも喧伝しますが、事実はかなり異なります。
 

むしろ戦前の日本による統治よりも遥かに良好だったし、戦後の立ち上がりも本土の悲惨さにくらべ、かなり優位であった事は間違いありません。 

その後も本土のような苦労や血の滲むような努力を必要とする体験をする事なく、生活や福祉、経済の基盤作りまで、もれなく米軍が与えてくれたのです。

沖縄を主体的に捉えられない人たちの考えでは、日本と分断された事が沖縄の成長阻害要因だったと考えるむきもありますが、それは違います。
 

本来なら、米軍施政下を経験し復帰時には日本本土よりもさらに成長しているべきであったと言うべきです。

60年代後半までは米国サマさまで経済界を中心とした米領推進論なども見られましたが、ベトナム戦争の帰趨が見えて米国が落ち目になり関与の拡大が望めなくなった事と、日本の高度経済成長が眩しく映った事が復帰運動が盛り上がった原因である側面も見逃せません。

そういう経緯の沖縄ですから今度は中国の経済成長に色目を使い、これに接着していく事もまた歴史的に自然と言えるかも知れません。

本土の皆さん方や日本政府はこうした経緯を正しく見て、都合よく作られた沖縄の歴史(「外連」の根幹)を見抜き、本質はどこにあるか精査して考えてもらいたいと願います。

一時的に日本国の統治を離れた事は確かに遺憾ではありましたが、その事によって米軍から奴隷的な地位を強いられたり虐待を受けた事実も全然ありませんし、それどころか遥かに人道的以上の援助を施され、米軍は民主主義の根幹を沖縄に教えようと熱心でした。
 

ですが、沖縄の為政者側では援助は常に要求し歓待するも、民主主義を行うに必要な前提としての責任感や、自己を規律する高い道徳心や公共心、フェアネスなどの一番大事な点が身につかなかったように思えるのです。 

 
そうした、民主主義を行う上での大前提は、本土では戦前から持ち合わせていた当たり前の「言うに及ばない」感覚の事でもあったのでしょう。
 

ですが沖縄では、明治の出来がかりの大事な時点で頓挫してしまった事が始まりで、米軍統治によっても十分に民主主義を理解できなかったのだ、とも思うのです。 

                                             (続く) 

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コメント

■歴史(試論)の最終行
≫「げられているとおりで、そこに絶対的な差異はないのです。」

この部分は、■沖縄はどこまで「被害者」か?
の三行目に来ます。

「ですが、戦争の悲惨は沖縄だけにあった事ではない事実は度々このブログでも取り上げられているとおりで、そこに絶対的な差異はないのです。」と、なります。

内容にあまりにも納得しすぎて、何回も読み直してしまいましたw

>本土の皆さん方や日本政府はこうした経緯を正しく見て、都合よく作られた沖縄の歴史(「外連」の根幹)を見抜き、本質はどこにあるか精査して考えてもらいたいと願います。

この辺りはむしろ沖縄の方々にもお願いしたいものです。

山路さん。申し訳ない。午前7時にご指摘で気がついて修正いたしました。

せっかくの貴重な論考が、よりによってこんな日に当たってごめんなさい。
きょうのような内容は本土人には大変に書きづらいことなので、書いていただいたことに感謝します。

 山路さんの論考、とても考えさせるものがあります。

 大切なことは、主体的な琉球人ではなかったことを反省すべきかなと思います。明治政府のせいでもなく、アメリカ統治のせいでもなく、自分たちの責任であると考えた方が良さそうです。主体性を自分に置き、歴史から学んでいくべきでしょうね。左派の歴史観は大体が悪いのは自分以外のものです。これでは発展性は望めません。

 沖縄の将来を発展させるには、リ-ダ-である人たちの考え方がどうなのかが問題になります。リ-ダ-達に志の大きさがあれば沖縄も発展するでしょう。それがなければ、発展もないでしょう。単純なことです。

 翁長知事は辺野古反対を唱えておりますが、辺野古が中止になれば沖縄県は発展するのでしょうか? こんな左翼イデオロギ-に影響されている暇はないのです。

 国からの補助金が多かったので沖縄県人はダメになったという理論も、正論ではありましょうが、では、補助金を減じたら沖縄県人は利口になれるのでしょうか?

 ここは考えなければならいない点だと思います。国の予算は有り難くいただき有効に活用することは悪ではありません。予算を有効活用できているのでしょうか?
沖縄の将来の発展のためにお金を有効に使えているのでしょうか。ここが気になります。

 

再度コメント失礼します。

本記事のなか、
>つまるところ補助金の存在を通して、日本政府による「旧慣温存」は今も続いているようにも思えるし、それをして結局のところ旧慣温存時代と等しく一般県民を苦しめている一因となっていると思わざるを得ないのです。
 ↑
この部分も確かにそうだと思います。あと、
戦後の、米軍統治時代についてのくだりも納得します。

戦後のくだりについては沖縄から離れる前に友人たちに話というか、自分なりに説明したことがあります。
ちょうどオスプレイ問題で大騒ぎの時です。
(オスプレイ反対→沖縄ばっかり大変という流れになったので。)

反応といえばまあ想像どうりです。自分たち沖縄だけ難儀してるという考えに凝り固まっていました。


明日も本稿のつづき、楽しみにしています。

 ueyonabaruさん

おっしゃる通り、「補助金の多さ」そのものが悪の根本原因ではないかも知れませんね。

補助金を県民所得向上の為に活かしていく事が全然出来ていず、補助金は当然に基地の存在にリンクしている事、これをを理解出来ていない事が根本的なダメさの原因なのかも知れません。

 やもりさん

≫自分たち沖縄だけ難儀してるという考えに凝り固まっていました。

そうなんですよね。(笑)
人間、以外と単純な生き物ですから。
こういう誤謬が高じると「何事も他人のせい」、みたいな心境に陥りやすくなりますね。
そこらあたりから左翼的メンタリティと親和性が出てくるのかな、と考えずにおられませんし、なお主体性を失っていく原因でもあるでしょう。


記事では書かなかったのですが、米軍統治から施政権が日本に返還されたとき、日本政府は沖縄対してモラトリアム期間を与え、様々な特惠待遇を与えました。

当初はそれも必要ではあったのですが、それが今でも続いているのです。
こういう事も指して、「「旧慣温存」は今も続いている」と言いました。

で、このような恩恵が一般の県民に復帰40年以上経て依然として行き渡らない、この沖縄の社会とは何なのか?
憤りを感じてしまうのです。

 山路さん

 なるほど、モラトリアムが「旧慣温存」ということですか、良くわかりますよ。復帰時の特恵措置は切られるものだと私も思っておりましたよ。甘い日本政府です。

 復帰時の日本政府の支援に対して県民は有り難いという気持ちがあってしかるべきです。北部4ダムのお陰でどんなにか住民が恩恵を受けたのか、道路事情が格段に良くなったのは誰のお陰か等々色々と日本政府に対し感謝すべきことは多いのです。我々県民は忘恩の徒であってはなりません。

 さて3000億円の特別な支援に対して、県民はどう対応するのかが問題です。県の計画など良く知りませんが、また3000億円の使途など詳細も分かりませんが、県にはどうしても一定の成果を上げてもらいたいものです。これだけの手厚い支援で答えが出せないようではなんとも嘆かわしいことになります。前の知事仲井眞さんはこれを問題意識としてもっていたと思いますよ。翁長知事はどうでしょうか? 何らかの成果を上げられるでしょうか。この方に仲井眞氏のような矜持はあるのでしょうか。大いに疑問がありますね。

 県民がこんな方に思いを寄せることが残念でなりません。マスコミ報道がそのようにさせているのでしょう。マスコミへの戦いはとても重要だと思います。

 

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