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2017年11月27日 (月)

Flint_Lockさんにお答えして 朝日がしたことは言論統制です

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Flint_Lockさんからコメントを頂戴しています。

「戦後最大級の報道犯罪」というタイトルは、もはやジャーナリズムの枠を外れており、名誉毀損そのものだと思います。「捏造」ならば分かりますが。提訴せざるを得ない状況を導いた、著者ならびに出版社の姿勢に、問題があるのではないでしょうか。」

あなたは私の記事を読んでいますか。  

私は小川氏の本の書名、さらには内容そのものに関しては、初めから「関係がない」と言い切っていますよ。  

私は小川榮太郎氏の「言論」を弁護するために記事を書いたのではなく、小川氏の「言論行為」を守るために書いたのです。 

言論行為と言論内容は区別すべき別次元のことです。  

これをゴッチャにすると、気に食わない奴の言論は潰して当然という考え方につながっていきます。 

これは左右の別なく存在する考え方で、私はそれを批判し続けてきました。

左は「○○ヘイトだ」とレッテルを貼れば黙らせられると思い、一方右は「工作員だ」と言えばどんな民族差別的なことを言っても許されると勘違いしています。

まったく不毛です。

今回、私は朝日という社会的比較強者が、圧倒的に非力な小川氏というひとりの市民を、司法権力に訴えて「威嚇」する行為そのものを批判しています。  

社会的比較強者が、一市民を威嚇的に訴訟という手段を使って沈黙させることをスラップ訴訟(恫喝訴訟)だと書き、その定義も丁寧に行ったつもりです。

今回の朝日の行動は、まさにスラップ訴訟の定義どおりでした。  

Photo_2

Flint_Lockさん、逆を考えてみると分かりやすいと思います。  

たとえば仮に、産経が「産経はアベポチ」と書いた文筆家と出版社に、「事実に基づかない名誉毀損だ。わが社は犬ではない。訂正と賠償金を要求する」と通告したとしたらどうでしょうか。  

この場合も、私はまったく同じことを言います。

産経さん、それは言論の自由の上に成立している言論機関としての自殺行為だ、みっともないから止めろ、紙面で反論しろ、と。

では新聞社ではなく政府や議員が批判される度に、名誉毀損で批判者を訴えたらどうなるでしょうか。  

これは民間の言論機関のレベルではなく、さらに危険なことです。 

公人の名誉は、みずからが公権力が故に一定のタガがはまってます。  

名誉毀損訴訟は刑法230条にありますが、その2項で例外規定を設けています。

刑法230条の2(公共の利害に関する場合の特例)
前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

この刑法230条2項は、実は言論の自由を縛らないために作られた条項で、名誉毀損の罪が及ばない例外規定は以下です。

①事実の公共性
②公益目的
③公務員、または公選された者は例外
④真実性の証明

「公務員又は公選による公務員の候補者」とは、いわゆる役人、または議員(候補者)を指すと考えられています。 

さらに議員と役人によって作られる政府も含むと考えられますから、「公共の利害」に合致する限り名誉棄損で罰することは難しいのです。  

だから、政府はいくらボロクソに書かれても、名誉毀損で訴えることはほとんどありません。 

もし、政府は朝日に対してこの刑法230条2項の縛りがなければ、この社が20数年間行ってきた膨大な慰安婦報道に対して数十兆円の賠償を求めてしかるべきでしょう。

慰安婦報道は、一政治家の名誉を棄損したなどという次元ではなく、日本国と日本人の名誉を棄損し、さらには日韓関係に永遠に埋まらない断絶を作ってしまったのですから。

実際私は、日韓合意の前まで「真実性の証明」をめぐって、あえて政府は朝日を提訴すべきだとおもっていました。 

あれこそまさにモリカケなどかわいく見えるような、「戦後最大級の歪曲報道」そのものでしたから。  

政府が反撃できないことをいいことに(※)、朝日はいまだ自社の犯した誤報(というより捏造報道ですが)に対して謝罪広告を行っていません。※訂正要求ならできますから念のため。

本来なら、欧米・韓国の大手紙すべてに全面広告で謝罪広告を打つべきです。

ですから、韓国は日韓合意を遵守せず、サンフランシスコの慰安婦像のようなことがくりかえされます。

また、ワシントンポストのアダム・テイラー記者に大阪市がらみで、「 元慰安婦が声を上げて以来、日本の悪行は世界中で認知された。日本だけ例外」などと書かれることになります。

Photo_3

では、今回の朝日の提訴はどうかんがえるべきでしょうか。  

当然ながら、小川榮太郎氏は公人ではありえません。ただの一個人です。  

ですから①②③は問題なく、④の「真実性の証明」のみが争われることになります。  

「真実性の証明」がなされた場合、免責となります。今回の朝日の提訴はこれを巡って争われることなることでしょう。  

では一方朝日新聞社は公人であるか否かは、微妙です。首相夫人の昭恵さん以上に難しいボーダーです。  

朝日新聞は世論形成に、自らも認めるように、新聞という全国2位の紙媒体を持ち、さらにはテレ朝というマイクまで握っている「第4権力」とまでいわれる巨大な存在だからです。 

私は朝日などの巨大言論機関・企業は、「民間でありながら権力に等しい」存在だと思っています。  

だから、私は「朝日さん自制しなさい。あなたは準公人なのですよ」と言いたいのです。  

今回のことが言論機関ではなく、製造業だったらどうだろうかと考えると、いっそう分かりやすいかもしれません。 

ジャーナリストが、とある製鉄会社、あるいは自動車会社が製造検査を「捏造」したと報じたところ、その会社から名誉棄損で民事訴訟されたというわけです。 

朝日という会社の「製品」は記事ですからね。自分の社の製品を批判されると訴える会社ってなんなんでしょうか。私の言いたいことはシンプルです。

もし朝日の今回の名誉棄損の提訴のようなふるまいが出来るのなら、社会は大企業の提訴と賠償金要求に屈してなにも言わなくなるでしょう。  

Flint_Lockさん、それこそが民主主義社にとって、危険ではありませんか。

言論には言論で対置しなさい、公権力を介在させるまねは言論機関の自殺ですよという以上でも以下でもありません。  

朝日は恥ずかしくなったのか、「訂正」だけに書き換えたようですが、民事訴訟に持ち込むということは、すなわち裁判官の判断に一冊の本の善し悪しの価値判断の軸足を持ち込むということです。  

これは民主主義社会にとって、大変に危険なことです。そんな権限を司法権力に持たせるべきではありません。  

なぜなら、それは公権力が言論の統制を可能にしていく下地を作るからです。 

権力が言論の正否を司どる社会、これを私は全体主義社会と呼びます。 

それこそ、かつての朝日言論人が戦ってきたものではなかったのでしょうか。

最後になりますが、小川氏は朝日を逆提訴するようです。

私は法廷に言論を持ち込むことは避けるべきだというのが持論ですが、売られたケンカは買う、火の粉ははらうということのようです。

朝日は軽く法的措置をにおわせれば恫喝に屈すると思ったようですが、甘かったですね。

出版社は2刷の腰巻きにデカデカと「朝日、名誉棄損で提訴!」と乗せるでしょうから、かえって藪蛇でした。

その上、足立議員や高山正之氏にまで同じことをしているようですから、どこまで朝日は墜ちたら気が済むのでしょうか。
 

 

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コメント

どうも、世界的にリベラルが非寛容で恫喝的で暴力的になりつつあるなあと感じる今日この頃です。

リベラル臭のする人たちって、多様性とか、少数意見の尊重と言いながら、ちょっと違う意見言うと「人でなし」認定しますからね。議論が深まらないんですよ。

朝日が「公人」とは言えないまでも、新聞社は公共性や公益性を有する事業だと朝日自身が言ってますね。
(だから、「消費税は据え置かれるべき」との主張でした)

つまり、現在の名誉毀損訴訟の争点の一つにもなっている「公共の利害や公益」に関わる事業主なのであって、そうした新聞社が一般の読者から批判を受ける場合のスタンスと言うのは、まさに「公人相当」です。
批判は甘んじて受け止めるべきでした。

だからと言って朝日に対して何を言っても良い事にはならないわけで、そこは反論をすれば良いのです。
自分自身媒体を所有しているのですから、いくらでも出来る。
(その場合、相手の言論の場も確保しなければフェアではありません)

しかるに、朝日のやった事はいきなり「訴訟だ」、「謝罪と賠償だ」ですからね。
タイトルと帯がどうの言いますが、この位置には普通に比喩表現がつくのが常識だし、本書内容やから見た場合、文脈的にそこに行き着いても自然な印象があります。

どう考えても朝日の反応は異常で、自社に批判的な言論を許さないという強圧的な姿勢を濃厚に感じざるを得ませんね。
はっきり言って、「いちゃもんつけ」です。

いやもう、朝日は本当にここまでダメになっちゃってるんですね。
なんか、感慨無量な気持ちです。


 山路さんのご見解、同意します。

> そうした新聞社が一般の読者から批判を受ける場合のスタンスと言うのは、まさに「公人相当」です。
批判は甘んじて受け止めるべきでした。

 そうです。新聞紙上で反論をするべきであり、反論者の意見も新聞紙上で掲載するというのが大手新聞社の堂々たる対応だと思いますね。悪質な反論者は訴訟に持ち込んでも構いません。小川栄太郎氏は悪質とは思えません。真面目な方です。真剣なご意見だったと推察しております。

> いやもう、朝日は本当にここまでダメになっちゃってるんですね。
なんか、感慨無量な気持ちです。

 感慨無量とというのは、朝日の知性の没落を言うのでしょうか?

 今回の事件は、朝日が諸般の点で不利益を被るのではないでしょうかね。悪口を言われたので、言論で反論せずいきなり裁判というのでは、大人げない。小川氏を黙らせるぐらいの力強い反論を新聞紙上でなすべきでした。

>権力が言論の正否を司どる社会、これを私は全体主義社会と呼びます。
>それこそ、かつての朝日言論人が戦ってきたものではなかったのでしょうか。

かつての朝日言論人もきっと、上記とは違うのでしょう。
反権力と称して、左翼的でない力が言論の成否を司る社会のみを、極右全体主義と呼び闘ってきた。
良い思想の持ち主を主人とするならば意見はその良き一つに幹を同じくして良い全体主義が体現できる、その理想郷を目指すために、多様な芽を雑草のように刈るのです。
多様性は朝日の幹から伸びていない限り存在を許さない、移民や新しきものが、皇室と日本の伝統の側に根をおろし日本らしく宿り繁ることを許さない。不遜にも、皇室が朝日的な樹に根をおろすことを望んでいます。その根はどこからのびているのでしょう。
その心根が汚く剥き出しになったのを見て、今年は朝日が何を憎んでいるのかを感じることができました。

言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。

何年か前の朝日新聞のキャッチコピーですが、
いまの朝日新聞が信じているのは訴訟のチカラです。

言葉のチカラを信じているなら、
訴訟をちらつかせる前に小川氏に討論を申し込めばよかったのです。
小川氏は拒否しない(できない)でしょうし、
無編集の動画を有料会員限定のコンテンツとして
朝日新聞デジタルで公開すれば、
朝日新聞としても一儲けできます。
かつての朝日ジャーナルでは
ロッキード裁判をめぐる立花隆と渡辺昇一の討論が
人気連載のひとつでした。
真剣勝負ほどの魅力的なコンテンツはそうはないのに、
売られた喧嘩を威勢よく買うどころか「訴えてやる」ですから、
開いた口がふさがりません。

かつての朝日は偏向はしていても風格があったと思うのですが、
今では素人にボコられて交番に逃げ込むヤクザのようです。

かくも惨めな凋落を見せつけられると、
山路さんのおっしゃるとおり感慨無量です。

新聞の購読勧誘と言えば、モリカケを語る野党のように
五月蠅く、奥歯にはさまったモヤシのようにしつこいと
いうのが相場でした。

先週末、朝日の勧誘員さんが二人連れで来て「お宅さん、
数年前まで朝日を購読していらっしゃいましたよね、どう
です、もう一度取ってもらえませんか?」と言う。

私は、「朝日さんって今世間でアレですよね」「本当の
ところは、やっぱりアレですか?」(アレは言語のママ)
と言うと、彼等二人は顔を見合わせて「そ、そういう事
なんですか」「解りました、失礼します」と言うなり出て
行った。

いよいよ効いているみたいですわ。彼等営業の最前線の
部隊は、おそらく行く先々で弾を浴びているのです。築
地大本営は「特攻せよ、特攻じゃ!」と言っているものの、
数字は正直に「敗戦無条件降伏」を示しつつあるものと
思われます。

まともなリベラルに生まれ変わるまで、あと数年ですかぁ?

ジャーナリズムとして出版される内容は、いかなる誹謗中傷が含まれようとも、言論の自由として守られるべきである、という主張でしょうか。私は、社会通念として許容される範囲を大幅に超える誹謗中傷については、司法によって制限されることは止むを得ないと考えます。

モリカケ問題における朝日新聞の報道姿勢に、「戦後最大級の報道犯罪」に相当するような実態があったのかどうか、著者の立論は妥当なのかが、問われるべきです。

朝日新聞の申入書を見ましたが、「戦後最大級の報道犯罪」という文言以外の、「虚報」「捏造」などについては、法的手段は避けるべきと思います。

訂正を求め、それに応じなければ司法の判断を仰ぐべきで、当初から賠償を求める姿勢には問題がありますが。

スラップ訴訟についてですが、朝日新聞と小川氏の立場の差を「社会的比較強者が、圧倒的に非力な小川氏というひとりの市民を」と捉えるのは、一面においてはその通りですが、異なる面もあります。

小川氏は、民主党政権時代に「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を結成しており、安倍氏のサポーターとしての活動を行っています。

小川氏は、「放送法遵守を求める視聴者の会」の呼びかけ人です。クローズアップ現代の国谷キャスターの降板のように、安倍政権は報道機関に影響力を行使していますが、小川氏はその影響力を補強する活動を行っています。

安倍首相は、報道各社の官邸キャップを集めて会合を持っていますが、これは各社の報道姿勢を統制する目的でしょう。

政府が官房機密費をジャーナリストに渡していた過去の事例が知られています。もしその慣例が現在も続いているのだとしたら、小川氏もその候補ではないかとも考えられるような、安倍政権の立場に沿った言論活動を行っています。

政権と連携して活動するジャーナリストが、政権批判を行う報道機関に対して誹謗中傷を行った場合でも、報道機関が提訴すればスラップ訴訟となるのでしょうか。

ちなみに23日の記事には「朝日が長々と述べている論点は、小川氏と朝日が一対一的に裁判所で争えばよいことであって、私の関心はそこにはありません。」とありますが、「裁判所で争えばよいこと」というのは、民事訴訟で決着をつけるべきという意味とは違うのですか?


慰安婦問題についてですが、戦時中に読売の従軍記者であった小俣行男氏が、ビルマで接した慰安婦の実状について、1967年に出版した従軍記で触れています。ここにその抜粋が紹介されていますが、これは深刻な人権侵害ではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1

韓国の金貴玉教授は、
「朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があった」
「軍慰安婦は日・米・韓にまたがる問題。米兵の慰安所利用実態も明らかにしたい」
と主張しており、その姿勢に私は賛同します。
http://hogetest.exblog.jp/6749030/

サンフランシスコの慰安婦像についても、こうした立場から主張していくべきと考えます。

>「虚報」「捏造」などについては、法的手段は避けるべき
ここは報道機関としては一丁目一番地、存在意義の土台を揺るがす愚挙だからこそ記事で指摘されています。
FlintLockさんの戦時慰安婦被害者へのお気持ちと同じ志で、過去に沢山の日本人が協力したアジア女性基金瓦解の顛末を見るに、そのスタンスでは過去から現在まで性被害に苦しみ続けている東アジアの女性達の救いになり難いのだと私は何年も前に判断しました。

あと、小川氏と安倍政権の報道圧力を過大に見られていると感じます。小川氏の地上波や大手メディア露出はほとんどなく、発起人であった放送遵守の会も予算不足、そして安倍首相自体が就任以来サンドバッグ状態でメディアに叩かれっぱなしのままのしのし実務を担っているのが現状です。
件の著書も、発売日に世田谷の大きな書店には1冊背を向けて書棚に押し込められているのを買いました。
それがじわじわ売れて週間ランキングに立て掛けてあるにも関わらず、2冊目のメディアの嘘も店頭には並びません。仕方なくアマゾンで買いました。
他所で売れて初めてグロスで仕入れる、その程度の知名度の方だと書店が判断しているのです。朝日新聞社と比するに小さな存在です。

Flint_Lockさん。お答えが長くなったので記事に移しかえました。

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