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2017年12月16日 (土)

核廃絶を比較衡量してみよう

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ノーベル平和賞で核兵器廃絶を運動する団体が受賞しました。 

ノーベル平和賞授与式で被爆者のサーロー節子さんが、核兵器を「必要悪ではなく、絶対悪だ」と述べたのは記憶に新しいことです。

Photoサーロー節子氏

サーロー節子氏は核兵器が「絶対悪」な以上、それに反対する自分たちは「絶対善」だと信じています。

大変な苦難を受けた被爆者にこう言われると、大部分の人々はなにも言えなくなるわけですが、あえて言うことにします。 

このような「絶対悪」という極端な価値判断をすると、本来見えるものが見えなくなってしまいますよ、と。

なぜならそこには、廃絶したらどのようなデメリットをこうむるのか、という思考回路そのものが欠落しているからです。

残念ながら、私はサーロ節子氏のいう核の悲惨さは共有しますが、ではどうしたらその悲惨から逃れられるのかという道筋が分かりません。

これでは思考停止です。 どうしたら核廃絶ができるのか、あるいは削減できるのかというリアリティがないのです。

「絶対悪」という価値判断を一回はずしてみましょう。

廃絶した場合の利益と、存続するデメリットを秤にかけてみねばなりません。 

この考え方を比較衡量と呼びます。先日、記事で書きましたので、結論だけ言えば、今、核戦争にならないのは核兵器が大国同士でバランスしているからです。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-aaab.html

Photo_2
サーロー節子氏が聞けば怒るような問いをあえて言えば、広島になぜ原爆が落されたのでしょうか?日本人はそのことを考えてみる必要があります。

いくつも答えはありますが、そのひとつに日本が核兵器を保有していなかったからだということも入れておいてもよいでしょう。

原爆は開発の初歩的段階にも達していなかったし、日本は戦争を継続すら力すらうしなって丸腰の状態に等しい状況でした。

だから、米国は原爆を投下したのです。

もし日本の原爆製造がかなりのレベルに達していれば、その可能性を考慮してそうとうに躊躇したはずです。

核兵器を防ぐには核兵器しかない、これが冷厳な現実なのです。

また戦後の歴史をみると核の恐怖によって、通常兵器による戦争もしにくくなっています。 

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大国は相手が核保有国でなければ、ようしゃなく攻撃をしかけています。典型はフォークランド(マルビナス)紛争です。

ここでもう一度同じ問いをしてみましょう。当時アルゼンチンが核兵器保有していたら、サッチャーは攻撃できただろうか、と。

サッチャーは一度譲歩すると、アルゼンチンに次々と譲歩を強いられ、国民の中に不満が増大するだろうと思っていました。

また、サッチャーは当時どんぞこの英国経済に大鉈を奮う決意を固めていました。そのために支持を回復することに迫られていたのです。

そして最後にサッチャーの背中を後押ししたのは、アルゼンチンは非核保有国だったからです。

仮に核兵器を廃絶すれば、人類は核戦争の悪夢から自由になった代償として、通常兵器を使った戦争が頻発するもうひとつの悪夢の世界に住むことになります

世界中の核保有国が原爆を手放したとしても、北朝鮮と中国だけは握りしめて放さないでしょうから、唯一の核保有国たるこの二つの独裁国家は、スーパーパワーとして世界に君臨することができます。 

冗談のような話ですが、事実です。北朝鮮と中国の核を問わない核廃絶運動は無意味です。

残念ながらこの「力の均衡」がガッチリできあがってしまったために、現実的にできることは少なく、お互いに核兵器を減らしていこうとする核兵器削減交渉や、新たな核兵器保有国をなくすことていどしかできません。

日本は中国、ロシア、北朝鮮の核ミサイルの標的となっているが故に、これを防ぐためには米国の核の拡大抑止に依存さぜるを得ません。他に選択肢がないからです。

「核の拡大抑止」とは聞き慣れない言葉ですが、自国に対する核攻撃を抑止することを「基本抑止」といい、同盟国に対する核攻撃を抑止することを拡大抑止と呼びます。一般的には「核の傘」と呼んでいます。

この核の傘をはずせば、中国や北は大いに喜ぶでしょう。核ミサイルで脅迫しながら、いつでも通常兵器で侵攻することが可能になるからです。

侵攻せずとも、自国の主張に絶対服従させることも可能となります。

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ただし、日本は「倫理戦としての核廃絶」をしています。 安倍氏はオバマを広島に訪問させることを大きな政治課題としていました。

その理由は日米和解の儀式でもあったと同時に、日本が改めて「被爆国」であることを世界にアピールしたとも言えます。

日本が意識的に「唯一の被爆国」という外交カードを、日本に対して核ミサイルを向けている核保有国に突きつけたとも見ることが出来ます。

そのために、核兵器禁止条約には参加しなくとも、(それ以前に「核の傘」に依存する国は加入できませんが)、核廃絶を提唱し続ける国として自らを位置づけたのです。

これも道義的カードを使った立派な間接的核抑止力です。

比較衡量してみましょう。

米国の核に拡大抑止してもらうことの道義的後ろめたさと、現実に米国の核の拡大抑止によって核ミサイルの脅威から守られていることの、どちらが重いのか天秤にかけてみることです。

天秤は二つの重りしか乗りません。他国への絶対的服従か、さもなくば米国との同盟か、です。

双方イヤならば、米国との同盟関係を精算して、独自核武装という方法もないわけではありませんが、その代償は想像を越えて巨大だと申し上げておきましょう。

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コメント

 授賞式でのサーロー氏の言葉は中々神ががってまして、再々キーワード的に「光」の存在をしきりに述べてました。
そいつ(何かの光)はある種の神のような絶対者的な立場であって、「世界同時核廃棄」を実現してくれる、って感じに聞こえましたね。

ブログ主様が言うように「理想論」なのでしょうが、それでは全然パンチも効用もなくなったので、さらに進化した文学的比喩を用いた言葉遊びの部分に「新しさ」を見られなくもなく、しかし私は失敬ながら近所のユタのおばさんと重ね合わせて聞いてしまいました。(笑)

冗談はともかく、一方で「核」による抑止力が大戦の勃発を防いできた歴史が既にあるので、とても「絶対悪」などとは言えません。

世界が「核廃棄」に同意して実行に移したとしても技術は残ります。
生物化学兵器が独裁者の下で温存されて来たのと同じ事で、こんな事本気で実行するならば自由主義社会の致命的オウンゴールになりかねません。

心配は、サーロー氏のような被害者的立場の人が、南京問題や慰安婦問題に利用されつつある事です。

彼女の演説に「光」が何度も出てくるのキリスト教徒だからでしょうね。

人類がつかんだ技術を人類が黙って手放すことはありません。神の世界に近づきつつある、生物界全般の遺伝子操作技術や、医療界のティッシュエンジニアリング(再生医療技術)にしかりです。原子爆弾も原子力発電も、現代エネルギー分野の最強技術だからです。

これは不可逆的な法則なのです。だから、うまく付き合っていくしかないのです。私も「絶対悪」とは宗教用語に等しい理念の言葉だと思います。「憲法9条」の理念も絶対平和の世界を描いたものですから、同じようなものなのですね。

核廃絶とは、秀吉の刀狩りを現代国際社会に唱えるようなもののように見えます。

単純化して言えば、この世は二つの力が支配しています。「暴力(軍事)」と「お金(経済、特に食)」です。国相互の関係だけでなく、社会の隅々、そして家庭の中も同じようなものです。愛やモラルで動いているように見える時もありますが、長い目でみれば同じです。

それはなぜか、と言えば、人類もまや生物の一形態にすぎないからです。生物界の法則から逃れられることはありません。

ノーベル賞というものを私も有難がる方ですが、この平和賞だけは止めた方がいいですね。今最大の脅威になっている北朝鮮は、受賞者の一人であるオバマ大統領の”戦略的忍耐”がつくったようなものです。

たしか中国がつくった「孔子平和賞」にノミネートされた村山元首相を見てもわかるように、すべからず胡散臭い政治の賜物です、”平和賞”というものは。

核のもたらす平和の必要性を説き、他国の攻撃を退けるために核の傘に入る必要があるのだ仰りたいのであれば、広島の原爆投下を持ち出すのはあまり適切ではないでしょう。
原爆を実用化し、他国へ投下できる国力があればそもそも戦争にすらならないでしょう。
例えに用いるなら北朝鮮が適切ではないかと考えます。
なぜ北朝鮮は実際に「大量破壊兵器」を持ちながらもイラクやリビアのようにならないのでしょう。
他国の脅威から自国を守るための核武装を是とするならば、北朝鮮が核兵器や長距離ミサイルなどを保有することも肯定されるべきことなのでしょうか?

もしも、核兵器を廃絶したいなら、

高高度からのピンポイント攻撃による抑止ではないかと思います。

たとえば金正恩に対して、居場所が特定した瞬間、レーザーで地下何キロだろうが串刺しにするというようなものです。

国家指導者ならびにそのナンバー2から100ぐらいまで、ピンポイントで消滅できるシステムを、世界がお互いに共有すれば、

まぁ、核兵器がなくても、大丈夫になるかと思います。

特に北朝鮮の独裁者は国家が核攻撃されても自分さえ生き残ってるなら、問題なっていう感覚だろうので(国民に対する態度、身内に対する態度を見ればあきらか)、ピンポイントで本人を消滅する技術が確立したら、核兵器を手放すでしょう。

私も九州Mさんの平和賞不要のご意見に賛同します。
金大中、アル・ゴア、バラク・オバマなどなど、
この人たちのどこが平和賞なんでしょうか?
金大中の宥和政策は何ら効果を持たないばかりでなく、
北朝鮮をつけあがらせるきっかけを作ったとも言えるわけで平和とは真逆です。
アル・ゴアは地球温暖化危機の啓蒙活動が評価されたのでしょうが、
なぜ平和賞なんでしょう?
オバマに至ってはプラハでの演説が大きな理由なんでしょうが、
言葉だけでもらえるなら口が達者な人間であれば誰でももらえます。
他にもキッシンジャーやカーターなど、
首をかしげる受賞者は掃いて捨てるほどいます。
背景にドロドロとした政治の力学が働いているとしか思えず、
生臭いったらありゃしません。
終いには従軍慰安婦の生き残りなんてのが選ばれたりして。
ぞっとしますな。

> 天秤は二つの重りしか乗りません。他国への絶対的服従か、さもなくば米国との同盟か、です。 

 核のシェア-は考えるべきだと思います。米国との同盟を大切にしながら、同盟国日本の意志が加わるような核による侵略抑止、核抑止体制はできないでしょうか。今はトランプ大統領だから日本に寄り添ってくれておりますが、今後民主党政権が立つと不安定になりますね。

 その前に、核の日本への持ち込みが決められるべきでしょう。

 核廃絶は理想であり、だれも反対はしませんが、真面目に考えている方は非常に少ないでしょう。「ひかり」が顕れ世の中が変わるようであれば期待もできますが、自国の平和を守るためには現実的な対処しかありません。オノヨ-コさんの核廃絶の運動もご本人がおっしゃるように、夢であり理想なんだと思います。

 すみません、上はueyonabaruでした。

核の相互抑止に関して、これは市井での会話であくまで政府でも有識者の見解を参考にもしていない私見と前置きしてあえて書くと、私は史上三発目の核使用があるならまたしても被害国は日本である可能性が高いと思っています。
核は悪だよね、という話を米国人とした際に、よく二発の原爆を乗り越え更に震災も乗り越え日本人偉いねという話になったのです。私は日本人はまじめに力を合わせるからね、と答えたのですが、相手は核の恐ろしさを推し量れない輩であったとも言えますが、3発目もきっと日本なら乗り越えるとジョークを飛ばされました。まあ、私が広島長崎の出身ではなかったので軽口の対象になったのかもしれませんが、色んな意味でじわじわとくるショックでした。
その時から自分の中の憲法9条の価値がガラガラと崩れ始め、現状の日米安保は改憲無しには抑止力が足りないのではと考えらようになりました。以来、光のかけらもない真っ黒な塊が、いつも頭の片隅に居座っています。
今の日本のスタンスのままでは、ある時万が一三発目の核が日本のどこかに撃たれた時、同盟国は遺憾の意と犠牲者への祈りを捧げてくれるでしょうが、報復はせいぜい経済制裁と圧力です。

皆さま。pcがこわれました。何日間か更新ができなくなりそうてす

 ありんくりん さん、大変なことになりましたネ。私もそのような経験はありますから、苦境はよく分かります。パソコン2台ありますが、一台は修理に出ております。パソコンの維持管理も気を使いますね。

 気長にお待ちしております。

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