宜野湾くれない丸氏寄稿 なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その2
宜野湾くれない丸さんの連載2回目です。
今回は寄稿の核心部分とも言える宜野湾市当局との「対話」の部分に入ります。
ブログ主
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なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その 2
~宜野湾市当局とのやりとりに見る真実の一端~
宜野湾くれない丸
承前
■宜野湾市への問い合わせてみた
私は犯人捜しをしようと試みているのではなく、「ここに至った経緯」を「出来るだけ知りたい」だけである。
なぜならば、その過程を通じて「冷静な目で歴史を俯瞰し、それをもってしてこの先のことを考える力」が出てくるであろうからです。
この場合で言えば「危機管理能力の構築」です。
普二小の問題は私の素朴な疑問から始まった。これは前回の投稿で触れた。
その時、最初にあたったのが宜野湾市役所への問い合わせである。
同時に市立図書館や国際大学図書館を利用して、それらにまつわる文献を少しずつではあるが、手当たり次第に目を通した。
市役所へは、2015年5月末に最初の問い合わせを行った。
米軍から西普天間住宅跡地返還が、同年の3月1日に実施され、私自身の子供が通っていた普天間高校から「返還住宅跡地への高校の移転計画予定にまつわるアンケート」という旨の通知をもらったからである。
私はこの時、普二小も同じく移転するのであろうと「勝手に」思っていた。普天間基地返還の正式発表(96年)があってから約20年間、一向に基地移設の話が進まないからである。
いつになったら普天間基地は辺野古に移設されるか不透明なそのような状況下であるから、返還される住宅跡地へ「高校も小学校も移転させるのだろう」と。
それで、5月末に市役所へ問い合わせを行ったのだ。「普二小を返還住宅地へ移転させる計画はありますか?」と。
市側からの返答は以下である。正確性を担保するために、返信されたもの主要な部分全文を掲載する。
「貴殿よりご投稿のありました普天間第二小学校の西普天間地区への移転計画について、教育委員会総務課より回答いたします。
学校の位置を決定する場合、原則として児童は徒歩による通学であることから、疲労負担を感じない程度の通学距離や通学路の安全性、適正な校地規模・環境並びに校区設定の目安となる各自治会の境界等を総合的に勘案し決定することになります。
普天間第二小学校の建設にあたっては、上記のことを勘案した結果、現在の敷地以外に用地の取得ができなかった経緯がございます。
同校の移転につきましては、現在のところ計画はございません。
普天間飛行場の周辺には120箇所以上の公共施設や幼児施設などが存在しており、普天間第二小学校だけでなく市全体が危険に晒されているのが現状であります」
私の質問は「普二小を2015年3月31日に返還された西普天間住宅跡地へ移転させる計画はありますか?」というものである。
これを返還日が過ぎた5月末に市へ問い合わせとして送信したのだ。その答えは下線部のみである。つまり「計画はない」ということだ。
市の回答の前半は「建設当初の決定理由」である。正直言ってこれには驚いた。
あれほど危険だと物議を醸し出していたし、現実に「危険な状況下」であるのに、その普天間基地の「危険性除去」の為の、辺野古移設であったのにも関わらず、肝心な辺野古移設の話は一向に進展が見込まれない。
であるならば、毎日危険にさらされている普二小を返還された近くの住宅跡地へ「移転」させるのは、ごく普通に考えることであるのに・・・・と。
普天間高校さえも移転計画があるのに「なぜ!?」。
心底愕然とした。ため息が出た。憤りの念がふつふつと沸いてくるのを感じた。「なぜなのか?」と。
この返答をもらった後、私は何度か「なぜ?」の問い合わせを行った。2度目の返答が来た。
「貴殿のおっしゃる通り、普天間第二小学校の危険性は高いことから、これまでも西普天間地区への移転につきまして検討して参りましたが、現在のところ計画はございません。
前回お答えしましたように、一日も早い普天間飛行場の閉鎖・返還に向け鋭意取り組むことが、子どもたちの安全確保につながるものと考えております」
今度は「検討はしたが、計画はない」との返答だった。計画がなくなった理由も問い合わせたが、それ以降、現在に至るまで市側からの返答は全くない。
先にブログ主が挙げておられた産経新聞宮本沖縄支局長の2つの記事「基地反対派の妨害説(2010.年1月10日)」や「伊波洋一元宜野湾市がケビン・メア氏を名誉棄損で訴えた記事(2011.10/26)」の真意をも同時に問い合わせした。
勿論、返答はない。
結局、2015年5月末から現在に至るまで都合5回程問い合わせを行い、返答をもらったのは上述した2回のみだった。
■2回だけで市民との「対話」を打ち切った宜野湾市当局
私は、「普二小の問題」の何ひとつも「分からない」ままの状態になっているのだ。
こんなに近くに住んでいるのにも関わらず、毎日、普二小の子供達を目にしているのにも関わらず、「〇〇らしい」「〇〇かもしれない」「〇〇だったかも」というような事しか答えることが出来ないままである。
それは設置管理当事者である、宜野湾市の正式見解をもらえないからである。
完璧な返答を期待しているわけではない。外に出すことが出来ない情報もあるであろう。
が、いわゆる「お役所回答」からでは、結局「何も分からないまま」なのである。
先に挙げた市役所からの回答からは、「苦悩」や「困惑」などをその文書から感じ取ることが出来ない。
私の中で怒っているのは、返還された西普天間住宅跡地への「移転さえもなされない」という事なのでなる。
建設当時のゴタゴタ、その後の騒音激化、ヘリ墜落、PTAの苦悩の決断・・・などなどの経緯があって、やっとSACO合意のもと2015年3月31日に返還される近くの土地へ「移転」出来すら出来ないないのである。
この土地へは普天間高校の移転計画もあるし、琉球大学病院も新たしく建設されることが既に発表されているのにも関わらず、「普二小だけが今のまま」なのである。
この現実を、私はどのように消化すれば良いのだろうか・・・。
(続く)
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>学校の位置を決定する場合、原則として児童は徒歩による通学であることから、疲労負担を感じない程度の通学距離や通学路の安全性、適正な校地規模・環境並びに校区設定の目安となる各自治会の境界等を総合的に勘案し決定することになります.
僻地(自分の実家の辺り)では小学生もスクールバス通学しているところもある。徒歩通学を前提に小学生を命の危険にさらして平然としているのは本末転倒ですよね。宜野湾くれない丸の怒りは十分に理解できます。
投稿: ednakano | 2018年1月 9日 (火) 08時51分