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2018年1月

2018年1月31日 (水)

山路敬介氏寄稿 名護市長選の争点は何かその1

151

山路氏からの寄稿です。ありがとうございます。 

3回にわけて掲載いたします。小見出しはブログ主によるものです。 

                                        ~~~~~~~ 

                                   ■名護市長選の争点はなにか  その1
                                                                                  山路敬介
 

ブログ主様から「名護市長戦について何か書くか?」というお誘いを引き受けましたが、ご存知のように私は宮古島市民でして、名護は距離的にも遥かに遠く親類もありませんし、知己もごく限られています。 

渡具知候補には会った事もなく、むしろ遥か昔の市職員時代の稲嶺氏の方を思い出せる事柄が二、三あるくらいのものです。 

また、この選挙戦を占えるような独自の情報も持ち合わせておらず、特別な事をここでお示しすることは出来ません。

つまり、私も他の県民の方々と同じように第一時情報の摂取はまず、政治的中立性を放棄した事を自から公言する二紙の記事によるしかなく、しかし、それでもこれを普通の注意力を持って読めば、「稲嶺市長の主張はずいぶんとウソや誇張があるのではないか?」との疑念が自然に生まれて来ざるを得ないものです。

一方の渡具知候補側への取材は不十分だったり、知りたいポイントもずれていたりで、ちっとも主張が主張として伝わって来ません。
 

まぁ、これはもう、「革新勢力のためのペーパーだから」と苦笑するより仕方ありませんが、それだと善し悪しにかかわらず、沖縄自民党の考え方やくわしい動静が分からず、選挙する情報が不足します。
沖縄では選挙となると、往々にして相互に対立する候補が主張する「ファクト」でさえ違って来る事があります。
 

そこを正すのが新聞本来の重要な役割のひとつですが、新聞が新聞社自からの思想信条に傾いて報道するものですから、都合よく肝心のファクトが隠されたままになる事が実に多いのです。 

これは結果的に有権者が二紙によって「誤謬に基づいた選択」をするよう仕掛けられているようなもので、今回は特にその異常性が際立っていて、「本当のところは何なのか?」をわからなくして置く事で政治目標を達成しようとする二紙の意図をさえ感じてしまいます。

例えば、稲嶺市長が二紙において「実績」として主張するけれど、その実体が統計資料を読み込むだけで判断可能な「180度違う事実」もあるのです。
 

一方、自民党の渡具知候補の趨勢はその擁立時点から常に「暴き出す」ような形式を持ってスキャンダラスに報じられ、候補自身や沖縄自民党がするもの事の経過や真意を伺い知る事が出来ないのが現状です。

そのように考えるなか、この正月中に地元を含めた複数の自民党中堅県議や那覇市議、自民党関連の青年会議所関係者などと親しく長時間の懇談する機会を得ました。
 

私は自民党員ではないし、ネット会員でもありません。 

少々辛辣な質問をしつつ私の疑問に対する回答も逐一あったので、わかりやすくするために一問一答形式でここで再現したいと思います。 

ところでここでは稲嶺陣営の主張は取り上げません。それは虚も実として日々二紙によって主張されているので、そちらを見て下さい。 

また、特別に秘匿性の高い情報はないと思われますが、相手が公人であるとしても友人・知人であり、許可も得ておらず、そもそも公表を前提とした座談ではないので氏名は記しません。 

なお、Qが私本人か友人の地元新聞記者氏で、Aが自民党関係者です。 

地味だが、堅実に地場産業育成に向き合う渡久地候補の 訴え

Q:名護市長選の争点は経済運営の成果だ

稲嶺市長は今だに争点を「辺野古移設問題」といい、この問題に「終止符を打つ」と
まで言っている。
少し異常なのではないかと思うが、二紙などを読む限り渡具知候補の主張もわかりづ              
らい。

A:普天間飛行場の辺野古移転を差し止める行政権限は名護市長にはなく、したがって
これを公約とするのは最初から市民を謀る「まやかし」のようなものだ。
 

今回の市長選の争点は経済運営で、8年間の稲嶺市長の経済政策の失敗が厳しく問わ
れるべき選挙だ。
 

経済回復基調の日本にあって、沖縄県も特に上向きだ。 

そうした中でも、名護市は県内41市町村中で県民所得が30位に留まるなど精彩に欠け、本来有するポテンシャルを発揮出来ていない状況だ。 

球場整備など効果的な資本投下をせず、経済効果が高い日ハムのキャンプ地からも除外されてしまった件が象徴的だ。

渡具知候補の掲げる政策は地味だが現実的だ。
 

縫製工場やその他製造業の誘致に力を入れ、「全国に自から飛び回って、セールスに出かける」としている。 

そう言うと、「お題目」的な常套句に聞こえるかもしれないが違う。 

「稲嶺後」にまず絶対に必要な事なのだ。

>本土では全く相手にされない稲嶺市長では優良な企業の誘致など出来るはずもなく、景気に左右されづらい安定した雇用環境を創造出来る事もない。
 

市民の所得も向上しないという事だ。 

米軍再編交付金は貰わなかったのではなく、もらえなかったのが事実

Q2:
米軍再編協力交付金は名護市の場合、年額27億円(歳出の7%強)にも上るが、名護市はこれを受け取っていない。
これまでの二紙の論調から私自身勘違いしていたのだが、稲嶺市長の側から受け取りを拒否していたのではなく、防衛省に支払いを拒まれていたのだと最近ようやく知った。
渡具知氏の場合はどうか?


A:防衛省は渡具知氏が米軍再編に協力的だと認識しているはずだ。
 

なので、当選後は遅滞なく交付を受けられるだろう。(注 この後、防衛省から同趣旨の発表あり) 

渡具知氏は、そうした補助金を有効に使って給食費の無料化や教育の充実など市民福祉にあてていく考えだ。 

積極的な経済運営と相まって、名護市民はまだまだ豊かになれる余地があると言う事だ。

稲嶺市長は当初は民主党政権だったこともあって、辺野古移設に反対し続けても再編交付金を継続して受け取り続けられると考えていた。
 

そうでない事がわかったので、報道があたかも稲嶺氏の側から受け取りを拒否したかのような雰囲気を作りあげ、稲嶺市長も「金では転ばない!」などとこぶしを振り上げてスローガン的に戯画化しつつ、断固たる姿勢を貫いているように見せかけた。 

稲嶺氏が市長でなかったならば、本来受け取れたはずの補助金は135億円にのぼる。 

このような損失から市民の目を逸らすには、補助金がなくとも市の財政状況はすこぶる健全であり、前市長時代と比べても十分な財政収入があった事にして、そのためにこそ事実を糊塗せざるを得なくなったという事情だったろう。

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名護市名桜大学への20億円の国庫補助まで、財政拡大の根拠とする稲嶺候補

Q:その関連で、2、3聞きたい。
国からの名桜大学に対する補助金20億円が、市歳入として繰り入れられている。
このような市の処理は不適切なのではないか?
また、稲嶺市長は結果的にこのような性格の資金も含めて「財政拡大した」と主張しているが、いかがだろうか。


A:名桜大に対する補助金20億円は名護市を経由するものの、実際には「預かり金相当」だ。
 

大学の経営主体も名護市ではなく、北部事務組合だ。 

言われると通りおかしいと言えばおかしいが、名護市の口座を経由するし、会計上の事務処理とすれば市の処理が不適切とまでは言えないのではないか。

ただ、この分まで含めての数字を示したうえで、「財政の拡大があった」と主張する事は市民に対するまやかしの類だろう。
 

また、名桜大は名護市だけのものではなく、北部市町村全体のものなので、その首長らとしても稲嶺市長の主張は面白くないだろう。 

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稲嶺候補の8年間は「辺野古反対」だけだ

Q:
名護市に対しての一括交付金年10億円は、仲井眞知事が政府と交渉のすえ得られたものだ。
当時は辺野古移設と関連した「埋め立て許可」とバーターであったように二紙も報じていた。
仲井眞前知事は「金で沖縄を売った」とまで言われ、まさのその金の一部が名護市への一括交付金10億円だ。  
そうであれば稲嶺氏の政治信条としてこれ受け取れるどころか、突き返すのがスジだろう。
こともあろうにそれを真逆に、「歳入拡大」の自分の実績として主張している。 
倒錯しているのではないか?


A:この8年間の稲嶺市政で見るべき経済政策は何ひとつない。経済政策に限った事でもないが。
 

ただひとつやって来た事は、「辺野古反対」のみだ。 

その点は稲嶺市長も自覚があって、渡具知候補がそこを争点とするだろう事は分かっていたのだろう。 

だから、あらかじめこの8年間で名護市の財政拡大があって、経済状況も「悪くはない」と見せかける準備に余念がなかった、という事だ。

 

                                                                                             (続く)

 

2018年1月30日 (火)

日本の常識は国連PKOの非常識

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国連からPKOへの支援要請が来ています。 

驚かれる人も多いと思いますが、現在の国連PKOは住民保護のためには予防的「先制攻撃」すら容認しています。 

その分岐点は、1999年の「アナン告示」と呼ばれるものです。(欄外参照)

これは昨日もふれたルアンダ虐殺で、国連PKOがなにひとつ有効な手段をとれないまま眼前で大虐殺を放置して撤退に追い込まれたことに対する手厳しい反省から生まれています。 

ルアンダ内戦が始まるわずか2年前の92年までは、日本のPKO方針と国連平和構築活動とはそれほ大きな齟齬はありませんでした。 

国連も日本も、交戦行為を忌み嫌っていたのは共通していたからです。

日本ではほとんど報道されませんでしたが、これは国連平和維持活動にとって重大な転換でした。 

ここで事務総長告示が述べていることは、ルワンダのように住民が虐殺にさらされている事態に直面した際、今後、PKOは「住民の保護」のために交戦してよいということだからです。 

その際、PKO自身が国際法上の紛争当事者となるわけですが、それを国連は否定せずに、あえて紛争当事者となることも厭わないとしました。 

戦闘当事者ですから、今までのような兵力引き離しのための仲介勢力のように戦時国際法や国際人道法の枠外ではなく、それを遵守する立場をとるとしています。 

この国連の方針転換を受けて、2000年の国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)においては、東ティモールの独立に反対する民兵グループの襲撃に会ってニュージーランド、ネパール隊各1名が殉職したことに対して、PKO部隊は「軍事行動」をとりました。

Pko

南スーダンPKOで住民デモを監視する中国軍PKO部隊。中国は日本よりはるかに熱心にPKOに参加し、このスーダンでも2名の死亡者を出している。

いまや国連PKOにおいて、住民保護が最優先任務とされ、ROE(交戦規定)もそれに沿って「紛争当事者」であることを前提とするようになっています。

たとえば、日本では現場からの日報に「戦闘」があったのなかったのとどーでもいいことをつつきだして騒いでいた南スーダンPKO(UNMISS)の2011年当初マンデート(委任された権限)は、「国づくり」でしたが、和平が破れて内戦が始まると、2014年には「住民保護」に変更されました。 

つまり、「戦闘」があるかないかではなく、ましてや戦闘がないから自衛隊を出すのではなく、初めから住民保護のためには交戦を前提として、他国のPKO部隊は派遣されていたわけです。

「いや、日本の自衛隊は国づくりのための民生活動だ。名称も施設科だぞ」と、おそらく日本国内でしか通用しないマジックワードをならべても、諸外国は理解しないでしょう。

国際社会では、自衛隊がいくら「軍隊ではない」といってもそれはあんたの国の内部事情、普通科とは歩兵のこと、施設科とは工兵のことなのですから。

したがって、自衛隊のPKO部隊はPKF(United Nations Peacekeeping Force)という平和維持軍の工兵隊部隊なのです。

日本は国内でしか通用しない言葉遊びで、本質から逃げるのは止めたほうがいいでしょう。

日本において政府が語ってきた「後方支援」「非戦闘地域」「非一体化(武力行使とは一線を画する)」などの概念は、いまやまったく無意味、かつ本質を見せないという意味において有害ですらあります。

なぜこのような言葉遊びでごまかしているかといえば、日本国憲法において自衛隊は「軍隊」ではなく「交戦権」は持たないとしているからです。

ですからPKOは交戦することを前提においた軍事行動をする軍隊だと認識してしまうと、自衛隊を参加させられないことになるからです。

本来なら、5原則を変更すべきだった自民党政権もダメですが、知っていて出した民主党政権も同罪です。

そしてこれを日報事件として大臣の首を取ることとしてしか捉えられない国会議論は、もっとダメダメです。

このようなあいまいな国際平和活動との関わりは早急に議論して修正されるべきですが、根が憲法問題に絡むだけに簡単にはいかないでしょう。

これについては稿を改めます。

                                                   ~~~~~~

●事務総長告示
1999年08月12日

国連部隊による国際人道法の遵守
第5条
 

国連部隊は何時においても、一般市民と戦闘員、および、民間施設と軍事目標とを明確に識別するものとする。軍事作戦は、戦闘員と軍事目標のみを対象にするものとする。一般市民あるいは民間施設に対する攻撃は禁止される。
一般市民は本条によって認められる保護を享受するものとするが、敵対行為に直接的に関与している場合は、この限りでない。
国連部隊は、一般市民の巻添えによる死亡、一般市民の負傷あるいは一般市民の財産に対する損害を回避し、かつ、発生した場合でもこれを最小限に止めるため、あらゆる実行可能な予防措置を講じるものとする。

2018年1月29日 (月)

国連PKOは変化し続ける

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国連が日本にPKO訓練費用の提供を要請してきました。これはトランプ政権が支出の大幅削減をしたためです。

「アメリカのトランプ政権が主導して国連のPKO=平和維持活動の予算が大幅に削減されたことを受けて、国連は、日本に対してPKO要員の訓練費用の提供を要請していることを明らかにしました。(略)
そのうえで、「日本のような国からの支援が必要だ。24日、日本政府の高官と会談したが、支援を得られることを期待している」と述べて、増え続ける訓練費用を確保するため、通常予算とは別に自主的な資金提供を日本に求めていることを明らかにしました」
(NHK1月25日)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180125/k10011301811000.html

この問題はいい機会ですから、金を出す出さないというレベルではなく(出さなければ中国が出すだけですが)、PKOの変化と憲法との関係で考えてみましょう。 

まず、いま行われているPKOについて押さえておきましょう。 

一言でいえば、かつてのカンボジアPKO(UNTAC)の時とは、大きく変化しています。 

驚かれるかも知れませんが、そもそも国連PKO(United Nations Peacekeeping Operations)には、定まった規約が存在しないのです。
国連憲章テキスト | 国連広報センター 

誤解を恐れずにいえば、国際社会が壁にぶつかりながらつくり上げてきた「国際慣習」の仕組みです。 

ですから、国連憲章にはPKOを明文化した条文はなく、あるのは憲章第7章の集団安全保障体制だけです。 

この国連憲章という国際法には、集団的自衛権かあるないという日本独特の教条は影も形もなく、当然あることを前提に書かれています。 

日本国憲法は国際法に優越するのだという独善は、国内では通用しても国際社会では無意味なのです。 

それはとりあえずおくとして、誕生したばかりの国連は「国際の平和及び安全の維持または回復のための措置」として、国連軍まで想定していました。 

国連に加盟することは、この国連軍に兵を拠出する義務を負うのです。 

この「国連軍」は、ただ一回、朝鮮戦争時にきわめて変則な形で登場しただけで、機能不全に陥りました。 

とはいえ仮に当時日本が国連に加盟していれば、日本は「国連軍」に参加する義務が生じたともいえます。 

ところが幸か不幸か、日本が国連に加盟した1956年には朝鮮戦争は休戦に入っていました。 

もしあと3年、ないし4年主権回復が早ければ、日本は「国連軍」へのなんらかの参加を求められたはずですから、60年後にいまさらのような集団的自衛権論議はなかったともいえます。 

ところが、「国連軍」は東西冷戦の中で、実際は機能しませんでした。 

そこで第2代のハマーショルド国連事務総長が、いみじくも「国連憲章6章半」と呼んだ国連PKOが誕生したのです。 

憲章に明記されていないために、その時々の国際情勢の変化やPKO現場での経験を踏まえて大きく変化し続けています。 

裏返していえば、PKO活動とはトライ&エラー(試行錯誤)の連続だったと言っていいでしょう。 

その中でPKOはルールづくりをしてきたのであって、「憲章にこう書いてあるからここまでで終わり」という発想ではないのです。 

この「変化し続ける」というPKO特有の性質がわからないと、PKO論議をするときに「ここで戦闘が起きているのか」「どこまでが平和地域だ」「どこまでが後方支援だ」、はたまた「隣の国のPKO軍を助けたらダメだ」などという神学論争に陥ります。 

そのような大脳皮質の産物で愚かな線引きをしている国は、世界で日本ただ一国だけです。 

では、この後のPKOの変遷の歴史を簡単に振り返ってみましょう。 

第1期・・・1948年5月、第一次中東戦争の休戦監視を目的として設立された国連休戦監視機構(UNTSO)が典型。
国連が紛争当事者の間に立って、停戦や軍撤退の監視などを行い紛争の鎮静化と再発防止を図る方式。
 

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第2期・・・1980年代末から始まる冷戦終結に伴って、超大国が蓋をしていた宗教対立・人種対立・国境紛争が一斉に吹き出した時期のPKO。
兵力引き離し・監視に加えて、当該国の住民の治安部門の改革、選挙・人権・法の支配への支援、紛争下の文民保護といった新たな任務が追加される。
日本が始めて参加した国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)などがこれです。

JCCPとは−明石顧問のメッセージ - 日本紛争予防センター

 おそらく日本国民のPKOのイメージは、この第2期のカンボジアPKOで止まっているはずです。

またこの初めてのPKOとの遭遇は、文民警察官として参加した高田警視の殺害がトラウマとなって、損害ゼロがPKO参加の大前提になってしまうという後遺症をもたらしました。 

日本政府が、1992年に「PKO5原則」なるものを作っていますが、そこにはこのトラウマが色濃く残っています。
我が国の国際平和協力の概要 | 外務省

①紛争当事国の間で停戦の合意が成立していること
②当該平和維持隊が活動する地域に属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること
③当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的な立場を厳守すること
④上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること
⑤武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること

このような5原則は、世界の紛争現場に無知な人たちが、「PKO派遣は海外派兵だから違憲だ」、果ては「徴兵制度がやって来る」などと叫ぶ野党に追求されないために作ったにすぎませんでした。

そのために、世界のPKOが置かれた現実とは大きく乖離していくことになります。 

この5原則を作ったわずか2年後の94年4月に、あの忌まわしいルワンダ虐殺事件が起きます。
ルワンダ虐殺 - Wikipedia

この時、国連PKOは国連ルワンダ支援団(UNAMIR)として、停戦監視、治安維持、兵員の社会復帰、暫定政府のための選挙支援などで活動していました。その数、2500名の兵員、60人の文民警察官でした。 

ところが、彼らPKOの目前で大虐殺が進行するのです。 

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94年4月の1カ月間だけで、フツ族系政府・フツ武装民兵によって、ツチ族は20万人以上、最終的には50万から100万人、実にルワンダの国民の1割という膨大な虐殺をうみました。
 

これに対して、PKOは5月中旬から5500人の増援を送りましたが、焼け石に水でした。

なにより、住民虐殺を阻止することをニューヨーク国連本部が禁じたからです。

これは従来の第1期からあった3原則に拘束されたからです。

①主たる紛争当事者の同意
②不偏・公平
③自衛任務以外の武力の不行使

一方の側が一方の側を殺しまくっている状況で、「当事者の同意」も「不偏」もあったものではありません。

住民を凶暴な暴力から保護するためには、「自衛以外の武力行使」も必要だったのです。

この国連本部の及び腰のために、ルワンダは秩序の真空地帯と化しました。

各国のPKO部隊はなすすべもなく撤収していきます。 

国連はPKO活動の根本的な見直しに迫られました。そもそも住民保護が出来ずに虐殺を放置するようなPKOならば、もはやそれは平和活動とは呼べないからです。 

さらに追い打ちをかけるようにして、2000年代に入ってのイラク戦争後には、国連や国際赤十字そのものがテロの対象となっていく事態が続発していきます。

そこで出てきた新たなPKOについての方針が、PKO第3期であるいまのPKOに課せられた「住民保護」でした。

長くなりましたので、PKOの新たな考え方については次回にまわします。

 

2018年1月28日 (日)

日曜写真館 異界としての村

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2018年1月27日 (土)

米国、TPPに復帰検討

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トランプがTPP復帰を、「よりよい内容なら」という条件付きで検討を表明しました。

「【ダボス(スイス東部)=山本貴徳、黒見周平】トランプ米大統領は26日、ダボスで開かれている世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)で演説した。米国が離脱した環太平洋経済連携協定(TPP)について、『国益が十分に守られるならTPPの加盟国と個別またはグループで協議することを検討する』と述べ、TPPのような多国間協定への意欲を示した。
 トランプ氏は演説で、「『互に利益をもたらす全ての国と2国間の交渉をする用意がある。
それはTPPの国も含まれ』」と述べた。その一方で、『公正で互恵的であれば、自由貿易を支持する』とも強調した。2国間協定を軸としつつ、自国に有利な条件なら多国間協定も除外しない考えを示したものだ」(読売1月27日)

私は、トランプが当初の一国主義から、大きく多国間協調路線にシフトしたと思います。 

TPP離脱はトランプにとって選挙期間中から掲げていた1丁目1番地のような公約でしたから、これを修正するのはそうとうに困難だと思っていました。

「TPPは米国を含む12カ国で15年秋に大筋合意し、16年2月に正式署名して批准作業を開始した。
その後に大統領選に勝利したトランプ大統領は、公約通り就任直後に協定脱退を表明。「TPPから永久に離脱する」とした大統領令にも署名した。17年1月末には米通商代表部(USTR)がTPP離脱を書簡で通知し、その後は交渉に加わっていなかった」
(日経1月27日)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26166870W8A120C1000000/

トランプは安倍氏が崩壊しかかったTPP11をただひとりで牽引して、締結にまでこぎつけたことを横目で見ていました。 

あるいは、直接に何度か復帰をうながされたのかもしれません。 

私はTPPが単なる経済連携協定ではなく、反TPP論者がいう悪しきグローバリズム一般でもなく、明確に中国を念頭においた民主国家群の広い意味での<アライアンス>(同盟)だと考えるようになってきました。 

いまの21世紀中葉は <中国の世紀>です。中国は台頭する段階を終了し、版図拡大の時期に入っています。 

ルトワック風にいえば、平和的台頭期である「中国1.0」、対外強硬政策期の「中国2.0」を経て、選択的攻撃期の「中国3.0」に変化してきました。 

一部の保守論客の中には、安易に中国経済が崩壊するという予測を立てる人が絶えませんが、それは安易な願望にすぎません。 

共産党が指導するこの国家資本主義経済は、驚くべきタフさを持っています。 

そしてこの国は世界を中国の色に染め換えようとしています。アジア、アフリカ、大洋州においてそれは顕著で、日米欧においてすら強い力を持ちつつあります。 

言い換えれば、中国共産党の価値観を、チャイナ・マネーという武器を使って世界に浸透させようとしているといってもよいでしょう。 

それがどのようなものであるかは、劉暁波氏の監禁と痛ましい死をみれば分かります。
劉暁波 - Wikipedia 

Photohttp://www.huffingtonpost.jp/2017/07/14/liu-xiaobo... 

人類が長い時間をかけて築きあげた、権力の集中排除、三権分立、社会的自由の尊重、少数民族の諸権利、他国主権の尊重などといった近代自由社会の常識は、ことごとく中国にとってなんの意味もなしませんでした。 

人権は共産党の解釈ひとつでどうにでもなるものにすぎず、ウィグルやチベットといった少数民族には酷たらしい弾圧が加えられています。 

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たとえばいま何かと話題になっている米韓関係において、韓国がどうしてここまでコウモリなのか考えてみれば分かりやすいかもしれません。

それは中国が経済を明瞭に「武器」と認識し、意識的に支配の道具として使っているからです。

中国は、米国が中国の弾道ミサイル防衛ネットワークづくりの一環として、THAADを韓国に配備することに反対してきました。

これは中国国内の弾道ミサイルが丸見えになるというだけではなく、それ以上に韓国が東アジアのミサイル防衛網に組み込まれることを嫌がったのです。

Photo_32017年9月14日、環球網は、高高度防衛ミサイル配備問題の影響により中国での業績が悪化しているロッテマートの売却が決まったとする、韓国メディアの報道を伝えた。写真はロッテに対する抗議デモ。http://www.recordchina.co.jp/b190689-s0-c20.html

中国はTHAAD基地に土地を提供したとしてロッテにあのてこのてでイヤガラセをかけ、やがてそれは中国に進出する韓国系企業全般に及びました。

あげく、中国人旅行者の韓国渡航の禁止です。中国人観光客に依存する韓国業界が大きな打撃をうけたのはご承知のとおりです。

これで韓国はもろくもギブアップしました。ムンはTHAADの追加配備をしないことを中国に泣訴して、やっと許されたわけです。

いま、北への圧力に対して、ムンがことごとくサボタージュをしているのは、北の背後に中国の姿が見え隠れしているからです。

この時の韓国を日本の右サイドは笑って眺めていましたが、この手法はそのまま日本にも応用可能なことを忘れています。

日中関係が尖閣などをめぐってさらに緊張した場合、中国は再び禁輸政策や日本製品の締め出し、中国人観光客の日本渡航制限措置に出るでしょう。

これをやられた場合、日本の自動車産業や、インバウンドに頼る観光業界は大きな打撃を受けて、「尖閣などという岩礁は中国にくれてやれ」「尖閣は中国から奪ったんだ」と官邸に怒鳴り込む人も出そうです。

このような経済を政治の武器とするような、政治優越思想によって相手国の世論を分断し、さらに米国との関係までも亀裂を走らせるのが、中国の常套手段です

このようにあからさまに経済を相手国支配の具にする国は、世界ひろしといえど中国だけです。

あるいは、アフリカや中央アジアの独裁政権に武器を売りさばき、資源を支配しようとする国もこの国だけです。

北の国民がいかに飢えようとそ知らぬ顔で、金王朝を3代にわたって支援してきたのもこの国です。

米国のアジアからの後退を奇貨として、南シナ海全域を自分の内海としようとしているのもまた、この国です。

このような民主主義と根底で相いれない価値観を持ち、膨張を続ける独裁国家が中国であり、これが21世紀中葉の新たな世界常識になろうとしています。

中国に21世紀のこれからの国際ルールの書き換えを、断じて許してはいけません。

その意味で、私はこの中華帝国に対しての、自由主義的価値観を共有する諸国の非軍事的アライアンスがこのTPPだと考えています。  

その意味が明確になったからこそ、もはやトランプも国内的理由で拒否できなくなったのです。

 

2018年1月26日 (金)

安倍首相が訪韓する理由は釘を刺しにいくのでしょう

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活発なご意見、ありがとうございます。 

そうですねぇ、今回は日韓合意以上の難球だからなぁ。安倍氏がコメントにあったような、「文鮮明に随喜の涙を流して、日韓トンネルをつくる」ような輩だったら、まだ分かりやすいんですがね(笑)。 

それにしてもいつの時代のこと言っているんでしょうかね。統一協会=勝共連合が自民に一定の影響力を持ったのは、半世紀近く前の話ですがね。情報古すぎ。

確かに昨日私自身が書いたように、いまこの時期に訪韓するのは、ムンがやろうとしている、慰安婦合意見直しと北への包囲網崩しに日本がお墨付きを与える可能性は捨てきれません。 

また外形的には、韓国世論のように「安倍を折れさせたムン大統領の勝利」と評価される可能性もなきにしもあらずです。 

国内の支持層の多くも反対で横並びだったようです。 

その中には、なにかあるとすぐに「日韓断交」と叫ぶ人たちもいて、いままだそんな時期じゃないでしょうに、頭を冷やしなさいと私は思います。 

平たく言っても、近隣国と緊張関係にあるのは望ましくありません。政治的緊張は必然的に軍事的緊張につながります。 

日本の場合、あくまでも脅威の主方面は南西方面、つまり東シナ海・尖閣方面であって、玄界灘・対馬・竹島方面に緊張の第2戦線を作るのは愚作です。 

そうでなくとも日露関係は、プーチンと首相の人間関係で維持されているような危ういもので、いつかつてのような軍事的敵対国に回るかわかりません。 

その場合、日本は最悪、南西方面からは中国に、北西からは韓国・北朝鮮に、そして北方からはロシアに軍事的に三方から包囲される可能性があります。 

その場合、日本は安全保障上は最悪である三方面防衛をせざるをえなくなります。 

下の東アジアの地図を頭に入れて、わが国の地政学位置を確認すれば分かりやすくなるはずです。 

02237000016

これら3方面に自衛隊をまんべんなく貼り付けておく贅沢など、とうていいまのわが国の国力では不可能です。 

日本が、現在中国の強い圧力にかろうじて耐えていられるのは、とりあえず北西と北の圧力を大きく見積もらなくて済み、南西方面にリソースを傾けられるからです。 

というわけで韓国に対して、かつてのような合邦や日韓条約のような経済・政治援助などといった過剰な介入は一切無用にせねばなりませんが、決して安易に感情に走って敵にしてはいけないのです。 

敬せず遠ざけるが、間違ってもこちらからは関係を切らないていどのつきあいが程合いがいいと思います。 

このような前提でもう一回、今回の首相訪韓を考えてみましょう。 

2
今のムン政権の北朝鮮化は、ひと言でいえば、北朝鮮への恋慕が歯止めのなくなった状況です。 

ムンは北からアレをしろといわれればハイ、コレが怒らせそうならあらかじめ取り除いておくという北の下男と化しています。 

そしてとうとうこの時期に、ムンは米国を激怒させることをやってのけました。

「米国の原子力潜水艦『バージニア』(7800トン)1隻が18日、釜山海軍作戦基地(釜山市南区)に入港しようとしたが、できなかったことが明らかになった。この原子力潜水艦は補給・休息のため釜山に立ち寄るとして韓国政府と協議していたところだった。
 政府関係者は「原子力潜水艦の入港前に韓米間で協議したが、韓国側が『北朝鮮に圧力となるメッセージを与えるのでないなら、入港しない方がいい』との意向を伝えたと聞いている」と語った。釜山ではなく、代わりに鎮海港(慶尚南道昌原市)に立ち寄るよう提案したが、米軍側は『それなら入港しない』と断ったという」(朝鮮日報1月25日)

Busan_michiganプサンに入港した「ミシガンUS.NAVY - The guided-missile submarine USS Michigan (SSGN 727) passes the Olyuk Rocks as she arrives in Busan for a routine port visit.

なぜ、ムンは「バージニア」の寄港を拒否したのでしょうか。それはこの原潜がただ者ではないからです。 

「バージニア」は、攻撃型原潜に分類されますので、本来は対潜作戦に使われる艦種ですが、トマホーク用のVLS(垂直発射システム)を12基持ちトマホークを発射可能です。 

ちなみに上の写真の「ミシガン」は、154発ものトマホークを発射できる水面下の巡航ミサイルプラットホームです。 

その上にこれらの原潜は、正恩がまむしのように嫌っている首取り特殊部隊・SEALも運用する能力を持っています。
バージニア級原子力潜水艦 - Wikipedia 

このような艦船を、いまこの時期にプサンに入れるということの理由は、特に考えないでも分かりますね。 

はい、もちろん北への軍事的威嚇です。米海軍はかつてのように空母だけに砲艦外交をまかせずに、原潜にも心理的圧力をかけさせています。
砲艦外交 - Wikipedia 

これをムンは拒否して自国の港に入れなかったわけですから、これまたなにを考えているのか実に分かりやすいですね。

こんなところでしょう。 

「正恩首領様。韓国は米国と軍事同盟を結んでいますが、いやナニ、あれは形ばかりで浮世の義理つうもんでげして。
そのうち機会を見て戦時統制権も取り返しまして、ていよく在韓米軍なんぞ追っ払ってやります。
その証拠に、ほらこのとおりアブナイ原潜なんか追い払ってやりました。
ですから、正恩様にあられましてはどうぞ安心して五輪にご参加くださいますように、伏してお願い申し上げます」

 ま、ムンの本音は、当たらずとも遠からずでしょう。米国が砲艦外交なら、ムンは幇間外交といったところです。 

こういう屁たれと呼ぶのも褒めすぎのムンに、ペンス副大統領と一緒に釘を押すのが、安倍氏の狙いでしょう。 

たぶん、米国の要請もあったのではないでしょうか。 

トランプがロシアン・ゲートに巻き込まれて来られなかったのは残念でしたが、来たとしたらトランプと安倍氏からステレオで叱咤されて、さぞかし身も細る思いだったことでしょうに。

なお、トランプがTPP残留に向かったようです。

「ダボス(スイス東部)時事】トランプ米大統領は25日、米CNBCテレビのインタビューで、公約実現の一環として離脱を表明した環太平洋連携協定(TPP)について、米国に有利な条件が得られることを前提に、残留を検討すると表明した」(時事1月26日)

追って詳報しますが、これで政治・経済の包括的太平洋同盟が出来つつあります。

 

2018年1月25日 (木)

安倍氏は平昌五輪の開会式に行くべきではない

058

安倍氏が平昌五輪の開会式に行くそうです。 

止めて下さい。今回は百害あって一利なしです。

首相は1月24日付け産経とのインタビューでこのように述べています。
http://www.sankei.com/politics/news/180124/plt1801240003-n1.html

「文在寅大統領と会談し、慰安婦問題をめぐる日韓合意に関し、文政権が示した新方針を『受け入れることはできない』と直接伝える意向を示した。核・ミサイル開発を続ける北朝鮮については『高度な圧力の維持を再確認したい』と述べた」

安倍さん、なにを言っているんですか。そんなことは特にムンと直接会わないでも済むことで、ましてや相手国にこちらから行って述べることではありません。 

むしろこちらに呼び出して、「直接伝える」べきです。抗議する側が、抗議を受ける側の国にすり寄ってどうするんですか。

日本人の8割以上が怒っている日韓合意違約ですが、いまの韓国政府は日韓合意について、「決着済み」というポジションをとっています。

Photoカン・ギョンファ外相と河野外相

中央日報(1月12日)はこう報じています。

「これはカン・ギョンファ外相が再交渉要求をしないとしながらも、合意には問題があるとして他のアクションを要求したこと自体を「慰安婦問題の最終的なかつ不可逆的解決」という合意を否定するという日本政府の認識が反映されたものであると受け取られる。
これにより、歴史問題と日韓の未来志向の協力を分離して、日本と正常な外交関係を回復するという韓国政府の意図にもかかわらず、日韓関係は急速に冷却される可能性も排除することはできないようだ」

まるで 鏡の国を見るようですな。玄界灘の先にあるかの国では、私たちが白いと思えば黒、三角なら四角なのでしょう。

正常化を望む韓国政府に対して日本が難癖をつけているために、急速に日韓関係が悪化している、あげて責任は日本政府にあるというのが韓国の基本認識です。

しかも韓国からすれば、そんなに日本がしこっているなら歴史問題と未来志向を切り離してもいいよとまで「譲歩」しているということになります。

あー、コリアワールドに引き込まれると、頭がクラクラします。

まるでムン閣下がわれら日本の愚民に、天上から訓戒を垂れてくるようです。

「なーお前、われらは千年たっても忘れようはずもない民族の恨みを一時棚上げにしてやるとまで言っているのだぞ。
これは冬季五輪という平和の祭典があって、しかも北の兄弟国とのこともあるという特別事情だからだ。ありがたくこの韓国の温情ある新方針をお受けするように」

たぶんムンは米国に対して、いま日米韓の対北圧力の陣形をくずしているのは、頑迷な安倍のせいだと言っているはずです。

わが韓国は条約は尊重する、廃棄はしないと言っているではないか、このどこに不満なのだというわけです。

もちろん、いうまでもありませんが、日本政府は日韓合意に関わるすべての付帯義務を忠実に履行済みです。

安倍首相名で「心からのおわびと反省の気持ち」を表明し、韓国政府が元慰安婦支援のための財団に約束どおり10億円を拠出しています。

この措置の着実な履行を前提にして、合意の条文にあった「問題の最終的かつ不可逆的な解決」を確認したはずです。

つまり、日本側はやるべきことはすべて誠実に履行済みなのです。

またパククネ政権は、ソウルの日本大使館前の少女像について、「適切に解決されるよう努力する」と約束しました。

これらを一瞬にしてすべてスルーしたのが、他ならぬムン閣下です。

これに対して河野外相が「さらなる措置は全く受け入れられない」と言明したのは、当然すぎるほど当然のことです。

つまり二国間関係において慰安婦問題の交渉はいかなる意味でも終わっているのであって、再交渉を求めるも求めないもそれは純粋に韓国の国内事情にすぎないのです。

ところが推測の域を出ませんが、韓国は米国務省に対して日米韓三国の対北結束を破壊しているのは日本であると名指しした可能性があります。

これを聞いて米国が、日本は依怙地を張らずに妥協すべきだ、という外交的圧力をわが国にかけてきたことはありえることです。

日本政府は韓国との事前折衝において、首相がムンに直接に新方針の拒否を伝えるということを見返りにして、開会式出席を呑んだのかもしれません。

安倍氏の軟化の原因を探すとすれば、このあたりしか思いつきません。

Photo_2ソウルに到着した北朝鮮「三池淵管弦楽団」の女性団長ヒョン・ソンウォル氏(中央)

ところで、このピョンチャン五輪ではなくピョンヤン五輪だと揶揄されるほど、北にとってまたとない圧力包囲網突破のためのプロパガンダ装置となっています。

北は平和攻勢を強めることで、韓国を妥協の場に引き込み制裁の無力化を狙っています。

もちろんこれはムンの意志でもあります。ムンは北への圧力の弱体化のための絶好の機会とこの五輪を考えているはずです。

五輪終了後、ムン閣下は次々に北への融和策を出すでしょう。

このような状況で、安倍氏がこの五輪開会式に出席するのは、とりもなおさずこの制裁無力化を手助けすることになります。

そもそも出席しても、主要国首脳はひとりもいませんよ。

習はムンの哀訴をはねのけて出席を拒否し、プーチンはドーピング問題でそもそも蚊帳の外、トランプは御家の事情で国から離れられず、英仏も首脳をだしませんでした。

その中で西側首脳としてポツンとひとり、予想気温氷点下12度、 風速時速10メートルの人体の極限状態のなか、南北合同チームの入場行進と、応援団席の美女軍団のやくたいもないパフォーマンスを5時間も眺めているというのは、もはや究極の罰ゲームですね。

まだ時間があります。悪いことは言いませんから、安倍さん、そんな馬鹿なものに行くのはお止めなさい。

2018年1月24日 (水)

宜野湾くれない丸氏寄稿 現時点での私の見立て

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宜野湾くれない丸氏寄稿の2回目です。今回で完結となります。

なお読みやすくするための編集を施し、小見出し、タイトルは編者がつけたものです。

ご苦労さまでした。ありがとうございました。
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                                            ~~~~~~~~~

承前

■なぜあのような場所へ小学校を造ったのか? 

今現在、この記事に於いてその答えを出すことは出来ません。今後も新たな資料や意見など出てくる可能性もあるからです。 

あくまでも現時点でのとお断りした上で、私の見立てを記したいと思います。 

先ず、あきらかに様々な問題をはらんだことが要因となって、結果的に「あの場所」になったことは間違いないでしょう。

私はその要因として考えられるものを、出来るだけ拾い出して、テーブルの上に並べて検証する作業をしてきました。 

ところが、宜野湾市教育委員会やジャーナリスト氏、文献などを探っても、そのどれもが「全般的な見解」であって、小学校の建設、2度の移転断念、2015年の返還地への移転計画なしという具体的な疑問に答えているものがありません。 

以下に挙げる文献や雑誌記事は「普二小問題」を掲載していますが、どれも私には腑に落ちないものばかりです。 

唯一、『沖縄に内なる民主主義はあるか』には全般的な見解は網羅されていますが、その根拠が示されていません。 

つまり新聞なり文献なり証言者などの根拠が、文献で示されていないのです。

■普天間2小問題の文献には決定的なものがない

調査した文献と、それに対する私の見解を→で記しておきます。

①『沖縄に内なる民主主義はあるか』又吉康隆 2012年 自費出版

→疑問を全般的に網羅してはいますが、その根拠が示されていません。例えば「土地代が安かったのであの場所へ建設した」というような書き方には根拠があるのでしょか。 

②『暮らして見た普天間 沖縄米軍基地を考える』植村秀樹 吉田書店 2015年 

→あの場所へ建設した理由の説明がありません。宜野湾市に移転頓挫の質問はしていますが、2015年に返還された土地への移転計画がないことを当局へ質問していません。

③『それってどうなの?沖縄の基地の話』沖縄米軍基地問題検証プロジェクト編集・発行 2016年

→反基地運動が移転を妨害したの?という話への答えという形式だが、その実、この疑問には答えていません。 

④『これってホント!?誤解だらけの沖縄基地』沖縄タイムス社編集局編著 高文研 2017年

→あの場所へ建設した理由の説明がされていません。ただし、他は詳細に調べています。 

⑤週刊新潮 コラム『変見自在』高山正之 2017年12月28日号

→窓枠落下事故以後に出た記事です。「沖縄の両班」と題して「宜野湾市はキャラウェーの退任を待って普天間基地の滑走路脇に普二小を建てた」というかなり偏った見解を要因のひとつとして挙げています。

しかし、これもその根拠が明示されていません。

■現時点での私の見立て

宜野湾市当局への質問、PTA新聞、さらには上記の資料文献を検証した上での、現段階の私の見立ては以下です。
 

開校当時の宜野湾市は人口の急激な増加によって小学校の新設が急務な状態でした(「発展する宜野湾市」沖タイ(朝)1969年3月31日) 

その結果、普天間小学校は児童数2400人という全国屈指の大規模校に膨れ上がっていました。(『暮らして見た普天間』103頁)

そこで普天間小学校とあまり離れていない、通学可能な場所での土地を確保することになりました。 

それが普天間飛行場脇にある現在の現在の場所でした。

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ですがその時点で既に爆音問題は表面化しており、基地機能の拡大も新聞などで発表されていました。 

ましてや1968年11月には嘉手納基地内でB52が墜落事故を起こした記憶も生々しい状況下で、「あの場所」へ学校を造ると後に様々な問題が生じることは自明のことだったと思います。 

しかし1972年の日本復帰が決定したとき、「復帰と同時に基地も撤廃される」ことが当然約束であると誰もが思っていました。

宜野湾市もそう考えていたのでしょう。だから「あの場所」でも造ったのではないでしょうか。 

しかし現実には、沖縄の基地はそのまま存続しました。

当時の地元紙を見ると、「沖縄基地、大部分は残る日・米政府、返還協定に調印」(新報1971年6月18日)や、「沖縄の基地返還協定を点検する」(沖タイ1971年10月5日)の記事には、基地が縮小されるどころか逆に増強され恒久化へと進む普天間基地への怒りに満ち溢れた記事が目だってきます。

終わりに

さて、私のこの見立てを裏付ける根拠は、今のところ残念ですがありません。

後は、当時の当局関係者らへ取材するしか方法はないでしょう。

取材しても話してくれる保障はありませんし、ましてや私は普通のただの宜野湾市民にすぎません。

沖縄国際大学の建設場所が決定した折の地元紙の記事です。

「宜野湾に敷地決定
「私大合併世話人の〇〇氏ら関係者も大学建設に適当な土地として太鼓判を押している」(沖タイ1972年2月24日)

復帰直前の記事ですが、後に米軍ヘリが墜落したこの沖国大の土地選定について「大学建設に適当な土地と太鼓判を押している」のです。

この記事の行間を考えてみることも、この問題の要因を探すことになるかもしれないと思います。

今後も調査を行っていきます。

                                                                                                       (了)

2018年1月23日 (火)

普天間2小問題 「基地閉鎖なくして移転なし」なのか

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宜野湾くれない丸さんの寄稿のリード部分でしたが、こちらに移動しました。 くれない丸さんの調査報告もぜひお読みください。 

さて先日も、普天間2小上空を米軍ヘリが飛んだということで、大騒ぎに発展しました。 メディアはあたかも米軍の暴虐のような伝え方をしています。

それでなくとも、普天間2小はかねてから沖縄米軍基地による受難のシンボルのような扱いを受けていました。 

事故があるたびに、県民から強い危機感と怒りが表明されています。

私はそれに共感します。子供が安全な環境で健康に育ってほしいと願うのは、あまりにも当然のひとの親としての願いだからです。

しかしあえて言わせて下さい。ちょっと待って欲しいのです。なにが一番重要でしょうか? 

抗議集会ではかならず集まった人たちは、シュプレッヒコールで「基地撤去」を叫んでいますね。

これもあたりまえの要求です。周辺住民にとって基地がなくなってほしいと思うのは、ある意味で当然のことです。

ただし普天間2小がらみでそれを言うことに、私はやや合点がいかないものを感じるのです。

宜野湾市はかつて前市長時代に、くれない丸さんの質問に答えて普天間2小問題にこう答えています。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/21-2-7d30.html

「普天間第二小学校だけでなく市全体が危険に晒されているのが現状であります。一日も早い普天間飛行場の閉鎖・返還に向け鋭意取り組むことが、子どもたちの安全確保につながるものと考えております。
同校の移転につきましては、現在のところ計画はございません」(2015年5月末の宜野湾市回答文抜粋)

ここで市は、「閉鎖なくしては移転なし」と言ってしまっています。

逆に言えば、基地が閉鎖されないかぎり、普天間2小は動かさないということなのでしょうか。

では素朴にお聞きしたのですが、小学校は何年間でしょうか?いうまでもなく6年間ですね。

いま子供を1年生に普天間2小に上がらせたばかりとして、この子供が卒業するまでの6年間に普天間基地が撤去される可能性が少しでもあるのでしょうか?

その間ずっと6年間、子供は危険と背中合わせなのでしょうか。

普天間基地がなくなるためには、米軍がここに基地を置く軍事的必然性が消滅した場合か、あるいは移設して別の場所に移動するかだけの二つのケースしかありません。

前者の可能性は現時点ではありません。それは県内だけ見ずに、アジア全域を見渡せばわかります。

中国の台頭は急激に軍事色を帯び、四方八方に軍事膨張をしています。

沖縄県が管理する尖閣の領海に毎月のように中国公船が侵入し、とうとう潜水艦も接続水域に入ってきました。

しかも北朝鮮までもが核武装を進めていて、いつ戦争が起きるかわからない緊張した状況が続いています。

こんな時期に、米軍はここから出て行くのは不可能です。

では、後者はどうでしょうか。

こちらは不確定ですが、10年先には辺野古に移転される可能性がありますが、抗議集会の人々は例外なくその移設にも強く反対しています。

では、どうしたら目の前にある学童の危険を救済できるのでしょうか。

失礼ですがそう考えると、普天間2小の学童の危険を取り除くと称して「基地撤去」を叫ぶことはただのスローガンのためのスローガン、あるいは問題のすり替えにすぎないように私には感じられます。

私には直ちにできる解決方法はひとつしか思いつきません。それは普天間2小をこんな危険な基地脇の場所から移転させることです。

しかし、それもなぜかできないでいます。 普天間2小のPTAは、ヘリ窓枠落下事件を受けて沖縄防衛局に陳情にいきましたが、それは校庭に屋根をかけろというものだったようです。

なぜ、PTAは国や市に移設を支援しろと要求しないのでしょうか。不思議です。

このように考えてくると、疑問は2点に要約されます。 

ひとつは、かつて普天間二小はなぜあのような基地隣接地に作られたのか。 

2番目には、そして現在、航空機事故の危険性があるのになぜ移転しないのか、です。

何度となく書いていますが、くりかえさせて下さい。

沖縄の米軍基地をなくせという要求と、いま学童が危険にさらされている現実の要求を一緒にしないで下さい。

これは本来、別次元の問題なのです。混同すると、解決可能なものも解決しません。

基地閉鎖は国の安全保障の問題ですが、小学校の移設は教育行政の問題だからです。

安全保障は国の根幹、背骨です。

ですから、普天間基地を閉鎖しろという要求に、政府が歩み寄ることはありえません。

閉鎖などしたら日米同盟が瓦解するのみならず、アジア全域が危機にさらされるからです。

しかし普天間2小を移転させろ、移転のための適地を準備しろと国に要求するならば、国は喜んで助けるはずです。

しなければ、そのときは心底怒ったらいいのです。

基地撤去という大きい政治目標に目を奪われて、いまの学童の安全をないがしろにするとしたら、親としての責任を放棄しているに等しいと思います。

宜野湾くれない丸氏寄稿 普天間2小の開校から3年後には爆音被害が出ていた

122

普天間2小問題に緻密な調査をつづけておられる、宜野湾くれない丸さんの2回目の投稿です。

私のリードは長すぎて、リードともいえなくなったので(汗)、記事に移動しました。

なお、頂戴した原稿をできるだけ原型のまま掲載しますが、読みやすくするための編集、タイトルと小見出しは編者が施したものです。

では、宜野湾くれない丸さんと共に、普天間2小問題をもっと深く考えていくことにしましょう。
                                                                                             ブログ主
 

                                         ~~~~~~~~ 

                 ■普天間2小の開校から3年後には爆音被害が出ていた
                                                                                  宜野湾くれない丸

■「PTA新聞」には爆音被害が既に存在し問題化していた

普天間第二小学校問題を当ブログで取り上げて頂きまして、合計4回も記事を掲載して頂きました。

掲載後に貴重な多数のコメントを頂戴きましたことに、改めてお礼を申し上げます。

さて、「なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その1(1月8日付)」で、私は「小学校建設(1970年)前後、普天間基地は休眠状態だった」と書きました。

関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-9e31-1.html

だから「あの場所」に学校を建設した、それが私の見立てです。

記事でも登場した在沖ジャーナリスト氏からも、以下のようなメールを以前頂いた事があります。

移転話について、ジャーナリスト氏はこのように述べています。

「1970年代の普天間飛行場の変化をみるとヒントが見つかるかもしれない、という気がします。
北谷町北前にあったハンビー飛行場は海兵隊のヘリコプター基地でした。復帰直前に返還が決まり、その機能が普天間に統合されました。
騒音問題が深刻化した時期と、宜野湾市教育委員会が教育環境の悪化を理由に移転先を探した時期が重なるかもしれません」

これを読むかぎりでは、「騒音*問題が深刻化して移転話」が出てきたのは、ハンビー飛行場が全面返還・普天間統合(1976年)の時期からなのではないか、というサゼッションです。

開校当初には、「騒音問題」は存在してなかったような漠然とした印象を私は受けました
(「爆音」からジャーナリスト氏の表記である「騒音」に合せました)

掲載後いくつものコメントを戴き、私の調べた範囲での見解も考慮し建設前後には「爆音問題はなかった」と仮説を立てました。

しかしさらに調査をすると、どうやらそれは間違いだったことに気がつきました。新たな資料には爆音被害は既に存在し、そしてそれは問題化していたのです。

普二小の「PTA新聞」に、その事実が書かれていたのを見つけ出しました。

このPTA新聞は「現場当事者」の方々の生の声であります。

事実を知りたい私にとって、このPTA新聞は貴重な第一次資料です。

その「PTA新聞第3号」(1974年・昭和.49年3月1日)には、当時のPTA会長さんが「爆音対策」と題して記事を書かれているのを見つけました。

以下はその概要の一部です。

「普天間第二小学校と云えば普天間飛行場を想い出す程にこの両者は背中合わせになって居る。
勿論そのために爆音による学習活動への影響は大きい。
一校時の間に四、五回も授業を中断する定められた授業時間を爆音によって妨害されることは児童の学力低下、精神衛生の面でも憂慮されることである。(略)子どもたちの学習に悪い影響が出るのを如何にすべきかと云うことで爆音公害対策委員会をもうけて、十月一日に初会合をもった次第である(略)」
「このことは、イデオロギーの問題ではなく毎日毎日の子どもたちの学習に深い関係のあることであり、私たちの子どもが在学中に真剣に考え、対策を講じないと、私たちの子どもは悪い影響を受けたまま中学校、高校へと進んで行くのである。(略)
当PTAとしては、爆音対策委員会で色々と研究調査していきたいと思いますが、父兄の皆様の真剣な意見を聞かせて下さる様お願いいたします。」

このように1974年3月1日の時点で既に爆音問題は表面化しており、「爆音公害対策委員会」をも設置し、(前年73年)10月1日に初会合をもった、というのが事実です。

この記事を虫メガネを使って読んだ私は愕然としました。また振り出しに戻った、と。

そこで、あらためて時代背景を確かめるべく、新聞記事の確認作業をしました。

早速、図書館へ行き、1970年前後の新聞記事を出来るだけ閲覧した。

結果、これまで見落としていた記事も含め爆音問題や米軍絡みの事故・事件にまつわる記事を色々と確認できました。

■開校当時の沖縄の時代背景

以下、見出しだけですが、1970年を中心に箇条書きします。時代の空気がお分かり頂けるかと思います。

●騒音問題
①「宜野湾市の市長 飛行機の爆音で軍に善処要望」沖タイ(朝)1969年7月17日
②「普天間海兵航空隊 激しくなる飛行訓練」新報(朝)1970年5月10
③「爆音の即時中止を」新報(朝)1970年6月6日
④「基地機能さらに拡大」沖タイ(朝)1970年6月30日
⑤「米軍機の部品が落下」新報(朝)1970年7月7日
⑥「基地公害を調査」新報(朝)1971年12月12日

●米軍絡みの事件・事故・イザコザ
⑦「酔って棒切れや石持ち米兵が大暴れ」沖タイ(夕)1969年1月10日
⑧「ホステス重傷負う 白人兵になぐられる」新報(夕)1969年8月4日
⑨「外人住宅から民間に汚水」沖タイ(朝)1969年9月18日
⑩「航空部隊のクリスマスのつどいとりやめ」新報(朝)1969年11月30日
⑪「米人が機関銃強盗、宜野湾市の質屋に」新報(朝)1969年12月8日
⑫「姉妹、はねられ重傷」新報(朝)1969年12月8日
⑬「助手席の幼女重傷」新報(朝)1970年3月5日
⑭「宜野湾で外人二人組強盗」新報(朝)1970年3月11日
⑮「ふらちな米憲兵隊員、酒気・無灯火でスピード運転」新報(朝)1970年4月27日
⑯「米兵がピストル強盗」新報(夕)1970年5月15日
⑰「外人強盗が続発」新報(夕)1970年7月7日
⑱「基地内での女子暴行未遂無罪判決に怒り」新報(朝)1970年8月27日
⑲「けさコザ市で暴動」新報(朝)1970年12月20日

以上のように、見出しだけでも気が滅入ってしまいますが、70年の普二小開校当初には爆音問題が表面化していたことはほぼ事実と判断してもいいと思われます。

新聞記事の内容を読むと、学校や公共施設でも爆音問題で被害を受けていることが分かります。

では、なぜこのような爆音問題のある場所へ学校を造ったのか?という素朴な疑問に再び立ち返らなければならなくなりました。

                                                                                       (続く)

2018年1月22日 (月)

西部邁氏自死す

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西部邁氏がお亡くなりになりました。覚悟の自死でした。

私はかつてのような熱をもった読み方ではなく、疎遠になった旧師の近況を聞く思いで近著の頁をくくっていました。

おそらく今日あたり多くの人が引用するでしょうが、何冊かの本には、はっきりとみずから死を選択すると記されていました。

Pic_nishibe
『妻と僕 寓話と化す我らの死』にはこうあります。

「この『平和』の日本国家あるいは『安全と生存』の日本列島では、『死の選択』という最も人間らしい行為が精神の病理現象として片付けられはじめ、(略)
逆らって僕は、自然死への人生行路にあっても、自分の思想が必要だと考えてきました。
簡略に言うと、『これ以上に延命すると、他者(とくに自分の家族たち)に与える損害が、その便益を、はっきりと上回る』と予想されるようになれば、自死を選ぶということです」

この本は氏特有のペダンチズムからもっとも遠く、素直に夫人の病を通して、生と死を語った一冊でした。

が故に、自らの生命を老醜による周囲への迷惑と便益をてんびんにかけて比較衡量するかのごとき一節に遭遇したときに、西部氏の死を知るのはそう遠くはないと暗い予感を感じた記憶があります。

また夫人のガンについて、こうも述べられています。

「身体の命運がぎりぎりまでくると、生き延び方といい死に方といい、自分で選び取るほかありません。人生は一回で、また人生は死の瞬間まで、つまるところは自分のものだからです」

この「つまるところ生は死の瞬間まで自分のものである」という一句は、今も私の奥底に響いています。

『発言者』はひと頃定期的に読んでいた時期がありましたが、氏の哲学的修辞に満ちた衒学趣味と、ことさらのような仲間撃ちに辟易して遠ざかってしまいました。

当時私には、西部氏の悪しき習癖と思えた議論ふっかけ癖も、今思うと氏の深い孤独と背中合わせでした。

「孤独は、その時代なり社会なり場所なりを支配している雰囲気から逃亡するときに生じる感情なのでしょう。
あるいは、それと闘って(案の定)、破れたときに生まれる感情なのでしょう。
いずれにせよ、孤独を自覚するのは人間の輝かしい特権と言わなければなりません。人間だけが、己の言動に意味を見いだそうと努め、その意味を表現し、伝達し、蓄積し、そして尺度するだけのことに未充足を覚える」

西部氏は望んで「人間の輝かしい特権たる孤独」を選び、そして望んで「自分のもの」だけである死を選んだのです。

その意味で、西部邁という孤高の思想家にとって自死は最後の思想表現だったのかもしれません。

ご冥福をお祈りします。合掌。

2018年1月21日 (日)

日曜写真館 岸辺の朝には鳥の声しか聞こえない

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2018年1月20日 (土)

ほんとうに危険な綱渡りの時期は、この祭りが終わった直後から始まる

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メディアを眺めていると、「冬季五輪で雪解けが始まった」というぬるいトーンが支配的です。

冬季五輪期間中には、自分の国の選手団や楽団員がいるのだから、よもや北からの攻撃はあるまいという思い込みがありますが、では米国はどう考えているでしょうか。

米軍はむしろ緊張度を高め、いつでも対応できる準備を整えています。 

ニューヨークタイムス(2018年1月14日)"Military Quietly Prepares for a Last Resort: War With North Korea"をご紹介します。

"WASHINGTON — Across the military, officers and troops are quietly preparing for a war they hope will not come.

At Fort Bragg in North Carolina last month, a mix of 48 Apache gunships and Chinook cargo helicopters took off in an exercise that practiced moving troops and equipment under live artillery fire to assault targets. Two days later, in the skies above Nevada, 119 soldiers from the Army’s 82nd Airborne Division parachuted out of C-17 military cargo planes under cover of darkness in an exercise that simulated a foreign invasion.

Next month, at Army posts across the United States, more than 1,000 reserve soldiers will practice how to set up so-called mobilization centers that move military forces overseas in a hurry. And beginning next month with the Winter Olympics in the South Korean town of Pyeongchang, the Pentagon plans to send more Special Operations troops to the Korean Peninsula, an initial step toward what some officials said ultimately could be the formation of a Korea-based task force similar to the types that are fighting in Iraq and Syria. Others said the plan was strictly related to counterterrorism efforts."

多少の解説をします。

たとえばノースカロライナ州には世界5大陸軍基地と呼ばれるフォートブラックがありますが、ここに米軍は緊急展開部隊が集結を開始しました。

昨年12月にはCH-46輸送ヘリとAH-64攻撃ヘリ48機が、敵地に部隊を投入するための大規模なヘリボーン訓練を実施しました。

ヘリンボーンとはヘリコプターを用いて敵地などへ部隊を派兵する戦術のことで、米国が緊急に部隊投入したいケースに用います。

Paratroopers2C17からエアボーンする空挺師団

また、ヘリボーンよりもっと大規模な戦力を緊急に投入する場合、空挺師団がC-17のような大型輸送機からパラシュート降下します。

あちらの国ではこれをエアボーン(空挺降下)と呼びますが、たいへんに高度な技量を要求される上に、諸条件が整わないと可能にならないために現実にはあまりとられていない戦術です。

このエアボーン降下訓練を、しかも難度の高い夜間降下訓練で、第82空挺師団119名が実施しました。

これは先のヘリボーン訓練のわずか2日後に行われ、ともに例年にない規模だったそうです。

この輸送機群の拠点であるネバダ州ネリス空軍基地には、通常の演習時の2倍の各種航空機が集結しています。

1月には、予備役を海外に緊急動員するための動員センターも開設準備に入り、おっつけ実働になる予定です。

ペンタゴンは平昌五輪開催中、在韓米軍の駐屯地内にイラクやアフガニスタンに展開しているのと同様な対テロ緊急即応部隊を増派する計画です。

また米軍は、3月18日までのパラリンピックが終わらない3月2日から4月24日まで、延期していた米韓合同軍事演習を行うと、既に去年12月に発表しています。

おそらく韓国は抵抗したでしょうが、米軍に一蹴された者と思われます。

このように米国は緊急即応態勢のレベルを引き上げました。

米国は北の演出する融和劇がフェークにすぎず、五輪期間中も例外ではない、いやむしろ危険度は高まると認識しているようです。

五輪直後から戦争の危機の最初のピリオドが開始されます。それが平穏に終わると、次は9月の建国50周年前の7、8月に次の危機が待っています。

その間にあらたな核実験やICBMの実験があれば、その限りではありません。

北は「南北統一」の夢を韓国に見せて、雪解けを演出してみせました。

日本のメディアはそれに便乗するでしょうが、本質はなにひとつ変わりません。

それは米軍の緊急配備状況や、北の弾道ミサイル実験の準備を見れば分かります。

つまりは、米国と北の基本的構えはいささかも変化していないのです。その間でムン・ジェインが踊っているにすぎません。

ほんとうに危険な綱渡りの時期は、この祭りが終わった直後から始まるのです。

※NYタイムスの元記事を原文で掲載して、少し末尾に加筆し改題しました。いつもすいません。一発で決めたいもんです(泣く)。

2018年1月19日 (金)

ジョセフ・ナイの北朝鮮収拾案は日本の味方か?

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ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が、北朝鮮について興味深い発言をしています。

ナイは国際関係論や安全保障政策に関心を持つ者で、知らナイのはもぐりだと言われているほど高名な人物です。
ジョセフ・ナイ - Wikipedia 

民主党政権でカーターとクリントン政権時に2回ほど国務副次官を歴任し、1995年月には「ナイ・イニシアティヴ」(東アジア戦略構想)を提起して、日本の戦略的位置付けを決定しました。 

いわゆる「ジャパン・ハンドラーズ」のひとりです。

これは東アジアについて無知に等しかったクリントンに大きな影響を与え、1997年の日米ガイドラインに繋がっていきます。 

Photohttp://diamond.jp/articles/-/129316 

現在の日米関係は、このナイと彼と2回の「アーミテージ・リポ.ート」を作成したリチャード・アーミテージによって鋳型を作られたと言っても過言ではないでしょう。
リチャード・アーミテージ - Wikipedia 

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日本の大学における国際関係論の御大たちは、多かれ少なかれナイの影響を受けています。 

ナイはその著書『アメリカの世紀は終わらない』に現れているように、米国のパワーを議論の大前提にして論じるという特徴があります。 

斯界の碩学に対してまことに失礼ながら、私から見ればナイはひと時代前のイデオローグに見えます。 

それは揺らぎつつある米国の覇権(パックス・アメリカーナ)が未来永劫続くという楽観的見通しが、ナイには感じられるからです。

では今回、12月6日付のProject Syndicateに掲載された、ナイの北朝鮮収拾案を見てみましょう。
WEDGE Infinity1月17日http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11619
出典:Joseph S. Nye ‘Understanding the North Korea Threat’(Project Syndicate, December 6, 2017)
https://www.project-syndicate.org/commentary/understanding-north-korea-threat-by-joseph-s--nye-2017-12
 

結論から先に言えば、事実上の北朝鮮核保有容認論です。 

ナイは北朝鮮をこのように評価しています。

「金正恩は正気であり向こう見ずではない。彼は米国と核戦争になれば、自分の支配は終わりになることをよく心得ている。次に、北朝鮮の核兵器の脅威は、米国にとって急に高まったわけではない」(WEDGE前掲)

その理由をこう述べています。

「以前から北朝鮮は、核爆弾を例えば貨物船で米国に届けることができたのである。第三に、北朝鮮は通常兵器だけでソウルを破壊できる。1994年、米国は北朝鮮の寧辺核燃料再処理施設を破壊しようとして、このことを認識したのである」」(WEDGE前掲)

う~ん、です。貨物船で米国に核によるテロ攻撃をするのと、火星15で弾道ミサイル攻撃を仕掛けるのを一緒にするのは次元の違うことを混同しています。 

テロという非対称の攻撃の枠内から、いまやICBMへと発展したことによる脅威の「進化」が問題なのです。 

つまり、北は米国と主観的には四つに組んだ対称的な関係、すなわち相互確証破壊関係を作ろうとしているのであって、北をISまがいのテロリストの範疇に入れてはいけないと思います。 

また、韓国についての分析が甘すぎます。 

「通常兵器だけでソウルを破壊できる」というロジックは、韓国自身がよく使う言い方で、これが故に米国はナイも触れている1994年の寧辺核燃料再処理施設爆撃を挫折させた原因でした。 

つまり、ソウルを人質にされたために、北の核施設攻撃は即米韓同盟の崩壊に繋がる危険が高いという考え方です。 

これは三浦瑠麗氏も同様に、「米韓同盟が瓦解する」ことを恐れて米国が攻撃できないとよく述べています。 

これについてナイも所属した戦略国際研究所(CSIS)のエドワード・ルトワックは、こうバッサリと切り捨てています。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-e3ab.html

「米軍当局は、そのソウルが「火の海」になりかねないと言う。だがソウルの無防備さはアメリカが攻撃しない理由にはならない。ソウルが無防備なのは韓国の自業自得である面が大きいからだ。韓国政府は過去40年にわたり、これらの防衛努力を一切行ってこなかった」(ニューズウィーク2018年1月9日)

ルトワックは「ソウル火の海」論は虚妄だと見ています。 

軍事的対抗手段もあるし、そもそも過大な脅威の煽りではないか、米国に到達するICBMを指を加えて眺めていいのかと、ルトワックは叫びます。 

O_iケリー首席補佐官(左)、マクマスター大統領補佐官(中央)、マティス国防長官の3人 Illustration by Michael Hoeweler2017年9月5日ニューズウィークhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/post-8378.php

ナイはルトワックにこう答えるでしょう。

「マクマスター国家安全保障問題担当大統領補佐官が言及している限定的な予防攻撃である。しかしこれは、エスカレートする危険性を持っている」((WEDGE前掲)

では、先制攻撃ではなく、従来の制裁強化の見通しはどうでしょうか。これについてもナイは暗い見通しを語っています。

「制裁は、北朝鮮の核開発を止められないでいる。中国は国境での混乱や米軍進攻を嫌って、食糧と燃料の完全禁輸をしていない」」(WEDGE前掲)

このナイの見通しは、国連安保理北朝鮮制裁委員会の専門家として活躍した、古川勝久氏の『北朝鮮核の資金源』にも詳述されています。 

北はいかにも「パルチザン国家」らしく、非合法ネットワークを通じて制裁をすりぬけることでしょう。 

実は中国は、米国に対して現実的解決手段として、freeze for a freeze方式(二重凍結)を提案しています。 

この二重凍結方式は、米国が米韓協同軍事演習をフリーズする代わりに、北も核開発をフリーズするというものです。 

習は訪中したトランプにこの方式を提案したようですが、不調に終わったようです。

「トランプ米大統領が、中国の習近平国家主席と北朝鮮核問題に対する解決策として「二重凍結(freeze for freeze)」は受け入れられないということで合意したことを明らかにした」(東亜日報2017年11月17日)
http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/1129977/1

ナイの提案はこうです。

「冷戦時のGRIT、つまりgradual reduction of international tension(漸次ガス抜き)である。米国は中国に対して、北朝鮮に軍を本格的に進めることはしないと約する一方、中国は米軍の活動を容認し、一方で経済・政治的圧力を北朝鮮にかけて直近の脅威を凍結させるのである。
そのうえで、北朝鮮が韓国に対しておとなしくしていれば、米国は演習規模を縮小していく。北朝鮮が韓国との緊張緩和を受け入れれば、平和条約交渉を始めてもいい。
その時米国と中国は北朝鮮を実質的な核保有国として認めると同時に、将来は朝鮮半島を非核化することを共通の長期目標として確認する。
北朝鮮が合意を破れば、中国が食糧・燃料面での制裁を行う」(WEDGE前掲)

米国は先制攻撃はしないと北に約束して緊張を緩め、一方中国は米軍の軍事的存在を容認して経済的・政治的圧力をかけるということのようです。

そしてこのような「漸次的ガス抜き」をしたにもかかわらず、北が再度暴発することがあれば、中国が食料・燃料で締めつけるということです。

一見よくできたプランで、日本の識者にも同調する者が多く出そうな気がします。

しかしお分かりでしょうか。ナイのプランの主語はすべて「中国が」です。

私がナイは知日派であっても日本の友人ではないと感じるのは、こういうことを言うからです。 

ナイの案が実行に移された場合、東アジアの政治的イニシャチブは、中国が握ることになります。

米国は北を抑えてくれた代償に、中国に対してさまざまな妥協を支払うことになります。

たとえば、もっとも米国の腹が痛まない妥協は、尖閣や南シナ海において、中国の覇権を「容認」することです。

もちろん米国は、この中国の覇権の「容認」について文書化はしませんし、口頭での言質を与えることもないでしょう。

しかし「航行の自由作戦」は店ざらしになり、尖閣有事についてかつてオバマが与えたような安保条約第5条の範疇であるような言質は、二度と口にしなくなることでしょう。

そしてこの「ガス抜き」が成功したと見極めがつくと、米軍はグアムのラインにまで段階的に兵力をセットバック(後退)させていきます。

また、この「ガス抜き」の成功によって、米国との平和条約交渉が開始されるでしょう。

平和条約交渉中は、一切の制裁やましてや軍事攻撃は封印されますから、これにより北はかつてない「自由」を味わうはずです。

一方、韓国のムン政権はこの平和条約締結をもって、「南北の新たな政治体制」を提案するでしょう。

ムンが言わなくとも、北が言います。要は、「高麗連邦」への現実的始動です。

この「高麗連邦」は、核兵器を持ちロシア以上の経済規模を持つ反日バイアスの強烈な国家となるでしょう。

この「高麗連邦」は核保国な以上、もはや米韓同盟は不要です。

したがって、早いか遅いかの差があっても、米韓同盟は解消される運命にあることになります。

このようにナイの案によって、日本が救われることはまったくありません。

むしろ中国の覇権容認と、核を持った統一朝鮮、そして米国の後退という三重の苦難が待ち構えているだけです。

このWEDGEの記事の中で、岡崎研究所が指摘する未来図は、大いにありそうですので、警戒せねばなりません。

「いずれにしてもトランプ政権は、今のシリアで見られるように、自分は身を引いた上で紛争解決を周辺国に丸投げし、折を見て彼らの交渉結果に介入して、周辺国との二国間問題を自分に有利に解決するための交渉の具にしようとする傾向があります。
その際、同盟国は振り回されるかもしれません。日本は、この北朝鮮の核ミサイル問題でも、梯子を外されることのないよう、気をつけていく必要があります」
(WEDGE前掲)

 正直、私はこの岡崎研の見立てがもっとも現実性があると思っております。

  

 

2018年1月18日 (木)

ムンジェイン氏のセ・ラヴィ感

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平昌五輪に出る出ない、かと思えば合同選手団の入場行進だそうで、まぁ勝手にやって下さい。

と、突き放すところですが、アイスホッケーの合同チームまで踏み込むとそういうわけにはいきません。

「アイスホッケー女子の合同チーム編成は、韓国代表チームの監督や選手たちとの十分な相談なしに進められている。韓国選手の出場機会に影響が出るため、チーム関係者からは反発が出ている。また、今月9~10日に実施された韓国SBSテレビの世論調査でも「無理して合同チームを作る必要はない」との回答が72.2%と多数を占めた」(毎日1月17日)

韓国国民の7割が反対なのはあたりまえです。

合同入場行進や北が元々持っていたアイスダンス枠などまでなら、これも広い心でよしとしましょう。

しかし、アイスホッケー女子の枠は韓国という主権国家に与えられたものにもかかわらず、隣の別の主権国家と「合同チーム」にできると思うほうが異常です。しかも土壇場で!

主催国にはそのような権限はありません。すでに対戦国のスイス五輪委員会から抗議が出ていますが、ムン・ジェインはノーテンキにもこう言っているようです。

「韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は17日、五輪参加選手を激励する席で「もし合同入場や合同チーム編成ができれば、単純に北朝鮮が参加するという以上に、南北関係を発展させる良い端緒になる」と強い期待感を示しており、結局は政治判断で押し切った形だ」

国際競技大会と、あなた方の国の「南北関係の発展」はなんの関係もありません。IOCはこんな主催国の大会私物化を認めるべきではありません。

さて、北の戦略にはいささかの変更もありません。

激しくすり寄るムン政権に対して、北は一にも二にも、ひたすら核武装の完成一直線です。潔いばかりのひたむきさ、と思わず褒めたくなってしまうほどです。

北は五輪の雪解けムードの裏で、淡々とICBMの最後の仕上げプロセスに取りかかっています。

目標としては、今年9月に予定されている北の建国70周年あたりでしょうか。ここまでに懸案の大気圏再突入技術を完成させねばなりません。

そのためには従来の高角度で真上に上げるようなロフテッド軌道では不十分で、一般の通常軌道による実験が必須です。核実験もまだ数回はせねばならないでしょう。

そのために、今しばらくの時間が必要です。

ここで融和カードが登場します。

今までムンがいかに猫なで声をだそうと返事ひとつしなかったので、これはずいぶんと効いたようです。

ムンは去年の10月には米国に媚びて「大量報復作戦」だの「斬首作戦部隊結成」などと吹聴していました。

それがひとたび北から「太陽政策」をされるいなや、一転して今度は「斬首」対象の指導者の国と合同チームまで作ろうというわけです(笑)。たいしたもんです。

フツーは恥ずかしくってできません。

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既に当選前から、ムンはこう述べていました。http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2017/04/28/0900000000AJP20170428001500882.HTML

「『共に民主党』の文在寅(ムン・ジェイン)候補は、北朝鮮との関係改善・対話を非核化と並行して進めるという姿勢だ。
こうした方針の下、昨年2月に韓国政府が北朝鮮への独自制裁として操業を停止した南北経済協力事業、開城工業団地の操業再開や南北間のメディア・社会文化交流の活性化といった公約を掲げる」
(韓国聯合通信2017年4月28日)

北との関係改善と非核化のための圧力がどうムンの中で整合しているのか知りませんが、まぁ野党党首が言うだけなのはタダですからね。

そしてこのムンの親北姿勢を見抜いて(というよりもムンそもそも北が植え込んだ勢力を基盤にした政権ですが)、北が仕掛けたのが融和カードです。

北は「統一五輪」と南北会談実現という、ムン・ジェインにとっては目がくらむほどおいしい餌を与えました。

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ご存じのように、この2年ぶりの南北会談は北の完勝でした。

北は統一五輪という幻想で韓国を酔わしましたが、北の持ち出しは五輪選手団、応援団、高官級代表団の派遣程度です。

Photo_32006年2月、トリノ冬季五輪の開会式で、統一旗を先頭に合同で入場行進する韓国と北朝鮮の選手団(共同)

一方、おずおずと韓国側が持ち出した非核化の要求などは一蹴され合意どころではありませんでした。

そりゃそうです。「北との対話」である南北会談を実現してやって、しかも「関係改善」の証である選手団派遣までしてやったのですから、非核化?ふんってなものでしょう。

それどころか「南北関係のすべての問題はわが民族が当事者として解決する」という万能の御札までに北はせしめました。

おそらく米国が五輪後まで延期した米韓合同軍事演習の無期延期、つまりは中止まで要求し、危うく韓国は飲みかかったのではないでしょうか。

今後何回か南北会談が開かれますが、ムンは選挙前に公約していたとおり、「独自制裁として操業を停止した南北経済協力事業、開城工業団地の操業再開や南北間のメディア・社会文化交流の活性化」(前掲)を実施すると思われます。

なんのことはない、この平昌五輪とは北が準備した「美女軍団」と「モランボン楽団」のためのプロパガンダ・ショーみたいなものですが、さぞかし日本のワイドショーは熱狂することでしょう。3

それにしても、もっとも選んではならないムン・ジェインという人物を大統領に座らせた国の、それも雪も降らない場所で、危険な戦場になりかねないこの時期に、なにもよりによってオリンピックをやるか、です。

VAN(←知らないでしょう)世代の言い方を使えば、Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場面)、全部ゾロメで最悪。

安倍さんを行かせるですって?ご冗談でしょう。

まさにC'est la vie(セ・ラヴィ)。人の運命なんてこんなもんさ、なのかもしれません。

ああ、いかん、コリアをウォッチしていると、ついいつもこんな気分になってしまいます。

 

2018年1月17日 (水)

尖閣接続水域における中国原潜の「謎の浮上」を考える

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中国海軍潜水艦が尖閣の接続水域を潜行したまま通過し、その後に浮上して国旗を掲げるという異様な事件が発生しました。

「政府は12日、10~11日に尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の接続水域を潜没航行した潜水艦について、中国海軍所属であることを確認したと発表した。海上自衛隊の護衛艦が追尾していた潜水艦が12日、東シナ海の公海上で海面に浮上した際に中国国旗を掲げた。潜水艦が自衛隊艦を挑発する意図があった可能性もある」(産経1月12日)http://www.sankei.com/photo/daily/news/180112/dly1801120021-n1.html

これに対して中国外務省は「知らない」と答えています。

「【北京時事】中国外務省の陸慷報道局長は15日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島周辺の接続水域に進入した中国海軍の潜水艦について「把握していない」と確認を避けた」

ちなみに、全国紙は朝日をのぞいて1面トップ、朝日だけは3面扱い。ちなみに沖タイは社会面の最下段にチョボチョボと報じていたそうです。 

各紙の中国との距離感が如実に現れて苦笑します。 

それとさておき、沖タイにも配信しているはずの共同はこう書いています。

「「日本政府は12日、沖縄県・尖閣諸島周辺の接続水域を11日に潜った状態で航行した外国の潜水艦について、中国海軍所属と確認した。
潜水艦は12日に公海上で中国国旗を掲げて航行した。防衛省によると、中国潜水艦が尖閣の接続水域を航行したのは初めて。
杉山晋輔外務事務次官は中国の程永華駐日大使に電話で『新たな形での一方的な現状変更だ』と厳重抗議した」(12日付共同通信)」(1月11日共同) 

 これが浮上して五星紅旗を掲げる中国潜水艦です。 

Photo産経1月12日より引用 自衛艦撮影 

軍事常識では考えにくいことに、中国潜水艦は堂々と追尾をしていた自衛艦の正面にプハーと浮上してみせたわけですから、ありえない行動です。

藤田幸生元海上幕僚長は、Facebookにこのようにコメントしています。https://www.facebook.com/search/top/?q=%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%B9%B8%E7%94%9F&init=public

「私は、『潜水艦乗り』ではない。海中から、敵潜水艦を探し出して、これを沈める対潜ヘリのパイロットであった。このような写真は、あまり観たことがない!
 海軍の世界では、こんな写真を撮られるのは、『完全な敗北、白旗を掲げた、両手を挙げた潜水艦』を意味するのである。
(中略)
海軍では、常識的にこんなことはしない。  潜水艦は、『隠密』』が、生命である。何処に居て、何をしているか、『解らない、分らない、判らない』ことが、『潜水艦の特技、特徴、強み』であり、『海の忍者』と言われる所以である」

軍事常識としては、参りました。勘弁してくださいとしか取りようがないふるまいを中国原潜はしてみせたわけです。

小原凡司(元駐中国防衛駐在官・元海自第21航空隊司令)氏は、「ザ・ボイス」 (1月16日)の中でやはりこの浮上を最大の謎だとしています。

なお小原氏も対潜作戦の専門家です。 

浮上してみせたことでこの潜水艦が「商」(Shang)093D級新型原潜であることが露呈されてしまいました。
093型原子力潜水艦 - Wikipedia

この「商」級原潜はピカピカの新型で、つい先だって実戦配備ばかりのものです。

「商」級は「漢」級の後継として開発された攻撃型原潜で、核を積んだ弾道ミサイル(SLBM)は搭載できないものの、巡航ミサイルの搭載は可能です。

Shanghttp://sp.yomiuri.co.jp/politics/20180113-OYT1T50109.html

よりによって、このお宝の音紋を海自によって完全に採集されてしまいました。
音紋 - 航空軍事用語辞典++ - MASDF

船舶は皆、人間の指紋と同じようにスクリュー・エンジン・船体の振動などに固有の特徴を持っています。

面白いことに同じ型式の艦艇でも、それぞれ別の固有の音紋をだすそうですから、どの艦にどの音を出すかで、なんという艦種の何番艦と特定できてしまいます。

ですから以後、「この音紋を出したから、ああ、あの時の白旗原潜だね」と固有識別されてしまうことになりました。

そのうえそのまま潜行し続ければよいものを、わざわざ自衛艦の目前に浮上してみせるサービスをして写真まで提供してしまいました。

隠密性を最大の武器とする潜水艦にとって、どこからどう考えても命取りです。

とうぜん海自は米海軍と情報共有していますから、これで中国自慢の新型原潜は半ば中古と化してしまったわけです。

これでは艦長解任、降格ものの大失態ですが、ではなぜこのような軍事常識を逸脱したのでしょうか。

原潜は数カ月に一回の浮上で済みますので、接続水域を抜けて自分の母港周辺で浮上することもできたはずです。
原子力潜水艦 - Wikipedia 

にもかかわらず、完全に補足されて追尾している自衛艦(たぶん哨戒機も追尾ししていたと思われますが)の前を選んで、なぜ浮上したのでしょうか。

この回答のひとつが、先述した藤田元海幕長の「降伏」説です。参りました。もう追いかけないで下さい、音紋も艦影も献上します、ごめんなさい、というわけです。

この「商」級は「漢」級の欠点だった海中での静粛性を改良したのが特徴でしたが、海自にたちまち補足され、徹頭徹尾追いかけ回されてしまいました。

海自のASW(対潜水艦戦)能力の高さが、世界トップクラスだということがあらためて証明されたことになりました。

一方小原氏は、わからないとしながらも、「事故」の可能性を示唆しています。艦内システムになんらかの異常が発生し、浮上せねばならない緊急事態だったことはありえることです。

いずれにしても、ではこの「謎の浮上」を中国共産党中央軍事委員会は許可したのでしょうか。

よくこのような事件があると、メディアには「潜水艦艦長の個人的暴走で、習は後から知った」というようなことを言う訳知りが出てきますが、ありえないことです。

中国の各級部隊、あるいは艦船にはすべて例外なく部隊指揮官と同格の政治委員が配置されています。

2人の指揮官がいるというのが共産体制の軍の特徴ですが、同格と言いながらも、実際は政治委員の承認なしに、あのような「謎の浮上」はぜったいに不可能です。

ならば降伏したのか、事故なのか、あるいは予定の行動だったか、です。

小川和久氏は『ニュースを疑え』(2018年1月15日号)で、もうひとつの可能性についてこう述べています。 

小川氏は新年早々おこなわれた、前例のない軍事演習が背景にあるとみています。

新年早々、人民日報は大規模な軍事演習が行われたことを伝えています。

「習近平中共中央総書記(国家主席、中央軍事委員会主席)は3日午前10時、中央軍事委員会が盛大に開催した2018年訓練開始動員大会で全軍に訓令を出し、第19回党大会精神と新時代の党の軍事力強化思想を貫徹実行し、実戦的軍事訓練を全面的に強化し、勝利能力を全面的に高めるよう呼びかけた」(1月4日付人民日報日本語版) 

軍事演習をするのは、もちろん練度を高めるためもありますが、同時に政治的なデモンストレーションでもあります。

今回の新年の中国による大規模軍事演習は朝鮮半島情勢に対してのものであると同時に、このような政治的意図が隠されていると小川氏は見ます。

「中国共産党の頭痛のタネは経済格差の固定化などに対する国民の不満です。それが日本に対する「弱腰批判」という形でぶつけられ、政権基盤を揺るがすことが最も困るのです。
これに対しては、常に「弱腰ではない」ということを示し続けることが有効な対策です。そこで尖閣諸島周辺海域で日本の領海を侵犯するような行動を公船(巡視船)にとらせたり、東シナ海で海上自衛隊の護衛艦に火器管制レーダーを照射したりといった事態を、意図的に引き起こすことになります。紛争が起きないぎりぎりのところでニュースになるような動きをとり続け、そのニュースを通じて「日本に対して弱腰ではない」ことを中国国民に伝え続けるという手法です。
今回の潜水艦の行動と前例のない新年早々の軍事演習は、中国が日本に対しても、そして米国に対しても「弱腰ではない」ことを示すことに主眼が置かれていたと受け止めてよいでしょう」(『ニュースを疑え』前掲)

つまり中共中央軍事委は、あらかじめ「日本の駆逐艦や哨戒機に追い詰められた場合、公海に出たらすぐに浮上し、国旗を掲げよ。そうすれば攻撃される可能性は低くなる」(前掲)と艦長に命じたということになります。

世界の海軍の常識では、追尾されて浮上し国旗を掲げたら惨敗ですが、中国国民はそんなことはわかりっこありませんから、「おお、なんと凛々しく小日本と戦ったことよ。尖閣に翻る五星紅旗よぉ」と感涙にむせいだことでしょう(苦笑)。

これは一見、習が今進めている日本との関係改善と矛盾するようですが、日本側には浮上して国旗を掲げることで「参りました」と屈辱的意志表示をしてあるわけですから、これは国内向けの「やってる感」を見せるためですのでひとつよろしく、ということなのかもしれません。.

このようにひとつの事件においても、観点によって分析がさまざまあります。

私には降伏説、事故説、政治的思惑説のいずれが正しいのかわかりません。

しかし、尖閣を舞台にしてこのような虚々実々のやりとりが繰り広げられているということを、念頭において見ていかねばならないことは確かなことです。

まぁ、沖タイのように、自分の県で起きたことにもかかわらず、「県民には見えません、教えません」というのが論外だということは言うまでもないことですが。

 

2018年1月16日 (火)

中国海警また領海侵犯繰り返す

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私たちの目が朝鮮半島に向いているとき、中国がまたまた侵犯行為をしました。 

4日には中国海警、11日には領海に繋がる接続海域に中国海軍の潜水艦が潜行したまま通過するという事件が起きました。

この潜水艦の危うい挑発行動について、中国の報道官はこう言ってのけています。

中国外務省の報道官は潜水艦に関する回答は避けつつ「日本には島の問題でもめごとを起こすのをやめるよう求める」と述べて、あくまで日本側の対応に問題があるとの姿勢を示しました。(NHK1月15日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180115/k10011289921000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_005

まぁ、たいした心臓です。

いまや恒常的に中国海警が日本の海保に対して、「退去せよ。ここは中国の領海である」と警告をしながら侵犯していますが、こんどは「日本は揉め事を起こすな」ですか。毒気に当てられそうです。

さて、気を取り直して事実を洗っていきます。

新年早々の1月4日に、尖閣諸島領海に中国海警が領海侵犯をしました。

「海上保安庁によると、4日午前10時10分ごろ、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の領海に中国海警局の船4隻が相次いで侵入した。約1時間40分航行し、領海外側の接続水域へ出た。中国公船の領海侵入が確認されたのは昨年12月26日以来で、今年初めて」
(産経2018年1月4日)

http://www.sankei.com/world/news/170104/wor1701040040-n1.html

この中国公船による領海侵犯行為は、恒常化しています。

「海上保安庁によると、日本政府が尖閣諸島を国有化した平成24年9月以降、中国公船による領海侵入日数は21日で200日に達し、延べ647隻を確認。(略)
尖閣周辺での中国公船の領海侵入パターンは月に3日、1日2時間程度が中心。ただ、昨年8月に多数の中国漁船に乗じて領海侵入を繰り返した後は態勢を3隻から4隻に増強した。常態的に活動し、既成事実化する狙いがあるとみられる。
海保は大型巡視船14隻相当の規模で尖閣領海警備専従体制を運用。数的優位を保ちながら警戒をしている。」(産経2017年9月21日)

http://www.sankei.com/politics/news/170921/plt1709210061-n1.html

Ah2016年6月11日の尖閣水域における領海侵犯の模様。手前が中国海警。ぴったりと第11管区の海保がよりそっているのがわかる。 

中国海警は英語名でChina Coast Guardと称していますが、国際社会のコーストガード、つまりわが国の海上保安庁(海保)とは大きく異なった性格を持っています。
中国海警局 - Wikipedia

そもそもコーストガード の任務はこの3ツです。

  1. 密輸船・密漁船等の犯罪船舶の取締
  2. 領海内を航行中の船内における一般的刑事事件の捜査
  3. 航路における船舶交通の監視と取締等 

ところが、中国海警はこのうち3番目のうち海上交通安全監視や海上救助業務が任務外となっています。 

ですから、中国海警には海上遭難救助の任務は付与されておらず、海保の誇る海猿のような人命救助のエキスパートもいないことになります。 

また海上での危険な航行の取り締まりや、海難事故への対応も本来任務とはされていません。 

では一体何をする組織かといえば、海警局が海監、漁政、辺防海警、海関などを統合して2013年に誕生した組織であることから窺い知れます。 

さて2013年という年で、なにかピンっときませんか。

そうです、2012年9月に民主党野田政権が尖閣国有化をした年の翌年です。 

中国海警は、この国有化により一挙に「係争地」(※)化した尖閣を、中国領にするいわばサラミスライシングのナイフ役として誕生しました。 
※日本政府は日中に領土紛争は存在しないという立場をとっているために、「係争地」として認めていません。

サラミスライシングとは、サラミソーセージを薄~くヒラヒラと切り取っていく中国の狡猾な手法を指します。 

わーっと厚切りすれば正当な所有者が怒りだしますが、少しずつ相手の対応を見ながらやるのですなぁ。

相手が黙っていればしめたと大きく切り、抗議すればしばらく控えて様子をうかがい、またほとぼりが覚めた頃に再開するというわけで、大国のやるこっちゃないと思いますが、これが中国の伝統芸です。 

南シナ海がいまやこの戦法で、中国支配下の内海と化そうとしているのはご承知のとおりです。 

このように中国海警察は、ひたすら中国の主張する領海を守るためだけに存在に特化した実力組織なのです。 

そして第2に、中国海警局は中国の軍事組織の中枢である中央軍事委員会に所属しています。

ちなみに中央軍事委の委員長は習近平氏です。

中海警は従来までは公安(日本の警察に相当)に属していましたが、いまや公然と中央軍事委員会の指揮下にあります。

「沖縄県・尖閣諸島がある東シナ海などで監視活動を行っている中国海警局(海上保安庁に相当)が、中国軍の指導機関・中央軍事委員会の指揮下に移されるとの観測が浮上している。
海警局の母体の一つである武装警察部隊(武警)が1日から中央軍事委直属に改編されたことに伴うもので、同局公船による尖閣周辺での「パトロール」が「準軍事行動」(香港紙)に位置づけられるとの見方も出ている。
海警局の母体の一つである武装警察部隊(武警)が1日から中央軍事委直属に改編されたことに伴うもので、同局公船による尖閣周辺での「パトロール」が「準軍事行動」(香港紙)に位置づけられるとの見方も出ている」
(読売2018年1月14日)

http://news.livedoor.com/article/detail/14156834/

確かに諸外国においてもコーストガードは、準軍隊と位置づけられていますが、軍の指揮下にはありません。 

ですから、米国の沿岸警備隊も有事においては軍事的な任務に就くことが定められ、交戦資格を持っていますし、軍人資格を持つ者も大勢いますが、国土安全保障省の指揮下にあります。
アメリカ沿岸警備隊 - Wikipedia

Mig米国沿岸警備隊

ではなぜコーストガードが、「海軍もどき」であってはいけないのでしょうか。 

その理由は、コーストガードはいわば大人の知恵の産物だからです。 

戦前には日本にコーストガードのような組織自体がありませんでした。領海警備は海軍の仕事だったからです。

海上保安庁は戦後生まれ生まれで、海自より先に誕生しています。
海上保安庁 - Wikipedia 

国際社会で領海警備を海軍がしない理由は、いきなり領海をめぐって軍同士がバンパチ始めるリスクを消すためです。

コーストガードは準軍隊といっても平時は海の警察ですから、お互いに似た性格の者同士が対立しても、戦争にはなりにくいわけです。

ところが、方や軍事組織の指揮下にあった場合、<警察vs海軍もどき>というような非対称な関係が生まれます。

たとえば、中国海警が中央軍事委員会の指令によって領海侵犯を繰り返した場合、それはわが国にとって「中国軍が領海侵犯した」と同義になるからです。

日本ではまったく騒がれていませんが、これはたいへんに危険な兆候です。

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この間、中国海警の重武装化が急激に進み、艦艇は海軍のフリゲート艦を白く塗り替えただけで、艦載砲はそのまま残されているのが確認されています。

海保の武装はあくまでも警告射撃のために積んでいるのですが、中国海警の艦載砲は「実戦」を想定しているようなきな臭さが漂っています。

接続水域に潜行した中国潜水艦については、次回にします。

 

 

2018年1月15日 (月)

奥茂治氏への誹謗に答えて

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先日来、奥氏や篠原氏に対して、「スキャンダル」を上げつらうことで批判した気になっているイヤーな流れがあったので雑感として記事にしました。 

原則として私は、個人の来歴には干渉しないことにしています。

本来、言えば言った人間の品下りぶりが暴露されてしまうたぐいのことだと考えているからです。 

しかし、こうも執拗に奥氏を中傷したい者がいるとなると、情報は情報としておさえておくべきだと思ったところ、事情をよく知るHN「横須賀ヨーコ」氏からコメントを頂戴しましたので、記事として転載させていただきます。

いわゆる奥茂治氏の「スキャンダル」とは、この2点です。

①水商売を経営していた
②富士通を恐喝した

①は奥氏の品性を貶めることで、「右翼業界」のなかで一旗あげるためにしたという理由付けに利用されています。

※追記 奥氏の「水商売」については「ゴシップ」ではないかという指摘がありました。確かにそうですし何ら問題がないことですが、奥氏批判派はこのことも含めて印象誘導の対象にしていますのであえて取り上げました。

②は恐喝をするような犯罪者だという人格への誹謗です。

これらは、根拠を明らかにすることなく、ネットで無責任に拡散し、あたかも事実であるかのにように定着しようとしています。 

公人はその限りではありませんが、一市民の個人情報は無責任に拡散されてよいものではありません。

やむを得ず言及せざるをえない場合でも、慎重に裏を取るべきです。

ところが奥氏の批判者たちは、このどこで拾ってきたかわからないようなあやふやな情報をあたかも「事実」のように持ち回り、奥氏の行動そのものまで安易に否定する材料として使っています。

実に粗雑かつ卑劣なふるまいです。

これについて、「横須賀ヨーコ」氏から、的確な情報を提供いただきましたことに感謝します。

読みやすくするために、小見出しを加え、最低限の編集を加えました。 

追記

ちなみに奥茂治著『卑怯なり!富士通』(2007年2月刊・自費出版)に収録された最終的な和解文(平成17年2月11日)にはこうあります。

①被告奥茂治らからの恐喝 事実はない。
②原告富士通は被告奥茂治に訴訟により勾留されたことに対する遺憾の意を表明する。
③原告富士通は訴訟を放棄する。
④相互に和解条項に定める以外のものは放棄する。

ご覧のように、奥氏の勝訴による和解です。
なお謝罪広告は、和解条項④によりされていません。

                                           ~~~~~~

Oku_shigeharuhttp://blogos.com/article/232577/

①奥氏の「水商売」について

奥茂治さんの水商売のお話が出ているので、私の知っているエピソードを。 

奥さんは、自衛官退官後に沖縄で初の日本式キャバレーの経営をなさいますが、その店で働く女性従業員のための託児所を開設したそうです。 

1日100円の保育料を払えば、子どもを預けながら働くことができるというものです。 

今の基準でいえば、認可外保育所ということになるのでしょうが、まだ70年代のその時代になかなか思いつくことではないでしょう。 

その託児所で保育を担当されていた方の知人に朝鮮半島出身の方おられ、その方が1975年に共同通信など日本のマスコミを通じて従軍慰安婦であったことが明らかになったペ・ポンギさんです。
※編者注 この女性は、ペ・ポンギさんというお名前で「最初に名乗り出た慰安婦」として知られています。http://japan.hani.co.kr/arti/politics/21570.html 

彼女はハングルも日本語も読み書きが不自由だったため特別在留許可の手続きが上手くできずにいたところ、支援する方々の嘆願により特別在留が許可されるのですが、後年ぺさんについて奥茂治さんが調べ直しました。 

すると、報道等で伝えられている多くの事実が歪曲されていること、事実と違うことに気づきました。 

また吉田清治の主張や行動なども詳しく調べ直した結果、「従軍慰安婦問題」が、特定の政治勢力によって火を付けられ、それをバックアップした朝日新聞の報道を拠り所に拡散していったことを突き止めるに至ったというのが、今回の奥さんの行動の根柢にあるものだと思います。 

奥茂治さんの活動というのは、決してマスコミや時勢に乗ったものではなく、また名誉欲に惑わされることもなく、ご自身が疑問に思った問題を解決することから始まった地道なものなのではないでしょうか。 

信念の方だと思います。

②富士通「恐喝」事件のデマについて 

また、コメントの中で事実でないことが書かれているので、指摘しておきます。 

「奥茂治氏って昔、防衛庁データ流出事件で富士通を恐喝した人ですよね。 色々言い訳しているようですが公判で恐喝未遂の起訴事実も認めています」 

これは事実誤認です。事実は、富士通側の誤認による虚偽告訴です。 

奥茂治氏は、嫌疑不十分で不起訴となりました。 

このコメントの「公判で恐喝未遂の起訴事実も認めています」というのは、まったくのデマです。 

不起訴ですから、公判は行われていません。 

※編者注 起訴には3種るあります。起訴(正式起訴)、略式起訴、不起訴です。不起訴とは、字の如く「起訴にならない」処分であり、裁判手続きが一切行われないのはもちろんのこと、前科も付くことはありません。 

行われてもいない公判の話など、取り合うまでもなく、100%嘘だと誰でもわかるでしょう。 

その後、、富士通の虚偽告訴で不利益を被り、警察、検察に間違った情報を出したとして、同社を相手に、謝罪広告と計4200万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。 

それについては、富士通側が謝罪広告を出すことで和解が成立しています。 

また、奥茂治氏が損害賠償金4200万円を受け取った事実はありません。

[追記]

横須賀ヨーコさんのコメントです。

逮捕された人たちは、データの売却先が上手く見つからなかったため、かなり多くの人に話を持ちかけて、その過程で週刊誌やマスコミ等にも「富士通の管理体制のずさんさ」を吹聴して回っています。

それがウィリーさんの引用記事に出てくる「当時、被告の一人であるエンジニアは、本誌の取材に対して」の部分ですね。

売り込み先を手広く探すうちに、奥さんの耳にも入ったということで、有罪判決の3人と特に繋がりはないと思います。

富士通への訴訟は、「恐喝の意図はなかった」と互いに認め合うことで和解しています。

奥さんの名誉が十分に回復されたとはとても思えませんが、「裁判(の費用)が個人の限界だった」と奥さんご本人がどこかで語っておられました。

先ほど私は「謝罪広告を出すことで和解成立」とコメントしてしまいましたが、広告は出されていないようですね、失礼しました。 

 

 

2018年1月14日 (日)

日曜雑感 昨日のコメントについての感想など

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あまり嬉しくないかんじで、昨日の記事は盛り上がったようで、なんともかとも。

山路さんに言いたいことをほとんど書かれてしまったので(笑い)、私からも少しだけ。

これだけの数のコメントが来ていながら、まともな奥氏への論評が常連さんたち以外まったくないことに逆に驚きを感じます。

このブログは来るもの拒まずですが、侮辱的表現、あるいは差別的言辞はブロックしています。(侮辱的表現があったひとつのコメントは削除しました)

ですから、汚い言葉づかいをすると、自分の主張が増幅できると錯覚するような人は左右を問わず来ないほうがいいでしょう。

また、今回特に目立った個人に対する誹謗は認めません。

批判したい対象の人物や団体が、「魑魅魍魎」だからどーした、「○○団体がバックにいる」からこーした、はたまた「安倍を批判した」からどーのなどという週刊誌的書き込みは認めていません。

なぜなら今回取り上げた奥氏の行動とは、本質的になんの関係もないことだからです。

それを言い始めたらキリがありません。

たとえば都知事選に出た左派ジャーナリストのT氏は、過去の女性に対する性犯罪まがいの行為を書き立てられましたが、そこに問題があるのではなく、彼の掲げた思想や政策が問題でした。

日本会議の研究』というベストセラーを持ち、森友問題に籠池氏の代理人よろしく頻繁に登場したS氏も、性的スキャンダルに襲われましたが。

しかしそれが問題ではなく、本の内容やしばき隊という暴力集団の幹部だったこと、あるいは籠池氏とのかかわりがうろんなのです。

Y氏という女性有名政治家は不倫報道で民進党を去らざるをえませんでしたが、それは公人というポジションが問題視されたのです。

ちなみに、私は別に大人が不倫しようがしまいが、問題ないと思っていますが、彼女の議員としての発言が問題なのです。

身体検査に合格しないと、行動と論理を見れない皆さんにあえて聞きます。

私たちは政党の候補選びをしている選対ではありません。

私はその人の行動と論理を見極めたいと考えているのであって、清廉潔白な人選びをしているんではありません。

「スキャンダルがある奴の言うことなど嘘八百だ」で一蹴する発想自体が、知的頽廃だと思います。

立場が違っても聞くべき有意な言説は多くありますし、逆に立場は似ていても聞くに堪えないことを言う者もいるからです。

あくまでも発言した行動と論理によって判断されるべきです。

私の基本姿勢はその人物の行動と論理、そのなかで表出された言葉を大事にすることです。

まずは行動と論理を見た後に、さらに深堀りする必要があればその人の来歴を検証します。その逆ではありません。

今回来たコメントの多くは、行動と論理をまったくスルーして、その人物の来歴だけしか関心がないようです。

今回はこの一件となんの関係もない、三橋氏のDV事件、高橋氏や篠原氏の「スキャンダル」まで引き合いに出てきたのには失笑しました。まさに周辺爆撃です。

三橋氏が反安倍によって言論を封じられたなんて言っていましたが、あいかわらずランキング1位ですし、封じられる気配もありませんしねぇ。

彼がU氏のように「国策捜査」だみたなことを言い出さず、率直に謝罪し、言論活動に戻ったことはいいことでした。

それはさておき、なんでも安倍氏と結びつけるのは、幻視幻聴のたぐいです。耳鼻科にどうぞ。

このての言説は、子供の喧嘩で「お前のカァちゃん出ベソ」というようなもんで、母親が出ベソだろうと、当人とは関係ありません。

それともういいかげん、統一協会やハッピーサイエンスを背後関係の引き合いにするのは止めて頂けませんか。本土で彼らの影響力はミニマムです。

素朴にお聞きしたい。これで批判という営為をしたことになるのでしょうか?

とまれスキャンダルでしか言論を見れなくなったら、そうとうに寂しいことではありませんか。

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さて奥氏の行動は、大方の批判者たちが見落としていますが、韓国という国と民族への信頼があります。

奥氏は韓国に対して、「国の施設が嘘の碑文を使い続ければ、国際的な恥になりますよ」(産経1月11日以下同じ)と述べています。

そして、「韓国では慰安婦問題が吉田氏の嘘の証言から始まっていることが、ほとんど知られていない」、ということを重く見ています。

この思いがあるからこそ、「たとえ、実刑でも碑文の嘘が認定されれば、刑に服すつもりだった。その覚悟がなければ最初からやらない」という決意が生まれるわけです。

奥氏の発言には、右サイドにありがちなゼノフォビア(外国人嫌い)のかけらもありません。

だから私から見ても不毛だと思われる、韓国司法と延々と慰安婦問題についての議論をしたのです。

慰安婦問題を批判する人は、保守言論界には掃いて捨てるほどいます。

しかし、事実上の軟禁状態のなかで頑迷であると想像される韓国司法と、慰安婦をめぐって議論が出来る人が何人いるでしょうか。

まったくいませんでした。

これを売名行為のように言うコメントがありましたが、私はそのようにしか人間を見れない人を哀れみます。

人の熱はどこから来るのか、人の行いは魂のどの部分から発するのか、真正面から見て批判したいのなら、対置するに足る論理で立ち向かう覚悟で書くことです。

薄っぺらな週刊的興味で批判した気になっていては、肝心なことを見逃します。

日曜写真館 湖に太陽が生まれた

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今回は珍しく画像処理をしてあります。まぁ、たまには。




2018年1月13日 (土)

奥茂治氏に韓国司法の判決が下る

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奥茂治氏に韓国司法の判決が下りました。 

奥氏は韓国において、吉田清治の長男の依頼を受けて、吉田が作った虚偽の「謝罪碑」の盤面を張り替えたことにより勾留され続けていました。 

関連記事は山路氏の論考を中心にして、何本か掲載しております。 

事実経過や、その是非についてはかなり突っ込んだ議論をしておりますのでお読みください。 

「山路敬介氏寄稿 奥茂治氏 その人間と行動 その1・2・3」
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-7e73.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-d969.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-7331.html
山路敬介氏寄稿 「奥茂治氏の人間と行動」  皆様の意見もふくめ「感想戦」で
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-5340.html
奥茂治氏はテロリストではない
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-faaa.html 

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さて、韓国大田地裁天安(チョンナン)支部は、奥茂治氏に対して公用物損壊の罪を認めて、懲役6ヶ月執行猶予2年の判決を下しました。

奥氏は判決文を控訴する予定です。また刑事訴訟とは別に、奥氏側からの民事訴訟を起こすと述べられました。

Dtpuvg0uqaa5utb判決後の奥茂治氏

この判決を報じる産経(1月11日)です。http://www.sankei.com/world/news/180111/wor1801110031-n1.html

「『法治国家で司法手続きに従うのは当然のこと。刑に不服はない。重要なのは吉田清治氏の嘘が判決文に盛り込まれているかだ』
 奥茂治被告は11日の判決後、こう強調した。奥被告が謝罪碑の無断での書き換えに及び、出国禁止の長期化も覚悟して裁判に臨んだのは、慰安婦問題をめぐって日韓関係をこじらせた根本的な“嘘”を取り除きたいという思いからだった」

ではこの奥氏をが吉田の長男に依頼されて張り替えた韓国国立墓地内の「謝罪碑」とはいかなるものだったのでしょうか。

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吉田が書いた碑文の文面です。

「あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制されて
 強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく
 尊い命を奪われました
 私は徴用と強制連行を実行発揮した日本人の一人として
 人道に反したその行為と精神を潔く反省して
 謹んで あなたに謝罪いたします
 老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して
 あなたの許しを請い続けます 合掌
   1983年12月15日
      元労務報國會徴用隊長 吉田清治」

吉田が広島県の「労務会の徴用隊長」だった事実はありませんし、そもそも朝鮮女性を狩り集める「徴用隊」があったという事実はありません。

肩書そのものが虚偽な上に、言っている内容はまったく史実とはかけ離れた創作でした。

これは晩年、吉田自身も「小説だった」と認めています。

ですからこの謝罪碑に書かれた、「徴用と強制連行を実行発揮した」ということはまったくの嘘偽りです。

吉田は全国各地で講演しただけではなく、韓国にわたり文字通り額を地面につけて土下座して行脚することを続けました。

この男はこれにより生活していた職業的詐話師でしたが、この嘘を朝日が30年間宣伝し続け世界に拡散しました。

かくしてこのひとりの職業的詐話師の嘘は、いまや動かすことができない史実と化しています。

その結果、日韓関係は修復不可能な打撃を受けました。

日韓合意はその収拾のために歩み寄って作られた条約でしたが、これもムン政権は廃棄したいようです。

この原因を作った吉田の長男は、このように意思表示されています。

「父が発信し続けた虚偽によって日韓両国民が不必要な対立をすることも、それが史実として世界に喧伝され続けることも、これ以上、私は耐えられません」(大高未貴 『父の謝罪碑を撤去します』) 

そして長男はこのように決意しました。

「吉田家は私の代で終わりますが、日本の皆様、そしてその子孫は後に遺されます。いったい私は吉田家最後の人間としてどうやって罪を償えばいいのでしょうか。今日に至るまでそのことをずっと考え続け、せめてもの罪滅ぼしに決断したことがあります」
「慰安婦像は彫像の権利問題もあり、一民間人が撤去することは事実上、不可能です。
 だが、父親が私費を投じて建てた謝罪碑であれば、遺族の権限で撤去することが可能なはずだと、長男は考えた」(前掲)

そして下の写真が、吉田の長男の依頼によって奥氏が現地に赴き張り替えた新盤面です。

Photo_11

新たな碑文は、事実のみが簡潔に記されています。

「慰霊碑 吉田雄兎 日本国 福岡」

雄兎とは、吉田清治の本名です。

奥氏の尽力により、ここに肩書、碑文すべてが虚偽に満ちた「謝罪碑」はあるべき姿に戻ったのでした。

あくまでも、この謝罪碑は吉田家の所有になるもので、その盤面の張り替えについて長男には自由裁量権があるはずです。

韓国が持っているのはあくまで講演の管理権であって、ひとつひとつの石碑についての文面について干渉することは出来ないはずです。

にもかかわらず、韓国は奥氏200日にも及ぶ出国禁止を受けました。

これについて奥氏はこう述べています。

「苦にはならなかった。慰安婦問題をめぐる嘘を正すという目的があったので」。奥被告は、出国禁止措置により約200日に及んだ韓国生活をこう振り返った。「たとえ、実刑でも碑文の嘘が認定されれば、刑に服すつもりだった。その覚悟がなければ最初からやらない」とも語った」(産経前掲)

奥氏は一貫して、このように述べてきました。

「『国の施設が嘘の碑文を使い続ければ、国際的な恥になりますよ』ということ。韓国では、慰安婦問題が吉田氏の嘘の証言から始まっていることがほとんど知られていない」と説明した」(産経前掲)

なお韓国検察も、昨年12月の求刑において、「慰安婦問題を歪曲しようとし、韓日外交に摩擦を生じさせる行為」(産経前掲)として、吉田の証言について言及しているにもかかわらず、裁判所はその判断を避けたようです。

奥氏はこの判決によって帰国することが出来ましたが、氏のたったひとりの「歴史戦」はまだ終わっていません。

2018年1月12日 (金)

ルトワック爺さんの刺激的提案

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『中国4・0』などで、いまや日本でもおなじみとなったエドワード・ルトワック(戦略国際問題研究所 CSIS・シニア・アドバイザー)がニューズウィーク(2018年1月9日)に、いささか刺激的な記事を寄稿しています。 

刺激的といえば、近著のタイトルからして『戦争にチャンスを与えよ』ですから、書名を聞いただけでウーマンの村本クンなどは失神するかもしれません。 

といって、彼を単純な好戦的人物だと思ったら大間違いです。 

まぁルックスも、いかにもいかにものマッチョですから、誤解を受けやすいというか、当人もその誤解を楽しんでいるふしもあります。 

下の写真で右がルトワック爺さんですが、軍人のほうがきゃしゃに見えます。 

実際、腕っぷしには自信があるそうで、ガキ時代には5人まとめてボコにしたなんて武勇伝があるそうです。 

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 ルーマニア系ユダヤ人で、イスラエルに移住し、第4次中東戦争の従軍歴があります。 

後にジョンズ・ポプキンズ大で博士号をとり、国防総省長官府に所属していました。 

ルトワックの真骨頂は、キレイゴトを徹底的に排して、リアリズムに徹するという思考型式です。 

ルトワックはこの『戦争に・・・』のなかで、欧米型民主主義の頭デッカチが、かえって中東に災厄をもたらしたと断じています。 

たとえばイラクです。独裁者フセインを排して民主主義を導入しようとした結果、スンニ派とシーア派の果てしなき宗教紛争の地獄の釜の蓋を開けてしまいました。 

あの頃、米国は「あれだけわが国に抵抗した日本でさえ、占領がうまくいって民主主義体制になったんだから、イラクなんか楽勝さ」なんて馬鹿なことを言っていました。 

日本ははるか前から民主主義ですぜ、と当時内心思った記憶がありますが、このような米国流の無知と善意が引き起こしたのが、「アラブの春」以降の地獄図絵です。 

イラクだけにとどまらず、米国はリビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、パレスチナ、そしてシリアなどで、こんなことなら昔の独裁者が統治していたほうがましだった、と住民たち言われるような状況を生み出してしまいました。 

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そしてとどのつまりISというモンスターを生み出し、テロリストを退治するためにロシアの中東介入を許すはめになっていきます。 

ルトワックは、イラクには介入するな、するなら今の世代が消えて新世代に替わる半世紀は駐屯する覚悟で介入しろと言っています。 

また、善意のNGOがテロリストにいいように利用され、紛争をいっそう血生臭くしたことも厳しく批判しています。 

今回のルトワックの、『南北会談で油断するな「アメリカは手遅れになる前に北を空爆せよ』(It's Time to Bomb North Korea)は、ネットでもお読みいただけます。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/01/post-9271.php?t=0 

これは米国 Foreign Policy に寄稿した『北朝鮮を爆撃する時がきた』と同じ趣旨のものですから、日本版向けではなく、おそらく米国NSCも読んでいるはずです。 

_99516848_hi0439278821南北会談 http://www.bbc.com/japanese/42630814

ルトワックはこのNWの寄稿をこう始めています。

「1月9日、韓国と北朝鮮による2年ぶりの南北高官級会談が行われているが、結果は今までと同じことになるだろう。北朝鮮の無法なふるまいに対し、韓国が多額の援助で報いるのはほぼ確実だ。
かくして、国連安保理がようやく合意した制裁強化は効力を失う。
一方の北朝鮮は、核弾頭を搭載した移動発射式の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を複数配備するという目標に向けて着実に歩みを進めていくだろう」

ルトワックは国際制裁が、韓国の裏切りによって破綻するだろうと予言しています。

いくら国連決議を積み上げようと、制裁強化を叫ぼうと、韓国がそれをいっさい無効にしてしまうと読んでいます。

このルトワックの寄稿は、1月9日の板門店で開かれた南北会談以前に書かれたものでしょうが、まさにルトワックの観測どおりとなりました。

韓国は北の冬季五輪への参加の見返りとして、「南北関係のすべての問題はわが民族が当事者として解決する」という凶悪なまでに間抜けな言質を与えてしまっています。

この条項は、国連制裁決議を韓国は破壊して、北の核ミサイル開発を間接に「支援」するという意思表示にほかなりません。

やや短絡的な言い方をお許し願えれば、ムン・ジェインは自由主義陣営に後ろ足で砂をかけて、北と一緒に「わが民族」の側に与すると宣言したに等しいわけです。

ルトワックはこのまま北の時間稼ぎを許せば、もう軍事的手段をとりようがない時期になると見ています。

それは過去の北の暴走に対して、米国がなすすべもなく「戦略的忍耐」という美名の不作為を重ねてきた結果として、現在のこじれきった状況があるからです。

「北朝鮮の過去6回の核実験はいずれも、アメリカにとって攻撃に踏み切る絶好のチャンスだった。
イスラエルが1981年にイラク、2007年にシリアの核関連施設を爆撃した時のように。いかなる兵器も持たせるべきでない危険な政権が、よりによって核兵器を保有するのを阻止するために、断固として攻撃すべきだった。
幸い、北朝鮮の核兵器を破壊する時間的余裕はまだある。米政府は先制攻撃をはなから否定するのではなく、真剣に考慮すべきだ」(NY前掲)

ルトワックが歯噛みするように、1994年のクリントン政権時には真剣に北の核施設空爆が検討されました。

「1994年の第1次北朝鮮核危機だ。北朝鮮は93年に核拡散防止条約(NPT)を脱退した後、核実験と弾道ミサイル「ノドン1号」発射を強行した。
94年3月に板門店(パンムンジョム)で開かれた南北特使交換実務者会談で北朝鮮代表の朴英洙(パク・ヨンス)祖国平和統一委員会副局長は「戦争が起こればソウルを火の海にする」と脅迫し、緊張を高めた。
これを受け、米クリントン政権は北朝鮮の核施設だけを除去する「精密爆撃」を準備した。しかし北朝鮮が報復に乗り出す場合、大量の長射程砲をソウルに発射するという韓国政府の懸念のため実行に移せなかった。
当時、韓米連合軍が首都圏北側に配備された北朝鮮軍の長射程砲を早期に除去できる案がなかったからだ」(中央日報2017年2月7日)

http://japanese.joins.com/article/506/225506.html 

2002年にもブッシュは北を「悪の枢軸」の一味と見なして攻撃を立案しましたが、中東情勢に足をとられて決断に至りませんでした。

そしてオバマは、悪名高き「戦略的忍耐」政策を取り、空爆そのものを封印してしまいます。

では、なにが米国の足かせとなったのでしょうか。

中央日報が述べるように、「北朝鮮が報復に乗り出す場合、大量の長射程砲をソウルに発射するという韓国政府の懸念のため実行に移せなかった」からです。

実はルトワック自身も関与して、韓国に口酸っぱくソウルからの首都移転を勧めたそうです。

米国側はジミー・カーター時代、韓国からの地上軍の撤退の代償に、アイアンドームというイスラエル製防空システムを安価で提供しようというオファーすらしましたが、韓国はぐだぐだと聞き耳を持たなかったそうです。

ルトワックはこのように言い切ります。

「米軍当局は、そのソウルが「火の海」になりかねないと言う。だがソウルの無防備さはアメリカが攻撃しない理由にはならない。ソウルが無防備なのは韓国の自業自得である面が大きいからだ」
「韓国政府は過去40年にわたり、これらの防衛努力を一切行ってこなかった。ソウル地区には「シェルター」が3257ヵ所あることになっているが、それらは地下商店街や地下鉄の駅、駐車場にすぎず、食料や水、医療用具やガスマスクなどの備蓄は一切ない。アイアンドームの導入についても、韓国はそのための資金をむしろ対日爆撃機に注ぎ込むことを優先する始末だ」(NW前掲)

ルトワック流に言わせれば、自分の首都すら守る意志がないくせに、日本を軍事攻撃する準備にだけ妙に熱 心な国は勝手にしろということです。

下の写真は去年6月15日に行われた竹島周辺を艦隊で通過する韓国海軍の訓練風景です。

もちろん、「訓練」と言う名の挑発行為です。

駆逐艦や海洋警察の巡視船など7隻と、P3C哨戒機やF15K戦闘機など海・空軍機4機を投入した大規模なものでした。
http://www.sankei.com/smp/world/news/170615/wor1706150023-s1.html

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わが国が冷静に対応したからいいようなものの(単にボケているだけですが)、国際常識では係争地でこんなまねをすれば開戦事由になりかねません。

この6月の前後は「週刊弾道ミサイル」といっていいような、北のミサイル実験が頻発していた頃です。 間違いなく、米韓でもっとも緊密に協力すべき時期でした。

しかしなぜこの時期に、「友好国」(笑)、いや米国をブリッジにして「準同盟国」(苦笑)ですらあるはずのわが国にこのようなことを仕掛けるのか理解に苦しみます。

おい、韓国さん、敵はあんたの目の前だよ。背中にはいないよ。

それはさておき、私も巷間伝えられるような、.北に「ソウルを火の海」とするような攻撃能力はないと思っています。

詳述は別の機会に譲りますが、北の通常兵器による攻撃能力はとうに錆び付いて陳腐化しており、ほとんど使い物にならないと考えられています。

先日、マティスがソウルへの反撃については対処方法があると発言しましたが、米軍はMOABなどを使って38度線に張りついた北の砲撃部隊は、短時間で制圧できると考えているようです。

また、もうひとつの理由である多数の目標を空爆せねばならないのではないか、という説についても、ルトワックはこう述べています。

「アメリカが北朝鮮に対する空爆を躊躇する理由として、成功が極めて困難だから、というのも説得力に欠けている。北朝鮮の核関連施設を破壊するには数千機の戦略爆撃機を出動させる必要があり不可能だ、というのだ。
しかし、北朝鮮にあるとされる核関連施設はせいぜい数十カ所で、そのほとんどはかなり小規模と見てほぼ間違いない。合理的な軍事作戦を実行するなら、何千回もの空爆はそもそも不要だ」(NW前掲)

この部分に関しては悩ましいですね。私は疑問符をつけておきます。

ただし、ルトワックが指摘するように、「今はまだ、北朝鮮には核弾頭を搭載したミサイルの移動式発射台が存在しない。叩くのは今のうちだ」(NW前掲)という判断にも一理あることは認めます。

最後に、ある意味最大の米国を躊躇させているのは、中国の判断です。

「アメリカが北朝鮮への空爆を躊躇する唯一の妥当な理由は、中国だろう。だがそれは別に、中国がアメリカに対抗して参戦してくるからではない。
中国がなんとしても北朝鮮を温存するという見方は、甚だしい時代錯誤だ。もちろん中国としては、北朝鮮の体制が崩壊し、北朝鮮との国境を流れる鴨緑江まで米軍が進出してくる事態を決して望まない。
だが戦争行為の常套手段である石油禁輸を含め、中国の習近平国家主席は国連安保理で採択された対北朝鮮経済制裁の強化を支持する姿勢を見せており、核問題をめぐって北朝鮮を見放し始めている。アメリカが北朝鮮の核関連施設を先制攻撃すれば中国が北朝鮮を助けに行く、という見方は的外れだ」(NW前掲)

これは私もそのとおりだと思います。

中国は既に北を自分に牙をむきかねない危険な存在として認識し始めており、米国が地上兵力さえ38度線以北に投入しなければ、北への空爆を容認するつもりだろうと思われます。

とまぁ、このような内容ですが、米国政府がこのルトワック提案を呑むかどうかははなはだ危ういと思われます。

おそらく、やんわりと拒否されるのではないでしょうか。

 

2018年1月11日 (木)

ムン氏のあかんたれ感

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慰安婦合意の見直しと、南北会談が同時に起きました。 

本来はこのふたつのことは別次元の話なのですが、主役がなにぶん「あの人」なので、ひどく似た印象になります。 

前者では意味不明、後者においては致命的にも「南北関係のすべての問題はわが民族が当事者として解決する」という文言を丸飲みしてしまっています。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25489400Z00C18A1EA2000/ 

Photohttps://jp.sputniknews.com/politics/20180110445665...

こんな漠然としたどうにでも取れる条項をいったん飲んだら最後、北朝鮮は米国や国連の圧力が高まるたびにこの条項を持ち出すことでしょう。 

この条項は、朝鮮半島情勢に対する外国勢力の介入を許さないという以外にとりようがない性質です。 

いうまでもなく、北朝鮮の核は韓国にのみ照準されたものではなく、日本や米国にも刃を向けています。 

おそらく、北の核保有が認められることになれば、核の連鎖が生じることとなります。それはアジア全域に拡大し、世界の不安定な地域に飛び火するでしょう。 

それを「これは民族内部のことだから、オレらで解決しような」では、周辺国はたまったものではありません。 

そもそも韓国には解決能力はおろか、当事者意識すらありません。あればこんな事態にはならなかったはずですから、何いってんだかです。 

前の朝鮮戦争は、北朝鮮という軍事独裁国家が大国を戦争に巻き込む形で始まりました。

当時のスリーリンソ連は渋々、「キムがそこまで勝てると言うならと」是認してしまいます。

一方、毛沢東中国は当初は是認こそしたものの、派兵までするとは考えておらず、北が鴨緑江まで押し返され、このままだと旧満州にまで米国の手が伸びると判断して、やっと増援を送ったわけです。

中国にとって、建国したばかりの時期に、推定で約50万の戦死者と台湾の「解放」を断念せざるをえないという代償は痛かったはずです。

米国に至っては、なんの関心もなかった朝鮮半島で4万5千もの戦死者を出すはめになりました。

一方、韓国はイ・スンマン大統領が真っ先に逃亡するような当事者能力のなさで、たちたま釜山の一角に追い詰められるありさま。

仕方なしに、国際社会が国連軍全体で約35万といわれる犠牲を払って韓国を守らざるをえませんでした。

まぁこれも韓国にかかると、大国の代理戦争の狭間に泣くウリナラ(わが民族)というふうな妙にぬるい被害者史観に浸りたいようですが、国際社会を巻き込んだのは、あんたら「兄弟国家」だろうと考えるほうが妥当でしょう。

今回も同じ構図です。

北朝鮮の核の暴走をもっとも強く抑制せねばならない韓国がこのざまですから、日米や国際社会が力を貸しているのであって、それを「わが民族が当事者として解決する」とは、聞いて呆れます。

今後、オリンピックの出場などという安い見返りで得たこのカードを、北朝鮮は使い倒すことでしょう。 

たとえばケソン(開城)工業団地は、北朝鮮と韓国との軍事境界線付近に ある経済特別区ですが、この再開などうってつけです。 

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とうぜん国際社会が決めた制裁破りになりますが、北朝鮮から「すべてわが民族内部のこととして解決する」って約束したではないかと言われれば、はい、そのとおりでございますと言うしかなくなりました。 

米韓合同軍事演習などについて、この階段でも北朝鮮は延期されたことを評価し、さらに中止を求めたようですが、以後、南北和解の機運に敵対するのかと言われれば、はい、そのとおりでございますというしかなくないでしょう。 

馬鹿ですねぇ。こういう外交的白紙手形を瀬戸際外交の名手に与えてどうするのかと思いますが、これで米韓同盟の先は見えました。

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一方、このムン氏のあかんたれ感は、日韓合意にもあますところなく現れています。 

韓合意について、ムン・ジェイン(文在寅)大統領は新年年頭会見でこう述べています。 

「80年以上前に花の少女一人守ってくれなかった国が被害おばあさんたちに戻って深い傷を抱かれた。 国の存在理由をもう一度考えています。
韓日両国間の公式の合意をした事実は否定できません。 日本との関係をよくしていくことも非常に重要です。しかし、誤った結び目は解かなければなりません。 真実を無視したままで道を行くことはできません。 真実と正義という原則に戻っていきます」

文学的香り溢れるというと聞こえがいいですが、一国の統治者として何をいいたいのか、日本が憎いのはわかりますが、どう再び謝らせたいのか、その道筋がさっぱりわかりません。 

そもそも、日韓合意を廃棄したいのか、したくないのか、千々に乱れるムン氏の心はグチグチャなようです。 

ムン氏は、この記者会見で質問に答えてこんなことを述べています。 

「日本が自主的に真実を認め、謝罪しなければならない。しかしそのために政府間で行われた合意を破棄することはできない。被害者排除自体が間違いだった」 

「二国間条約は動かないから、日本に謝罪しろ」。なんだ、日本が自主的にもう一回、頭を下げて許しを乞えということですか(苦笑)。

ムン氏にはお気の毒ですが、締結されて、さらに議会で批准されてしまった二国間条約は動きません。 

メディアはTPPを持ち出して、「日本政府のいうように1ミリたりとも動かないでは解決しない。二国間合意はよく破られている。大人の対応を」などと言っているところが出ているようですが、TPPを米国議会は批准していません。

批准されていないから、トランプが署名を拒否できたのです。

一方、日韓合意は完全に終了しています。条約に両国政府が署名し、両国議会で批准され、合意に伴う支援として10億円を支払い済です。

完全にオシマイです。

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事実、慰安婦の8割に達する47人中36人が、日本からの金を受け取っています。

ムン氏は「自主的に認めて謝罪しろ」といっていますが、何をいってんだか、とうにしています。

安倍首相の日韓合意における文言。 

「日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明し、慰安婦問題を含め、日韓間の財産・請求権の問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で最終的かつ完全に解決済みとの我が国の立場に変わりないが、今回の合意により、慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的に』解決されることを歓迎する」

そしてバククネ(朴槿恵)前大統領の発言。

「今次外相会談によって慰安婦問題に関し最終合意がなされたことを評価し新しい韓日関係を築くために互いに努力していきたい」 

日本は1965年の日韓条約は再交渉の余地なしという大前提に立った上で、慰安婦問題もまた「最終的、かつ不可逆的に解決」した証として、韓国政府の基金に対して10億円を支払い済みしたということです。

したがって、日本側としては10億円を払った時点で一切の日本側の義務は完了し、基金は韓国政府が管理することになったわけです。

ですから日本政府としては、韓国政府が「慰安婦を守れなかった国の意味」をかんがえるのも自由、慰安婦に渡した10億円を回収しようと、玄界灘に捨てようとどうぞご自由に、という立場です。

日本としては既に「謝罪」と金の支払いは済ませており、これ以上なんの「真実を認め」、「自主的に謝罪せねばならない」のか、まったく理解を超越します。

すべてが、ムン氏が慰安婦合意批判で当選し、それを覆すことを公約してしまったので、引くに引けない状況になってしまった韓国のお家の事情というだけのことです。

それは貴国の内政です。日本は韓国の内政に干渉できません。

というわけで、わが国のL・鳩山前首相にそっくりのL・ムン氏の苦闘はまだまだ続くのでありました。

それにしてもパククネ氏がまともに見えるような、ルーピー界の逸材が現れるとは、さすがに思いませんでしたね(笑)。

2018年1月10日 (水)

辺野古移設と普天間2小問題をリンクさせるな

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初めに宜野湾くれない丸さんのリードで書き始めましたが、長くなりすぎたので別記事に移しかえました。

普天間2小問題は、 辺野古移転問題の象徴です。

元来のきっかけはあの米兵少女レイプ事件でした。

この痛ましい事件によって、子供たちの生命が危機にさらされていはしまいか、という思いが出発点だったはずです。

それをなんとか取り除きたいという思いから、移設問題の協議は始まったはずでした。

しかしそれから20年近く経過し、原点たるべき「子供の安全」という視点そのものがなし崩し的に忘れられてきました。

移設問題はいつか政治対立の場と化し、いまや移設を阻止することこそが翁長県政の柱となっています。

くれない丸氏の宜野湾市への問い合わせにおいても、市はこのように答えています。

「一日も早い普天間飛行場の閉鎖・返還に向け鋭意取り組むことが、子どもたちの安全確保につながるものと考えております」

市行政は、今、現実に児童の頭上に米軍機が飛び交っているのに、それに目を閉ざして、基地の閉鎖まで待てというのです。これはすり替えです。

校庭に米軍機の部品が落ちても、抗議はするが、具体的対策は校庭であそばないということだけだ、というのです。

冗談ではない。

Img_eeecd1b9fef45ff394fe862f692ab6chttp://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/183862

この市の返答が伊波前市長時代のものであったとしても、宜野湾市は要は普天間飛行場が閉鎖されないかぎり、普天間2小は移設されないのだと言っているに等しいわけです。

「国外、ないしは最低でも県外」などというのは、いまや空理空論であるのは誰しもわかっているはずです。

わかっていながら移設反対に「鋭意取り組む」ならば、普天間飛行場はそのまま固定化され続ける結果となります。

普天間2小が宜野湾市によれば、「同校の移転につきましては、現在のところ計画はない」以上、翁長知事の移転阻止運動の勝利とは、普天間2小が半永久的に基地フェンスの横にいたままでかまわないということになります。

なぜなら、基地があり続ける限り、「閉鎖・返還に向け鋭意取り組むことが、子どもたちの安全確保につながるもの」だからです。

これで元に戻りますから、これでは永遠の循環論法です。

飛行場移設問題と普天間2小移設問題を、しっかりと分けて解決すべきです。

リンクさせるから普天間飛行場移転されないかぎり普天間2小も移転できない、と言う奇妙な論理になるのです。

私は辺野古の移設に賛成しろと言っているわけではなく、この不毛なリンクを断つべきだと言っているにすぎません。

なるほど本質的には、普天間飛行場が市街地にある限り危険はなくなりません。

しかしそれをいうなら、最低で十数年先、まかり間違えば固定化すらありえるのです。この長い期間、大人たちは「子供への危険」を放置するのでしょうか。

立ち止まってもう一回、守るべきものはなんなのか戻ってみるべきです。

初発は普天間2小のような「子供への危険」をなくすことではなかったのか。それが忘れられているのではないだろうか、というくれない丸さんの指摘は重いと思います。 

そしてそれを議論させない、沖縄の空気もまた。

このようなことにあらためて気づかされた氏の労作に、深く感謝いたします。 

※ネガ(陰画)では分かりにくいので、改題しました。

宜野湾くれない丸氏寄稿 なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その3

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宜野湾くれない丸氏寄稿の最終回です。リードは別記事に移しかえました。

                                       ~~~~~~~~~ 

  なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その 3
                                ~宜野湾市当局とのやりとりに見る真実の一端~

                                                                                        宜野湾くれない丸
 


承前 

普天間2小の子供達のことは忘れ去られている 

このような市とのもんもんとしたやり取りを行いつつも、在沖のあるジャーナリスト氏とメール交換する切っ掛けがあった。 

在沖米軍基地の「なぜ」を分かりやすくまとめた小冊子を入手したことがきっかけである。 

この小冊子には、「反基地運動が普二小の移転を妨害した」ことの真意が説明されていたからだ。 

しかしその内容は「説明になってはなかった」ので、私はその冊子編集室宛てで執筆者へ質問メールを入れた。 

執筆者からではなかったが、関係者の氏から返答が来た。 

このことを切っ掛けにてけ、氏と暫くの間、この「普二小問題」のやり取りを行った。 

氏は丁寧な文言で親切に返答をしてきてくれた。ヒントになるようなサゼッションも頂戴した。 

私は率直に「この人は私の疑問の答えに近づけてくれるかもしれない」と思った。氏との何度ものやり取りの中で、私はこのような事を書きました。 

「普二小の子供達のことは全くもって忘れ去られてます」と。そう思っているからである。 

新聞、TV報道、雑誌どれを観ても、読んでも「辺野古移設(辺野古新基地建設)反対」のことばかりで、この普二小へ通う子供達の事や普天間基地周辺の危険地帯で生活したり、学んだりする多くの方々のことは全く眼中にあらず、というような雰囲気を感じたからだ。 

「普天間基地を辺野古に移すことって、危険性の除去が最大の目的だったんじゃないの?」

2004年8月13日には沖縄国際大学敷地内へ米軍ヘリが墜落炎上しました。墜落30分後くらいにはその現場に私も行った。
 

炎上する現場をこの目で目撃し。そんな大事故も経験したが上で、様々な紆余曲折があってようやく辺野古への移設が決定したのではないのか? 

決定後に民意が変わったとの意見もある。 

では「普天間基地周辺の危険はどうなるの?」だろうか。 

そんなやり取りも氏とは行ったが、氏とのやり取りは、私からの氏へメールを差し上げ、氏から返答がくる。という形式を超えることはなかった。 

つまり、積極的な意見交換には発展しなかったと、私は感じた。 

氏は「沖縄の米軍基地問題には様々な闇の部分があります。これをひとつひとつ解していく事の重要性を改めて感じました」というコメントも下さった。 

もっとも一度も面識もない氏とメールだけでの情報交換ですから、「さもありなん」とも思いますが、私としてはこのような大問題を「積極的に意見交換出来る状況をつくりたかった」のである。 

そもそも氏は沖縄言論界の方ですので、そのような立場にある方が積極的に私のような「一市民の素朴な質問」へ答えてくれるのは、ありがたいことと思う。 

しかし一方で、こと子供達の命の危険性にまつわる話であるのだから、もっと枠を広げた意見交換をしたい、というのが、偽らざる私の気持ちだった。 

が、先に書いたようにあくまでも私から氏へ質問し、そして返信を頂く、というものだった。 

このような会合の場があるから是非参加して欲しいとか、このような文献があるから是非読んでみてくださいとか、ジャーナリストの立場から、豊富な経験と知識をもつ方からのサゼッションを「一市民」である私は期待していたのである。 

普天間2小問題は宜野湾市民の民主主義の問題ではないか

沖縄の言論界の「閉鎖性」は、沖縄に住んでいると、実感として理解できる。絶望的にそれを感じることも多い。
 

「同調圧力」とか、「偏向性」とか、「物言わぬ県民」とか、色々とマスコミなどで指摘をうけたりしているが、私もそう感じる。 

「異なった意見を持つ個人が、ある目的を共有し、その目的へ向かって議論、対話する」ことの必要性をこんなにも感じたことは未だかつてありません。 

氏もこの必要性を強調しておられました。 

でも、そのような「場」は未だ実現してません。 

「同じ意見を持った者どうしの会合や集会」は何度となく目にしてはおりますが・・・。日本の沖縄の「民主主義ってどのようなものなのでしょうか?」

「沖縄に内なる民主主義はあるか?」というブログがあります。ご存じの方も多いかと存じます。私はこのネーミングに「心を打たれ」ました。
 

度々拝読させて頂いております。「普二小の移転を誰も提案しない沖縄・・」と題して12月27日記事がUPされていた。 

私の知る限りでは、普二小を移転すべし!」と発言しているのは、ヒジャイさんだけある。 

そしてヒジャイさんは、「むなしいことである」と締めくくっている。

92年に「危険と同居仕方ない。移転を断念」と学校関係者は決断した。
 

72年7月12日復帰直後の琉球新報の記事に「普天間飛行場ひどい爆音 地元は基地撤去要求」とある。 

それから45年間、普天間基地も普二小も「1ミリも動かず、そこに存在し続けている」このことは事実だ。 

もう1度考えてみないか、悩まないか。市民、県民、国民の皆で、勿論、アメリカ軍の皆さんとも一緒に。 

「何を一番優先させるべきか」を皆で対話するのである。 

私はこのような提言をすることすらさえ出来ない国だとは思いたくないのだ。 

私はこの問題を一言であらわすと、「宜野湾市民の民主主義の問題」だと考えている 

過去に「危険と同居仕方ない」と学校関係者はその「民意」で決断した。 

が、危険はまだ続いてます。ならば「もう一度考えてみませんか?」と提案しているのである。 

そうです、「政治は関係ない。俺らは子供たちの安全・安心が心配なだけなんだ!」ということなのだ。

                                                                                              (了)

 

2018年1月 9日 (火)

米軍ヘリ、また予防着陸

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こちらは緊急で入れた記事です。宜野湾くれない丸さんの寄稿2回目は、もう一本のほうです。ぜひお読みください。

さて、米軍のAH-1Zヴァイパーが予防着陸をしました。今度は読谷です。
AH-1Z ヴァイパー - Wikipedia

「県警などによると、乗員2人と住民に負傷者はいない。ヘリは普天間飛行場(同県宜野湾市)所属の海兵隊のAH1攻撃ヘリ。現場近くにはリゾートホテルがある」(時事1月8日)

予防着陸でも、頻発すれば問題の次元が違ってきます。

Photo時事https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180108-00000034-jij-soci

防衛大臣が厳しく安全要求するようですが、「もっとしっかりと整備しろ」といった精神論ではダメです。

小野寺五典防衛相は8日夜、沖縄県読谷村での米軍ヘリコプターの不時着に関し、米太平洋軍のハリス司令官と速やかに会い、安全対策の徹底を要請する意向を明らかにした。小野寺氏は東京都内で記者団に対し、「調整がつけば9日にもハワイに向かいたい。飛行、運用の安全について直接伝えたい」と語った」(読売1月8日)

偶然ですが、小野寺氏が米太平洋軍司令官と面談できるスケジュールだったのは不幸中の幸いでした。

日米で整備を完結するといった具体策を盛り込んだ整備体制の抜本見直しを提案したほうがいいでしょう。

このような抜本対策は、前方展開基地である沖縄現地軍と交渉するより、そのトップである太平洋軍司令官ハリス氏と話すほうが早いと思われるからです。

技術的には十分可能です。

頻発する米軍機事故は今や政治の領域となってきていますので、政府が自覚的に取り組んで解決しないとダメです。

一方、読谷の村長はこのようなことを言っていました。

「読谷村の石嶺伝実村長は現場を視察した後、記者団に「極めて異常な状況が沖縄で起こっている」と指摘。「ここは日本国かという感じだ。米軍の占領地ではない」と訴え、原因究明までの全航空機の運用停止を求めた」(時事1月8日)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180108-00000034-jij-soci

米軍は事故が起きた場合、その程度に応じて同型機種の運用を停止したりする場合がありますが、航空機全部の飛行停止措置はありえません。

今回の事故は物損なし、人命に異常なしといった予防着陸レベルですから、通常なら同型機種ですら飛行停止されるかさえ微妙なレベルです。

ましてやヘリのダイバート(緊急着陸)で、推進型式が違うレシプロ輸送機やジェット機の運用まで止めることはありえません。

ただし石嶺氏の言いたいことは、これだけの頻度で発生すれば,気分ではわかります。

ですから、今回政府が従来どおりの精神論にとどまっていると、「それみたことか。沖縄はいまでも占領地なんだ」という石嶺氏のような主張が返って来ることは必至です。

いまこそ、日本政府は米軍の整備体制にもの申すべき時です。こんな状態では同盟関係の信頼は担保できないではありませんか。

ちなみに、メディアは、あいかわらず「不時着」という表現をしていますね。

事故時こそ報道する側は冷静に状況を見極めねばならないのに、これでは煽り表現に等しいと思います。

とまれ米軍はこういうことで、しかも今のような緊迫した時期に、日米同盟の信頼性を傷つけないでほしいものです。

ひとつ言えることは、大きな選挙があると必ず法則のように起きる米軍の失態によって、名護市長選が現職有利に傾いたことです。

※追記 ヘリは修理されて自力で飛行して帰還しました。https://news.nifty.com/topics/yomiuri/180109216574/

宜野湾くれない丸氏寄稿 なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その2

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宜野湾くれない丸さんの連載2回目です。

今回は寄稿の核心部分とも言える宜野湾市当局との「対話」の部分に入ります。

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                       なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その 2
                                ~宜野湾市当局とのやりとりに見る真実の一端~
 

                                                                                           宜野湾くれない丸

承前

■宜野湾市への問い合わせてみた 

私は犯人捜しをしようと試みているのではなく、「ここに至った経緯」を「出来るだけ知りたい」だけである。

なぜならば、その過程を通じて「冷静な目で歴史を俯瞰し、それをもってしてこの先のことを考える力」が出てくるであろうからです。

この場合で言えば「危機管理能力の構築」です。

普二小の問題は私の素朴な疑問から始まった。これは前回の投稿で触れた。

その時、最初にあたったのが宜野湾市役所への問い合わせである。

同時に市立図書館や国際大学図書館を利用して、それらにまつわる文献を少しずつではあるが、手当たり次第に目を通した。

市役所へは、2015年5月末に最初の問い合わせを行った。

米軍から西普天間住宅跡地返還が、同年の3月1日に実施され、私自身の子供が通っていた普天間高校から「返還住宅跡地への高校の移転計画予定にまつわるアンケート」という旨の通知をもらったからである。

私はこの時、普二小も同じく移転するのであろうと「勝手に」思っていた。普天間基地返還の正式発表(96年)があってから約20年間、一向に基地移設の話が進まないからである。

いつになったら普天間基地は辺野古に移設されるか不透明なそのような状況下であるから、返還される住宅跡地へ「高校も小学校も移転させるのだろう」と。

それで、5月末に市役所へ問い合わせを行ったのだ。「普二小を返還住宅地へ移転させる計画はありますか?」と。

市側からの返答は以下である。正確性を担保するために、返信されたもの主要な部分全文を掲載する。

「貴殿よりご投稿のありました普天間第二小学校の西普天間地区への移転計画について、教育委員会総務課より回答いたします。
学校の位置を決定する場合、原則として児童は徒歩による通学であることから、疲労負担を感じない程度の通学距離や通学路の安全性、適正な校地規模・環境並びに校区設定の目安となる各自治会の境界等を総合的に勘案し決定することになります。
普天間第二小学校の建設にあたっては、上記のことを勘案した結果、現在の敷地以外に用地の取得ができなかった経緯がございます。
同校の移転につきましては、現在のところ計画はございません。
普天間飛行場の周辺には120箇所以上の公共施設や幼児施設などが存在しており、普天間第二小学校だけでなく市全体が危険に晒されているのが現状であります」

私の質問は「普二小を2015年3月31日に返還された西普天間住宅跡地へ移転させる計画はありますか?」というものである。

これを返還日が過ぎた5月末に市へ問い合わせとして送信したのだ。その答えは下線部のみである。つまり「計画はない」ということだ。

市の回答の前半は「建設当初の決定理由」である。正直言ってこれには驚いた。

あれほど危険だと物議を醸し出していたし、現実に「危険な状況下」であるのに、その普天間基地の「危険性除去」の為の、辺野古移設であったのにも関わらず、肝心な辺野古移設の話は一向に進展が見込まれない。

であるならば、毎日危険にさらされている普二小を返還された近くの住宅跡地へ「移転」させるのは、ごく普通に考えることであるのに・・・・と。

普天間高校さえも移転計画があるのに「なぜ!?」。

心底愕然とした。ため息が出た。憤りの念がふつふつと沸いてくるのを感じた。「なぜなのか?」と。

この返答をもらった後、私は何度か「なぜ?」の問い合わせを行った。2度目の返答が来た。

「貴殿のおっしゃる通り、普天間第二小学校の危険性は高いことから、これまでも西普天間地区への移転につきまして検討して参りましたが、現在のところ計画はございません
前回お答えしましたように、一日も早い普天間飛行場の閉鎖・返還に向け鋭意取り組むことが、子どもたちの安全確保につながるものと考えております」

今度は「検討はしたが、計画はない」との返答だった。計画がなくなった理由も問い合わせたが、それ以降、現在に至るまで市側からの返答は全くない。

先にブログ主が挙げておられた産経新聞宮本沖縄支局長の2つの記事「基地反対派の妨害説(2010.年1月10日)」や「伊波洋一元宜野湾市がケビン・メア氏を名誉棄損で訴えた記事(2011.10/26)」の真意をも同時に問い合わせした。

勿論、返答はない。

結局、2015年5月末から現在に至るまで都合5回程問い合わせを行い、返答をもらったのは上述した2回のみだった。

■2回だけで市民との「対話」を打ち切った宜野湾市当局

私は、「普二小の問題」の何ひとつも「分からない」ままの状態になっているのだ。

こんなに近くに住んでいるのにも関わらず、毎日、普二小の子供達を目にしているのにも関わらず、「〇〇らしい」「〇〇かもしれない」「〇〇だったかも」というような事しか答えることが出来ないままである。

それは設置管理当事者である、宜野湾市の正式見解をもらえないからである。

完璧な返答を期待しているわけではない。外に出すことが出来ない情報もあるであろう。

が、いわゆる「お役所回答」からでは、結局「何も分からないまま」なのである。

先に挙げた市役所からの回答からは、「苦悩」や「困惑」などをその文書から感じ取ることが出来ない。

私の中で怒っているのは、返還された西普天間住宅跡地への「移転さえもなされない」という事なのでなる。

建設当時のゴタゴタ、その後の騒音激化、ヘリ墜落、PTAの苦悩の決断・・・などなどの経緯があって、やっとSACO合意のもと2015年3月31日に返還される近くの土地へ「移転」出来すら出来ないないのである。

この土地へは普天間高校の移転計画もあるし、琉球大学病院も新たしく建設されることが既に発表されているのにも関わらず、「普二小だけが今のまま」なのである。

この現実を、私はどのように消化すれば良いのだろうか・・・。

                                                                                    (続く)

2018年1月 8日 (月)

うるま市砂浜への米軍ヘリ緊急着陸について

002

今日は宜野湾くれない丸氏の寄稿と二本立てです。ぜひ氏の記事をお読みください。

PC修理に休日を棒に振り、苦節丸1日、当たり前に作動する平凡な喜びをしみじみかんじている私であります(うるうる)。

さて米軍ヘリがまたやらかしました。

Photo

「6日、沖縄県うるま市の砂浜に、アメリカ軍のヘリコプターが緊急着陸したことを受けて、うるま市の島袋市長は、沖縄防衛局に抗議するとともに、相次ぐアメリカ軍機の事故やトラブルへの具体的な再発防止策を、国として求めるよう要請しました。
6日午後4時ごろ、沖縄県うるま市の伊計島の砂浜に、アメリカ軍普天間基地に配備されているUH1ヘリコプターが、「回転翼の異常を計器が示した」として緊急着陸しました。
住民や乗員にけがはありませんでしたが、最も近い住宅から100メートルほどしか離れていませんでした。
機体は、今も現場に残されていて、7日朝から、アメリカ軍の関係者が、回転翼を取り外して運び出すなど、機体の撤去とみられる作業を行いました。」(NHK1月7日)

http://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20180107/5090001583.html

まず、緊急着陸についておさえておきます。

緊急着陸(ダイバート)は、不時着(水)とも、ましてや墜落とも本質的に違います。
ダイバート - Wikipedia

「ダイバート(divert)とは、航空機の運航において、当初の目的地以外の空港などに着陸すること。ダイバージョン (diversion)・代替着陸・目的地外着陸とも呼ばれる」(Wikipedia)

煎じ詰めていえば、この三者の違いは

緊急着陸とは、制御された状態で飛行場まで辿り着けずに目的地以外で着陸したインシデント(incident)です。

インシデントとは、事故などの危難が発生するおそれのある異変が発生した事態のことです。

要は<正常以上・事故未満>:、これが緊急着陸インシデントなのです。

その原因はさまざまで、気象状況で引き返した場合もありますし、今回のような警告灯が点いて念のために降りたケースもあります。

2017年9月7日の日航機のようにエンジンから出火という場合は、「重大インシデント」に分類されましたが、今回の米軍ヘリのケースはされないと思われます。

一方、不時着(水)は操縦によって制御された状態ですが、飛行場にたどり着けず機を破損させた事故です。うるま市沖のオスプレイ事故のケースです。

そして墜落は、制御できずに墜ちた事故です。

ね、そうとうに3者の状況は違うでしょう。

自動車に置き換えれば

緊急着陸は、警告灯が点ったので路側に寄せて停止した状態。

不時着(水)は、運転手がブレーキやハンドルを操作しながら、壁などに衝突して止めた状態。

墜落はそのものズバリ、ハンドルもブレーキも効かずに車や物に衝突する状態。

ですから、これを一括して、ぜーんぶ「墜落」だというのはおかしいのです。

この三つの概念を混同してメディアは、前回のオスプレイ不時着水事故も「墜落」と表現していました。

緊急着陸は、特に軍用機だけが起こすわけではありません。

最近では、先月だけで2例もあります。言い方は悪いですが、そう珍しいことではありません。

・2017年12月15日、成田発バンコク行きの全日空805便(ボーイング787―8)が那覇空港に緊急着陸
・同12月14日、上海発米シアトル行きデルタ航空588便(乗員乗客約220人、ボーイング767―300型機)が成田空港に緊急着陸

旅客機の場合、ヘリとちがっ原っぱに降ろすわけにはいきませんから、目的地に着かないで緊急に着陸するのもダイバートと呼びます。

今回は人家から100m離れていたからと言ってメディアは問題視しましたが、ヘリにとって100メートルはまったくの安全距離です。

ドクターヘリなどは、日常的に病院の屋上や庭のヘリポートに着陸しています。

002
上の写真は、ドクヘリが、病院の庭のヘリポートに着陸して患者を搬送したときの様子ですが、自動車から10メートルていどの距離です。

コントロールされた着陸なら、ヘリにとって特にアクロバティックなことではありません。

今回の米軍機の緊急着陸は、航空機なら事故を予防するためにとった行動で、パイロットの判断としては間違っていなかったと思います。

むしろ警告灯が回転異常を示していながら飛行を継続していたら、そちらのほうが問題だったでしょう。もっと大規模な事故につながりかねませんからね。

ただしこの間の米軍機、特にヘリの事故が多すぎることは確かです。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/pc-3009.html

これは12月20日の記事でも書きましたが、米軍が大韓航空などの決して整備技術が高いとはいえない(というか世界的に見てもボトム)航空会社に外注化しているためだと思われています。※追記 この機種は大韓航空が請け負っていません。

日本政府は、通り一遍に安全性の確保を要請するのではなく、安いからといって米軍に止めるように要請すべきです。

宜野湾くれない丸氏寄稿 なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その1

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宜野湾くれない丸さんに、更に突っ込んだレポートをお願いしたところ快諾され、労作を頂戴しました。

現地からのレポートは教えられることばかりです。

今回私が目からうろこだったのは、小学校を建てた1969年(開校70年)時点では普天間は休眠状態だったということです。

だから関係者は、後に危険きわまりなくなるこの土地を選択してしまったわけです。

なるほど、これで「どうしてこんな危険な場所を選んでしまったのか」という疑問が、氷解しました。

普天間飛行場が今の軍用機が多数離発着する状態になったのは、復帰後の76年にハンビー飛行場が返還され、普天間飛行場に統合されてからのことなのです。

ですから1970年~1976年の6年間に関しては、NHKの報道のように「基地があるためやむを得ない選択だった。歴史を知れ」と言えるわけです。

ただし、それ以降に関しては次元を異にします。明らかに小学校のフェンスのつい先には米軍基地があるという新しい現実が始まったのです。

この危険性から児童をどのように守っていくべきなのか、行政は深刻に考えて行動せねばならない時代が始まったのです。 

NHKや反基地運動家たちは、開校当時の70年頃のことを言うことで、76年以降の「新たな現実」がなぜ起きたのかというもうひとつの反面に目を閉ざしていたことになります。

3回にわけてアップいたします。なお、タイトルと小見出し、図版等は編者のものです。  

                                                                                     ブログ主

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 ■なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その1
                                ~宜野湾市当局とのやりとりに見る真実の一端~

                                                                          宜野湾くれない丸

 小学校建設が急務だった移転当時 、普天間飛行場は休眠状態だった 

普天間第二小学校の校庭に米軍ヘリCH53E の窓枠が落下した事故は半月ほど前の先月12月13日の午前10時08分ごろであった。  

児童に怪我はなかったことは不幸中の幸いであった。  

しかしこの学校が抱えてきた問題の経緯を調べていくうちに、今回のこの事故での児童への精神的な負担が重くのしかかるのではなかろうか、と心が曇ってしまう。

事故から数日後のNHK沖縄のローカルニュースで、時間枠をフルに使って事故の後追い報道をしていた。

番組中では沖縄国際大学の某准教授が解説をしていたが、学校や宜野湾市へ誹謗中傷の電話が掛かってきている事の苦情を述べていた。おっしゃるとおりである。  

礼節の欠片もないそのような電話は絶対に慎むべきである。 

更にこのコメンター氏はこうも話していた。おおよその概要は『(普二小が現在の場所に建設されたのは)混乱の中で歪な都市計画をせざるを得なかった為である。

時代背景を顧みないこのような誹謗中傷は許されない』というような事を述べられていた。 

そして「時代背景を顧みない歴史の考察」は慎むべきであるとのこと。これも同感である。  

60年代半ばから普天間地区の人口が増大して既存の普天間小学校だけでは飽和状態となっていた事実。新たな小学校の建設計画は急務であった事実。  

そして当時は「休眠状態(静か)」だった普天間飛行場に隣接する「あの土地」が用地買収含めもっとも条件が良かったという事実。
※「議会史」(P-138、P-140)に用地買収金額等の可決記録あり。  

だから「あの土地への建設を計画し、(琉球政府から)認可された」のだろう。 

復帰前の宜野湾市当局は、様々な混乱と歪な都市計画にならざるを得ない中で「急務な課題」である「新規小学校の建設」という事業を成し遂げたのである。  

評価すべきは正しく評価せねばならない。というのが「建設前後の状況」についての私の見立てである。  

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■普天間2小の危険は79年代末の普天間とハンビー両飛行場の統合時から始まった

しかし、コメンターのコメントにいささか腑に落ちない点が残った。
 

それは、建設当初は「そうであろう」が、その後、普二小の「騒音問題」が表面化したのは、ハンビー飛行場が全面返還(76年)され、普天間飛行場へ統合された後の70年代末期からである。  

実は今現在に至る「普二小問題」は、この76年のハンビー飛行場が返還され、普天間飛行場が蘇った頃から始まったのである。 

私が調べた限りでは、建設・開校から70年代末までの間で「深刻な騒音被害」などの記事や記録は見当たらなかった。  

私が、「いささか腑に落ちない点」というのは、この辺の説明と解説を付け加えて欲しかったからだ。  

つまり、「最初は安全な場所だった。

が、76年にハンビー飛行場が普天間へ統合されてヘリ騒音が激増した。82年にはヘリも学校近くに墜落した」と、コメンター氏の解説に補足するべきなのである。  

このことを付け加えるか、しないかでニュースを見る側の「肌触り感」が少し変わると思う。  

コメンター氏の全体説明だけを聞くと、まるで「行政は出来る限りのことをやった。仕方なかったのだ」という風にも聞こえる節があったからだ。  

窓枠が落下した後、市は「ヘルメットのひとつも支給した」のでしょうか?窓枠落下後、市は具体的に子供達に「何をした」のであろうか? 

私にとって重要な視点というものは、そのような児童の安全に関わる事なのだ。 

                                                                                              (続く)

 

 

 

2018年1月 6日 (土)

振興予算を減額されて怒る沖タイの奇妙さ

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沖縄に対する振興予算が減額されたことについて、沖縄タイムスが奇妙なことを言っています。2016年12月24日の紙面です。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/77204

「内閣府に計上する2017年度沖縄関係予算が3150億円で決着した。21年度まで約束している3千億円台は維持したものの、前年度当初に比べ6%、200億円の減となった。
 既に決まっている沖縄関係税制の延長幅の短縮と合わせ、沖縄側には厳しい内容である。背景には、最高裁判決後も新基地建設反対を貫く翁長雄志知事をけん制する狙いがあるとみられる」

なになに、沖タイは200億減ったことを、けしからんと言っているんですね。 

「コップの水がこんなにこぼれたと問うな。これだけあると発想しろ」という話ではありませんが、こぼれた水はたったの200億。いまだ3150億もあるのに、何がご不満なのでしょうか。 

そもそもかつての水準はこんなものでした。大久保潤氏の『幻想の島』のグラフを見てみましょう。Photo_2

これは1990年(H2)から2008年(H20)を見たものですが、1998年(H10)に太田昌秀知事が4713億というピークをつけた時を例外として、だいたい2000億~3000億台で推移しています。 

ではなぜ、この1998年に今思ってもスゴイ額の4713億という破格の振興予算を政府は給付したのでしょうか。 

その背景は普天間移設問題です。

1996年(H8)は、今や長い迷路と化してしまった移設問題を橋本首相が言い出した時期にあたっています。

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自分の任期はおろか他界しても決着がつかず、後の首相の悩みの種を残したのですから、橋本氏の「善意」はずいぶんと高いものについたことになります。 

さて当時、候補地は名護市に絞られたのですが、ゴーサインを出すには3点セットが必要でした。 

まずは現地である辺野古地区、次に名護市、そして沖縄県の了解、ないしは容認です。 

このうち前者は容認に向かいました。あとは太田知事を残すのみとなりました。

「1997年12月に名護市長が受け入れを表明してしまった。普天間基地移設問題が名護市移設ベースになったことについて、大田は名護市移設ベース実現の具体化の話し合いを求めた首相官邸や名護市長に対し、彼らに極力会うことを避け、彼らと対面しても普天間基地移設問題について触れたがらないようになった」
普天間基地移設問題 - Wikipedia

政府が面談さえ避ける太田氏の岩戸の扉を開こうと提示したのが、この法外な4713億という破格の振興予算額だったわけです。 

まぁ、言い方は悪いですが、札束で頬をたたいたのです。 

そして知事が条件付き容認の稲嶺氏に代わりいったんは井決は落ち着くところに納まったて、振興予算額も平常飛行に戻って行くとおもわれたのですが、とんだハプニングが起きました。

あのL鳩山首相の歴史的なちゃぶ台返しです。登った梯子をこともあろうに言い出しっぺの本土政府にハズされた形となった仲井真知事もまた、反対の立場にならざるをえなくなりました。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8979.html

そこで、再び登場するのが振興予算バズーカです。 

Photo_3
沖タイ前掲記事はこう解説しています。

「前知事が辺野古埋め立てを承認する直前に決まった14年度予算は3460億円で概算要求を大きく上回った。翁長氏が知事に就任した直後の15年度予算は基地が『踏み絵』となり5年ぶりの減額で3340億円、16年度予算はそれとほぼ同額の3350億円だった」

この仲井真氏が減少傾向に歯止めをかけ、3460億を獲得した時に、口をきわめて「沖縄を売った」と批判したのはどこの誰だったでしょうか。

病身の仲井真氏を百条委員会まで作ってつるし上げたのは、他ならぬ地元紙と今の「オール沖縄」の皆さんでしたが、どうやらお忘れになったようですね。

言うも愚かですが、移設問題に協力していくか否かを政府が振興予算のひとつの判断材料としていることは常識です。

ただそれまではソフスティケートさせて いただけで、翁長氏のような聞く耳を持たない知事には分かるように言ってやっただけのことです。

それが去年の8月の、菅氏の振興予算-基地リンク論です。

「今年8月、菅義偉官房長官と鶴保庸介沖縄担当相は『基地と振興策はリンクしている』と明言し、移設作業が進まなければ予算の減額もありうる、との考えを示した。これまで否定してきたリンク論をあえて持ち出したことと、今回の予算は無関係ではない」(前掲記事)

おいおい、無関係なわけがないでしょう、沖タイさん。

関係があるのですから、「そうか減ったか。県民よ、そういうわけだ」と諭すのがあなた方頑固派反基地派の役割なはずです。

それをいまさらのように、なに言ってんだか。

そもそもリンク論を否定するなら、仲井真氏が大幅な増額を得た時に、「基地を代償に沖縄を売った」などといわねばいいのです。

当たり前のことを当たり前に言われると怒り、協力はしない「あらゆる手段で移転を阻止する」といいながら、経済支援だけは寄こせという。

なんというご都合主義なことよ。左翼陣営のいけないところは、現実を見ないことです。

見たくない現実から眼をそむけて、「糾弾」だの「怒り」だの、果ては「独立」だのと言っていれば本土政府からの支援がもらえると思っています

ところが、現実は先に進んでいるのです。米国は今歴史的なセットバック(後退)時期に差しかかっています。

今の時点では夢想に聞こえるでしょうが、私はそう遠くない将来、米軍は左翼陣営の望みどおり沖縄から段階的に去っていくと思っています。

今年成人式を迎える若者が、子供を持つ頃にはおそらくそうなっています。その時に気がついても遅いのです。

キャンプシュワブは陸上自衛隊水陸機動団宜野座駐屯地となり、カデナは航空自衛隊嘉手納基地となります。米軍は一部残るでしょうが、かつてのような規模ではありません。

それはまったく健全なことで、沖縄は「普通の県」になるのです。

さてここまで読んで、沖縄にとって<道>はふたつしかないことに気がつかれましたか。

ひとつは本土の援助なく自立していこうとする意志を持つ沖縄。

そしてもうひとつは、基地に経済的に依存しない沖縄です。

このふたつは矛盾しません。

振興予算は一種の麻酔剤のようなものです。

外国軍基地を過重に引き受ける代償として、本土政府が投与し続けたものでした。それは必要な時期もありましたが、今や身体を蝕ねかねない危険をもった偽薬となっています。

永遠に偽薬で、だまし続けるわけにはいかないのです。

※お断り 結語部分を大幅に加筆しました。

 

2018年1月 5日 (金)

宜野湾くれない丸さん提供の資料から考える普天間2小移設問題

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宜野湾くれない丸さんから、普天間2小の移転問題についての丹念な資料を頂戴いたしました。 

地元でなければ出てこない冊子まであたっていただいています。感謝にたえません。ありがとうございました。 

今まで、普天間基地がらみて2回の墜落事故が起きています。1959年と1982年で、59年には犠牲者17名中、小学生が実に11名を占めました。 

痛ましさの限りです。あらためて普天間2小の場所を確認しておきましょう。基地滑走路のまさに脇に隣接しています。 

これを見て愕然としない人はいないでしょう。 

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 航空機事故には、「魔の11分(critical eleven minutes) 」というものがあります。 

もっとも事故を起こしやすい時間帯のことで、飛行機の事故は統計的に離陸時の2分間と着陸時の9分間に多いことから、この離発着を合わせて「魔の11分」と呼んでいます。 

日本流体力学会によれば事故発生率が高い時期は
・離陸・初期上昇での事故発生率       ・・17%
・最終進入・着陸時での事故発生比率・・・51%

ですから、航空機の進入路直下は、離発着の両側の4㎞以上にわたって国が買い上げて無人地帯にするべきです。 

事実日本の航空法ではそうなっています。 

米軍のAICUZ海軍作戦本部長インストラクション(OPNAVINST110.36B)によっても、滑走路の両端の延長線上4.5㎞に住宅や学校、病院、集会場の設置を認めていません。 

実際になんどとなく墜落事故をおこしている厚木基地の進入路直下や周辺地は、防衛施設庁によって買い上げられ、1970年までに大和市、綾瀬市の基地周辺の262戸が集団移転しています。 

本来、普天間においても進入路を4.5㎞にわたって買い取って無人地帯(クリアゾーン)を作るべきです。 

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もう一枚、普天間2小の航空写真と並べると、本来は完全にクリア・ゾーンに入っているのがわかります。Photo_2

 当然、米軍も国もクリアゾーンを設置すべきことを理解しています。
2. 安全基準 (1)日米合意による普天間飛行場の安全基準 ① 1996年3 ...
 

上図の米軍「『環境レビュー』には、普天間基地の航空施設安全クリアランス(クリアゾーンは太枠で示してあります。 

米軍の基準によれば、滑走路の両端から幅約460㍍×長さ約900㍍×幅約700㍍の台形として、ここを無人地帯にすべきだとしています。 

宜野湾市によれば、「クリアゾーン内に市立普天間第二小学校、新城児童センター等の公共施設や保育所、病院等が18施設、住宅が約800棟、3千人余りの住民が居住している状況がある」(前掲)とされています。

仮に移転が挫折した場合、普天間の固定化が自動的に決定してしまうわけですが、その場合国は、本腰を入れてこの地域の学校、病院、保育所などの移設から開始し、計画的に住宅地も買い上げて行くべきでしょう。 

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さて普天間2小移転問題が、なぜうやむやのままに、放置されてきたのかについて頂戴したくれない丸さんの資料を参考にして考えてみましょう。

なお、私はかつて産経宮本支局長の基地反対派団体の妨害説に立っていた時期がありましたが、今はその立場をとりません。 

というのは、宮本記の裏が取れないからです。反対運動があったというなら、そのビラ・パンフなど運動の痕跡があるべきですが、一点も見つかっておらず、証言者が1名では根拠が薄弱です。 

今回、くれない丸さんがあげておられた「疑問4」に、ひとつのヒントが見つかりました。 

沖タイが『これってホント!?誤解だらけの沖縄基地』にあげている移転が挫折した理由を「国の援助がかなわず頓挫」と「用地費不足と老朽化が進み断念」をあげていますが、これは信憑性に欠けます。 

沖タイは『普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)誤解だらけの沖縄基地・9』(2016年2月1日)でも、同じ内容があります。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/23402

西普天間には返還が予定された地域があり、宜野湾市の財政が苦しく移設費が払えず、防衛施設庁が冷酷にも予算を与えなかったことを沖タイは挙げています。

私はこれは信憑性が薄いと思います。このような児童の安全という最優先にされるべき課題を市が単独で行う必要があるとは思えません。

よしんば予算がつかないならば、県に与えられている潤沢な振興予算からどうにでもなることではなかったのでしょうか。 

県は有り余る振興予算で不要不急の公共施設を作りつづけているのですから、小学校の移設費など微々たるものです。

つまりはこの二つの理由は、表向きの言い訳にすぎません。 

となると真の理由は、沖タイもあげているもうひとつの理由、すなわち、「米軍が学校跡地を米軍施設として提供する」という部分が最大のネックとなったと考えられます。

「キャンプ瑞慶覧の一部を学校の用地として返還する代わりに、いま第二小がある敷地を普天間飛行場に編入する。つまり、市民の土地を新たに基地へ差し出すというものだった。
当時は西銘順治知事が普天間飛行場などの整理縮小を訴えていた時代。安次富氏は返還への条件があったことや、その対応を公表しないまま、3選を目指した85年7月の市長選で、革新の桃原正賢氏に敗れた。」(前掲)

当時の安次富市長が決断できなかった理由を、子息の修氏はこう述べています。

「施設庁側は、第二小の移転は市長の決断次第だ、と言っていた。ただ、父にとって編入条件の受け入れは、第二小の移転が実現する一方、市民の理解を得られるのか、もろ刃のつるぎの側面があった。世論を見極めていたように思う」(前掲)

この子息の説明で、安次富市長をためらわせた理由が「世論」、本土では「沖縄の苦悩」とか「沖縄の心」と称されているものだとわかります。 

安次富氏に代わって市長となった、桃原市長も同じような壁にあたってしまいます。

「市長就任後、編入条件を知った桃原氏もまた、苦悩する。『基地の整理縮小を求める民意に背くことになる』。86年11月には条件の撤回と、あらためて用地取得のための補助金交付を那覇防衛施設局へ要求した」(前掲)

革新系桃原市長は、この米軍の提案自体の撤回を求めようとします。

移転用地は米軍が提供するが跡地は米軍施設とする、これでは基地縮小の民意にそむく基地拡大ではないか、というわけです。 

う~ん、既視感が猛然と頭をもたげてきましたね。 これが一貫した沖縄革新陣営の定番的主張です。現実には、縮小計画は、いわばパズルゲームで、こちらを返して、その代わりに色々な条件がついてくるという性格のものです。

それはアジア情勢まで持ち出さなくても、相手がある国家間交渉とは互いに譲歩し合うものだからです。

たとえば高江では大幅な北部訓練場の返還の代償に、はるかに小規模のヘリポートを作らねばなりませんでした。

それを革新陣営は「返す」という部分を伏せて、あたかも「新たな航空基地」であるかのようにプロパガンダしました。

普天間基地を移設するための辺野古移転などは、とうとう「新基地」建設です。

ものごとの軽重は明らかです。

目の前に下の写真のような厳然たるリスクが存在します。 

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そもそもいかなる基準、いや常識に照らしても、ここに小学校などあってはならないのです。

ならば四の五の言わずに、移転する用地があるのですから、とまれそこに移転したらいいのです。

そこが「新基地」になるなどということは、「民意」と小学生の生命のどちからが重いのでしょうか。

仮に「市民の土地」が新たな米軍施設になったとしても、米軍はそこに恒久的施設を作ろううとはしないでしょう。

なぜなら、すでにこの時期に、普天間基地の移転は日米政府の議題に登っていますから。

おそらくは前述した無人地帯(クリアゾーン)にしたと思われます。

ものごとを素直に軽重すれば、まずはなんとしても小学校を移転することを最優先させくべきなのは常識です。

議論が深まらない前に、「民意」におののいて腰くだけになる宜野湾市行政の姿は、象徴的です。

いつまでこんなことを続けて、肝心要の学童の安全を放置しつづけるのでしょうか。

かくして1986年に「民意」を説得しておけば、36年も前に解決したリスクの下に、今でも子供たちを放置し続けているのです。

宜野湾くれない丸さんがおっしゃるように、このような危険に児童を日常的にさらしておきながら、事故があると大声で糾弾はするが、「移転のための行動はおろか、全県民的な議論がない」という空気そのものを変えていかねばなりません。

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0025720209時事https://www.jiji.com/jc/p?id=20171214101004-0025720209

以下、宜野湾くれない丸様コメントです。 

普二小問題は近所ということもあり、また学校脇でヘリが飛び立つ様子(午前中が多い)をよく見かけておりましたので「なぜこのような場所に学校を造ったのか?」「なぜ学校は移転できないのか?」という大きな疑問があり、その経緯について自分なりに調べておりました。 

 宜野湾市立図書館に「普天間第二小学校創立35周年記念誌」(H.17年月1日発行)という冊子があり、その中に「PTA新聞から見える普天間第二小学校の歴史」という特集ページがあります(P46-P55)。 

新聞のコピーを冊子に収録したものですので、虫メガネを使って読みました。「普二小の移転について」のPTAの苦悩の経緯が垣間見ることができました。 

また、通っている児童の作文もいくつも掲載されておりましたが、その「切実な訴え」を読んで、深い落胆の念を感じました。あの作文を書いた女の子は今はどのような暮らしをしているのだろうかと。
 以下、「PTA新聞」「宜野湾市史」「新報」「沖縄タイムス」などを参考資料として私なりにその概要を簡単ではありますが、まとめてみました。
 

①1959年(S.34)6/30
宮森米軍機墜落事故(死者17名/小学生11名、一般6名)
 

②1966年(S.41)
「普二小の新設へ近く政府へ認可申請」(新報・朝9/1)
 

③1968年(S.43)8/26
「普二小認可」(沖タイ・朝9/1)
 

④1968年(S.43)11/19
「B52 嘉手納基地内に墜落」(新報・夕11/19)
(19日午前4時18分ごろ。民家139戸被害、5名の負傷者)
 

⑤1969年(S.44)
「普二小建築中止問題で議会大荒れ」(新報・夕6/20)
 

⑥1969年(S.44)
「ようやく認可」(沖タイ・朝6/29)
 

⑦1970年(S.45)
普天間第二小学校 開校(69年普天間小学校校庭に仮設校舎を設営したらしい)
 

⑧1972年(S.47)5/15
沖縄の本土復帰
 

⑨1976年(S.51)
ハンビー飛行場全面返還

http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/hamby-airfield 

⑩1979年(S.54)
「この頃より学校移転が話題にあがる」(PTA新聞30号)
「第二小の防音工事について陳情」(議会史P206)
 

⑪1982年(S.57)8月19日
「米軍ヘリ普二小から200mの地点に墜落」
 

⑫1985年(S.60)
「特集!!学校移転は果してできるか?」(PTA新聞30号)
 

⑬1987年(S.62)
「学校移転に向けてPTA精力的に取り組む~これまでの動き~」(PTA新聞38号)
 

⑭1988年(S.63)
「第二小移転に係る用地取得についての要請決議」(議会史P45)
 

⑮1992年(H.4)
「危険と同居仕方ない 第二小移転を断念」(沖タイ・朝9/19)
 

⑯1995年(H.7)9/4
「沖縄米兵少女暴行事件」
 

⑰1996年(H.8)12/2
SACO合意
 

⑱2011年(H.23)
6/6 オスプレイ(MV-22B)普天間配備正式発表
10/.2 普天間飛行場へ配備
 

⑲2015年(H.27)3/31
「キャンプ瑞慶覧 西普天間住宅地区返還」
 

⑳20017年(H.29)
「普天間第二小学校校庭へCH53ヘリの窓枠落下」
 

 PTA新聞などの資料を読むかぎりでは、開校後の70年代半ば以降から「騒音被害が大きくなってきた」と書かれている。これは、76年の「ハンビー飛行場の全面返還」によって同飛行場を利用していたヘリが普天間に移ったためであると考えられる。 

疑問点-Ⅰ
①の大事故が起こったのになぜ「普天間基地の隣接地」に学校建設」を検討したのか。また、なぜ「建設許可が下りたのか」
 

疑問点-2
学校建設許可の認可がおりた3ヶ月後には④が発生している。「再検討」はされなかったのか。
 

疑問点-3
⑤は「市の道路整備計画地と第二小建設現場がダブっていた」ということでの議会が荒れたと新聞記事には書かれている。

「建設計画そのものがズサンであったのでは」と言われてもおかしくはないのではなかろうか。

また、「議会が大荒れ」したわりには、「その9日後に認可が下りた」ともある。早すぎるのでは。 

疑問点-4
学校移転が話題に上がってから「断念」するまで約13年間の時間があった。
 

断念の理由としては、「これってホント!?誤解だらけの沖縄基地」(沖縄タイムス社編集)を参考にすると(P150-158)、「予算、国の援助がかなわず頓挫」「のめぬ条件、跡地を基地に」「用地費不足と老朽化が進み断念」と3項目を挙げて説明している。 

米軍側も危険を考慮したのであろう、5条件をつけて学校移転を検討し、宜野湾市側へ提案した。 

その条件面で「難題があった」と続けて説明がある。 

一番の難題は「現在の普天間第二小の敷地、建物を普天間飛行場として米軍に提供すること」である。 

「キャンプ瑞慶覧の一部を学校の用地として返還する代わりに、いま第二小がある敷地と建物を普天間飛行場に編入する。つまり、市民の土地を新たに基地へ差し出すというものだった」と解説されている。 

この時、「学校跡地を差し出してでも、米軍が提供を申し出たキャンプ瑞慶覧の一部へ移転する」という、「子供達の安全・安心を少しでも確保する」という「選択肢は無かったのか?」という疑問である。 

全県民的な議論は無かったのか? 

疑問点-5
上記にあげた「キャンプ瑞慶覧内の西普天間住宅地」はSACO合意のもと、2015年3/31に返還されました。私はその前後に宜野湾市役所教育委員会へ問い合わせを行いました。「返還される土地に第二小を移転させる計画はありますか?」と。
 

返答は「検討しておりません」ということでした。 

以前、移転しようと日米で試みたその「土地」が返還されるににも関わらず、市役所は「移転計画すらさえしていない」のである。なぜなのか? 

 同様に、この返還地には普天間高校の移転話もあがってます。 

一度は頓挫したものの今現在県は土地取得へ向けて動いている、とのことですが、先月末のNHK沖縄ローカルニュースでこんなニュースが流れてました。 

「普天間高校の西普天間住宅地への移転計画で、用地取得目標は7.5ヘクタールだが、そのうち0.1ヘクタールしか取得の目途がたっていない。用地買収におうじた地権者は2人のみである」と。
 
 最後に、「PTA新聞31号」(1985年11/30付)にある小6の女子児童が書いた作文の一節を抜粋掲載いたします。
 

「市長さんや役員の方々は、この学校のことを考えていらっしゃるのでしょうか。本気になって考えていらっしゃるなら、普二小を早く移転させてください」 

【参考資料】 

「普天間第二小学校創立35周年記念誌」 平成17年3月1日発行
「宜野湾市史 7 資料編六 新聞集成Ⅲ(下)」
「宜野湾市史 8 資料編七 戦後資料編Ⅰ戦後初期の宜野湾」
「宜野湾市と基地」平成21年3月 宜野湾市基地政策部基地渉外課編集
「これってホント!?誤解だらけの沖縄基地」沖縄タイムス社編集局 高文研 2017年

 

 

2018年1月 4日 (木)

今年はアレコレと眺めまわして考えていきたいものです

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あらためまして、本年もよろしくお願いいたします。さぁ、新年の始動開始です。 

せっかくの新年冒頭ですから、私のスタンスのようなものを書いておきましょう。 

まずこのブログは、できるだけ「公平に観る」ことを前提にしています。 

ゼノフォビア(外国人嫌い)のようないわゆる反日糾弾記事を読みたい方は、そのようなブログはあまたありますから、そちらへ行くことをお勧めします。 

もちろん私の価値観や政治的立場はありますが、それを至上のものとしません。 

むしろ私が関心があるのは、「どうしてこのようなことになっているのだろうか」という疑問を解きほぐすことです。 

そして私はそれを色々な角度から動的に見てみたいのです。

私は万物は繋がって連動して動いていると思っています。静止しているようでいて、実はたまさか私たちの前でバランスをとっているだけかもしれません。

まずは、そのリンクした構造を解きあかすことです。

たとえば私は、2012年から16年にかけて大量の原子力関連の記事を書き続けました。おそらく200本近く書いているのではないでしょうか。 

それは原子力が怖いという素朴な恐怖感から悪と断定して、それで終わりにしてしまっては何か分かったことになるのだろうかと考えたからです。 

私も「被曝」地住民のひとりとして、原発は怖いと思う気持ちは共有します。

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ある漫画原作者は、「福島はもはや住めないから逃げる勇気を持て」と説きました。

このような福島は半永久的な放射能汚染地であるとする言説は、メディアや反原発運動家によって拡散されました。

そしてそれは福島の復興を妨げ、地域差別すら生み出しました。

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ではこのように原発が怖いで止まっていて、なにか分かったことになるのでしょうか?

当時私は、素朴にそう思うことから始めました。

原子力と決別するには、遡及して「どうして原子力をエネルギー源の一部に組み込んだのか」という現実の構造から理解しないと分からないからです。 

原発問題は一義的にエネルギー問題です。今の日本は、菅政権による超法規的措置によって、原発を安全点検のためにゼロに等しい状態に置いています。 

これによるエネルギー不足と化石燃料消費の増大を、このまま続けてよいのかという疑問がわきます。 

今や日本は100%輸入に頼る火力が8割を占めています。

W2015年度の国内の発電電力量比率
https://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id035667.html


現代の技術水準では、太陽光・風力は、ベースロード電源である原子力・火力の代替にはなり得ません。

しかし日本では「原子力即時ゼロ」という極端な空気が、「再エネvs原子力」という無意味な対立軸を作ってしまいました。

原発依存を止めたいのならば、代替エネルギー源をしっかりと確保して、「国産エネルギー」を最低でも4割ていどにしてから、社会に打撃を与えないように原子力をフェードさせねばならないのです。

当然のこととして、即時ゼロなど空理空論であって、原発がなくなるまでには半世紀以上の時間が必要です。

現実にドイツのまねをして菅政権がやったFIT(固定価格買い取り制)による自然エネルギーは解決になるどころか、かえって震災復興で苦しむ社会への負担を増やしただけの結果となりました。

そもそもそれを先行してやったドイツの現状はどうようになっているのかといえば、ひとことでいえば、無残な失敗に終わりました。

女帝とまで言われたメルケルがいまや連立すら組めない状況なのは、移民問題とこの原発ゼロ政策の失敗のツケを払わされているからです。 

Photo_3http://ieei.or.jp/2013/08/expl130820/

次に既に原発で生み出されてしまった、大量のプルトニウムの処分を無視するわけにはいきません。 

直接埋却するのか、再処理工程に回すのか、あるいは国際社会が懸念している核兵器製造をするのかと、選択肢は多くありません。

これは今年7月16日に期限切れとなる、日米原子力協定という条約の枠組みで見ていかねばなりません。
日米原子力協定 - Wikipedia

日米原子力協定を廃棄するということは、大枠である日米同盟そのものを廃棄することと見なされます。 

というのは再処理工程を拒否し、かつ直接埋却もしないなら、自動的に兵器級プルトニウムを製造するということしか残らないからです。

それが意味することは、日本が米国の核の傘から離れて、従属的同盟関係からの自立を図ることです。 

当然それは、地勢学的に敵対的核保有国に包囲されたわが国にとって、独自核武装の茨の道に踏み込むことを意味します。 

その意味で原発問題は、安全保障の問題も含んでいるのです。

このように考えてくると、原発は怖い→再稼働反対→再処理、直接埋却反対という今の反原発派の皆さんの一直線のような主張の先には、たったひとつの結論しか残らなくなります。

それは日米原子力協定と日米同盟を廃棄し、独自核武装に進む道です。

反原発派の人たちの多くは、米国への従属反対・安保反対派と重なりますから、なおのことこの道しかないことになるでしょう。

特に坂本龍一氏について恨みなどありませんが、彼の主張は「分かりやすい」ので典型例として2枚一緒に貼り付けておきます。

Genpatusakamoto1

20150901181545992

彼のような反原発文化人は、日本を核保有国にしたいのでしょうか。

たぶん真逆でしょうが、彼らのいうとおりにしていけば自ずとそうなってしまうのです。反原発・反安保という、しこったイデオロギーでしか発想できないからこうなるのです。

さてこれでよいのだろうかと、私は考えてしまいます。

社会は複雑系モデルによって動いています。
複雑系科学 - Wikipedia

複雑系は元来、自然界の動態を観測するなかで生まれました。

「多くの要素からなり、部分が全体に、全体が部分 に影響しあって複雑に振る舞う系。従来の要素還元による分析では捉とらえることが 困難な生命・気象・経済などの現象に見られる」(大辞林)

今日は原子力を取り上げましたが、社会や経済はさまざまな要素が他の要素と絶えず相互に作用する結果、思わない方向に発展していくものです。

原発が怖いというニュークリア・フォビア(核恐怖症)に閉じ込められて、全体の相互の関係を見失ってはならないでしょう。

このことは沖縄問題においても、北朝鮮の核問題においても同様だと思います。

おっと、抽象的になってしまいそうなのでこのへんで切り上げますが、要はアレコレと眺めまわして立体的に考えていきたいと思います。

そのための考える材料を、できるだけ分かりやすく具体的に提供できればよいなと思っています。

今日はやるつもりがなかった原子力について枕で書き始めたら、つい本腰を入れてしまいました。まったく私ときたら(笑い)。

 

2018年1月 1日 (月)

元旦写真館

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明けましておめでとうございます。 

皆様方とご家庭に、そしてわが瑞穂の国に安らぎが訪れますように。 

本年もよろしくお願いいたします。

                              平成最後の年 

                              ブログ主  

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年末に多くの温かいコメントを頂戴いたしましたことを、心から感謝いたします。

新年は4日(木)からの開始となります。

戌年ということで、一昨年にご好評をいただいたうちのワンの写真をまたお目にかけることにします。

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