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2018年1月30日 (火)

日本の常識は国連PKOの非常識

Photo

国連からPKOへの支援要請が来ています。 

驚かれる人も多いと思いますが、現在の国連PKOは住民保護のためには予防的「先制攻撃」すら容認しています。 

その分岐点は、1999年の「アナン告示」と呼ばれるものです。(欄外参照)

これは昨日もふれたルアンダ虐殺で、国連PKOがなにひとつ有効な手段をとれないまま眼前で大虐殺を放置して撤退に追い込まれたことに対する手厳しい反省から生まれています。 

ルアンダ内戦が始まるわずか2年前の92年までは、日本のPKO方針と国連平和構築活動とはそれほ大きな齟齬はありませんでした。 

国連も日本も、交戦行為を忌み嫌っていたのは共通していたからです。

日本ではほとんど報道されませんでしたが、これは国連平和維持活動にとって重大な転換でした。 

ここで事務総長告示が述べていることは、ルワンダのように住民が虐殺にさらされている事態に直面した際、今後、PKOは「住民の保護」のために交戦してよいということだからです。 

その際、PKO自身が国際法上の紛争当事者となるわけですが、それを国連は否定せずに、あえて紛争当事者となることも厭わないとしました。 

戦闘当事者ですから、今までのような兵力引き離しのための仲介勢力のように戦時国際法や国際人道法の枠外ではなく、それを遵守する立場をとるとしています。 

この国連の方針転換を受けて、2000年の国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)においては、東ティモールの独立に反対する民兵グループの襲撃に会ってニュージーランド、ネパール隊各1名が殉職したことに対して、PKO部隊は「軍事行動」をとりました。

Pko

南スーダンPKOで住民デモを監視する中国軍PKO部隊。中国は日本よりはるかに熱心にPKOに参加し、このスーダンでも2名の死亡者を出している。

いまや国連PKOにおいて、住民保護が最優先任務とされ、ROE(交戦規定)もそれに沿って「紛争当事者」であることを前提とするようになっています。

たとえば、日本では現場からの日報に「戦闘」があったのなかったのとどーでもいいことをつつきだして騒いでいた南スーダンPKO(UNMISS)の2011年当初マンデート(委任された権限)は、「国づくり」でしたが、和平が破れて内戦が始まると、2014年には「住民保護」に変更されました。 

つまり、「戦闘」があるかないかではなく、ましてや戦闘がないから自衛隊を出すのではなく、初めから住民保護のためには交戦を前提として、他国のPKO部隊は派遣されていたわけです。

「いや、日本の自衛隊は国づくりのための民生活動だ。名称も施設科だぞ」と、おそらく日本国内でしか通用しないマジックワードをならべても、諸外国は理解しないでしょう。

国際社会では、自衛隊がいくら「軍隊ではない」といってもそれはあんたの国の内部事情、普通科とは歩兵のこと、施設科とは工兵のことなのですから。

したがって、自衛隊のPKO部隊はPKF(United Nations Peacekeeping Force)という平和維持軍の工兵隊部隊なのです。

日本は国内でしか通用しない言葉遊びで、本質から逃げるのは止めたほうがいいでしょう。

日本において政府が語ってきた「後方支援」「非戦闘地域」「非一体化(武力行使とは一線を画する)」などの概念は、いまやまったく無意味、かつ本質を見せないという意味において有害ですらあります。

なぜこのような言葉遊びでごまかしているかといえば、日本国憲法において自衛隊は「軍隊」ではなく「交戦権」は持たないとしているからです。

ですからPKOは交戦することを前提においた軍事行動をする軍隊だと認識してしまうと、自衛隊を参加させられないことになるからです。

本来なら、5原則を変更すべきだった自民党政権もダメですが、知っていて出した民主党政権も同罪です。

そしてこれを日報事件として大臣の首を取ることとしてしか捉えられない国会議論は、もっとダメダメです。

このようなあいまいな国際平和活動との関わりは早急に議論して修正されるべきですが、根が憲法問題に絡むだけに簡単にはいかないでしょう。

これについては稿を改めます。

                                                   ~~~~~~

●事務総長告示
1999年08月12日

国連部隊による国際人道法の遵守
第5条
 

国連部隊は何時においても、一般市民と戦闘員、および、民間施設と軍事目標とを明確に識別するものとする。軍事作戦は、戦闘員と軍事目標のみを対象にするものとする。一般市民あるいは民間施設に対する攻撃は禁止される。
一般市民は本条によって認められる保護を享受するものとするが、敵対行為に直接的に関与している場合は、この限りでない。
国連部隊は、一般市民の巻添えによる死亡、一般市民の負傷あるいは一般市民の財産に対する損害を回避し、かつ、発生した場合でもこれを最小限に止めるため、あらゆる実行可能な予防措置を講じるものとする。

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コメント

基地の問題もそうですが、本質から目を背け、議論を回避してきたツケが色々と問題を産み落としています。
最早平成も終わろうとするなか、未だ昭和の亡霊に苛まれる日々。
まず自民党政権に責任の多くがありますが、野党、マスコミ、何よりも我々国民も同罪ですね。

> なぜこのような言葉遊びでごまかしているかといえば、日本国憲法において自衛隊は「軍隊」ではなく「交戦権」は持たないとしているからです。

> ですからPKOは交戦することを前提においた軍事行動をする軍隊だと認識してしまうと、自衛隊を参加させられないことになるからです。

 我々日本国民は自己欺瞞をしている筈です。PKOの目的とする国際平和貢献を義務だと感じながらも、自分たち日本人は憲法で戦闘を禁じられているからPKOでの戦闘には関わらない。これでは、世界の人々から信頼を得ることはできでないですね。

 国連ではもう、非道なことが行われる国には内政不干渉のげ原則を超えて国連が関与していくという新しい原則が出来たということです。

 人の命は地球より重いと言った福田首相の言葉はもう通用しない時代になりました。我々の国も、国際において現実的な対応をしなければならないでしょうね。

 日本だけがいつまでも例外であることは許されないでしょう。

 また、北朝鮮への内政干渉は必要ではないでしょうか? 国民に対し残虐な圧迫をしているのですから。これは内政干渉という段階以上に、戦争を仕掛け政治体制を転換するぐらいでなくてはいけないのではないでしょうか。アメリカが北朝鮮に戦争を仕掛けることで国連のなすべき役割を今担っているとも考えられます。

 アメリカも過去、誤った判断をいくつかしてきましたが、北朝鮮への今回の対応は正解だと思います。北朝鮮を追いつめる経済制裁、そしてそれによる金体制の崩壊を目指すというアメリカの対応は正しいものだと思います。

 ともかく、日本人は自己欺瞞をする悪い態度を改めるべきです。

過去記事でこの話題が出た際にも補足であったと記憶しますが、実際のPKO参加国の上位は新興国及び紛争を自らが抱える故に軍が超現役なアフリカなどの国々です。
日本は東アジア以外では国家摩擦がないので、憲法や自衛隊法・軍事法廷などの制度を整える事がもちろん条件ですが、主要国に相応しい一定の役割を果たせると思います。
しかし、国連が混沌とする中でPKO自体の紛争への貢献度がいかほどか、私達はもっと知るべきでしょう。
正義や夢や理想で前のめりには、なりたくないです。
それにしても、1999から数えて18年も経つのですね…先日の普天間の記事もそうですが、この数十年、何もしなかった訳ではないけれど、どれ程自分が情報に踊らされながら全てをホールドし続けて今に至るのか、頭がぐるぐるしています。

小泉政権の時のイラク派遣もひどかったけど、現状はさらに自衛隊を行かせるために整備しなければいけないことが法的なものを含めて山積みですね。

最近は、アフリカ等貧弱な装備の軍が入ってくる中で、自衛隊を警護させること自体軋轢を生むだろうなと感じています。中古のカラシニコフみたいな装備しかないアフリカの周辺国軍が、近代装備の自衛隊を真剣に守るのか?立場を逆にしてみればわかると思いますけどね。

少なくとも軍として基本的な法整備がない限り、PKOに自衛隊を送り出すのは反対です。

ひとつ前向きに気づいた点は、日報騒ぎの頃と比べて、
①テロや紛争が激化して治安への関心が高まった
②安倍政権が持ち堪え選挙で圧勝した
③直近の北朝鮮危機が歪んではあれども意識された
ざっとこんな要因で、「改憲」は話をしただけで政権を揺るがすようなタブーから明らかに脱した事です。
私がここのコメント欄に書き込み始めたのはパリのシャルリ事件の頃で、今となってはあのショックは彼方へ、日常とテロの距離がこんなに近づくと想像した日本人は殆どいなかったはずです。
国際貢献も、その実力組織の派遣方も、自国の安全確保を真ん中にした輪の広がりとして、考える。その為の改憲だと私は思います。

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