国連PKOは変化し続ける
国連が日本にPKO訓練費用の提供を要請してきました。これはトランプ政権が支出の大幅削減をしたためです。
「アメリカのトランプ政権が主導して国連のPKO=平和維持活動の予算が大幅に削減されたことを受けて、国連は、日本に対してPKO要員の訓練費用の提供を要請していることを明らかにしました。(略)
そのうえで、「日本のような国からの支援が必要だ。24日、日本政府の高官と会談したが、支援を得られることを期待している」と述べて、増え続ける訓練費用を確保するため、通常予算とは別に自主的な資金提供を日本に求めていることを明らかにしました」
(NHK1月25日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180125/k10011301811000.html
この問題はいい機会ですから、金を出す出さないというレベルではなく(出さなければ中国が出すだけですが)、PKOの変化と憲法との関係で考えてみましょう。
まず、いま行われているPKOについて押さえておきましょう。
一言でいえば、かつてのカンボジアPKO(UNTAC)の時とは、大きく変化しています。
驚かれるかも知れませんが、そもそも国連PKO(United Nations Peacekeeping Operations)には、定まった規約が存在しないのです。
国連憲章テキスト | 国連広報センター
誤解を恐れずにいえば、国際社会が壁にぶつかりながらつくり上げてきた「国際慣習」の仕組みです。
ですから、国連憲章にはPKOを明文化した条文はなく、あるのは憲章第7章の集団安全保障体制だけです。
この国連憲章という国際法には、集団的自衛権かあるないという日本独特の教条は影も形もなく、当然あることを前提に書かれています。
日本国憲法は国際法に優越するのだという独善は、国内では通用しても国際社会では無意味なのです。
それはとりあえずおくとして、誕生したばかりの国連は「国際の平和及び安全の維持または回復のための措置」として、国連軍まで想定していました。
国連に加盟することは、この国連軍に兵を拠出する義務を負うのです。
この「国連軍」は、ただ一回、朝鮮戦争時にきわめて変則な形で登場しただけで、機能不全に陥りました。
とはいえ仮に当時日本が国連に加盟していれば、日本は「国連軍」に参加する義務が生じたともいえます。
ところが幸か不幸か、日本が国連に加盟した1956年には朝鮮戦争は休戦に入っていました。
もしあと3年、ないし4年主権回復が早ければ、日本は「国連軍」へのなんらかの参加を求められたはずですから、60年後にいまさらのような集団的自衛権論議はなかったともいえます。
ところが、「国連軍」は東西冷戦の中で、実際は機能しませんでした。
そこで第2代のハマーショルド国連事務総長が、いみじくも「国連憲章6章半」と呼んだ国連PKOが誕生したのです。
憲章に明記されていないために、その時々の国際情勢の変化やPKO現場での経験を踏まえて大きく変化し続けています。
裏返していえば、PKO活動とはトライ&エラー(試行錯誤)の連続だったと言っていいでしょう。
その中でPKOはルールづくりをしてきたのであって、「憲章にこう書いてあるからここまでで終わり」という発想ではないのです。
この「変化し続ける」というPKO特有の性質がわからないと、PKO論議をするときに「ここで戦闘が起きているのか」「どこまでが平和地域だ」「どこまでが後方支援だ」、はたまた「隣の国のPKO軍を助けたらダメだ」などという神学論争に陥ります。
そのような大脳皮質の産物で愚かな線引きをしている国は、世界で日本ただ一国だけです。
では、この後のPKOの変遷の歴史を簡単に振り返ってみましょう。
●第1期・・・1948年5月、第一次中東戦争の休戦監視を目的として設立された国連休戦監視機構(UNTSO)が典型。
国連が紛争当事者の間に立って、停戦や軍撤退の監視などを行い紛争の鎮静化と再発防止を図る方式。
●第2期・・・1980年代末から始まる冷戦終結に伴って、超大国が蓋をしていた宗教対立・人種対立・国境紛争が一斉に吹き出した時期のPKO。
兵力引き離し・監視に加えて、当該国の住民の治安部門の改革、選挙・人権・法の支配への支援、紛争下の文民保護といった新たな任務が追加される。
日本が始めて参加した国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)などがこれです。
JCCPとは−明石顧問のメッセージ - 日本紛争予防センター
おそらく日本国民のPKOのイメージは、この第2期のカンボジアPKOで止まっているはずです。
またこの初めてのPKOとの遭遇は、文民警察官として参加した高田警視の殺害がトラウマとなって、損害ゼロがPKO参加の大前提になってしまうという後遺症をもたらしました。
我が国の国際平和協力の概要 | 外務省
①紛争当事国の間で停戦の合意が成立していること
②当該平和維持隊が活動する地域に属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること
③当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的な立場を厳守すること
④上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること
⑤武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること
このような5原則は、世界の紛争現場に無知な人たちが、「PKO派遣は海外派兵だから違憲だ」、果ては「徴兵制度がやって来る」などと叫ぶ野党に追求されないために作ったにすぎませんでした。
そのために、世界のPKOが置かれた現実とは大きく乖離していくことになります。
この5原則を作ったわずか2年後の94年4月に、あの忌まわしいルワンダ虐殺事件が起きます。
ルワンダ虐殺 - Wikipedia
この時、国連PKOは国連ルワンダ支援団(UNAMIR)として、停戦監視、治安維持、兵員の社会復帰、暫定政府のための選挙支援などで活動していました。その数、2500名の兵員、60人の文民警察官でした。
ところが、彼らPKOの目前で大虐殺が進行するのです。
94年4月の1カ月間だけで、フツ族系政府・フツ武装民兵によって、ツチ族は20万人以上、最終的には50万から100万人、実にルワンダの国民の1割という膨大な虐殺をうみました。
これに対して、PKOは5月中旬から5500人の増援を送りましたが、焼け石に水でした。
なにより、住民虐殺を阻止することをニューヨーク国連本部が禁じたからです。
これは従来の第1期からあった3原則に拘束されたからです。
①主たる紛争当事者の同意
②不偏・公平
③自衛任務以外の武力の不行使
一方の側が一方の側を殺しまくっている状況で、「当事者の同意」も「不偏」もあったものではありません。
住民を凶暴な暴力から保護するためには、「自衛以外の武力行使」も必要だったのです。
この国連本部の及び腰のために、ルワンダは秩序の真空地帯と化しました。
各国のPKO部隊はなすすべもなく撤収していきます。
国連はPKO活動の根本的な見直しに迫られました。そもそも住民保護が出来ずに虐殺を放置するようなPKOならば、もはやそれは平和活動とは呼べないからです。
さらに追い打ちをかけるようにして、2000年代に入ってのイラク戦争後には、国連や国際赤十字そのものがテロの対象となっていく事態が続発していきます。
そこで出てきた新たなPKOについての方針が、PKO第3期であるいまのPKOに課せられた「住民保護」でした。
長くなりましたので、PKOの新たな考え方については次回にまわします。
« 日曜写真館 異界としての村 | トップページ | 日本の常識は国連PKOの非常識 »
「国連の強化・活用を日本外交の主軸に」※抜粋
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/iken/05/0504b.html
ハイレベル委員会の報告書が民族虐殺や大規模な虐待行為などをめぐって、内政不干渉の原則と照らして「介入する権利」があるかどうかでためらうより、「保護する責任」を重視すべきだと踏み込んでいるのは画期的です。つまり、憲章2条7項で内政不干渉の原則を掲げていますが、独裁政権下で人権を抑圧されている国民を保護するため、その国の政策に干渉する権利があるということを打ち出しています。
やっぱりアメリカの鶴の一声は効くなぁ。国連改革は日本も頑張ってきたけども影響力の差はもうしょうがない。北朝鮮のあの体制では永遠に世界一の日本嫌いなわけですから、あの手この手を駆使しないと拉致被害者や帰国事業者の全容解明はなかなか難しいものがある。ぜひとも頑張ってほしいところです。
投稿: いろは | 2018年1月29日 (月) 09時51分
> 一方の側が一方の側を殺しまくっている状況で、「当事者の同意」も「不偏」もあったものではありません。
> 住民を凶暴な暴力から保護するためには、「自衛以外の武力行使」も必要だったのです。
PKPの新たな考え方について、楽しみにしております。
投稿: ueyonabaru | 2018年1月29日 (月) 18時52分
PKPでなく、PKOです。
投稿: ueyonabaru | 2018年1月29日 (月) 21時30分