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2018年1月10日 (水)

宜野湾くれない丸氏寄稿 なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その3

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宜野湾くれない丸氏寄稿の最終回です。リードは別記事に移しかえました。

                                       ~~~~~~~~~ 

  なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その 3
                                ~宜野湾市当局とのやりとりに見る真実の一端~

                                                                                        宜野湾くれない丸
 


承前 

普天間2小の子供達のことは忘れ去られている 

このような市とのもんもんとしたやり取りを行いつつも、在沖のあるジャーナリスト氏とメール交換する切っ掛けがあった。 

在沖米軍基地の「なぜ」を分かりやすくまとめた小冊子を入手したことがきっかけである。 

この小冊子には、「反基地運動が普二小の移転を妨害した」ことの真意が説明されていたからだ。 

しかしその内容は「説明になってはなかった」ので、私はその冊子編集室宛てで執筆者へ質問メールを入れた。 

執筆者からではなかったが、関係者の氏から返答が来た。 

このことを切っ掛けにてけ、氏と暫くの間、この「普二小問題」のやり取りを行った。 

氏は丁寧な文言で親切に返答をしてきてくれた。ヒントになるようなサゼッションも頂戴した。 

私は率直に「この人は私の疑問の答えに近づけてくれるかもしれない」と思った。氏との何度ものやり取りの中で、私はこのような事を書きました。 

「普二小の子供達のことは全くもって忘れ去られてます」と。そう思っているからである。 

新聞、TV報道、雑誌どれを観ても、読んでも「辺野古移設(辺野古新基地建設)反対」のことばかりで、この普二小へ通う子供達の事や普天間基地周辺の危険地帯で生活したり、学んだりする多くの方々のことは全く眼中にあらず、というような雰囲気を感じたからだ。 

「普天間基地を辺野古に移すことって、危険性の除去が最大の目的だったんじゃないの?」

2004年8月13日には沖縄国際大学敷地内へ米軍ヘリが墜落炎上しました。墜落30分後くらいにはその現場に私も行った。
 

炎上する現場をこの目で目撃し。そんな大事故も経験したが上で、様々な紆余曲折があってようやく辺野古への移設が決定したのではないのか? 

決定後に民意が変わったとの意見もある。 

では「普天間基地周辺の危険はどうなるの?」だろうか。 

そんなやり取りも氏とは行ったが、氏とのやり取りは、私からの氏へメールを差し上げ、氏から返答がくる。という形式を超えることはなかった。 

つまり、積極的な意見交換には発展しなかったと、私は感じた。 

氏は「沖縄の米軍基地問題には様々な闇の部分があります。これをひとつひとつ解していく事の重要性を改めて感じました」というコメントも下さった。 

もっとも一度も面識もない氏とメールだけでの情報交換ですから、「さもありなん」とも思いますが、私としてはこのような大問題を「積極的に意見交換出来る状況をつくりたかった」のである。 

そもそも氏は沖縄言論界の方ですので、そのような立場にある方が積極的に私のような「一市民の素朴な質問」へ答えてくれるのは、ありがたいことと思う。 

しかし一方で、こと子供達の命の危険性にまつわる話であるのだから、もっと枠を広げた意見交換をしたい、というのが、偽らざる私の気持ちだった。 

が、先に書いたようにあくまでも私から氏へ質問し、そして返信を頂く、というものだった。 

このような会合の場があるから是非参加して欲しいとか、このような文献があるから是非読んでみてくださいとか、ジャーナリストの立場から、豊富な経験と知識をもつ方からのサゼッションを「一市民」である私は期待していたのである。 

普天間2小問題は宜野湾市民の民主主義の問題ではないか

沖縄の言論界の「閉鎖性」は、沖縄に住んでいると、実感として理解できる。絶望的にそれを感じることも多い。
 

「同調圧力」とか、「偏向性」とか、「物言わぬ県民」とか、色々とマスコミなどで指摘をうけたりしているが、私もそう感じる。 

「異なった意見を持つ個人が、ある目的を共有し、その目的へ向かって議論、対話する」ことの必要性をこんなにも感じたことは未だかつてありません。 

氏もこの必要性を強調しておられました。 

でも、そのような「場」は未だ実現してません。 

「同じ意見を持った者どうしの会合や集会」は何度となく目にしてはおりますが・・・。日本の沖縄の「民主主義ってどのようなものなのでしょうか?」

「沖縄に内なる民主主義はあるか?」というブログがあります。ご存じの方も多いかと存じます。私はこのネーミングに「心を打たれ」ました。
 

度々拝読させて頂いております。「普二小の移転を誰も提案しない沖縄・・」と題して12月27日記事がUPされていた。 

私の知る限りでは、普二小を移転すべし!」と発言しているのは、ヒジャイさんだけある。 

そしてヒジャイさんは、「むなしいことである」と締めくくっている。

92年に「危険と同居仕方ない。移転を断念」と学校関係者は決断した。
 

72年7月12日復帰直後の琉球新報の記事に「普天間飛行場ひどい爆音 地元は基地撤去要求」とある。 

それから45年間、普天間基地も普二小も「1ミリも動かず、そこに存在し続けている」このことは事実だ。 

もう1度考えてみないか、悩まないか。市民、県民、国民の皆で、勿論、アメリカ軍の皆さんとも一緒に。 

「何を一番優先させるべきか」を皆で対話するのである。 

私はこのような提言をすることすらさえ出来ない国だとは思いたくないのだ。 

私はこの問題を一言であらわすと、「宜野湾市民の民主主義の問題」だと考えている 

過去に「危険と同居仕方ない」と学校関係者はその「民意」で決断した。 

が、危険はまだ続いてます。ならば「もう一度考えてみませんか?」と提案しているのである。 

そうです、「政治は関係ない。俺らは子供たちの安全・安心が心配なだけなんだ!」ということなのだ。

                                                                                              (了)

 

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コメント

普天間第二小学校に関する記事、たいへん興味深く読ませていただきました、ありがとうございます。
記事を通して感じた事はハンビー基地返還に伴う不幸はあったにせよ基地に隣接する土地に小学校を建てるというリスクとその後の移設計画に対しても宜野湾市側がNGと意思表明し現在に至るまで放置している以上、少なくともこの決定に関わった人々には今回の落下事故に対して文句を言える権利は無いという事です。
彼らは子供の学習環境や安全よりも米軍の都合にこれ以上振り回されたくないというプライドを選んだわけですから。
その都合の悪い背景を隠し、事故を起こした側を一方的に非難するのであれば、外から見た人間に「被害者ビジネス」と言われてもしょうがないと思います。

いいかげん沖縄県民は国境を面している地域だと自覚して
「仮に米軍が撤退しても沖縄から基地は完全に無くす事はできない、ならばその負担をできるだけ少なくなるにはどうすればいいのか?」
という考え方にシフトしなければこれから先も負わなくてもよい負担を強いられる事が続く事でしょう。

>危険はまだ続いてます。ならば「もう一度考えてみませんか?」と提案しているのである。
強く同意します。
今現在から未来へ向けて動く為の条件は揃える事が可能だということを記事を通して理解できました。
返還された土地があるので引き換えに二小跡地を米軍に差し出す必要もありません。市の土地として安全地帯にするなり、そこで反対派がテントを張って声を上げるなり、できます。
本当に危ないのですから「命が第一だから子どもたちを逃したんだ、だからといって基地を容認したわけではない!基地固定絶対反対!」と言っても説得力は確保できるし、むしろ人質的な嫌悪感がとれて本土に味方が増えるのではと思います。
保育園も高校も住宅もある、とはいえあの二小の立地は突出して危険なのです。

予算は市では厳しいならば、特例で交付金や特別措置で出せるくらいの対応を、今の政権ならばできます。
しかし、怖い人達がいることですし、この第一声をPTAや個の住人に挙げてもらうのは重荷すぎるのではと思います。
だからこそ、市長や役所がしゃんとすべきで、これは佐喜真市長へ公開質問状を保守団体が送るなどの形がとれると良いのですが。

宜野湾くれない丸さん、大変な労作です。丹念な調査に感服します。

何よりも子供の安全が優先されない現状に憤りを感じます。辺野古移設がようやく具体的に進み始めましたが、知事自ら妨害する有様です。(あり得ないとわかりつつ)基地を即時閉鎖すべきという主張で小学校の移転反対する人なぞは、己の思想・信条のために子供の命を盾にしていると言っても過言ではないでしょう。

いずれにせよ、早急な普天間基地の閉鎖など不可能、ならばどう安全を確保すべきかをタブーなしに考えるべきなんですよね。(現実的かはともかく)いっそ校庭をドーム化してしまうとか。一番現実的なのが小学校の移転でしょうが、その検討すらなされない、虚しいですね。

ちょっと妄想はいります。小学校が移転され、その跡地を米軍に渡すのではなく、更地のみとして解放区として「怖い人達」にも自由に使わせてやったら、万事解決ではなかろうかと。子供達はとりあえず今よりは安全で環境もよい場所で教育を受けられますし、「怖い人達」も「世界一危険な基地」の傍らで思う存分声を張り上げて抗議活動もできるし、「落下物」もすぐ確認・確保できるし一石二鳥も三鳥も…、いや、ないですね…。

クラッシャーさん、同じ絵を想像している私達ですね(^^)
いや、でも本当に「あと5年で」といってその5年は繰り延べしてから最も有事の緊張感漂う5年になりますから、それを理由にあそこから子どもを退かせるべきです。
子どもの5年は長いのです。1年生が6年生に育つ様を思い浮かべれば、と、6年生は18歳の新成人に届かんほどの年月だと、強調したいです。
人権について向かい合う者ならそれに正面から仕方ないとか反対だとかあと少しでとか、言えないですよ。

本来こちらにコメントすべきでしたね。
くれない丸さん、お疲れ様です。
本当なら移設は佐喜真市長が率先してやるべきなんですけどね。怖い人が妨害(笑)とかいうなら、国と一緒に対策すべきですね。辺野古周辺3区と国の連携は密ですから同じように国と自治体の協力は可能でしょう。
しかしそういえば官邸は小学校移転に関しては何か見解を示していたでしょうか?
辺野古移設ばかりで危険性はおいてけぼり。
子どもたちは気の毒です。

 くれない丸さん

 私が昔聞いた話では、いつの時点かは分かりませんが米軍は小学校用地を提供しても良い、当時の市長も移転をしようとしたが、PTAが反対した(左翼の運動の影響もあったと思われる)ことからそのままになっているという理解をしておりました。そして、小学校跡地は米軍へ提供する(賃貸借契約をする)という条件が米側から示されたことからPTA側でそれを容認できないといういことで現状のままが継続しているという理解を今回の議論で知ることとなりました。

 米軍に提供しても、飛行場の緩衝地帯としか使われないと思います。

 あまりにも常識外れの現状にあきれるばかりではありますが、沖縄の人たちの実行力のなさを痛感もします。これは市長が責任を負うべきであり、反対派を説得して移設を実行するべきだったと思いますね。今の責任者は今の市長でしょう。市長へ善処方要請をすることしか方策はありませんね。役所職員は権力はありませんので、ただ逃げることしか考えませんよ。職員を相手にしては何も進みません。問題を公にするしかないでしょう。裁判も起こせるのかな?

 勝手なことを申しましたが、くれない丸さんの気持はよく理解できます。

ブログ主さんコーナーの方へもコメントを入れさせてもらいましたが、皆様からの貴重なコメントを戴きありがとうございました。

>「仮に米軍が撤退しても沖縄から基地は完全に無くす事はできない、ならばその負担をできるだけ少なくなるにはどうすればいいのか?」

しゅりんちゅさんのこのコメントは、私も同感です。私も「少しでも米軍基地を減らしていく」ということを最大限に考えることが最も大事だと思います。逆に言えば「米軍が去ったとしても、自衛隊が配備される」であろうと思います。私はその方がいいと思ってます。出来る限り自主防衛の体制を整えていくべきだと思っております。

そのためにも「敬意をもって互いに話あえる空気」が最低限必要なのです。でも、今はそのような空気は皆目ありません。

国民国家という装置を造りだした近代が「いかん」という人をたまに見かけますが、そのような話とは「次元が違い過ぎ」ます。私たちは「今を生きて」いるのですから。だか近代化を評価し過ぎるのも誤った方向へ行ってしまいがちであります。

ふゆみさん、クラッシャーさん、改憲派さんたちの「柔軟性」に沖縄が気が付いてくれることを願っています。

これからも少しづつ調べていきます。

ueyonabaruさん

92年の「危険と同居仕方ない 普二小移転を断念」(沖タイ朝9/19)が学校関係者(PTA)が出した結論です。

> あまりにも常識外れの現状にあきれるばかりではありますが、

そうではありますが、その時の結論を尊重しなければなりません。あくまで「当事者PTA」の方々の結論ですから(本当の当事者へある子供達の意見は繁栄されているのかは不明ですが)。その決断過程に何らかの影響を与えたものはあるかもしれません。でも、もう25年も時間が経ってしまいました。過去の決断はそうだった。でも「今も危険は残っている」だから「もう1度関げてみませんか?」というのが私の意見であります。宜野湾市もこの問題にはあまり触れたくない、というのが本音でしょう。だから私の質問に2回しか回答してこない。その後は全くの「無視」ですから。ややこしい回答をして裁判でもされたんじゃ!というのが見え見えであります。

大東亜戦争の終結(ポツダム宣言受け入れ)の時のような
状況だなーと思いましたわ。もう敗戦という結果は動かせ
ないけど、一体誰がそれを承認するのか?天皇陛下に言
わせる?軍幹部が私が悪うございましたと認める?一億
総ざんげ?

米軍基地に隣接する小学校の為、このままでは児童の命
にかかわる事故が起こる可能性が高い、という事実は動
かせない。学校を移転させるしかないけど、一体誰がそ
れを承認するのか?地元首長?行政機構?保護者?

広島・長崎に原爆を投下され、ソ連参戦、その重い現実
を認めるしかなかった。言いたくないけど、学校で重大
事故が起こり、「ああ、遅かった!移転させていればなぁ」
「これは、サヨク・ウヨク含む皆んなが悪かったのだ」「過ち
は繰り返しませんから」と、日本型ムラ社会(全員合意型
寄合制)のいつものパターンにハマってしまいそうで、気が
重いですわ。

そうならないよう、宜野湾くれない丸さん、何とかして
欲しいです。

宜野湾くれない丸様の思いが伝わる内容に、気持ちが焦りますか、何から手を着ければいいのか分からないのが正直なところです。しかし、管理人様、コメント欄の皆様さすがです、的を得た意見満載です。特に、普天間小との再統合は、当たり前に検討されるべきだと思います。

1号さん、失礼を承知で申しわけありませんが、それが「民主主義」だと思うのです。英国人の友人も言うのです「何で動かさないの?動かせないの?」。市民が声を出して、市長が「仕事」して、そうすれば、昔はともかく今は違うでしょ。「あんたらの責任だよ」とハッキリいいます。沖縄国際大学も基地に隣接してますが、「あそこは大学でしょ?自分で選択して試験受けて入学してるんだから。自身で選択できる。事故にあってもそりゃ自己責任も一部ある。小学生は別次元の話だよ」と。「あんたらの問題だよ」と言い切るところが、議会制民主主義の先駆けですね。

学校関係者と宜野湾市民の「声」が市長に届いて、初めて市長は「仕事」に掛かる、といういずれにせよ、そんな流ですかね。国も県も、勿論米軍も何を言っても結局は地元の「民意」だと思います。今現在はその「民意」は「だんまり」を決め込んでます。あいかわらずの「米軍出ていけ」で「誰も移転を口にしません」。だから私は憤りを感じています。。。。

普天間住民さん

半世紀もそのままの状態の学校です。今現在私たち市民の出来ることは、私は先ず「経緯」を調べました。暫くして学校が落ち着いたら学校関係者からヒヤリングしたいと思ってます。一市民としてですが、受けてくれないことが大いに予想できます。また、根深いところで様々な思惑が住民を苦しめていることも予想できます。いずれにせよ慎重な動きをしないといけないですね。

宜野湾くれない丸様
御気遣いありがとうございます。これまでのご尽力が伺え、ただ感謝の気持ちでいっぱいです。他所から見れば、未必の故意というのでしょうか、いかに自覚もなく、犯罪的な程、危険性に目を背けていたのかとがく然とする思いです。地元的な発想に囚われた、これまでを反省するところからスタートします。

すみません普天間住民でした。

くれない丸さんの意欲や行動力に深く感心しました、日々の生活に追われ関心があってもなかなか行動に移せないものです。
学校の建設から現在までのことがよく分かりました。


これからも調査など頑張ってください、次回作を期待してます。

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