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2018年2月15日 (木)

続・三浦瑠璃氏発言について

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もう少し三浦瑠璃氏のスリーパーセル発言について、特に氏の擁護というわけではなく続けることにします。 

前もってお断りしておきますが、私は三浦氏の発言に全面的に賛成ではありません。 

三浦氏はスリーパーセルを、今パンパンに弾けそうな風船状態となっているような朝鮮半島有事と絡んで発言しています。 

三浦氏自身に「真意」を語ってもらいます。

「もともとの私の発言の趣旨であるところの、米軍の先制攻撃はたとえ米国に犠牲をもたらさなくても日本や韓国に犠牲が出るのでやめてほしい」

これでは失礼ながら、国際関係論の研究者としては過剰にナイーブです。武者小路公秀氏と五十歩百歩です。
武者小路公秀 - Wikipedia

日韓に被害がでるから止めてほしいで済むならば、国際政治学者の出番はありません。国会前でデモでもしていればよいのです。 

国際関係論は、こうあって欲しい、こうあるべきだという当為から離れて、冷厳に国家間の力学と戦略を「読む」ことにあります。 

そしてその分析の前提に「やめてほしい」というような自分の価値観をもぐり込ませるべきではありません。

当為を排除して初めて、国益を客観的に考えられる条件が揃うのですから。 

国家間の意志と戦略を多元方程式の変数として捉えて、いくつかのシミュレーションに収斂させていくのが、今、求められている国際政治学者の仕事なはずです。

私は今日は詳述しませんが、、米国が夏前になんらかの限定的先制攻撃に踏み切る可能性はきわめて高いと思っています。

そのときに日本人が、自国の被害がないほうが望ましいと願っても無意味で、米国や北朝鮮は日本人の平和願望を一切考慮することなく、やるときにはやるでしょう。

ただしそれは確率論です。必ずあるとは言えない代わりに、ないともいえません。

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したがって、その意味で三浦氏自身『山猫日記』で、こう言っていることは、まったく正当でした。
http://lullymiura.hatenadiary.jp/ 

「安全保障は確率論の世界です。国の安全に100%ということはあり得ないからです。専門家は、リスクを1%でも減らし、危機に対する対応力を1%でも増やす努力をしているのです。
そのような安全保障の営みを可能とさせるためには、専門家に対してあらゆる事態を想定し、テーブルに乗せる裁量をあたえねばなりません」

この「あらゆる事態」にスリーパーセルが含まれるというのが、三浦氏の今回の発言です。

もちろん三浦氏に、民族差別の意図など微塵もなかったのはいうまでもありません。

ならば、三浦氏は場所を選ぶべきでした。

あのようなワイドショーなどを使うべきではありません。それが今回の失敗の最大の原因です。

それについて、三浦氏はメールマガジンでこう書いています。

「ワイドショーでは社会問題だけやっていればよいと思うかもしれません。
けれども私が懲りずに政治問題を解説するのは、みなさんに腹落ちしてほしいからです。なぜ、戦争による解決が無理なのかを。核武装し挑発する北朝鮮を「問題解決」するイージーな方法なんてないんだと悟った、あの時スタジオに広がった無力感は、私が日々感じているものだったのです」

「イージーな解決方法などない」、まさにそうですが、ならばなおさらのこと複雑なことをことを言えないワイドショーなどという媒体を使うべきではありませんでした。

ワイドショーはいわばアサ芸のようなものです。まともな安全保障の議論をしたいわけでもなく、どぎついスキャンダラスな煽りの「絵」がお望みなのです。

こんな三浦氏を、美人の色物学者タレントとしてしか見ていないような連中が仕切る場で、複雑な安全保障問題、しかも公的には認知されていないスリーパーセルに警鐘を鳴らしてもセンないじゃありませんか。

本気でテレビで言いたいのなら、BS「プライム9」くらいしか場所はなかったでしょうが、よりによってワイドショーなんかを選ぶかね・・・!(ため息)

だから、その脇の甘さにつけ込まれます。待ってましたとばかりにさっそく来たのが、定番の在日差別糾弾です。

朝日新聞・鮫島浩記者はこうツイートしています。
https://twitter.com/SamejimaH 

「三浦瑠璃氏の東大の上司である藤原帰一 教授は部下の差別扇動を黙認するのか。そうなら国際政治を語る資格はない。他の東大教授たちも黙って見過ごすのか。そうなら東大は差別扇動大学として世界の嘲笑の的になろう。差別黙認は加担に等しい。学者として恥ずべき行為だ」

恐れ入ったことにはこの鮫島記者は、彼女の勤務先の上司に、三浦を解雇しろとまで言っているのです。

「三浦を辞めさせないなら、東大は差別煽動大学だ」ときたもんです。スゴイですね。これがジャーナリストの言うことだというのですから、二重に驚きます。

小川氏栄太郎氏への訴訟沙汰でも思いましたが、朝日は自分の主張と違うと、すぐにこんな言論外圧力を加えるのです。

これで朝日新聞が立場が違う者には、「植村隆元記者迫害事件」とまったく同一の迫害を実行することが分かりました。

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植村氏は慰安婦報道の捏造の責任を一身でとらされて、朝日からも体よく追い出され、むき身になったところを右派によって徹底的に痛めつけられました。

就職先には抗議の声が行き、そこう辞めると北海道にまでつきまとわれます。

まったく無残な迫害で、このようなことは厳に慎むべきたと当時から私は書いてきました。
関連記事「植村記者を「受難のヒーロー」に祭り上げさせるな」
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post.html

今、これと同じことを鮫島記者はしています。

当時この植村受難劇を報じた、TBSのNEWS23(2014年12月23日)のキャスターはこう述べています。

「暴力によって言論を封殺して大学の自治を脅かすって、これ絶対に許しちゃいけないことですからね」

この言葉を、そっくり鮫島記者に進呈しましょう。

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三浦さんもこう言い返しましょう。「脅しや暴力に屈してはならない」 

 

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コメント

 いくぶん物足りないとはいえ、三浦氏の功績は女性であるというもの珍しさも相まって、平和ボケした日本人のお茶の間に国際政治の真実や非情さを伝える事に意義があると思ってました。

その意味からも、「言ってる事は間違ってはいないが、ワイドショーで言うのは不適切」というような批判は取って付けたような、後付けの説教主義のように感じてました。「あの子も悪いが、あなたも悪い」みたいな。(笑)

また、BS「プライム9」くらいしか場所がないのであれば、さながらテレビしか見ない人が多様な情報を得る機会は「ほとんどない」と言っていいと思うのですね。

まぁ、それでもワイドショーで言うべきではなかったと思います。
「大阪」を言うなら、その根拠(十分に存在するが)を言わねばならず、しかし時間枠の制約の中で無理。
そもそも台本をハミ出す事は制作側から見れば犯罪的ですから、コメンテーターも役者か芸人である事を求められる。

元NHKの池田信夫氏いわく、「テレビ番組というものは、(その時間帯にもよるが)知的レベルの一番低い層に合わせて制作するもの」と書いてます。
「わかっている人は我慢するが、理解出来ない人はチャンネルをかえる」という事のようです。

そうするとテレビ局の三浦氏需要というのは、そもそもその言うところや内容に期待されるからではなく、容姿や振る舞いといった芸能面に重きが置かれたのであって、冒頭に私があげた「意義」ってのは根拠薄弱で、期待値込みの「為にする議論」に過ぎません。

ちょっとかわいそうな気もする三浦さんですが、いっぱい稼いでテレビ界で確固たる地位を固めれば、藤原帰一の弟子であっても好きな事を言いながら教授になれる機会が早く訪れるかも知れません。


スリーパーなる工作員が諜報活動の世界に存在することや
北朝鮮がその手の工作員を日本に潜入させている可能性があることを指摘する分には 全くもって正しいし問題もないと思います。

ソースもないのに「今大阪が危ないらしいですよ」これがダメなんですね。
鳥インフルエンザやデング熱や新型インフルエンザやO-157やノロウイルスについて根拠もないのに実際の地域名出して危ないらしいですよって発言したら良くないのと一緒なんですよ。

ここで問題なのは、左翼が言うような「大阪に住む在日にいわれのない疑いの目がー」という点だけじゃなくて
たとえば「実は沿岸部の米軍基地周辺にスリーパーが多いのに、そちらへの世論の警戒の目がが薄くなってしまう」みたいなことが起きてしまっているかもしれないということなんです。
注意喚起や警戒心醸成という面からも今回の適当発言はマイナスでありその分北朝鮮を利するものなんですね。

もちろん、実際に大阪がやばいという根拠を三浦が出せさえすれば、状況は逆転して三浦の発言は非常に有益なものとなるかもしれません。
でも出せないと思いますよ。
単なる大阪叩きのネットイメージに乗っかった放言だもん。
研究者のやることじゃないですよ。

「目の前にある(かもしれない)危機」に「どのように反応・対処するか」という事ですよね。その「危機」のうちのひとつに「スリーパーセル」がある、というだけのこと。このような単純明快なことがちゃんと話せないという日本社会だ、と。毎度恐縮ですが「普天間普二小」を「移転させきれない」ことと同根のような気がします。

≫「米国が夏前になんらかの限定的先制攻撃に踏み切る可能性はきわめて高い」

同感です。
米国は北朝鮮の人権問題も言い出してますし、その他にもサインは日を追う毎に出ています。
その場合、言われるように「限定攻撃」になりそうです。
米国は「北朝鮮からの反撃はない」と見切っているように思います。

メディアでは平昌を契機に「デタントに向かっている」との論調も良く見かけますが、ミスリードも甚だしいと思います。

>ワイドショーはいわばアサ芸のようなものです。まともな安全保障の議論をしたいわけでもなく、どぎついスキャンダラスな煽りの「絵」がお望みなのです。

だとすれば、ワイドショー自体の存在を非難する必要がありますよ。メディア側はワードショー=報道バラエティ的に混同させて、プロパガンダを垂れ流す番組でしかないわけで、その害毒を訴えていくべきですね。「アサ芸」のようなものという認識が社会に広まっているわけではなく、ニュース番組と勘違いしている高齢者が山ほどいますよ。

山路さんのコメントにあるように、制作側は台本からの逸脱を許しません。生で古賀氏がやった時大荒れになりました。
編集の効くワイドナショーで三浦氏がスリーパーセルについて語るなら、それは企画段階で台本にのっている、それに三浦氏がこれを言う意義を認めて話した、あくまで主体はワイドナショーの企画者です。
地上波に出るものはそこの清濁を期間限定であわせ呑んで必要ななにかを伝えようとしている場合があります。
その意図についてブログで発信出来るようになった事が、彼女の言のハードルを下げた(ネットでリカバリできるから)のだと思います。
三浦氏の言う、この程度の事すら話せないのは問題という事に同意です。
それとは別に、テレビ局は夏頃の戦闘の可能性に先立ち、戦争をキラーコンテンツとして扱う準備を始めている事、そしてその手法がどうにも危うさがあるという事を頭の端に置いて欲しいと思っています。

米国による北朝鮮の限定攻撃に関して、北朝鮮の立場で考えてみました。核や弾道ミサイルの完成には、あと何回か発射実験が必ず必要だとします。

米国の開戦は北朝鮮の次の挑発(発射実験等)に合わせる可能性が高いと思います。一方、米国はオリンピック(パラリンピック)の時期は攻撃しない、とも言っていました。だとすると、北朝鮮の発射実験はオリンピック(パラリンピック)の期間しかないのではないかと思われます。

まさか、と誰もが思う時期にこそ、北朝鮮の挑発があり、米国の攻撃が始まるのかも?北朝鮮や韓国の文大統領のなりふり構わない”平和攻勢”に、事態は相当煮詰まっているように感じます。

「やってくれのでは」と、あきらめのような、願望のような,複雑な気持ちがあるのが正直なところです。

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