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« 沖縄政局の流動化は止められない | トップページ | 山路敬介氏寄稿 かくれた基地推進派~翁長知事は早期辞任の決断をしろ その4 »

2018年4月24日 (火)

山路敬介氏寄稿 かくれた基地推進派~翁長知事は早期辞任の決断をしろ その3

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山路氏寄稿の3回目となります。

                       ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

承前 

翁長氏をプロファイルする 

話がそれました。翁長知事に主題を戻します。 

ブログ主様は4月12日の記事で「翁長氏という人物は、善きにつけ悪しきにつけ、バイタリティある泥臭い野心家」で、「政治家は当選してバッチをつけてなんぼというのが、翁長氏の信条」、「絶対反対の交渉ハードルを高くすれば、本土政府は更に譲歩を重ねて補助金交渉も楽に進むという現実的思惑があった」と言っています。 

これはもう、そのとおりです。 

そして「右でもなけれは左でもないという意味」で、「無思想な人物」としています。 

翁長氏の父助静氏、長兄の助裕氏は何度となく選挙に落ちています。 

その時の反動意識として彼は「選挙通」、果ては「執念の選挙屋」になったのだし、保守政治家の息子としていじめにあった経験から「共産党とさえ組む」という無限融和の道を最後に選んだのも理解できます。 

また、金に汚く評判の悪かった長兄の助裕氏を反面教師として、自身は「クリーン」でもあります。 

しかし、助裕氏らには選挙に落ちた経験からこそ、「学んだ点や掴んだもの」もあるのです。 

翁長知事にはそれがなく、私には不良息子のように反面教師としてしか親兄弟を見ていない感じが強くしてしまうのです。 

私にとっての翁長知事は、「右とか左とか」との前提を除いても「無思想な人物」としか映らず、対して評判の悪かった助裕氏は著書の『私の政治論』のなかで、(若干、上から目線ではありますが)今日の状況にも通じる沖縄の問題を「大衆のあり方」の観点からも解き明かす試みをしています。 

両者の知的懸隔は明らかで、「深い思想」が長兄の助裕氏にはちゃんとありました。 

翁長知事はかつて市長会において、「辺野古はどうせ国がやるんだ。しかし、簡単には同意するな。反対する事が大事なんだから」と発言し、喜納昌吉氏には知事選前に「賛成して基地を作らせるよりも、反対しながら作らせるほうが何かとやりやすい」と言って驚かせています。 

中山石垣市長との覚書の中でも、はっきりと「県内移設を排除しない」と書いて署名押印もされているのです。 

つまり、最初から翁長知事には「辺野古移設阻止」など政治的道具にすぎず、その本質は選挙と権力維持のために県民・国民を謀り続けて来た外道政治家にすぎないのです。 

知事によってこれまで辺野古関連で無意味に投下された損失は、篠原章氏によれば既に100億円は超えると見られており、これは到底許されるべきではありません。 

こうした小悪党にスキなく喰らい付くもの左翼の本分で、ついににっちもさっちもいかない状態に追い込まれた姿を4/12の記事でブログ主様は次のように表現しています。  

「やがてこの場当たり的な政治選択は、翁長氏(自身)をがんじがらめにして、ミイラ取りがミイラになるようにして知事という「黄金の籠」の捕らわれ人となった」 

翁長知事の「命がけ」の意味とは 

さて、ここまで書いてきても、多くの納得がいかない人には、やはり納得が行かないものでしょう。 

それは知事が命懸けであるからで、まして膵臓腫瘍という病を押してまで成そうとしているその事自体に一定の共感を覚えるからです。 

なるほど、それはそれで「情緒的だ」と切って捨てるわけにも行きません。 人は誰かが命懸けで事を行おうとする場合には、そこに重大な意味を求めようとするものだからです。 

知事職も何もかも放り出して治療に専念し、「一日でも長く生きる」という選択肢があるにもかかわらず、それをしない信念に打たれもするでしょうし、これまでの私の説明と矛盾する点を「命懸け」という理由一点で嗅ぎ取るかもしれません。 

しかし、ドンキホーテが騎士道に則って風車に向かって決闘を挑んだ際に、相手が風車だったからと言ってドンキホーテが「命懸けでなかった」とは言えません。 

同時に、ドンキホーテが「命懸けであった」からと言って、風車が「退治すべき巨人」であったことにはならないのです。  

さらにこの説明がうまく出来るかどうか自信がありませんが、私が翁長氏の中で一番嫌悪する点にも関連するので最後に試みます。 

■思想なき心情の人、翁長氏 

すでに言ったように翁長知事には思想はありません。  

それはそれでいいのですが、困った事に知事は非常なロマンチスト(ロマン主義者)であって、その事が翁長氏の信念の実行に重要なポイントとなって現れていると思うのです。 

ロマン主義は思想や理論ではなく、つまるところ「心情」です。  

翁長氏は、カール・シュミットが言う政治的ロマン主義者の定義にそのまま当てはまります。 

シュミットは、政治的ロマン主義は概略として、「保守から出でる」ものであって、「美学的・観念的言葉で語る」、「合理主義に反する」こととしています。 

そして最大の特徴は「主観的な生の充実だけを求める情熱であり、その条件さえ満たせばどのような政治的イデオロギーとも結びつくことが出来る道徳的無節操である」点としています。 

そうしたロマン主義者特有の政治の困難について、シュミットは次のように指摘しています。 

「(ロマン主義は)至上化した生の高揚のために政治を利用する「機会偶因主義」」であり、「その本質は、一切の原因との対応を欠いた浮動性にある」、「いかなる思想とも合体しうる政治的受動性を持つ」のです。 

また、「無意識のうちに、最も身近で最も強力な勢力に服従し、その優位性はきわめて皮肉な逆転を蒙り」、結局のところ「ロマン的なるもののすべては、他の様々な非ロマン的なエネルギーに仕え、他者の力、他者の決断に屈従的にかしづく事になる」としています。 

まるで、シュミットが生きて、翁長氏をとりまく現状を描写したかの如くです。 

ポイントは「主観的な生の充実だけを求める情熱」という点です。  

つまり、「情熱」が発火点であって、翁長氏の命懸けのそれが何処からどういうふうにもたらされたのか、が次の問題です。 

                                                                                            (続く)

                                                                                                  次回終了

 

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

 私は翁長氏と過去に会った事はない、と本ブログのどこかで書いた覚えがあります。
つい先日、引退して久しい市議さんと話をしているとその話が出て、そのオジィは「何言ってんだ。(二十年だが)お前は俺と一緒に会ったじゃないか」というのです。

かように、全然憶えていないほど私にとっての翁長氏は政治家としての主張もなく、オーラも発していない、印象が薄い存在でした。
「何を考えているかわからない」とか、「とらえどころのない人」という評価を良く聞きますが、まさにそういう感じです。

上で翁長氏の本質は「ロマン主義者」としましたが、もしそうであればロマン主義者たる翁長知事には抽象的で曖昧模糊とした上位概念が必要でして、それは今だに「甘えの対象としての本土・日本政府」なのだろうと考えてます。

そこに旧士族趣味とロマン主義者的歴史遡及傾向がからまって、中華思慕感情まで引き起こしつつあると考えるものです。

なお、先の大戦に日本が突っ込んで行った導火線となったのも、その根底には独ロマン主義に傾倒した軍人たちの志向性があり、それは共産主義の理想とも類縁関係の内にあったと思います。

軍人さんだけではなく、松岡式三国同盟などにも見られる思考方法ですね。
今の安倍総理に見られる現実主義政治路線(リアリズム)と好対照です。

シュミットいわく、「ロマン主義が終わった時から、政治は始まる」のであって、翁長知事のそれは、まだ「政治未満」なのだと言わざるを得ませんね。

今回の記事、私は合点がいきました。翁長知事は良くも悪くも強烈な上昇志向の持ち主ですが、「選挙で勝つ」ことが何よりも重要なように感じます。すなわち、市民・県民に「選ばれてトップに立つ」ことに陶酔を得るのではないかと。

そのために世間の空気をよむことには非常にたけていると思います。那覇市長に当選したころ、那覇市に何が求められているのかを感じ取り、那覇市役所は大きく改善しました。二期目のとき、オバマブームにのった革新側が「change!」を連呼したのに対し、翁長氏は「no return!」と返しました。あれは見事でした。もとどおりの那覇市なんてとんでもないと那覇市民に訴え、浸透させました。

しかし、翁長市政が長引くにつれて「那覇の王様」と化していったように思います。新風会という親衛隊を組織したり、龍柱という無用の長物を建てたり。

行き着くのは「沖縄の王」でしょう。ルーピー政権のおかげで辺野古移設反対ムードが醸成されると、さらに煽って自ら波に乗り切り「選ばれし王」となって陶酔の極みとなりました。しかし悲しいかな、確固たる思想も哲学もないことが綻びとなって今に至ります。もはや「選ばれし者」足り得なくなった翁長知事は己をどう処するのでしょうか。

  クラッシャーさん

 あぁ、そういえば思い出しました。
那覇市長時代の前半までは評判が良かったのでしたよね。
それは政局にあくせくする必要がなかったからでしょう。
ご指摘どおり、上を意識しだした時からおかしくなったのかも知れませんね。

 クラッシャ-さん山路さんのご文章を読んでいて、翁長さんのことを書いても良いなと思うようになっています。それまで、この方のことは心に思うことさえ拒否しておりました。この頃の翁長さんはいただけません。

 昔はそうでもなかったですよね。山路さんがおっしゃるように野心が起きてきてからの彼がおかしいのでしょう。人間、身分不相応な野心を抱くとろくなことはありません。那覇市長で真面目にやっていてくれればよかったのですよ。知事になろうと思ったことが彼の命取りになるのだろうと思うのです。知事は、彼の力量では無理なことだと私は思っておりました。今の彼の行状を見るに、人格がよろしくありません。人徳があるようにも思えません。

 彼は仲井眞前知事と争うべきではなかったですね。仲井眞さんが退いてから、そのあとを禅譲で受け継ぐべきだったと思いますよ。あまりに世論に左右されすぎました。急ぎすぎです。仲井眞前知事が高良前副知事を可愛がったので、それへの嫉妬心や自身が知事になれるチャンスがなくなるとの不安があったのでしょうか(私の勝手な想像ですよ)。

 そんな翁長さんですが、昔は保守のシンボルでした。そんな昔の彼が好きです。人間は経験を重ねることにより進歩するというのは自然でしょうが、逆に悪くなってしまったという例でしょうね。


 ueyonabaruさん

仲井眞前知事は翁長氏と違い、本土で官僚を勤め上げ民間企業の代表もした、日本標準に洗練されたエリートでした。
因習的な泥臭い後退主義者の翁長氏とは実は好照なんですね。

ueyonabaruさんは翁長氏の本質を突いた面白い事をおっしゃる。
それは、翁長氏は「仲井眞知事から禅譲を受けて知事になるべきだった」という意見です。この部分、卓見だと思います。

仲井眞知事から禅譲を受けておれば、それがどのような時点であったとしても、「辺野古反対」の主張が翁長氏にはありようがなかったのです。
このポイントが新しい翁長支持者には全然理解出来ないのですよね。

翁長さんはその身を粉にして、徹底的に自民党のために戦いました。
ですが、「仲井眞さんのメガネにかなわず」と踏んで、そこで始めて「辺野古反対」が生まれて来たのですね。

ここに県民の姿は見られず、県民をどこに連れて行くかわからない「ハーメルンの笛吹き男」(仲井眞氏)に成り下がってしまったのですね。 巨額の損失と共に。

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