北にとって崩壊の「きっかけ」とは
その大部分は否定的内容で、まったく前進しないだろうというものが圧倒的です。
特に、元外交官は日米を問わず、よく言ってあげれば慎重、はっきり言って懐疑的です。
それはそれでいいでしょう。トランプと正恩というようなアクの強いキャラが前面にでているために、見方に幅ができてしまうのは当然のことです。
6月1日、正恩の巨大な親書を持ってホワイトハウスを訪れたのはキム・ヨンチョル(金英哲)朝鮮労働党中央委員会副委員長でした。
またもやこの男です。この人物について説明する必要もないでしょう。ピョンチャン五輪にも来た人物です。
天安号撃沈事件は自分が仕組んだと堂々と述べた男で、長きに渡って北の非合法部門の責任者でした。
正恩の最側近として君臨している存在で、余人ならぬこの人物が会談を求めてきたということに注目する必要があります。
朝日新聞ソウル特派員の牧野博愛氏はこう述べています。
「当時の米国務次官補、クリストファー・ヒルは、交渉相手だった北朝鮮の外務次官、金桂寛(キム・ゲグァン)が、完全な申告については「軍が許さないと繰り返した」と振り返る。
北朝鮮の関係筋に背景を尋ねた。当時、北朝鮮の外務省には核開発を話し合う「常務組」という省庁横断の会議があった。必ず外務省で開かれたが、「何も知らない外務省に、軍や国家安全保衛部(秘密警察)が、交渉に必要な知識だけを与える会議だった」と語る。
北朝鮮では90年代に旧ソ連からの支援が途絶え、災害が重なったことで経済が苦しくなった。総書記の金正日が体制を守るために選んだのが、軍が全てにおいて優先する「先軍政治」だ。
軍の論理が先んじる北朝鮮を、国際合意や外交の論理で説き伏せることは難しい。軍を説き伏せられるのは誰か。北朝鮮が「最高尊厳」と呼ぶ、指導者の金正恩しかいない」(「核とミサイルで体制を維持する金一族の論理とは」
https://globe.asahi.com/article/11529423
キム・ゲグァンの名がまたも出てきましたが、例の「追い詰めるなら会談を流してもいい」と口走って、本当にトランプから会談中止を引き出してしまった人です。
牧野氏がいうように、北の外務省にはなんの決定権もありません。北のみならず共産圏の国家は、党が政府の上部にあるので、党、すなわちその委員長の正恩がすべてを仕切っています。
組織的には、北の行政組織で南北対話を担当するのは祖国平和統一委員会ですが、それはフロントにすぎず、実際は党統一戦線部、あるいは225局です。
対外政策は党国際部ですが、最終的には正恩に行き着きます。
ですから、この親書を持ってきたのがキム・ゲグァンだったのならば、北の腹はまだわからないことになりますが、キム・ヨンチョルを出したとで、かつてクリストファー・ヒルか嘆いたように「軍が許さない」ということはひとまずはない、ということになります。
言い換えれば、軍の一定の了解があって会談に望むということで、ゼロ回答はないということです。
北は先日、軍の最高幹部の3名を入れ換えました。
少々長いですが、それを報じる最新のニューズウィーク(6月6日)を引用します。https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10320.php?t=0
「北朝鮮で新たに選ばれた軍幹部3人は、同国指導者の金正恩(キム・ジョンウン)氏に対し絶対的な忠誠心があることで知られ、トランプ米大統領と取引して大転換を迫られることになっても、それを受け入れるのに十分な柔軟性を備えていると、北朝鮮専門家たちは指摘する。
米高官と北朝鮮指導部を分析する韓国の専門家らによると、この3人は、最近解任されたより保守的で年配の幹部と交代した。
米国が交渉によって北朝鮮に核プログラムを放棄させようとする中、北朝鮮がこれまでの核兵器開発と敵対姿勢を完全に転換して、金正恩・朝鮮労働党委員長が米韓と交渉することについて、北朝鮮の軍内部で反発があったのではないかと米当局者はみている。解任された高官らが反発していた当事者であったかは明らかではない」。
(略)
これら人事刷新が12日にシンガポールで開催される米朝首脳会談を目前にしてまとめて行われたことは衝撃的である。
金委員長が、核政策に固執する年配の高官を、同首脳会談後にいかなる変化が起きても従う忠誠心の強い「イエスマン」とすげ替えていると一部の専門家は指摘する。
「米朝首脳会談では非核化に向けたロードマップが示されることになる。そうなれば金(正恩)氏にとって、核プログラムの放棄に激高しかねないタカ派を軍の要職に置いておくことは厄介なだけだ」と、韓国のシンクタンク、世宗(セジョン)研究所の鄭成長(チョン・ソンジャン)上級研究員は語った」
またほぼ同時期に北が米朝会談の準備協議に際して、拉致問題を出したと、河野外相が国会で述べています。
「河野太郎外相は4日の参院拉致問題特別委員会で、米朝首脳会談の準備のために行われている米朝間協議について、北朝鮮による日本人拉致問題が議題に上ったと明らかにした」(毎日6月7日)
私はまったく楽観はしていませんが、完全非核化と拉致被害者解放を飲む可能性はあり得ると思っています。
私はこの状況に日米が北を「追い込んだ」と捉えますが、間違っていたとしても問題ではありません。
会談までのいきさつは、会談後に各方面からさまざまなリークがあるでしょうし、おしゃべりなトランプがペラペラしゃべるでしょうから、それまで待てばいいだけのことです。
私が言い続けてきているのは、元外交官諸氏が、トランプを憎むあまり対北外交そのものまで不当に非難していることです。
同じ現象は形を変えて安倍氏にも向けられており、例の「蚊帳の外」論となります。
たとえば、かつてのジャパン・ハンドラーだった元米国 NSC(国家安全保障会議) アジア上級部長・マイケル・グリーンは、次のように言っています。
「トランプ氏は、その場の『空気』で不十分な取引を決断しかねない。日本を射程に収める短・中距離弾道ミサイルを取引から外したり、平和協定を口実に持論である在韓米軍の撤退まで持ち出したりするかもしれない」(6月2日 読売新聞)
グリーンが危惧するのは短・中距離弾道ミサイルや、在韓米軍を取引のカードにするのではないかという危惧です。
その危惧はよく分かりますが、非核化がテーブルに乗る直接会談に持ち込めたのは、トランプの功績であることを忘れてはいけないと思います。
トランプが取った手法があまりに破天荒で、ワシントンや霞が関のエリート外交官にのとってきた手法と、まったく別次元だったために、成果自体まで全否定してしまう愚をおかしているように思えます。
仮にトランプの目的が中間選挙目当てであろうと、ただの目立ちたがり屋であろうとも、そのようなことは本質的にはどうでもいいことです。
北との直接会談において「完全非核化」を突きつけることができた、その一点で評価すべきです。
また、会談が複数回になるということは、私自身も危険だとおもわないではありませんが、これ以上の制裁を北が望むかどうかにかかっていると思っています。
北の現状を朝日もこう伝えています。
「国の食糧配給システムは崩壊し、国営企業も仕入れが難しくなった。人々も企業も市場で物を自力で売り買いせざるを得ない。全国440カ所以上の市場で遣われる通貨はドルや中国の人民元だ。ウォンには信用がない。
当局は、企業や協同農場ごとに独立採算制を認め、一定金額を国に納めれば、残りは自由に使える「インセンティブ制」も採り入れた。北朝鮮の経済はここ数年成長しているが、人々や企業による「生存競争」の結果だ。思想統制は依然厳しいが、市場では「大事なのは思想ではない。食べていくことだ」と人々が口にするという」(朝日5月30日「動く北朝鮮」)
この記事で注目すべきは、従来の社会主義的供給方式がほぼ崩壊しているということで、代わって統制経済の枠外の自由市場で、国民は命をつないでいるという点です。
北の自由市場 アジアプレス
http://www.asiapress.org/apn/2017/02/north-korea/post-53131-nk-korea-poto/
「配給制が崩壊した後、生き延びるために民衆は当局の統制から離れて勝手に経済活動を始めた。自然発生した市場は拡大の一途で、この新興の市場通じて、北朝鮮国民の多くは、配給がなくても食糧にアクセスする術を手に入れたのである。閉鎖体制は相変わらずだが、中国から入って来る商品と情報によって、人々の意識も大きく変化した」
(2017年2月1日アジアプレス 前掲写真と同じ)
この自由市場では、北ウォンなどは紙クズで、中国元か米ドルだけしか通用しないというのです。
また生産部門においても、割当制ではさっぱり生産があがらないために、企業体のやる気が出る一部自由生産を認めました。
農業部門では、協同農場では働かず、自分の家の前の菜園では死に物狂いで働いて、自由市場に出荷して、ドルを稼ぐ農民があたりまえとなったようです。
この状況は、かつてのソ連崩壊前夜の状況を彷彿とさせます。
計画経済が破綻したのは、その内在的な矛盾が主な原因でしたが、完全に倒壊するには「きっかけ」が必要でした。
それがソ連の場合には、レーガンによるスターウォーズ計画に引っ張り込まれた軍拡で、その経済的しわ寄せに耐えきれずソ連はもろくも内部崩壊を起こしました。
北もまた、国のリソースを使い切るような狂信的な核武装化が行き着くところまで行き着いた結果、国民経済は崩壊し、慢性的飢餓がはびこります。
その結果、腹が減って動けない国民を働かせるために、自由生産の一部解禁と自由市場を認めたわけです。
非核化を、この北の内在的な矛盾とからめて見ていかなければ、まるで北の核は絶対的存在であるかのような幻想にとらわれてしまうことでしょう。
北の体制は矛盾の飽和点に達しました。このような北の内在的危機を見ずに、非核化を論じても仕方がありません。
北にとってもこの米朝会談は、その選択次第で体制崩壊の「きっかけ」となりえます。
米国の軍事的圧力、あるいは経済制裁は、あくまでも内在的矛盾の爆発をもたらす、ひとつの「きっかけ」にすぎません。
北が非核化を蹴ることは可能です。その場合軍事攻撃か、最低でも制裁の強化は不可避となります。
軍事攻撃シナリオのほうはトランプが決めることですから、なんとも言えませんが、制裁解除は非核化が絶対条件な以上、何らかの形で拡大継続されるはずです。
そしてこれを「きっかけ」に、仕掛けられた時限爆弾が北の国内の深部でカウントダウンを刻み始めます。
正恩にとって真に恐怖すべきは米国の空母ではなく、この「きっかけ」の時限装置のスイッチを入れてしまうことなのです。
トランプは正恩に、こう言ってやるべきでしょう。
「いいよ、非核化を蹴って帰りたまえ。その場合、制裁は半永久的に継続されるだろう。それにどこまで諸君らの国が耐えられるかね?」
■改題しました。
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> 米国の軍事的圧力、あるいは経済制裁は、あくまでも内在的矛盾の爆発をもたらす、ひとつの「きっかけ」にすぎません。
おっしゃる通りと思います。ここまで来たら、キムジョンウンは体制保持はできなくなるかもしれません。
これもトランプ大統領の采配によるもので、彼の実行力に敬意を表したいと思います。
彼が北朝鮮に対し融和策をとり譲歩するだろうことは私には考えられないことです。トランプはディ-ルをするという言葉にとらわれてはいけないのではないでしょうか? 彼は単なるディ-ラ-ではないのです。
北朝鮮の人民が解放されるかどうか、6/12の会談で分かってきそうです。
投稿: ueyonabaru | 2018年6月 9日 (土) 00時00分