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2018年6月21日 (木)

正恩をとうとう交渉対象に据えることが出来た

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シンガポール会談において、正恩が「勝利」したという見解は、佃煮にするほど巷に溢れています。 

ひとつ見てみましょう。ざっとこんな感じです。 

「北朝鮮の「完全で検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)の具体的な道筋はおろか、米朝対話が続いている間は米韓軍事演習を一方的に中止するとまで約束してしまった。
これが不動産物件のディール(取引)だったら売り手、つまり金正恩委員長に完全に値切られて、大損したようなものだ」
(濱中賛「米朝首脳会談は100点満点、ほくそ笑む金正恩 」)

 濱中氏は在米のジャーナリストですが、米国のメディアはトランプ嫌いのCNN、NYタイムスからウォールストリートジャナルまで、濱中氏と似たようなトーンのようです。 

濱中氏は正恩が「100%勝った」と言いますが、はて、そうでしょうか? 

正恩は平壌に戻って落ち着いて考えてみると、案外やられたと思っているかもしれませんよ。 

だから今頃焦って、また習の胸元に飛びこんだりしてね。

ま、いずれにせよ、私は勝とうが負けようが、今の段階ではあまり意味がないと考えていますから、勝ち負けにはこだわりません。 

もしトランプがビジネスマン大統領だというならば、あれは言ってみれば取引開始に当たっての「完全非核化」という確約書を取り交わしたということが重要です。 

板門店宣言でも似たことを舎弟のムン・ジェインと取り交わしていますが、米国という世界最大の軍事力をもった国と取り交わすとなると、その重みがまったく違います。 

結局のところ、今後ポンペオとボルトンが、北のいいようにされて騙されるか、どうか交渉結果をみねばわからないのです。 

そして、この御両人はそんな甘いタマには見えません。その結果は数カ月後に分かることですから、その時に勝敗の判定を改めてしたらいかがでしょうか。 

つまりは、今の日本にとって大事なことは、勝った負けたと評定することではなく、このトランプが作り出した「状況」をどう国益とつなげるかということです。 

第1にこの状況とは、拉致問題と非核化を一体のものとして解決する絶好の機会が訪れたということがひとつ。 

そして第2に、その交渉相手に独裁国家のボスを引っ張りだすことが可能となった、というのが二点めです。 

一点目については、既述したので省きますが、問題は2点目の正恩を拉致問題の交渉対象に据えることがとうとう出来たということの重要性です。 

小泉訪朝以降16年間、それができないできました。

北という国は、すべてを決するのは正恩ただひとりです。米国首脳部を罵倒していた外務次官の発言など、翌日には正恩のツルの一声でチャブ台返しをくらったことを思い出してください。 

政府の上に党がそびえ立っていて、そのエグゼクティブ・スィートのただひとりの住人が正恩なのです。 

こんな国において末端の官僚と交渉することは、無意味とは言いませんが限定的です。

かつての小泉訪朝が出来たのは、北の金正日の側近と思われる「ミスターX」と、外務省アジア大洋州局長・田中均との間で合意が成立したからです。

後に判明しますが、 「ミスターX」とはキム・チョル北朝鮮・国家安全保衛部副部長でした。

平壌宣言はこの両者で密かに作られ地域局、外務省条約局すら通さなかったために、後に禍根を残すことになります。 

そのために生じたのが、平壌宣言のあいまいな表現の羅列です。 

「その果てに「拉致」はどこにも記されず、核・ミサイルの廃棄も謳われていない。その一方で「人道主義に基づく経済支援」は明記されたのだった。宣言には支援の具体的な金額こそ記されていなかったが、当時の交渉関係者は揃って支援は少なくとも「1兆円」を前提に折衝が進められていたという。
そのまま事態が推移していれば、2003年初めには日本と北朝鮮は国交を樹立し、戦後補償も含めて1兆円という巨額の資金が北朝鮮に流れ込んでいたはずだ。
宣言は「人道主義」を麗々しく謳っているが、核・ミサイルへの歯止めを欠く以上、日本の納税者の1兆円は、核・ミサイル開発に流用されたことは明らかだろう」
(手嶋龍一「日本は北の打ち出の小槌に、原罪は平壌宣言にあり」6月16日)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180616-00053334-jbpressz-int&p=1

 平壌宣言の拉致問題に関わる部分は以下です。

「3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した
https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html

 拉致という表現は使わず、「日本国民の生命と安全に関わる懸案問題」とボカしてしまっています。 

この平壌宣言は既に日朝会談以前の段階で、この二名によって完成されていたことを考えると、北には拉致被害者を解放する意志などはなかったことがわかります。

田中局長も、日朝国交回復しか念頭になく、拉致問題などは大事の前の小事でしかなかったと思われます。 

田中局長はこう平然と豪語するような外務官僚でした。

Photo_2田中均氏

北朝鮮が日朝正常化交渉で失敗したのは、政治家に頼んだからである。日本では官僚が力を持っている。私のような力のある官僚に頼まないと日朝正常化の問題は解決しない。小泉首相も私が動かしている」(重村智計『外交敗北』)

田中局長は小泉首相には、北が政府認定拉致被害者11人全員の情報を出したと報告しながら、実は面従腹背を決め込んでいました。

んとうは田中氏がメディアにリークしたように「せいぜい数名」に過ぎませんでしたが、報告を真に受けた首相は訪朝を公表します。

ウソをついてでも平壌に小泉首相を連れていけば、日朝国交ができると踏んだのです。

ではなぜ、たとえ5名であろうと帰ってきたのかといえば、直接に正日との直接会談で、日本側が強くそのことを要求し、呑ませたからです。

Photo小泉訪朝。小泉氏の後ろに当時副官房長官だった安倍氏が見える。若いね。

この日朝国交回復のためには拉致問題を犠牲にしてかまわない、いやすべきだとする姿勢は親北の野党はいうに及ばず、自民党内部にも強固に存在していました。

かくいう小泉氏も拉致問題にはほとんど関心なく、念頭には日朝国交回復しかなかったと言われています。

この流れをくい止めたのは、重村氏の前掲書によれば、拉致問題に初期から関わってきた当時の安倍官房副長官と中山恭子参与だったと言われています。

その時の事情は、このようだったと伝えられています。

「02年9月の日朝首脳会談では午前中、北朝鮮から謝罪なしで「拉致被害者8人死亡、5人生存」というメッセージが伝えられた。
日本側は昼食を断り、休憩時に日本側の部屋が盗聴されていることを知りながら、小泉純一郎首相に同行した当時の安倍晋三官房副長官が、意図的に声を出し、「北朝鮮が拉致を認め謝罪しなければ会談を蹴って帰国しよう」と言ったら、午後の会議で拉致を急に認め謝罪したという経緯もある」
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180621/soc1806210004-n1.html

田中氏に言った中山氏の言葉が残されています。

「局長、あなたがやっているのは外交ではない。北朝鮮へのお願いだ。外交官なら、お願いをやめて外交をやりなさい」(前掲書)

そしてこの拉致被害者の帰国の裏には、実は「一時帰国」にすぎず、田中-キムとの間には「2週間の一時滞在」という密約すら交わされていたのです。

田中氏は小泉氏に対して強く、「日朝間の信頼関係が崩れてしまう。日朝協議ができなくなる」として、すぐに北に返すように迫りました。

野党もその後押しをしました。 

野党だけではなく、自民党の加藤紘一元幹事長すら、「拉致被害者5人を北朝鮮に返すべきだった」と言っていたありさまでした。

それを阻止したのもまた、安倍・中山両氏だったのです。

このふたりの頑強な抵抗を見て、世論もまた「誘拐犯に人質を返すなんて馬鹿なことが許されるのか」という声が大勢を占めるようになります。

ちなみに、それまでメディアは拉致被害者を「行方不明者」と表記し、「朝鮮民主主義人民共和国・北朝鮮」と長々と呼んでいたのが、この時期を境に「拉致被害者」、「北朝鮮」へと変化していきます。

このように拉致被害者の奪還は、官僚による「水面下での交渉」にのみ任せておくことは出来ず、唯一の意志決定権者たる正恩と、日本のトップとの直接交渉なくしてはできないということです。

この正恩を会談に引きずり出すことに成功したこの状況を最大限使わないでどうしますか。

 

 

 

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コメント

当時、死の床にあった芯の強い母が「約束ごとなのに帰さないのはおかしい」と言っておりました。

毎日新聞やTBS「筑紫哲也のニュース23」が好きだったのでさもありなんですが・・・


んじゃ、帰せば日本にとって何か良いことに変わるのか?
と思いながら、流石にそれは言えませんでしたけどね。。

あれから随分経ちました。拉致被害者家族も老いています。いち速く救出されてしかるべきですが、国際政治なんてものは兎に角面倒くさいもので中々進みません。
強引な手法(コマンド部隊投入してでも)を取っても救出するのが本来の民主国家なのですが、我が国ではそれも叶いません。残年な限り。。

 拉致被害者救出の為の最大のチャンスがようやくめぐって来ました。
これが最後のチャンスかも知れません。
けれど、家族会が首相に要望するのは、「焦って交渉しないで下さい」です。
それが正しい認識とはいえ、我慢に我慢を重ねて来た家族会の皆さんの、ここに来てのこの発言には正直言って頭が下がります。

拉致問題解決に関連しての正恩の訪中の意味は二つあって、ひとつは中国主導で国連経済制裁決議の緩和の方向性を模索する事と短期的な中共からの当座の支援です。
(「中国側は北朝鮮に対する制裁緩和前に独自支援に動く可能性を示唆」(毎日 6/21))

もう一点は、日本の立場を浮き上がらせる事です。
中韓はすでに北朝鮮に融和的な立場である事、米国もまた親和的な方向でカジを切ったという見立て。
そのうえで、今や取り残されて「最強硬派」となった「日本の孤立」、という絵を世界に見せたいのですね。

北朝鮮の子飼いの文在寅政権も側面支援で目いっぱい動いて来てます。
竹島でゆすり、慰安婦問題で国際世論を喚起すべく喧しい。

米国向けにも遺骨収集とかサーヴィスに余念がないようですが、これまでになく正恩は非常に焦ってますね。
米韓軍事演習こそ韓国の要望という形で中止されましたが、米軍の対北シフトは米朝会談前と変わらず緩めていません。

いずれにしても正恩は、早晩日朝会談を実行に移さなければならなくなるのでしょうが、親北マスコミが何を書こうが日本の世論は変えようがない状況です。


平壌宣言から今回の米朝会談にいたるまでの流れを見ていると、結局この国とまとまな交渉を行いそれを履行させるためには外圧でもって首を絞め続ける事が大前提というのが良くわかりました。
今回の交渉を成功させるためにはどんなに人権派団体が騒ごうとも北朝鮮側が合意を完全履行するまで制裁を少したりとも緩めない事です。

人道には反する行為かもしれませんがそのような手段を取る以外ない相手もこの世界に存在するという事もまた事実です。

私は当時、一時帰国という言葉を見て「北朝鮮にはまだ彼ら(被害者)の家族も居るので、返さざるをえないだろう」と思っていたものです。

北朝鮮側が、被害者の一時帰国を打ち出の小槌として、彼らの家族を人質としながら金をせびってくるのは分かっていました。
しかし、被害者が本当に生きているかどうかを知る為には、次は別の人を一時帰国させてくださいと揉み手をしながら阿るくらいしか方法が無いんじゃないか、と考えたからです。

当時の政権が、寺越さんの事件の例でも分かるように、「拉致ではなく救出」という美談で北朝鮮を良い国に見せようとする為の工作に相乗りして、拉致事件そのものを小さく見せようとしていたことも、「今は、耐える時なんだな」と政権が考えているのかな、とある種の楽観的な思いでした。

まあ全然、そんなことはこれっぽちも考えていなかったようですが。

寺越さんの身の安全は、日本側が拉致だと騒いだことで、北朝鮮側が「寺越さんは北朝鮮で幸せに暮らしている」とアピールする為に、一般庶民から幹部へと格上げされたと記憶しています。
もし、たら、れば、で言っても仕方のない事ですが、事なかれ主義の与野党政治家ではなく、あの時点で安倍総理のような人がもっと声を上げて北朝鮮を非難していれば、状況も変わっただろうに。

それはそれとして。
安倍総理は三期目が有ろうが無かろうが、頑張ってきた拉致問題に関して自分が終わらせなければと思っているはずです。
そういう意味でもラストチャンスであり、どうしたって焦りは出てくるでしょう。
北朝鮮側は、安倍総理である間は拉致問題は解決しないという態度。
総理三選と拉致問題、天秤にかけなければいけない事態にならなければいいのですが。

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