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2018年7月13日 (金)

小田川合流視点はなぜ決壊したのか ?その歴史的背景を探る

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コメントを頂戴しました決壊した倉敷市真備町の小田川合流点について、もう少し考えていきましょう。 

この合流点は、たびたび洪水を引き起こしています。それはこの地点の地形と歴史をみれば理解できます。

「国交省岡山河川事務所によると、高梁川は小田川との合流後に大きく湾曲しており、大雨による増水時には小田川への逆流が起きるなどして水位が上がりやすい特性がある。合流点付近では1970年代以降、たびたび洪水が発生しており、今回の決壊も合流点で水が流れにくくなったことが影響した可能性がある」
(山陽新聞7月10日)

http://www.sanyonews.jp/sp/article/748479/1/?rct=area_syuyo 

この河川合流点は人工的に作られているのです。元々の川は、今は柳井原貯水池になっている場所を流れていました。 

柳井原貯水池は、下図の中央下に見える胃袋のような形をした溜め池です。 

20180710095708http://gentleyellow.hatenablog.com/entry/2018/07/10/151023

この柳井原は、江戸時代から決壊を重ねた場所で、明治期に堤防を建設しようとした地点です。 

しかし、その事業をするうちに、いっそこの堤防を閉め切って溜め池の堤にしてしまったほうが、農業用水にも利用できるし、一石二鳥だと考えたようです。 

そして合流点を付け替えてしまいました。結果的にはこれが仇になります。 

支流の小田側が本流の高梁川に合流するのですが、本流のほうが支流より水位が高くなって、支流の小田川の水をブロックするバックウォーター現象が起きてしまったのです。 

これも国交省は分かっていました。下図は国交省の「高梁川の概要と課題」(平成19年11月5日)という文書です。 

Photo高梁川の概要と課題https://www.cgr.mlit.go.jp/okakawa/kouhou/seibi/takahasi/files/1st_katarukai/08_siryo03.pdf 

この文書の中の「その地点の水位が高くなって流量能力が最小となる」という表現が、バックウォーター現象を指しています。 

国交省も呆然とこの危険性を見過ごしていたわけではなく、改修案を国交省「高梁川水系河川整備計画」(平成29年3月)として公表します。
https://www.cgr.mlit.go.jp/okakawa/kouhou/seibi/takahasi/files/8th_katarukai/08_siryo04-2.pdf 

●国交省「高梁川水系河川整備計画」
(1)高梁川からの背水影響による水位上昇
①小田川との合流地点の付け替え
②固定堰の改築
(2)小田川の河積不足
①河道の掘削
③河道内にある樹林の伐採
 

この国交省の案に対して、共産党が反対運動を起こしました。
共産党倉敷市議員団http://jcpk.sakura.ne.jp/dan/archives/2007/11/post_340.html 

共産党は付け替え工事に反対し、河道の掘削だけで対応する反対論を出して抵抗しました。 

この共産党の反対論は、水利の常識に反しています。

共産党の言い分は、ただ河道を深くするだけということで済ませようとしているわけですが、これでは水量がかえって増してしまい、水の運動エネルギーはそのままの勢いで小田川の狭いボトルネック部分に突入してしまうことになるからです。 

つまり、共産党案はかえって水害をひどくする愚案にすぎないのです。

実は、それ以前にも、改修案は旧建設省時代からなんどとなく挫折を繰り返してきました。

改修工事の時系列は以下です。

・1968年旧建設省柳井原堰建設計画を発表
・1972年実施計画に着手したが、地元の反対で中断。以後膠着常態
・1995年船穂町は国、岡山県が「同町振興計画」に協力することを条件に同意

なんと半世紀前からこの地点の危険性を国は分かっていて、その改修工事を1968年に計画を公表しています。 

1997年4月柳井原貯水池を堰として利用する『高梁川総合開発事業』が着手
2002年12月
(小泉内閣)
水道需要の低下などを理由に『高梁川総合開発事業』の中止が決定。ただ、「高梁川並びに小田川の治水対策は必要」との今後の方針が定まる
2007年8月
(第1次安倍内閣)
『高梁川水系河川整備基本方針』が策定される
2007年11月
(福田内閣)
国交省が第1回『明日の高梁川を語る会』で「柳井原貯水池を利用した小田川合流点付替え案」を公表。共産党倉敷市議団が「地元の反対」を理由に反対運動を始める
2010年10月
(菅内閣)
『高梁川水系河川整備計画』が策定される
2014年
(第2次安倍内閣)
国交省が事業を予算化。事業が動き始める
2017年河川整備計画(変更原案)が作成。公聴会などを経て、事業評価監視委員会に報告される。2018年秋に着工予定

 この旧建設省案も、反対運動で挫折しています。 

「小田川を巡っては国が1968年、周辺市町の都市用水確保と治水対策のため、柳井原貯水池を小田川のバイパスとした上で同貯水池内に柳井原堰を建設する計画を発表した。
しかし「堰を造れば基礎部分にコンクリートが打ち込まれ、地下水が枯れる恐れがある」といった地元の反対などもあり、事業の方向性は二転三転。
最終的に岡山県が2002年、水の需要減を理由に堰の建設をやめて小田川の治水を中心に事業を進めるよう国に要望、国が中止を決めた経緯がある」(山陽新聞前掲)

この第1次改修計画の反対運動については「地下水が枯れる」という山陽新聞の上述のような記載しかありませんので、実態は不明です。

そして2007年からの第2次改修計画もまた、先に述べたように共産党などによって阻止される運命になります。

「避難所にエアコンがついたのは安倍が来訪するからだ」というような馬鹿なデマを流している者が共産党界隈にはいるようです。
https://twitter.com/asunokaori/status/1016857066923687936

しかし、私にはそんなことより、なぜこの地点が決壊したのか、どうして改修工事が遅れたのか、そして共産党は何をしたのかに思い致すことをお勧めします。

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またこの時代背景に、民主党政権の最大公約だった「コンクリートから人へ」政策があったことはいうまでもありません。

その理由は、公共事業で削った財源を、子供手当てなどの人気取り政策に突っ込みたかったからです。

そのために民主党政権時の2013年の国内治水総事業費は、ピーク時1997年(平成9年)のわずか33.8%まて落ち込んでしまっています。

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よく水害があるたびに、スーパー堤防だけがとりあげられますが、民主党政権は公共事業費を大幅に削減し、当時進行していたダム、堤防の建設の多くを精力的に葬っていきました。

八ッ場ダムのように民主党が直接手を下さないまでも、この小田川合流点改修工事のように、民主党議員が大臣となった国交省は萎縮して、計画中の公共工事を積極的に進めることを止めてしまいました。

この小田川合流点改修工事も、2007年の第1次安倍政権時に策定されたまま、10年間も店晒しにされてしまいました。

そして第2次安倍政権となった今年秋、ようやく工事道路を作ることが始まった時点で、とうとう恐れていた決壊をみてしまったのです。

その意味で、私たちはこの民主党政権の負の遺産のツケを今、払わされているともいえるでしょう。

 

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コメント

治水は農業にも深く関わるものなので久しぶりに農業の記事を読んだような感じです。

アメリカでもニューディール政策の時に建築されたダムが寿命を迎えていると聞きますし、インフラ整備は国の最優先事項だと思います。

河川に限らず笹子トンネル崩落事故で問題になった交通インフラなども高度成長期に作られたままの状態が続いているので国は平成の終わりと共に新たなインフラプロジェクトを開始するべきですね。

誰にでも、何処にでも不満はあります。その不満を体制の矛盾とし、不満をあおり、その矛先を権力向け、そして大衆を(革命に向けて)組織化することこそが左翼活動家の本来の役割です。

左翼活動にもいろんな組織がありますが、その最も組織化された集団こそが日本共産党なのです。昔から同じです。彼らはこれを階級闘争としてやっていますから、決して問題の解決には向かいません。

例えば今回のような、治水という土木工学、つまり自然科学の世界で解決可能な分野においてさえも、「これで解決」という納め方は絶対にしないのです。

問題が「解決」したら大衆を組織化するネタを失うからです。彼らの活動はエンドレスです。当人はいたって真面目なのです。一生懸命不満を煽り、権力と闘い、大衆の先頭に立っているつもりなのです。

実態は社会のダニです。若いころその界隈にいた私の反省でもあります。本当にあんな組織に入らなくてよかった。人生を棒に振るところでした。

マルクスは偉大です。そして社会を混乱させる大馬鹿ものでした。まだまだその血は消えそうにありません。こじれた問題の陰には、必ずといっていいほど、左翼活動家の存在があります。今後もこのような視点での批評を期待しています。

今日はひときわ暑いですね。道の駅に避暑に来ています。

ネットでは、2002年に中止した自民が悪いだろって意見ばかりがみえて、2007年の第一次安倍内閣での計画は完全に無視されてますね。
民主偉い、自民駄目、そんな流れです。

色々と調べてみますと、高梁川や柳井原貯水池近辺の治水事業は、明治期から大正期まで改修が行われた、歴史的な価値のある事業だったようです。
平成13(2003)年に「土木学会選奨土木遺産」に認定されました、との記述も見ました。
もしかすると、このような歴史遺産的な観点からも反対運動があったのかもしれません。
共産党は、このような話と反対運動を絡めて声を上げるのが、いつものやり方なので。


地下水が枯れるって話はどうなんですかね?
今回の氾濫だって、山に溜まった地下水が豪雨の後に流れ出して、雨が降らないのに河川氾濫となっています。
当時は本当に地下水が枯れるような水不足だったのか、それとも適当な言い訳だったのか……。

話は変わりますが。
地下水といえば、東京も水位上昇中です。都心部に住んでいて興味の有る人は、「東京駅水没」とかで調べてみましょう。
東京駅地下ホームは、1972年は地下水位がホーム下8m、現在は地下水位が20m上昇して、完全に水没しているそうですよ。怖い!

小田川は以前は広島県側に流れていたという説もあるみたいですね。そのあたりも地形的に何か関係あるのかもしれません

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