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2018年7月 2日 (月)

「ドーハの悲劇」を忘れましたか?

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気分を切り換えたほうがいいんじゃないでしょうか。もう火曜日午前3時には、次の試合が待っているのですよ。 

今、私たち日本のテレビの前で観戦するしかない人間にとってできることは、唯一ガンバレというだけのことです。 

応援することしかできないという絶対的な立場を忘れて、今まさにピッチに立とうととしている青い戦士たちを、「汚い試合だ。恥ずかしい」と外国と一緒になって罵ってなんの益があるのでしょうか。 

戦うのはあくまで代表チームであって、日本でビールを飲みながらのんきに見ている私たちではないのです。 

戦っているのは、西野であり、長谷部であり、本田であり、そして代表チームのすべての選手、スタッフであって、私たちではないのです。 

その区別をしっかりつけたほうがいいと思います。 

世界から激しいバッシングを浴びているのは代表チームであって、私たちではないのです。 

それを身勝手な「世界の声」なるものと一緒になって、代表チームを小突き回してどうしますか。 

「世界の非難の声」とは、一枚皮をめくれば、自分たちが永遠に強豪国であるために必須の武器を日本が手に入れようとしていることに対する警戒感です。 

サッカーには、速さ、フィジカル、組織力、戦術など以外にもうひとつ隠した武器があります。 

それが「狡猾さ」、あるいは「ずる賢さ」です。ポルトガル語でマリーシア(伊語マリツィア)と呼びます。
マリーシア - Wikipedia 

「『ルールの裏をかく』といった反スポーツ的な意味合いはない。相手の心理状態を読んで奇襲をかけたり、相手の油断や混乱に乗じて意外性のあるプレーを行う」(ウィキ)

 この「ずる賢さ」が成立する唯一の条件は、ルールに沿っているという一点です。 

極東某国のように相手選手の足を狙ってバックチャージをかけたり、カニばさみをして負傷させることを目的とするような真正の反則行為とは一線を画します。 

今回の大会で取り入れられたフェアプレーを加味するというルールに則って、クリーンに試合を重ねる努力をしたことによって、その正当な報酬を受け取る権利ができたということです。 

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日本はその「正当な報酬」を精密に計算して、後半10分を守りきったにすぎません。このどこが問題なのでしょうか。 

はからずも、既に敗退が決まっていたポーランドの1点を守り抜いて帰国したいという思惑と重なってしまったために、あのような一見ダルな展開になったわけです。

あ、そうそう、立憲民主の小西議員のこんなツィートもありましたね。

「日本代表の他力本願に批判。本当にがっかりは予選敗退確定のポーランドの無気力プレー。失うものはないのだから、攻撃選手を投入し二点目を奪い、自らの手で日本を叩き落とす気概があるべきだった。安倍政権打倒の使命を放棄し、ソロバン弾いて闘うフリだけしている野党議員を見るようで残念だった」

馬鹿ですか、この人。

なにが「他力本願」ですか。無教養にも意味を間違えている上に、あの1点先取しているポーランドがあえてリスクを冒してまで攻撃する理由がまったくないというサッカーのイロハも知らないようです。

そもそもサッカーを国内政治にからめるなって。

もし、もっと日本がずる賢くたちまわれたのなら、適当にポーランドと戦っているふりをすればよかったというだけのことです。

Photoドーハの悲劇

さて、日本サッカーは「ドーハの悲劇」から学ぶところから、ワールドカップ戦略を再出発しています。
ドーハの悲劇 - Wikipedia 

私はあの1993年10月28日の夜の、すさまじいばかりの敗北感をいまでも忘れられません。 あの晩は悔しくて眠れなかったのを思い出します。

あのラモスのパスから武田への無意味な攻撃によって生まれた一瞬で、日本はいったん手にしたはずのワールドカップのキップを、数分で手からすベり落としてしまったのです。 

その原因を作った、武田修宏に語ってもらいましょう。 

「サッカー日本代表は93年、W杯出場の切符をかけてカタール・ドーハで戦ったアジア地区最終予選イラク戦で、2-1リードで迎えた後半終了直前のアディショナルタイムに、相手クロスボールからの攻撃で同点に追いつかれた。
リードを守っていれば悲願のW杯初出場を達成していたが、当時のチームは、時間を稼ぐパス回しはせず、武田が敵陣でクロスボールを上げるなど、追加点を狙う戦いを最後まで続けた。 
武田は「もし、あの時代にアディショナルタイムの中で、ボールを回す今回のような文化があったら、W杯に出て歴史が変わっていたと思うんですよ。
(今回も)選手も攻めたかったと思いますが、そういうことを考えると(パス回しは)ありだと思います」と、あらためて西野監督が選択した戦術に理解を示した」(日刊スポーツ7月1日)

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807010000234.html

 ここで武田が言っている「ボール回し文化」とは、今回の日本代表がラスト10分でやったボールキープのことです。 

ここで武田が指摘するように、南米やヨーロッパには、平然とそれをやる「ボール回し文化」があります。 

それがマリーシアの文化であって、それを日本に習得させたくない、日本などというアジアの田舎チームはいつまでも若武者気分で走り回っていればいいのだというのが、これら強豪圏の連中の本音なのです。 

本田は今まで日本が超えられなかったもどかしさを、こう述べています。

「僕らは練習でやったことを100%出そうとやるものの結局、勝ち方が分からない。一生懸命いいサッカーやっているけど、相手を圧倒していても(イタリア戦で)3-3の状況で点を決められない」
本田「自信の差が格に」/コンフェデ杯 - サッカー日本代表ニュース : nikkansports.com

たとえば強豪国は、試合中主力は全力疾走してはいません。エースストライカーはディスェンスに加わるどころか、ただ歩いているだけだったり平気でします。 

FWの大迫がコロンビア戦で見せたような、最終ラインまで全速力で駆け戻っての守備などはしません。

日本がそれをせねばならないのは、DFの弱さが日本代表の弱さだからです。

強豪チームのエースストライカーがマリーシアしていられるのは、決定的な局面で出番を作るために、体力を温存していられるからでもあるのです。

日本が見せる精一杯の走り回る姿は、一面、マリーシアの余裕を欠いた弱点でもあるわけです。

「DF栗原は言う。『(強豪は)ここぞというときに余力を残している。足の止め方を知っている。FWはサボったりしている。日本はいっぱいいっぱい。相手のミスが起きてもパワーを発揮できない』。ここぞというタイミングで力を出すにはペース配分が重要であることを認めている」
https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/06/25/kiji/K20130625006080890.html

高校野球と重ねたコメントがあったことには、正直いって驚きました。 サッカーワールドカップは、オリンピックを凌ぐ世界最大規模の大会です。

仮にオリンピックで金メダルを得たとしても、307個のひとつにすぎません。

ワールドカップは、サッカーという世界すべての国がやっている普遍的な世界競技の世界一を決定する大会なのです。そのトロフィーの重さがまったく違うのです。

つまりワールドカップとは、私がなんどか書いてきているように、スポーツ競技の形をとった「戦争」です。

鉄砲の球ではなくサッカーの球を蹴ることで勝負をつける、血の流れない「戦争」なのです。 

そこに国家を背負ってピッチに立つ重みは、しょせんは一つの県の名誉をかけた高校野球レベルと比較すること自体愚かです。 

とまれ、戦っているのは彼らであって、私たちができることは唯一、声の限り応援すること、ただそれだけです。

 

 

 

 

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コメント

戦時中の朝日新聞みたいですね。

死んだ英霊に申し訳ない。なんとするぞ。みたいな感じで戦線拡大を止められなかったようなものです。

確かに試合は選手当人たちによりますが、応援するのは観客です。

世界に批判されるような試合運びはするべきではないというのは、選手を小突き回す事とは違うでしょう。

ワールドカップは擬似戦争かもしれませんが戦争そのものではありません。

スポーツに求められるのは、勝利ではなく、夢です。勝利は夢の一部であって夢そのものではない。

日本にそのテクニックを得て欲しくないという妬みからの批判だというのは、日本のような黄色人種が白人らと並んで植民地経営してほしくない妬みからのABCD包囲網だと言ってるのとあまり変わりません。

仮に事実そうであろうが、相手に付け入る隙のない正々堂々とした勝負で、なおかつ勝利すべきでしょう。

あるいは、そのように望んで応援する人々もいて当然です。

日本チームのやる事は全辛く肯定せよ。だなんて、どんだけ全体主義でしょうか?

少々熱くなりすぎです。

いや、確かに、本当に、日本代表は苦労して、練習を重ねピッチに立たれているのでしょう。

勝つための戦術を駆使し、ルールに則って、戦っているのでしょう。

しかし、それはどのチームも同じですから。その上で、日本人として同じ日本チームには、世界に誇れる堂々とした試合をしていただきたいと望みます。

ワールドカップは日本を代表しているのですから「さすが日本だ。一味違がう」というような評価や感動を、世界に与えていただきたいものです。

「汚いやり方をするチームだ」と言われるよりは「(敗退したが)彼らは我々に美しいものを教えてくれた」と言われる試合をして頂きたいです。

もちろん、その上で勝利していただけるのなら、なお越した事はありません。

> かつてさん

 スポーツに求められるものが夢だと言うのならば、今回のことは、応援する側にとっては『ボール回しをせずにGL敗退』なのでは無くまずは『決勝トーナメント進出』の方が優先だったのでは無いでしょうか?
 僕がサッカー少年ならそう考えます。

 あと、高校野球の松井敬遠や日大タックルとを引き合いに出すのは問題外では無いでしょうか。
 どちらもアマチュアの上、日大タックルは怪我させる目的ですし、高校野球は高校生にそこまでさせるか?というものも有ります。

 サッカーが好きでは無い僕から言わせれば、審判に見えないところで服や腕を引っ張ったり掴んだりする方がよほど汚くて見るに耐えません。 ですのでいつまで経ってもサッカーが好きにはなれないのです。

かつてさん。

なんか勝手に拡大解釈した上に飛躍しすぎてますよ。
いったい何の話をしているのやら?
賢く勝つのを否定して堂々と散れ!って言ってるのはあなたですよね。
全く、戦時中の朝日新聞みたいですね!

なんで素直に自国の代表チームを応援できないのか、全く理解できません。。
もう、強敵ベルギー戦は今夜ですよ。いつまでグダグダと言ってるんですか?いい加減に止めましょうよ!

Jリーグ創世記で異常に盛り上がってた「ドーハの悲劇」から25年です。あんなの、当時の日本代表が未熟で低レベルだっただけてす。敗退は当然。
あなたは四半世紀前(もしくは世界大戦期)で思考が停止してるんでしょうね。

戦術やフォーメーションの変遷や試行錯誤の連続の上で現在に至るわけなんですが、いったい何が不満なの?

国際的な日本人の信用ですか?それならなおさら戦争ですわな!

あと、かつてさん。
何が汚いプレーだったのか是非とも客観的にお示し下さいな。

全くこんな下らない論争で何を言いやがるんだか、いい加減にして下さいな!

「かつて」さん。逆上しているのはあなたです。私が戦時中の朝日新聞みたいだというのですか。
呆れたをとおり越して、私に対する侮辱です。
きみって、こんなていどのことしか言えない人だったんですか。がっかりです。

きみは要するにキレイに戦って欲しいというだけでしょう。それなら、わかるのです。だれだってそうだし、一般論としてはそのとおりだから。

失礼だが、きみはサッカーをそんなに知らないようです。
だから、他国のブーイングに妙にナイーブです。あんなていどはよくあることです。
フーリガン同士が市街戦を演じるのがサッカーの国際試合なのですよ。

キレイに勝ち進んで欲しい、そういう見方を私は否定しません。
ならばそれだけ言っていればいいのに、何人かから批判されると逆ギレして、高校野球を例えに出したりしてどんどん脱線するからおかしくなります。
あげく私は戦時中の朝日ですか(爆)。
失礼ながら、高校野球を出した段階で投了です。

言葉を慎まないと、いくら常連でも次は警告としますよ。

この件では、私も20年来の友人と喧嘩しましたよ。
酒の席だったけど、あんまりグダグダと言うので、こういってやったのです。

侍なんて付くから勘違いしているけど、サッカーは剣道のように「道」を説く競技じゃない。
お前は要するに、御強い日本様が弱者の戦法で逃げたのが気に入らないだけだろう。

友人はムッとした後でこう言いました。

じゃあ次からはニンジャジャパンとでも言えよ。


日本人は(私もそうですが)戦略的勝利よりも戦術的勝利を望む傾向が強すぎる。
勝てないならば損害少なく上手く負ける、というのは非常に重要なのですが、それでは納得できないんですよね。

まあ、私は野球は見てもサッカーはワールドカップの時しか見ないので、日本がどのような戦術・戦略をとっても、弱いのが悪いと開き直ってしまいますけれど。


それと管理人さん。
>そこに国家を背負ってピッチに立つ重みは、しょせんは一つの県の名誉をかけた高校野球レベルと比較すること自体愚かです。

そういった意図は無いのかもしれませんが、「しょせんは一つの県」なんて言われると、国家を背負った勝負よりも、学校や県の為の勝負が「下」に見えます。
比較すること自体愚か、なんて言うよりは比較するべきではない、と言って欲しい。

何が一番の名誉になるのかなんて、人それぞれでしょう?
高校3年間で甲子園に行くことをこそ、国家を背負うことよりも名誉に感じる人だって居るんですよ。

かつてさん。
「日本チームのやる事は全辛く肯定せよ」なんてブログ主さんは言っていませんよ。

買っても負けても美しく、感動を与えてほしい、という考え方と、日本チームが決勝リーグに行くのが夢、の違いでしょう。
どちらもあり、だと思います。

ただ、戦時中の朝日新聞という表現はいただけません。
ここに集う人たちにとってこれはほとんど侮辱表現に等しいのではありませんか。

ブログ主さんにも一言。一言一句に敏感に反応しすぎでは、とおもいますが、いかがでしょうか。

 かつてさん

意見の相違はあっていいし、だからこそ本ブログはコメント欄も含めて「面白い」のだと思うのですよ。
ただですね、もう少し記事を読み込んで頂けないと、私が感じるに記事を書いた人(ブログ主様)が気の毒でならないですよ。

例えばですね、
≫「日本にそのテクニックを得て欲しくないという妬みからの批判」
という言い方をなさいますが、ブログ主様が言っているのはそういう事じゃありません。

妬みとか何とかじゃなく、「日本のサッカーにはかつてなかった「マリーシアの文化」を習得させまいとしている可能性」を言っているのであって、それは日本人にとっては「ありえない悪意」として考えもしないのでしょうが、諸外国は自然体でいつもそれを日本に対してやっているじゃありませんか。

いつまででも世界標準に満たない未熟なサッカーを日本が引き続きやってくれた方が、それは彼らにとっていいに決まってますでしょう。
それに、日本って国は「場外批判」に弱い事も、それによって自滅する癖も諸外国はわかってる。

それとですね、ブログ主様は
≫「日本チームのやる事は全辛く肯定せよ」
なんてこと、一言も言っておりませんよね。

かつてさんも私もですが、ブログ上でですがブログ主様との付き合いはもう長いです。
そしたら、もうチョットだけの洞察力をさえ持って読めば、言いたい事は分かるハズじゃないですかね。他の時事問題をのけてでもサッカーごとき(失礼!)の記事を三日も連続した訳が。

今回の事は現今の外交における時事問題に低通する部分が多々あって、日本のサッカーのあり方の「変化」は日本外交が模範とすべきものだ、とすら私は感じましたよ。

で、ここのブログ様はリアリズムで物事を考える方なんですね。現実主義です。
その目で見ていると、小西議員の言うことなんか「まるきり間抜け」でしかないし、サッカーワールドカップの重要性は(国にもよりますが)「国威発揚」の手段にもなっていて、ほとんど「国策」状態になっている姿が見えるのですね。
だから高校野球はおろか、一般的なスポーツとも一線を画した異なる意味のイベントなんですよ。

たまたまサッカーが題材ではありますが、私たちは他国の悪意を十分知って対処して行かなければなりませんし、そうした点でむしろ先手を取る事を教えてくれた西野ジャパンには感謝すべきと思いますよ、ホント。

ブーイングされない程度のボール回しではなく、
あからさまなボール回し。
監督の自己顕示欲の現れですね。
本人は凄い戦略家と思い込んでいて、それをあからさまに見せびらかしたかったのでしょう。

生きているうちにW杯の優勝が見たい。
そのためには一日も早くベスト8になって欲しい。
今回はボコボコにされるかもしれないが、挑戦権は得られました。
正々堂々とは違いますし、もしかするとフェアネスさに欠けていたかもしれない。ただし、スタメンの件で無能と言われ、鳥かごの件で恥と言われながら、ベスト8を目指す西野さんの「ひたむきさ」を同世代の人間として、私は支持します。

2回目の投稿です。
管理人さんの意見に95%賛成です。
5%は、上で山路さんも言及している高校野球との対比の部分です。
高校野球は県代表とかではなくて、アマチュアである。建前上は教育の一環。故に全打席敬遠はやってはいけない事だと思うのです。
プロ野球ならばケース・バイ・ケースでしょうが。

それよりも「ドーハの悲劇」
私もリアルタイムでテレビ観戦していましたが、武田の印象無いのです。
私の強烈な記憶では、相手チームの同点ゴールの原因は、ラモスの相手陣営に蹴った無意味なパス(当然、相手選手がボールを確保、その後のコーナーキックに繋がった)なのですね。

お久しぶりです。私はTV中継を見ないで、朝のニュースで試合結果を知りました。「日本のサッカーも一皮むけたな」というのが第一印象で、次に思ったのが「サムライジャパン」の“サムライ”ですね。

よく勝ち上がった!ちょっと残念だったけど・・・が正直なところ。

あと、監督の並々ならぬ勝負への覚悟、も強く感じました。サラリーマンの頃、末端の管理職をやった時のことも思い出しました。どっちに転んでも、上に立って采配する人が叩かれるのですから、結局自分の信念に沿って決断するしかないのです。

これから、多少後戻りもあるかもしれませんが、日本のサッカーが世界レベルに本気で向かっていく、大きなステップになることだけは、間違いないでしょう。

余談ですが、ベンチサイドでは「ゲーム理論」とか使い、リアルタイムに確率的な戦術を取り入れているスタッフがいるのかもしれません。

サムライニッポン頑張れ!!

MI-6 さん

正確にはこの様な展開です。
武田が1人ボールを持ち上がり、そのままボールをキープする事なく、味方が誰も居ないゴール前にクロス。相手に見す見すボールを渡しカウンターを受けるもその時は事なき終える。
次のプレイで日本が再びボールを保持。ラモス前線のカズへパスを出すもミスキックになりボールを取られてしまい例のCKに繋がる。
当時の事をつい最近のTVでラモス本人が語っていました。カズへのパスを蹴ろうとした際、既に蓄積された疲労で足が思うように動いておらず、力無いボールになってしまい、結果相手へのプレゼントパスになってしまったと。
まぁ武田のプレイがなければ次のラモスのプレイにはと言うタラレバの話ですね。

九州Mさん
>余談ですが、ベンチサイドでは「ゲーム理論」とか使い、リアルタイムに確率的な戦術を取り入れているスタッフがいるのかもしれません。

まさにそれです。
実は今大会から導入されたルールが多々ありまして、
・話題になっているフェアプレイポイントによる同等チーム同士の差別化。
・ビデオアシストレフリー(VAR)の導入
・延長戦における4人目の選手交代
そして、テクニカルエリア内(チームベンチ内)での、通信機器の使用可能です。

ここからは分かりやすく解説していた、とある方の言葉を借りる形で説明します。
〜〜〜
これまでは、選手が負傷した際にフィールド内に入って手当するトレーナーなどは、テクニカルエリア内にいるスタッフとの間でのみ、携帯電話などの通信機器の使用が認められていました。
これは、あくまでも選手の安全や保護の目的に限って許されていました。
この目的以外にその使用が認められなかった理由としては、八百長の防止があげられています。
今回のロシア大会では、FIFAが各チームにタブレットを提供し、観客席にいるスタッフやベンチ入りしているコーチらが使用できることになりました。
例えば、観客席にいる専門スタッフから試合中のトラッキングデータやその分析結果をベンチに送信することが可能となりました。
まさにより緻密な戦術合戦が繰り広げられるわけです。
リアルタイムで送られてくるデータをどのように分析し、いかに采配に活かすかが勝敗を分けるポイントになりました。
〜〜〜

そして、日本代表は、それまでいた分析担当スタッフを2人体制から4人体制に増員しました。
今回もそれが一つの形として表れたのかなと思います。

かつてさん大暴れですね!

さあ、みなさん今夜は寝てから観るか、寝ないで観るか。

ベルギー戦、内蔵が口から飛び出るくらい頑張ってもらいたいものです!

応援しましょう!

あー悩みます、寝てから観るか観てから寝るのか!
コメント入れる度にスパム防止警告が出て送れなかったのですが、私はポーランド戦評価組です。得点ならずでしたが下の世代がスタメンである程度大役を果たせたのは貴重です。
口から内臓出す夜に備えてやる事全部済ませねば!

かつてさんへ。
勝つために手段を選ばずやれ。と言っているわけではなく、ルールの中で使える部分は最大限に利用して本戦に出られた部分を評価しているのです。
真剣勝負の場には、駆け引きはつきものです。これを使わずに格上に対して当たるべきだというのは流石におかしいと思います。

それとどのような内容であろうと、議論の中でレッテル貼りをしてしまうのは良く無いと思います。

意見の分かれる試合でしたし、これはどちらの意見もありだと思います。勝負に勝てばいいという意見がある一方、この勝ち方では失うものも大きいという意見もわかります。
どちらが絶対正しいということではないのでは。
様々な意見があっていいと思いますし、自国チームを批判するのももちろん自由ですよね。
さて深夜の試合が待ち遠しいです。また寝不足覚悟で日本を応援ですね。

本来は前記事で返事を書くべきなのでしょうが、自分の中のモヤモヤと記事の視点が一致しないのでこちらに書かせていただきます。

サッカーの競技規則では、用語集にわざわざ

「競技の精神(Spirit of the game)」
 =サッカーの基本的かつ本質的な原則や価値観

と書かれています。
では、本質的な価値観って何?と聞かれても、内容は書かれていないようですが、JFA(日本サッカー協会)では、「大切に思うこと」として「リスペクト」という言葉を掲げています。

http://www.jfa.jp/football_family/respect/

『リスペクトの本質を、常に全力を尽くしてプレーすること、そしてそれはフェアプレーの原点であるととらえています。

仲間、対戦相手、審判、指導者、用具、施設、保護者、大会関係者、サポーター、競技規則、サッカーというゲームの精神、それらサッカーを取り巻くあらゆるいろいろな関係の中でとらえていきたいと考え、「大切に思うこと」としました。』


また、JFAサッカー行動規範に最初に書かれている言葉は、

『1.最善の努力
 どんな状況でも、勝利のため、またひとつのゴールのために、最後まで全力を尽してプレーする。』

です。


どの記事だったか検索できないので正確ではないのですが、こんな事を外国の方が語っていました。

「日本は80分間ポーランドと戦った。しかし、残り10分からは、遠い別会場のセネガルと戦った。負けているのに攻めなかった。
 その行為は対戦相手をリスペクトしてると言えるのか?フェアプレーに値するのか?」

結局ね、JFAは高らかに

『リスペクトの本質を、常に全力を尽くしてプレーすること、そしてそれはフェアプレーの原点であるととらえています。』

って言っておきながら、ポーランド戦では各国から「最低の試合」と言われることをやってしまったわけです。


「最低の試合=時間稼ぎ」ではありません。

「負けてるのに、攻めることをやめた」ことです。

そりゃ、ポーランドはそこでじっとしてるだけで勝つんですもの。サッカーの本質が
「勝つために全力を尽くすこと」
であるなら、じっとしてることが最善手です。ポーランドは最善の試合をやりました。


対する我が日本。
対戦相手であるポーランドをリスペクトせずに、「W杯決勝T進出のためのレギュレーション」をリスペクトして、対戦相手に全力を尽くすことを試合終了10分前に放棄しました。
直接対戦していないセネガルにレギュレーションで勝利するために全力を尽くしました。

その結果、見事決勝Tに進出しました。めでたしめでたし←

別に、ドーハの悲劇なんて関係ないんです。自陣でパスを回す時間稼ぎだって勝つための最善の努力です。自陣で奪われたら大ピンチになるというリスクを背負ってやるんですから。

でも、それを負けてるチームがやる意味って何なんですか?
決勝T進出が目標なんだから、現在対戦している相手をリスペクトする必要はない!ってことですか?
JFAサッカー行動規範とかリスペクト宣言とか嘘だったんですか?


西野監督の決断は良かったと思いますよ。決勝T進出のための最善手でした。
でも、対戦相手であるポーランドに対してはリスペクトを全く感じませんでした。

私のモヤモヤの原因は、W杯の予選での姿勢としては大正解。でもサッカーの試合としてはどうなのよ?
なのでした。

「負けていても攻めない」という前代未聞のプレイもサッカー競技の精神だ!!
っていうなら、それも仕方がないでしょうね。
ただ、私にはいろんな議論がサッカーの競技精神を語ってるようで、実は「W杯の精神」しか語っていないように感じられますが(^^;;

まぁ、なんだかんだいいながら、日本はせっかく決勝Tに進出したんだから、悔いのないように全力で戦ってください!!こちらも全力で応援します!!!

ってことなんですけどね←w

というわけで、一方的な書き込みで申し訳ありませんが、この件に関しては私のモヤモヤは整理できたのでこのへんで。
前記事でお返事をいただいた方には感謝いたします。
今夜の試合、楽しみです(^^)

>ひこ〜さん
こういうコメント欄で、one by oneの投稿をするのは品が無いと普段思っているのですが、今回は申し訳ありません。

格下が格上に対して遮二無二に攻め込まない、というのは、それはそれである種の敬意の表れではないか、と私は思うのです。単なる星勘定だけでなく、そういう相互理解があったからポーランドも無理をしなかったのではないでしょうか。

ただ、返す返すも残念なのは、そういう状況でポーランドと戦うことになったことですね。
親善試合でも何でも良いので、近未来に、徹底的にガチの状態でポーランドと戦う機会があればよいのですが。

そして、ポーランドやセネガルと未来のW杯の時に「因縁の対決」と言われるようになれば。

日本のサッカー界にこれほどの財産はないでしょう。

一昨日も書きましたが、この件に関してどの様に受け止めるか、もはや好き嫌いの気持ちの問題で、明確な正解を出す事は難しいと思います。
私はサッカーを競技として経験し、現在もJリーグを年がら年中目にしているので、サッカーとはこの様な物で、あの時の戦術としては当たり前の判断で〜、といった考え方に至りました。
ひこ〜さんの仰るフェアプレイの精神は全くもってその通りですし、理想的で美しいのは相手と最後までがっぷり四つで組むサッカーですし、あのパス回しを観て楽しいかと言えばつまらないと思う事は至って普通です。

ですので、これ以上ヒートアップしても売り言葉に買い言葉で感情論になると思い、一昨日は書き込みをやめました。

私としては、その様な否定的な気持ちになるのは分かりますが、あのプレイに至った背景や状況、サッカーとは何たるかと言った事を解って貰いたかったので色々と書き込みました。
それでも、かつてさんの様に納得がいかなかったりする気持ちも分かります。
そうなると後は気持ちの問題なのでこれ以上は仕方ありません。

最初に書きましたがどの様に受け止め、どの様に感じるかに正解はありません。人それぞれです。
ですので、私と一緒の意見になれとは言いません。
しかし「汚い勝ち方」や「負けに行った」だったり、w杯に高校野球の価値観や横綱相撲の価値観を持ち出して否定的な意見をされていたので、そこは流石に違うのではないかと思い反論しました。
決して何が何でもあのプレイに批判的な意見を全否定しているつもりはありません。


どの様な形であれ決勝ラウンドに残った以上、後は勝つか負けるか生き残りを賭けた一発勝負です。
ベルギーに勝てる可能性は限りなく低いかもしれませんが、トーナメント戦は全力でぶつかって行くだけです。
私達は応援するのみです。

侃々諤々、談論風発、意見を戦い合わせられることはある意味幸せなことです。
言いたいことは腹に燻っていますが、そんな無粋なことは止めておきましょう。
明日未明のベルギー戦、もやもやを吹き飛ばす戦いを見せてほしいものです。

私は目覚まし時計をセットしました。(笑)


テーマと関係ない話題ですが敢えて書かせていただきます。
笑点の司会を長らく務めてこられた桂歌丸さんが亡くなられたそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

私はポジショントークは嫌いです。

普段朝日新聞を批判しているのであれば、終始徹底して朝日新聞批判的視点であって頂きたい。

さて、高校野球とは違うとか日大のタックルと違うとか、違うところは確かにあるでしょう。

ですが、逆に同じところもあるはずです。

それは動機です。勝つため、あるいは今回の場合は、ベストなんたらに進出するため、

「不評」な行為をしたということです。もちろん、不評であって不法じゃありません。日大は不評を通り越して、不法ですが。

不評には不評の言い分があります。それを、妬みだとか過小評価するのは、どうかと思います。

それが、戦前の白人支配の故だと言っているのと同じだと申している次第です。

ごちゃごちゃいわずに日本を応援できないのか?とかいうのも、戦前の思想に通じるものがあります。

日本のチームだからこそ、不評な試合は避けて頂きたいというものです。

もっというなら、弁護弁解するなら、世界に発信しなければ。

と、同時に世界のほかの国々が、日本のパス回しは、作戦として当然だと、評価でも賛美でもするようにしなければ。

国内で弁慶っていても仕方がないのではないでしょうか?韓国人じゃあるまいし。

ひこ〜さんのご指摘が、一番的を得たいると思います。

あの試合で、相手チームに対するリスペクトがあったのか?どんなに弁解しようが、それはなかったですよね?

リスペクトはありました。という反論があれば、伺いたいものです。

アグレッシブにごちゃごちゃ言ってた者同士が、ピーの笛が鳴ったら一斉にビール片手に応援する、その結果でまたごちゃごちゃ騒ぐ、そーいうの嫌いな人はドイツ人でもイギリス人でもサッカー観なかったりしてます。W杯の時だけニワカに盛り上がる人と祭りでは共に騒ぐ。
スタメン晒したり殺害予告したりしない外野と、八百長したり審判買収したりわざと相手に致命傷を負わせたりしないチームであることが、フェアな精神のスタンダードかと思ってます。
目覚ましセットします!おやすみなさい!

そもそもサッカーで相手チームをリスペクトしないといけないというルールがあるんですか?
まあ、最後の10分だけ自陣でパスを回した行為が相手チームをリスペクトしていないということにはならないと思いますが。
逆に1点リードした方のチームが守備を固めて攻めてこないということはよくありますが、これも相手チームをリスペクトしていないということにはならないと思います。
どうしてもリスペクトを求めるというのなら、ワールドカップのルールブックを書き換える必要があるでしょうね。

参考迄に
イタリアのガゼッタ・デッロ・スポルト紙やスペインのマルカ紙は肯定的に評価しています。
同じスペインでも否定的な評価の新聞社もありますし、ブラジルやイギリスも否定的な評価をした新聞社がありました。
英BBCが特にに否定的な評価をしていますが、しかし、その記事に対して付いたコメントは、日本に肯定的なコメントが圧倒的に大多数です。
此方コメント欄を評価が高い順にして見てください。
評価の高いコメントはそのほとんどが日本に肯定的なコメントです。
https://www.bbc.com/sport/football/44649668/comments

ポーランドが明らかに格上であるとわかっているからこそ、突っ込むことが出来なかったのではないでしょうか。

ちょっと話がズレるかもしれませんが、国営放送が西野ジャパンを手厳しく批判したお国のチームは“決勝T進出が決まった後”で組み合わせを調整する為に気
合いが入ってない(ように評された)試合を対戦相手共々してるようですね。 
https://honjitu.net/tingurando
過去のサッカーW杯でも時々見かける光景のようですが、今回の試合運びをルール改定するかどうかレベルで問題にするならば、そういうチームの対応も含めて
考えて欲しいものです。

あ、すみません
↑のコメントは須山でした

 かつてさん

あの試合においての日本チームは「ポーランドチームに対してリスペクトがなかった」、などとは言えないですよ。
勝ち越している場合にパス回しをして時間稼ぎをするのは通常ありえる事であって、それをして「相手チームへのリスペクトを欠いている」とは言いませんよね。

今回は一点差で負けているにもかかわらずそれをやったのが大きな違いなのですが、そうすると「リスペクトを欠いていた」と考える人たちの言い分は、どういう事になるのか。
目の前のポーランドに対する勝ちにこだわらなかった事、あるいは一点差であえて勝ちを譲った事が失敬だ、と言う事にでもなるのでしょうか。

途中から日本の防衛ラインは作戦上、現状の一点差に抑える事を目標としたものに変化しましたが、ポーランドもそれに対して積極的に二点目を求めて攻撃して来ませんでした。
ポーランドが2点目を求めて積極果敢に来るのならば、日本は当然全勢力を傾けて応戦したでしょう。
それをしないのであれば、まさしく「リスペクトを欠いていた」とも言えるでしょうが、今回の事例ではそういう問題未満ですよ。

決勝進出を第一に目論むあり方が、一試合の勝ちにこだわるよりも優先する事をもって「相手方をリスペクトしていなかった」とは言えませんし、ポーランドにしてみても当然そうは考えてはませんよ。
一試合よりも、三試合全体の得失点差をかんがみて防衛ラインを設定する事、せざるを得ないことはワールド拝のルールに由来する要請なのですから。

かつてくん。
社会常識がある人なら、「言い方で怒らせてしまいました。申し訳ない」ていどは儀礼的にでも冒頭にいうでしょう。
それをいきなり「ポジショントークは嫌いです」ときたもんだ。話にならない。

そもそもまったく関係ない「戦時中の朝日」などと私を侮辱しておいて、よく言う。
戦前・戦中の朝日は、大戦に日本を引き込み、戦争を煽りに煽った責任を問われるべきメディアです。
昭和史を少しまじめに勉強すればそんなことは常識であって、あえてそういう比喩を使ったことに、私は悪意を感じます。
ただの朝日嫌いで言っているのではなく、それになぞらえて私を批判することが許しがたいのです。

「朝日批判を徹底したいなら」って、意味がわかりません。何を言いたいんですか。
そもそも「戦時中の朝日」とか、「ABCD包囲網」うんぬんと今回の問題に、何の関係もないことを言い出して、勝手に孤立しているのはきみのほうです。

強いて先の大戦と関係あるとすれば、それはすべきではない(論)戦を勝手に始めて、どんどんと泥沼化して四面楚歌となり、とうに攻勢限界点に達したにもかかわらず、それを自覚せすに自滅した旧軍ときみはとてもよく似ています。

君がどうして君以外の全員から批判されているのか、少しは考えなさい。
それは討論する姿勢自体が、主観的で感情的に歪んでいるからです。

すなおにナショナルチームを応援すればいいだけです。
ところがきみは自分の立論を守りたい一心で、他者のいうことに耳を貸さずわけのわからないことをいい散らしているだけ。
果てはコメント欄で暴れるだけではなく、この私にまで突っかかってくるとは、呆れてものが言えません。
見苦しい。

「かつて」さん、警告です。もう一回こういう行為をすると、私はきみに二度と来るなと通告せねばなりませんよ。

かつてさん、せっかくの試合の前のよき緊張を乱していただいたことに深く感謝します。

この議論は不毛なので、このあたりでコメントコーナーは締めます。

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