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山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その2

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山路氏寄稿の2回目です。

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』の最終巻に、こんな一節があります。

「薩軍には「勢い」という以外に、戦略らしい思想はなかった。
そのことは多分に西郷や薩摩軍幹部の戊辰戦争における体験に根ざしている。
「相手が勢いに乗ってやってくるのをこちらからみると、人物もみな大きく見えるものだ。時が過ぎると評価は定まるのだが」
という意味のことを、時代の担当能力をうしなった徳川方に属している勝海舟が語っている」

この「薩軍」を、オール沖縄に入れ換えてみると納得がつくでしょう。

かつては憎々しいほどパワーがあるかに見えた翁長知事は、いまや与党少数派を率いる病み衰えた老人にすぎず、島ぐるみを標榜したオール沖縄は共産党が牛耳る烏合の衆にすぎませんでした。

なによりも彼らには、先を見通した戦略が致命的に欠落していました。

政府は押せば引っ込むだろう、そのていどの時代の「勢い」でしか移設反対運動を発想出来なかったからです。

ですから予想外の政権の原則主義的な対応の壁にぶち当たると、脆くもついえました。

まことに、「時が過ぎると評価は定まる」ようです。

                                                  ~~~~~~ 

                  山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その2
~翁長知事の「撤回訴訟」と県民投票に向けた「署名集め」について~
                                                                                                  山路敬介

承前 

翁長知事の「最後の悪あがき」

それはそれとして、ここに来ての知事の「辺野古反対」目的はついに知事自身や「オール沖縄」のための「政治の道具」に資する為だけに専らしぼられ顕在化して来ました。 

いよいよこの場面で明らかになった「オール沖縄」存続のために集約された「撤回権の利用」目的は、崖っぷちに立たされた「最後のあがき」を思わせるものでもあります。 

翁長氏自身が出馬する事はもうないでしょうが、来る県知事選はもちろん、那覇市長選や宜野湾市長選をはじめとする一連の選挙での争点を再びここで一括して「辺野古阻止」にセットし直さなければ、「オール沖縄」の生存はありません。 

県民をだまし、あるいはそれが「標語レベル以下」の空疎なものであったとしても、「辺野古阻止」を旗印としなければ結束力もヘチマもなく、知事自身への求心力も保てないのですから、今回の「撤回」は政治手法的には正しいのかも知れません。 

しかしそれ以上の意味は見いだせず、むしろ「辺野古阻止」それ自体にとって「撤回」は明らかなマイナス行為だと考えられます。

Photo
県民投票実現に向けた「署名あつめ」の怪

県民投票条例制定に向けた「署名集め」も無意味です。
 

陳情の規定数には達したにせよ、目標には届かず「気勢が上がらずに終わった」と言わざるを得ませんし、だいいちあのようなやり方は意味を成しません。 

それに、どう好意的に見ても行動が遅すぎました。  

今となっては一方側の「政治運動」との評価をまぬがれ得ないし、普天間基地を擁する宜野湾市民を置き去りにした点からも「全県民的な運動」とは程遠いものです。 

私はその署名集めの現場に行ってみました。 

普段は「スーパーかねひで」で買い物をする機会はないのですが、宮古では「かねひで」でしか署名の場所はないようだったので、遠目に知り合いの姿がないのを幸いに近づき、多少話を聞く事ができました。

対応してくれたのは本島の若い人だと思うのですが、彼は私にこのように言いました。

「私たちは辺野古の埋め立てに反対する者で、新基地建設にも反対するものです。しかし、あなたが新基地建設に賛成し、かつ埋め立てにも賛成する立場であっても構わないのです。要は県民投票を行いたいという趣旨であって、そのあなたの考えを県民投票に反映させる事が重要なのではないでしょうか」 

正直、この私でも埋め立てそのものには原則反対なので、あやうく署名しそうになりました。かねてから「陸上案」を主張するここのブログ主様だって署名しかねない「問い方」なのです。 

■「県民投票」の詐術

この事に関して下地宮古島市長は議会答弁で、署名集めが「辺野古埋め立てに反対か否か」だけである事にふれ、「埋め立てのみの賛否だけでは不十分」とし、「普天間をどうするかを同時に問わなければおかしい」と強調しました。
 

そりゃそうです。 

「辺野古移設」は普天間の危険性の除去のためにした合意に基づいて政府が実行するものですから両者は決定的に不可分ですし、その前提は先の「取り消し訴訟」の判決でも明確になっています。 

一部にはかつての稲田前防衛相発言をもとにして、これを否定する向きもありますが、逆説的にひねり上げた解釈に過ぎず採用出来ません。


署名集めが例えば、「普天間基地を現状維持してでも、辺野古移設に反対か否か」を問うたものであれば見事なものです。
 

しかしそうではないし、そうした「埋め立ての可否」を問うだけの事には意味がないだけではなく、このような幼稚な誤魔化し手段を持ってしても低く設定した目標数に及ばかった事はすでにして「終わった運動だ」と言われても仕方がありません。 

またその落日味はハンパではありません。 

かつての運動側の者として多少の悲しみも憶えつつ、こうなった原因が知事に振り回され、引き伸ばされて来た結果にある、と振り返る事もしない無邪気さも痛いです。

むろん狙いは「県民投票の実現」にあるので運動側としてはこうした誤魔化しの署名集めも一定の前進には違いなく、それなりの意味があると考えての事でしょう。
 

仮に「県民投票」ができたとしても訴訟が待っている 

いちおうそれで首尾よく県民投票の実行まで漕ぎつけたとして、さらにその結果が運動側にとって思わしいものであった、と仮定して考えてみましょう。 

しかしそこからまた無意味な「宣言」以上の、政府による「辺野古断念」という実効性を勝ち取りたならば訴訟で勝たなければなりません。 

険しい道ですが、なんと言っても訴訟に持ち込むような行動に出たのは翁長知事の側なのです。 

また、訴訟による事で問題の解決の方法がそこに収斂されてしまい、結果的に市民的運動の成果に一定の歯止めがかかる意味を見逃してはなりません。

今回の「撤回」は民意とは別の理由によるものなので、「いわゆる民意」をこれからどう訴訟に反映させるかが課題となるところでもあります。
 

そうなると、これからの県民投票での問いかけも訴訟に耐えられるだけの「内容」や「質」、主張との「整合性」が決定的に問われるし、その前段となる「署名集め」での質問も充実したものにする必要がありました。 

今回の訴訟の場でも、再び被害者意識丸出しの歴史観をからめて「泣きすがり戦法」を試みつつ、あたかも「県民一致」の意思表示があったように話を盛るつもりかも知れませんが、「取り消し訴訟」の全面敗北があり、名護市長選を経過した現在では全く通用しません。 

くわえて切迫した我が国の外交事情は、国民一般的な意識の変化をともなって従来の対沖縄観にも大きな影響を与えています。

あるいは理論上、「撤回」は理由毎に何回でも出来ると考えられ、「いわゆる民意」を理由とした惨めで違法な「撤回」を別に重ねて行う腹づもりかも知れませんが、その要点もまた同じです。
 

たとえば県民投票での問いかけに関して言えば、「判例に則して国に対する損害賠償予定額として、あらかじめ500億円程度の県費を供託することに同意する」などの事項を付してあれば裁判で有利に働くことも有り得ます。 

しかし、それでは県当局や翁長知事が県民に発信して来た論理とは矛盾を来たしますし、そんなものに県民は決して同意しないでしょう。 

いずれにしても結果は針の穴を通す以上に難しいでしょうが、あのような署名集めも針の穴を作る程度の意味にはなるのかも知れません。

 

                                                                                          (続く)

 

 

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コメント

日本政府と沖縄の関係は、北朝鮮とアメリカの関係に似ています。譲歩すればもっと寄越せと言う。強く出れば沖縄差別と言う。本来日本政府と沖縄県が対等であるはずもありません。それを対等であるがごとく振る舞う。無礼です。それは甘えにしか見えません。

投稿: karakuchi | 2018年8月 7日 (火) 22時13分

いわゆる条件闘争だと思うのです。
ただ、そこに特定の思想や利権を持つ人たちが入り込むと、条件が、天皇制廃止だったり、在日特権、同和問題、反原発だったりします。その人たちは日本中の闘争に入り込んできます。古くは国鉄民営化や成田闘争など。
九州Ⅿさんが書いてるように、会社と労働組合は確かになれ合いです。ただ特定の人達が入り込んだ時代の労働争議は酷かった。倒産する企業も多かった。企業も労働組合もその反省から徹底的に特定団体を排除しました。沖縄の反基地闘争の失敗は、そのような反(恨)社会的団体に取り込まれたことです。翁長知事も内心はこんなはずではなかったと思っているのでしょう。

投稿: karakuchi | 2018年8月 7日 (火) 22時54分

先日、県民投票の実現を訴える若者の活動をNHKローカルニュースが伝えてました。それにとりあげられてた一人の若者は政治には興味なかったのが、どっかの東南アジアの方に「自分達の海が埋められるのになんで抵抗しないの?」と言われたことに目覚めたのだとか。

まあ、自分の若い時を考えても(太田知事支持者でした)純粋なんでしょうが、あなた方が多分楽しんでる宜野湾とか北谷とか埋め立て地だよ、新都心もライカムも米軍施設でしたとか、新那覇空港とか埋め立ての規模が違うよとか、考えもつかないんみたいなんですよね。沖縄が自身の利益のために埋め立てを散々してて、それが役に立ってないところが既にあるわけですけどね。そんなことは「海外の人」は知らないわけで。特定の勢力に変な情報を入れられてるかもしれませんね。

特に「おじさん」が強力してくれないとぼやいてました。我々おじさんもネットで情報を共有する時代なのだよ。君達世代に禍根を残さないように何とかしたいと思ってんだよ。なんで同世代に共感が得られないのか考えたみたらどうか。既存のマスメディアがわかってんのか、わかってないふりしてんのか。

投稿: クラッシャー | 2018年8月 8日 (水) 01時23分

クラッシャーさん。NHKはいまでもこの古典的印象報道を使っているのかとため息が出ました。
若くナイーブで善意溢れる若者が、外国人、あるいは戦争経験のある老人から戦争の醜さを教えられ覚醒し、運動に参加するってパターンです。
これは使い回しのきくドラ焼きみたいなもんで、おおよそなんにでも使える便利なツールです。

キイワードは「子供」と「外国人」です。
子供は純粋な魂の象徴、外国人は客観的な権威の象徴です。
NHKは「こんなピュアな人が外国人に諭されて基地反対運動に加わっているんですよ」と言いたいわけです。

移転問題、安保法制、特定秘密、改憲、なんでもありですから、シールズなんてこういう「純粋で善意の青年たち」の集合体に見えたから、70年安保世代のジジババにもてはやされたのです。

NHKや朝日は、いまでも彼らのツボにハマった人物(往々にして若い人ですが)をつごうよく探し出して美談化するわけですが(だいたいが運動家の紹介です)、よく飽きずにいまもヤってるよなと思います。

私たちの頃には、「中国の青年に日本の醜さを教えられた青年」とか、「ベトナム戦争に協力している日本をベトナム青年に教えられた若者」なんかがゴロゴロしていました。

移転問題でも、東南アジアで移転問題に関心持っている人なんか極小派の活動家だけ。
それも日本の活動家の口移しにすぎない知識しかありませんし、その日本の活動家からして不勉強なのはご承知のとおりです。

歴史経過や社会背景も知らないで「キレイな海を埋めて米軍基地を作る」ていどの浅薄な知識を言っているだけです。
それで「目覚める」ほうも目覚めるほうです。

そしてなにより、そういう未熟な若者を後生大事に祭り上げて美談みたいに報じるNHKの、視聴者を騙されやすい愚民と思っている姿勢がたまりません。

投稿: 管理人 | 2018年8月 8日 (水) 07時55分

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