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2018年8月

2018年8月31日 (金)

北朝鮮非核化の兆候なし

031

東アジアが既に融和プロセスに入ったから米軍基地はいらない、とでもいうような認識が玉城陣営にあります。 

これは翁長氏から引き継いだものですが、東アジア情勢と関連づけて「国境の島」を考える姿勢がまったくありません。 

沖縄と本土政府しか視野にない姿勢で、沖縄がアジアのどこにあるのか、どのような時期に生きているのか考えないから困ります。

沖縄は宇宙空間にあるんじゃないのですよ。

さて、その北朝鮮がポンペオ国務長官に挑発的な書簡を送りつけてきたようで、ポンペオは北朝鮮訪問をキャンセルしました。 

「北朝鮮の高官が米国務省のポンペオ長官に宛てた書簡の中で、非核化に向けた交渉について、「再び危機にさらされ、決裂の可能性がある」と警告したことがわかった。この問題に詳しい複数の関係者がCNNに明らかにした。
ポンペオ長官は4回目の訪朝を予定していたが、24日の出発直前になって急きょ、訪問を取りやめていた。
書簡は北朝鮮の情報機関トップだった金英哲(キムヨンチョル)朝鮮労働党副委員長から、ポンペオ長官宛てに届けられた。
非核化に関する北朝鮮の立場に詳しい3人の関係者によると、この中で北朝鮮側は「平和条約締結に向けた前進という点において、米国はまだ(北朝鮮の)期待に応える用意ができていない」と述べ、それを理由に、非核化に向けたプロセスを進展させることはできないと記していた」(CNN8月12日)

書簡以外にも、北外務省報道官は7月7日の談話で、「我々の非核化への揺るぎない意思が揺らぎかねない」なんて放言して、まるでオレたちは非核化したくてたまらないのに、それを妨げているのは米国だ、といわんばかりです。 

たいした鉄面皮ぶりです。 

Photo_2スプートニクhttps://jp.sputniknews.com/opinion/201808295278763/

ポンペオの訪朝キャンセル自体は当然です。そもそも米国の国務長官が出向いて正恩と会談するという姿勢自体が問題なのです。 

外交は数百年に及ぶ慣習の集積の上に成り立っていますから、厳密なプロトコルがあります。会談のカウンターパートは同格でなければなりません。 

国務長官ならば相手はあくまでも外交部長(外務大臣)、ないしはそれに準じる地位の者であって、北の元首格と会談するということは、米国の格を自ら貶めかねないことです。 

米国も百も承知なのでしょうが、なにぶん正恩にすべての決定権限が集中しているために、彼を動かさないとという気分が先に立ってしまっています。 

よくないですね。中間選挙までになんらかの結果を出したいトランプの焦りのようなものを感じます。 

北はそのような「気分」に敏感に感じ取ったのか、非核化が進まないのは、「お前らが平和条約を締結する努力を怠っているからだ」という揺さぶりをかけてきました。 

一説では、6月の会談でトランプが平和条約について前向きな言質を与えそうになって、あわててスタッフに(おそらくボルトンだと思われますが)、止められたという噂もありますが、ほんとうのところは不明です。 

簡単に言えば、平和条約は非核化のための餌です。非核化という課題をクリアしたら、ご褒美に平和条約を結んであげよう、よかったねという流れです。 

同時でもありません。北は核について口からでまかせを言い続けた常習犯ですから、非核化が完全かつ検証可能で不可逆的にされたという確証があがるまで、ご褒美はお預けなのはあたりまえです。 

では北がシンガポール合意後になんか非核化を実現する努力をしたかといえば、ゼロです。 

「国際原子力機関(IAEA)は20日公表の報告書で、北朝鮮が核開発活動を停止した兆候は一切みられないとの認識を明らかにした」(ロイター 8月22日) 

米国38ノースが公開した衛星写真です。 

Photo
38ノースの説明だと、「北朝鮮の寧辺核施設での冷却水ポンプの改修」だそうです。
https://www.38north.org/2018/06/yongbyon062618/ 

本気で非核化をする気なら、いまさら核物質製造プラントの改修などするはずがありません。 

北は、一歩退けば一歩前に出る、一歩前に出れば一歩退く、拮抗していたらかき回すという人民戦争戦略を踏襲しています。 

北の認識では、米国が一歩退いたと見ているようです。 

もちろん米国は現状で平和条約を締結することなど、正恩とムンジェインが泣こうが喚こうがすることはありえません。

というか、物理的にも不可能です。

「朝鮮戦争を終息させた休戦協定に代わる平和条約の締結に応じる意向を示していない。平和条約を締結するためには米上院の3分の2の承認を必要とする」(CNN前掲)

議会民主党はトランプの北対応を軟弱な融和政策だ、米国外交の原則に反するとして厳しく批判していますから、議会3分の2の承認は得られる道理がありません。 

現状では、北は米国の瀬踏みをしている状況ですが、調子に乗って核開発を公然と進めたり、弾道ミサイル実権をただの一回でもしたなら、交渉は決裂し軍事オプションの発動となります。 

常識的には11月6日の中間選挙まで軍事攻撃の可能性は低いと思われますが、なにぶん相手はトランプです。 

中間選挙必勝戦略として北の核施設の空爆という手段を取る可能性も捨てきれません。 

その場合、軟弱ぶりを批判してきた民主党も賛意を示さざるを得なくなりますから、トランプにとって選挙対策上も有利だという判断もありえます。 

正恩にとっての唯一の頼みの綱は中国ですが、米中貿易戦争の真っ最中ですから、今、習のほうから「北への攻撃は止めてくれ」と言えば、ならば「米国に対する報復関税をするな。もちろん北を説得して非核化させるのはお前の責任だ」ということになります。 

中国としても動くに動けない時期というわけです。 

ですから、このまま北がこのようなふざけた対応を続けるならば、11月6日の中間選挙まで北への軍事攻撃があるのかないのかはまったく不透明な状況となりました。

ましてやそれ以降は、大いにあり得ると考えたほうがいいかと思います。 

私は過去ログをお読みいただければ分かるように、一貫して去年一昨年の軍事攻撃はないと述べてきましたが、ここにきてその可能性は高まったと考えます。

マティスは、後にトランプに否定されましたが「米韓合同軍事演習を停止している理由はない」と発言しています。

それにしても、緊迫の度合いを増すこの時期に、「知事になったら辺野古に妻と座り込む」なんて運動家まがいのことを言うような知事にはなって欲しくはないものです。 

 

 

 
 

2018年8月30日 (木)

次の知事は置き忘れられた民政に集中してほしい

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デニー氏が正式出馬しました。

「玉城デニー氏が29日午後4時過ぎ、沖縄県知事選に出馬することを正式に表明した。玉城氏は会見で「翁長前知事の遺志を引き継ぐ」とし「辺野古新基地建設を阻止します」と語った」

Photo
やれやれ、小澤氏は沖縄知事選に、強引に反安倍野党連合の構図を持ち込むことに成功したようです。 

地方政治には、地方なりの独自のテーマがあるはずです。 

知事はあくまでも県の行政官、国会議員のように地域代表を中央に送り出すのとは次元が違うのです。 

前回の知事選で、移転問題という国政マターを地方政治の判断の唯一のものとしてしまった結果どうなりましたか。 

翁長氏という政治家は、元来経済が苦手なのが弱点でした。 

国から落ちてくる利権を、うまく配分することが県の政治家の仕事程度に思っていた人だから、自分の頭で県経済浮揚策を考えていなかったからです。 

辺野古移設問題も、推進する立場にいたかと思えば、稲嶺知事に「10年後返還して民間空港とする」なんて妥協案の知恵をつけていました。 

く言って上げれば翁長氏は融通無下。実体は定見なしの人でした。

だから翁長氏は、保守政治家にもかかわらず県内の民政についてしっかりとしたプランは持ち合わせておらず、彼の経済政策は仲井真氏の丸写しにすぎませんでした。 

それすらも選挙用ですから、元来やる気がまったくないし、鉄道敷設なんていう大きなプランはやる気もなければその力もなかったのです。 

結局、翁長県政は4年間にわたって「辺野古移設阻止」一色、ただそれだけで、これでは反基地運動家と一緒です。 

ですから、県の空路インフラの最重要課題だった那覇第2滑走路建設さえ、移設問題のネタに使って恬として恥なかったわけです。

国全体の景気がいいから済んだようなものですが、県には民政分野でやるべきことは山積みしていたはずです。 

次の知事は、どちらがなるにしても、この置き忘れられた民政にがむしゃらに取り組んで貰わねば困ります。

デニー氏は初めから辺野古移設阻止のワンイッシュだけでやるようなことを言っていますが、いかがなものでしょうか。

彼が当選した場合、丸々8年反基地オンリーなってしまいますよ。

小澤氏が首を突っ込んで改めて思うのですが、国会議員は与党野党を問わず、少し口をつぐんだほうがいい。 

彼らが呼ばれもしないのにしゃしゃり出て、県政だか国政だかわからないような構図を作るのは、決して県民の利益になりません。 

その意味で、「オール沖縄」の口癖である「沖縄のことは沖縄で決める」ということは正しいのです。 

ただし、そういうカッコイイ台詞は、本土政府に寄り掛かっている体質を改めてから言っていただきたいというだけのことです。 

まして今回、小澤氏を県知事選候補者擁立に介入させてしまったことで、当分の間こんな「沖縄自決論」もどきのことは言えなくなったはずです。 

自分の陣営の候補者ひとり沖縄独自で決められないようなていたらくで、「沖縄のことは沖縄で決める」じゃしまらないじゃありませんか。 

そもそも、「オール沖縄」陣営は独自候補すら立てられなかった。「第2の翁長」などいなかったのです。

だから「遺言」なんていう独裁国家もどきのものを苦し紛れで持ち出したわけです。 

コメントにもありましたが、謝花副知事の言い分の転変ぶりを聞くと、いかにテーゲーなものかわかります。 

新里氏がいきなり遺言テープがあると言い出して、それまで俎上に登ってもいなかったデニー氏をクローズアップさせたのは8月18日のことです。 

そしてドタバタと「遺言」に基づいてデニー氏に決めてしまうのですから、とんだ茶番です。

決め方も茶番でしたが、「遺言」も茶番でした。 

それを裏付けるように、もうひとり「遺言」を聞いたという謝花副知事は、「あれは世間話のようなもので、後継指名とは思わなかった」と発言します。 

ありゃりゃ、「遺言」でもなんでもなかったのね。

チャンチャンでここで遺言話を打ち切って、まともな選考を再開すればよさそうなものなのに、それをせずに邁進しちゃったわけですから、なんともかとも。 

いかに人材が払底していたかわかります。せめて城間那覇市長でも泣き落とせばよかったのに。

デニー氏一本化の同調圧力がギシギシと高まる中で、とうとう謝花氏も「いや、聞いた」と前言撤回。

謝花氏が反対派から承認撤回を迫られての苦肉の策だという見立てもありますが、真相はわかりません。 

どっちでもいいですが、「遺言テープ」があるならあるで、メディアに公開すればいいだけのことです。

いやしくも一県の最高権力者の候補者を決めた唯一の根拠なんですから、いつまでも仏壇に隠しておくもんでもないでしょうに。

ここまで出し渋るというのは、まぁ常識的にはなかったんでしょうね、そんなもの。 

たぶん翁長氏が雑談まじりで、「あえて言えば呉屋かデニーかな」と言ったていどのニュアンスの話です。 

決して後継を託すなんていう重々しいもんじゃなかったのは、ほぼ確実です。

違うレッキとした「遺言」だったと言い張るんだったらそれはそれでいいから、早く聞かせなさい。 

それはさておき、もしデニー氏が当選したなら「遺言」で決められた全国都道府県知事唯一の知事というかなり恥ずかしい存在となります。 

そして、軽いデニー氏は、歓喜半分、恐怖半分で小澤親分に抱きついて判断を求めたのですから、しまらない。 

死ぬまで油こいのがお好きな小澤親分は、厳しい厳しいといいながら国政でまた「オール沖縄全国版」作って、それを仕切ることでいまやゼロに等しい政治的影響力を盛り返そうと考えたのでしょう。 

こんな前例を作ってしまうと、デニー県政は、小澤氏の強い影響下におかれかねないことになりますが、「オール沖縄」が年中口癖にしている「沖縄のことは沖縄で決める」ということはどうなるのでしょうか。 

ま、乗る野党のほうも野党です。 

デニー氏の正統性の唯一の根拠である「遺言テープ」の秘密がバレたら、一緒にチュドーンですが、本土の野党さん、その覚悟はおありかな。

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蛇足ですが、関西生コンという日本一過激な労組に司直の手が伸びました。

上の写真でどうみても善人には見えない武委員長の恐喝罪容疑ですが、まだまだ余罪はあるでしょう。

この関西生コンが、沖縄の辺野古に常駐者を派遣しているほど深入りしていたこと知られた事実です。

森友事件の背後にもうごめいていたという情報もあります。

現時点ではどのように政界や沖縄の反基地運動と関わっているのか分かりませんが、注目しましょう。

※改題しました。

 

2018年8月29日 (水)

小澤氏、玉城デニーを一人前扱いしていないことをバラす

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デニー氏の最終回答はきょうですが、「気持ちが固まった」そうです。

まぁ、素直に「翁長知事の指名がボクですかぁ。光栄だなぁ」なんて言っちゃったら断るほうが勇気がいることでしょう。 

仮に、小澤氏が金秀・呉屋氏から色好い返事を貰えたとしても、同志であったかりゆし・平良氏と彼は今や反目する関係ですから、かつてのパワーはありません。 

糸数氏や赤松氏が候補にならなかったのをみれば、派閥間のきしみは大きいようです。 

持ち上げる御輿担ぎはてんでんばらばら、乗るデニーさんは乗るかのらないか「保護者」に家庭訪問してもらっているありさまです。 


小澤氏が訪沖したことで、左翼の皆さんは妙に嬉しげにホっとしたなんて言っているようですが、おいおいご冗談を。 

あんなことをしたら、デニーさんがまともな政治家ならメンツ丸潰れでしょうが。

メンツなんて書くと、何を封建的なという人がいますが、面子とは政治家としての適格性のことです。

政治家の命は、カネとジバン。それを最もよく知っているのが小澤氏のはずです。

その彼から見るとデニーなんて、選挙区ならまだしも知事となると、まともな情勢判断が自分でできるような一人前の政治家ではないと言っているわけです。 

一人前の候補者なら、自分の足でてくてく歩いて支持を取り付けるか、「オール沖縄」の幹部連中を全員集めて、「オレを調整会議で選んだ以上、一丸となって支援するのかしないのか。しないなら降りるゾ」とタンカのひとつも切るべきでした。 

彼しかいない以上、「オール沖縄」はうんと言うしかないのですからね。

ところで小澤氏には、オールド自民党・田中派特有の流儀が色濃く残っています。

なんといっても派閥(おっと、失礼。自由党って今は言ってたんでしたっけね)のボスが、デニーさんより上位の決定権者なのです。 

小澤氏としては、本来なら派閥ボスたる自分が集金してきたカネを配りたいところでしょうが、あいにく今の尾羽うち枯らした小澤氏にはそんな集金力は消え失せています。 

だから金秀詣でをするというわけですが、かつての小澤氏の傲岸不遜、傍らに人なきが如しを絵で描いたような姿を知っているだけに惨めです。

しゃべった内容は、下記の記事のような内容でしょう。

「4年前の知事選は、翁長氏の人柄と手腕への期待で圧勝できた。今回の知事選は、微妙に安倍政権に影響を与えるというのは皆さんも認めるところだろう。
だから、自民党は必死になって、あらゆる手段を講じてくる。単に『弔い合戦』という雰囲気だけでは勝てない」と指摘。弔い選挙という性格上、翁長氏に後継“指名”された玉城氏に有利との声もある楽観論を、強く戒めた」(日刊スポーツ8月24日)

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かつて「選挙の神様」と謳われた時期があるだけに、拝聴する側は内心いつも同じことをと思いながらも、口では調子を合わせたんでしょう。

結局、危機を鳴らした後に続くことは、「雰囲気だけでは勝てないからカネを出せ、ヒトを出せ」といういつものセリフです。

それにしもデニー氏さんは、どうせ引き受けるなら冒頭から受諾しますとやって、あとから小澤氏に裏工作をしてもらうほうがよほどましでした。

といっても、旧民主党系諸雑派はかつての鳩山チャブ台返しを、もう一回チャブ台返しした前歴がありますし、小澤氏が野党連合の夢よもう一度を狙っているのは見え見えですから、総論賛成各論なしといったところでしょう。

ウェルカムなのは社民党ていどです。まぁ、といっても現地には山城氏たちがいますから、小澤氏が動かなくても、社民は乗ります。

しかし、いかんせん実力があまりにも・・・。

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とまれ、小澤氏が「保護者」然として飛び出して支援回りしちゃった以上、もうデニーさんは退路を断たれました。

もうエイヤっと知事選に飛び込むしかありません。

それにしてもこのような形で、小澤氏を引っ張りだして借りを作ってしまうと、仮にデニーさんが知事になっても小澤氏が院政よろしく県政に介入してくることでしょう。

おお、ぞっとする。 

一方、佐喜真氏が知事選に回ったために、松川正則副市長を擁立して、宜野湾市長選と同日実施ということになります。 

これは自民県連が万が一宜野湾市長選を落とした場合、知事選もドミノ倒しになることを配慮したとのことです。 

例によって自民県連の気弱なことです。 

また、松川氏は佐喜真市政を継承し、「政府が名護市辺野古への移設を計画する米軍普天間飛行場(宜野湾市)の早期の危険性除去を目指す考えも強調した」(産経8月12日)そうですから、自民県連は、知事選・宜野湾市長選共に移設問題を封印してしまうおつもりと見えます。 

不人気なことは言わない、くずぐずと既成事実を積み重ねていく戦法のようで、いつまでこんなことをやっているのかとも思います。

玉城陣営が移設問題のトーンをぼやかして、支持政党なし層に訴えたらきついですよ。

選挙戦術としてならともかく、国の安全保障政策の正面玄関の位置にある沖縄県にとって、いつまでも通用するとは思えません。 

 

 

2018年8月28日 (火)

前世紀の怨霊・小澤一郎氏の登場

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小澤一郎氏という前世紀の遺物が、「島の選挙」に顔を出しました。 

勘弁してください。真夏の幽霊だ。 

この小澤という人物は、旧田中派・旧経世会で沖縄利権の中枢にいたひとりです。この派閥は沖縄と特別な関係を結んでいる派閥です。 

私の選挙区に額賀福志郎氏という、旧竹下派の重鎮がいます。私も地縁絡みで後援会に入っています。 

後援会のオヤジが言うには、 

「額賀先生はえらい。だって先生が防衛庁長官だった時に、沖縄から産婦人科医が足りない、本土から医者を送ってくれ、という訴えが電話できたんだ。
すると先生は、間髪を入れず防衛医大に声をかけて沖縄に医者を派遣したんだよね。温かくて頼りになる政治家だよ」
 

私も額賀氏が「頼りになる政治家だ」ということに異論はありませんが、ちょっと待てよ、これは美談なのでしょうか。 

その時期に、額賀氏の地元の選挙区であるわが村は無医村じゃなかったんでしたっけ。 

私を可愛がってくれた御老人も、遠くの病院に連れていく間に死にました。本土でもそんな地域は山間部にはゴマンとあります。 

わが地域にJA系の総合病院が出来た時には、本当に嬉しかった記憶があります。 

内科ですらそうですから、産婦人科専門医など夢のまた夢。

しかし、地元を放っておいても、旧竹下派にはこと沖縄となると、地元の選挙区が無医村であろうとなかろうと、防衛医大を動かしてしまう性格があるわけです。 

なぜでしょうか。当時防衛庁長官だった額賀氏は守屋次官と共に、普天間移設に心血を注いでいたからです。 

「辺野古に新基地を押しつけた」という言い方を、よく沖縄の反基地運動家は無検証に言いますが、とんでもない。 

この辺野古にある米兵相手の歓楽街・アップルタウンは、地元がシュワブ基地を誘致した時に出来ました。そんなことはこの街で生まれた玉城氏ならよくご存じのはずですが。

少し移設の歴史を調べれば分かりますが、辺野古に移転先が着地したのは20を超える代替案がオビに短したすきに長しだったからにすぎません。

消去法で辺野古にしか残らなかったからです。 

また心ならずも、海を埋め立てる海上案になってしまったのは、沖縄の建築業界がそれを望んだからです。

短い上に二本もある滑走路は、その向きひとつさえ名護市と散々アーでもないコーでもないといじり回して、結局ああなったのです。 

本土政府は「押しつける」どころか、地元沖縄の要求を丸飲みしたから、あんなヘンな形になったのです。 

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この17年にも及ぶ無為な時間の間に、野中元幹事長などは足しげく沖縄通いし、沖縄の宣撫工作のようなことをしていました。 

故翁長氏はペーペーの県議だった頃に、中央政界の大物に声をかけられた感激を何度も口にしていたそうです。 

野中氏たち旧竹下派の政治家は、移転など本気でする気などなかったのです。 

地元の意見を丁寧に聞くそぶりを続けることで、半永久的にペンディングにしておけば用は済みました。 

そうすれば、本土政府は沖縄を国策の重点課題を握っている地域として、まるで腫れ物に触るように扱い続けます。 

この旧竹下派が中央政界を牛耳っている時期に、沖縄の振興予算はただのカンフル剤ではなく、もはや沖縄にとってなくてはならないものとして固定化していくことになります。 

それは、基地と振興予算を一体のものとして、本土政府が沖縄に持ち込んだからで、当然受け手の沖縄政財界にもそれをあたりまえとする空気が作られてしまいました。 

このような旧竹下派の沖縄との癒着関係は、中国ODAに似て振興予算をつかみ金としてバラまくほどに、本土と沖縄の政界の堅牢な利権構造を作っていったわけです。 

沖縄県庁の役人は、本土政府の担当官にこの振興予算を何に使うのかと問われて、「そんなことはあんたらが考えなさいよ」とうそぶいたそうです。 

いかに沖縄県が、振興予算にあぐらをかいていたのかが分かる話です。

そして沖縄は他県に見られない公共建築物展示場のようになり、社会インフラはこれ以上やることがなくなるほど整備されたわけです。 

ただしそれで県民が豊かになったかどうかは、また別の話です。 

Photo
こんな構造を作ったのが旧竹下派で、その大幹部が小澤氏でした。 

玉城デニー氏はボスの小澤氏をこう評しています。 

「保革を乗り越えてイデオロギーは腹八分、六分にして取り組もうと。保守の政治家でこんなことを言う人は、小沢一郎以外に聞いたことがない」
(アエラ8月24日)
https://dot.asahi.com/aera/2018082400035.html?page=1

何を言っているんだか。

「保革を乗り越える」もなにも、「イデオロギー6分」だかなんだか知らないが、小澤氏や翁長氏はそもそも初めから保守の理念などかけらもない御仁です。 

両人ともに共通するのは、権力の座に着くことこそが至上命題ということです。

小澤氏は、師の田中角栄からきめ細かい気配りは受け継がず、異常な権力欲の強さだけを引き継ぎました。

彼らにとって政策などは二の次三の次、 理念などは四つがなくて番外です。

小澤氏が考えていることは、いかなる手段を用いても現政権を倒し、自分はそのプロデューサー兼ディレクターとして権力の一角に食い込み、かつてのようなキングメーカーに復活したい、ていどのことです。 

イデオロギーなんぞ「腹6分」どころか初めからそんな上等なものはないのであって、その場その場の方便にすぎません。 

でなければ、自民党幹事長にして改憲タカ派から、一転して民主党党首、さらにはそこも追い出されて極左政党まがいの泡沫政党に転がり落ちるなんていう無節操な転向はできません。

ちなみちミニ小澤の翁長氏も似た下劣極まる裏切りを働きましたが、どういう風向きか、いまは「島の義人」として神社のひとつもできそうな人気です。 

それはさてとき、おそらく小澤氏が沖縄に来たという理由は、デニー氏を使って野党の反安倍統一戦線を作れないかと算段しているのでしょう。 

小澤氏は、沖縄での記者会見で、「雰囲気では勝てない」と言って、金秀の呉屋氏と面談しました。 

理由はシンプルです。呉屋氏以外に今の四分五裂の「オール沖縄」陣営をまとめる力量がある人物はいないからです。 

先日述べたように、デニー氏を擁立要請する前の「オール沖縄」は、形骸として残っているに過ぎず事実上解体局面にありました。 

呉屋・平良氏などの経済人と「おきなわ」会派が脱退したからです。 

これで金秀+「おきなわ」VS社民・社大VS共産という三分裂が決定的になりました。 

Photo_2産経8月24日 

調整会議で鳩首協議しても決定的候補者が出なかったのは、ひとえにどの派閥の候補が出ても、他派閥が支持できないからです。

候補に上がって、当人も受諾したにもかかわらず、「おきなわ」会派の赤嶺氏がボツになったのは、他派閥がお前に知事の椅子やれるかよ、と言ったからです。

これでは絶対に決まりません。

この三極構造から自由に見える玉城氏の名が「遺言」とらで登場するや、「密室政治」なんてどこ吹く風とばかりに飛びついたのは、別にデニー氏の才腕を嘱望したわけでもなく、ただの派閥力学の産物にすぎないのです。 

一方、言われたほうのデニー氏当人は、「このボクがですかぁ」と素直に狂喜してしまい、「光栄です」と早々と受託まがいのことを叫んでしまったというのですから、お粗末です。

これでこの人は、沖縄政局にまったくの無知の素人政治家にすぎないことが分かります。 

相談を受けた小澤ボスは、勝てない選挙はしないという主義ですから(といっても年中負けていますが)、舞い上がるデニー氏に「選挙はカネと人で動くんだ、それを確認してから受諾しろ」と諭したのでしょうな。 

それが後にデニー氏が言い出す、「保革が揃って応援してくれること」という条件です。

これはいうまでもなく、小澤氏が提唱し続けている沖縄版「オリーブの樹」である「オール沖縄」を再建しろという意味です。

小澤氏の腹は野党連合の原型だった「オール沖縄」を再建し、自派の玉城氏をその中心人物に据えることで、また政局のキイマンに返り咲きたいという一心です。 

具体的には、3派閥が揃ってデニー氏にカネとヒトを出せということですが、受諾を断れば、「オール沖縄」には立候補者がいなくなり、不戦敗という事態になりかねません。 

もうなんでも聞きます、聞きたいのですが、苦しい事情はご承知のとおりでして・・・、というところでしょう。 

金秀に至っては、政治家よりはるかにナイーブではありませんから、デニー氏はもとより訪れた小澤氏にも条件を色々つけたのでしょうね。 

デニー氏は支持するが、こんどの選挙はかつての翁長氏を出した時とは状況がまったく異なるから、金秀としては精神的応援しかできない、といったところでしょうか。 

デニー氏が約束した29日は明日ですが、さて、どうなりますでしょうか、お楽しみ。

 

 

 

 

2018年8月27日 (月)

楽勝モードなどもってのほかです

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今回の沖縄知事選における革新陣営の「遺言」劇をめぐるドタバタぶりと、擁立されたのが玉城デニー氏だったことで、早くも楽勝ムードが漂っているようです。 

とんでもない勘違いです。なにを楽観しているのでしょう。 

沖縄保守系と革新系は、両者共にほぼ26万票あたりを鉄板の基礎票として均衡しています。 やや革新票のほうが多いかもしれません。

したがって県知事選で勝つにはどれだけ中間層を獲得するかが戦いの正念場となります。 

前回の知事選の得票数です。 

●沖縄県知事選開票結果
当360,820 翁長 雄志 無新
 261,076 仲井真弘多 無現
  69,447 下地 幹郎 無新
   7,821 喜納 昌吉 無新
 

今回はこれに前回翁長陣営に走った公明沖縄が保守陣営に戻り、下地氏の維新も加わると見られるために、うまくいって僅差、気を抜けばまたもや惨敗する可能性もあります。 

沖縄自民はたるみきっていますから、なぜか必ず重要な選挙直前におきる米兵不祥事ひとつでまたもやボロ負けする可能性もあります。 

Photo_2アエラ8月24日 

さて先日述べたように、玉城氏には「御輿は軽くて」という側面もありますが、それだけで見ると見誤ります。 

本土では玉城氏の影が決して濃いとはいえないために、過小評価しがちですが、沖縄3区では、新鋭の比嘉奈津美氏を寄せつけない強さを発揮しました。 

その理由は、圧倒的知名度です。そして人柄の面白さです。 

米兵の父親は逃げ、片親でトタンぶきの家に育てられました。

「玉城氏が生まれたのは沖縄が米軍統治下だった1959年。米軍基地が集中する沖縄本島中部で育った。父親は、沖縄駐留の米軍人だった、ということしか分からない。玉城氏が物心つく前に、父親の写真や手紙は全て、母親が処分していた。父親のことを根ほり葉ほり尋ねたこともあったが、母親は「もう全部忘れた」としか答えてくれなかった」(アエラ8月24日)
https://dot.asahi.com/aera/2018082400035.html?page=1

片親育ちでハーフの彼に対するいじめは、想像に難しくありません。自らのヒージャミー(米国人)のような風貌は大変なハンディだったはずです。 

英語を教えるべき父親はいず、米国人にもなれない。基地内の米国人のような優雅な暮らしは別世界。 

かといって、ウチナンチュー社会にもすんなりと入れてもらえるわけでもなく、激しくいじめられることも往々にあったと言います。 

そんなアイデンティティの分裂を抱いた成長期だったのでしょう。 

その文脈で、彼が「イデオロギーよりアイデンティティ」というのは納得できます。 

玉城氏は沖縄社会のマージナル(境界域)に育った人物なのです。 

私はこのようなタイプの人物は、政治をなりわいにすべきではないと考えています。 

音楽周辺の世界で生きるべきでした。 

なぜなら、文化は矛盾した自分を矛盾した姿のまま表現することができますが、政治にはそれは許されません。

しかしそれでもなおかつ、自分の言葉で「基地」を語れる希有な沖縄政治家のひとりであることは確かです。

それが彼の強みだからです。 

ただし議員という職業は自己表現ではありません。万単位の県民の代表となることですから、最大公約数的な発言を求められます。 

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言い換えれば、政治家に求められる発言とは、退屈な図式を飽きずに繰り返すことでもあるのです。 

彼が「ブレない政治」と言えば言うほど、形にはまったテンプレートを要求されます。

いわく「移転阻止」「基地のない沖縄を」「オスプレイ反対」・・・。

ましてや「オール沖縄」というガチガチのイデオロギー集団に擁立されれば、どうなるのか考えただけでも気の毒になります。

ところで玉城氏のボスの小澤一郎氏が保護者然として訪沖したそうです。

本来こちらをテーマにするつもりでしたが、玉城さんに深入りして紙数が尽きてしまいました。

こちらは明日にでも。

 

 

2018年8月26日 (日)

日曜写真館 カラスウリの花はレース網

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2018年8月25日 (土)

玉城デニーさんが担がれた理由は

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すったもんだのあげく、結局、玉城デニーさんは出るそうです。やれやれ。 

「沖縄県議会与党会派や辺野古新基地建設に反対する政党や労組、企業でつくる「調整会議」(議長・照屋大河県議)は衆院議員の玉城デニー氏の知事選擁立を正式に決定し、玉城氏に出馬を要請した。
翁長雄志知事の生前の音声の存在や中身を巡り、与党内に不協和音も生じたが、調整会議として後継候補の出馬要請にこぎ着けた。
玉城氏は26日に出馬を受諾するとみられる。9月13日の告示まで3週間に迫る中、「ようやくスタートライン」(玉城氏)に立つ候補者の支援態勢を今後、どれだけ確立できるかが課題となっている」

(琉球新報8月24日)https://ryukyushimpo.jp/news/entry-789039.html 

2_2八重山毎日8月24日http://www.miyakomainichi.com/2018/08/111785/

琉新さえ「ようやくスタートラインにこぎ着けた」というニュアンスで書いていますから、よほど初めから可もなく不可もない謝花副知事にでもしておけばよかったと、余計な世話ですが思います。 

ではこれで晴れて「オール沖縄」はスタートラインに立てたかといえば、はて、そうかな、と思います。 

この玉城氏が今立っている位置は、本来あるべきスタートラインの後方10mくらいにあるからです。 

このゴタゴタが県民に教えてしまったのは、「オール沖縄」は呉越同舟の泥舟だったという哀しい現実です。 

そんなことは分かっていた、と言わないで下さい。 

薄々そうかなぁと思っているのと、公衆の面前で内紛を起こして沖縄政治の決勝戦に、候補者を送れなくなる寸前になってしまったことには、一光年くらいの差があるはずです。 

ちょっと前の県民集会の光景を思い出して下さい。一斉に趣味が悪いプラカードをザッと掲げる、いやはや某国の太陽節の写真みたいです。 

Photo_2朝日8月12日 

全体主義がお好きな方にはたまらないでしょうが、今どき本土の左翼集会でもこんなマスゲームもどきはやりません。 

それはさておき、主催者の「オール沖縄」がメディアに見せたいイメージがわかります。それは「オレたちは一枚岩だ」ということです。 

そう彼らが大声で叫べば叫ぶほど、その内実はかけ離れていることが透けて見えます。 

それは直後の沖縄政治の決勝戦とでも言うべき知事選候補者選びで、はしなくも暴露されてしまいました。 

そもそも玉城さんは候補者に入っていなかったんですから、どうして降って湧いたように彼になったのでしょうか。 

当初名前が上がったのは、翁長氏の下で移転問題対応をしていた謝花・富川両副知事、赤嶺昇県議会副議長、金秀の呉屋氏、そして稲嶺前名護市長などでした。 

あたりまえの選考がなされるなら、この候補者5名の枠から絞られねばなりません。 

そして呉屋氏は固辞し、両副知事は意志表示をしなかったようですから、自動的に赤嶺氏で決まりです。 

これで決まらない理由は、「オール沖縄」が元から共産党、社民党、社大、「おきなわ」、自治労、教組などの寄り合い所帯にありがちな深刻な利害対立を抱えていたからです。 

よく大銀行が合併を繰り返していますが、あんな企業社会でも、「あいつは元なんとか出身だ」なんて足の引っ張りあいをするそうですから、ましてやイデオロギーで作った左翼政党においておやです。

特に高江紛争で暴力沙汰が頻発するにしたがって、それを嫌がる共産党と山城氏などの社民党との路線対立は深刻なものとなりました。

当時翁長氏が高江問題に関わらなかったのは、公約に入っていなかったこともありますが、この陣営内部の対立に触りたくなかったからです。

それはさておき、翁長氏という人格的象徴を失った「オール沖縄」には、上に立って翁長後継をまとめる器がある政治家が不在です。 

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この決まらない状況がたった1日でひっくり返ったのは、県会議長の新里米吉氏が横槍を入れたからでした。 

この新里氏は、前回翁長氏を誕生させた立役者のひとりです。

「4年前の知事選挙では、保守系の「ひやみかちの会」と、革新系の「うまんちゅの会」がそれぞれ発足し、新里県議が議長を務める調整会議が橋渡し役となり、保革が協力し、知事選を勝利に導いた。この態勢にいかに近づけることができるのかが、正念場となっている」(琉新前掲) 

新里氏は前回知事選の調整会議(こういう名称自体で烏合の衆だとバレますが)の議長でした。 

その彼が、今回の調整会議の最終段階でのチャブ台返しを演じるのですから、皮肉なものです。

いうかいつまでたってもアーでもない、コーでもない、いや違う、このこのくぬくぬばかりで、見ちゃいられなかったんでしょうね。

そこで彼は突如として遺族から渡されたという遺言テープを、御老公の印籠よろしく持ち出しました。

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「ええい、下がれ下がれ。ここにあるのは翁長氏の遺言テープであるゾ。亡き知事は呉屋氏と玉城氏を推薦しておられるぞ」なんて言い出したのですから、一気におかしなことになります。 

デニーさん自身も、えっ、このオレが、てなもんでしょう。

それにしても「遺言」とやらがあるからなんだって言うんでしょうか。

故人の遺志で現世の公職トップを決められるのは、毛沢東や金王朝くらいなものです。 今の中国ですら決まりません。

沖縄県は江戸時代やってるのかと、思います。 

公人を選ぶ陣営会議で、候補者外の人物がなんの手続きも踏まずにいきなり一本化されてしまうことは絶対にありえません。 

それはしんどくても、ルールに則った手続きと合意を踏んでいくという民主主義のルールに背くからです。 

しかも「聞いたのはオレだけて、公開はできない」というのですから、話にもなりません。 

なんならあの世の翁長氏をユタさんにでも呼び出してもらうほうが、よほどましです。 

百歩譲って、故人が名を上げていた玉城氏も選考に加えてくれんかのう、ていどならありえます。 

そして当然大反発が起きました。 

「おきなわ」会派の赤嶺氏は、「なぜ未公開のテープひとつで決まるんだ」と怒り始めました。

至って当然の話で、「オール沖縄」にも多少の自浄作用が残っていたのかとやや感心した記憶があります。 

「当初は選考対象に上がっていなかった玉城氏の擁立へと一気に傾いた流れに、玉城氏に最も近い会派おきなわが疑義を唱えた。新里議長に対し、擁立の根拠となる音声記録を調整会議の中で開示する必要があると要求した。開示されない限り、候補者選考作業を進める「調整会議」への参加を見送る方針を示したが、新里議長は開示を拒否。与党内の不協和音は高まるようにみえた」(琉新前掲)

つまりは、「オール沖縄」の持病である寄り合い所帯病が発病したのです。 

ところが、なんと一転して名が出てもいなかった玉城氏に一本化される流れになります。

「だが、支持者らから強い批判を受けた会派おきなわは「知事選でまとまることが最優先」と23日、記者会見を開き、知事選候補として玉城氏の推薦を発表した。
会見では「デニーさんに対しても反対しているような印象を受けたようなニュアンスがあったので、払(ふっ)拭(しょく)しないといけない」「玉城氏の決意が固いなら、いの一番に推薦を上げていくのが我々の立場。オール沖縄会議からの離脱は一度も話はしていない」と打ち消した」
(琉新前掲)

なんのことはない調整会議離脱を宣言したはずの「おきなわ」会派が、出戻っただけのことです。 なーんだ。褒めて損をしました。

「支持者からの強い批判」と琉新はぼやかして書いていますが、要は「オール」の他派から「この時期に統一と団結を乱すのか」とでも集中攻撃を受けたのでしょう。 

この同調圧力に抗することができずに「おきなわ」と赤嶺氏は頭を下げて出戻り、玉城氏に一本化することに同意したというわけです。チャンチャン。 

玉城氏になぜ一般化されたのか、現時点では分かりませんが、おおよその察しはつきます。 

ひと言で言えば、軽量級だからです。 

人柄がいいというのだけが取り柄で、人気はあるものの特に目立った政治活動もしたことがありません。

「自由党幹事長」なんて肩書はいかにも重厚ですが、泡沫政党・小澤商店の丁稚頭ていどの人です。

スターの山本氏や森氏の派手なパーフォーマンスの陰に隠れた、ひっそりとしたおとなしい人、この程度が玉城氏の本土の国会での印象です。

小澤氏好みの「自由党」なんて由緒正しい名称にするから勘違いするので、「山本太郎と愉快な仲間たち」の数少ない仲間の一人にすぎないジミ~なキャラにすきません。

しかし、なんといっても翁長氏とまともな対話をしたこともないという県政の疎さが魅力です。

え、疎いほうがいいのかって。そうです。そここそが彼が選ばれたポイントなのです。

ちょっと見はハンサム、英語はペラペラそう(実は出来ませんが)で、県政の裏側にはまるっきり無知、しかしタテマエだけはしゃべれるというのが、「オール沖縄」が担ぐにふさわしいように見えるからです。

年中行事よろしく利害対立を起こしている「オール沖縄」を束ねる力量など、初めからあると期待されていません。

主力の共産、社民は顔を見たくもないほど近親憎悪していますが、そこに入れる人物なんかありゃしません。

放っておいて知らん顔をして担がれている人のほうがいいのです。翁長氏もそうでした。

玉城氏の政治の師匠である小澤一郎氏がいみじくも言ったように、「御輿は軽るくてパーがいい」(ホントにホントにこう言ったらしい)ということです。 

なまじ訳知りなら引き受けない、なまじ利口なら政府と真正面から激突などしたがらない、だから県政に無知で軽い「いい人」だけがとりえのデニーさんなのです。

ま、迫られたデニーさんも煮え切りませんので、どう転ぶかわかりませんけどね。

「玉城氏は24日、沖縄市で記者団に「27日に上京し、小沢一郎代表と(出馬の)最終確認をし、28日に(野党)各党にあいさつに行きたい」と語った。このスケジュール通りに進めば、出馬表明は29日になるとみられる」
(時事8月24日) 

デニーさんは「いい人」特有の、押されるといい顔をしてみせ、ふと冷静に我にかえるとビビるようです。

デニーさん、勝てる見込みがないこの勝負、負ければ大借金作りますよ。「オール沖縄」は負けた後まで面倒なんか見てくれやしません。使い捨てです。

そのあとどうするんです。衆院議員の地位を失ってタダの人に逆戻りしますよ。タレントにでもなりますか。

当選したらしたで、こんな我を張る人たちに囲まれて、政治の素人同然のあなたに一体なにができるんでしょうか。

あの沖縄政界の古狸であった翁長氏すら、寿命を縮めたことをお忘れなく。

お止めなさい。皮肉ではなくそう思います。

あー、長々と経過を書いていて、馬鹿馬鹿しくなってきました。

今回のこの候補者選びの騒動をみると、この烏合の衆の集団はそう長くは持たないという気がしてなりません。

 

 

 

2018年8月24日 (金)

「遺言」政治のみっともない結果

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予想どおり迷走していますね。出るのか出ないのか、誰でもいいから早く決めないとタイムアウトになりますよ。 

もちろん翁長氏の「遺言」をめぐってのドタバタから発したみっともないダッチロールです。 

いったん決まったかに見えた玉城デニー氏が、「ワタシ、出馬いたしま」とまで言いかけて、最後の「す」を言い切らないでいます。 

「9月30日投開票の沖縄県知事選に立候補する意向を示している自由党幹事長の玉(たま)城(き)デニー衆院議員(58)は22日、那覇市内で記者団に「まだ、もうちょっといろいろ相談しながら考えないといけない」と述べ、出馬表明を先送りする考えを明らかにした。玉城氏は当初、22日までに最終判断する方針だった」(産経8月22日) 

5fb69195shttp://seikatu-forum.blog.jp/archives/32353213.html

いくつか理由はあるようですが、玉城氏が選対部長を要請していた、頼みの金秀総帥の呉屋氏がむにゃむにゃと言い始めたのです。 

そのへんあたりを沖タイはこう伝えています。 

「呉屋氏は翁長雄志知事が生前に玉城氏と共に後継候補として指名されたが、「経済人として次の県政を支える」と県知事選への出馬を固辞していた。
呉屋氏によると、玉城氏との面談の中で、選対本部長に就くことの打診もあったが断ったといい、「前回とは立場が異なるので、後援会長や顧問という形で玉城氏を支えたい」と話した。
金秀グループは前回の県知事選では名護市辺野古の新基地建設に反対する「オール沖縄」の立場で翁長氏を支援。呉屋氏は選挙対策本部長として、保守・革新をまとめ翁長氏当選に貢献した」(沖タイ8月23日)

呉屋氏は、前回知事選で翁長氏を知事の座に押し上げた最大の功労者のひとりでした。

写真の翁長氏の向かって右でバンザイしているヒゲの人物が呉屋氏です。 

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その恩賞に翁長氏から、MICEなどの利権をもらっています。
関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-b206-1.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-b5cd.html 

野暮を承知でつけ加えますが、「頼み」というのは呉屋氏のカネ、経済界のパイプ、金秀グループ従業員が選挙マシーンとして動いてくれることです。 

翁長氏の選挙マシーンの実体は、共産党と呉屋氏率いる金秀グループによって成り立っていました。 

その呉屋氏が「オレは選対部長はやらんよ。後援会長くらいならしてもいいが」と言われたのですから、玉城さんのショックはいかばかりでしょうか。 

ただし呉屋氏は、支持することは支持すると言っているわけですから、イチかバチかやってみますか。 

では、かつての知事選のようにガッチリとした「オール沖縄」が健在かといえば、県議会会派「おきなわ」が離脱してしまいました。 

これは翁長氏逝去の前から決まっていたことで、会派「おきなわ」は呉屋氏、平良氏などと共に離脱の遺志を明らかにしていたので既定路線です。 

なぜ翁長氏逝去の後になって、引導を渡すことになってしまったのかわかりませんが、おそらく今回の「遺言」テープ騒動がイヤになったのでしょう。 

自派の赤嶺氏が「オール沖縄」の調整会議で候補として上げられていたにもかかわらず(しかも唯一の受諾者でしたが)、正体不明の「遺言」ひとつで潰された怒りもあるかもしれません。

それを伝える琉球新報(8月21日)です。

「沖縄県議会与党の会派おきなわは20日、8日に死去した翁長雄志知事が残した後継に関する音声データに疑義があるとして、音声が開示されるまでは、知事選の人選を進めている調整会議に出席しないことを同会議の照屋大河議長に伝えた」
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-786547.html

あの新里米吉県議会議長が持ち出した、例の「遺言」テープに疑問符がつき始めましたのです。 

Hqdefaultjpg2新里米吉県議会議長(中央)

当然知事候補選びを決定づけた唯一の「物証」ですから、聞かせろと多くの人が要請したのですが、公開を拒んでいますから困ったもんです。

「新里氏は19日の記者会見で、翁長氏が死去する前に後継候補として自由党の玉城デニー衆院議員ら2人の名前を挙げた音声の録音を聴いたと説明していた。これに対し、翁長氏を支持してきた県議会与党会派の一部は、音声データに疑義があるとして公開を求めている。
新里氏は21日、非公開とする理由について「(録音を)持って来た方から『広げないでほしい』という要望がある」と語った。」(日経8月21日)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018082101116&g=pol

その上、後になって謝花副知事までが、「名前は出ていましたよ。しっかりと呉屋さんと、玉城デニーさん。私もしっかりと聞きましたので」なんて口裏合わせをするからかえっておかしくなりました。 

どうやらこの唯一の「物証」には玉城デニー氏だけしか録音されていなかったようで、それも別に「遺言」などというかしこまったものではなく、雑談だったらしいこともバレてしまいました。 

呉屋氏は入っていたが、テープが切れていたなどと言い訳をしていますが、そもそもそんないい加減な「遺言」テープで知事候補を決めること自体がバッカじゃなかろかなのです。

これが仮に虚偽なら県議会議長、副知事は「県政を混乱させた」として揃って枕を並べて辞職ものです。 

といっても9月に負ければ、同じ運命ですがね。

まぁ、こういうていたらくでデニー氏と並べて名を出された呉屋氏がむくれたのかもしれませんね。

それが「いちおうデニーを支持はするが、オレの選挙マシーンは使わせないよ」ということなのかもしれません。

また玉城氏にとって気の毒なことには、呉屋氏と一緒に翁長知事誕生を作り出したかりゆしグループの平良氏も、20日、自主投票にすると宣言しました。

泣きっ面にハチですが、さらに会派「おきなわ」も同じく玉木氏不支持に回りました。
※追記  と思ったら、またひっくり返ってデニー支持だそうです。みっともないにもほどがあります(笑い)。

「おきなわの平良昭一幹事長と赤嶺昇県議は記者団に対し「オール沖縄」勢からの離脱を示唆した上で、開示しなければ、与党が擁立する方針の玉城デニー衆院議員(58)を支援しないことを示唆した」(琉球新報前掲)

このまま推移いすれば、デニー氏がデルーと出馬しても、共産・社民・社大という左翼政党に純化した候補と言うわかりやすい候補となることでしょう。

おもえば翁長氏は、沖縄的左翼と沖縄的保守の微妙な両輪のバランスの上に乗って誕生しました。

自派は新風会と呉屋氏などの沖縄経済界少数派だけでした。

そして右の車輪はドンドンと磨滅し、左に大きく傾いて今や脱輪する寸前でした。その意味で、失礼ながらいい時に亡くなったとは言えます。

当初から翁長氏が意思決定できる部分は極端に狭く、「オスプレイ反対」と「辺野古移設反対」のふたつしか言ってはならないような首長だったので、とうぜんの帰結ではあります。

いま、翁長氏を死せるカリスマのごとく崇めていたり、「遺言」をありがたがっているも、裏返せばいかに「翁長雄志」というキャラに寄りかかって「オール沖縄」が出来上がっていたのかの証なのです。

いわば一代芸であって、継承できる性格のものではないのです。

とてもじゃないが、DJ崩れの軽いデニー氏に「二代目翁長」を襲名できるはずもないじゃありませんか。

とまぁ、こういう「遺言」で知事候補を決めようなんていう愚行をすれば、かくなるという見本です。

 

 

 

2018年8月23日 (木)

「オール沖縄」が隠したいものは左翼臭と本土臭だ

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旧聞になりますが、「オール沖縄」の皆さんの8月11日の県民集会が7万だ、いや違うと口角泡を飛ばしていました。 

どちらでもいいです。そんなことは本質ではありませんから。 

問題なのは、どうしてオール沖縄陣営はすぐバレるような極端な水増しをする体質なのかなのです。 

いちおう検証してみます。産経新聞は3万と試算していますが、サンケイさん甘いよ。
https://www.sankei.com/politics/news/160619/plt1606190029-n1.html 

私はおそらくよくて9千、主催者発表「10分の1法則」を適用するなら厳しく見て7千。

たぶん7千から1万いたらジョウトーじゃなかったんでしょうか。 

そもそも奥武山陸上競技場の芝スタンドは、9千人しか入りません。 

これは競技場公式サイトにも明記されているんですから、いきなり満杯時の7倍近く詰め込んだと主張するのはいかがなものでしょうか。
陸上競技場 | 奥武山公園 沖縄県立武道館 (公式サイト) 

これが主催者側の写真だと、こんなかんじです。 

超広角レンズの魔力です。奥行きが異常に強調され、はるか彼方まで人がひしめいている錯覚を起こします。 

写真をやった人ならすぐわかるように、実際の人の眼にはこのようには写りません。 

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 当日の上空写真と見比べてみましょう。航空写真は思い切り引いて撮れていますから、現実がわかります。 

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陸上競技場のトラックの内側(インフィールド)だけにしか集会参加者はいないのがわかりますね。

これで9千ですが、インフィールドさえかなり空席が見えます。たぶんもっと少ないでしょう。 

これ以外にも木陰にいて写らなかった人もいたことでしょうから、千人おまけしても1万前後といったところです。 

べつに1万でも「たくさん集まりました」と言ってもウソではありませんから、こんな極端なゲタをはかせる必要はないのです。 

失礼ですが、彼らには「このように見せたい」という弱みのひとつでもあるんでしょうか。 

実は左翼運動家の哀しいさがは、エリマキトカゲよろしく自分らを誇大に見せたい、という願望と、そうしないと運動がポシャルという脅迫神経症です。 

「オール沖縄」の人たちのイメージは、分解するとこんな感じになるでしょうか。 

①翁長氏は辺野古の美しい海を守るために命をかけた義人である。
②翁長氏を殺したのは政府・安倍だ。
③沖縄県民は怒って7万も集まったのだ。
④組織動員に頼らず、県民自らが自然発生的に集まったのだ。
⑤「オール沖縄」は島ぐるみだから、本土の助っ人は来ていない。
 

①と②はあちらサイドから見るとそう見えてしまうという主観ですから、ひとまずいいとしましょう。 

問題なのは客観的に検証できてしまう③~⑤です。 

③に関しては7倍水増し疑惑が濃厚なことは前述したとおりですが、ではなぜそんなゲタを履かせるのかといえば、④に関わってきます。 

「オール沖縄」陣営として見せたい「絵」は、澎湃として沸き上がった「自然な県民の怒り」が反基地に向かっているという構図ですから、組織動員なんかは見せちゃダメ。

必ず未成年の少年少女を舞台に上げて「平和を求める無垢なる叫び」を言わせるのがお約束なのも、同じ心理から発しているのです。

ところが実態は一見さんの人はほとんどいず、自治労、教組、共産党などの玄人さんたちの組織動員が基幹となっているのは、とっくに秘密ともいえない事実です。 

彼ら組織動員には、一定額の動員費が支給されていることも、労組体験をしたことがあればよく分かっているはずです。 

だからといってライトの人たちがいうように、「カネ欲しさでやっているんだ」というのは言い過ぎで、動員に応じたことによる経済的欠損を補っているていどの性格です。 

そしてこの組織動員には、本土からの労組や政党の助っ人部隊が多く含まれていることも知られた事実です。 

おそらく本土の共産党系諸団体や、本土の自治労・教組、そして一部には過激派も来ていたことでしょう。 

これも移設阻止闘争の全国化なんだからメデタイじゃないか思いますが、やはりNGのようです。

あくまでも普通の県民が自発的に集まって、自発的に一斉に「「辺野古新基地NO」のプラカードを掲げないとダメなのです。 

やれやれ、イメージ演出が激しい人たちだこと。 

誰に対して演出しているのでしょうか?もちろん決まっています。メディアです。

地元紙はいうにおよばず、「オール沖縄」の志願した応援団と化して久しいNHK・TBS、朝日、毎日、東京などの本土メディアが「怒りに震えて自然に集まった沖縄の民衆」と伝えてくれるのを期待しているのです。 

だから県民集会当日も、メディアがカメラの砲列を構えた頃合いを狙って主催者が「組合旗を降ろして下さい。コールをかけたら一斉に配られましたプラカードを上げてください」と統制していたのが記録されています。

集会は違いますが、 組合旗をおろさないナチュラルモードだと、赤旗だらけの下の写真のようになります。

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これは今に限ったことではありません。 県民集会、特に選挙を控えたそれは厳しく統制されています。

ニューズウィーク(2015年6月30日)が「沖縄もうひとつの現実」という前回知事選直前の総決起集会の記事でそれを報じています。  

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 上の写真をみると全員が翁長陣営の緑色のハチマキをしめて、手をとりあっています。いかにも「怒れる沖縄民衆」って雰囲気ですね。

ところがこれ、実際は沖縄県民だけじゃないんです。

この直前の光景をNWは見ていました。 

「会場ですぐ目につくのは、色とりどりの旗やのぼり、横断幕だ。赤、青、黄色と鮮やかなのぼりには『日教組』』「JP労組』「全農林労組』など様々な労働組合や、社民党など革新政党の政党が、沖縄はもとより、東京、埼玉、神奈川、大阪と全国の地方と支部名と共にはためいている。『安保粉砕』という文字と過激派の名を記した赤い横断幕も目につく。
開会直前に主催者から、旗やのぼりを降ろすように指示されるとそれまで会場に満ちていた『組合臭』は隠されて、本土の組合員たちも等しく『県民』とカウントされる」

このように「オール沖縄」が常に心しているのは、組織動員隠しなのです。

この動員数は「自然発生的」などではぜんぜんなく、労組の本部から強制的に動員割り当てが下ろされる性格のものです。

これは単に沖縄県内のみならず、本土の各支部にも割り当てられますし、共産党のように組織力が強い政党は、本土の傘下団体にも割り当てます。

つまりは彼らが隠さねばならないものとは、労組、政党、過激派などの左翼臭と本土臭なのです。

また当然のことですが、運動にはカネがかかります。参加者のアゴアシを準備できないと集会ひとつ開けないからです。

たとえばシュワブで毎日のようにやっている反基地集会には参加者のために行き帰りの無料バスが南部や中部から出ています。

アゴアシ以外に、日当もつけねばなりません。(出ない場合もあります)

近くにはコンビニなんかありませんから弁当もいります。ちなみにこれを運んでいるのが金秀名護店ですが。

呉屋さん、シュワブの工事を受けたり弁当の独占販売したりと、お忙しいことです。

それはさておき、ちょっと想像すれば、ただの日常的基地前集会をするだけで、一日に軽く6桁から7桁のカネが飛ぶのです。

これを出しているのが、本土と沖縄の労組・政党です。共産党などの政党の場合は、大衆団体を迂回して支出します。

「陸の抗議活動は日々、さまざまな団体から動員が行なわれて維持されている。朝からマイクで労働歌や演説を繰り返しながら、各地からの動員を待つ。人数が揃うとゲート前の道を練り歩き、車の出入りを封鎖する。これを毎日繰り返すだけの大人数が必要で、組合によっては動員人数の目標を設けるところもある」(前掲)

このような県民集会を「県民の総意」と演出することは、そうとうに無理があると私は思うのですが。 

 

2018年8月22日 (水)

全国高校野球大会は、原点に戻れ

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金足農、力及ばずでした。大阪桐蔭、素晴らしい勝利でした。歴史に名を刻みました。おめでとうございます。 

私は奇跡なんかあるわきゃないと思いつつ応援していましたが、5回で吉田が大量得点をもらった時には天を仰ぎました。

終了時にあたかも選手たちの健闘をたたえるように、虹がかかったのが心に残りました。

Photoひのえ様のツイッターより引用いたしました。ありがとうございます。https://twitter.com/hinoe2

あんなに悪い吉田は初めてみました。連日の投げすぎによる疲労困憊の極にあったのでしょう。 

6試合で881球!その上に地方大会もひとりで投げきりました。

プロなら絶対にそんなキチガイじみたハードスケジュールで投手を使いません。故障しないほうが奇跡だからです。

吉田も4回から下半身がおかしいと訴えていましたし、股関節の異常も漏らしていました。

彼の明るい笑顔と裏腹に、吉田は既にいうことをきかなくなっている足、肘、指をなだめながら投げていたのです。

高校野球大会で肩を潰した選手は多いですから、後障害が残らないか心配です。

田はすでに数回目からフォームがもう体を成していませんでした。

エースをここまで酷使しておきながら、なにが「高校野球のお手本」(八田会長)ですか。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180822-00000002-wordleafs-base

そんな吉田に毎日100球越えで投げさせる、非常識の極みです。

誰が?決まっています。 

高野連。そして主催者であり、高野連理事にも名を連ねる朝日新聞です。 

彼らが非人道的、非教育的、いやそれ以前に常識さえ持ち合わせていないことに驚きます。 

そしてそれを、「感動」「共感」を安売りするメディアの浅はかさがたまりません。 

20180821s00001002176000p_thumhttps://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/08/2... 

そもそもこの両校の対戦は、平等性が担保されていないのです。 

いやしくもスポーツ大会で平等のルール、平等のレギュレーションがなければ、それはスポーツ大会とは言いません。 

レギュレーションとは規則、規約のことですが、、あまりにも実情に合っていません。 

高野連が出場資格をあたえている高校の定義は、「日本学生野球憲章」にこうあります。 

「第3条(定義)
2イ高等学校野球連盟に加盟できる学校は、原則として、学校教育法で定める高等学校とし、日本高等学校野球連盟は、日本学生野球協会の承認を得て、高等学校野球連盟に加盟する資格および基準を定める」

http://www.jhbf.or.jp/rule/charter/index.html 

ここにはただ「学校教育法で定める高等学校」とあるだけです。 これでは何も決めていないに等しいではありませんか。

この学生野球憲章ができたのは昭和21年12月ですから、まだ日本が焼け跡だらけの頃です。 

このような日本が立ち直れるかどうかさえわからなかった時代に、高校野球を通じて復興を担う青年たちに夢を与えようと立ち上がった高校野球関係者に脱帽します。 

しかし、それから一体何年たっているのでしょうか。軽く半世紀を超えて、実に77年です。 

その間、「学校教育法で定める高等学校」がどれだけ変質を重ねてきたのか、です。 

こう言ってはなんですが、金足農はただの地方の県立農業高校です。地方の農家の子弟を中心にした地域農業の次世代を育てる学校です。 

Tp2882金足農高HP
http://www.kanano-h.akita-pref.ed.jp/H28topics.html 

吉田の実家も梨農家だと聞きました。ナインの家は皆、なにかしらの形で農業を営む家庭です。 

選手の中核である投手は、大会最後の最後の6回で三塁手と替わるまで吉田ひとりで投げ抜きました。

一方、大阪桐蔭は質が変わらない柿木、横川、根尾の3名の体制で臨みました。

天才投手がひとりで肩が抜けそうになるまで投げるのか、3名で交代で投げるシステム野球が有利か、どちらが勝利するかは考えないでもわかります。

これで大都市に所在する大阪桐蔭のような私立校と戦え、というほうが本来無理なのです。 

大阪桐蔭は、体育コースを別に設けて、全国から生徒を募っています。スカウトで入学した者も多いといいます。 

Ⅰ類東大・京大コース、Ⅱ類一般進学コース、Ⅲ類体育と、入学試験から別途に教育をしている大阪桐蔭のような私立高と、「ただの県立高」が対戦しろというほうがどだい無理です。 

なにより私立高校には学区の制限がありません。金足農は秋田県、しかも遠方ではなく、金足近辺の子弟に限られています。 

それに対して、大阪桐蔭などの私立強豪校は全国区です。 

いわば市会議員選と全国区の議員選を、ゴッチャ混ぜにして実施しているようなものなのです。 

こんなメチャクチャなレギュレーションのスポーツ大会があるでしょうか。 

実際、大阪桐蔭の今回登録メンバー18名中、大阪府内出身はわずか5名でした。4番藤原が府内なのが救いです。
http://apapnews.com/famousmember/290/ 

投手の柿木は佐賀、キャッチャーの小泉は和歌山といった具合で、大阪出身が少数派な「大阪代表高」なのです。 

大会前に大阪桐蔭の春夏連覇を阻むと予想されていた智弁和歌山、龍谷大平安、横浜、木更津総合、創成館などは、みな大同小異の「全国区」の高校でした。 

こういう「全国区」も「地方区」もゴッチャにして戦わせる形式は、もはや平等とはいえません。

今後も高校野球を「教育」という名でやるなら、構造を変えていかねばならない時期にきています。

「教育」と高野連が謳う以上、星の数ほどある高校に等しくチャンスを与えねばおかしいのです。

プロを目指す少年が全国から強豪校に集まるのは、プロ野球が高校野球を草刈り場としている以上避けられない資本の原理です。

県外選手が多数を占めるのも同じで、もはや致し方ないでしょう。

ですから、そのような高校はひとつのカテゴリーを作って、その中で対戦するのが自然なのです。

初めからプロを目指して高校に進学し、一般生徒とは別枠で鍛え上げられる私立高校は「全国区」へ。

公立高校などは「地方区」同士の全国大会へと、別に全国大会を持つべきです。

そしてその上で「全国区」の勝者と、「地方区」の勝者が日本一を戦えばいいでしょう。

今回のように、そうそう簡単に地方公立高は負けませんよ。

もうひとつ。長くなるので駆け足で書きますが、今回、夏の炎暑の下でやることは殺人的だと分かりました。

足がつる選手が続出したのは、熱中症の兆候です。

そもそも春大会が毎日、夏大会が朝日と二回に分けて開催するからおかしくなるのです。

新聞社やNHKの商業主義に、高野連が相乗りしているからこうなります。

これでは選手に一年中大会を目指して野球をやっていろというようなもので、これが「教育」でしょうか。

春夏を合併させて゛、一年に一回気候のいい5月にでもしたらいいのです。

高校野球を嫌いだという日本人は少ないはずです。私もこのシーズンを待ちわびるひとりです。

だからあえて全国高校野球大会は、原点に戻ってくれと思います。 

このような選手無視の高野連の姿勢は、表彰式終了後1時間もどーでもいいエライさんのスピーチで疲労の極にいる選手たちを立たせたままでいたことにも現れています。

八田会長いわく。「阪神甲子園球場を訪れたお客さんの数は、史上初めて100万人を突破をして最多の101万5000人にのぼりました」ですと。

そりゃあんたらの商売でしょう。商売うまくいきました、と1時間もぐだぐだやっているな。

表彰式後、直ちに彼ら選手をケアしようとどうして思わないのか。そのほうがよほど不思議です。

高野連は教育者失格です。

彼らは朝日、毎日、NHKといった巨大マスコミと癒着することで、焼け跡の中から高校野球大会を復興した初発の原点を忘れてしまったのです。

いいかげんにしろ、大会はあんたらのためにあるのではないのです。

 

 

 

 

2018年8月21日 (火)

「オール沖縄」の遺言政治 沖縄県は翁長家ではありません

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地方自治体の首長は、大統領に似ていると言われる場合があります。 

大統領と首相はどこが違うのでしょうか、そこから考えてみます。 

大統領は国民が直接に選びます。議会を形成する議員は、別に議会選挙で選ばれますが、彼らが大統領を指名する権利はありません。 

だから、大統領と議会がねじれをおこすことも頻繁にあります。 

大統領命令とトランプさんが力んでも、議会が通さなければ意味がありません。 

国民は二つの代表を選ぶことで、大統領が独裁走らないように、議会が衆愚にならないようにバランスさせているともいえます。 

一方、議員内閣制の首相ではそれはありえません。議会多数党のトップがそのまま首相になるからです。 

一見議会と行政府の長を同時に握れるから強いと思うと大間違いで、党首になるための厳しい関門をいくつも突破し、さいごには党首選で決められます。 

ですから、勢い議員内閣制の首相職は、与党内の政治勢力のバランスの上に成り立っているために、決められない首相になってしまいがちでした。 

閣僚も派閥割り当てで決まってしまうような、淀んだ政治が生まれるという弊害が出ました。 

677pyjfオール沖縄の選考会議

さて、知事選に話を戻します。 

地方首長は大統領に近い性格をもつのですから、その選ばれ方も含めて民主主義が問われると思います。 

こう考えてみたらわかりやすいかもしれません。候補者選定は、米国の大統領選における党候補者選挙に相当します。 

そして党候補の座を獲得できたものだけが、本選挙に臨めるということになります。 

この両方を含めて、トータルな「知事選」と呼んでいいんじゃないでしょうか。 

一回目の予備選は候補者選びで、2回目の本選は知事選本番というわけですね。 

制度が違うので簡単に比較出来ませんが、米国の大統領選は民主・共和両党の党内候補者選びに多くの力を割いています。 

私は直接投票によって首長を決めるミニ大統領選の知事選において、党ないしは陣営の候補者選びプロセスは、本当にその陣営が民主主義を大事にしているのかが問われる試金石だと思っています。

だから、どんな候補者選びをしようとカラスの勝手でしょう、というわけにはいかないのです。 

自民党にも問題があることは、先日来指摘しています。 

これに先立ち安里繁信氏は、このようなインタビューをだしています。
https://twitter.com/newokinawa2018  

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 県政奪還を最優先にするというのが安里氏の意志ですので、残念ですが尊重します。 

一方、このような自民党のゴタゴタなど可愛いくみえるようなトンデモ指名をしてしまったのが、「オール沖縄」陣営です。 

「9月30日投開票の沖縄県知事選をめぐり、自由党の玉城デニー幹事長=衆院沖縄3区=は20日、立候補を目指す意向を明らかにした。同県沖縄市で記者団に「出馬の方向性を限りなく探る」と明言した。後援会や自由党の小沢一郎代表と相談し、22日までに最終判断する方針だ。
知事選をめぐっては、8日に死去した翁長雄志知事の支持母体「オール沖縄」を構成する共産党や社民党、労組などでつくる「調整会議」が19日、玉城氏を擁立する方針を固め、会議の幹部が玉城氏と面会して決断を促していた」
(産経8月20日)
 

01315ef4s玉城デニー氏 

さすがにこれには私も呆れました。 

「オール沖縄」は、故翁長氏の「遺言」なるものに拘束されるということですか(失笑)。死せる翁長、「オール」を走らすというわけです。 

これがどんなことを意味するのか、翁長氏の代わりに安倍氏を代置すれば少しは分かるでしょう。 

安倍氏が、今、突然に死んでしまったと仮定しましょう。

野党とメディアは故人を悼むどころか、連日祝杯に酔い痴れてザマァミロと連呼するでしょうが、それは置きます。 

安倍氏を職務上の殉職と受け止める支持層は、「安倍さんを殺したのは朝日だ。遺志を引き継げ」と叫び、国民葬をやれと叫ぶかもしれません。 

この安倍氏がなんと「遺言」を残していたんですから、さぁ大変。テープには、「私の後継の総裁には〇〇と〇〇を」というわけです。 

そして自民党が「遺言に従う」となってしまったら、もう民主主義もクソもありません。 

もはや遺言政治です。 

こんなことをしたら、野党とメディアがなんと口を極めて非難するのか目に浮かびます。

「民主主義の破壊者」「アベ独裁政治は死んでも祟る」「民主主義の根幹が揺らいだ」くらいは言うでしょうね。

もし同じことを米国大統領が死んでやったら,、それだけでその党はジャンク・ボックスに入れられてしまうことでしょう。

そのくらいのことなのですよ、「遺言」を使って政治を支配するということは。

故人を悼むのはよし、故人のやり残したことを引き継ごうとするもよし(ただしいか間違っているかは別ですが)、しかし故人を神格化するがごとき「遺言」絶対視は、いくらなんでも逸脱です。

翁長家が遺産相続をするに遺言が絶対的なのはあたりまえですが、公職は次元が違います。

言挙げするのも馬鹿馬鹿しいですが、沖縄県は翁長家ではありません(あたりまえだ)。

地方自治体の公職を選ぶことに「遺言」を持ち出すということが、いかに前近代的なことなのか、民主主義のルール違反なのか、それに気がつかない「オールl沖縄」のほうが、私にはコワイ。

遺言政治という汚点を、沖縄政治史に残すべきではありません。

2018年8月20日 (月)

自民党県連のあいまい戦略の本音

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山路さんの連載について、みなさまから活発なコメントをいただきまして、改めて御礼を申し上げます。

篠原章氏がツイッターで、以下のようなコメントを寄せられました。 

「(山路氏の)こうした現状認識を抜きにして今の沖縄(日本も)は語れない。東京から発信されるものも含めてほとんどの沖縄に関する分析は、山路氏のような的確な認識を欠いているのがとても残念だ」

 私も同感です。このような視点がまったく見られないのが、逆に今の沖縄が抱えている問題の所在を示していると思います。 

今回改めて知事選候補選びで感じた感想は、ひとことでいえば「古い」でした。 

保革のどちらもです。

「オール沖縄」はとうとう翁長氏の「遺言」を持ち出したそうですから、民主主義もへったくれもありません。 

「沖縄県の翁長雄志知事が急逝する前、自らの後継候補として自由党の玉城デニー衆院議員と会社経営の呉屋守将氏を挙げていたことが19日、分かった。
 翁長氏を支えてきた「オール沖縄」勢力が候補者選考作業を進める「調整会議」は同日の会合で生前の発言を確認、両氏に9月30日投開票の知事選への出馬を打診する方針で一致した」(時事8月12日)

こんな「遺言」で知事が決まるのならば、知事職は一種の世襲なのでしょうか。沖縄県民をなめるのも、いい加減にしたほうがよろしいかと思います。

一方、自民党の候補者選びは選考委員会という形式をせっかくとりながら、なにが気に食わないのか、真っ先に手を上げた安里氏は初めから蚊帳の外のありさまでした。 

代わって当初から自民党が候補者にしたい白羽の矢は、佐喜真宜野湾市長だったようです。 

おかしな話で、佐喜真市長は党員ではないのですが、安里氏は党員であり、しかもその主張に大きな差はありませんでした。 

違いがあるとすれば、佐喜真氏がいわゆる「市民派」であるのに対して、安里氏のほうがより明瞭な経済観、安全保障観を持っていることす。 

キャラ的にはふたりは友人でありながら、かなり違う肌合いを持っています。 

明確なモノ言いを好む安里氏に対して、佐喜真氏は焦点である移設問題についてぼやかした言い方をします。 

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 先の宜野湾市長選における発言です。 

「佐喜真さんは、移設を進める安倍政権の支援を受け、移設の是非には触れず、基地の早期返還と危険性の除去に取り組むべきと訴えてきた。佐喜真さんは、「移転先は日米両政府が決めることで言及する立場にはない」とした上で、「普天間基地の返還の実現を目指し、政府に訴えていきたい」と述べた」(日本テレビ2016年1月25日)

 間違いではないのです。

対立候補の「オール沖縄」の志村氏がこんなわけのわからないことをいうのとは次元を異にします。 

志村氏や、彼を強く支援した故翁長氏たち「オール沖縄」の論理はこうです。

①沖縄に対する基地負担は大きすぎるから、軽減すべきだ。
②普天間基地は「世界一危険な基地」だから、撤去すべきだ。
③政府は普天間基地を移設しようとしているが、「新基地」だから断固反対だ。

①、②につてはいわば総論部分ですので、政府から地元自治体まで反対する者はいないはずですが、具体的にどこに移すのかとなると、辺野古移設は「新基地」だから反対だそうです。 

では、このまま宜野湾にいることになりますが、それでいいのかといえば当然「固定化反対」ですから、じゃあ政府はどうすればよいのでしょう。 

つまりは答えを出しようがないことを、政府に要求している観念論にすぎません。 

なんのことはないいつまでも反対運動をしていたいという、「反基地運動の永久固定化」にすぎないのです。 

では一方の佐喜真氏はといえば、それは自治体が考えることではないとして、争点化すること自体を回避しました。 

つまり③は、「市の専管事項にあらず」でお終いでした。 

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 とうぜん、メディアは噛みつきます。 

「普天間飛行場の移設問題について佐喜真氏側が「辺野古移設」に言及しなかったのは、明らかな争点隠しだった。この勝利で政府が「移設問題で民意を得た」とするならば、それは誤りだ。政府が辺野古移設を強行すれば、沖縄の強い反発を生み出すだけだ」
(毎日2016年1月24日)

 いわゆる「民意」論、「沖縄の心」論です。 

感情の窓からしか移転問題を見ていないからこうなるのですが、今回の知事選においてもそっくり同じことをメディアが煽ることを、佐喜真氏は覚悟せねばなりません。 

というのは、実はこの「争点隠し」という批判は、メディアとは別の意味で当たっていることはいるのです。

おそらく佐喜真氏は今回の知事選においても、安全保障は国の専管であるとするだけではなく、移設問題は最高裁判決で決着がついているということを関知しない理由とするでしょう。

半分は正しく、半分は間違っています。

安全保障問題の決定権が自治体の首長にないことはわかりきったことですが、沖縄県は本州の山間部の自治体ではないのです。

「承認撤回」云々は、あくまでも工事の環境アセスメントなどのやり方に対しての「承認」であって、工事そのものの是非は知事の権限の外です。

しかし宜野湾市長としてはともかく、辺野古や離島まで含むトータルな沖縄県を大きく見ねばならない県知事としては、これでは困ります。 

基地問題は、県民の安全保障の問題と深く関わってくるからです。

中国の海洋膨張を受ける真正面に位置するが故に、尖閣諸島を持つ八重山・宮古は日常的に脅威にさらされています。

つい一昨日もこの様な状況です。

海上保安庁によると、尖閣諸島(沖縄県)の魚釣島西方の海域で18日午前7時現在、約120隻の中国漁船が集まっているのを同庁の巡視船と航空機が確認した。一部は接続水域に入ったが、領海に侵入した漁船はないという」(読売8月18日)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180818-OYT1T50084.html?from=tw

このような中国漁船について大規模に中国海警が侵入をするのが、今までの手口でした。

P1
上の写真は今年1月に撮影された南シナ海・南沙諸島のジョンソン南礁ですが、司令部ビルは完成し、普天間基地より長い滑走路に長距離爆撃機を離発着させ、対空ミサイル陣地を構えています。

このように南シナ海の中国の要塞化はほぼ完成しました。次は海で繋がる東シナ海の番です。

ご存じのように、中国公船の侵入は止まることはありません。

領空侵犯は日常茶飯事です。中国は尖閣のみならず、沖縄は中国領だと公言しています。

国はすでに現地で「航行の自由作戦」を実施して、軍事プレゼンスを発揮しています。この南沙諸島の要塞化は、突然始まりました。

ある日突如として、民間人を装った軍人が岩礁に漂着し、それを救助するという名目で中国軍が実効支配を固めていき、気がつけば要塞島と化して、手のうちようがなくなっていました。

このようなリスクをとりあえず沖縄が免れているのは、端的に言えば米軍基地と自衛隊が存在するからです。

中国にとって、沖縄に手を出せば米軍と事を構えることになるという恐怖心が、南シナ海のような無謀な侵出を防いでいるのです。

沖縄に基地を置くということの日本側の理由は、いつにかかってここにあります。

 沖縄が沖縄自らの危機としてとらえない限り、いつまでたっても「本土政府が無理矢理言うから仕方なく」という受け身の諦観から抜けすことはないでしょう。  

佐喜真氏は党員でないにしても(むしろだから選ばれたわけですが)、政権与党中枢が自民党員候補を辞退させてまで、推した候補です。 

ならば、国家の安全保障である尖閣を県の域内に持ち、今後は八重山自衛隊配備などを抱える県の知事にもかかわらず、いつまでも「自分たちが決めることではない」でよいのでしょうか。 

私は、沖縄県の代表を選ぶだけではなく、国家の安全保障の最重要案件に対して、どう答えていくのか、問われていると考えています。 

国民全体の安全がかかっていることですので、あいまいな意志表示は困ります。 

いつまでもこの安全保障上のリスクについて言を左右し、あいまいなままで済ませようとする自民党県連ならば、国民政党たる自民党という看板を降ろして島だけの保守党に純化することをお進めします。 

今回の佐喜真氏一本化が意味するものは、自民党県連自体が安全保障問題を回避したいことの現れでした。 

だから保守原則派の安里氏ではなく、佐喜真氏の「市民派」という看板が必要だったのです。

仮にそういう理由で「市民派」が選ばれるのなら、「市民派」の名が泣きます。 

 

 

2018年8月17日 (金)

039
今日から日曜日まで夏休みをとらしていただきます。

更新再開は8月20日月曜日からです。

皆さまもよい夏休みをお送り下さい。

                                                                                        ブログ主

2018年8月16日 (木)

山路敬介氏寄稿 県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな!その4

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今回で完結となります。ありがとうございました。

連載期間中に情勢が動いています。

オール沖縄候補として一時出馬を要請されていた城間那覇市長は、2期をめざすとして拒否したと伝えられます。
http://www.sankei.com/politics/news/180815/plt1808150035-n1.html

一方政府は、辺野古への土砂投入工事を延期しました。

「政府は15日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先での土砂投入を、先送りする方針を固めた。17日に予定していたが、台風の影響で準備が間に合わないと判断した。翁長知事の急逝を受けた知事選前倒しを踏まえ、選挙戦への影響を見定める狙いもありそうだ」(読売8月15日)

山路氏の視点は、このような流動的状況においても明快です。

明日、明後日の2日間は夏休みをとらしていただきます。極度の夏バテをやってしまいました。再開は20日(月)からです。
                                                           ブログ主

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県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな!その4 
~県民の「目」くらます県内報道と知事選 
                                          安里繁信氏は出馬すべきだ                                             
                                                                                  山路敬介 
  

承前  

■ 安里氏は自民党を離れて立候補するべき

私の考える理想とする県知事選は、佐喜眞氏と安里氏、糸数氏と謝花氏の4者が立候補する事です。

糸数氏を除いた3者でもいいです。

例えば、そいう中で佐喜眞氏が勝ってこそ佐喜眞氏自身のカラーを県政に反映させ得るのでしょうし、謝花氏が勝ったなら予定どおり抵抗しながら静かに辺野古を作らせれば良いだけです。いずれにしろ、それらは大して変わりありません。

私の考えはもともと安里支持で、その理由は第一に、他の誰よりも「旧来の勢力」と距離を置いてきたゆえであり、翁長氏が目論んだ旧弊が蔓延した沖縄政治の問題点をこれまで深く洞察して来ているからです。

それと、あまり広く知られていず誤解を受ける場面もあるのが残念ですが、安里氏の政策に対する見識や保守本来の政治的思慮は佐喜眞氏などでは到底足元にも及ぶものではありません。

だいいち、安倍総理の考え方と近いのは安里繁信氏の方です。(この点、世の保守派と言われる連中は誤解しています。)

行政における経験も、実際には佐喜眞氏に決して引けをとるものではありません。

遅かれ早かれ安里氏の県政は実現するでしょうし、そうでなければ沖縄は持ちません。

今の40才以下の人たちは「逃げられない世代(宇佐美典也:新潮新書参照)」なのであり、それだけに現実的で判断力もあります。

かつて7人に一人が戦死し、戦後の復興さえも一身に担った大正生まれ世代のようなものです。

彼らにはイデオロギーや歴史論争に与する無駄な時間はありません。

安里氏が「右も左もない、前に進むんだ」というのは、この意味で翁長氏の言う「腹八分・腹六分」とは根本的に違います。

そういう若者が今の沖縄社会の悪しき旧弊や目に見えない不合理に足をとられ、躓いてしまうなら、せめてその石を取り除いてやるのが政治の責任です。

沖縄にはそうした観点から見る政治家が、安里氏以外には一人もおりません。

沖縄タイムスによれば、安里氏は撤退表明すると決めたと言います。

最終的には本人の最後の判断ですから何とも言えませんが、このタイムスの記事自体は明らかな誤報です。

安里氏にはぜひとも出馬して、県知事選挙の争点としての「新しい沖縄の創造」を訴えて頂きたいと思います。

決して悪い結果にはならないと思います。

追記

少し記事に補足致します。

結局のところ翁長さんがやろうとした事は、沖縄県を旧に復したカタチで全体化しようとするための運動だったと思います。

目指したのは旧沖縄社会に範を取った全体性の保持であって、そのためにアイデンティティーまで持ち出して県民意思を統一しよう腐心したのが翁長政治です。

「オスプレイ反対」も「辺野古反対」も、そのための道具に過ぎなかった、と今は良くわかります。

沖縄方言の保存政策に対してもそうです。

「歴史や伝統」を保存する意味での方言保存活動は総論では誰でも賛成することですが、翁長知事のそれはこれまでの議論を無視し、その則を越えたものでした。

それとはまた別にコメントの中で、
≫「山路とかいう人の文章はナイチャーカジャーがキツくて苦手っす(笑)」というものがありました。

この意味は「おまえの物言いは、本土臭がキツくて嫌い」という事ですね。

このコメントが「内地に対する差別的言辞」だとか何だとか、それは置きます。

しかし、これも一種の「同調圧力」ですよ。

問題は、このコメントをした油喰和尚さんと同じように感じる沖縄県人は、決して少なくないという事。

また同時にイデオロギーとは関係なく、それを期待する本土の人も決して少なくないんです。

こういう人間性の暗い部分を巧みにすくい取って、沖縄を一本化する試みが翁長政治の根本にありました。

けれども、そのようなやり方には「県民の幸せ」、ってのは決してありません。

翁長氏が目指した「全体性への回帰」など論外で、むしろ沖縄県人に必要なのは「個人の領域」の拡大です。

個々のレベルではっきりした権利意識をもって、その地点からものを言う事がどうも沖縄県人には苦手にみえます。

子供の貧困率が全国平均の二倍の3割にも達し、大学進学率も40%程度です。

相変わらず県民所得は220万程度しかなく、そのくせ一千万円以上の所得者の率は非常に高い。

こうした問題の意味するところは何なのか?

ここにこそ改善すべき沖縄社会の問題があるのです。

                                                                             (了)
                                                                                         文責 山路敬介

2018年8月15日 (水)

山路敬介氏寄稿 県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな!その3

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山路さんの寄稿の第3回です。

佳境に入りました。

「辺野古移転阻止」というお題目が、実は従来の本土政府と沖縄とのなまぬるい古きよき関係への逆行への請願、あるいはモラトリアムだとする、氏の見方に全面的に賛成します。

そこがわかってくると、先日来私が引っかかってきた、なぜ翁長氏は転向したのか、という謎が解けてきます。

そしてそれはこのような変化を受容できない沖縄政界の古い体質の膿のようなものだ、と山路氏は指摘します。

L・ハトヤマを出すというオチャラケ情報も本土ではありましたが、革新陣営は城間那覇市長擁立の動きも伝えられています。

その場合、謝花副知事のほうが那覇市長候補に回るシフトになるかもしれません。

これは左翼イデオロギー色が濃厚な糸数氏を推すよりはるかに手ごわいシフトです。

翁長氏後を県民が決めるのが、本来の知事選ならば、テーマは明らかです。

SACO合意を神棚に祭り上げてきた旧自民党政治を続けるのか、なんの戦略もないまま阻んできた翁長県政をその後継に手渡してきてよいのかです。

「琉球独立」、あるいは「全基地撤去」などという空論空語を弄ぶのではなく、しっかりとした安全保障観を持ち、経済的自立を求めて変わっていこうとする者たちと、変化を嫌い従来の構造にしがみつくものたち、その間の戦いです。

                                             ~~~~~~ 

Origin_1(左)佐喜真淳氏(右)安里繁信氏 沖タイより引用

  ■県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな!その3 
~県民の「目」くらます県内報道と知事選 
                                 安里繁信氏は出馬すべきだ                                             
                                                                                  山路敬介 
 

承前  

■ 沖縄は「古くかつ悪いモノ」を捨て、新しい沖縄を目指す候補に託すべき

あらためて振り返ってみますと、翁長知事の本願は「本土と沖縄との関係性」を従前にあったものに還してほしいという「お願い」であり、実効性の伴わない「辺野古反対」の内実はそのためにする請願運動であったと思います。
 

また、何もかも旧に復して与党も野党もふくめ、これまで通り沖縄の政治家全体が等しくあてがわれた配役と振り付けで「踊り」を踊れるように、そう考えたのが翁長氏でした。

しかし、しょせんその線では主体が常に「本土」であり、考え方そのものが些かも「対本土」の域を出ていない点で「沖縄の独立性」とは無縁で、その実は単なる「甘え」によるモラトリアム期間の延長を哀訴したものにすぎません。
 

むろん、そのような方式を旧来の自民党本部や日本政府は同調していたのですが、そうした方法では米軍基地縮小は一向に進まなかったのが歴史の真実です。

安倍政権になって、「沖縄の基地負担軽減」は単なるお題目ではなくなりました。

しかも基地負担の軽減は「普天間の返還」がなされて終了ではなく、SACO合意の先にもまだまだ軽減される余地が残っています。

長い目で見れば、宮古八重山方面の自衛隊配備も米軍基地縮小に役立つものでしょう。

こうした変化を受け入れられないのが、翁長氏を始めとする沖縄政治全体に蔓延するウミであり「旧体制」です。

年初に安部総理が「沖縄に寄り添う」発言をした時、私は「安倍総理は方針転換をした」と思い、少しだけ「安倍総理のもとでも、やっぱり沖縄は見捨てられた」と考えてしまいました。

それは私には、安倍総理発言の意味するところが「辺野古は推進するけれども、旧来の沖縄対応に戻す」と聞こえたからです。

むろん、その意味するところを玩味した沖縄自民党は活力を得たと思います。

それが「選挙のため」だけならむしろいいが、翁長氏が願った「旧来の沖縄関係のあり方」にも応分の配慮した感じがものすごくしてしまったのです。

                                                                             (次回完結)

2018年8月14日 (火)

山路敬介氏寄稿 県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな!その2

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連載の2回目です。

山路氏は大変に冷静に、革新陣営のみならず自民党県連も見ています。

沖縄自民は活力を喪失して、公明県本に支えられることでやっとなりたっているような状況にまで落ち込んでいます。

そのていたらくは、県連会長の国場幸之助氏自らの選挙基盤をみればわかるとおりです。

自分の選挙基盤を公明に融通してもらう県連会長などあったでしょうか。

ここには政権与党としての気概も、ましてや迫力も感じられません。

このような県連が安里氏を選ばなかったのは(というより門前払いしたのは)、氏が容易に御せる候補ではなかったからなのかもしれません。

                                     ~~~~~~~~~  

            ■県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな!その2 
~県民の「目」くらます県内報道と知事選 
                                     安里繁信氏は出馬すべきだ                                             
                                                                                  山路敬介 
 

承前  

■ オール沖縄の統一候補は?

次の問題は「オール沖縄」側の候補者が誰になるかです。
 

仄聞するところでは糸数慶子氏の名前が多く出てきますが、これは旧新風会などのいわゆる保守系にも受け入れられやすいからと言う理由からのようですが、オール沖縄支援の経済界からは慎重論もあるようです。 

保守系が糸数を?という疑念は当然ですが、笑ってはいけません。沖縄では保守の定義がそもそも違います。 

「翁長知事の重篤な病状を知っていた呉屋守將氏は、自身の知事選出馬のために早くからキーマンである共産党に近づいていた」という噂も旧社会党系にあり、これから派手に割れるかもしれず、正直よくわかりません。

私が考えるに、もっとも大きな政治決断である「撤回」を謝花喜一郎氏が知事職務代理者としてやるならば、スジとして謝花氏が出ざるを得なくなると思います。
 

国との調整で「知事選後の土砂搬入」という了解になれば、「撤回」も遅らせる事が可能で糸数氏の目は大きいでしょう。

42a3e02baa2253c704f14f3e941e36e0糸数慶子氏

■「糸数慶子」氏という人

しかしこの糸数氏ですが、議員になる前も後も現在までまったく勉強をしていません。
 

安全保障の問題はいうに及ばず、経済問題などもハナから興味を持った試しもありません。 

オール沖縄側としては、「神輿は軽くて馬鹿がいい」というのもコントローラブルな長所となり得るのでしょうが、県民の未来にとってあまりといえばあまりの人選です。

この4月に宮古に来ましたが、「ずいぶん小さくなったなぁ」という印象を持ちました。
 

しかし70歳になった現在でも面と向かって話しますと、控えめで涼らしくチャーミングな人柄的美点が十分あります。 

そうした点こそ、安倍総理ともうまくやっていける貴重な人間的資質になると思えるのですが、しかし如何せん、例えば国連などでの行動は自分のやっている事の意味をも理解していない「利用され放題」ぶりで、その無知さ加減は万一これで知事にでもなれば取り返しのつかない事になりそうで寒気がします。

40國場幸之助氏

 自民党はどう変質したか

翁長知事誕生直後、沖縄自民党は失意のどん底にあり、それを自民党最後の防衛ラインである公明党が救いました。

度重なる首長選挙での勝利は自・公・維の共闘のゆえであり、自民党本部の評価もまたそのようです。

その結果、議会ではいわゆる「海兵隊撤退決議」に賛同せざるを得なくなり、真の自民党保守派議員もホゾを噛む思いだったと言います。
 

自民党の公明党への「寄り添い」は配慮という段階をはるかに越え、公明地盤の禅譲によってかろうじて議席を確保出来ている國場幸之助氏が自民県連会長に就任しました。 

國場幸之助氏が当時の石破幹事長を前にして、最後の一人になるまで「県外移設」を取り下げず頑張ったのも公明党の支持者への配慮があったからです。 

同じく、公明党に強力なパイプを持つ翁長政俊氏が副会長で次の那覇市長候補です。

自民党本部もこれを「容認」というよりも推進し、その意味はもちろん「オール沖縄」という目の前の敵を追っ払い「県政奪還」するためです。
 

県政奪還すれば「辺野古移設」は余程やりやすくなるのでしょうが、沖縄自民党の本当の再生にはなりません。

自民県連と公明県本との強力な接着の推進は、ある意味で自民党本部が「だらしもなく、活力がない県連を見限った」と言えなくもありません。
 

そして、そうした環境の中で県知事候補として選定されたのが佐喜眞淳氏ですから、どういう県政になるか容易に想像がつきます。 

行政マンとしてある程度の良識を持ち合わせる謝花氏あたりが知事になった場合でも、結局は五十歩百歩でしょう。

 

                                                                                                 (続く)

 

 

2018年8月13日 (月)

山路敬介氏寄稿 県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな!その1

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翁長氏の逝去を受けて、山路氏に寄稿を依頼しました。ありがとうございました。 

死に体になっていたオール沖縄は、完全に息を吹き返しました。 

このまま状況が推移すれば、いまや「島の義人」に祭り上げられた翁長氏の後継政権が誕生するでしょう。

                                    ~~~~~~~~~ 

            ■県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな! 
~県民の「目」くらます県内報道と知事選 
                                          安里繁信氏は出馬すべきだ                                             
                                                                                  山路敬介                                        

                                                                              
はじめに 

翁長知事の現職中の死は、癌という病との闘病の末の事でもあり、私にも常識的にも一個の人間としての翁長知事の死を悼む気持ちはあります。 

けれども、知事の死は不慮の事故などによる急死ではないのです。 

闘病する苦しみの中で職務をつづけ、あるいは投薬などで朦朧とした意識で重大な決定が行われた場面があったとしたら由々しき事ですし、亡くなるまで知事という重職にしがみつき続けた事はマスコミなどが言うような美談的論調で飾れるのもではありません。

 政治家は実績で判断すべき

もっとも大切な県知事選を来月に控えて県民が考えるべき事は、翁長知事在任中の実績を正しく公平に評価する事にあるのであって、それもまた「翁長知事を悼む気持ち」とは別次元の問題です。
 

そして、殉職であれ何であれ職を退いた政治家に対しての評価は、すでに「掲げた公約が正しかったかどうか」ですらなく、実績として「公約をどう実現できたか」が唯一の判断基準となるべきものです。 

そうでないと県民は「なぜ実現できなかったか?」を正しく考える事も、そこからまた「そもそも辺野古移設とは何なのか?」すらも分からないままになるからです。 

それで言ったら、翁長知事は完全に「0点」です。

翁長知事の公約は「辺野古阻止」が唯一絶対的なもので、事実そのために「公務の80%を割いている」と公言して憚りませんでした。 

ところが現実には「辺野古阻止」が出来るどころか着々と推進されていて、いよいよ事態は土砂搬入の段階に入っています。 

「取り消し訴訟」は完全敗訴、岩礁破砕差止訴訟は門前払いでした。 

そのうえ、恥の上塗りのようにまったく勝つ見込みのない「撤回」訴訟に入らざるを得ず、そこで力尽きたのが翁長知事の真実の姿なのです。

 「特定勢力の応援団」を地で行く二紙 

こういう知事をただ在職中に亡くなったからといって、あたかも英雄のように祀りあげ、偶像化し、知事選を「弔い合戦化」する事はもはや文明人のやる事ではありません。

当ブログにおいて初めて翁長重体説が記事になった時の事を思い出して下さい。 

あの以前から、ここのブログ主様や私の耳には翁長知事の病状は相当深刻な状態であるという情報はありました。 

最終的にもっとも信頼出来る筋からの情報が詳細にもたらされ、そこでブログ主様は記事化に踏み切ったのです。 

その時、沖縄二紙はどうしていたでしょうか?  

ブログ主様や私ですら知る事が出来たのに、このような特に県民にとって関心の高い重要な情報を二紙が知らないはずがありません。 

しかし、その後もまた二紙は事実を隠し別の印象を垂れ流して、あたかも死の直前まで回復可能であるかのような報道に終始しつつ、まるで知事が急死により身罷ったような演出をしました。 

その意味は最初から「弔い選挙化」が狙いであり、「翁長の次は翁長」を言い続けたオール沖縄の論調に与する目的だったと言っていいでしょう。

本土における「撤回」報道は下火になりましたが、翁長知事の急逝は各紙大きく取り上げられました。
 

弔意を表すべき場面において、いかに翁長知事が愚かな俗物であったかを語る馬鹿はいません。 

まずは二紙の「革新応援団としての役割は果たした」と言ったところでしょうか。

 

                                                                                        (続く)

2018年8月12日 (日)

日曜雑感 二つのコメントにお答えして

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今日は休みの日ですが、気になるので書いておきます。 

似たような趣旨の投稿が二本続きました。 

まずは常連のkarakuchiさんから 

「やはり沖縄の政治情勢は、地元の方が一番わかっています。山路さん、ueyonabaru さんの見方が一番スンナリ頭に入ってきます」 

次は改憲派さんから 

「山路さんueyonabaruさんのような意見をもっと記事に反映されるといいと思いますよ、県知事選は来月です」 

おふたりとも、なにか勘違いされているのではないでしょうか。私は沖縄の政治情勢など初めから書く気はありません。 

「反映するといい」もなにも、山路さんとueyonabaruさんと私の間に認識のズレはまったくありません。 

ただウチナンチューと、私のようなナイチャーとは立場が違うだけです。 

「地元の人がよく分かっている」のは当然ですが、同時に渦中にいれば見えないこともあるでしょう。 

私に見えないことも多くあるし、またその逆もあるのです。 

「県知事選は来月」なのはよく分かっていますが、だからどうしろと仰せですか? 

もっとこの際オール沖縄を叩け、故人を徹底批判しろということでしょうか。 

必要ならするでしょうが、翁長氏が亡くなって1週間もたたないうちにするのは御免被ります。 

そんな記事をお読みになりたければ、いくらでもありますから、どうぞそちらにお行き下さい。 

さていまさらですが、私はナイチャーです。 

沖縄をふるさとのように思っていますが、しょせんはかつて沖縄僻村に住んで特異な体験をしたナイチャーにすぎません。 

距離があります。

私はかつてこの距離を疎ましく思って骨を埋めようとまで考えていましたが、今はこの「距離感」を私が沖縄について語る時の宿命的属性だと思っています。 

私が出来ることは、可能な限り沖縄を突き放してみることです。自分自身の島への愛情に安直に溺れないことです。 

別の言い方をすれば、ウォッチャーであることを忘れないことです。 

そうできないことを充分に承知のうえで、「距離を置くこと」が私のいわば義務だと思っています。 

改めてそう思ったのは、今回の翁長氏の逝去で真っ先に生まれた私の感情は、自分でも理解できないものでした。 

なんとそれは哀しみだったのです。一杯の島酒を彼に捧げました。 

生前は翁長氏への最も強い批判者のひとりであり、彼を「島の悪霊」とまで罵ったこの私が、彼の死に際してとめどもないやり切れなさを感じてしまうのですから。 

私は翁長氏を、山路さんが指摘するように「言うことは信じられない」詐欺漢だとは思っていません。 

それほど意図的な戦略性はありません。もっと生身の権力の使徒です。 

ですから、彼の生涯の目標だった知事の椅子をつかむためにはなんでもしました。 

かつて右腕として仕えていた仲井真氏が、自分を後継にするのをためらったとみると、即座にクーデターを画策し、オスプレイを理由にしてかつて悪魔のように思っていたはずの共産党陣営に接近しました。 

これはただ一点、知事の椅子に座るという目標から生まれたことです。 

その意味で故翁長氏は、利権を懐に入れることをせず、自分にすり寄る者には権力の果実を分け隔てなく分配する「無私」の権力の崇拝者だったといえます。 

平良氏や金秀といった経済人には利権とポストを、左翼陣営に対してはその政治スローガンを丸飲みし、県警の反基地運動への治安活動を無力化しようとしました。 

いずれも共に行政官たる首長がしてはならないことですが、それ以上に私はなぜあれほどのクーデターという寝業の極を演じてみせた彼が、ここまで従順な傀儡になってしまったのか、わかりませんでした。

人はそうそう簡単に変われないのです。まして人生の晩節においてはなお更のことです。彼と同世代の私には感覚的に分かります。

そしてこの4年間、どうして翁長氏が彼の政治家としての最大の武器だったはずの裏取引や謀略を封じて「いい子」になってしまったのかも、分かりませんでした。

しかも案件は他ならぬ普天間移設です。

自分の人生の多くの部分を保守政治家としてすごし、その過程で自らも稲嶺知事時代から関わり続けた普天間移設問題です。

いわば翁長氏のホームグランドです。

建設容認だが一定期間で民間に返還するという稲嶺案を唱えたのは、余人ならぬ翁長氏自身であってそれを終生自慢の種にしていたことはインタビューにも明らかです。

このように交渉の表裏を知り尽くした翁長氏が、いまさらなぜ思春期の少年のようなナイーブさで、「移転阻止」というのでしょうか。

ありえません。移設交渉の表裏を知り尽くした人物が、「移設反対」などどの口が言っているのでしょうか。

これを裏切り者、あるいはユダと言ってしまえば簡単ですし、私もかつてそう言ってきました。

私利私欲のために節操を忘れた人物。

いまでもそう思っていると同時に、それでは翁長氏の棺の蓋を覆うことにはならないのではないか、と私は思い始めたわけです。

私がこの間書いているとは、おふたりのご希望に添えませんが、歯切れがいい政治情勢分析ではありません。

私は、翁長雄志という毀誉褒貶に満ちた人物の矛盾に満ちた内面に一歩踏み出したかっただけなのです。 

日曜写真館 蓮を抜けて湖へ

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蓮の花に囲まれた一本道を抜けると、湖がどこまでもひろがっています。

2018年8月11日 (土)

翁長氏の「遺志」とは

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なぜ、翁長さんは共産党と手を組む側に行ってしまったんでしょうか、この素朴な疑問が改めて浮かびました。 

日の丸市長から左翼知事に転身してしまった「曲がり角」が、まだよくわからないでいました。 

彼が知事になってからは、比較的分かりやすいのですよ。ある意味、なるようになっただけですから。 

当選直後に大きな躓きを演じています。いきなり官邸にノーアポで乗り込んで、首相に合わせろとやっちゃったんですから、初めのボタンを掛け違ったんです。 

しかもなぜオレに会わないのだと、メディア相手に非難するなど余計なことでした。これで本土政府との関係は、いきなり対決モードから始まってしまいます。 

これが翁長氏にとって得だったか損だったのかは、後の赤い海で孤立している姿を見ると気の毒になります。 

地方知事がいきなり行って、分単位で動いている首相が会ってくれるはずがないでしょうに、翁長氏は「沖縄県知事」というのは、一国の首相と等量の重さを持つ職責だと勘違いしていたんですね。 

痛ましいばかりの勘違いです。

翁長氏は他県と違って、沖縄県知事は「特別扱いされて当然な何者」かと思っているのです。 

たとえば茨城県知事が翁長氏のような振る舞いをするとはおもえませんから、この翁長氏に「特別な何者か」と思わせた背景はなんなのでしょうか。

たぶんそれは、今まで前世紀に政権中枢にいた野中氏や小渕氏、あるいは額賀氏などの経世会の領袖たちから下にもおかない待遇を受けていたことに起因するのかもしれません。

その意識を引きずったまま沖縄県知事になれば、本土政府は電話一本で首相と面会でき、いそいそと要望に沿って動いてくれて当然、そう思っていたのかもしれません。 

沖縄利権を持っていた竹下派=旧経世会は、翁長氏のような沖縄の保守政治家となぁなぁまぁまぁの関係を作りました。 

移転問題が17年にも及ぶ長期に渡った大きな原因は、この前近代的体質を濃厚に残す経世会が沖縄の政財界と隠微な癒着関係を作ってしまったことにもあります。 

この竹下派が没落し、安倍首相になってからの官邸は、沖縄に対して妙なナーバスさを捨てています。 

それは「常に対話の扉は開かれているが、原則は変えない」という、対中・韓外交と似たスタンスです。 

安倍政権の態度は、腹心の菅氏を沖縄担当大臣として貼り付けながら、承認撤回については真正面から受けて立つという態度でした。 

そして訴訟合戦を収拾するべく高裁が提案した「和解」期間に乗りました。 

翁長氏もなんの目算もないまま乗ってしまったわけですが(たぶん共産党から叱られたことでしょうが)、この間、菅氏は約10カ月間、毎月のように来沖しているわけですから、いくらでも落とし所を見つける時間があったはずです。 

こうなると初めのボタンの掛け違いが響きます。本来「保革を超えた知事」ならそれらしく本土政府としっかりした信頼関係を作っておけばよかったのです。 

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 あの「和解」期間が唯一の解決の可能性があった時期だけに、それをみすみす無駄にした政治判断の悪さが恨まれます。 

このへんについては大量に記事にしていますから、過去ログを検索下さい。 

さて、冒頭の問いに戻るとしましょう。 

なぜ、翁長氏は転向したのでしょうか?転向したきっかけはなんだったのでしょうか。

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それが分かる資料が、当選直前の『翁長雄志さんに聞く 沖縄の保守が突きつけるもの』と題する翁長氏のインタビューに残っています。
http://www.geocities.jp/oohira181/onaga_okinawa.htm(上写真も同じ)

このインタビューは2012年11月14日に朝日がしたものですが、まだ那覇市長当時の翁長氏の心理をよく現して興味深いものです。 

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「――普天間問題での鳩山由紀夫内閣の迷走で「あつものに懲りた」というのが永田町の感覚でしょう。
 「ぼくは自民党県連の幹事長もやった人間です。沖縄問題の責任は一義的には自民党にある。しかし社会党や共産党に国を任せるわけにもいかない。困ったもんだと、ずっと思ってきた。
ただ、自民党でない国民は、沖縄の基地問題に理解があると思っていたんですよ。ところが政権交代して民主党になったら、何のことはない、民主党も全く同じことをする」
 「僕らはね、もう折れてしまったんです。何だ、本土の人はみんな一緒じゃないの、と。沖縄の声と合わせるように、鳩山さんが『県外』と言っても一顧だにしない。沖縄で自民党とか民主党とか言っている場合じゃないなという区切りが、鳩山内閣でつきました」

翁長氏は「基地問題は自民党以外は理解があると思っていたが、民主党政権になって鳩山首相がやってもまったく動かない」と本土の無理解を批判しているわけですが、同時にこんなことも言っています。

「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める。しかしそれと、沖縄に過重な基地負担をおわせるのは別の話だ。玄葉光一郎外相にも言ったが、あんた方のつぎはぎだらけの防衛政策を、ぼくらが命をかけて守る必要はない」
「本土は、日米安保が大切、日米同盟が大切。それで『尖閣を中国から守るのに、沖縄がオスプレイを配備させない』と言う。沖縄にすべて押しつけておいて、一人前の顔をするなと言いたい。
これはもうイデオロギーではなく、民族の問題じゃないかな。元知事の西銘順治さんが、沖縄の心はと問われ、『ヤマトンチュ(本土の人)になりたくて、なり切れない心』と言ったんだけれど、ぼくは分かった。ヤマトンチュになろうとしても、本土が寄せ付けないんだ」

防衛力は必要だ、日米安保も大事。基地はいるだろう、集団的自衛権も認める。しかし過剰な基地負担は認めない、ということです。 

ならば普天間の市街地にある米軍基地を、地元の容認を受けて過疎の地域に移動することが負担軽減にならないから反対だという論理が私にはわかりません。 

実際、翁長氏は、市長時代に那覇軍港の移設や、牧港補給しょうの移設で、さんざん利権がらみの動きをしていますから、それはカマトトでしょうと思います。 

移設問題は基地負担軽減政策の一環として生まれたもので、本島全体の米軍基地の移設計画が滞っているために返せないでいる施設も相当数あるのが実情です。 

普天間移設計画で、守屋次官とともに陰で動いた野中氏について、翁長氏はこう言っています。

「自民党の野中広務先生は、新米の県議だった僕に『いまは沖縄に基地を置くしかない。すまん。許してくれ』と頭を下げた。でも民主党の岡田克也さんなんか、足を組んで、NHKの青年の主張みたいな話をして、愛情もへったくれもない」

岡田氏が人間的感情に乏しい鉄仮面であるのはそのとおりですが、野中氏と翁長氏は相性がよかったと思います。 

それは旧来の自民党古参政治家らしい「思いやり」と、その見返りとしての利権配分ができるなぁなぁまぁまぁの「温かさ」があったからです。

これを翁長氏は、本土政府と沖縄との信頼関係だと考えていたのでしょう。 

言い換えれば、何も変えないというステイタス・クオ(現状維持)でした。

端的にそれは基地負担と振興予算の均衡を取ることでしたが、この微妙なバランスが崩されたと翁長氏が思った原因が二つあります。

ひとつは、先述した鳩山氏の「最低県外」チャブ台返しです。

そしていまひとつがオスプレイ配備でした。

オスプレイを新兵器の配備、しかも欠陥機だとメディアは報道しました。翁長氏はそれを知って、いままでの基地-振興予算の均衡が破られたと感じたのでしょう。

これでは約束が違う、本土政府よ、さらなる負担増を求めるのか、と翁長氏は赤ハチマキで決起したわけです。

もちろんただの誤解にすぎませんが、まったくあのメディアのオスプレイ・デマは罪作りです。 

自民党オールドウェーブが自民の実権を握っていた前世紀において、基地縮小はいっかな進まなかったし、ある意味それが翁長氏のような政治家が居心地がいい環境でもあったのです。 

しかし民主党政権となって、そんなことに頓着しない鳩山氏は、何の目算もなくチャブ台返しを演じてしまったわけで、この本土と沖縄自民の隠微な癒着共存関係は、一瞬にして崩壊してしまったわけです。 

それは自民が政権を奪還しても同じことで、完全にそうなったわけではありませんが、旧来の<配慮と利権配分>に替えて<原則的対応>が一歩前に現れるようになりました。

翁長氏風にいえば、岡田氏同然に安倍氏も、「愛情もへったくれもない」ということになります。

今後、沖縄は、前世紀に旧経世会と翁長自民が作ってきたような隠微な関係から脱して行かねばなりません。

その意味で、翁長氏は「基地はいらない。カネもいらない」とタンカを切っていたのですから、その言やよしです。

振興予算を拒否し、同時に基地も返上するという翁長氏は論理的整合性があります。

また日米安保も認め集団的自衛権すら認めるという防衛にも目配りができたのなら、やり方次第では大変に面白い展開となった可能性があります。(無理かなぁ)

本気で翁長氏がこの知事就任直前の意志を実行に移していたならば、沖縄は内在的変革の第1歩を踏むきっかけを得たかもしれません。

ところが、翁長氏はかつてこのインタビューでも強く批判していたはずのイデオロギーに取り込まれていってしまいます。

このように見てくると、今回の旧経世会であった竹下派の事実上の分裂と、時期を同じくして翁長氏の逝去があったのも、あながち偶然ではないようにみえてしまいます。

とまれ、私はこのインタビューに語られた矛盾した「日本」への屈折した愛憎こそが、翁長氏の「遺志」ではないかと思っています。

彼の事跡は、棺の蓋を覆って後、定まることでしょう。合掌。

改めて、翁長氏のご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

2018年8月10日 (金)

翁長氏最後の4カ月間、誰が彼を叩き続けたのか?

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翁長知事が死去してまだわずかな時間しかたっていませんが、かまびすしいことです。 

遺志を継げとか、アベが殺したんだとか、待ってましたといわんばかりの死の政治利用です。この人たちは、ひょっとして翁長氏が死んだことを喜んでいませんか。

私は翁長氏の死の遠因は、むしろこの人たちとの摩擦にあると思っています。

死去前の翁長氏は典型的なレームダックと化していましたし、知事の支持団体であるオール沖縄会議は、事実上解体状況でした。 

当選当時には「保革を超えて」が売り物だったはずですが、蓋を明ければ共産党の支配があからさまになって、それに反発する山城氏たち旧社会党系との抗争も表面化していました。 

翁長氏の与党旧新風会系や金秀や平良氏たちと、これら左翼陣営との体質の差は埋まりようがないところまで煮詰まっていました。 

共産党は解決を求めません。具体的対案はありません。ないからこそブレないので「強い」のです。 

辺野古移設反対ならば、「いかなる移設も新基地」な以上反対ですから、海を埋め立てないハンセン陸上案などは検討さえされなかったでしょう。

かつての大田知事は本土から小川和久氏などの専門家を招く柔軟性があったものですが、今の反対派はそのかけらも残っていません。

では、素朴に移設を阻止できたとしたらどうなるのか、少しでも考えてみたことがあるのでしょうか。

普天間基地はそのまま宜野湾市の市街地のど真ん中に残るわけですから、既存の飛行場は半永久的にそのままです。小学生にでも分かる理屈です。 

しかし平気です。なぜなら普天間も含めて沖縄中の基地は全部まとめて「全基地撤去」「安保廃棄」ですから。 

なんのためにどうして今ここで辺野古移設を阻止するのか、仮に勝利して阻止したら普天間基地はどうなるのか、といった初めに考えておくべきことが思考の枠からはずれているのです。 

もちろん現在の東アジア情勢においてただの空論ですが、一歩一歩漸進的改良を積み重ねていくことを拒否するいかにも「革命党」らしい発想です。 

政治運動家がこうであっても勝手にしなさいと言うだけですが、行政官たる知事がこうであっては困ります。

では、翁長氏が共産党と同一化したかといえば、そうではなさそうです。 

それは翁長氏が仲井真前知事の承認を取り消しをしたのが、就任から丸々1年経過した2015年10月だったことでも伺えます。

もし糸数氏が知事だったら、就任から一カ月以内に承認取り消しをしたことでしょう。

今回の二回目の承認取り消しにしても、翁長氏は散々迷った形跡があります。 

こんなことを今更やっても仕方がないという思いは、県政に長期間関わって本土政府と沖縄県の交渉の裏の裏まで知り尽くした彼としてはわかりすぎるほど分かっていたはずです。

彼にとって落とし所のない本土政府との交渉ごとはありえなかったはずです。

戦いを始めるのは簡単で、むしろどう終わりにするのか、どこで折り合うのかを探るほうが大変なのです。

翁長氏は就任前には、「反基地派は反対運動を精一杯やっていれば済むが、自分は政治家だから結果が大事だ」とうそぶいていました。

おそらくなんらかの取引が、本土政府と成立すると考えていたのでしょう。

この密かな翁長氏の自信は、身内の反対派からも、官邸からも裏切られました。

身内の反対派はそんな腹芸の出す余地を与えず、本土政府もまた今までの経世会的甘えを拒否しました。

両者の原則論にはさまれるようにして、翁長氏は圧倒的組織力を持つ左翼に押し流されていったわけです。

おそらく翁長氏は、あれほど望んでいた「知事の座」の座り心地の悲惨さに身悶えたこともあったのではないでしょうか。

いずれにしても、反対派が夢見る反基地永久闘争などありえないのです。

しかも今回の2回目取り消しは、承認後に生じた瑕疵を理由とするのですから、まさにケチツケにすぎません。

翁長氏はこの反対派に包囲されて、身も心もボロボロになっていったと思われます。

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翁長氏は承認撤回について「必ずやる」と約束しつつ、いつやるのかについて明言を避けてきました。 

本心はやりたくなかったのでしょうね。

当時彼は医師から余命数カ月と言い渡されていたはずですから、撤回を出したのはいいが、その間に自分のすい臓癌が進行したら、どのように後始末をつけたらいいのかわからなくなると悩んだのでしょう。

知事候補を自分の意にかなった者を探すのにも苦慮していたでしょうし、仮にいたとしてもそれを平良氏などの自陣営が認め、さらには共産党ら革新陣営が認めるか不透明でした。 

では旧オール沖縄陣営の分裂選挙をやるかというと、その元気はもう翁長氏には残っていなかったと思われます。

承認撤回自体も自分が倒れたら副知事がするだろうが、職務代行者でしかない副知事が国相手にやった前例はないし、仲井真氏が政権末期に承認したことを一番攻撃したのは自分だったはずだ・・・。

そんな自問自答を、翁長氏は頭の中で繰り返していたかもしれません。 

するとそれを知事の動揺と感じた反対派はいきり立ちます。 

元々あった保守くずれの翁長氏に対する反対派の不信感は頂点に達しました。 

おそらく、知事は裏で政府自民党と手を握ったにちがいない、政府が警告した知事個人への損害賠償請求を恐れているのではないか、と勘繰ったのでしょう。 

政府は淡々と工事を進め、6月中旬には8月17日に土砂投入すると通告しました。 

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これを受けて反対派は、どちらが敵だかわからないような内ゲバ的行動をとるようになります。 

それが7月13日から始まる、集団で知事公室すわり込み、対応した県職員に大声で暴言を吐きました。 

この反対派の蛮行は、翁長氏にとってさぞかし堪えたことでしょう。 

4月のすい臓癌発覚以来、抗ガン剤を投与されながら知事職を努めていた翁長氏にとって、県庁自知事公室にまで「同志」たちに座り込まれてシュプレッヒコールを浴びるとは・・・。 

そう言えば重病で車椅子で執務していた仲井真氏を、百条委員会で長時間吊るしあげたのも彼らでした。

反対派の言う「人権」や「平和」という言葉の正体が透けて見えます。

いたたまれず翁長氏は7月27日に会見を開き承認撤回を表明したわけですが、ここでも再び決断の遅れを批判されることになります。 

そして飽きることなく反対派は、翁長氏への圧力行動を継続します。 

8月7日、反対派団体は沖縄防衛局に突入して実に8時間にも及ぶ座り込みを敢行しました。 

これは一見すれば国に対しての戦いに見えますが、ほんとうの標的は翁長知事にあることは明らかでした。

おい翁長、会見はしたが現実にはしていないじゃないか、早くしろというわけです。 

出動した沖縄県警に対して反対派は局長との面会を求めて、「立ち退きを求める職員らに対し、反対派らは「小役人に用はない」「軍隊は暴力だから、それに反対するのは暴力ではない」などと怒号を」あげたようです。

自分たちの暴力は平和のためだから許されるということですし、高江の手ぬるい県警の警備や、「検問」判決の上告をやらせなかった翁長氏の足元を見ていたのです。

反基地無罪を唱える彼ららしい所業です。 

国としては、翁長氏が承認拒否をしようとしまいとに関わらず、もはやなんのスケジュールの変更はありえません。

翁長氏が撤回を通告しだい、返す刀で即座に撤回の執行停止を裁判所に申し立て、120%国が勝訴します。

しかも前回の承認拒否の場合と違って、裁判所の審理期間は1カ月足らずでしょうから、わずかの期間の工事中断となるだけです。

今回の知事選前倒しが影響したとしても、選挙以降直ちに再開されるはずです。

まったく無意味なパーフォーマンスですが、これをさせるために反対派は癌末期の患者を痛めつけたのでした。

その人たちが、今になってこぞって「翁長氏を追い詰めて殺したのはアベだ。知事は島のためを思って戦った英雄だ。遺志を継げ」と叫ぶのですから、呆れて開いた口がふさがりません。

白を黒というのはこれです。死の遠因のみならず、近因すらもこの人たちあります。

翁長氏最後の4カ月において、一体誰が翁長氏をバッシングし続けたのか、誰が声高に罵声を浴びせたのか、胸に手を当てて考えてみることです。

 

 

 

2018年8月 9日 (木)

山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その4

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翁長知事がお亡くなりになりました。享年67歳でした。ご冥福をお祈りします。 

ご承知のように、本ブログは翁長氏を強く批判してきました。それは今後もいささかも変わりません。 

しかしこの3年間の沖縄を牽引したことには間違いないひとりの人物の死を前にして、私は苦味の混ざった哀惜の念を感じます。

次の幕は上がっていませんが、ひとつの時代が確かに終わりました。

短期間の間、謝花副知事が代行となりますが、代行権限でどこまでやれるのか不明です。

一方、県知事選は9月に前倒しになります。「オール沖縄」陣営は「弔い合戦」というゴールドカードを手に入れました。

彼らは死した後も、「翁長」氏を利用しつづけるのでしょう。

この人たちは翁長氏を死の直前まで酷使し、亡くなった後は偶像化された「琉球民族の英雄」として再利用することでしょう。

それは人の生命すら政治利用することであって、翁長政治を総括することとはほど遠いことです。それが政治の常道だとはいえ、心寂しきことです。

一方、保守陣営にとって苦しい戦いが予想されます。

なお、老婆心ながらひとことだけお願いします。

故翁長氏に対して唾を吐きかけることは絶対にお止め下さい。批判は批判として、故人の死を嘲笑する愚かしい文化を私たち日本人は持ちません。 

今後の沖縄政治の展開についての予測は、下の産経(8月8日)記事と大きくは違わないものになるはずです。 

やや長文ですが、この乾き具合は美辞麗句に満ちた記事が溢れるであろう今日にはかえって向いているかもしれません。 

「翁長雄志・沖縄知事が死去 辺野古移設反対の象徴 知事選9月に前倒し 

がん治療を続けていた沖縄県の翁長雄志知事が8日午後、膵がんのため入院先の浦添総合病院(浦添市)で死去した。67歳だった。翁長氏は7日から意識混濁の状態に陥り、謝花喜一郎副知事が8日から職務を代理していた。知事選は翁長氏の任期満了(12月9日)に伴い11月1日告示、同18日投開票の日程が決まっていたが前倒しされ、9月中には行われる見通し。

謝花氏の説明によると、翁長氏は4月に切除手術を行った膵がんが肝臓に転移しており、7月30日から浦添総合病院に入院。8月7日から徐々に意識が混濁し始めたという。4日に謝花氏らに対し、意思決定ができない状況になった場合に職務代理者を置くよう指示したという。 

 公職選挙法の規定では、知事が死亡などにより任期途中で欠けた場合、県選挙管理委員会への通知後50日以内に知事選が行われる。9月30日投開票(同13日告示)が有力となり、9月23日投開票(同6日告示)も想定される。いずれの日程でも「9月7日告示-20日投開票」が予定される自民党総裁選の日程と重なることになりそうだ。 

 知事選をめぐっては、自民党県連などが推す宜野湾市の佐喜真淳市長が出馬の意思を表明している。共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄会議」は翁長氏擁立を目指すことを決定していたが、翁長氏は態度を明確にしてこなかった。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する勢力の知事選候補はゼロからの選考を余儀なくされることになる。 

一方、翁長氏は7月27日に普天間飛行場の辺野古移設に関し、仲井真弘多前知事が出した埋め立て承認の撤回に踏み切る考えを表明していた。今月9日に沖縄防衛局の主張を聞く「聴聞」を行い、政府が土砂投入を予定する17日までの撤回を目指していた。 

 翁長氏が不在の場合の撤回の判断について、謝花氏は8日夜、翁長氏が生前、撤回に踏み切って辺野古の土砂投入を阻止することにこだわっていたことを明かし、翁長氏死去後も職務代理者が撤回に踏み切る考えをにじませた。 

 翁長氏は那覇市生まれ。会社役員を経て那覇市議や県議、那覇市長を歴任。自民党県連幹事長も務めた。平成26年11月に辺野古移設の手続きを進めた仲井真氏を破って初当選。一貫して政府に対決姿勢を取り続け移設反対運動の象徴的存在だった」 

図らずもこの事態となって、山路さんには申し訳ないことになりました。今回が最終回です。Photo_2

                                                ~~~~~~~~~

 

山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その4
~翁長知事の「撤回訴訟」と県民投票に向けた「署名集め」について~
                                                                                                  山路敬介
 

承前 

■ 「撤回」は国側に有利であり、「辺野古移設問題」に決着を促す効果あり

本当のところ防衛局の方にも実は「痛い腹」はあって、それが例えば「軟弱地盤問題」です。
 

防衛局は「数値が直ちに軟弱地盤を示すものではない」としていますが、それ以上の事は説明していません。ただ、どう考えても当初は想定されていなかった「軟弱地盤部分」が存在するのは事実でしょう。

一般的に「埋立て」では許可後に発見される小瑕疵はつきもので、まずは対処的な技術で解決可能かどうか、それがダメなら設計変更が必要かどうかが問われるのであって、どう大目に見ても直ちにそれが「撤回理由」になる事はありません。

そもそも埋立権は国側にあるし、「埋め立て」に承諾を与えた以上、県にも「国土資源の有効活用」という意味を含めた「許可の趣旨」を前提に前向きに対応する義務が生じていると考えられるからです。

しかし、かねてから手ぐすね引いて「撤回をする」と公言している知事のもとにあっては、そのような協議が成立する見通しは立たず、(それが正しい事かどうか、その情報の中身の重度は別にして、)防衛局側に全ての情報を開示する事を躊躇させたと見えます。

反対派の立場にたってみれば、これは知事の重大な失態です。

にも関わらず、確たる根拠を示す見通しもなく「撤回」に踏み切った知事の真意を反対派がなぜ疑わないか? それが不思議です。
                      
あるいは「滑走路の距離不足問題」があります。

この事をして県や弁護団は「辺野古移設は普天間返還につながらない」と主張するつもりでしょうが、そのような事は国会でやるべき事で「撤回」に関する県と国との訴訟の中では無意味だし逆効果です。

確かに米側が緊急時における長距離の滑走路を別に要望しているのは事実でしょうが、それは普天間でなくてもいいし、埋め立てに関して国側には「一応の理由」があればいいだけです。
 

そもそも公有水面の埋め立ての権限は国が専ら有しており、県に対しては埋め立て地の実情に精通しているがゆえに「承認」に係わらせているにすぎないのです。 

知事の埋め立て許可に関する裁量権は極めて限定されていて、まして権限者である国を相手の訴訟で勝てる見込みはまったくありません。 

にもかかわらず知事が「撤回」に踏み出す真意こそ反対派は疑うべきなのです。

 

                                                                                                      (了)

 

 

                                          文責 山路 敬介

2018年8月 8日 (水)

山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その3

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山路氏寄稿の3回目となります。 

今日の記事で、山路氏は翁長氏が連敗街道をひた走ったあげく公約である「移転阻止」が不可能だとわかっても、なお安泰でいられる謎について考えています。

いまや多くの人が気がつき始めていますが、翁長氏には政治理念がありません。見事にからっぽです。

いやむしろ理念などなくていいのです。強烈な政治理念がないからこそ、彼を御輿に担いだ者たちは、何色にでも解釈可能だったからです。

変に理念を持って革新陣営にとって統制不能になるくらいなら、なにも知らなくてもけっこう、知らない方が革新の色付けをしやすいと思ったのでしょう。

翁長氏が革新陣営にとって「理想的知事」な理由は、その「無私」にあると山路氏は炯眼で見抜いています。

金秀や平良氏たち経済人には権益とポストを、革新陣営には県警の「過剰警備」をやめさせ、地裁の検問判決について怒る県警に上告を断念させる「公平性」を示しました。

これは行政官たる知事としてはあるまじき利権配分であり、職務放棄そのものです。

しかしこの「統治の放棄」こそが、翁長氏の連敗が許された統治の秘訣なのです。

このような「気配り」こそ、翁長氏が自民党県連のボスとして培ってきたもので、どう逆立ちしても学者出身が多い革新系政治家にまねできるものではありません。

その意味では翁長氏は、知事在任中にぞんぶんに政治屋としての手腕を振るったとも評せるのかもしれません。

ただそれが県民の安全と幸福にとっていかなる意味を持つのかとなると、まったく別次元なのですが。

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山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その3
              ~翁長知事の「撤回訴訟」と県民投票に向けた「署名集め」について~
                                                                                                  山路敬介
 

承前

 翁長知事の失敗が何度でも許されるのはなぜか 
 
革新系政党などで構成する県政与党は、翁長知事が「取り消し訴訟」に踏み込むのを当初反対する声が大勢だったと思います。
 

ところが、訴訟で「絶対に勝つ」と大ボラを吹いていた翁長知事がこれ以上ない形で大敗しても、県政与党からはその責任を問う声はおろか、些かの非難の声さえ上がりませんでした。 

それどころか打ち続く首長選の敗北を受け、しかも全国知事会を欠席するほどの健康状態にもかかわらず翁長再選を熱烈に乞う「オール沖縄」の諸君の心中には何があるか? 

その理由は「辺野古反対」を貫き通す姿勢への評価などと言う曖昧なものではなく、オール沖縄内の利益配分が適切だからです。 

なお、私がここで言う「利益配分」は金銭的な事だけを意味するものではありません。 

産経でも取り上げられていましたが、7月25日の知事会見で「アジアでは、中国とも米国とも安保条約を結んでいるところはない」などと完全な間違いを平気で言ったり、「中国の脅威は薄らぎ」、「北朝鮮問題も友好裡に推移」などとという認識を示しました。 

無知だし、空いた口が塞がらぬほど「アホ」で「間抜け」ではあります。(さすがにここまでひどくはないでしょうが、自民党議員だって似たりよったりなのですが)

翁長知事のバランス政治

しかし、長い間沖縄の政治に携わり、またそう出来て来た翁長政治の真髄はそういうところにはありません。

ある革新議員は翁長知事の最大の長所を問われ、「翁長知事は保守派ではあっても無私だし、オール沖縄内は公平だ」と答えています。
 

翁長知事のやり方は、ポストが好きな連中にはモノレールの社長の座やコンベンションビューローの会長の椅子を気前良く与え、一方の思想信条にこだわるグループに対しては別の政治的配慮をします。 

それは例えば、高江での県警の行動について「過剰警備はなかった」と答弁した天方公安委員を事実上「更迭」をしたり、琉球新報に訴えられた県警に上訴を許さなかったり、保守派の政治家なら狂死しそうな「統治意思の放棄」とも言える愚行を平気で利益分配として行うのです。 

これで共産党のメガネにかなわないワケがありません。

端的に言って翁長知事は古い自民党の政治を「オール沖縄」にも適用し、それを存分に活用して来たと言えます。

違いといえば隔たりなく気配りをした事で、それが「オール沖縄」の結束と自身への求心力を保つ秘訣になった思われます。 

表向きの注目度はともかく、とりあえず政策において自身の突出を避けた点も高得点でしょう。 

そうした小細工は俊才の仲井眞前知事には不得手だったし、その点に不満を感じていた翁長知事にとって理想的な環境を創造できたものと思います。

ところがそうなれば当然に翁長知事がやる事に対する無批判が昂じ、あげく実際には逆に翁長知事に権力が一元化しつつある現状が「オール沖縄」を覆ってしまっています。
 

だからこそ翁長知事は今回も無意味な「撤回」をして、再び敗北必死の訴訟合戦を繰り広げる事が可能なのです。 

そうした訴訟における度々の敗北が「辺野古移設」のストッパーになるはずはなく、むしろ穏やかで確実な世論を形成し推進されると見るのが現実的だと言えるでしょう。

 

 

                                                                                 (次回完結)

2018年8月 7日 (火)

山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その2

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山路氏寄稿の2回目です。

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』の最終巻に、こんな一節があります。

「薩軍には「勢い」という以外に、戦略らしい思想はなかった。
そのことは多分に西郷や薩摩軍幹部の戊辰戦争における体験に根ざしている。
「相手が勢いに乗ってやってくるのをこちらからみると、人物もみな大きく見えるものだ。時が過ぎると評価は定まるのだが」
という意味のことを、時代の担当能力をうしなった徳川方に属している勝海舟が語っている」

この「薩軍」を、オール沖縄に入れ換えてみると納得がつくでしょう。

かつては憎々しいほどパワーがあるかに見えた翁長知事は、いまや与党少数派を率いる病み衰えた老人にすぎず、島ぐるみを標榜したオール沖縄は共産党が牛耳る烏合の衆にすぎませんでした。

なによりも彼らには、先を見通した戦略が致命的に欠落していました。

政府は押せば引っ込むだろう、そのていどの時代の「勢い」でしか移設反対運動を発想出来なかったからです。

ですから予想外の政権の原則主義的な対応の壁にぶち当たると、脆くもついえました。

まことに、「時が過ぎると評価は定まる」ようです。

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                  山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その2
~翁長知事の「撤回訴訟」と県民投票に向けた「署名集め」について~
                                                                                                  山路敬介

承前 

翁長知事の「最後の悪あがき」

それはそれとして、ここに来ての知事の「辺野古反対」目的はついに知事自身や「オール沖縄」のための「政治の道具」に資する為だけに専らしぼられ顕在化して来ました。 

いよいよこの場面で明らかになった「オール沖縄」存続のために集約された「撤回権の利用」目的は、崖っぷちに立たされた「最後のあがき」を思わせるものでもあります。 

翁長氏自身が出馬する事はもうないでしょうが、来る県知事選はもちろん、那覇市長選や宜野湾市長選をはじめとする一連の選挙での争点を再びここで一括して「辺野古阻止」にセットし直さなければ、「オール沖縄」の生存はありません。 

県民をだまし、あるいはそれが「標語レベル以下」の空疎なものであったとしても、「辺野古阻止」を旗印としなければ結束力もヘチマもなく、知事自身への求心力も保てないのですから、今回の「撤回」は政治手法的には正しいのかも知れません。 

しかしそれ以上の意味は見いだせず、むしろ「辺野古阻止」それ自体にとって「撤回」は明らかなマイナス行為だと考えられます。

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県民投票実現に向けた「署名あつめ」の怪

県民投票条例制定に向けた「署名集め」も無意味です。
 

陳情の規定数には達したにせよ、目標には届かず「気勢が上がらずに終わった」と言わざるを得ませんし、だいいちあのようなやり方は意味を成しません。 

それに、どう好意的に見ても行動が遅すぎました。  

今となっては一方側の「政治運動」との評価をまぬがれ得ないし、普天間基地を擁する宜野湾市民を置き去りにした点からも「全県民的な運動」とは程遠いものです。 

私はその署名集めの現場に行ってみました。 

普段は「スーパーかねひで」で買い物をする機会はないのですが、宮古では「かねひで」でしか署名の場所はないようだったので、遠目に知り合いの姿がないのを幸いに近づき、多少話を聞く事ができました。

対応してくれたのは本島の若い人だと思うのですが、彼は私にこのように言いました。

「私たちは辺野古の埋め立てに反対する者で、新基地建設にも反対するものです。しかし、あなたが新基地建設に賛成し、かつ埋め立てにも賛成する立場であっても構わないのです。要は県民投票を行いたいという趣旨であって、そのあなたの考えを県民投票に反映させる事が重要なのではないでしょうか」 

正直、この私でも埋め立てそのものには原則反対なので、あやうく署名しそうになりました。かねてから「陸上案」を主張するここのブログ主様だって署名しかねない「問い方」なのです。 

■「県民投票」の詐術

この事に関して下地宮古島市長は議会答弁で、署名集めが「辺野古埋め立てに反対か否か」だけである事にふれ、「埋め立てのみの賛否だけでは不十分」とし、「普天間をどうするかを同時に問わなければおかしい」と強調しました。
 

そりゃそうです。 

「辺野古移設」は普天間の危険性の除去のためにした合意に基づいて政府が実行するものですから両者は決定的に不可分ですし、その前提は先の「取り消し訴訟」の判決でも明確になっています。 

一部にはかつての稲田前防衛相発言をもとにして、これを否定する向きもありますが、逆説的にひねり上げた解釈に過ぎず採用出来ません。


署名集めが例えば、「普天間基地を現状維持してでも、辺野古移設に反対か否か」を問うたものであれば見事なものです。
 

しかしそうではないし、そうした「埋め立ての可否」を問うだけの事には意味がないだけではなく、このような幼稚な誤魔化し手段を持ってしても低く設定した目標数に及ばかった事はすでにして「終わった運動だ」と言われても仕方がありません。 

またその落日味はハンパではありません。 

かつての運動側の者として多少の悲しみも憶えつつ、こうなった原因が知事に振り回され、引き伸ばされて来た結果にある、と振り返る事もしない無邪気さも痛いです。

むろん狙いは「県民投票の実現」にあるので運動側としてはこうした誤魔化しの署名集めも一定の前進には違いなく、それなりの意味があると考えての事でしょう。
 

仮に「県民投票」ができたとしても訴訟が待っている 

いちおうそれで首尾よく県民投票の実行まで漕ぎつけたとして、さらにその結果が運動側にとって思わしいものであった、と仮定して考えてみましょう。 

しかしそこからまた無意味な「宣言」以上の、政府による「辺野古断念」という実効性を勝ち取りたならば訴訟で勝たなければなりません。 

険しい道ですが、なんと言っても訴訟に持ち込むような行動に出たのは翁長知事の側なのです。 

また、訴訟による事で問題の解決の方法がそこに収斂されてしまい、結果的に市民的運動の成果に一定の歯止めがかかる意味を見逃してはなりません。

今回の「撤回」は民意とは別の理由によるものなので、「いわゆる民意」をこれからどう訴訟に反映させるかが課題となるところでもあります。
 

そうなると、これからの県民投票での問いかけも訴訟に耐えられるだけの「内容」や「質」、主張との「整合性」が決定的に問われるし、その前段となる「署名集め」での質問も充実したものにする必要がありました。 

今回の訴訟の場でも、再び被害者意識丸出しの歴史観をからめて「泣きすがり戦法」を試みつつ、あたかも「県民一致」の意思表示があったように話を盛るつもりかも知れませんが、「取り消し訴訟」の全面敗北があり、名護市長選を経過した現在では全く通用しません。 

くわえて切迫した我が国の外交事情は、国民一般的な意識の変化をともなって従来の対沖縄観にも大きな影響を与えています。

あるいは理論上、「撤回」は理由毎に何回でも出来ると考えられ、「いわゆる民意」を理由とした惨めで違法な「撤回」を別に重ねて行う腹づもりかも知れませんが、その要点もまた同じです。
 

たとえば県民投票での問いかけに関して言えば、「判例に則して国に対する損害賠償予定額として、あらかじめ500億円程度の県費を供託することに同意する」などの事項を付してあれば裁判で有利に働くことも有り得ます。 

しかし、それでは県当局や翁長知事が県民に発信して来た論理とは矛盾を来たしますし、そんなものに県民は決して同意しないでしょう。 

いずれにしても結果は針の穴を通す以上に難しいでしょうが、あのような署名集めも針の穴を作る程度の意味にはなるのかも知れません。

 

                                                                                          (続く)

 

 

2018年8月 6日 (月)

山路敬介氏寄稿 2018年盛夏 沖縄政治情勢考その1

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山路敬介氏より寄稿を頂戴いたしましたので、掲載させていただきます。ありがとうございます。

一読して、なるほどこういう見方もあるのかと、眼からうろこの思いです。

ご゙承知のように、翁長知事が「承認撤回」という最後のカードを切りました。

「最後のカード゙」といっても、出した県側もよく分かっているようにただのデキレース、あるいはエピローグです。

最高裁判決が出ている以上、いかなる法廷闘争も無意味な税金の無駄使いにすぎません。

さすがにそれをわかっている本土メディアは、ご挨拶程度の報じ方に終始しました。

山路氏が論考でも触れているように、いまや辺野古移設は「終わった政治テーマ」なのです。

このカードを知事自らに切らせるために、「オール沖縄」陣営は、候補者の擁立を遅らせてきました。

すい臓ガンで日常的な治療が必要な翁長氏が来期を担えるはずもないことはわかりきった話なのに、「オール沖縄」の政治的都合であたかも翁長氏を2期めも担ぐという常識を疑う発言が、共産党などからありました。

この翁長氏すら徹底的に政治利用し尽くしてやろうとするかの如き態度に、冷血という文字を念頭に浮かべたのは、私だけではないはずです。

今後、遅れた候補者の選定・擁立となるわけですが、謝花副知事以外これといった人物が見当たらないようです。

一方、自民党の候補者選びは迷走しました。

これは野党の冷や水を飲んでいた数年間、自民党県連が自分の体質を内在的に見直しをしてこなかったためだと感じます。

たしかに安里氏が県連と無関係に単独で名乗りを上げたことが発端でしたが、「選考委員会」というオープンな場を保証したわけですから、いくらでも風を取り入れるやりようがあったはずです。

結局、安里氏辞退、佐喜眞宜野湾知事一本化で決着しました。

の不透明な選考過程に疑問が残ったことは記事にしてありますが、多くの沖縄を語る者は、この私も含めてですが、「オール沖縄vs保守」という固定した枠組みで分析しようとします。

リベラルサイドに至ってはもっとあからさまに、あるべき「戦う沖縄民衆」といったどこにもない夢を、生身の沖縄に重ねようとしてきました。

なんのことはない、これでは本土の政治の写し絵として、沖縄政治を見ているだけにすぎないのです。

しかしそれだけではどうも理解できない部分が出てくるわけですが、それに対して山路氏は独自の鋭い分析を加えています。

なお、3回から4回分割となります。 タイトルは編者がつけさせていただきました。

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                                  ■2018年盛夏 沖縄政治情勢考 
~翁長知事の「撤回訴訟」と県民投票に向けた「署名集め」について~
                                                                                                  山路敬介


関心が薄れた翁長知事の「承認撤回」

翁長知事が埋め立て許可の「撤回」をやるようです。 

いつものように沖縄二紙ではそろって「最重要局面」だとか、「伝家の宝刀抜く」などとのバカバカしく扇情的な見出しがトップを飾りました。 

あたかも翁長知事がこれから成す「撤回」が、この先の訴訟においても合法の判断が下される可能性が少なくないかのように勘違いさせる論調にはあきれ返ります。 

これらの報道や論調は特定の勢力の為の政治運動を新聞が公然と行っている姿を示していて、事実に則した正しい認識を県民に伝え広めようとする新聞本来の役割は微塵もありません。 

この「撤回」によっても、「辺野古阻止」につながる可能性は100%有り得ず、翁長知事も県当局も、結果を十分わかった上での「芝居まわし」をしているにすぎません。 

だいいち、その内実は相変わらずの「弁護士まかせ」でもあります。

弁護人は訴訟の過程で生じるであろう本論とずれた部分での国側証言の微細なほころびや、訴訟法・行政法の先端学説に基づく極端な法運用等を裁判所が採用するべく主張するなど、訴訟そのものにおける技術的な部分に活路を見い出す戦術を考えているようですが、事はすでにそのような段階にはありません。

細かい手続き上の齟齬や、国側が現在考え得る限りの最先端の自然保護の知見を用いない事を持ってして「撤回要件」には当てはまりません。

二紙にそれらしく詳細に書かれている「撤回判断の根拠」たる四つの項目ついても同様で、(詳しくは長くなるので後にしますが、)これらの問題点が現時点で県の主張のように「明らかになっている」とは言えず、したがってそこから翁長知事の言う「公益に適合しない」という解を導く事は出来ません。

あるいは県の言い分が一部認められたとしても、「国の安全保障」と「普天間の危険性の除去」という巨大な公益性を裁判所が無視する事は100%有り得ません。

創作されたいわゆる「民意」

ふたたび創作されつつある「いわゆる民意」についてもまた同様です。

くわえて重要なのは「辺野古移設問題」は、すでに国民的な関心事ではなくなっている事です。

これは県当局のみならず、運動側にとって致命的です。

本土における今回の「撤回」に関する報道は「取り消し」時よりも大分取り扱いが小さく少なくなっています。(現に7月29日時点で全国紙と主要ブロック紙の社説でこの件を取り上げたのは4紙にとどまり、そのうち2紙が翁長知事による撤回に批判的です)

「取り消し訴訟」における完全敗北や名護市長選の結果が第一の要因となったのでしょうが、権力と権力との間の諍いが「訴訟」という形に収斂される事でネタとしての「市民運動性」的な価値が著しく失われた当然の結果でもあります。

私としてはこれ以上沖縄の馬鹿げた姿を日本中にさらすことは苦しく、また忍びないので、それはそれで良かったと思います。 

そして何より、「沖縄問題で両論併記は有り得ない」とし、沖縄県民を「被差別対象者」として祀り上げる本土大マスコミの共同幻想であるところの「沖縄の無謬性神話」もまた、普通にして賢明な一般国民の間では失われつつあると言えます。

いつまでも「沖縄の歴史的事実」などと言って、その退行性を大目に見ていたのでは日本の安全保障は成り立ちません。

翁長知事の「辺野古は無理」という誤算

翁長知事には「辺野古移設阻止」を出来る能力も権限もないのは明らかですが、最初から「辺野古阻止」に対する確固たる強い意思などありはしません。知事の「言葉」に騙されてはなりません。

ただ、「辺野古移設は不可能」とした知事の当初の考えは、本心からのものだったと思います。

翁長知事は「辺野古移設は不可能」と見立てたがゆえに「辺野古反対」に舵を切ったのにすぎなく、その方がリーズナブルだったからです。

それが「翁長ポピュリズム政治」の本質と限界です。

しかしこれは何も知事だけの事ではなく、最後まで「辺野古反対」にへばりついていた半身公明党議員で現自民県連会長の國場幸太郎氏などにも言える事です。

このあたりが、「辺野古移設」の必要性を良く理解して、その上でさらに周到に安倍政権の決意と覚悟を確かめて「埋め立て許可」をした仲井眞前知事との違いです。

その後の翁長知事は当初はまったく想定していなかった安倍政権の決然とした強い態度に打ちあたり、出口を塞がれて共産党を初めとする革新系に接着し傾斜するしかなくなったように見えます。

翁長知事の「辺野古移設」への考え方は蛇口の水のように変化する

ところが知事の「辺野古阻止」はその言葉とは別に当初より決して一貫しておらず、その時々の経緯と状況によって強弱、意味合いも違って推移させて来ました。

知事はまるで水道の蛇口をひねるように調節して、自身の権限行使を行います。

あるときは埋め立て土砂の搬入を認め、あるときは珊瑚の移植を許可し、あるいはそれを取り消します。

翁長知事のこうしたやり方をとらえて「反対しながら作らせる」と評したのは篠原章氏ですが、私にはそれ以上に翁長知事が安倍政権に沖縄的な「辺野古の作り方」を教授しているとすら思います。

事実だけを追った時系列的な表を作って遊んだりしていると、知事と菅沖縄担当大臣の間のやりとりは絶妙のタイミングが存在してい、私にはお互いに気息を通じ合わせた行動しているように見えて仕方ありません。

沖縄の旧型政治家のやり方は、「本土の一年は沖縄の十年」を地で行きます。

安倍政権との相違はすでに、そのスピード感の違いしかないと言って良いと思います。

見るべき肝心な点は、反対の動機となった「辺野古は無理」という認識は翁長知事には失われているだろう事です。

私には知事が「辺野古移設は行われるしかない」、という現実を受入れて対処して来ているように思えてならないのです。

今回の「撤回」の件についても同様です。国側には知事の「撤回」を欲し、かつそれを待ちわびていたフシさえあります。

このあたりの事は、また後でふれることとします。

                                                                                            (続)

2018年8月 5日 (日)

日曜写真館 白亜紀のような太陽が生まれる

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2018年8月 4日 (土)

石破サバイバルと「石破4条件」

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石破氏が総裁選に出るようです。 

よりによってこの陰気な人物ですかね、と思いますが、しゃーない。 

石破氏の党内不人気は有名で、2015年に旗揚げした時が20人、そしていまも20人。ゼンゼン増えません。 

出馬するには当人をのぞいてもう1名いなければできませんから、知ったことではありませんが、どうするのでしょうか。 

石破氏は今回玉砕しても3年後につなげるつもりでしょうが、惨敗となるともうその芽も消滅しますから、なんとかせねばなりません。 

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で、石破氏がとったサバイバルが3つあります。 

ひとつめは、アベヤメロー陣営を味方にすることで、既に朝日などのメディアから暗黙の支援をもらっているようで、よく顔を出します。 

朝日にすれば誰でもよかったのでしょうが、互いの国家観や歴史観に親和性があるようですし、ともかく安倍の対抗馬はこの人しか自民党内にいないのですから、選択の余地がありません。 

本来はぬるいリベラルの岸田氏あたりがご推奨なのでしょうが、賢明にも彼は3年後に「恩を売った」形を選びました。 

野田氏は亭主のスキャンダルで自滅してしまい論外です。野田さん、暴力団関係者だった夫を抱えていては永久に首相候補にはならんぞよ。 

それはさておき石破サバイバルの2番目は、旗幟を鮮明にしていない竹下派の支持をえることです。 

参院竹下派はかつて権勢を誇った経世会の末裔ですが、首相候補がいないまま昼行灯になりかかっていました。 

去る7月31日、この竹下派でなんと青木元参院幹事長の鶴の一声で石破支持が決まってしまいました。 

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あーあ、なんとあの青木幹雄氏ですか(ため息)。まだ脂っけが抜けないのね。 

青木翁は、古賀誠氏、山崎拓氏、故野中広務氏らと並んで、古い自民党の腐臭漂う亡霊のような人物です。 

上の写真のメンツで、今や共産党や朝日と肩を組んでアベヤメローと叫んでおられることはつとに有名です。 

この青木翁が突如、31日の幹部8人との会合で反安倍・石破支持の方向を確認したようですが、衆院の竹下派からすれば寝耳に水で、経済再生担当相茂木敏充氏らをはじめ首相支持派がほぼ全員と言われています。 

したがって、竹下派は分裂投票となり、いっそう派閥会長の竹下亘氏の求心力は低下することになります。 

伝統の竹下派一枚岩が崩れるかどうかですか、すいません、私、どーでもいいです。 

となると残り3番目の石破氏のサバイバルは、地方票ということなります。 

おそらく石破氏としては、前回2012年総裁選で見た夢よ、もう一度ということでしょうね。 

前回は、石破氏は地方票165票で第1位、安倍氏87票でしたからね。さぞかしゲルちゃん、今でも思い出してはムフフと思っていることでしょう。 

あの夢よもう一度とばかりに地方行脚に精を出しているようですが、いかがなりますか。 

というのは、石破氏は初代の地方創生大臣だったわけですが、やったことは「石破4条件」を作っただけで、地本活性化のためにはひと肌も脱がなかったからです。 

この「石破4条件」を検証すると、彼が地方経済をどう考えているのか、官僚の規制権限をどうとらえているのかがよく分かります。

この「石破4条件」は2015年6月30日に閣議決定されたものですが、要は、安倍氏が進める国家戦略特区に対抗して、既存の文科省や獣医師会の規制緩和反対の動きに乗ったものでした。 

「石破4条件」は、獣医学部新設に関して新たにこの条件を乗せました。 

①新たな分野のニーズがあること。
②既存の大学で対応できないこと。
③教授陣・施設が充実していること。
④獣医師の需給バランスに悪影響を与えないこと。
※これを2016年3月までに検討すること。

 この「石破壊4条件」が作られた経緯は、2017年7月18日の産経「加計学園 行政は歪められたのか(上)」に詳細が載っています。
https://www.sankei.com/premium/news/170717/prm1707170008-n1.html
 

2015年9月9日に、石破氏が衆院議員会館の自室で日本獣医師政治連盟委員長の北村直人氏と日本獣医師会会長の蔵内勇夫氏に言った言葉が明らかになっています。 

「学部の新設条件は大変苦慮しましたが、練りに練って、誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にしました」

 これが事実なら、石破壊氏は地方創生大臣でありながら、獣医学新設を長年求めてきた愛媛県を裏切って、業界団体の獣医師会側に加担したことになります。

「このいわゆる「石破4条件」により獣医学部新設は極めて困難となった。獣医師の質の低下などを理由に獣医学部新設に猛反対してきた獣医師会にとっては「満額回答」だといえる。北村は獣医師会の会議で「(4条件という)大きな壁を作ってもらった」と胸を張った」
(産経前掲)

この「4条件」は、昨日書いた文科省が獣医学部の申請を一切認めまいとする同省の2003年3月の「文科省告知」を更にハードルを高くしたものです。 

当時、国家戦略特別区を進める内閣府と文科省は、この「告示」をめぐって対立関係にあり、内閣府はこれを岩盤規制の諸悪の根源と見ていました。 

一方文科省は「告知」を変える必要を認めないため、石破氏に判断を求めたようですが、石破氏は丸々文科省案を認めただけではなく、逆にそれをパワーアップしてしまったわけです。 

,裏はとれませんが、これには文科省の入れ知恵があったと思われます。 

ここで文科省、獣医師会、そして石破氏などは、ここで愛媛県は諦めるだろうとタカをくくっていたのでしょうか、驚くべきことに愛媛県と加計学園の熱意は、この新たな障壁である「石破4条件」をクリアしてしまったのです。 

ここで「石破壊4条件」は、一転して文科省の側のハードルとなってしまいます。 

というのは、前述の「4条件」の検討期限が2016年3月だったからで、ここまでに文科省がダメ出しを挙証しないと時間切れタイムアウト、文科省の負けが決まってしまうからです。 

当時事務次官だった前川喜平氏は、挙証責任は文科省にないなどとうそぶいていますが、まったくデタラメです。 

そもそも文科省の学部新設を「告知」ひとつで阻止してきた許認可制度自体に問題があるのであって、この認可制度は、憲法22条違反の疑いがあります。 

「憲法第22条 なに人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」 

憲法の原則に反した「告知」を作った文科省に挙証責任があるのは明らかです。護憲大好きな前川さん、あなた憲法を壊していますよ。

もう一方の規制側だった農水省は、とうにこの獣医学部新設には強い反対の意志がないことを明らかにしており、孤立無縁となった文科省が自滅したのです。

したがって本来は、2016年3月までの定められた期限までに文科省が挙証できなかった以上、本来は「告知」そのものを廃止せねばならなかったのです。

しかし、治まらない前川前事務次官は、在任中は面従腹背で審査すること自体は認めたものの、退職後はその延長戦をアベヤメローの形で継続したというわけです。

この負の情熱には頭が下がります。

一方の当事者であるはずの石破氏が、妙に他人ごとのように「自民党はきちんと説明しろ」みたいなことを言っているのを聞くと、この人にそんなことを言う資格があるとは思えません。

この人は「石破4条件」と言われるのさえイヤがっているようですが、党全体が危機に際しているのに、自分が関わったことすら忘れて他人事のような批判ができてしまうのが、この御仁の形質のようです。

私は石破茂という人物の、このような「軽さ」がたまらなく嫌いです。

この加計事件のいきさつをみれば分かるように、石破氏は地方自治体の十数年に渡る努力を、業者団体・文科省官僚とつるんで潰す側に回った人物でした。

そうならそうと、モリカケ事件の火中で規制緩和反対として論を立てるべきでした。

それもせずに沈黙し、政権と党をメディアにくさすということで保身を図ろうとしました。

自民党という船が沈もうとすると真っ先にひとり逃げようとする小ずるさは、かつて一度実際にやっただけに、多くの自民党議員たちの嫌悪の対象とされました。

これでは人は彼を担ごうとしません。だから派閥がひとりも増えなかったのは当然すぎるほど当然です。

このような人物を地方創生大臣に任じたり、幹事長に遇した安倍氏の見識さえ問われるところです。

この石破氏に地方党員が絶大な支持を与えて奇跡の逆転となるかどうか、お手並みを拝見としましょう。

 

 

 

2018年8月 3日 (金)

文科省官僚のパワー2大源泉とは

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先日来メディアは、モリカケの熱量の数万分の1の熱量で文科省汚職を報じています。

この文科省汚職を深堀すると、なにか触れたくないことに突き当たるのがこわいようで、完全に腰が引けています。 

谷口容疑者の一回あたりの接待額が判明しました

「25万3,700円、43万9,500円、そして、54万5,000円。
これらは全て、会社役員が銀座の高級クラブなどで、官僚らを接待した際の領収書。FNNが入手した領収書からは、接待費が多い時で月600万円を超えていたことが明らかになった」(FNN8月2日)

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20180802-00397781-fnn-soci

 素朴な疑問ですが、なにやったら一回40万も飲めるんでしょうかね。1カ月で600万ですって、年収分が1カ月で飲み食いに使われたというわけですか。ひぇー。 

一回飯代で4千円も使ったら、残り1週間は緊縮モードになる我々には想像を絶しますな。ああ、いかん、こういうセコイ計算していると気が滅入る。 

ではなぜ、この「霞が関ブローカー」の谷口容疑者は文科省の高級官僚に、こんな接待をしたのでしょうか。 

それは昨日宜野湾くれないさんが端的に指摘されたように、文科省が許認可権と助成金の配分を握っているからです。 

これが文科省官僚のパワーの2大源泉です。 

文科省は補助金を差配する権限を握ることで、それを餌にして大学の教授に天下りをしたり、息子を裏口入学させたり、一晩平均40万も使う接待を受けられたのです。 

税金である助成金を、自らの利益のために不正に支出したのですから、贈収賄と断じてかまわない思います。 

その意味で前川前事務次官のケースは、本来ただの国家公務員の規則違反などではなく、不正な私学助成金支出に関わり、その見返りをもらった贈収賄事件として問われるべきでした。 

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さてもうひとつの文科省官僚のパワーの源が、許認可権限です。実はこの典型的な事例が加計事件でした。

メディアはあれほどまでに膨大な報道をしておきながら、肝心要の核心をズラしました。 それは加計事件は、煎じ詰めると文科省「告示」に行きつくということです。 

ではなぜ愛媛県は十数年間の間、たかだか獣医学部ひとつをつくるのに足踏みしたのでしょうか。 

なにせ、最後に獣医学部が認可されたのは、はるか彼方の52年前だったんですから。 

その理由を、当事者である文科省専門教育局長が述べている部分があります。
2016年9月16日・国家戦略特区ワーキンググループ(WG)のヒアリング議事録http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h28/shouchou/160916_gijiyoushi_2.pdf 

「浅野課長(文部科学省高等教育局専門教育課長) この設置等に係る認可の基準という文部科学省の告示の第1条第4号の中で、この獣医師の養成に係る大学等の設置もしくは主要定員増は除外されているということでございます」

 ここで浅野文科省課長が、民間委員にまいったろうとばかりに出したのが、「文科省告知」というやつです。
「(大学・大学院・短期大学及び高等専門学校の)設置等に係る認可の基準に関わる文科省告示・第1条第4号」 

「告知」は法律・法令ではありません。あたかも法律のように文科省官僚が使っているだけのことで、実際はただの「お知らせ」にすぎません。 

この「お知らせ」にただの2行こうあります。 

第1条4項 歯科医師、獣医師及び船舶職員の養成に係る大学等の設置若しくは収容定員増又は医師の養成に係る大学等の設置でないこと。」
文科省・大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置等に係る認可の基準 http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/10/27/1260236_1.pdf

はい、ここで文科省は獣医師の定員または増員について許認可は、オレのものだと言っているのがわかりますね。 

この許可基準の「お知らせ」に、あらかじめ獣医学部の新設は認可しない、とあります。 

つまり獣医学部を作ろうとすると、審査さえ受けられずに門前払いされてきたのです。 

「愛媛県さん、告知に書いてあるでしょう。新設は認められないから、審査もへったくれもないんですよ。さぁ帰って、帰って」というわけです。 

しかもこの「告知」とは、法律・法令ではなく、いわば内規に等しい「告知」にすぎません。国会で審議される必要もない、文科省が勝手に作れる内規なのです。

法律は国民に付託された国会で審議されますが、「告知」は内規なので文科省が勝手につくれてしまいます。 

つまりは、愛媛県と加計学園がどんなに無駄足を踏もうと、文科省はこのたった2行の「お知らせ」を楯にして門前払いし続けてこられたわけです。 

え、文科省は畜産の現場を知っているかって。わけないでしょう。もちろん門外漢です。

だから「浅野課長 恐らくこれは文科省だけでは決められないと思います」(前掲議事録)と言って、農水省に聞いてくれと逃げているわけです。

農水に聞かなきゃわからないというなら、初めから文科省が許認可権限を握るなよと思いますが、学校・学部の許認可権限を握っているために、文科省が防疫を現場で担う獣医師の数を統制できてしまったのです。 

規制緩和特区は、ひとつの地域をモデルにすることで官の規制を緩めていき、うまく行くなら全国に拡げていこうとする試みでした。 

ですから諮問会議WG委員はこう言って、文科省にこう噛みついています。 

「本間委員 要するに獣医師が増えるか増えないかということは、文部省のマターではないということです」

そのとおりです。

これは本来、文科省が扱うべき事案ではないのです。

そして結局、この民間委員の正論に抗しきれず、文科省は追い詰められて白旗を上げるのですが、それとてただ学部開設が適当かどうかの審査を受けることができたという、いわばスタート台に乗れただけの話でした。

言ってみれば、お前は入試さえ受けさせないから、渋々入試くらいは受けてもいいになっただけです。

たかがこれだけのことを、自分たちの歴史的資産が犯されたと考えたと思った人たちがいました。

いうまでもありませんが、前川喜一氏たち高級官僚のグループです。彼は政治の力で文科省の許認可利権の一部を削られてしまった、と考えたようです。

その時彼が言ったセリフが下にあります。この「行政が歪められた」という言い方を、安倍氏が友人の便宜供与をした、とメディアと野党はとりました。

すぐに政治利用せずに、その背景を検証すれば違うことが分かったでしょうに。

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 ここで前川前事務次官が言う「公平であるべき行政のあり方」というのは、義務教育を受ける権利のような行政の公平性一般を指していません。

今まで自分らの利権を守るために「告知」ひとつで獣医学部の申請を「公正公平に」門前払いにしてきたのだから、規制緩和特区だかなんだかしらないが、それを「歪めて」もらっては困るということにすぎません。

そして天下り斡旋と「貧困調査」でクビ同然にして文科省を追われた前川氏は、深く逆恨みをしたようです。そもそも政府官庁トップは、クビにできないのです。

そういう弊害をなくすために内閣人事局が作られたのですが、これも前川氏は気に食わなかったのでしょう。

自分で辞めると言い出さないかぎり定年まで職にしがみついていられます。前川氏はその「よき慣例」を破って、辞任に追い込んだ官邸を憎悪したのでしょう。

前川氏からすれば、アベになってから散々でした。

獣医学部を作ってはならないという告知(お知らせ)は破られ、あたりまえの慣習としてやっていたお土産つき天下りも問題視され、そのうえにトップのこのオレをこんな微罪で追放しやがって、と逆上したのでしょう。

しかし辞任扱いで、6千万くらいの退職金も貰っているのですから温情措置じゃないですかね。

しかし治まらない前川氏は、この私憤を公憤に転化してしまったために、ここからモリカケ第2章が始まってしまったわけでした。

つまりなんのことはない、文科省が歴史的に築いてきた文科省利権資産を、アベが破壊したので許せんというだけのことです。

彼にとって、文科省利権とは「行政の公平・公正」そのものだからです。

「おのれ憎っきアベめ、オレたちが先輩から譲り受けてきて太らせてきた許認可権限や天下りに風穴をあけやがって、天誅をくれてやるぞ」、というわけです。

そしてやったのが、自分のかつての部下から得た内部文書を朝日にリークすることでした。朝日と前川さんはリベラルで相性よかったからです。

ここから延々と足かけ2年、国民はモリカケという三文芝居を見せられるはめになります。

長くなりましたので、次回に続けます。

2018年8月 2日 (木)

汚吏の巣窟だった文科省

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まぁ、次から次に出てくる、出てくるもんですな。もちろん文科省の腐敗です。 

文科省が、汚吏どもの巣窟だったことが分かってしまいました。

「文部科学省の腐敗が止まらない。私立大学の支援事業をめぐり、前科学技術・学術政策局長が、息子の裏口入学を賄賂とした汚職事件で逮捕・起訴されたのに続き、同省前国際統括官(局長級)も、収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕された。
墜ちた「エース」級幹部の共通点として、「霞が関ブローカー」と呼ばれる医療コンサルティング会社の元役員=贈賄容疑で逮捕=の存在がある」(産経7月28日)
 

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文科省の犯罪はいくつかのタイプに分かれます。 

1型は、天下り斡旋です。 

特定の利権を握った官僚が利権を与えて、その見返りとして受け入れ先に天下ってしまうのですから、そうは言われないのがかえって不思議ですが、立派な贈収賄です。 

典型的な事例は、2017年1月、文科省高等教育局長の吉田大輔氏が早大教授へ天下りしており、それを事務次官が組織ぐるみで関与していたことが発覚しました。 

で、時の事務次官が再就職斡旋禁止規則違反を問われて退任に追い込まれれたわけですが、ご承知のように、この事務次官は前川喜平氏といいましたから、氏を記念して1型を「前川型」と呼ぶことにします。 

20170120j09w500https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_doubt20170120j-09-w500

天下り自体はありえることです。ひとりの官僚が、長年蓄積してきた知見を退職後に次の職場で活かすことはよくある話で、 別にそのこと自体は、悪いことではありません。

ところが、そこに官僚が「お土産」を持っていく見返りとしてその天下りポストを約束されたとなると、自ずと話は別です。 

これはただの国家公務員規則違反という次元ではなくなり、これひょっとして収賄とちゃうのということになります。 

このすり替えをよく官僚はします。前川斡旋事件でも、なーんだただの天下りでしょう、と思ってしまいがちですが、実は天下りすることと引き換えに何を「お土産」に持って行ったのでしょうか。

この前川事件の場合、ただの天下りではなく、ポストにありつくために官僚時代のコネを使って補助金をえられるように便宜供与をしたのでした。 

それが私学支援金でした。

早大のHPには堂々と前局長を教授とした理由を、「国の高等教育政策の動向の調査研究、文科省の各種事業に関する連絡調整などへの関与をする」と悪びれずに書いています。 

「文科省との連絡調整への関与と助言」ということは、文科省が出す何らかの補助金を獲得するために、局長が元部下を動かしてくれるんじゃないかな、そうさ、絶対にそうしてくれるはずだ、ということですから、下心丸見えです。 

文科省高等教育局は、大学の設置許可や私学への助成金を差配するセクション、一方早大は文科省助成金の受託大手ですから、誰が何に何を期待して天下りポストを用意したのか、わかりすぎるほど分かってしまいます。 

しかも、このような局長クラスの大物官僚が天下る場合、当人同士ということはまずありません。

送り出す文科省は前川事務次官が指図して人事課が裏業務として動きましたし、早大側も総長まで含めた組織ぐるみで迎え入れています。 

前川事件では明らかになりませんでしたが、後述する「霞が関ブローカー」の出番は、このマッチング情報を持ち歩くことです。

ここでこの大学や企業がこういうカネを欲しがっているという情報を文科省に持ち込み、文科省はこういう人を出したがっていて、こいつの権限はこうだった、という情報を逆の側に仲介し稼ぐのです。

早大総長は「斡旋禁止規則に詳しくなかった」などととぼけたことを言っていますが、組織ぐるみの贈収賄をなんとも思わないような構造が、文科省にも天下り先にも共にあったということになります。 

なみに前川前事務次官は、問題視されると、調査委員会に対して証拠隠滅や口裏合わせをした悪質行為もバレています。

さらには週に4回に及んだ「貧困調査」の悪癖までが明らかになるに至って、職を失うことになりました。

Photo_2https://www.sankei.com/affairs/news/180729/afr1807290005-n1.html

2型は、同じ贈収賄でも実に古典的、かつストレートで、いかにもいかにも汚吏がやりそうなことです。 

それはズバリ、業者からの過剰接待です。 

この意地汚さは、かつての大蔵省時代のノーパンしゃぶしゃぶ事件を思わせますので、2型は「しゃぶしゃぶ型」とでも称しますか。 

「川端容疑者はJAXAに出向中の平成27年8月~29年3月、谷口容疑者が役員を務めていた医療コンサル会社に便宜を図るなどした見返りに、東京都内の飲食店などで複数回にわたり計約140万円相当の飲食接待を受けた疑いがある」(産経7月29日)

飲食店と言ってもラーメン屋ではなく、高級クラブや高級風俗店だったようです。やれやれ。 

この川端に贈賄したのが、霞が関を根城とするブローカーの谷口浩司です。この男がハブとなって多くの収賄をしています。

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谷口はJAXAが、「災害発生時に複数の人工衛星を活用した緊急対策を実施。観測衛星の画像データを自治体などに提供したり、超高速インターネット衛星を利用して通信環境を支援したりしている」(産経7月29日)ことに眼をつけ、電気通信工事会社に斡旋しようとしました。

 この「しゃぶしゃぶ」の接待費の大半は、このアイシン共聴開発の日高社長が負担していました。 

しかも川端だけではすまず、これにも事務次官が同席していたことが判明しています。

「(川端の)他にも、局長級を含めた複数の同省幹部を飲食接待していたことが29日、関係者への取材で分かった。東京地検特捜部はこれらの幹部からも任意で事情聴取。谷口容疑者が幅広く接待して人脈を広げていたとみて実態を調べている。(略)
特捜部が26日に行った文科省への家宅捜索は、川端容疑者の所属部署だけでなく、ほかの部署も対象になったもようだ」
(産経7月29日)
 

詳細は特捜部の操作が進まないとわかりませんが、これもまた事務次官クラスまで含む大規模な贈収賄であったと思われます。

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3型も、この霞が関ブローカーの谷口が絡んでいます。この3型は「裏口入学型」とでも呼びましょう。

谷口は、佐野太科学技術・学術局長が自分の息子を東京医科大に裏口入学させたいと望んでいることに眼をつけ、東京医科大の学長・理事長に話をつけて、その見返りに助成金を貰えるように「指導」する便宜を図ってもらっていたようです。

しかもこの過剰接待には、事務次官までもがお相伴していたというのですから失笑します

この事務次官の前任は前川氏ですから、二代続けて何をやっているんでしょうね。いや、たかだか2代どころじゃないのかもしれませんが。

「関係者によると、谷口容疑者は、東京医科大が支援事業に選定されるよう便宜を図る依頼を受け、見返りに息子を合格させてもらったとして受託収賄罪で起訴された同省前科学技術・学術政策局長の佐野太(ふとし)被告(59)に対しても飲食接待を重ねていたほか、別の局長級を含めた複数の同省幹部や同省OBらにも飲食費を提供するなどしていたという」(産経7月29日)

この霞が関ブローカー谷口は、文科省だけでなく他の省庁にも及んでいるとされ、特に文科省には長期間に渡って出入りしていたとされています。

谷口の妻の暴露によれば、谷口はかつては民主党羽田雄一郎議員の政策顧問であり、裏口入学の実際の紹介者は立憲民主の吉田統彦議員だそうですが、裏をとりようもありませんから、ライトサイドの皆さん大騒ぎしないで下さいね。 

このブログには未確認情報がたくさん記されていますが、すべてを丸飲みする気に私はなれませんが、まぁ野党議員がなにかしらの形でかんでいたことはありえることかもしれません。 

それこそ民進党系諸雑派の皆さんは、得意の「追及チーム」を作って徹底解明をされたらいかがでしょうか。
谷口浩司のホームページhttp://kojitaniguchi.com/

現時点では特捜の調査待ちですが、1型の「前川型」、2型の「しゃぶしゃぶ型」、3型の「裏口入学型」も、更に広範に、しかも文科省上層部にまで腐敗が及んでいると思うのが妥当でしょう。

また、先日来騒がれている日本ボクシング協会の会長パワハラ問題も、監督官庁の文科省傘下のスポーツ庁は、内部告発状に300名超が名乗り出るまで、一体何をしていたのでしょうか。

日大アメフト事件で、管轄官庁の文科省は何をしていたのでしょうか。

はたまた、この災害とまで言われる酷暑の真夏に高校野球全国大会を、私企業の朝日がやることを、指をくわえてながめているつもりなのでしょうか。

いや全国の小学校でクーラーの設置半数に及ばないことを、自治体の責任にだけしてよいでしょうか。

このように文科省が、子供のためにまじめに仕事に取り組んでいるとはとうてい思えません。

となると私としては、4型としてまともに仕事をしない不作為を入れたくなります。

モリカケでは、総務省が調査に赴いた加計学園で、学園の車に乗ったのが「忖度」の証拠だとグジグジと報じていたようなメディアが、今回はなぜか静かなものです。

これも前川氏を、あまりに「英雄」として持ち上げすぎたためなのでしょうか。 

いずれにしてもこんな腐りきった官庁は、一刻も早く統廃合のジャンク・ポスト行きにしたほうがいいと思います。

 

 

 

2018年8月 1日 (水)

「Gの偶然」さんから示唆に富む投稿を頂戴しました

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ブログをやっていてよかったと思えるのは、昨日のHN「Gの偶然」さんのようなコメントにめぐりあった時です。ありがとうございます。 

さてこの中で、「Gの偶然」さんがおっしゃって いることは、大変に示唆に富むものです。 

このコメント冒頭で氏は自らをゲイであると名乗った上で、率直に今回のLGBTデモについてこのように書かれています。 

「彼らは対立構造の狭間で養分を吸収するために、常に対立構造を必要としています。
そして彼らの、(LGBT運動における)最終的な着地点は「同性婚」です。
いつかこの要請を強めた時こそ、正常な知識、センスを持ったあらゆる分野の人間が反対に立ち上がり、対立構造の完成を見るでしょう。
このままでは、火のない所に煙を立てられた結果、私たち性的マイノリティは、お隣の国と同じ顛末を迎えるのでは、と危惧しております」

私もくだんのデモに対して感じた違和感は、まさにそれです。 

社会の中に対立を起こしてまで自分たちの要望を通したいのか、それともいわゆる「健常者」との静かな融和をめざすのか、という点です。 

今回のデモを捉えて、2016年に一回LGBT差別解消法なるものを作ったことのある立憲民主はさっそく類似のものを作るようです。
https://www.minshin.or.jp/article/109178 

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今度も似たようなものになるはずです。

「レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーをはじめとする性的少数者が性自認や性的指向をカミングアウトした場合や意図せずに知られた場合、差別にさらされるという困難に直面する。
本法案は、国や地方自治体が性的指向又は性自認を理由とする差別の解消を推進するための方針・計画などを定め、行政機関や事業者が性的指向又は性自認を理由として差別的取扱いを行うことを禁止すると同時に、雇用(募集・採用)の際の均等な機会を提供し、ハラスメントを防止すること、学校などでいじめなどが行われることがないように取り組むことなどを定めたもの」
(民進党ニュース「LGBT差別解消法案を衆院に提出 」2016年05月27日)

後はお定まりの政策メニューが並んでいます。 

要約すれば、政府に差別解消のための法律を作らせて、都道府県に解消基本計画を作れということです。 

①行政機関の差別の禁止、②雇用の差別禁止、③差別解消のための啓発活動といったところです。 

ヘイト規制法を作った法務省が作っても、そっくりなことを言うでしょう。
(「性的指向及び性自認を理由とする偏見や差別をなくしましょう」http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00126.html 

で、こんなことをやってLGBTの人たちがいう「息苦しさ」が解消されるでしょうか? 

たぶんされないどころか、かえって陰に回って陰湿になると、私は思います。 

たとえば米国では今、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスが猛威を奮っています。 

これはオバマの政治手法が火をつけたもので、世の中をキレイゴトだけでバサバサと斬っていき、これでなんとなく歴史的に蓄積してきたネガティブな遺産を清算することができると思う発想です。 

いかにも弁護士出身のオバマが考えそうなことで、法やそれに準じる規制法を作って、社会にタガをハメていけば「差別がない美しい社会」ができるという考え方です。 

ある種の設計主義に基づいた社会革命だと思えばいいでしょう。

メディアやリベラル運動家がいわば思想警察となって、「違反者」をビシビシと取り締まり、社会的に抹殺するのですから、民主主義の仮面をかぶった警察国家の誕生です。 

「Gの偶然」さんはこう書いています。 

「メディアも対立構造を強化するでしょう。現在はLGBTの光の部分のみ焦点を当て同情を寄せていますが、実は影の部分に焦点を当てれば、世論は必ず嫌悪に変化する。当事者として確信があります」 

危惧の通りとなりつつあります。 

杉田氏は容貌が「幸せに縁がないから、こんなLGBT差別をするのだ」と朝日系メディアの 「アエラ」が煽っています。 

社会の木鐸(ぼくたく)を自認し、大学入試に出題されることをCMにすらしている新聞社がすべきことではありません。

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差別をなくそうと言う口の端から、女性の容貌まで誹謗中傷の対象にして恥じない、それがポリコレ大好きの朝日の「正義」です。 

そしてそれに煽られたかのように一部は、テロにまで発展させるかもしれません。現実に杉田氏への殺害予告もあったそうです。
自民・杉田水脈衆院議員に殺害予告 被害届を提出 寄稿 ... - 産経ニュース

Photo_4上の写真は先日の自民党本部デモで掲げられていたプラカードのひとつです。

まさに魔女狩りそのもので、毒虫の杉田を吊るせ、魔女を生かしておくな、火あぶりにしろというわけです。

彼らの一部は、ポリコレを達成するためには、いかなる手段も選ばない、差別排除が新たな差別と偏見を生んでも気にしない、大の虫を生かすためには小の虫など踏み潰してもいいのだ、いやむしろ差別主義者は社会の毒虫なんだから積極的に叩き潰すべきだ、と絶叫するようになります。

スターリンが数千万を虐殺した「人民の敵」論を思い出します。

既にその兆候が我が国でも出始めました。 

背筋が寒くなります。私はこのような社会に生きたくはありません。 

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結果、このようなポリコレが現実に何を生み出すかといえば、魔女狩り社会であり、言葉狩り運動であり、ノイジー・マイノリティ(声高な少数者)団体が権力を振るう社会です。 

こんなキレイゴトはうさん臭くありませんか。いくら口先だけでキレイゴトを言っても、内実はそう簡単には変わらないし、かえって解決が困難になりはしませんか。 

「Gの偶然」さんはこう恐れています。

「そのうち、「良いLGBTも、悪いLGBTも、どちらも〇せ」なんてプラカードを掲げる人も現れる日が来るでしょう」

ノイジーマイノリティの絶叫が度を過ごした時、社会は逆の向きの振り子を揺らします。

過激な運動は、逆向きのカウンター勢力を必然的に生むものなのです。 

彼らはLGBT運動家たちが、反ヘイト運動と「共闘」したことをもって、「反日」認定をすることでしょう。 

在日韓国人・朝鮮人問題は、外国籍をめぐる国籍問題であるのに対して、LGBTは内国人をめぐる日本社会内部の問題です。

LGBTは性的嗜好の「幅」の問題です。人類史の始まりから一定の割合で存在してきた「ブレ」にすぎません。

したがって異常でない以上、治療する必要もないし、排除すべきではなく静かにLGBTの人たちと共存すべきです。

逆に、一部のリベラルのようにことさら差別だ、啓蒙だと持ち上げるのも間違っています。

この善意の押し売りによって、多くの静かに暮らしたいLGBTの人たちの暮らしが妨げられるでしょう。

一方、保守の一部がいうように、LGBTによって出産率が低下して少子化が進むとは考えられません。

少子化は、デフレ下における子供の教育費負担の重圧、女性が働きながら子育てする難しさといった社会的原因に起因するのであって、LGBTとは無関係です。

これをLGBT運動家が十把ひとからげにして、「反差別共闘」をしてしまったからおかしくなったのです。 

米国の場合、ポリコレの偽善にうんざりした国民は、リベラルメディアに対しては、クリントンにいれましたよと言いながら、実際にはトランプに票を入れました。 

このサイレント・マジョリティを支持層とするトランプは、意図的に品がない表現を使い、挑発的にポリコレ社会を罵り倒しました。 

私はポリコレの一部は正当な指摘だと考えていますし、LGBTであるために社会的損失を受ける差別があるなら、声を上げることはやぶさかではありません。 

しかし問題は、どちらか正しいということではありません。

イエスかノーか、白黒2択ではないのです。黄色もあれば黒も赤もあり、まさに東京レインポープライド自身がいうように虹の七色あるのです。

大事なのはバランスです。建前と本音のいずれかが正しいという立て方自体が間違っているのです。 

今の運動家たちの言うようにキレイゴトだけに偏って糾弾の声を上げるなら、米国のポリコレか歩んだと同じ社会的摩擦の多い道を辿ることになります。 

また旧民進党がいうようなLGBT差別解消政策を自治体に命じ、またヘイト法を作った法務省がやりたいように教育現場でLGBT差別の啓発教育をすれば、必ず本当にある差別は地下に潜り、いっそう悪質になるでしょう。 

そうなったら最後、LGBT問題は社会的勢力の衝突の修羅場と化して、解決は永遠に不可能となっていくかもしれません。

そしてそのことで更に深く傷つくのは、サイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)のLGBTの人々なのです。

 

 

 

 

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