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2018年8月11日 (土)

翁長氏の「遺志」とは

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なぜ、翁長さんは共産党と手を組む側に行ってしまったんでしょうか、この素朴な疑問が改めて浮かびました。 

日の丸市長から左翼知事に転身してしまった「曲がり角」が、まだよくわからないでいました。 

彼が知事になってからは、比較的分かりやすいのですよ。ある意味、なるようになっただけですから。 

当選直後に大きな躓きを演じています。いきなり官邸にノーアポで乗り込んで、首相に合わせろとやっちゃったんですから、初めのボタンを掛け違ったんです。 

しかもなぜオレに会わないのだと、メディア相手に非難するなど余計なことでした。これで本土政府との関係は、いきなり対決モードから始まってしまいます。 

これが翁長氏にとって得だったか損だったのかは、後の赤い海で孤立している姿を見ると気の毒になります。 

地方知事がいきなり行って、分単位で動いている首相が会ってくれるはずがないでしょうに、翁長氏は「沖縄県知事」というのは、一国の首相と等量の重さを持つ職責だと勘違いしていたんですね。 

痛ましいばかりの勘違いです。

翁長氏は他県と違って、沖縄県知事は「特別扱いされて当然な何者」かと思っているのです。 

たとえば茨城県知事が翁長氏のような振る舞いをするとはおもえませんから、この翁長氏に「特別な何者か」と思わせた背景はなんなのでしょうか。

たぶんそれは、今まで前世紀に政権中枢にいた野中氏や小渕氏、あるいは額賀氏などの経世会の領袖たちから下にもおかない待遇を受けていたことに起因するのかもしれません。

その意識を引きずったまま沖縄県知事になれば、本土政府は電話一本で首相と面会でき、いそいそと要望に沿って動いてくれて当然、そう思っていたのかもしれません。 

沖縄利権を持っていた竹下派=旧経世会は、翁長氏のような沖縄の保守政治家となぁなぁまぁまぁの関係を作りました。 

移転問題が17年にも及ぶ長期に渡った大きな原因は、この前近代的体質を濃厚に残す経世会が沖縄の政財界と隠微な癒着関係を作ってしまったことにもあります。 

この竹下派が没落し、安倍首相になってからの官邸は、沖縄に対して妙なナーバスさを捨てています。 

それは「常に対話の扉は開かれているが、原則は変えない」という、対中・韓外交と似たスタンスです。 

安倍政権の態度は、腹心の菅氏を沖縄担当大臣として貼り付けながら、承認撤回については真正面から受けて立つという態度でした。 

そして訴訟合戦を収拾するべく高裁が提案した「和解」期間に乗りました。 

翁長氏もなんの目算もないまま乗ってしまったわけですが(たぶん共産党から叱られたことでしょうが)、この間、菅氏は約10カ月間、毎月のように来沖しているわけですから、いくらでも落とし所を見つける時間があったはずです。 

こうなると初めのボタンの掛け違いが響きます。本来「保革を超えた知事」ならそれらしく本土政府としっかりした信頼関係を作っておけばよかったのです。 

Photo

 あの「和解」期間が唯一の解決の可能性があった時期だけに、それをみすみす無駄にした政治判断の悪さが恨まれます。 

このへんについては大量に記事にしていますから、過去ログを検索下さい。 

さて、冒頭の問いに戻るとしましょう。 

なぜ、翁長氏は転向したのでしょうか?転向したきっかけはなんだったのでしょうか。

Onaga_01_2 

それが分かる資料が、当選直前の『翁長雄志さんに聞く 沖縄の保守が突きつけるもの』と題する翁長氏のインタビューに残っています。
http://www.geocities.jp/oohira181/onaga_okinawa.htm(上写真も同じ)

このインタビューは2012年11月14日に朝日がしたものですが、まだ那覇市長当時の翁長氏の心理をよく現して興味深いものです。 

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「――普天間問題での鳩山由紀夫内閣の迷走で「あつものに懲りた」というのが永田町の感覚でしょう。
 「ぼくは自民党県連の幹事長もやった人間です。沖縄問題の責任は一義的には自民党にある。しかし社会党や共産党に国を任せるわけにもいかない。困ったもんだと、ずっと思ってきた。
ただ、自民党でない国民は、沖縄の基地問題に理解があると思っていたんですよ。ところが政権交代して民主党になったら、何のことはない、民主党も全く同じことをする」
 「僕らはね、もう折れてしまったんです。何だ、本土の人はみんな一緒じゃないの、と。沖縄の声と合わせるように、鳩山さんが『県外』と言っても一顧だにしない。沖縄で自民党とか民主党とか言っている場合じゃないなという区切りが、鳩山内閣でつきました」

翁長氏は「基地問題は自民党以外は理解があると思っていたが、民主党政権になって鳩山首相がやってもまったく動かない」と本土の無理解を批判しているわけですが、同時にこんなことも言っています。

「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める。しかしそれと、沖縄に過重な基地負担をおわせるのは別の話だ。玄葉光一郎外相にも言ったが、あんた方のつぎはぎだらけの防衛政策を、ぼくらが命をかけて守る必要はない」
「本土は、日米安保が大切、日米同盟が大切。それで『尖閣を中国から守るのに、沖縄がオスプレイを配備させない』と言う。沖縄にすべて押しつけておいて、一人前の顔をするなと言いたい。
これはもうイデオロギーではなく、民族の問題じゃないかな。元知事の西銘順治さんが、沖縄の心はと問われ、『ヤマトンチュ(本土の人)になりたくて、なり切れない心』と言ったんだけれど、ぼくは分かった。ヤマトンチュになろうとしても、本土が寄せ付けないんだ」

防衛力は必要だ、日米安保も大事。基地はいるだろう、集団的自衛権も認める。しかし過剰な基地負担は認めない、ということです。 

ならば普天間の市街地にある米軍基地を、地元の容認を受けて過疎の地域に移動することが負担軽減にならないから反対だという論理が私にはわかりません。 

実際、翁長氏は、市長時代に那覇軍港の移設や、牧港補給しょうの移設で、さんざん利権がらみの動きをしていますから、それはカマトトでしょうと思います。 

移設問題は基地負担軽減政策の一環として生まれたもので、本島全体の米軍基地の移設計画が滞っているために返せないでいる施設も相当数あるのが実情です。 

普天間移設計画で、守屋次官とともに陰で動いた野中氏について、翁長氏はこう言っています。

「自民党の野中広務先生は、新米の県議だった僕に『いまは沖縄に基地を置くしかない。すまん。許してくれ』と頭を下げた。でも民主党の岡田克也さんなんか、足を組んで、NHKの青年の主張みたいな話をして、愛情もへったくれもない」

岡田氏が人間的感情に乏しい鉄仮面であるのはそのとおりですが、野中氏と翁長氏は相性がよかったと思います。 

それは旧来の自民党古参政治家らしい「思いやり」と、その見返りとしての利権配分ができるなぁなぁまぁまぁの「温かさ」があったからです。

これを翁長氏は、本土政府と沖縄との信頼関係だと考えていたのでしょう。 

言い換えれば、何も変えないというステイタス・クオ(現状維持)でした。

端的にそれは基地負担と振興予算の均衡を取ることでしたが、この微妙なバランスが崩されたと翁長氏が思った原因が二つあります。

ひとつは、先述した鳩山氏の「最低県外」チャブ台返しです。

そしていまひとつがオスプレイ配備でした。

オスプレイを新兵器の配備、しかも欠陥機だとメディアは報道しました。翁長氏はそれを知って、いままでの基地-振興予算の均衡が破られたと感じたのでしょう。

これでは約束が違う、本土政府よ、さらなる負担増を求めるのか、と翁長氏は赤ハチマキで決起したわけです。

もちろんただの誤解にすぎませんが、まったくあのメディアのオスプレイ・デマは罪作りです。 

自民党オールドウェーブが自民の実権を握っていた前世紀において、基地縮小はいっかな進まなかったし、ある意味それが翁長氏のような政治家が居心地がいい環境でもあったのです。 

しかし民主党政権となって、そんなことに頓着しない鳩山氏は、何の目算もなくチャブ台返しを演じてしまったわけで、この本土と沖縄自民の隠微な癒着共存関係は、一瞬にして崩壊してしまったわけです。 

それは自民が政権を奪還しても同じことで、完全にそうなったわけではありませんが、旧来の<配慮と利権配分>に替えて<原則的対応>が一歩前に現れるようになりました。

翁長氏風にいえば、岡田氏同然に安倍氏も、「愛情もへったくれもない」ということになります。

今後、沖縄は、前世紀に旧経世会と翁長自民が作ってきたような隠微な関係から脱して行かねばなりません。

その意味で、翁長氏は「基地はいらない。カネもいらない」とタンカを切っていたのですから、その言やよしです。

振興予算を拒否し、同時に基地も返上するという翁長氏は論理的整合性があります。

また日米安保も認め集団的自衛権すら認めるという防衛にも目配りができたのなら、やり方次第では大変に面白い展開となった可能性があります。(無理かなぁ)

本気で翁長氏がこの知事就任直前の意志を実行に移していたならば、沖縄は内在的変革の第1歩を踏むきっかけを得たかもしれません。

ところが、翁長氏はかつてこのインタビューでも強く批判していたはずのイデオロギーに取り込まれていってしまいます。

このように見てくると、今回の旧経世会であった竹下派の事実上の分裂と、時期を同じくして翁長氏の逝去があったのも、あながち偶然ではないようにみえてしまいます。

とまれ、私はこのインタビューに語られた矛盾した「日本」への屈折した愛憎こそが、翁長氏の「遺志」ではないかと思っています。

彼の事跡は、棺の蓋を覆って後、定まることでしょう。合掌。

改めて、翁長氏のご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

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コメント

沖縄勤務時代は、仕事を通してしか沖縄を見ていませんでした。やたら公共工事が多くて毎日それを消化するのが精一杯で、沖縄の政治やらなんやらを深く考えたことはありません。沖縄勤務が終了し本土に帰ってから沖縄のことが新聞に載らない日は無い。ただ新聞に書いてあることと、沖縄在住の友人たちやここ日本本土で暮らす沖縄出身の方たちの意見に温度差がありすぎる。沖縄の方たちは、現実的に物事を考えています。
常々、沖縄の政治家の傲慢な態度や、国会でのけんか腰の質問など違和感がありました。
過っての日本は土下座外交と言われ、頭を下げるだけで言われっぱなし、やられっぱなしでした。
安倍総理の支持率が高いのも、そのような政治からの脱却を国民が支持しているからでしょう。
沖縄問題に対する姿勢も、沖縄に無理解ではなく筋を通しているだけです。
普天間の危険性の除去と日米同盟の維持を考えたとき、アメリカ、日本、沖縄、名護市と20年間も話し合って合意した案件ですから、たとえ知事の権限でも覆すのは無理です。沖縄のマスコミは決して報道しませんが、辺野古地区にも、将来の辺野古地区のマスタープランを提示し丁寧に説明しています。


翁長氏が変節したのは県知事になりたかったからだと思う。
県政を事を考えれば病気の状態も考え早期に辞職すべきだったはずです。最後まで戦う知事と見せたかったのは翁長家の為だと私は思う。

今日の記事にあるインタビュー内容は、昨日の私のコメントの参考にしたものと同じだと思います。
(リンクさせていいか分からないので
[沖縄を語る]翁長雄志氏 県外移設で再結集を 政府と戦えるのは沖縄だけ(再掲)
で検索すると良いと思います)


管理人さんへ。
私は今日の記事とインタビュー記事を見て、翁長氏はこう考えていたのではないかと、思いなおしています。

1)普天間は既に日米同盟での利用に耐えられない。住民が危険にさらされていることで、国際社会からも批難を浴びており、今のままなら必ず(日米同盟存続の為に)閉鎖しなければいけなくなる
2)つまり、辺野古への移転は(負担軽減の為や)住民の安全を考えたものではなく、批難を避ける為のものでしかない
3)万が一、事故があると普天間は維持できない。鳩山氏のちゃぶ台返しで移転を待っている余裕も無くなった。日米安保が大事なら、事故が起きる前に必ず閉鎖するだろう

防衛力は必要だ、日米安保も大事。基地はいるだろう、集団的自衛権も認める……当時はこの考えだったとして。
その上で、それでも移転を認めないというのは、恐らくは「世論の批判に耐えかねて、普天間が閉鎖する」。
逆に移転を進めていれば、移転までは必ず「普天間基地は閉鎖しない」。
つまり、日米同盟が大事なら、移転させない方が沖縄のためにも日米同盟のためにも最良だ、というところなのでは?

もしかすると、翁長氏の予想を超えて、世論(沖縄ではなく世界中の世論)からの批判が少なすぎて普天間閉鎖に追い込めなかった、のかもしれません。
そうだとすると、一方で他所の基地建設を考えつつも、普天間と辺野古に対しての反対があれだけ激しかったのは……管理人さんがいう「屈折した愛憎」なのかもしれません。

管理人さん、すいません。
記事の中のインタビューと自分の紹介したインタビュー、違いますね。こちらの勘違いでした。
お詫びいたします。

 翁長氏の言葉なんぞ、まったく信じるに足りませんね。
ただ保革がバランスを保つカタチを維持しつつ、本土への甘えを正当化出来た旧来の「本土との関係性」に回帰したかっただけです。
けれど、時間は元へは戻らないです。

まさに、
≫「彼の事跡は棺の蓋を覆って後、定まる」
のですが、それは当然に歴代最低の知事としてです。

 翁長さんは、知事になりたかった。しかし、当時、自民党県連に翁長さんを知事にしようとする動きがなかった。焦りの気持ちが出てきた。

 中国の経済発展が凄いものだと彼は錯覚した。そして中国へ傾倒していった。

 オアスプレイは危険な航空機だと彼はホントに思い込んでしまった。こんな危険な航空機を沖縄に持ち込むことは県民は絶対に容認しないだろうと思ったし、選挙選でも革新側に対し絶対に不利な状況に追い込まれると思い込んだ。(当時多くの県民にオスプレイへの恐怖心が強かった)。そしてオ-ル沖縄を組織し、オ-ル沖縄を自身の思うがままに運営できると錯覚した。

 翁長氏は感情の人であり、洞察力ある政治家ではなかったということなんでしょう。

 

 

今日の記事は、最大限に甘口に見た場合、こうも見えるということですので、お含み置きください。

ですから、青竹さんの評価はそこまで彼は考えていないとおもいます。
国際社会を見通す眼を持っていたら、就任後いそいそと中国詣でを繰り返したり、無意味な「県外交」などするはずがありません。
国際情勢が分かっていて、反基地闘争に加担するとはかんがえられません。

そもそも地方自治体の首長が基地の安全性を住民保護の立場からチェックしていくのは正当な職務権限内ですが、作らせないというような安全保障問題に介入するのは越権の極みです。

ueyonabaru さんの見立てが正解でしょう。私もかつてそう書いてきました。
彼は地元紙や朝日がいうような義人ではありません。みずらの権力欲に忠実だっただけです。

山路さんが言うように、経世会と県政財界との間の隠微な癒着関係を破壊されることへの恐怖が根っこにあったのかもしれませんね。
この振興予算をめぐることは、翁長知事という異形の知事を生み出した真の原因であると思っていますので、もっと堀り下げたいと思います。

管理人から
山路さんへの口汚い誹謗の書き込みがありました。
削除しましたが、個人攻撃、しかも事実に基づかないそれは無条件削除の対象です。
恥ずかしくないのですか。
他人をみると「ザイトクカイがぁ」とか、「トウイツキョウカイがぁ」「コウフクのなんとかがぁ」ていどしか言えないっていうのはね。

やはり沖縄の政治情勢は、地元の方が一番わかっています。山路さん、ueyonabaru さんの見方が一番スンナリ頭に入ってきます。

一読者の立場ですがkarakuchiさんのように、多くの方が沖縄のことを理解しようと懸命に考察議論されてる様子に毎回嬉しく思います。
そしてそれを発信できる場をご提供されてる管理人さんに深く感謝します。これからもよろしくお願いします。

まずは翁長知事のご冥福をお祈りします。
山路さんueyonabaruさんのような意見をもっと記事に反映されるといいと思いますよ、県知事選は来月です。

あまり触れられてないけど翁長県政時代に安倍さんが台湾に漁業権無償譲渡したのは物凄く酷いと思いますね。
当時八重山漁協が苦言を呈してた通り中国船(日本は国際的に台湾を国と認めてないので中国船がくるのは当然)が入りまくりで大変なことになってるのですよ。
安倍さんは北方領土を持参金付きでロシアに献上して、彼の地にミサイルと戦闘機の配備が進行するという事態を引き起こしています。
やはり安倍さんって口で云うほどには領土に関しての意識が薄いし、そこら辺のいい加減さが翁長さんの態度を固くしていたのでは…?

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