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2018年8月 1日 (水)

「Gの偶然」さんから示唆に富む投稿を頂戴しました

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ブログをやっていてよかったと思えるのは、昨日のHN「Gの偶然」さんのようなコメントにめぐりあった時です。ありがとうございます。 

さてこの中で、「Gの偶然」さんがおっしゃって いることは、大変に示唆に富むものです。 

このコメント冒頭で氏は自らをゲイであると名乗った上で、率直に今回のLGBTデモについてこのように書かれています。 

「彼らは対立構造の狭間で養分を吸収するために、常に対立構造を必要としています。
そして彼らの、(LGBT運動における)最終的な着地点は「同性婚」です。
いつかこの要請を強めた時こそ、正常な知識、センスを持ったあらゆる分野の人間が反対に立ち上がり、対立構造の完成を見るでしょう。
このままでは、火のない所に煙を立てられた結果、私たち性的マイノリティは、お隣の国と同じ顛末を迎えるのでは、と危惧しております」

私もくだんのデモに対して感じた違和感は、まさにそれです。 

社会の中に対立を起こしてまで自分たちの要望を通したいのか、それともいわゆる「健常者」との静かな融和をめざすのか、という点です。 

今回のデモを捉えて、2016年に一回LGBT差別解消法なるものを作ったことのある立憲民主はさっそく類似のものを作るようです。
https://www.minshin.or.jp/article/109178 

Photo

今度も似たようなものになるはずです。

「レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーをはじめとする性的少数者が性自認や性的指向をカミングアウトした場合や意図せずに知られた場合、差別にさらされるという困難に直面する。
本法案は、国や地方自治体が性的指向又は性自認を理由とする差別の解消を推進するための方針・計画などを定め、行政機関や事業者が性的指向又は性自認を理由として差別的取扱いを行うことを禁止すると同時に、雇用(募集・採用)の際の均等な機会を提供し、ハラスメントを防止すること、学校などでいじめなどが行われることがないように取り組むことなどを定めたもの」
(民進党ニュース「LGBT差別解消法案を衆院に提出 」2016年05月27日)

後はお定まりの政策メニューが並んでいます。 

要約すれば、政府に差別解消のための法律を作らせて、都道府県に解消基本計画を作れということです。 

①行政機関の差別の禁止、②雇用の差別禁止、③差別解消のための啓発活動といったところです。 

ヘイト規制法を作った法務省が作っても、そっくりなことを言うでしょう。
(「性的指向及び性自認を理由とする偏見や差別をなくしましょう」http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00126.html 

で、こんなことをやってLGBTの人たちがいう「息苦しさ」が解消されるでしょうか? 

たぶんされないどころか、かえって陰に回って陰湿になると、私は思います。 

たとえば米国では今、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスが猛威を奮っています。 

これはオバマの政治手法が火をつけたもので、世の中をキレイゴトだけでバサバサと斬っていき、これでなんとなく歴史的に蓄積してきたネガティブな遺産を清算することができると思う発想です。 

いかにも弁護士出身のオバマが考えそうなことで、法やそれに準じる規制法を作って、社会にタガをハメていけば「差別がない美しい社会」ができるという考え方です。 

ある種の設計主義に基づいた社会革命だと思えばいいでしょう。

メディアやリベラル運動家がいわば思想警察となって、「違反者」をビシビシと取り締まり、社会的に抹殺するのですから、民主主義の仮面をかぶった警察国家の誕生です。 

「Gの偶然」さんはこう書いています。 

「メディアも対立構造を強化するでしょう。現在はLGBTの光の部分のみ焦点を当て同情を寄せていますが、実は影の部分に焦点を当てれば、世論は必ず嫌悪に変化する。当事者として確信があります」 

危惧の通りとなりつつあります。 

杉田氏は容貌が「幸せに縁がないから、こんなLGBT差別をするのだ」と朝日系メディアの 「アエラ」が煽っています。 

社会の木鐸(ぼくたく)を自認し、大学入試に出題されることをCMにすらしている新聞社がすべきことではありません。

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差別をなくそうと言う口の端から、女性の容貌まで誹謗中傷の対象にして恥じない、それがポリコレ大好きの朝日の「正義」です。 

そしてそれに煽られたかのように一部は、テロにまで発展させるかもしれません。現実に杉田氏への殺害予告もあったそうです。
自民・杉田水脈衆院議員に殺害予告 被害届を提出 寄稿 ... - 産経ニュース

Photo_4上の写真は先日の自民党本部デモで掲げられていたプラカードのひとつです。

まさに魔女狩りそのもので、毒虫の杉田を吊るせ、魔女を生かしておくな、火あぶりにしろというわけです。

彼らの一部は、ポリコレを達成するためには、いかなる手段も選ばない、差別排除が新たな差別と偏見を生んでも気にしない、大の虫を生かすためには小の虫など踏み潰してもいいのだ、いやむしろ差別主義者は社会の毒虫なんだから積極的に叩き潰すべきだ、と絶叫するようになります。

スターリンが数千万を虐殺した「人民の敵」論を思い出します。

既にその兆候が我が国でも出始めました。 

背筋が寒くなります。私はこのような社会に生きたくはありません。 

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結果、このようなポリコレが現実に何を生み出すかといえば、魔女狩り社会であり、言葉狩り運動であり、ノイジー・マイノリティ(声高な少数者)団体が権力を振るう社会です。 

こんなキレイゴトはうさん臭くありませんか。いくら口先だけでキレイゴトを言っても、内実はそう簡単には変わらないし、かえって解決が困難になりはしませんか。 

「Gの偶然」さんはこう恐れています。

「そのうち、「良いLGBTも、悪いLGBTも、どちらも〇せ」なんてプラカードを掲げる人も現れる日が来るでしょう」

ノイジーマイノリティの絶叫が度を過ごした時、社会は逆の向きの振り子を揺らします。

過激な運動は、逆向きのカウンター勢力を必然的に生むものなのです。 

彼らはLGBT運動家たちが、反ヘイト運動と「共闘」したことをもって、「反日」認定をすることでしょう。 

在日韓国人・朝鮮人問題は、外国籍をめぐる国籍問題であるのに対して、LGBTは内国人をめぐる日本社会内部の問題です。

LGBTは性的嗜好の「幅」の問題です。人類史の始まりから一定の割合で存在してきた「ブレ」にすぎません。

したがって異常でない以上、治療する必要もないし、排除すべきではなく静かにLGBTの人たちと共存すべきです。

逆に、一部のリベラルのようにことさら差別だ、啓蒙だと持ち上げるのも間違っています。

この善意の押し売りによって、多くの静かに暮らしたいLGBTの人たちの暮らしが妨げられるでしょう。

一方、保守の一部がいうように、LGBTによって出産率が低下して少子化が進むとは考えられません。

少子化は、デフレ下における子供の教育費負担の重圧、女性が働きながら子育てする難しさといった社会的原因に起因するのであって、LGBTとは無関係です。

これをLGBT運動家が十把ひとからげにして、「反差別共闘」をしてしまったからおかしくなったのです。 

米国の場合、ポリコレの偽善にうんざりした国民は、リベラルメディアに対しては、クリントンにいれましたよと言いながら、実際にはトランプに票を入れました。 

このサイレント・マジョリティを支持層とするトランプは、意図的に品がない表現を使い、挑発的にポリコレ社会を罵り倒しました。 

私はポリコレの一部は正当な指摘だと考えていますし、LGBTであるために社会的損失を受ける差別があるなら、声を上げることはやぶさかではありません。 

しかし問題は、どちらか正しいということではありません。

イエスかノーか、白黒2択ではないのです。黄色もあれば黒も赤もあり、まさに東京レインポープライド自身がいうように虹の七色あるのです。

大事なのはバランスです。建前と本音のいずれかが正しいという立て方自体が間違っているのです。 

今の運動家たちの言うようにキレイゴトだけに偏って糾弾の声を上げるなら、米国のポリコレか歩んだと同じ社会的摩擦の多い道を辿ることになります。 

また旧民進党がいうようなLGBT差別解消政策を自治体に命じ、またヘイト法を作った法務省がやりたいように教育現場でLGBT差別の啓発教育をすれば、必ず本当にある差別は地下に潜り、いっそう悪質になるでしょう。 

そうなったら最後、LGBT問題は社会的勢力の衝突の修羅場と化して、解決は永遠に不可能となっていくかもしれません。

そしてそのことで更に深く傷つくのは、サイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)のLGBTの人々なのです。

 

 

 

 

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コメント

AERAはさすがに記事取り消しの上謝罪していますけど、一議員が、マイナー論壇誌に出した投稿ごときでここまで集中砲火を浴びること自体も異常ですが、その批判が表層的すぎて、ドン引きしました。

特に野党政治家はほとんど新潮45を呼んでいないと思われるし、テレビのコメンテーターでまともなことを言う人はほとんどいません。橋下徹も批判の中身が薄くて、ああ、メディア人として報道にしか反応していないのがよくわかります。
例外として、有本香氏は記事を読んだうえで、内容に大きな誤りがないが、元々標的にされやすいのだから、突っ込まれない配慮と議論に勝つ戦略がいると諭してました。

元々LGBT運動といわれても、一神教社会での弾圧に比べ、日本は物理的な迫害とかは受けていませんでしたから、一般市民に紛れてやってきたし、テレビでその類の人たちが普通に出演している国って、日本ぐらいじゃないのかと思います。アメリカでさえお堅い番組ではLGBTを標榜して出演する人は見かけませんから。

だから、過去の被害者ビジネスと似たようなにおいを感じます。対立を煽り、表面上の社会的弱者がキラーコンテンツになって一般人を足蹴にするような状態がまかり通る社会は好ましくないと思います。

私の駄文を扱っていただき、お恥ずかしい限りです。
私のコメントは、ありんくりん様始め、こちらにおられる方々にとって言わずもがなの内容であることは承知しておりましたが、「当事者が書く」という一点のみ、一片の価値でもあるのではないかと思い至った次第です。

日本の内外の「内」の問題として、歪められたLGBT運動の拡大は、今後の利用のされ方、旗の振られ方次第で、喫緊の脅威になりかねないと認識しています。
当事者感覚として、一連の運動は私たちのプリミティブな部分を相当刺激しており、その動員力は、くだんの「国会前10万人(主催者発表)」などとは訳が違います。

「不当」なLGBTへの差別から緩やかに、それぞれが共同体の一部であると相互認識できる道筋。その障害になっているものは何か。世の空気により、言いたいが誰も口に出せないことがありますよね。
それは真に啓発の必要性があるのは、他ならぬLGBT自身だということ。
指摘していたらきりがありませんが、そもそも、個人主義をもって人の理解を得ようなどと、二律背反も甚だしい。そして同性婚をはじめ法的根拠を欲するのなら、今存在するパートナーシップ契約についてはどれほど周知されているのか。

私は浅学菲才の身でありますので、自分で言葉を紡げません。なので私が今までに腑に落ちた言葉の引用であることをお断りしておきます。

私がヘテロセクシャルへ訴えるとすれば、「LGBTとは不可逆的で、そして私がゲイなのは偶然である」
これのみです。日本人に対して、これ以上の啓発なんて必要ですか?

そしてLGBTに対して訴えたいことは、「偶然をいかに引き受けるかによって人は輝く」ということです。
LGBTに対して差別が存在すると仮定した場合、権利や同情を訴えたところで、差別は無くなりません。真に必要なのはシンパシーではなく、リスペクトです。ブーメランパンツで街を行進して恍惚としながらアベヤメローは、その真逆を行くものです

私は自分の性的指向という偶然、選択の不自由を引き受け、大切な人間と粛々と生き、周囲の小さな理解を得ることを各々が継続していく。それだけで、自分では認識できない輝きですが、第三者がそこへひとりでに輝きを見いだしてくれる。それが日本人だと私は信じています。

先日に続き、長文で申し訳ありません。現在の世間の空気の中、LGBT運動の歪みを取り扱っていただき、ありがとうございました。今後も勉強させていただきます。

Gの偶然さんの「偶然をいかに引き受けるかによって人は輝く」、この言葉こそ、普段様々な事で思ったり感じたりしていたことを簡潔にした言葉だと思いました。良い言葉をありがとうございます。

すみません。まだまだ勉強不足で普段はほとんど書き込みできませんが、これだけお伝えしたくて。
(名前を更に短くしました。)

白うさぎさんと同じ気持ちです。
>選択の不自由を引き受け、大切な人間と粛々と生き、周囲の小さな理解を得ることを各々が継続していく。
このような普遍に至るべく、社会的に足りない部分を足していく。…という和やかな展開を、ホント活動家達は一切望んでいないですね。
息子達の学校でも去年からLGBT啓蒙が始まっています。
小学生だとリアルな嗜好として自分に引きつけてではなく「どんなでも良いんだな」と未来の自分や周囲に対して間口を広げていくような取り組みを親としては望みます。
娘は高校生なのでもっと身近に感じながら授業を受けています。奇しくも「たまたまその人の好みがそうってだけで、それで良いのに。何か変なものが盛られてて嫌」とデモのツイッターを見ながら顔をしかめていました。

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