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« 日曜写真館 蓮を抜けて湖へ | トップページ | 山路敬介氏寄稿 県知事選挙を馬鹿げた「弔い選挙」にするな!その1 »

2018年8月12日 (日)

日曜雑感 二つのコメントにお答えして

036
今日は休みの日ですが、気になるので書いておきます。 

似たような趣旨の投稿が二本続きました。 

まずは常連のkarakuchiさんから 

「やはり沖縄の政治情勢は、地元の方が一番わかっています。山路さん、ueyonabaru さんの見方が一番スンナリ頭に入ってきます」 

次は改憲派さんから 

「山路さんueyonabaruさんのような意見をもっと記事に反映されるといいと思いますよ、県知事選は来月です」 

おふたりとも、なにか勘違いされているのではないでしょうか。私は沖縄の政治情勢など初めから書く気はありません。 

「反映するといい」もなにも、山路さんとueyonabaruさんと私の間に認識のズレはまったくありません。 

ただウチナンチューと、私のようなナイチャーとは立場が違うだけです。 

「地元の人がよく分かっている」のは当然ですが、同時に渦中にいれば見えないこともあるでしょう。 

私に見えないことも多くあるし、またその逆もあるのです。 

「県知事選は来月」なのはよく分かっていますが、だからどうしろと仰せですか? 

もっとこの際オール沖縄を叩け、故人を徹底批判しろということでしょうか。 

必要ならするでしょうが、翁長氏が亡くなって1週間もたたないうちにするのは御免被ります。 

そんな記事をお読みになりたければ、いくらでもありますから、どうぞそちらにお行き下さい。 

さていまさらですが、私はナイチャーです。 

沖縄をふるさとのように思っていますが、しょせんはかつて沖縄僻村に住んで特異な体験をしたナイチャーにすぎません。 

距離があります。

私はかつてこの距離を疎ましく思って骨を埋めようとまで考えていましたが、今はこの「距離感」を私が沖縄について語る時の宿命的属性だと思っています。 

私が出来ることは、可能な限り沖縄を突き放してみることです。自分自身の島への愛情に安直に溺れないことです。 

別の言い方をすれば、ウォッチャーであることを忘れないことです。 

そうできないことを充分に承知のうえで、「距離を置くこと」が私のいわば義務だと思っています。 

改めてそう思ったのは、今回の翁長氏の逝去で真っ先に生まれた私の感情は、自分でも理解できないものでした。 

なんとそれは哀しみだったのです。一杯の島酒を彼に捧げました。 

生前は翁長氏への最も強い批判者のひとりであり、彼を「島の悪霊」とまで罵ったこの私が、彼の死に際してとめどもないやり切れなさを感じてしまうのですから。 

私は翁長氏を、山路さんが指摘するように「言うことは信じられない」詐欺漢だとは思っていません。 

それほど意図的な戦略性はありません。もっと生身の権力の使徒です。 

ですから、彼の生涯の目標だった知事の椅子をつかむためにはなんでもしました。 

かつて右腕として仕えていた仲井真氏が、自分を後継にするのをためらったとみると、即座にクーデターを画策し、オスプレイを理由にしてかつて悪魔のように思っていたはずの共産党陣営に接近しました。 

これはただ一点、知事の椅子に座るという目標から生まれたことです。 

その意味で故翁長氏は、利権を懐に入れることをせず、自分にすり寄る者には権力の果実を分け隔てなく分配する「無私」の権力の崇拝者だったといえます。 

平良氏や金秀といった経済人には利権とポストを、左翼陣営に対してはその政治スローガンを丸飲みし、県警の反基地運動への治安活動を無力化しようとしました。 

いずれも共に行政官たる首長がしてはならないことですが、それ以上に私はなぜあれほどのクーデターという寝業の極を演じてみせた彼が、ここまで従順な傀儡になってしまったのか、わかりませんでした。

人はそうそう簡単に変われないのです。まして人生の晩節においてはなお更のことです。彼と同世代の私には感覚的に分かります。

そしてこの4年間、どうして翁長氏が彼の政治家としての最大の武器だったはずの裏取引や謀略を封じて「いい子」になってしまったのかも、分かりませんでした。

しかも案件は他ならぬ普天間移設です。

自分の人生の多くの部分を保守政治家としてすごし、その過程で自らも稲嶺知事時代から関わり続けた普天間移設問題です。

いわば翁長氏のホームグランドです。

建設容認だが一定期間で民間に返還するという稲嶺案を唱えたのは、余人ならぬ翁長氏自身であってそれを終生自慢の種にしていたことはインタビューにも明らかです。

このように交渉の表裏を知り尽くした翁長氏が、いまさらなぜ思春期の少年のようなナイーブさで、「移転阻止」というのでしょうか。

ありえません。移設交渉の表裏を知り尽くした人物が、「移設反対」などどの口が言っているのでしょうか。

これを裏切り者、あるいはユダと言ってしまえば簡単ですし、私もかつてそう言ってきました。

私利私欲のために節操を忘れた人物。

いまでもそう思っていると同時に、それでは翁長氏の棺の蓋を覆うことにはならないのではないか、と私は思い始めたわけです。

私がこの間書いているとは、おふたりのご希望に添えませんが、歯切れがいい政治情勢分析ではありません。

私は、翁長雄志という毀誉褒貶に満ちた人物の矛盾に満ちた内面に一歩踏み出したかっただけなのです。 

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コメント

管理人様

大変僭越ではありますが、私も沖縄に住んでいない分、外から見える沖縄に対してコメントしております。時には勘違いし、冷や汗をかくこともあります。
管理人様とueyonabaruさんと山路さんの認識にズレがあるとも思っていません。
沖縄に対して感じることや、疑問に思うことをブログを通して、また読者の皆様のコメントを通して勉強させていただいております。
もちろん、沖縄問題だけでなく多岐に渡る記事。毎日勉強させていただいております。

>毀誉褒貶に満ちた人物の矛盾に満ちた内面

以下は、翁長氏を特段注視してきたわけでもなく、ただの一般沖縄県民としての感想を申しあげます。

翁長氏には、彼が那覇市長に当選した頃に1度だけ市長室でお会いしたことがあります。表敬訪問的な挨拶程度のものでしたが、その際の印象は特段これといったものはありませんでした。ごくごくどこにでもいる市長さんというものでした。その後も特にその印象は変わりませんでした。「総務部長さん」のようなイメージでしたね。
ところが少し「?」と感じ始めたのは、那覇市長の最後あたりの頃に「ハイサイ・ハイタイ運動」というのを市長の音頭取りで始めた時です。何かのメディアで翁長市長のインタビュー記事を読みましたが、「世界のウチナンチュ大会でブラジルを訪問した際に現地の二世や三世の人たちが綺麗なウチナー口で語る」のを聞いて「文化(言葉)は大事だと思った」というようなニュアンスの事を話されておりました。正直申し上げてそれを読んだ時に、「おいおい、今更そんなことに気が付いたの?」と感じました。で、市役所で「ハイサイ・ハイタイ運動」を始めたの?あまりにも単純すぎる発想、というか安直な手法にこの市長は何考えているのか?と感じました。「特定の権限を持つ自治体首長が、特定の言葉(単語)を話すことを奨励(命令)」するのですから、そこそこ問題ありだと思いました。その頃、仮庁舎だった那覇市役所の入口には、黄色いタスキを身に着けたお婆さんやお爺さんが来丁される方々へ「ハイサイ~!」「ハイタイ~」と声掛けをし、また窓口職員たちも同じようにしてました。お爺さんやお婆さんの中には本土出身の方もいて、笑うに笑えない場面もありました。
うーーーん、何かがおかしいぞ!?

当時の新聞一口投稿に「共通語札をつければいいんじゃないの?」みたいなフックの聞いたコメントが掲載されてました。過去において「共通語を強要したその公的な反省もなく」この「ハイサイ・ハイタイ運動」ですから。

数年後、例の「イデオロギーよりアイデンティティーを!」です。その言葉には驚きと同時に「遅れてきた左翼」と感じました。不思議と言葉の強烈性とは裏腹に「深みも、愛情も、執念も」感じませんでした。薄っぺらくちっぽけな言葉としてしか耳に入ってきませんでした。「あ~あ。」です。

20代前半で本土復帰を経験し、パスポート持参で上京し、学生運動のメッカのひとつでもある法政大学で法学を学びながら学生運動に係ったような様子もなく、卒業して帰沖後は民間会社で働き、85年からは那覇市議、県議、那覇市長と政治畑。政治家一家で育った割には、政治家特有の「匂い」を私はあまり感じませんでした。ところが一転、「イデオロギーより・・・」ですから、何だかそんな言葉を使い慣れてない、しっくりこない肌触りがしたのです。つまり翁長氏自身の「心の底から」の言葉としては私には感じなかったのです。

少し年上の世の中のお兄さんお姉さん達が「安保運動」で血気盛んに動き回るのを横目に、自分自身沖縄出身者として地元のゴタゴタも少なからず経験している。そんな翁長氏は、運動家の彼ら彼女らに「何がしかのシンパシー」を感じていたのではなにでしょうか(一つ年下で同じ法大卒の山城博治氏の存在も見逃せないことです)。そして、結局、その「イデオロギーに縛られてしまった」のでは。

管理人さんも書かれておりましたが、翁長氏が知事選へ出る直前あたりに朝日新聞(だと思う)の取材で「基地もカネもいらない!」とコメントしてました。その時は、「ホント!?貫けるの?方法は?」そしてその次の翁長氏の発言を期待しましたが・・・・。
その後知事に就任しましたが、ご存じのとおりです。

「総務部長さん」
「遅れてきた左翼」
「イデオロギーに縛られた」

これが私の感想ですが、若輩者ですが、翁長氏の気持ちは少しだけ分かりような気もちます。合掌

HNを使い分けて奄美の人に化けるならせめて長文で書く悪癖はやめようね「山路」さん!

新潟県出身であることを隠して宮古や奄美の出身だと偽るのは薄汚く卑劣だと思います
要するに、生まれを偽らなければ貴方の発言はよくある「本土の人間」の戯言に過ぎないし誰も耳を貸さないと自分で気付いているのでしょう
郷土に誇りのない浅ましい人間に沖縄のことを語って欲しくないですね

ブログ主様の疑問を解く鍵は、あるいは翁長氏自身の中にはないものではないでしょうか。

例えばですが、全くのノンポリで政治的背景も、その方に繋がりが一切ないにもかかわらず、しかも「辺野古移設阻止」など絶対出来ないと信じていながら、「辺野古阻止」を掲げる翁長知事を支持する層が宮古でも意外に多いんですよね。

私が親しく知り得る範囲ですし、なのでもちろん宮古人で、辺野古にはハナから興味もない普通の人たちなんです。
この人らに翁長知事の矛盾点をいくら説明しても無駄でした。
理屈じゃないのでしょう。

こういう人たちを観察すると例えばですが、本土の人と接したりするときに、必要以上に構えたり、ときには赤面し、逆に横柄な態度を見せたりする場合がある人が多いのです。

そういう人らの意見というものは、何げに自分で道理に合わないと分かっているらしく、常に自分の意見を言わないのですが、悪く言えばここを上手にすくい取ったのが翁長氏だと思うのです。

革新は嫌いで乗れないけれども、本土とはなんとなく距離を置きたいという願望みたいな感じを持っている人たち(ほとんど50才以上ですが)、ここの層の票を自民党を出る事でうまく得たのだと思うのです。

これらの人たちの感情を「ある種のルサンチマン」と切って捨てるのは簡単ですが、自民党時代の前言や政治的な道理にも合わない無茶な言葉を聞いていると、まさにこの層の代弁者的としての言辞だったのではないかと思ってました。

え? 私が新潟出身ですと?
お笑いにもなりませんね。
笑いますけど。(爆)

え、自分から「新潟出身だ」と発言したのにそれもまた虚言ですか?
それとも若年性アルツですか?
それに (爆) だなんて今時だれも使いませんよ
みっともない爺さんですね

山路さんのコメントと先達てのブログ主さんのコメントから気になることを思い出しました。

仲井眞前知事が官邸を訪問した際にかりゆしウェアで訪問したのですが、(確か)首相と握手する際に「こんな格好でスミマセン」と言ってました。

翁長知事が当選直後にアポ無し官邸訪問で首相と会えなかった際には先のブログ主さんのコメントで書かれてるようなことです。

シマンチュ(奄美ではシマチュ)であればこのニュアンスを感じることが出来ると思いますが、典型的な二人の知事の姿を垣間見る思いがしました。
外国人に英語で喋られて対応に困り、愛想笑いをしてその場をごまかす・・・憎めないけど情けないとも感じるオジサンといつも片意地を張ってるオジサンのようなもの。
チャッチャ―小ですかな。

正装である「かりゆしを恥じることはない」
色々あるけど「一国の首相たるもの尊重する」
その方がいいと思うのですが・・・・
そんな事を思い出しました。

え? 何をいってるのかね?
どこかの山路さんと勘違いしているのかもしれないが、HNを使い分けた事もなければ奄美の出身だと言ったこともありませんが。

こういう手合いを相手にする事はブログ主様の趣旨に反するのでしょうが、私は正真正銘宮古島市(旧城辺市)の出身で、今は平良市久貝在住ですが。
しかし、新潟には知己が多いので薄気味悪いな。

で、お前は誰なん?

お前こそ誰?
出身を偽ってまで何がしたいの?
単なるココロノヤマイなの?

なんか自分でも綺麗事のように見えてしまうので、一応ですが(笑)
昨日の私のコメントについては、特にあの意見に拘泥するつもりはありません。流してください。


>宜野湾くれない丸 さん
>「基地もカネもいらない!」
今更な話ではあるのですが。
基地も助成金も要らないと言ったからこその、観光客を呼び込むことでその金を当てにするという、知事就任後の中国詣りだと思っていましたが、沖縄の方の考えだと違うのでしょうか。

沖縄県ワシントン事務所もそうですが、翁長氏の「日本政府は関係ない、俺がやる」的な行動は、むしろ沖縄県知事は特別なんだと日本政府に甘えているからこその行動でしょうけれど……。


>山路 敬介(宮古) さん
>「ある種のルサンチマン」
沖縄の方を馬鹿にするつもりはありませんが……昨日の記事から言葉を借りるなら、
>元知事の西銘順治さんが、沖縄の心はと問われ、『ヤマトンチュ(本土の人)になりたくて、なり切れない心』と言った
こういった、ある種の妬み嫉みの人たちを纏めてオール沖縄とした、という印象はあります。

その人たちの代弁者であり、反基地という流れを作ったら、集団でならば心理的な抵抗も少ないので爆発的な勢いを得た。
この流れ「だけ」は、上手くやったとは思います。

乗っかる訳じゃないけど山路とかいう人の文章はナイチャーカジャーがキツくて苦手っす(笑)

 宜野湾くれない丸さん

なるほどですねぇ。
仲井眞知事の話はしみじみして読みました。

ここブログ主様は色々翁長知事は批判するけれども、そうした内気な沖縄人にも特に愛情を感じてらっしゃる方だと思うのですね。

私なんか上のバカ者がいうように、沖縄という郷土には確かにあまり愛着は感じていないような気がします。
ただし、嫌いというわけではなく、他県でのその範囲を出ないと思いますが。
宮古島への執着心や、自然に宮古人である事の意義の方を強く意識しまけれども。

翁長知事が会見の前に「ハイサイ」とか言うのも違和感を感じますし、宮古んちゅではあるけれども、ウチナーとは別の者という意識が強いですね。

どんどん山路さんのハンドルネーム使い分けが加速しますね…

さて、稲田さんも発言してましたけど辺野古の施設は条件を満たしているのでしょうか?
条件を満たさない場合は普天間はそのままで辺野古の負担も増えるという最悪のケースも考えられます。
そもそも普天間返還の切っ掛けは米軍の少女暴行事件ですし、条件だなんだと偉そうなことを言えた立場ではないのですけどね。
日本が対等な独立国であるならば、ですけど。
安倍一味が目指すのは「戦後レジーム」の完成ではないのかしらん?

 油喰和尚さんってのは、例の油喰小僧さんと別の人ですかね?

だからね、HNなんぞ使い分ける必要もないし、使い分けてもいませんよ。
いつまで同じ事を言ってんなよ。
そうすると「宜野湾くれない丸さん」や「青竹ふみ」さんが私と同一人物だと言いたいわけ?
笑っちゃうね、ホント。

逆に質問だけど、辺野古を建設しないで普天間の返還がありえると思ってるワケ?
それをまず説明しなよ。

山路さん

>翁長知事が会見の前に「ハイサイ」とか言うのも違和感を感じますし、宮古んちゅで>はあるけれども、ウチナーとは別の者という意識が強いですね。

物凄く違和感を感じてます私も。でもってそば屋さんとかでもお客さんへ「ハイサ~イ」とか言ってるとこありますよね。まぁ、観光向け「言葉」だと流してますが、何と言うか「言わされてる感」が漂ってしまって。その先頭きって翁長氏の会見時冒頭の「ハイサイ」・・・。

大方の人たち(特に本土)は宮古も八重山も「沖縄」でくくっちゃうし。奄美でさえ「沖縄だよね?」って。そのたびごとに「いや、奄美大島です。県で言えば鹿児島県です」って返答してました。まぁ沖縄が目立ちますから仕方ないことだとは思いますが、いちいち返答してました。山路さん同様に私もウチナーとは別者という感覚です。奄美大島です。また、奄美の島々の人たちも「奄美」で括られることに違和感を感じてます。喜界島です、徳之島です、沖永良部島です、与論島です、と。群島内部では「奄美です」とは言いません。「大島です」と。まぁ、狭い話ですがね。中米のニカラグアやコスタリカ、グアテマラを一色たんにしてしまうとそりゃその国々の人たちから反発買うでしょ、と同じだと思います。
島々の間で色々あるけど私は「仲間的」なものを感じてます。種子島や屋久島とは違うのもを沖縄の島々の人たちには感じてます(種子島や屋久島が嫌いというものじゃありません)。だからこそ翁長氏や仲井眞氏にどっかで愛着を感じてしまいます(両氏を援護する意味ではありません。念のため)。

先月に還暦を迎えたというのに未だに新潟の生まれを隠して出身地を偽る救い難い浅ましさ…
どう育てばこのような虚言癖に成り果てるのか甚だ疑問です

8/9の沖タイにも「翁長知事はしまくとぅばの普及に取り組んだ」って、あんまり業績がないものだから取り上げられていたけれども、翁長知事が会見前に言ってるのは首里語なんですよね。

本島でさえ、糸満も中部も違う方言だし、宮古なんかでさえ3種類もあるわけです。
翁長知事には言語を通じて県民一致のアイデンティティを高めようとした狙いがあるわけだけど、同時に県民の多様性を逸してしまっている矛盾が生じてますね。

 いやいや、私はまだ還暦なんか迎えてませんから。(笑)
 そう、当分は先の話です。

一体、あなたは誰の話をしているのですかね?
ここらへんで私が新潟出身で還暦を迎え、かつ奄美の出身だと書いた、その証拠でもご提示願いませんかね。

翁長氏が知事に当選後、知事になってしまえばまた転身して辺野古移設を認めるのではないかと考える方々もいたようですね。または私利私欲で私腹を肥やすのではないかと。
しかしそれもなく、しかも癌におかされながら最後までいってしまった、今や「沖縄のため死ぬまで闘ったヒーロー」扱いです。(利権配分はどこでもある程度ありますし、むしろ自民党の方がエゲツないのでそこはマイナスにはならないようです)
私の周りでも政治に関心なくノンポリの人ですら翁長知事の話題、さらに翁長知事のためにと今回はじめて県民大会に行ったという人まで…
だからこそ管理人さんの意見が山路さんueyonabaruさんと同じなら、記事も大甘ではなく意見は意見としてはっきりと書いてもいいんじゃないかと思いました。
ところで山路さんが宮古の方という前提で申し上げますと(失礼ながらネットでは確認しようがありませんので)
宮古は本島とは離れ言葉も違い、米軍基地はなく、本島人に抑圧された歴史がある、など様々な違いがあり、沖縄本島が中心となる沖縄には屈折した感情を持つ方もいます。そういう方はいわゆる沖縄県民ではなくむしろ宮古島民であるという認識であるように思います。だからウチナーンチュの声とはまた別なのでしょうね。

焦り過ぎじゃないのかな
信用のできない嘘つきにものを教える馬鹿がどこにいるかよ

山路さん、しまくとぅばはうちなーぐちではなく島の言葉で、宮古語も入っていますよ。
個々で賛否両論あるようですが、それぞれ地域の言葉を残すのは悪くないと思います。たしか沖縄県民のアンケートでも肯定的意見が多かったのでは。

改憲派さん

おっしゃるように本島に屈折した感情を持つ人もいるのでしょうが、それは今の時代ホントに稀有な存在でしょうね。

なぜかと言えば、宮古島には伊良部島も多良間島もありますし、これらの言葉も少しずつ違い、そんな事言ってたらきりがありませんから。

改憲派さん

そうそう。沖タイも同じ事言ってました(笑)
私が「けれども翁長知事は首里語の挨拶をしているじゃないか」というと、しまくとぅばの一部なのだからギリギリセーフなのだと。

山路さん、沖縄という郷土に愛着は感じていない、宮古んちゅではあるけれども、ウチナーとは別の者という意識が強い。
そういうことですよね。まあ色々あるのもわかります。
宮古んちゅって宮古では何というのでしょうか?宮古方言って難しいですよね。

連投失礼します。
>私が「けれども翁長知事は首里語の挨拶をしているじゃないか」というと、しまくとぅばの一部なのだからギリギリセーフなのだと。

首里語だと何か問題なのでしょうか?

山路さん

革新は嫌いで乗れないけれども、本土とはなんとなく距離を置きたいという願望みたいな感じを持っている人たち(ほとんど50才以上ですが)、ここの層の票を自民党を出る事でうまく得たのだと思うのです。

いましたね。その様な人達が。特に50代以上の高齢の方に多かった。その人たちの口癖が「ヤマトンチューは沖縄をバカにしている。」でした。
翁長知事の口癖も「上から目線で物を言うな」でした。
発言されている安倍総理や菅官房長官には、そんな気持ちは微塵もなかったと思いますよ。
たとえは悪いのですが、韓国や中国などが日本を共通の敵として、国内をまとめています。国内の不満が政権に向かわないようにです。それに似た現象を沖縄に見るのです。中国や韓国だったらその材料が南京だったり、慰安婦問題だったりします。だから日本政府が実際は違うんだよ。もう終わりにしようと言っても、聞く耳を持ちません。
沖縄の場合は、基地問題、沖縄戦、琉球処分などですね。
それと、意外と無視できない意見が本土に就職してUターンした人たちが、その言い訳として本土の悪口を言っていましたね。そこには理屈を超えた感情の世界がありましたね。


karakuchiさんの外からの意見も、参考になります。
沖縄は中韓と同じ被害者意識というところでしょうか。
とてもkarakuchiさんらしい意見ですね。

沖縄県の場合、全ての県民がそうだとは言いませんが、郷土愛=反日=沖縄のアイデンティティーみたいになっているのでややこしい。
ueyonabaruさんが仰るように、アイデンティティーは個人の感じ方の問題であり、沖縄を愛しながらも反日ではない人達も沢山いました。そんな人たちも個人的に飲むとそのような話もするが、大きな声では言えないと言う。
その様な現象を沖縄にいた頃、目の当たりにしました。
琉球大学の高良教授たち3名が、沖縄イニシアティブと言う論文を発表した。内容は沖縄県が率先してアジアの安定のイニシアティブをとっていこうと言うもの。そのためには国に対し言うことも言うがやることもやる。と言った内容だった。
それに対し、沖縄の新聞は左翼学者総出で連日叩いた。
その時。なかなか面倒くさい島だと思った。

私は個人的な考えとしては翁長さんはとにかく知事になりたい、なったらなんとかなるとしか考えていなかったように思います。

イデオロギーよりもアイデンティティとか言ってましたけど、「イデオロギー=アイデンティティ」で1mmも譲歩できない勢力と組んでしまったのが運の尽きだったのではないしょうかね。

改憲派さん

日本だって、簡単に明治維新は達成していません。迫りくる欧米の圧力に、武士の特権を取り上げて中央集権的な政府を作った。多くの血も流れています。
でももう、日本本土ではそのことで恨みつらみを言う人は私の知る限りいません。
何故、沖縄が遠い昔に拘るのか。誰かが意図的にやっているとしか思えないのです。

karakuchiさん

「沖縄イニシアチブ」の件、その内容はともかく、私は「全体主義だ」と感じました。「異論は許さない」的なものです。その何年も後に『「沖縄問題」とは何か 対論 仲里効 高良倉吉』が発表されました。イニシアチブ批判の一番手と提案者の一番手との対談本です。印象に残ったのは、司会者が「物議を醸し出して何年も経つのに両人が面と向かって話すのがこれが初めてだとう驚きです」というような内容のコメントを述べてたところです。意見が違う者同士「話し合う」「議論する」ことが出来ない(しない)、その事が先ずは「沖縄問題」なんじゃないか?と私は思う次第です。まぁ、現在の日本全体的にそんな「匂い」は漂ってますけど。

宜野湾くれない丸さん

沖縄イニシアティブのその後があったとは私も知りませんでした。貴重な情報ありがとうございます。
そうですね。日本の民主主義にも陰りは見えてきました。
ハッキリ言います。自分は保守的な人間だと自覚しています。人間百人いれば百人の考えがあります。
その多種多様な人間が生きていくためには、ルールが必要です。今のような権利、権利でなんでもありの社会は正直ウンザリです。
権利を主張するならそれ以上の責任と義務を負わないといけないと思うのです。
パフォーマンスだけの人間にはうんざりします。

余談になりますが、
現代の様になんでもありの世界だから、トランプ大統領や安倍総理の様に、「言いたい放題言うのは良い。その代わりやることもやれ。」的な姿勢が支持されているのではないかと個人的には思っています。

「嘘つき 山路」という人は「ライスプディング」という者と同一です。
この人は一貫して記事にはふれずに、誰が誰のなりすましだなどという探偵ごっこ興じている荒らし専門です。
他人を成り済ましと口汚く罵りながら、じぶんは率先してやっているというお粗末。

この探偵ゴッコに便乗した「油喰い和尚」の今年3月の書き込み。
「一言一句、山路さんの仰ることに同意です」だそうで、いまは真逆に。この人も呆れたものです。

「観察者γ」は今年の3月に「北九州民」という名で入れていた人物です。

このように、山路氏を個人攻撃する者はことごとく自分自身もHNの多重使用しているというお粗末です。
自分でなりすましをやっていてよく言うよ、です。

この三人は、個人攻撃というルール違反ですからアクセス禁止です。二度と来ないで下さい。

HNは変更できますが、その場合はそのように言って変更してください。常識でしょう。


karakuchiさんのような意見って、翁長県政になり特に顕著ですね。郷土愛=反日=沖縄のアイデンティティですか?
また沖縄は中韓と同じ被害者意識の反日、それがkarakuchiさんの考えであり保守だと思うのですね。
明治維新を持ち出してくるのはよくわかりませんが、まあ沖縄が気に入らないがとにかく気になって仕方ないのはわかりました。本土の保守と沖縄の保守もまた違うかもしれませんね。
ありがとうございました。

フラーなのかな? さん。

管理人とよーぞーさんは完全に別人ですよ!
管理者しか使えないアカウント?だとしても、別人です。あなたの調査能力の欠如か、はたまた現実世界を知らないだけですね。。

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