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2018年8月28日 (火)

前世紀の怨霊・小澤一郎氏の登場

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小澤一郎氏という前世紀の遺物が、「島の選挙」に顔を出しました。 

勘弁してください。真夏の幽霊だ。 

この小澤という人物は、旧田中派・旧経世会で沖縄利権の中枢にいたひとりです。この派閥は沖縄と特別な関係を結んでいる派閥です。 

私の選挙区に額賀福志郎氏という、旧竹下派の重鎮がいます。私も地縁絡みで後援会に入っています。 

後援会のオヤジが言うには、 

「額賀先生はえらい。だって先生が防衛庁長官だった時に、沖縄から産婦人科医が足りない、本土から医者を送ってくれ、という訴えが電話できたんだ。
すると先生は、間髪を入れず防衛医大に声をかけて沖縄に医者を派遣したんだよね。温かくて頼りになる政治家だよ」
 

私も額賀氏が「頼りになる政治家だ」ということに異論はありませんが、ちょっと待てよ、これは美談なのでしょうか。 

その時期に、額賀氏の地元の選挙区であるわが村は無医村じゃなかったんでしたっけ。 

私を可愛がってくれた御老人も、遠くの病院に連れていく間に死にました。本土でもそんな地域は山間部にはゴマンとあります。 

わが地域にJA系の総合病院が出来た時には、本当に嬉しかった記憶があります。 

内科ですらそうですから、産婦人科専門医など夢のまた夢。

しかし、地元を放っておいても、旧竹下派にはこと沖縄となると、地元の選挙区が無医村であろうとなかろうと、防衛医大を動かしてしまう性格があるわけです。 

なぜでしょうか。当時防衛庁長官だった額賀氏は守屋次官と共に、普天間移設に心血を注いでいたからです。 

「辺野古に新基地を押しつけた」という言い方を、よく沖縄の反基地運動家は無検証に言いますが、とんでもない。 

この辺野古にある米兵相手の歓楽街・アップルタウンは、地元がシュワブ基地を誘致した時に出来ました。そんなことはこの街で生まれた玉城氏ならよくご存じのはずですが。

少し移設の歴史を調べれば分かりますが、辺野古に移転先が着地したのは20を超える代替案がオビに短したすきに長しだったからにすぎません。

消去法で辺野古にしか残らなかったからです。 

また心ならずも、海を埋め立てる海上案になってしまったのは、沖縄の建築業界がそれを望んだからです。

短い上に二本もある滑走路は、その向きひとつさえ名護市と散々アーでもないコーでもないといじり回して、結局ああなったのです。 

本土政府は「押しつける」どころか、地元沖縄の要求を丸飲みしたから、あんなヘンな形になったのです。 

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この17年にも及ぶ無為な時間の間に、野中元幹事長などは足しげく沖縄通いし、沖縄の宣撫工作のようなことをしていました。 

故翁長氏はペーペーの県議だった頃に、中央政界の大物に声をかけられた感激を何度も口にしていたそうです。 

野中氏たち旧竹下派の政治家は、移転など本気でする気などなかったのです。 

地元の意見を丁寧に聞くそぶりを続けることで、半永久的にペンディングにしておけば用は済みました。 

そうすれば、本土政府は沖縄を国策の重点課題を握っている地域として、まるで腫れ物に触るように扱い続けます。 

この旧竹下派が中央政界を牛耳っている時期に、沖縄の振興予算はただのカンフル剤ではなく、もはや沖縄にとってなくてはならないものとして固定化していくことになります。 

それは、基地と振興予算を一体のものとして、本土政府が沖縄に持ち込んだからで、当然受け手の沖縄政財界にもそれをあたりまえとする空気が作られてしまいました。 

このような旧竹下派の沖縄との癒着関係は、中国ODAに似て振興予算をつかみ金としてバラまくほどに、本土と沖縄の政界の堅牢な利権構造を作っていったわけです。 

沖縄県庁の役人は、本土政府の担当官にこの振興予算を何に使うのかと問われて、「そんなことはあんたらが考えなさいよ」とうそぶいたそうです。 

いかに沖縄県が、振興予算にあぐらをかいていたのかが分かる話です。

そして沖縄は他県に見られない公共建築物展示場のようになり、社会インフラはこれ以上やることがなくなるほど整備されたわけです。 

ただしそれで県民が豊かになったかどうかは、また別の話です。 

Photo
こんな構造を作ったのが旧竹下派で、その大幹部が小澤氏でした。 

玉城デニー氏はボスの小澤氏をこう評しています。 

「保革を乗り越えてイデオロギーは腹八分、六分にして取り組もうと。保守の政治家でこんなことを言う人は、小沢一郎以外に聞いたことがない」
(アエラ8月24日)
https://dot.asahi.com/aera/2018082400035.html?page=1

何を言っているんだか。

「保革を乗り越える」もなにも、「イデオロギー6分」だかなんだか知らないが、小澤氏や翁長氏はそもそも初めから保守の理念などかけらもない御仁です。 

両人ともに共通するのは、権力の座に着くことこそが至上命題ということです。

小澤氏は、師の田中角栄からきめ細かい気配りは受け継がず、異常な権力欲の強さだけを引き継ぎました。

彼らにとって政策などは二の次三の次、 理念などは四つがなくて番外です。

小澤氏が考えていることは、いかなる手段を用いても現政権を倒し、自分はそのプロデューサー兼ディレクターとして権力の一角に食い込み、かつてのようなキングメーカーに復活したい、ていどのことです。 

イデオロギーなんぞ「腹6分」どころか初めからそんな上等なものはないのであって、その場その場の方便にすぎません。 

でなければ、自民党幹事長にして改憲タカ派から、一転して民主党党首、さらにはそこも追い出されて極左政党まがいの泡沫政党に転がり落ちるなんていう無節操な転向はできません。

ちなみちミニ小澤の翁長氏も似た下劣極まる裏切りを働きましたが、どういう風向きか、いまは「島の義人」として神社のひとつもできそうな人気です。 

それはさてとき、おそらく小澤氏が沖縄に来たという理由は、デニー氏を使って野党の反安倍統一戦線を作れないかと算段しているのでしょう。 

小澤氏は、沖縄での記者会見で、「雰囲気では勝てない」と言って、金秀の呉屋氏と面談しました。 

理由はシンプルです。呉屋氏以外に今の四分五裂の「オール沖縄」陣営をまとめる力量がある人物はいないからです。 

先日述べたように、デニー氏を擁立要請する前の「オール沖縄」は、形骸として残っているに過ぎず事実上解体局面にありました。 

呉屋・平良氏などの経済人と「おきなわ」会派が脱退したからです。 

これで金秀+「おきなわ」VS社民・社大VS共産という三分裂が決定的になりました。 

Photo_2産経8月24日 

調整会議で鳩首協議しても決定的候補者が出なかったのは、ひとえにどの派閥の候補が出ても、他派閥が支持できないからです。

候補に上がって、当人も受諾したにもかかわらず、「おきなわ」会派の赤嶺氏がボツになったのは、他派閥がお前に知事の椅子やれるかよ、と言ったからです。

これでは絶対に決まりません。

この三極構造から自由に見える玉城氏の名が「遺言」とらで登場するや、「密室政治」なんてどこ吹く風とばかりに飛びついたのは、別にデニー氏の才腕を嘱望したわけでもなく、ただの派閥力学の産物にすぎないのです。 

一方、言われたほうのデニー氏当人は、「このボクがですかぁ」と素直に狂喜してしまい、「光栄です」と早々と受託まがいのことを叫んでしまったというのですから、お粗末です。

これでこの人は、沖縄政局にまったくの無知の素人政治家にすぎないことが分かります。 

相談を受けた小澤ボスは、勝てない選挙はしないという主義ですから(といっても年中負けていますが)、舞い上がるデニー氏に「選挙はカネと人で動くんだ、それを確認してから受諾しろ」と諭したのでしょうな。 

それが後にデニー氏が言い出す、「保革が揃って応援してくれること」という条件です。

これはいうまでもなく、小澤氏が提唱し続けている沖縄版「オリーブの樹」である「オール沖縄」を再建しろという意味です。

小澤氏の腹は野党連合の原型だった「オール沖縄」を再建し、自派の玉城氏をその中心人物に据えることで、また政局のキイマンに返り咲きたいという一心です。 

具体的には、3派閥が揃ってデニー氏にカネとヒトを出せということですが、受諾を断れば、「オール沖縄」には立候補者がいなくなり、不戦敗という事態になりかねません。 

もうなんでも聞きます、聞きたいのですが、苦しい事情はご承知のとおりでして・・・、というところでしょう。 

金秀に至っては、政治家よりはるかにナイーブではありませんから、デニー氏はもとより訪れた小澤氏にも条件を色々つけたのでしょうね。 

デニー氏は支持するが、こんどの選挙はかつての翁長氏を出した時とは状況がまったく異なるから、金秀としては精神的応援しかできない、といったところでしょうか。 

デニー氏が約束した29日は明日ですが、さて、どうなりますでしょうか、お楽しみ。

 

 

 

 

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コメント

政治家ってざっくり言って3タイプに分かれると思うんです。
大いなる野心はあるものの興味があるのはそのステータスのみで
そのポジションに到達しても目指すべき展望はまるっきりない。
こういう人結構いますよね。個人的見解ですが、
小沢一郎、小池百合子、石破茂、野田聖子などなど。

もう一つは自分のポリシーを実現するために天下を目指すというタイプ。
こういう人はそう多くないとは思いますが、
安倍総理なんかはこちらに分類されるんでしょう。

そして最後のタイプ。
こちらはもう野心も志も端っからなく、ただ単に議員の職にのみしがみつくタイプ。
もっともらしいことを言って政権批判だけは熱心だが
もとより高邁な信念など微塵もないので批判はすれども勉強はしない。
そんなもんだからしょっちゅう自分の投げたブーメランが刺さるというタイプ。
まあ敢えて名前は列挙しませんが、わかりますよねえ。

最新のニュースではデニー氏が立候補を表明したようです。明日から沖縄のマスコミの偏向報道が激しくなりそうです。小沢氏も年齢的に先は長くない。
沖縄に賭けてみようと思ったのでしょうか。

記事の額賀さんの話は象徴的ですね。

良くも悪くも沖縄と本土は「持ちつ持たれつ」と言えば聞こえはいいけど、はっきり言って「ズブズブの関係」だったですね。
旧福田派で沖縄北方大臣だった尾身幸次なんかも、ずいぶんアメを貰ったクチでしょう。

けれど旧竹下派というのはまた別格で、沖縄だけじゃなく中韓についてもリベラル寄りの歴史観を強く持つ議員の集まりでした。
沖縄側でもこういう人たちを手なずける方法を心得ていて、下にも置かぬ接待やらで対応に余念がありませんでした。

彼らのやった事は結局、沖縄と本土の則を通常あるべき「国と地方との関係」から逸脱させるものだったと思います。
また、それがスムースに国民に受け入れられた時代でもあったんでしょう。
そういう時代に戻したかったのが翁長さんで、一口で言って「時代の変化」に対応できない政治家だったと思いますね。


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