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2018年10月27日 (土)

ネット言論の自立を守る方法とは

048

コメント欄に書きましたが、重要なことを含んでいるので、こちらに移しかえました。

「4444.3333 」さん。親切心で入れてくれたのに、すいません。

あなたが言うように、このところメディアやリベラル陣営は、執拗にネットを敵視しています。手段はあなたも知ってのとおり、ヘイト通告です。

それは事実です。いいわけがありません。言論弾圧の亜種です。

このようなことが常態化すれば、言論は自ずと萎縮していきます。自主規制してしまうからです。

私もさんざん荒らしをやられてきました。つい最近も知事選でやられました。

すべて根拠なしの同じものばかりで、読んでいもしないのに荒らし目的で来ることが歴然としているものばかりでした。

ある荒らしに、「読んでからこい」と言うと、答えが「こんな長いの読めるかよ」でしたっけね。だはは(笑い)。

しかもひとつ来ると、次々に来て炎上させようとするのですから、なんか彼らの相互の連絡でもあるんでしょうね。

中には新聞社やプロバイダーに違反通告する者も出て、困惑させられました。

だから言うのですが、こちらも防衛手段がいるのです。

私がとっているのは三つです。

第1に、記事や写真には根拠と出典を付記します。

お恥ずかしい話ですが、私もいい加減だった時期があって、攻撃の材料を与えてしまった苦い経験があります。

第2に、CatNewsAgencyさんや楽韓さんと同じように、人種差別発言的発言に対して反対していることを明確にし、コメントにも同じ対応をすることです。

中韓を批判することが、人種差別をしていいことの理由にはなりません。

ゼノフォビア(外国人嫌悪)を排することは、このサイトの理念であると同時に、それが無用なヘイト通告からわが身を守る方法でもあるからです。

第3に、マスコミと同じ広告収入に依存する体質を作るなということです。

朝日があれだけデタラメな報道を繰り返して潰れないのは、あの会社が報道以外の不動産事業で食っているからで、いまやそちらの方からの事業収益のほうが多いはずです。

これでは本末転倒ですし、他山の石とすべきですが、最近ネット言論の世界でも似た傾向が生まれています。

あるていどの広告に目くじらを立てる気はありませんが、それがないと生活できない、更新できないとまでなるといかがなものかと思います。

それでは既存のオールド・ディアと違ってただの個にすぎない私たちが、その轍を踏んでいることにはならないでしょうか。

ブロッガーがマスコミより優位に立つことができるのは、あくまでも自由にものが言える個だからではありませんか。

この個の強みを活かすためには、一定ていどはいいとしても、広告を干されると死活問題になるようなら行き過ぎです。

自由な言論を防衛するのは、自立せねばなりません。

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コメント

管理人さんへ
スレ立てありがとうございます。

人種差別については、少し異論があり、私は在日朝鮮人の言動こそ日本人差別と思っています。問題は、何が差別で何が差別で無いのか、それを誰が決めるのか?、です。日本のルールを日本人が決めるなら、私は文句を言いません。ですが、一部の外国人が日本のルールを決めようとしている、というのが今の日本の現状ではないでしょうか。

それ以外は、管理人さんに同意します。特に広告に関しては、管理人さんの指摘の通りと思います。そこで、最近の試みとして、小坪さんを中心に保守基金が立ち上がりつつあります。もし良かったら小坪しんやさんのブログを覗いてみて下さい。

私は、今の日本の状況を、日本の民主主義の危機だと思っています。このままだとネット空間も敵に支配されるかもしれません。そうなれば日本は終るでしょう。そんな訳でご迷惑を承知で、あちこちにコメントを書いてしまいました。私の心配が杞憂である事を望みます。

アフィリエイトや広告で収入を得ると、インパクト重視になり、内容はともかくタイトルが過激になりがちです。
最近、だいぶマシになりましたが、保守速報さんやU1 速報がそんな感じですよね。

人種差別について、国や民族で人をひと括りにして排除を叫ぶのは間違いだと思います。
私は幼少期から外国人の多い環境で育ち、大抵の国の人間と偏見なく接し、仲良くできるようになりました。
ただ、外国人Aと仲良くできるのは、Aがいいヤツだからです。国も民族も関係ありません。
しかし、特定の団体や民族を押し立て、それらの利益を声高に叫ぶ人とは関わりたくもありません。
私はそれを差別だ、排外主義だと言われれば、甘んじて受けるつもりです。

  4444.3333さん

 お気持ちはよくわかります。
ただ、ほとんどの在日朝鮮人は、一部の突出した過激な在日の運動家らを嫌っているのが実情です。
ただ、本国との関係やこれまでの総連や民団との闘争の歴史やらをかんがみると、これに「沈黙」しているのが今の現状かと思います。

また、「日本のルールを日本人が決め」ていない事実はなく、「一部の外国人が日本のルールを決め」る事もあり得ません。
そうではなく、「一部の外国人が日本人のルールを決めるべく、主要マスコミはじめ、ある種の日本人を手足にして動かしている」のが事実です。
したがって、これは優れて日本人の問題だと言えます。

彼らは議論を忌避し、「ヘイト弾」を拵えてレッテル貼りに勤しみますが、大方の日本人には受け入れられておりません。
旧メディアが揃って宣伝しているのでそう見えるだけで、形成は保守にとって決して悪くは行っていないと思います。
一朝一夕にはいきませんが、それは民主主義なので仕方ありません。

ですので、ここはいくらか気分を楽にして「オウンゴール」にならないように、慎重な言葉選びをしていく時期なのだろうと思っています。

ご指摘の小坪氏のブログはのぞいてみます。

私は寧ろ今までメディアで言いたいことを言いっぱなしだった左翼陣営のそれに異を唱えるネット言論へ危機感が強くなってるのが現状ではないかと感じています。
だからこそ保守速報のような一部やり過ぎと言えるページ作りはするべきではないし、管理人さんのように付け入る隙を見せない努力が必要だと思います。
話が少しずれますが、最近NHKがネットを標的にした「フェイクニュース」というドラマを放送し、それに関連したニュース番組の特集で「ネットの情報のファ
クトチェックをした新聞社」として紹介したのがなんと沖縄タイムスだったそうです。
これも管理人さんが言及されてる「メディアのネット敵視」の現れだと思いますが、なんいうか「よりによってそこかよ!」と思ってしまいました。

おっしゃる通りです。露骨な人種差別的言辞は言論弾圧の口実を与える愚策です。絶対にやるべきではありません。
ところでヘイトと言えば私は右派の対沖縄言論の中で人種差別的な言辞はないと思っていますが、最近「沖縄ヘイト」というものが左派の人たちから発せられるようになりました。明らかにヘイトを口実にした言論統制を狙っているように思います。注意していかなければなりませんね

自由にものが言えることは素晴らしいことです。当ブログは侮蔑表現などが無い限り自由にコメントできます。間違った知識をただしてもらうことも多々もあり有難いです。沖縄は沖縄二紙をはじめとするマスメディアの同調圧力があまりにもひどくなかなか自由にものが言えないので、当ブログなどは貴重な言論の場です。左翼さん系のブログはそもそもコメントを受け付けない言い放しのものが多いですね。

琉球新報社説
<社説>明治150年式典 礼賛よりも反省すべきだ
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-823185.html

「1952年にサンフランシスコ講和条約発効で日本が独立を回復した一方で、沖縄や奄美は分離され米統治下に置かれた。この日を「屈辱の日」としてきた沖縄では、式典に強い反発が起きた。」
「沖縄から見ると、明治150年の前半はアジア太平洋戦争と沖縄戦で終わった。そして後半の始まりが「屈辱の日」である。日本に復帰して46年を経た今も米軍専用施設面積の約70%を押し付けられ、民意を踏みにじられ続け、事実上の植民地支配、差別を受けている。式典会場近くで批判する集会が開かれたのは当然である。」

「屈辱の日」なんてここ数年とって現れた印象しかない。沖縄のメディアだって当時は講和条約発効を歓迎していたろうに。沖縄が事実上の植民地支配って我々は日本人ではないとでも?「沖縄から見ると」って「琉球新報から見ると」だろ。勝手に沖縄の代弁者きどるんじゃねーよ。琉球新報のこの態度こそが沖縄差別だ。

「明治150年の前半はアジア太平洋戦争と沖縄戦で終わった。」もうこれに至っては気持ち悪い。バッカじゃねーの!?

マスコミやまとめサイトの恐ろしいところは情報の切り貼りによって一部の声のデカイ方々の意見を総意だと思わせようとする事です。
違いは特定のイデオロギーへと誘導するのがマスコミで、アクセス数を稼ぐためにはなりふり構わないのがまとめサイトといったところでしょうか。
まとめサイトは趣味の分野以外では利用していませんが、コメント欄の質をみればサイトの信用性は一目瞭然なのである意味マスコミよりも良識的なツールとも言えるかも知れません。

一番危険な事は特定のカテゴリーの人間から発言はそれを代表するものと勘違いしてはいけないということです。
これはマスコミ、ネットともに近年この方向に導こうとする動きが活発化しており、その動きそのものが4444.3333さんのおっしゃる民主主義の危機に繋がるものだと私は考えています。
沖縄県民として常識外れの反対運動に加わっている方々と同じメンタリティだと思われるのも心外ですし、それは在日、LGBTといった近年クローズアップされる方々に対しても同様だと思っています。

えっと、私の稚拙なコメに多くの意見をいただき、ありがとうございます。

私は、10年前に民主党政権が誕生した時に、民主党に投票した間抜けな日本人の一人でした。実際に民主党政権が誕生して、間抜けな私は、自分が騙されていた事に気付きました。

でも、私が真実に気付いたのは、ネットが有ったからです。もしネットが無かったら、私は間抜けなままだったでしょう。

ネットの重要性は敵も承知しています。今、敵は、着々をネット勢力を広げつつあり、同時にネット保守を潰しつつあります。

もしネットが新聞テレビの二の舞になれば、再び民主党政権が誕生し、そしてその時はもう国民に真実を語るネットは存在しません。そうならない事を望みます。

あ、それと、私の沖縄県知事選でのコメは失敗でした。ご迷惑をお掛けした沖縄県の皆さんに陳謝します。

「ヘイト」って、ホントに嫌らしい概念ですよね。人間
の価値観は多様で、それをどう表現しようが自由です。
たとえ、「在日朝鮮人は〇〇だぁー」と言ったとしても、
それ自体は全然構わないのが自由と言うもんです。

青少年の問う「なんで人を殺してはいけないの?」の答
は、人の命は尊いから、オンリーワンの命だから、悲し
む人がいるから、などなどでは無くて、人を殺すと自分
も殺される報復を受けるから、が身も蓋もない理屈です。
(さすがに近代法治国家では、イキナリ死刑は無いけど)

ですので、凶悪大量殺人の犯人のほとんどは「自分も死
ぬつもりだった」と言います。報復されるという心理的
ブレーキが効かないから、いくらでも殺せるんです。
この心理は、核兵器の抑止力の源泉にもなっています。

「ヘイト」なんて、いかにも良い子ちゃん贋リベラルな
人達が好きそうです。口汚くてもガンガン言い争うべき
だと思います、それが個人の自由を重視する立場にある
者の姿です。当然、言った内容については全責任を負う
し、それにより言った人の評価も定まるでしょう。

言い争いの末に、単なる差別主義者や、ホラ吹きや、ただ
頭が悪い人や、金儲け主義の人は、いずれ報復されて淘汰
されてしまいます。

「ヘイト」なんて言ったら、そこで思考停止です。全体
主義的な概念なのだと思います。だから社会主義や共産
主義が好きな人と「ヘイト」好きな人は重なる。裁判官
などもそっち側が少なくないみたいで、身の毛がよだちます。
どうして極東のデンジャラスな国のクセに、こうなっちまった
んだか?

ブログをこれだけ永く続けられておられる中、対策③を徹底され、近年①を意識されているなあと思いつつ拝読しておりました。
③についてはポチっとランキング無視なども合わせると名誉欲とか度外視したまさしく「行」だからこそなのかなと。
真似できる人は少ないかと思います。
①が書くものの身を守ってくれる、というのはツイッターやSNSの短発信も同じで皆が気をつけるべきポイントですね。
②については、中韓の政府に批判的な人こそ、口汚い極端な表現を慎み戦略的な表現を心掛けないでどうするんだよと日々頭にきています。
保守速報や正義の見方ブログなどのまとめサイトも昨今コメ欄にくどいほど気をつけるように注意書きが入ってますよね。
コメ欄であげ足を取られて糾弾されるリスクを分かっているからです。サイトを応援するつもりで特定民族を低いだのDNAがだの決めつけたコメントを書いてスカッとしている人がいるなら、ホント今すぐやめて欲しい。それは表現の自由でもなく、彼等が罵倒している相手が日本人に対してやってる事と同じヘイト行為ですから。同じ事しても有効なカウンターにはなりません。
ゆきさんの書かれたAさんの例えには全く同意です。あと、お国柄というのはそれぞれ文化があるのですから、あります。
それに上下や後進はないのです。ここは日本ですから、日本を真ん中に置いて法体系と文化を構築しているだけで。
一部の声高な人達や無法な人達を抑える事が出来ないのは、在日外国人だけでなく日本人相手でもそうです。
ただ、日本人は自国民として守られている部分がありますが、帰化した人や住んでいるだけの外国人は、出身国の遠縁からの無法なアプローチを日本政府に一切守ってもらえないまま暮らしています。だから黙っている真面目な外国人達のストレスだって相当なもんです。彼等は損して得取れということわざを知ってるかはわかりませんが本当に地道に頑張っています。
そういう人達のモラルをキープしながら味方につける事が、4444.3333さんの書かれる「敵」を弱める手段にもなるかと思います。

自立という点では、オフィス・マツナガのボスさんが以前、ある程度自力の経済力をつけてから言いたいことを言い始めた、というようなことを呟かれていたのを思い出しました。

どんな社会にも異論という内圧・外圧は常にあった方が良いです。
でないと身内、繋がりを考えた赦し合い、甘え合い、見逃し合い、見て見ぬ振り、波風を立てない態度・文化は増長します。
そうして悪いこともやったもの勝ちになり、悪いことでも仕方ないと黙る自分に自信は持てないけれど出る杭にもなれない、そんな風に内心が荒む人々は増え、その社会が贔屓の引き倒しで崩れるのすら止められなくなるのも予想されます。
「みんな違って、みんないい」って学校じゃ教えたはずなのに、実社会では「違っている」ことを放っておかないし、むしろ許さない、許されない(と思う)から違っていたくない…
例え社会の崩壊までは至らずとも、全員この調子なら永遠に成長も改善も起きません。
その中で、意見・立場の違いに関わらず、「相手の反論を予想し、2手3手先を考えた話の組み立て」といったものが全く考えられていない言動言説が多々あるのは事実ですね。
どんな時も相手の反論を想定した話し方をするといったことが、言論の質を高める道のひとつに思います。
また、異論に対して直ぐに「批判するな!」といい出すのが現状の新聞テレビやリベラル陣営なのも事実です。
言説に問題ある、または言説が気に入らない保守系サイトに対して言論でなくDoS攻撃がされていると考えられる事象が起きているのも、闇があるよなぁと。
私は「バカは置いて先へ行く」方で、私よりももっと出来る人からは私なんぞ置いて先へ進もうと思われているかもしれない故に生意気な言い方ですが、より高級な、より価値ある言説のやり取りが見たい、関わりたいなぁと思っております。

管理人さん、皆様こんばんは

安田純平さんの件でも、昨日の報道番組の中で
「以前は政治家から自己責任論が出ていたが、今は
ネットから出ている」と言っていたのを見ていました。

色々な意見が出るのが普通でしょうに…

しかし、どれだけ気をつけても過激な言動をする人は現れますし、なんならマスコミが自作自演でヘイトそのものなコメントを書き込めば、ネットを攻撃できるんですから、この点は相手の方が有利ですね。

マスメディアの腐敗こそ、わが国最大クラスの病巣の一つだと思いますが、早急に解決する手段となると過激なもの、現実的でないものしか思いつきません。この問題を知る国民が地道に増えるのを待つのが、結局遠回りに見えて確実なのかもしれません(それで、間に合うのかどうかは不明ですが)。

>どれだけ気をつけても過激な言動をする人は現れますし、なんならマスコミが自作自演でヘイトそのものなコメントを書き込めば、ネットを攻撃できるんですから、この点は相手の方が有利
そうなんですが、攻撃を受けた際の傷の深さが気をつけるか否かで格段に違うはずです。
こんなに気をつけているのにコレか(がっかり)というようなストレスはあるにせよ。
気をつけて輝きを増しているサイトがいくつもあるというのは
暁光と私は解釈し、光のさす方へ声援を送りたいです。

すみません、名前抜け送信してしまいました!直近名無しはふゆみコメントです。

何日か前から記事の記述の誤りを指摘されているのに修正しようともしない人間にネット言論などと語る資格があるのでしょうか?
人を傷付けるからではなく、自身が攻撃されるから差別表現は良くない、と書くに至っては言葉を失います…

金城さん。

そもそも記事に誤りなどありましたか?
先日の批判指摘でも対して「批判する言動」について、論理も日本語が破綻していることを私は指摘しましたが。
自分の都合の良い受け取りしか出来ない方々なんでしょうね。
元より「デニー氏のスキャンダルなどは争点ではない」と元々管理人が主張してきたのに、最初は「デニー氏のことについてソースを」と低姿勢で接近してきて、返信されたとたんに豹変して争点にならないことを延々と繰り返すだけ。
それなら「佐喜真氏のスキャンダルをも書け」というだけならまだ分かりますけど、それこそ言論の統制です。

なんの論点も示さずに話を反らしは、汚い誹謗を続けてネット言論世界を壊しているのは、そのような方々です!

金城様へ

主張される誤った記事がいつのどの部分か具体的に示して頂けると第三者も記事の内容の正否を判断し易いのですが。

記事はデニー氏については文春によればとつけてあるし、対立候補が自身で認めていると正確に書いてあるはずだ。
よく読みなさい。

それを大げさにまるで誤報して居直っているように書いているほうがおかしい。
コメントで「どっちもどっち」と書いたことの一転を取り上げて揚げ足をとっているだけだ。

デニー氏は認めずうやむやにして逃げきった。
文春報道が正かったかどうか、なんとも言えない。
なぜなら、文春は週刊誌特有の気楽さで追加報道を止めてしまったし、デニー氏は事実上回答を拒否し、まともに対応したとは思えないからだ。
だからいまのようにグズグズのグレイゾーンに入ってしまった。

一方、佐喜真氏は、青年期の武術家として渡仏したときのことで、結婚前のことだった。
そして、いまでも子供を沖縄に年に一回呼んでいることから隠すことはないと判断したのだろう。

しかし、それが皮肉にも裏目に出た。
デニー氏を擁護する者たちからは、「デニーに対する疑惑はでっち上げだが、サキマはクロ。だからデニーにたいする疑惑はでっちあげだ」ということになったからだ。
今回のコメント欄に来た者たちは、全員がこれと同じロジックを使っている。

選挙戦術としてはデニー氏が正解だった。
短い選挙戦で清潔が売り物の彼にとって、説明を拒んで、否認し続けることがいちばん良い戦術だった。

かたや佐喜真氏のほうが稚拙。
双方がネガティブ・キャンペーンをする中で、たいていの人は情報を正しくは見ないで、印象だけで判断してしまうからだ。

ただし人としての誠実さは別次元だ。私は逃げなかった佐喜真氏のほうが人間として信頼するに足りるとおもうが、いかがだろうか。

いずれにしても、私はこのような政治家スキャンダルにはまったく関心がないし、候補者選びの基準になることではないと考えているから、そう記事に書いた。
このどこが間違っているのか。

それをコメントで「どっちもどっち」と書いたことだけを切り取ってワーワー言っているのには私の方が驚いた。
金城氏とか言う人に至っては、「言論を語る資格なし」だそうだ。自分の言っている「言論の資格」という言葉の重みをわかって書き込んでいるのか。
きちんと元の記事読んでから書き込め。

ではご要望どおり訂正する。
「デニー氏は認めずに否認したが、佐喜真氏はかねてから秘密にしていなかった」
これでいいだろうかね。

いずれにしてもこの記事内容とも、知事選とも関係ない、ただのディスり。虚しい空中戦にすぎない。

もう締めます。

この記事へのコメントは終了しました。

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