北方領土交渉が膠着する根本原因は
北方領土交渉はどなたかも言っておられましたが、結局、プーチン御大のキャラにつき当たってしまって、それが岩盤になっています。
歴代の共産党書記長、そして今ならプーチンです。素朴におかしくはありませんか。
確かに交渉は交渉当事者の人格に由来する属人的要素もあるにはありますが、こうまで前面にそれが出てくるとたまったもんじゃないぜ、と愚痴のひとつも言いたくもなります。
私はそれは日露間で戦後処理が終わっていないからだと、何度か書いてきました。
しかし、ここでちょっと待って下さいよ。日本はロシア(旧ソ連)とだけ戦争をしたのでしょうか。
日本は連合国と戦争をして敗北したのであって、実はソ連とは戦争をしたのかどうなのかさえも疑わしい上に、仮にしたとしたらなおさらのこと、あくまで連合国との間で戦後処理がなされるべきでだからです。
ところが70年以上も経過した今になって、ロシア一国とサシで国境線確定交渉をしているわけです。
なんせ二国間ですから仲介国もいずに、ロシアの都合と日本の都合でいっかな進みませんでした。
そのために半世紀前にやっておくべき平和条約が、まだロシアとだけ締結できていないという異常事態になってしまったのはご存じのとおりです。
骨折して半世紀放置したために、曲がったままになったようなものです。安倍氏がもう先送りできないというのは、そういう意味です。
戦後処理は、昨日見たドイツ最終規定条約のように終戦から何十年たっていようと、相手陣営の国家群とすべきです。
ドイツの場合、東西に分裂国家となってしまったために、統一を前提とした1990年まで待たねばなりませんでした。
しかし敗戦から46年たっていようと、連合国を構成した主要国(英米仏露)が領土の帰属や、外国軍隊の駐屯といったことを仕切り直ししたという点では、このドイツ最終規定条約もまた講和会議でした。
これはヨーロッパにおける近代戦争のすべてが、国家陣営と国家陣営との間で戦われているからです。
したがって、どちらが勝つにせよ負けるにせよ、その戦後処理は戦後にどういう勢力図となるのかに直結するために、講和会議のテーブルでシビアに論議されることになりました。
古くはナポレオン戦争から、第1次大戦まで一貫してその形でした。これが国際的な戦後処理のルールです。
ヴェルサイユ条約 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E...
ところが、第2次大戦だけは例外が起きてしまいました。なんと戦後処理の過程で勝者の側の国家連合のほうが分裂してしまったからです。
冷戦の開始です。ここでねじれが生じます。その経過を振り返っておきます。
旧ソ連の参戦自体は国際的には合法でした。
私たち日本からすれば、日ソ不可侵条約を一方的に破りやがってという恨みつらみはあっても、この参戦自体はヤルタ密約で決定されたものですから、国際的なルールに従っています。
「日米開戦当初からソ連に対日参戦を求めていた米国はヤルタで、わが国や中国国民政府に無断でソ連とヤルタ秘密協定(ヤルタ密約)を結び、南樺太を返還し、千島列島を引き渡すことを条件に、ソ連がドイツ降伏後、2カ月または3カ月後に対日参戦することを取り決めました。
また、わが国が持っていた大連、旅順、南満州鉄道の権益をソ連に与えました」(産経2017年2月5日)https://www.sankei.com/premium/news/170205/prm1702050009-n2.html
これをルール破りだというなら、その主犯のひとりはルーズベルトです。日本嫌いで有名なこの男の強い要請があって、ソ連は対日参戦をしたのです。
もちろんロシア(旧ソ連)は舌なめずりをせんばかりに、この米国のオファーを受けたのはいうまでもありません。
「わが国の降伏文書調印式が行われた9月2日、スターリンは国内向けメッセージで「1904年の日露戦争で日本は南樺太を奪い、千島列島に地歩を固めた」「わが国民は日本が粉砕され、(日露戦争敗北という)汚点が一掃される日を待っていた」などと述べました」(産経前掲)
もちろん、南樺太の領有はスターリンが言うように日露戦争とは無関係です。
1904年の日露戦争の29年も前の1875年に締結された樺太・千島交換条約で平和的にわが国の領土になっているからで、戦争で奪ったものではありません。
南樺太譲渡は、日露戦争の講会議のポーツマス条約によります。この条約により、ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本に譲渡する、ことになりました。
その意味では日露戦争の結果には違いありませんが、講和条約を経て領土化されたものであって、領土拡張を目的とした北方4島への侵攻とは別次元です。
1945年7月26日、連合国は日本に降伏を勧告したポツダム宣言を出しますが、その8条に日本政府の主権が及ぶ範囲、つまり領土の範囲が書かれています。
ポツダム宣言 - Wikipedia
原文http://www.ndl.go.jp/constitution/e/etc/c06.html
外務省仮訳http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html)
"The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine.
「カイロ宣言の条項は、履行せられるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限されるべし」
ではさかのぼってこのカイロ宣言においては、日本の領土の戦後処理についてこう書いてあります。
カイロ宣言 - Wikipedia
対訳http://www.chukai.ne.jp/~masago/cairo.html
"They covet no gain for themselves and have no thought of territorial expansion"
「同盟国は、自国のためには利得も求めず、また領土拡張の念も有しない」
つまりポツダム宣言は、勝手に連合国の国々が火事場泥棒のように領土拡張をするな、とも言っているわけです。
しかし、ソ連は「自国のための利得を求め、領土拡張に専念した」からおかしくなりました。
そういえば少し前のコメントに、「あんな国が信用できるか」という声がありましたが、気持ちはわからないではありませんが、逆です。
信用できない国だからこそ、条約を結ばねばならないです。
信用できないロシアと平和条約ひとつない状態でいることのほうが、私にはよほど怖い。
それはさておき、ならば、なぜこういうことになったのかといえば、本来なされるべき講和会議が機能していなかったからです。
先ほど述べたように大戦直後に連合国が米ソ2陣営に分解してしまっために、講和会議が米国が主導する自由主義諸国とだけなされることになりました。
サンフランシスコ講和会議https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_sfjo...
本来はこの連合国のすべてが集まった講和会議で、ソ連に参戦を勧めた米国の立ち会いの下で、北方領土の帰属が論じられるべきでした。
ところがソ連は、サンフランシスコ条約に署名することを拒んで、講和会議にも参加することすらしませんでした。
米国は、自らがソ連の参戦を要請しておきながら、ポツダム宣言8項に違反したソ連の北方領土強奪を事実上黙認しました。(後ろめたいのか、米国は何度か北方領土は日本領であることは言明していますが)
とまれこれが、北方領土交渉がいっかな進まない根本原因です。
つまり、そもそも北方領土交渉は日露の二国間でやるべき議題ではないのです。
このように考えてくると、私たち日本は北方領土については共犯である米国にご登場願わねばならないと思います。
二国間でこれ以上、膠着状況が続くなら、日本版「ドイツ最終規定条約」を旧連合国にやれと、国際社会に訴えるべきでしょう。
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記事内容に賛成です。プラスすると、この場所で米露日が講和するのは中共にとっても嫌ーな事かと思います。
今回の講和への最大の敵は国内左右の煽り極論、色んな方々がコメントされている通りだと思います。
投稿: ふゆみ | 2018年11月28日 (水) 07時50分
樺太千島交換条約は南樺太をロシア領と定め千島全島を日本領としたものです。南樺太はポーツマス条約により日本に帰属したのですから明らかに戦争の結果です。なお南樺太は日露混住で紛争が多発し、当時の日本の国力では日本領とするのは困難でした。価値から言えば千島列島はほとんど無住であり、南樺太ははるかに利益があったのです。
投稿: まつ | 2018年11月28日 (水) 16時02分
管理人さんへ 樺太の日本への帰属は1875年の樺太千島交換条約ではなく1905年のポーツマス条約(つまり日露戦争の結果)では?
投稿: 中島みゆき | 2018年11月28日 (水) 18時26分
正確ではなかったですね。直しておきます。ありがとうございました。
投稿: 管理人 | 2018年11月29日 (木) 02時38分