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2019年3月19日 (火)

宜野湾くれない丸氏寄稿 日本政府という「親」と、奄美・沖縄・宮古・八重山という四人の子どもたちその2

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ふ~、やっと管理ページが開いて書き込めるようになりました。

これはもうリニュアルによる一時停止ではなく、57時間の凍結ですからね。これはもうレッキとした事故です。ココログには怨嗟と怒りのコメントが溢れています。

ニフティのやつめ、まったく丸1日以上リニュアルとやらで書き込みを凍結させて、再開予定は13時なのにえんえんと延期に次ぐ延期。5時で開始するとあってもされず、こちらは開けたり閉めたり。なんなんだ、バカヤロー。

12時に一回解除さたとおもったら、今度はアクセス集中でダウン。もう笑うきゃありませんやね。

やっと6時半くらいに開いた新しい管理ページもまったくデザインがちがうので、勝手が違ってわけがわかりません。もう一回ニフティのバカヤロー。

旧管理画面に戻せ。いや戻すリニューアルやるとまた二の舞だから、やるなぁぁぁ。

というわけで、お待たせしました。スマホでみると、皆さんにご心配おかけしていたようで恐縮です。

ブチハイエナみたいな空き巣狙いも2頭来ていたようです。まともな記事への批判もできないくせに、遠くから吼えているなんてアホじゃなかろか。

気に食わなければ自らの論理を対置すればいいのであって、実名をバラして悦に入っているなんて、しょーもない人たち。ああいう暗い情熱は理解できません。

Photo

ブチハイエナさんの雄姿

それも含めて、まとめて消えてしまっています。原因はわかりません。こちらの操作ではありませんし、スマホではまだ残っているようです。(それも消えたようです。ニフティはスッタモンダでやっと平常に)

                                                   ~~~~~~~

というわけで一日遅れのくれない丸さんの寄稿の最終回です。くれない丸さん、大変にご迷惑をおかけしました。

明日から、通常の更新に戻ります。(たぶん)

                                                 ~~~~~~~~

■日本政府という「親」と、奄美・沖縄・宮古・八重山という四人の子供たち その2
                                                                                                                                  宜野湾くれない丸

承前

島尾の言葉や唄者の言葉を思い出したとき、 「日本政府が父親」、「奄美・沖縄・宮古・八重山が四人の子どもたち」と置き換えてみて考えた。  

結論から言えば、父親は「肝心要」な「ここぞ」という時に、「言うべきこと」「示すべき将来像」「取るべき態度」を子どもに対して「出来なかった」「しなかった」のではなかろうか。 

肝心要な時に「態度をあやふやに」し、「取りあえず甘い言葉でその場をごまかし」「自身の不甲斐無さを知りつつも親としての責務を暗に放棄」していたのでは・・・? 

若くして思いもよらぬ出世をした父親は、そのうち「調子こいて」取り返しのつかないくらいの「大喧嘩という大失敗」を犯した。 

居酒屋での呑みの席での失態とは言っても、理由はともあれ「吹っ掛けたのは父親」からだ。 

で、その相手は、それまで大変お世話になっていた「隣の大旦那」である。 

店をめちゃくちゃにして大借金を抱え込んだ父親は、その大失敗を深く反省・検証することもなく、借金立て替えを申し出た「隣の大旦那」に飛びついた。 

「隣の大旦那」は町では評判の「策士」でもあった。父親は「隣の大旦那」に、それ以来ただただ頭が上がらない。 

それはそうだろう「大喧嘩」をしたあげく「大借金まで立て替えてくれた」人だから。 

「大旦那」は担保として「将来性がある四人の子どもたち」を「里子として引き取った」、うち一人は「内向的な子だった」ので、比較的早い段階で親元へ返したが、残る三人はその後も大旦那の別宅で暮らしていた。 

父親の家庭は確かに大借金を抱え、食べるものにも事欠くくらいな貧乏家庭に陥ってはいたが、「里子に出された」という事が、その後、四人の子どもたちの心の中に陰りを残すこととなった。 

さらに「内向的な子が先に親元へ帰った」ことが、兄弟間でも「複雑なしこり」を孕んだ。 

ましてや「あいつの親父は俺ら三人とは違うんだ」なんてことも言いだし始める始末だ。 

この段階で問題は「複雑な域にハマり込んで」行った。 早くに親元へ戻った「内向的な子」は、貧しくはあるが「親元で育つ」温もりを少しだけ知った。 

しかしながら世渡り上手で、小手先器用な「父親」の視野にはあまり入らない存在であった。 

一方、「隣の大旦那別宅」で暮らす三人の兄弟は、それまでは「平屋トタン屋根」であった別宅が「豪華」に変わっていき、環境も見違えるようによくなっていったことに違和感はあったが、それを上回るほどの生まれて初めての「満足感」を味わっていた。 

そんな「満足感」を味わう兄弟たちを横目に、「内向的な子」は時々「別宅へ遊びに来た」りしたこともあった。 

でも、そのたびに「嫌味」を言われたりもした。 世渡り上手な父親は、みるみるうちに復活を遂げていった。

それはそれは目を見張るがごとくの復活劇だった。父親は大旦那へ申し出た。「お陰様でようやく立ち直り始めました。

まだお世話になっている我が子三人をそろそろうちに戻したい。本人達もそう申しております」と。

大旦那は色々と条件注文を付けてきたが、そこは世渡り上手な父親だ、複雑極まりない諸所の問題は「さて置き」、取り急ぎ重要なことは「親元で暮らす」ことだと「正論」を主張た。

それが「正しいことだ」と自身も「子供たち」もそう思っていた。

だが、世渡り上手で小手先器用な父親の性根は同じままだった。「子供たちのことは二の次」だった。「仕事第一主義」だったのだ。

「子供たち三人」は父親へ「愛情」を求めた。が、上手く表現が出来なかった。暴言を吐くこともしばしばだった。

父親は「その場しのぎ」の事しかしなかった。分かっちゃいるけど・・・・・父親はため息をつき独り言を言うばかり。

先に戻った「ひとり」はずっと黙り込んだままである。元来の「内向的」な性格がより深まった。

それから長い時間が経った。色々とあった。父親の懐具合が危ないときもあったし、世間での評価も下がりかけたこともあった。

波乱万丈の世の中である。

でも「変わらない状況があった」それは、父親と三人の子どもたちは今でもずっと「喧嘩」をしていることだ。

長い時間の流れの中で、隣の大旦那は自身の屋台骨が傾きかけ、今では逆に「父親」の方を頼ることもある、そんな状況にもなっている。

気が付いたら「父親」は既に「隣の大旦那」を上回るほどの「旦那」になっていた。

成長した「三人の子どもたち」の間にも「少しずつ隙間風」が漂い始めている。

が、相も変わらず三人揃って「重箱の隅を突く」ように「父親」を攻めたている。

もう年もそこそこになったのに、攻めたてるわるには「今度引っ越しがしたい」「新しい車が欲しい」「病気になった」などなどと言っては事あるごとに「無心」する。

いい年こいて父親に「無心」することに、何の躊躇いも感じていない様子だ。

また、父親も「分かっちゃいるけど・・・・」と思いながらもその「無新」に甘んじている。

「凛」とした姿勢を見せられなかったし、「言うべき事を言うべき時に言えなかった父親」、そんなダラシノない姿を見せ続ける父親。いくら「仕事が出来る有能な人」であっても・・・・・。

そして「恨み節」ばかり言いつづける「三人の子どもたち」。このままであれば、けっして「自立」の精神は構築されないだろう。

「自立する」という事が「何なのか?」「どういう事なのか?」も既に分からなくなっているのかもしれない。

「おはようございます」「こんにちわ」「こんばんわ」「ありがとうございます」「お世話になりました」「また宜しくお願いいたします」・・・・。

父親は何でこのことをしっかりと「叩き込んでくれなかった」のだろう。

このことだけでいい。あとは黙って「きつく抱きしめて」やってれば、いいだけだったのに・・・・。

子供たちはもういい年だ「反面教師」というくらいの言葉は知っているだろう。

「内向的な子ども」に一度だけ、たった一度だけ父親がしたことがある。

それは「きつく、きつく黙って抱きしめた」ことだ。その時の「温もり」をこの子はずっと憶えている。それは確かなことだ。

                                                                                                                                                          了

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

何より管理人さんがご無事でよかったです。
心配していたのはあちら側のファンも同じことが分かりました。

しかし、前回につづき今回の投稿読み進めてだんだんと腹が立ってきました。このような思想をするなんてこの方は先の県民投票の結果を県民の総意だと信じている方なのでしょうか。これではまるで3人の子とやらがかの国のようです。声が大きい活動家の意見を主役にしないでいただきたい。私たちは納税の義務も果たしている日本国民です。

三人の中の一番大きな子は最近ますますふてぶてしくなってきました。良くも悪くも父親の支援のおかげで成長できたことを忘れたかのようです。今でもいろいろなものを割り引いて融通してもらっているのに「それが当たり前」と考えています。父親だっていつまでそうできるかわからないのに。

他の二人の子はやたら図体がでかくて乱暴な隣のおじさんに悩まされています。何かとこちらにちょっかいだしてきてはちょっとずつくすねようとするのです。そのことを一番大きな子に言っても、ひそかにこのおじさんと仲がいいのか何もしてくれません。

一番大きな子は「お前たちは俺に従えばいいんだ」と言わんばかりです。二人は父親に何とかしてもらいたいと思うようになるに違いありません。


便乗させてもらいました。宜野湾くれない丸さんの本記事に比べて軽くて拙いですね、すみません。なんにせよ無事(?)再開できてよかったです。

「隣の旦那」は三人の里子たちのうちの二人を、未来永劫自分の手元において置きたかったのですよ。だからこそ、莫大な統治資金を投下して民政に尽くしたし、民主主義を教え込む所作をしたんです。

その理由は、当時の「隣の旦那」には使命があって、なんとしても「世界の赤化」を食い止めなければならず、かつ、父親は心ならずも三人を里子に手放したのであって、少なくも当時の心中では「世渡り上手で小手先器用な父親の性根」からではありませんよね。

事情が変化して最後の二人も返ってくる事になったけど、二人はそのためにした「父親の苦労」こそ思うべき。
父親は父親らしく、二人の労苦(誇大表現ではあるが)や心情にも常に寄り添って来た50年でした。

そういう誠意が二人の子供に伝わらないのは、分けて「隣の旦那」のせいでも父親のせいでもありません。
みずから進んでイデオロギーに染まり、しかしその中にあったほうが優位で重宝したからです。

拙稿へコメントを頂戴いたしましてありがとうございます。
読み返し、中江兆民の「三酔人経綸問答」のパクリじゃないの!?と身の程知らずに改めて恥じ入っております。
先週、身内に不幸があり、その対応やら何やらで体調まで崩してしまい返信がおくれてhしまいました。

さて、明治以降、現在に至るまでこの南の島ジマで生じている諸問題は、近代化という歴史過程上での「先進国特有の問題」と「途上国特有の問題」が混在錯綜して噴出してきているように感じています。ある意味、日本国内の様々な地域で大なり小なり生じている問題の総体的な形とでもいいますか・・・。大きなテーマである「近代化の功罪」というものが根底にあり、その上で島ジマ特異な色合いが混ざり合って噴出してきている様々な現象。そしてその現象の「捉え方の違い」が「価値観の相違となり」、お互いの「共通した価値観」を導き出していこうと「発展的議論」をする場がないまま、重箱の隅を突きあっている、そんな状況が続いていると感じています。

拙稿で言えば「大きい島の声」だけが民意であるとは思わないのですが、どうもこと「沖縄の問題」となると大きい島の「声ばかり」が全面に出てきています。以前にもコメントいたしましたが「大きい島」が、周辺島ジマへ対して「離島」と表現すること自体に「潜在的な覇権者意識」が存在しているのです。そんな「大きい島の覇権主義」はもっと大きな覇権主義者に「取り込まれていく」ことでしょう。いずれにせよ「付け焼刃」的な方法論や思考回路ではもう限界であることは誰の目にも明らかなことだと思います。本日のブログ本記事で取り上げられている「デニー知事の一国二制度」は、まさしくであります。


拙稿へコメントを頂戴いたしましてありがとうございます。

読み返し、中江兆民の「三酔人経綸問答」のパクリじゃないの!?と、身の程知らずに改めて恥じ入っております。

先週、身内に不幸があり、その対応やら何やらで体調まで崩してしまい返信がおくれてしまいました。

さて、明治以降、現在に至るまでこの南の島ジマで生じている諸問題は、近代化という歴史過程上での「先進国特有の問題」と「途上国特有の問題」が混在錯綜して噴出してきているように感じています。ある意味、日本国内の様々な地域で大なり小なり生じている問題の総体的な形とでもいいますか・・・。大きなテーマである「近代化の功罪」というものが根底にあり、その上で島ジマ特異な色合いが混ざり合って噴出してきている様々な現象。そしてその現象の「捉え方の違い」が「価値観の相違となり」、お互いの「共通した価値観」を導き出していこうと「発展的議論」をする場がないまま、重箱の隅を突きあっている、そんな状況が続いていると感じています。

拙稿で言えば「大きい島の声」だけが民意であるとは思わないのですが、どうもこと「沖縄の問題」となると大きい島の「声ばかり」が全面に出てきています。

以前にもコメントいたしましたが「大きい島」が、周辺島ジマへ対して「離島」と表現すること自体に「潜在的な覇権者意識」が存在しているのです。そんな「大きい島の覇権主義」はもっと大きな覇権主義者に「取り込まれていく」ことでしょう。
いずれにせよ「付け焼刃」的な方法論や思考回路ではもう限界であることは誰の目にも明らかなことだと思います。

本日のブログ本記事で取り上げられている「デニー知事の一国二制度」は、まさしくであります。



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