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« 山路敬介氏寄稿 沖縄を縛る自己決定権イデオロギー その3 | トップページ | 米朝、一周回って元の場所に »

2019年3月 7日 (木)

山路敬介氏寄稿 沖縄を縛る自己決定権イデオロギー その4

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山路氏寄稿の最終回です。ご苦労さまでした。

今日の山路さんの指摘は大変に重要だと思います。

一足飛びに「琉球独立」へと飛躍するのではなく、漠然と拡がる「自分たちの手で判断し成し遂げることが重要である」かのような考え方こそが、翁長時代が残した最大の後遺症だったような気がします。

この考え方が存在する限り、本土政府がどんな基地負担軽減策を打とうが、「あてがいぶち」と受け取られることになると山路さんは見ています。

これが裏を返して本土から見れば、昨今騒がれた「沖縄の韓国化」に見えるということになります。

これは沖縄にとっても、本土にとっても不幸なことではありませんか。

                                               ~~~~~  

                        ■沖縄を縛る自己決定権イデオロギー  その4
                                                                                 山路敬介
 

承前  

自己決定権というイデオロギー  

核心的辺野古反対派に何か「思想」のようなものがあるとすればですが、それは翁長知事時代にかなりの変化があったものと思います。  

「翁長イズム」とでも形容できるほどのもので、今回のデニー知事の政府への要望にも生きています。  

「日・米・沖の関係性の再構築」とか、自主決定権とか言われる言葉に集約できるものですね。  

そういう考えの行き着く先が「沖縄独立論」のような馬鹿々々しい考えに行くスキを与えて来ました。  

いくら待っても頼んでも、本土は沖縄の基地を引き受けてくれない。基地は沖縄に寄せておけばよく、金だけ払っておけば良いとの考え方は差別的だ、という考え方が基にあります。  

そこで例えば辺野古移設経過などを見るならば、いかに本土が立場の弱い沖縄を猫だましのように去しつつ、沖縄の主体性を奪い、自分たちのいいように利用してきたか、という事に思い至るわけです。  

そういう環境から脱する事は沖縄の地位を本土とは別に作ることと、沖縄の事は沖縄で決めるという強い意志を持つ事が肝要で、それが自己決定権の骨子となっています。  

稲嶺元知事のようなポピュリストが当時の思いを二紙で語り、そういう過去観をさらに増幅させたりもします。  

仲井眞元知事については「沖縄を金で売った知事」と今でも本気で考えていて、仲井眞が知事になった時にはすでに辺野古で合意されていたとは認めもしないし、埋め立て承認が手続法であって、誰が知事であろうといずれは承認されなくてはならないものである事を理解する事は最後までありませんでした。  

沖縄の自主決定権は主体思想の影響が濃厚であると言う人がありますが、それは私には分かりません。 

ですが、本土の考え方や影響から離陸しなければ永遠に米軍基地撤去はあり得ないと考え、古くは光州事件、最近のロウソクデモなどに見られる半島的民衆パワーを敬慕する面はあるでしょう。  

そういう気分は翁長知事の反抗のしぶりで増幅されていって、もはや新しいイデオロギーになっているように感じます。  

実際には、安倍政権は空中給油機やハリアーを岩国へ移転させたり、オスプレイの訓練を本土やグアムに移転させたりして大変な苦労をしています。  

馬毛島まで購入したりして、さらに沖縄の負担軽減をしようと必死です。どう考えても、安倍政権ほど沖縄の負担軽減に貢献した政府はないのが事実です。  

そうした現実は県内ではほとんど報道されていないのですが、そうした事実を知っている者も特段喜んでいるわけではなく、かといって「安倍のした事だから評価しない」というわけでもなさそうです。  

つまり、自分たちの手で判断し成し遂げることが重要であるように考えていて、そのように要求のフェーズも変わって来ていると考えたほうが正確なようです。 

たとえば那覇軍港の移設に関してですが、あれは翁長知事が要望して実現したものであるという見方をします。  

我々から見れば実にフザけたダブルスタンダードなのですが、彼らにとっては自主性や主体性のあらわれなので、何の矛盾もないのです。  

あるいは翁長知事が高江の返還について、政府に対してうっかり感謝の言葉を述べてしまいましたが、ああいうものはたとえ返還でも「何の主体性もない、本土からの「あてがい扶持」」なので、翁長知事ですら非難される始末となるのです。 

本土の音頭によって普天間の代替え基地として辺野古をつくり、そのために普天間を返還されたとしても、それは決して嬉しい事ではありません。  

すべてが全てそう考えるワケでもないのですが、そういうイデオロギーに淫してしまっている事から、正常に事実が事実としてストンと腑に落ちて来ない面が多分にあるように思います。  

してみると、正確には「辺野古の阻止」そのものが目的ではなくて、自分たちの力で阻止できる事そのものに意義があるのであって、そういう闘いから得られる主体性の発露こそ重要と考えている事になります。  

まさに反対のための反対であって、こういう場合は「箸にも棒にもかからない」と言うほかなく、法的な落ち度が国側にない以上、長い訴訟合戦も工期が中断されない限り代執行などは用いずに長期戦の覚悟をしてのぞむしかないと思います。  

一方、県の対応について下地幹郎氏の見方は、辺野古工事を「(県は)止める気がない。一番(止めるのに)効果がある条例を作ったのは、この5年間の間、翁長時代から1個だけだ。」と指摘しています。  

■ 結語  

工事が粛々と進捗するなかにあっても訴訟はくりかえされ、県は本気ともポーズともとれる生煮えの妨害行為にはげみ続けることでしょう。  

最早、沖縄県のそういうみじめな姿を全世界にさらして見てもらえばいいさ、という気持ちが私にはどこかでしてしまいます。  

分かり切った事ですが、どのような場合でも訴訟において「辺野古の工事を中止せよ」というまでの判断が出る事はありません。  

普天間の危険性の責任を負えるのは司法でなく、行政であり日本政府だからです。  

それから大事なのは、これからの辺野古反対運動の過程で死者が出る事はなく、大したけが人が発生する事もないだろう事です。  

それはそのはずで、辺野古は元々米軍基地であり、埋め立て海域も米軍使用域内です。 

漁業権や再地元の合意もあらかた済んでおり、個人の生活を脅かすような権利侵害の可能性はないのです。ですから、先の最高裁判決で辺野古問題そのものは終わったのです。  

これからは距離をおいてこの問題を眺めたいと願うものですが、二紙の報道をみればまた怒りがメラメラと込み上げてくるんだろうと思います。  

けれど、金輪際このような馬鹿な県民投票などはやめてもらいたいです。すでに解決した問題に拘泥する時間はなく、沖縄にはまだたくさんの課題があるのですから。

                                                                                                       了

                                               文責 山路 敬介

  

 

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コメント

山路さん、素晴らしい論稿ありがとうございます。言いたれ放つぐらいの私と違い、理路整然としていて、腑に落ちることばかりです。

つい最近、あるテレビ番組で沖縄出身タレントのりゅうちぇるが琉球のイメージを問われて、「戦争のない平和で穏やか(華やか?)な国」みたいなことを言っていました。おそらく多くの人のイメージもそうなんでしょうね。

統一までは琉球も闘争と裏切りの歴史を繰り返していますし、武力をもって奄美や先島を支配したわけですが、沖縄にだって血生臭い歴史があったなんて考えもおよなないようです。

琉球は支配者(サムレー)と被支配者(ハルサー)の二層社会で、搾取する側、される側の社会構造でした。琉球処分など一々大げさにとりあげて、今も昔も沖縄は虐げられているようなイメージ作りが恣意的に行われていますが、搾取される側の庶民にとっては「社会改革」として歓迎されたとういう側面もあります。

琉球のまるでユートピアかのようなイメージは「サムレーの浮世の夢」でしかありません。琉球では江戸のような庶民文化は花咲いていません。庶民の識字率も極めて低いものでした。20世紀初頭まで「わら算」なんてものが残っていたのもまともに読み書きできなかったことの証左です。

沖縄のことは沖縄で決める!としたり顔で叫ぶ人達の潜在意識はサムレーにあると思っています。「愚民は俺たちに従えはいい」のです。だからこそ地元住民の生活を妨げても平気な活動ができるのでしょう。多くの一般生活者のことなんてどうでもいいんですよ。

もっと琉球の歴史(特に庶民の)を掘り下げる必要があるかもしれませんね。

「沖縄の事は沖縄で決める」に普遍性が有るならば、「沖縄」を「宜野湾」にも「辺野古」にも「浦添」にも「日本」にも常に置換できるのですがねぇ。
「自分たちの手で判断し成し遂げる」の「自分たち」とは、誰が含まれて誰が含まれないのですかねぇ。

今の沖縄は、いろんな意味で「良いところ」なので、切羽詰らずあまり考えず呑気に暮らせもするし、良くも悪くも他人を出し抜いて「やったもの勝ち」もできます。
「良いところ」だから、基地もあれば、他国に狙われもするし、善良な人々も、頭の酷くおかしな人々も惹きつけて止みません。

人類誕生このかた、自然に対して僅かな違和感や怖れを見出し遠ざかった者が生き延びて、歴史を繋いで来たわけですが。
大概の失敗でも命は落としにくい有難い世の中が続くと、自然に対する勘も錆びつくし、人が齎す危険を察知してなるべく正しく評価する能力も失います。
小さな違和感を誤魔化すか誤魔化さないか。
そんなことを考えました。

  クラッシャーさん、ありがとうございます。

おっしゃるように、「琉球処分」は実に9割にも及ぶ被支配者層の解放だったのですけれどもね。
沖縄から見た「明治維新の価値」を見直さなけばならないと思います。

  宜野湾より

そうそう。
「宮古島の事は、宮古島で決める」と言ったら、行政が成り立ちませんです。

≫「今の沖縄は、いろんな意味で「良いところ」なので、切羽詰らずあまり考えず呑気に暮らせもする」

そうなんですよねぇ。それも日本の中にあっての事なのですよ。
陛下は特に気にかけてくれるし、日本中が大事にしてくれてる。
沖縄は史上始まって以来の幸福な状態ですね。


山路さんのご指摘は実に的を得たものだと思います。
またクラッシャーさんのご意見も同感です。

>そういう考えの行き着く先が「沖縄独立論」のような馬鹿々々しい考えに行くスキを与えて来ました。

この「スキ」は非常に危険です。県民生活の足元を見れば一目瞭然です。「肝心要」の部分がまるで「抜け落ちて」いて、それでもってその事を意識しているのか、していないのか「いまいち」なボワーンとした感じ。そんなボワーンとした雰囲気と日々の生活にまとわりつく嫌気などなどに覆われた空気の中に「沖縄のことは沖縄が決める」とか威勢のいいフレーズが飛び交うと、そっちに「なびいて」しまう。あるいは「吹き飛ばされて」しまう。そして「踊って」しまう。「幻想の島」とは言い当てた言葉です。

> 「日・米・沖の関係性の再構築」とか、自主決定権とか言われる言葉に集約できるものですね。

 自己決定権という言葉は大げさなものです。沖縄が植民地支配下の人権無視の状況下にあって民主主義もないというものであればそんな言葉も使えましょうが、これは大げさです。

> いくら待っても頼んでも、本土は沖縄の基地を引き受けてくれない。基地は沖縄に寄せておけばよく、金だけ払っておけば良いとの考え方は差別的だ、という考え方が基にあります。

 その気持ちは少し理解はできます。多くの沖縄の人たちはそのように考えているでしょう。鳩山さんが「少なくとも県外へ」と発言したことで県民は大きな期待をしてしまいました。

> 仲井眞元知事については「沖縄を金で売った知事」と今でも本気で考えていて、仲井眞が知事になった時にはすでに辺野古で合意されていたとは認めもしないし、埋め立て承認が手続法であって、誰が知事であろうといずれは承認されなくてはならないものである事を理解する事は最後までありませんでした。

 仲井眞元知事は大変ご苦労なことしてくれた方だと私は思っているのです。それを多くの県民は理解してくれない。マスコミ報道が歪んでいるため知事の努力が県民には伝わらないのです。仲井眞元知事を評価できる人は玄人筋の方々のみですね。
 仲井眞元知事が就任した時には辺野古移設は決まっていたし、埋め立てについても法的に承認をするしかなかったのですよね。 仲井眞元知事は歴代知事のなかでも優れております。

> そうした現実は県内ではほとんど報道されていないのですが、そうした事実を知っている者も特段喜んでいるわけではなく、かといって「安倍のした事だから評価しない」というわけでもなさそうです。

 このごろよく思うことですが、日本政府の行った事業の偉大さを多くの県民が忘れていることです。北部4ダムができたことで沖縄の水不足問題が解消したこと、道路(農道も含め)が整備されたことなど復帰後のインフラの充実には目を見張るものがあります。これを当たり前だと思っているだけでは人間失格ですよ。

> つまり、自分たちの手で判断し成し遂げることが重要であるように考えていて、そのように要求のフェーズも変わって来ていると考えたほうが正確なようです。

  自分たちの手で判断するのは大変に良いことですが、多くが不満からでてきた反発でしかないように思えるのです。自分たちで熟慮・検討した痕跡はありません。不満のイデオロギ-を創造しているだけではありませんか? 琉球独立論、結構なことです。これを真剣に考えますか?  

> たとえば那覇軍港の移設に関してですが、あれは翁長知事が要望して実現したものであるという見方をします。

 これは国が決めたことですよね。

> 本土の音頭によって普天間の代替え基地として辺野古をつくり、そのために普天間を返還されたとしても、それは決して嬉しい事ではありません。

 普天間が還ってくるというのはとても大きなことです。デニ-さんはそれを忘れている。

> 一方、県の対応について下地幹郎氏の見方は、辺野古工事を「(県は)止める気がない。一番(止めるのに)効果がある条例を作ったのは、この5年間の間、翁長時代から1個だけだ。」と指摘しています。

 ここはどういう意味でしょうか?

 山路さん、的確な分析をなさいました、ありがとう。あなたのような方がおられて沖縄も総崩れとはならないだろうと思いますよ。

                           

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