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2019年3月 6日 (水)

山路敬介氏寄稿 沖縄を縛る自己決定権イデオロギー その3

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 山路氏寄稿の3回目です。次回で終了となります。

                                               ~~~~~  

            ■沖縄を縛る自己決定権イデオロギー その3
                                                                                            山路敬介

承前 

■ 軟弱地盤問題について

この問題は例によって、反対派方面の専門家などから情報が一方的に出てきた感があり、やれ90mの杭打ち用の台船がないだとか、世界でも施工実績がない難工事であるとか、だから県試算のように二兆三千億円のごとく青天井で費用がかかるのだ、とか言われていました。 

県は県で、まだ変更申請が出ていない段階から問答無用で「不許可にする予定」との報道がなされています。 

しかし、2月28日の衆議院予算委員会において、岩屋防衛相は「軟弱地盤は最大で90mの深度まで存在するものの、70mを超える部分は非常に固い粘土層に分類される強度があり、70mまでの工事を行えば安定性を十分確保出来る事が確認されている」とし、「国内にある作業船で対応でき」、「実績のある工法で可能」と答弁しています。 

県は「不許可」というよりも、そもそも自ら「撤回中」であるので、申請自体を受け付けないことになるのだろうと思いますが、やがては回避出来ないものとして「不許可にする予定」としたのかも知れません。 

ですが、国の得た埋め立てに関する権利は、「固有の立場」でない事が先の最高裁判決や、2月18日に出された国地方紛争処理委員会の見解に明らかです。

いったん承認を得て受益的立場になってからの変更申請であるので、県の裁量権の幅は縮小し、純粋にテクニカルな問題として申請に対応されなければなりません。 

それにしても、もし報道のように申請が出されもしないうちから本当に「不許可にする」と述べたのであれば、沖縄県の狂いっぷりはもはや「韓国並み」です。 

■ 武田真一郎成蹊大教授の「再撤回」論について 

昨日の小林節氏の記事などもそうですが、本土からの大物法律家や知識人たちの言は沖縄の事になると堂々と妙な事を言い出すので実に困ります。 

これでは二紙を信じた県民はよじけた知識しかもてず、政府を悪者としてとらえる事しか出来なくなるのも仕方ないように思えます。 

2月25日の沖縄タイムスですが、行政法の重鎮である武田真一郎教授による住民投票の結果を受けた「再撤回の有力根拠に」と言う記事が載っていました。 

武田教授の本記事によると、「県民投票の結果は、再撤回に道筋を付けたもの」であり、「県民が反対している埋め立ては、国土利用上適正かつ合理的とは言えず」、したがって「埋め立て承認が公水法に違反して」おり、「撤回の公益上の必要となる最も有力な根拠となる」と話しています。 

いかに高名な先生の言う事でも、もはや「なるほど、そのとおりだろう」と素直に頷く人はいないのではないでしょうか。 

法律論はつまらないと思うので端折りますが、要は民意だけでは「撤回」の要件を満たさないです。 

その民意も過半数にも及んでおらないので不十分だと思いますが、裁判所の判断として民意以外に考慮されるのは相手方受益者の目的により異なります。 

簡単に例えば、民意により自由に撤回ができるのであれば、「国防」の目的は成り立たないという事になります。 

日本国の国防政策の「公益」よりも、今回の民意に関わる「公益」の方が大きいものでなければ撤回は成就しない件も言い忘れていると思います。 

もちろん武田教授はそのような事は十分御存じであって、訴訟になった場合の展開を考慮に入れています。 

「埋め立て承認やその撤回は知事の裁量行為なので、裁量権の逸脱・濫用がない限り違法と判断する事は出来ない」という事です。 

これは「取り消し訴訟」の経験から、知事の裁量権自体は広範に認められた事に由来する考えでもあるでしょう。 

そもそも行政権の自由裁量部分は司法審査になじみませんが、裁量権の逸脱・濫用がない場合でも著しく不公正な場合には「違法」となりますし、法を所管する官庁である国交省の判断がまず噛んで来る事ので、まず先生の言うとおりにはならないでしょう。 

武田教授は早くから「撤回」を唱えておられ、それは環境面などではなく「民意」によるものである必要があり、その為には県民から発せられた住民投票が望ましいと口を酸っぱくして説いていました。 

県はそうした意見を重視して、ほぼ武田先生のプラン通りに進んで来たといえます。

違いは、沖縄県が民意による撤回より先に今ある撤回をなしてしまった事で、法理上「再撤回」云々ではなく、現撤回に理由を追加して争われるべきものでしょう。 

「「取り消し」の後の「撤回」は行政権の濫用にあたる場合もある」や、「すでにして敗訴した取り消し訴訟を考慮すれば、処分庁を拘束する」のは、「処分反復防止機能の観点から」という点も重要です。 

これはすべて武田教授の論文にある事であり、たとえ理由が違う以上撤回は複数出来ると仮定しても、今回の撤回理由に組み入れるべき事は当然です。 

                                                                                                         (続く)

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コメント

よーわからん作文だな

「川路ウヨウヨ」氏。
ある時は「ブタの能書」ある時は「斎藤(旧ウヨブタの能書き)」、ある時は「クソウヨの能書き」、どれも趣味が悪いが、いいかげん一つにしたらどうですか。

それと自分のリテラシーを棚に上げて、他人の労作にケチをつけるのは見苦しいですよ。

「宜野湾より」さん。塩野さんは愛読しています。
含蓄のある言葉の引用ですね。

市井のオヤジの私のシロート考えなのですが、沖縄=韓国論について、
直接は沖縄と韓国は結び付かないと思います。ふたつを媒介する地域
があります、関西・大阪地方です。あまりTVなど見ない私ですが、沖縄
のデモとかが映ると、参加者の間から、なんやら関西弁がよく聞こえて
きます。

関西方面には、泣く子も黙るような不文律というか、アンタッチャブルな
ところが多くて、それは無い事にしていないとややこしい事になるので、
まるで存在しないかのようになっているのですが、時たまアタマをもたげ
てくるのです、生コンが頭上からイキナリ降ってくるように・・・

ヤクザ、被差別部落、朝鮮人など、歴史の古いこの地方には、もう因果
も良く判らなくなって、感情がコジレてしまっていて、収拾がつきません。
京都洛中で旧家の隣宅同士が代々仲が悪くて、現当主もその理由さえ
解らないまま、やはり隣の当主と仲が悪いのと似ています。とにかくもう
仲違いする合理性は無いのですから仲良くすりゃいいのだけど、ご先祖
さまに申し訳が立たないという事のようです。

そんな合理性の無い所には、カネがからみやすく(合理的な解決が出来
ないのなら金銭でカタをつけるしかない)、時とともに既得権が出来てし
まっています。

人権・ポリコレ権をかざして報道利権を持つ一本足りない朝口新聞は
大阪が発祥ですし、同毎口新聞も大きく育ったのは同じ地です。彼ら
をどうこう言うのじゃなくて、歴史の古いややこしい地方で育った報道
屋だと言いたいのです。それゆえ、非合理的行動は似ています。

で、市井のオヤジはこう言いたいのです、「おまいら、沖縄のような所へ
行ったらアカン、問題が余計にややこしくなるん、沖縄の人達に関西の
流儀を教えたらイカン、早よ帰って来い!」

武田氏の「住民投票が根拠になる」とは、恐ろしい考え方ですね。
民主主義において、すでに選挙という形で議員を選出し、民意を反映させる手段としているにも関わらず、個々の議題に対して「国民の多数が反対だったから中止」などという判断がまかりとおるなら、選挙で議員を選出する意義が薄れてしまいます。
まして、民衆というものは感情的な主張に走りやすく、その結果失敗した例は枚挙に暇がないというのに。

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