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2019年3月18日 (月)

宜野湾くれない丸氏寄稿 日本政府という「親」と、奄美・沖縄・宮古・八重山という四人の子どもたちその1

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宜野湾くれない丸氏より寄稿を頂戴しました。2回の分載となります。

                                             ~~~~~~

■日本政府という「親」と、奄美・沖縄・宮古・八重山という四人の子供たち その1
                                                                                        宜野湾くれない丸
 

かれこれ40年ほど前、作家の故・島尾敏雄氏の講演を聴く機会がありました。内容は殆ど忘れてしまいましたが、今でもはっきりと憶えていることが2点あります。  

それは、「日本の歴史を語るうえで、とても重要な変化の波はいつも南からやってきた。鉄砲、キリスト教、ペリー提督、明治維新、そしてアメリカ軍・・・」ということと、「奄美群島というのは、父が政治(薩摩)で、母が文化(琉球)のようだ」というこの二つのことです。  

講演のなかで幕末の「ええじゃないか騒動」の件にも少し触れられていたが、私には「ええじゃないか」が「六調やカチャーシー」とダブって感じていた。  

沖縄のとある民謡唄者の方と酒席を共にしたことがありました。  

唄者曰く「唄というものは、曲というものは、我が子も同然だ」という事をくどくどと、「作家の気持ち」を慮らない音楽業界のありようを強調して話していた。  

よせばいいのにその時私は、その唄者へ軽い気持ちで問いかけた。「子どもも同然という意識であれば、その子供が自らの手を離れ、何処の誰が面倒をみているのか、気になりませんか?」と。  

ちょっといじわるな「固い質問」だったが、たまたま酒の肴となっていた話題が「音楽著作権」の話でもあったからだ。  

「自身の創った曲が、どこの音楽著作権会社が管理していて、年間どれだけの利益をあげているのか?」「その利益をうむ為に会社はどれだけの動きや経費を使っているのか?などなどの事を「ご存じでしょうか?」という事が私の意図すところだった。  

唄者は「黙って」しまいました。  

昔はよく見かけたシーンですが、幼い子どもがデパートなどで「オモチャ~欲し~い、これ、買って~~~!」と泣きじゃくったり大騒ぎしているシーン、あれに似たシーンを一向に見かけなくなってしまいました。  

だから何?と、親がちゃんと躾けているんでは?と・・・・・それもそうかもしれません。  

が、私は逆に「子供が親をよーく見ているのでは?」あるいは「子どもの方が親の体裁を分かっていて、そんな事を言ってはダメなんだ」と肌で感じていることも、子どもの中には少なからずあるのでは・・・?とも感じていました。  

もしそうだとしたら「成長過程で本能的な欲求を子ども自身が『無理』に押しとどめている」ことなのでは?と。  

大人となった子どもたちや、いい年こいた中年などによる「とんでもない事件」が多発しているのは、「押しとどめた」結果のひとつの歪な現象なのではなかろうか、と。  

その年齢に応じた反発や主張・欲求を「ダイレクトに出し切れてない」子ども時代を過ごすと、そのツケはその後に「大きなしっぺ返し」となって表面に出てくるのではなかろうか。 

「サイコパス」のような現象が多々あるのはそんな事も心の奥底に存在するからなんじゃないのか、と考えたりするのです。  

脳科学者の中野信子氏によると「ヒトの脳は誰かを裁きたくなるようにできている」そうです。  

ヒトは本能的にそんな「制裁を加えたくなる衝動」を誰しもが持っているということです。  

「差別ガー!」と眉間に皺を寄せガナリたて、これが「正義」だと御旗を振りかざす人たちを目にするたびに、「教養」や「理性」を磨いていくということで「それを乗り越える社会」を目指すべきれあろうと思ったり考えたりします。 

「正義」を押し付けるその様はまさしく「教条民主主義」そのものではないか。

 

                                                                                                        (続く)

 

 

 

 

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コメント

島尾敏雄の「死の棘」は救いようのない、一片の明るさもない私小説で辟易しました。あのくらい読んで後悔した本はまれです。(笑)

去年、島尾をめぐるシンポジウムがあり、特攻隊長としての島尾をあたかも「反戦作家」にように琉球新報が取り上げてました。
島尾の胸中は複雑で、決して型にはまった「反戦作家」というものではないし、ミホ夫人との葛藤を全的に引き受ける事が己の罪に対する禊のように自らに課していたと私的には思います。
その点、ラバウルの今村均に共通する戦後の身の処し方でもあるのだろうと思っています。

島尾がかつて隊長として赴任した、またミホの郷里でもある加計呂麻島に移住したのは返還後の事でしたが、そうすると米軍統治下の奄美は実体験として知らないのですよね。

およそ奄美は沖縄と違い重要視されていなく、米軍の統治資金の投下は少なかったです。だからこそ返還運動が盛り上がった点は見逃せません。
貧しさにあえぎつつ母である沖縄や父である本土に職を求めた奄美は、終始大事に甘やかされてきた沖縄とは事情が大分違います。
妙な事を言うようですが当時の沖縄には小中華思想様ものがあり、奄美を見下していたきらいが確かにあったと思います。

なお、おっしゃるところの島尾の南方論は形も意味も変え、吉本隆明の「全南方論」に飛躍・歪曲されたと私は考えていて、そのような戦後民主主義者のありように改めて吐き気がします。
また、吉本らの確立したウソっぽい「ミホ夫人聖女論」はリベラルらしい全くの的外れで、生きている人間の生々しさとは完全に乖離した虚妄である事が今日では明らかです。

物事の意味を変えてでも自らのイデオロギーの沿う事が彼らの正義のあり方なので、もはや「「教養」や「理性」を磨いていくということ」で、「それを乗り越える社会」が到来するのかどうか、そこはちょっと懐疑的にならざるを得ません。

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