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2019年4月15日 (月)

山路敬介氏寄稿  「自衛隊弾薬庫問題」とは何だったのかその1

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山路さんから宮古の「自衛隊弾薬庫事件」のレポートを頂戴いしました。ありがとうございます。
3回連載で掲載いたします。

                                           ~~~~~~~~~~                    

                                        「自衛隊弾薬庫問題」とは何だったのか
                                                                                             山路敬介

はじめに
 東京新聞の記事に端を発し、4月2日の衆議院安全保障理事会までには既に防衛大臣のスピード謝罪が行われていた本件ですが、この間の岩屋防衛相の対応は疑問と課題の残るものでした。

一体、岩屋大臣がとったような措置がそもそも必要だったのか? そうした判断によって生じる安全保障上の空白をどうみるか?等々、一貫して自衛隊誘致賛成派である私共にとっては納得しきれない苦いものを残しつつ、それでも大臣の目論見どおり急速に「騒ぎ」だけは収まりつつあります。

この問題にはこれまで自衛隊が抱えてきた問題や、わが国の安全保障対応をとりまく国内的問題点をそのまま敷衍させたような状況があります。
より具体的には、「政治の失敗」のツケのしわ寄せを、またしても「安全保障」に妥協させる本末転倒した事態が繰り広げられる有様の繰り返し、という事です。

■ 盛況だった4.7隊旗授与式

さる4月7日、新設なった陸上自衛隊宮古駐屯地で宮古警備隊の隊旗授与式が行われました。式典は思っていた以上に盛大で、自民系国会議員数名のほか協力会の野津会長、国・県・市の関係者ら、隊員のご家族の方々も招かれ、非常に立派なイベントになったと思います。

ハイライトだった岩屋防衛大臣が田中広明隊長に隊旗を授与するシーンは、地元紙である宮古毎日新聞と宮古新報のそれぞれ一面の8段・9段抜きで掲載されています。
なお、場外では反対派の約30名ほどがノボリを立て、「基地は認めない」などとシュプレヒコールを行なっていましたが、その様子も9面あるいは11面において一応は取り上げられています。

式典のあとの祝賀会の方も盛会で、田中隊長の「(通常隊務のほか)トライアスロン行事、夏祭りなども通じて、地域とともに歩んで行きたい」との言葉が印象的でした。

総じてこの日の行事を伝える宮古二紙の報道は、大多数の一般市民の自衛隊に対する気持ちや雰囲気を良く写し取っていて、バランスの取れたものだったと思います

この事は、本土や島外の皆さんが東京新聞や朝日・毎日などの媒体をみて判断されるような「自衛隊VS地元住民」という構図とはちがい、かつ相当にかけ離れたものである事をまず記しておきたいと思います。

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沖タイ3月27日陸上自衛隊の編成完結式後、あいさつを交わす原田智総第15旅団長(前列左)と宮古島市の下地敏彦宮古島市長(中央)=26日午前、宮古島市上野野原の宮古島駐屯地https://newscollect.jp/article/?id=483370593665533025

■ 島外からみた(報道をつうじて見る)宮古島市の政治状況は誤り

 東京新聞や朝・毎だけでなく、NHKや民法でも島内の極少数者の意見をクローズアップして報道されるせいで、たくさんの心配の声を頂きます。

それは「お前んとこ大丈夫なのか? 何か島内が二分されている状況のようだが?」とか、「自衛隊配備は失敗だったな。ここまで反対が多いと、これからが大変だ」、「もう保良の弾薬庫建設はこれで絶望的だろう」と言った深刻なものです。

ですが、そうしたご心配には全く及びません。どうも報道というものは少数者の意見に寄り添うクセみたいのがあって、それ以上に今回の報道では、そのウイングが「極めて少数者」にまで偏っていて、かつ一切にわたり「大多数の意見」が映し出されていず、結果として実像とは全く異なる宮古島市の政治状況を島外の方々に提示してしまっているのです。

もう旧聞になりますが、石嶺香織前市議が「自衛隊が来たら、婦女暴行事件が起こる」等々、自衛隊という属性に対する侮辱・人権軽視発言を行いましたが、ああいう人はまさに「変体」というべきで、とても一般の宮古島市民の与するところではありません。

また先月の市議会で問題になりましたが、平良港で運動家市民による自衛隊機材の運搬を実力で妨害しようとする行動があり、港を管理する市当局の職員が説得を試みるも言う事を聞かず、やむなく警察介入となった事件がありました。

その事に関連して共産党の上里樹市議が議会質問において、「市当局は、市民を罪人扱いにした」との質疑を行い、市長や市側が議場を退出するさわぎになり、あげく議長に職権で発言を削除されています。

こうした上里市議の発言内容や、運動家市民の行動にエールを送る一般市民は今の宮古島市においては極めて少なく、大多数がマユをひそめて遠巻きにしている状況にあります。

■ごく一部の過激な行動が、穏やかな反対の意見をかき消した

宮古島には自衛隊配備に反対するなかで特に高齢女性を中心とした「武力の存在は敵の標的になる」といった漠然とした、しかし根強い小数意見は確かにあります。

ですが、そういう方々にあっても、市役所前で毎日にようにノボリを立てて気勢をあげる、港で実力行使しようとする、隊旗授与式にまで出張って来て「自衛隊反対」をシュプレヒコールする、そういう人たちの行動を支持する事はありませんし、一緒にされる事にも迷惑の体で、まして決して接着することはありません。

むしろ、ごく一部の過激な運動体による突飛な行動が、穏やかな反対の意見をかき消した印象すらあります。

下地市長はまず水資源問題において、自衛隊に最初の候補地を断念させて見せ、次に十分に合意されたものとして千代田駐屯地建設や保良の弾薬庫建設を推進しました。その経緯によってこそ、良識ある市民の同意が取り付けられたとも言えます。

一方の運動側は最初の候補地断念を、「敵失=自らの功績」として勘違いしてとらえ、それを突破口としてさらに過激になりました。結果、運動側は今や市民の大勢に影響力を持たない、孤独な「糸の切れた凧」状態に陥ってしまったのです。

そして宮古島は「狭い」です。市役所前での抗議も、港で実力行使しようとした運動家市民も、駐屯地に参集する人も、「あぁ、〇〇ちゃん、こっちでもやっとるんかい? いそがしくて大変さね~」と声を掛けられるくらい掛け持ちで、運動側の員数は微々たる勢力です。

                                                                                                                                           (続く)

 

 

 

 



                                      

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コメント

「武力の存在は敵の標的になる」と不安がられる方には

その通りですね、今の宮古島ような中途半端な防衛体制の方が一番危ないんですよ、一度島を守ると決めた以上は少々の抗議程度で揺らいじゃいけないんですけどね。

てな感じで持論をぶつけてその方にも考えてもらうように仕向けています。
だいたい話題を変えられてしまうので議論が発展する事はありませんがw

> 東京新聞や朝・毎だけでなく、NHKや民法でも島内の極少数者の意見をクローズアップして報道されるせいで、たくさんの心配の声を頂きます。

 山路さんのレポ-トあリがとうございました。マスコミ報道からは宮古島、大変な状況なんだと思わされておりました。マスコミの皆さん、おっしゃるように変わったことを捉え報道するクセがありますね。常識的に実情を客観的に表現してゆくというやり方では面白くもないのでしょうよ。さらに、マスコミには左翼側の行動を大きく報道する悪いクセもありますね。

 しゅりんちゅさんに賛成。

 反対派には正面から丁寧に粘り強く反論していくしかありません。防衛局は実際に丁寧に説明はしているのですがお役人的な調子ですから聴衆は盛り上がりません。そこは民間の保守派の人間たちが補う必要があると思いますよ。ジャンヌ(我那覇さん)のような方の行動は見上げたものであり、そのような方は尊敬に値します。

 戦争の後遺症は根強いものがあると思いますが、いつまでも引きずってはなりませんね。こちらは争いたくなくても先方が戦争を仕掛けてくるのではないですか。盤石な防衛体制、抑止力を整備したいものです。

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