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2019年4月19日 (金)

ムンジェインが1919年4月11日を「独立記念日」としたわけ

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昨日の記事を続けます。

ムンジェインが大統領となって、なぜ「独立記念日」(こういう名称は使っていませんが)1919年4月11日に変更したのかという理由についてもう少し考えてみます。
歴史捏造だと言ってしまえば一言でオシマイですが、今この時期になぜという問いに答えていません。

実は、韓国内でこの独立記念日論争はえんえと続けられてきていて、いまさら新しいものではありません。
ざっくり言うと、韓国内保守派は1948年8月15日を「建国記念日」としています。
その理由は、常識的に見て韓国が米国によって 「独立を与えられた」のが、この年月日以外考えられないからです。

一方、左派はそのへんが曖昧でした。キムテジュン(金大中)は1998年に、8月15日を「建国50年」と呼んでいますし、ムンジェインの師匠だったノムヒョン(廬武鉉)もまた2003年にこの日を独立した年と認識する発言をしています。
この前例を初めて破った大統領がムンだということになります。

では1919年4月11日と1948年8月15日ではどう違うのでしょうか?
ひとつは、ムンが反日運動の起点となった1919年3.11の精神を受け継ぐといった意味です。
これはいかにもろうそくデモで誕生したムンらしい発想です。
100年近い年月を超えて、民衆運動こそが歴史動かす真の原動力だと言いたいようです。
日本にもよくある左翼の民衆史観です。

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https://news.yahoo.co.jp/byline/shinmukoeng/201804...

二番目に考えられるのは、ムンが今までの左派政権が越せなかった壁を易々と乗り越えたことと関係があります。
いうまでもなく徴用工判決による日韓基本条約(日韓請求権協定)の一方的廃棄です。
これは今の日韓関係そのものの基軸的条約だっただけに、歴代の左派政権も手をつけられませんでした。
それを打ち破ったのがムンです。

韓国最高裁判決を読むとわかるように、日韓基本条約を廃棄するために持ち出したロジックは、日本の「植民地支配」こそが悪の権化であり、それに対する個人賠償の請求権は残っているとしたことです。
この論理は、後に現実に徴用工裁判判決を根拠とした原告団の差し押さえ判決が出るに及んで、「徴用工」のみならず日本統治時代に惹起したすべてのことに対して、韓国民は賠償する権利を持つという意味だとわかりました。

この論理を敷衍すれば、当時のいかなる企業活動も悪の権化である以上、日本企業は無条件に賠償に応じねばならないことになります。
実際に原告団は、当時の在朝鮮日本企業をすべて洗い出して賠償運動をするつもりのようです。
この場合、日本企業は天文学的賠償金を課せられることになります。
日本政府もその例外ではないことを、私たちは忘れないほうがいいでしょう。

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https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20180301...

三番目に、1919年と1948年の意味することの違いに注目してみましょう。
1919年には朝鮮半島は分断されていませんでしたが、1948年には既に南北で別個に政府が作られていました。
言い換えれば、1948年は分断の象徴的年でもあるのです。

私たち日本人から見れば、分断を固定化したのは1950年の北朝鮮軍の侵攻ではないかと言いたいところですか、ムンたちノースコリア・ラバーたちにとって朝鮮戦争などは「ない」も同然なのです。
ですから、1919年3月1日の独立運動と、それに続く4月11日の「臨時政府」樹立は輝かしい南北を問わない朝鮮人民の金字塔ということになります。

つまり朝鮮民族は決して米国やソ連にによって独立を与えられた属国ではなく、1919年に「臨時政府」を持った独立国であり続け、1948年に成立した韓国政府はその後継政権にすぎないといいたいわけです。

「臨時政府」を主権国として見るなら、日本統治時代の経済活動、行政活動の一切は違法であるということになります。
これは2番目の徴用工判決を支える影の論理です。

そして同時に、南北統一へ向けた下地づくりの一環でもあるのです。、

見ているこちらの頭がクラクラするような幻覚症状を呈していますが、これが今のコリアです。
ある種の傾きが強い人に見られるように、彼は彼の幻想の中では立派に筋の通ったロジックを構築しており、それは現実の生活を動かしていることもまた一面たしかなことなのです。

ただし国際社会はそんな身勝手な幻想にはおつきあいできませんよ、寝言は寝て見ろと冷厳に宣告したのが、4月11日しか訪米日程を認めなかった米国政府でした。

 

 

 

 

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コメント

ちょっと疑問です。

分断されていない時代を基準にし、分断後の韓国が正当な後継政権だと言うと、

北朝鮮は、正統ではない政権という風に取れます。

統一時には、韓国が主体になり、北朝鮮は吸収されるべきみたいな。

親北ムンが、そこまで言いますかね?

宜野湾の人さん。疑問はごもっともですが、あくまでも「彼らの脳味噌の中」ではそう見えるということです。

韓国を1919年「臨時政権」の後継として位置づけると、彼らの中にある北に対するコンプレックスが解消されます。

つまり、北が長年南に対して貼ってきた「米国の傀儡政権」というレッテルから自由になって対等になれるわけです。
なんだ北だってソ連が作った傀儡にすぎないと私たちには思えますが、ちょっと違うようです。
なぜなら北は昨日書いたように、ゲタを履かせていようとなんだろうと抗日武装闘争の実体があるし、彼ら独特の主体思想はそれをイデオロギー的に補強しているからです。
すくなくともムンらの左派は、北のそれをまぶしく思っている反面、自分の国を情けない傀儡国家と嘆いているはずです。
日本と戦わずに独立を得たコンプレックスはそれほど深いのです。

抗日武装闘争をした伝説の霊将(全部インチキですが)たる金日成が建国した共和国と、一方、一滴の血も汗もかかずに米国から餌を与えられた犬のように独立を下賜された韓国では、同じ土俵で統一なんかできっこない、そうムンらは思っていると思います。

また今や先進国上位と豪語する韓国経済の基盤は、日本との日韓請求権協定とそれ以後の大規模な経済支援によっていることは、見たくない現実です。
そもそも財閥系資本の原初的蓄積の由来は、日本企業と政府の残した財物を二束三文で払い下げてもらったからです。

独立は米国から貰ったもの、戦後の「ハンガン(漢江)の奇跡」もまた日本から貰ったもの、というわけです。

このような日本人から見ればあたりまえの歴史が、ムンのような韓国左翼からみれば豊かになればなるほど逆に偽りに満ちた虚構に見えるのでしょうね。

だから記事でも書きましたが、1919年を独立の年とするという意味は、「南北統一のための(精神的)下地づくり」であって、同じ土俵に乗れたということなのです。
いみじくも、徴用工判決にかかわった法曹のひとりは、「これで独立できた」と言ったそうです。

もちろん私の憶測ですから、それをお含みおき下さい。


 私の能力では理解が難しい今日の記事でした。

 韓国の亡命政府の樹立や3.11運動などは今の韓国の独立精神の支柱である、朝鮮は日本の朝鮮併合を当時望んでなかったということの証左であるぐらいの意味しかないと思います。北朝鮮はまたそれとはことなる建国史があるわけで、南北朝鮮の建国史は統一的なものはできないのでは?

 チベットの場合を考えると、ダライラマの亡命政府が将来中国の支配から離れ独立が出来たときが建国記念日ができるわけであり、亡命政府の活動はチベット独立の原動力であったという意味合いがあります。

 今日の分かりにくいムンジェインさんの考え方は私の頭では理解できず、特殊な観念的なものに感じます。

1919年4月11日を建国とした事は、≫「南北統一へ向けた下地づくりの一環でもある」、で間違いないです。

誠にとるに足らない臨時政府の光復軍でしたが、たしかに終戦まで国民党政府軍と共に、中共指導下の抗日パルチザンとしての金日成らのグループと鋭く対立はしていました。

けれど現在、統一を阻む最大の問題は韓国内の保守派です。
自由韓国党をはじめとする保守派を完全に粉砕するためには、彼らに「親日派」のレッテルを貼り、かつ道徳的下位に置く事が欠かせず、文在寅はそのための政策を夢中になって実行中です。 
これはいうまでもなく、正恩の利害とも一致します。

歴史的事実は3.11を境にして日本の朝鮮半島統治は穏やかで民主的なものに方針が変わりますが、それゆえ半島でも両班階級とは関係なく頭角をあらわしてきた商人や、裕福な実業家が生まれたので、それらを親日派=保守派として一掃してしまう事。 これが文在寅のいう「歴史の立て直し」です。

正恩は今回の式典はまだ面白くなく、「合同」とはなりませんでした。
「3.1運動の中心地はソウルではなく、平壌だ」とも言っています。この事の意味は、事実は臨時政府など派閥のいさかいを繰り返す「烏合の輩」であったのですが、消滅後の少なくない連中が金日成配下になった事実など言うのだと思われます。

韓国内のほとんどの歴史家先生たちは、日本の歴史家など足元にも及ばないくらいに強烈な異常性を有しています。
すでに北との歴史認識の合致のために、「これからは、政治条件にしばられない解釈が必要」だとか、「統一時代にそなえた歴史研究が重要」とか言って、歴史改造に向けた準備は万端です。

そうであれば、文在寅にとって結果的な「大団円」を迎える自信は相当なものであるでしょうし、どこまでも譲歩してくれ、北に正統性のある歴史になるなら正恩も納得しないハズはありません。

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