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2019年4月 4日 (木)

新元号 中国の反応の滑稽さとは

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もう少し新元号について続けます。

今回の新元号に、もっとも関心を寄せていた国が二国ありました。
ひとつはいうまでもなく中国であり、いまひとつは台湾でした。共に世界でわずか三カ国になってしまった漢字文化圏の国々です。

まずは中国です。

「新しい元号を巡って中国メディアが当初の報道内容を修正し、「中国の影響を消し去れない」と伝えました。
 中国共産党系の「環球時報」は当初、新しい元号「令和」がこれまでの元号と異なり、中国の古典ではなく万葉集に由来することに触れ、「初めての脱中国だ」と速報しました。しかし、1日午後になって「『令和』は中国の影響を消し去ることができない」と記事の内容を修正しました。「万葉集は中国の古典文学の影響を受けている」「中国の詩歌の素材や形式表現が参考にされている」などと指摘しています」(テレ朝4月1日)
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000151239.html

これは当初中国メディアが、新元号が国書を典拠としたことに対して「脱中国」と報じた訂正として発表されています。いじましいというか、失礼ですが笑っちゃいますね。

日本は195カ国に同時に通知しましたが、当初台湾はそれに含まれていないと言われてきましたが、イキな計らいというべきか、政府は官房長官の発表と同時に日本の対台湾窓口機関である日本台湾交流協会から台北駐日経済文化代表処に通知していました。
この台北駐日経済文化代表処は、事実上の台湾大使館ですので、日本は台湾をあえて差別しなかったことになります。
大変に結構なことです。 

トランプ政権になって急速に台湾の位置づけを大きく変化させています。
これは沖縄の海兵隊を台湾に移動したらどうかと言っていたボルトンの影響もあるでしょうが、米国政府は最近になって、準軍事同盟である台湾関係法(TRA)を更に一歩進めました。
台湾関係法 - Wikipedia

従来から台湾関係法によって、国交関係は公式にはなくなったものの、中国が台湾を侵略した場合、台湾を防衛する義務を負うことを定めていましたし、現に中国が台湾の民主選挙を実力で妨害した時には、空母打撃群を台湾海峡に入れています。
トランプ政権は更に一歩進めて、北京の在中米大使館の実に10倍の面積を99年咀嚼してAIT(米国在台湾協会)を設置しました。
この広大な敷地面積は、中国が侵略の構えを見せた場合、「大使館」敷地内に海兵隊を一時駐屯させるためにも思えます。

台湾の蔡英文総統は日本に対して安保協議を打診しており、 私は離島防衛に大きな影響を持つ世界一の友邦国の安全保障に対して、日本版台湾関係法を作るべきだと考えています。

さて、中国の反応に話を戻します。

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出典不明

この中国の「オレ様中国のおかげでしょう」論に呼応するように、岩波がツイーットでこんなことを載せて話題になりました。

「「新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』https://www.iwanami.co.jp/book/b325128.html  の補注に指摘されています。
「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある」

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              岩波書店ツイッート

中国が日本文化を隷属的に扱いたい、お前はいまだってオレの子分なんだという心理はよく理解でますが、だからナンだというのでしょうか。半分当たっているだけのことです。

いちおう、この変遷についてこのようなプロセスをたどったようですので、「週刊武春」サイトさんを引用させていただきます。

①張衡(ちょう こう)『帰田賦』→wikipedia
138年(後漢・安帝から順帝/永和3年)

②王羲之(おう ぎし)『蘭亭序』→wikipedia
353年(東晋・穆帝/永和9年)

③昭明太子(しょうめいたいし)編纂『文選』→wikipedia
6世紀前半(中国南北朝・南朝梁)

④大伴家持『万葉集』→wikipedia
7世紀後半〜8世紀後半(日本)

⑤2019年 新元号に採用」
https://bushoojapan.com/scandal/2019/04/03/122892

中国が言いたいことは、「新元号を国書に依拠したといいながら、なんだソースは中国だぜ。マネじゃないか。しょせんわが国の文化的属国であることには変わりはないんだ」というところでしょうか。
中国好き左翼の岩波がそれをフォローしたのは、いわばポジショントークです。

なるほど中国サイドから見ればその通りですが、そんなことは私たち日本人から言わせればただの文化の伝播にすぎません。
古代ギリシア・ローマを源泉とした西欧文明に対して、ギリシアが今になって「お前らに教えてやった」と言いだしたら滑稽ですね。
文化は必ず伝播し、その過程で変容していくものなのなのです。それは古今東西、よくあることで、今更恩きせがましく「お前の新元号はウチの国が出所だ」というのは野暮の極みです。
こんな古代のことで、21世紀にもなって「オレのおかげだ」というのは、中国と韓国くらいなものでしょう。

なるほど確かに、春の季語となっている韓国の染井吉野源流論とは違って一定の真実を含んでいます。
まちがいなく漢字は中国から取り入れたものです。昨日紹介した17条憲法も原文は漢文です。

ただし、ここからが大事なのですが、日本は漢字を受け入れ、更に発展させました。
それがカナ文字であり、ひらがなです。それも昨日今日の話ではなく、9世紀から11世紀のことです。
日本人はこの漢字・カナ・ひらがな、さらには明治以降はアルファベットまで組み入れて、日本文化を表現してきたわけです。
このように多様な表記で発信している言語は世界にも希有な存在で、それが故に日本語の習得が外国人には難しい原因ともなっています。

漢字は見ただけてデジタルに図形認識できるという特性があり、これをはずしては日本語は成立しません。
明治以降、日本が西欧近代をフォローアップしようと苦心惨憺したときには、既に漢文だけではまったく通用せず、そこにアルファベットをいれたり、外国語をカナに転換して対応しました。

ですから、明治期に日本人が頭をひねって漢字の術語(テクニカル・ターム)に翻訳した法律用語・制度用語・科学用語・経済用語・医学用語・スポーツ用語などは星の数ほどあります。
中国はそれをほぼ日本語どおり輸入しました。中国のこの分野の漢字の約7割は日本由来、言い換えれば「日本語」(和製漢語)です。
そもそも「中華人民共和国」は中華以外全部日本語ですし、中国共産党も共産党は日本語です(苦笑)。
おいおい、日本語使って国号や党の名まで作っておきながら、はるか大昔の9世紀前のことでとやかく言うなよと言いたくなります。

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https://shokubutsuseikatsu.jp/article/column/p/315...

新元号「令和」は、8世紀前半に太宰府の大友旅人(いい名前だなぁ)の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれた32首の歌の序文から取られたことは知られています。
ではこの詠まれた大宰府はなにかといえば、中国との距離的関係から京と離れた場所に作った政府の出先機関でした。
ここが有名なのは、太宰府に左遷された菅原道真が祭られた太宰府天満宮があるからですが、道真を慕って京から飛んできたという飛梅は有名ですね。

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http://www.pmiyazaki.com/kyusyu/dazaihu/ume.htm

道真は太宰府赴任にあたり、「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ(忘れるな)」という歌を詠んでいます。聞いたことがおありですね。
道真によって愛でられた梅の木は、太宰府に赴任した道真を慕って、京の邸宅から梅が飛んで来たという「飛梅」が有名です。上の写真で馥郁と咲き誇っているのが飛梅です。

そしてこの道真こそが894年に遣唐使を廃止した人物です。
日本はそれまで荒れる海を渡って中国に文化使節団を送って、中国の文化・制度・思想を吸収してきました。
日本から派遣された人々が運んだのは、金銀財宝ではなく仏典であり、漢書でした。
このようにいじましいばかりにして日本が、当時世界最先進国だった中国のそれをスポンジのように受け入れたことは事実です。

ちなみに朝鮮半島から文化を吸収した歴史はなく、あの場所は中国からの文化伝播のいちルートにすぎません。
韓国さん、ですから「コレも教えた、アレもルーツは韓国だ」なんて聞き苦しいですから言わないでくださいね。

それはさておきそれが終了したのが、この道真が遣唐使派遣の中止を決めた9世紀だったのです。
私は今回の新元号「令和」は、この歴史的事跡に思い致すような含意があると考えています。


 
 


 

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コメント

あきらメンタイコは世界史の授業でも出てきますね。。

まあ、中国は日本産の共産党政権になってから極端な略字を導入してしまい、文字だけでは体を表さなくなってしまったのが、実に残念です。

漢字のみである漢文では、その意味や言いたい事を詳細・正確に捉えるのは至難で、相応な訓練が必要なのは誰にとっても同じですね。
中共では「科挙官僚」や「知識人」のことを「読書人」と表現しますが、古典漢文が読めて解るってことなんでしょう。
白話文(口語文)を主として使う現代中共人でも、繁体字を見て簡体字を類推できるので、漢文の文字を(今使っている発音で)読むことは(なんとかでも)できますが、意味を理解するには、字義を始め注釈や解説が必要だと聞きました。
なので中共の面々は出典の意味は分かっているので、「命令の令だ!アベがー」みたいな薄っぺらい批判はさすがにしません。
頓珍漢な批判をしている外信など、中共の読書人よりは日本の薄っぺらいのをつるむ相手にしているんでしょうね。

とまれ、漢文をさほど大切にしているとは言えない中共が文化伝播で「中華」自慢をするのは、仰る通り滑稽なことです。

申し訳ありませんが、お暇があり、お近くにかつて大学で近代以前の中国文学、中国哲学、東洋史学を学ばれた方がいらっしゃれば、一度「出典調べの大切さ」についてお訊ねください。
なお、私は日本文学については無知ですが、近代以前については同様だと思います。
別に新元号の出典を「万葉集」としてもいいのですが、会見の際に一言「これは張衡を踏まえたものだと思います」と加えておけば何でもなかったと思います。

ちなみに「憲法十七条」の「以和為貴」の語が『礼記』に見られること、また『論語』に「礼之用和為貴」とあり一般的には「礼の和をもって貴しと為すは」と訓読されていることはご存知ですか?

別に先人の労苦に想いを馳せず、「出典調べの大切さ」を訊ねてみようともされないのであれば、どうでもいいことですけど。
そうだとすればお目汚しの駄文、大変失礼しました。

自分が15年ぐらい前までファンだった内田樹氏は元号について次のようにブログで言ってます。見解は岩波に同じということでしょうか。

「新元号が発表された直後からネット上では中国文学者たちから万葉集の「初春の令月、気淑しく風和らぐ」の出典が中国の古詩(後漢の張衡の『帰田賦』にある「仲春令月、時和気清」)だという指摘がなされた。岩波書店の『新日本古典文学大系・萬葉集』の当該箇所にも典拠として張衡の詩のことが明記してある。「史上はじめての国風元号」を大々的に打ち上げた割に、「空振り」だったわけである。」

中国メディアは、発表されて間髪入れず「帰田賦のオマージュじゃねえか」と指摘してていたらカッコよかったのですけども、どうも日本の文学者のSNSの方が先だったみたいで、悔しいんじゃないですかね。中国の文学者は、こんなことに手ぐすね引いてるわけでもないので、日本の文学者→日本メディア が先になってしまうのも仕方ないことです。

私も帰田賦を踏まえたもの、と一言政府説明にあった方がよかったと思います。例えば日本の高校生は、ツイッターで「帰田賦のオマージュ」という話を知ることになるわけで、歴史教科書とか政府発表とか、うさんくさいよなあ、という気持ちを強くするのではないでしょうか。元ネタがあっても万葉集の前文というありのままの価値は、十二分だと思うのです。

ところで毎年このブログを読ませていただいている簡単なお礼を年末に申していたのですが、去年は、年末、年度末ともうっかりしていて過ぎてしまいました。
改めまして、いつもこのブログを読んでいろいろと勉強させていただいていることに感謝申し上げます。今年も令和元年もどうぞお元気で。これからも楽しみにいたしております。

これまでの中国古典そのものから万葉集への転換を考えた場合、ブログ主様がいう、
≫「今回の新元号「令和」は、この歴史的事跡に思い致すような含意がある」、という見方には大いに賛成です。

遣隋使で隋にまなび、白村江を経て政治的な意味からも遣唐使を派遣せざるを得ず、むしろ積極的に(仏教を中心として)、唐の文化を吸収して来ました。 ところが唐は内乱ばかりで都の長安は荒れ果て、文化の中心地としての幻滅は激しかった。 ついに894年(白紙にしよう遣唐使)で終わりました。

万葉集が成立したのは780年頃と言われますが、影響を受けつつも、唐の文化とは主体も明らかに違う、いわゆる「読書人」のものではない独自性がありますね。
和歌形式である点も国防の歌が多い点もしかり、です。

そして、唐までの文化の良いところを半分は吸収しつつ、その後は日本事情を半分足した「国風文化」があらわれる事になります。

そうした経緯があって、後の拾遺和歌集なんかでは赤染衛門が自分の官僚亭主の漢文的な「融通の利かなさ」を揶揄した歌を読んでいて、「大和ごころ(知恵とくふう)さえあれば、乳母の乳が出ないことなど大した問題ではない」などと、古い考えを一蹴しています。

政府発表で「万葉集由来」だと言っている以上、「令和」はこうした歴史を想起しないわけには行かないと思います。

私は日頃、茶碗とお箸でゴハンを食べる時と、文字を読み書きする時に、
「中国(非中共)って偉大だよなぁー、感謝します」とよく思います。万葉集
が編集できたのも漢字があったからで、もし無かったら文盲文化圏として
代々誰かが暗記して伝えていかなければならないところでしたわ。

しかし、文字は漢字で、暴走族のチーム名のような漢字の使い方だった
としても、歌そのものは日本語です。それには、日本語独特のリズムが
あり、日本の風土が歌い込まれています。中国から渡って来た梅の木も、
日本の北九州地方の春の中に溶け込むと、それは中国の梅園の風景と
違って見えて当然です。それを見て「キレイやわー」と思ったのは日本人
で、それを他者に伝えたいと使ったコトバ(当時コトバは言霊として大変に
重要視されていたそう)は日本語なのに、だだ残念なことに、それを書き
記す文字が無かったのです。

私の郷土の医師で国学者の本居宣長さんは古事記伝などを著していま
すが、師の賀茂真淵さんからは万葉仮名に慣れる為に万葉集を読めと
指導されています。彼はその後、「大和心(大和魂)」とか「もののあはれ」
を提唱し、中国の「漢意(からごころ)」と違う日本独自の精神性の存在を
あらためて発見しひろめました。そして、その日本独自の精神性は、当然
現代にもあります、っていうか、もうそれしかありませんわ。

そういう事で、日本人にとっては、日本の新元号「令和」は日本の万葉集
起源である、ってことで完結してると思います。蛇足は要りません。


 
が、蛇足として・・
「令」の字がバランス的に書きにくくて、しばらく困りそうですわ。

明治時代から日本語に新しく入れた物に、アルファベットと共に算用数字を加えるべきだと思います。
二千十九年四月四日午前五時三十七分五十六秒。

韓国と違って中国のプライドにはある程度の根拠があるのがまだ中国のマトモなところですよねぇ。

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