台湾とオーストラリアの孤立防止は日米の役目だ
日本での扱いは小さかったのですが、中国がソロモン、キリバスと相次いで国交を結びました。
これで同時にこの2国は、台湾と国交を断絶したことになります。
「ニューヨーク共同】中国は27日、台湾と断交した南太平洋のキリバスと外交関係を回復し、ニューヨークにある中国の国連代表部で国交樹立の文書に署名した。21日にも、台湾と断交した南太平洋のソロモン諸島と国交を樹立。習近平指導部は10月1日の建国70年で、台湾統一実現に向けた外交成果としてアピールする方針だ。
中国の王毅国務委員兼外相は署名式後の記者発表で「一つの中国を堅持することが大勢であることを示した」と強調。中国は国連総会に合わせて国交を結ぶことで、中台は不可分の領土とする「一つの中国」原則に対する国際社会の支持の広がりを演出した」(共同9月27)
https://this.kiji.is/550412821715764321
「台湾は16日にソロモン諸島と断交し、20日にキリバスと断交した。台湾の外交部長・呉ショウ(金へんに利のつくり)燮によれば、ソロモン諸島は30年続いた台湾との関係を、中国から5億ドルをうけとって断ったらしい。また、キリバスは民航旅客機購入のために資金援助をするように台湾に求めたのに対し、台湾側が商業ローンを提案したら、キリバス側から拒絶され、中国に乗り換えられたという。
中国はキリバスに旅客機数機と商業用フェリーの購入資金をポンと出したという。呉外交部長は会見で、台湾は長年援助をしてきたのに、大変遺憾だ、と恨み節しきりだった」
(福島香織の中国趣聞(チャイナゴシップ)NO.34 2019年9月23日)
そして世界でも、台湾と国交を持っている国のほうがわずかとなりました。
「2016年に台湾の蔡英文政権が発足して以降、台湾との断交を決めたのはキリバスが7カ国目。台湾と外交関係を維持するのはわずか15カ国になった」(ニューズウィーク9月20日)
さてここで、ちょっと立ち止まってみましょう。
ヨーロッパ諸国は北朝鮮、韓国の2国と同時に国交をもっている国も珍しくはないですね。
中国と国交を結ぶことまではいいとしましょう。日本も角栄氏のおかげで先走って結んだ歴史がありますしね。
しかし1945年10月25日に、台北で日本側の安藤台湾総督が降伏文書に署名した相手は、中華人民共和国ではなかったのです。
そりゃやりたくてもできませんよ。だって中華人民共和国が建国されたのは1949年10月1日のことですから、地上に存在しない国と署名を交わせませんもん。
ですから、台湾の実効支配は日本統治の終了と共に中華民国(ROK)に引き継がれ、今に至っています。
ただし後に問題として残ったのは、戦後の国境の線引きを決めた1952年のサンフランシスコ条約とそれを基にしてできた53年の日華平和条約にも、台湾島の処遇は明記されていなかったことです。
なぜでしょうか。それは蒋介石が支配していた時期においては、「ひとつの中国」という虚構を共に後生大事にしていたからです。
この「ひとつの中国」論というのは、勝った中国共産党が持っていても不思議はないのですが、破れて台湾に逃げ込んだ国府側も同様な考えを持っていました。
ちなみに今の台湾においても、大陸から逃げてきた人たち(外省人)を中心とする国民党は、いまだ「ひとつの中国」論を捨てていませんから、かつて血で血をあらう内戦までした仲であるにもかかわらず、中国共産党政府と妙に平仄があっています。
前総統の馬英九は国民党でしたが、なにかにつけ中国の代弁者に見えたのはそのせいです。
そういえば私が台湾を初めて訪れたのは蒋経国統治時代の末期でしたが、その時書店で売られていた地図には、堂々と首都南京と書かれてあり、台北はただの暫定首都と記されていたのにたまげたものです。
そして街のそこかしこには「大陸反攻」というスローガンが書かれていました。
当時は台湾に各省の代表が集まって、中国全土の統治について議論するという全人代もどきのことまでやっていました。
ウィキ
上が国府(ROC)が考える中国地図です。claimed by ROC (国府が主張する) という青色で塗りつぶされています。
面白いことには台湾はfreearea of ROCとありますから、国府にとっての台湾の処遇の複雑さがかいま見られます。
中国は幾度となく台湾侵攻を企てましたが、 富田直亮らの白団と呼ばれる旧日本軍将官らの指導によって国府軍を建て直し、そのつど退けられています。
大事なことは、一度として台湾を中華人民共和国が実効支配した時期がないということです。
もしこのまま蒋介石一族が台湾を統治していたならば、中国大陸の代表を主張するふたつの政府のままだったはずです。
しかし台湾は李登輝の登場によって大きく変化します。
台湾は「大陸から逃げ込んだ残党たちの島」から、台湾島とその周辺の島々を実効支配する民主主義国家へと大きく変貌したのです。
つまり台湾と大陸政府との関係は、民主主義を愛する大陸に服従しない人々と、ひとつの共産主義独裁国家に飲み込もうとする者たちとの対立となったのです。
ですからよく誤解されているように、台湾が「独立する」というのは中華人民共和国から独立するという意味ではありません。
そのようなことなら、台湾、すなわち中華民国は共産中国以前に「独立」して誕生しており、以後一貫して独立を維持し続けています。
したがって、台湾の人たちが「独立」と呼ぶ場合、中華人民共和国の一部ではなく、台湾が大陸に干渉されずに独立した主権を確立し続けるという意味です。
もう少し付け加えると、逃げ込んできた蒋介石が持ち込んだ「中華」「中国」という呼び方を実態に合わせて変更し、台湾島及びその周辺の島々の法的帰属を明確にすることです。
「台湾の公的な場で使用されている「中国、中華(China)」という呼称を「台湾(Taiwan)」へ置き換え、台湾の存在を「中国の一部」から「中国とは別個の地」に代えることを目標としている。特に2002年5月11日に実施された運動は、2002年が運動の啓蒙年であったことから、511台湾正名運動と呼ばれている」
台湾正名運動 - Wikipedia
このように考えると、台湾についてソロモンやキリバスなどの新たな国交樹立国は、なにも台湾と断交に及ぶ必要はなかったのです。
かつての日米が苦肉の策としてとったように、中国は承認するが、台湾の領有に関しては「中国側の意見は聞いたが、同意はしていない」という対応でよかったのです。
米国は中国と国交を結びましたが、台湾関係法を作って防衛義務を定めていますし、日本も日本台湾交流協会という政府出先機関を置いています。
メロモンと日米とは力関係が違うとはいえ、断交までするとは残念です。
さて長くなりましたのではしょっていきますが、ソロモン諸島は南太平洋島嶼国として一番人口も多く、面積も広いために、ソロモンとの外交が断交となった時点で、この地域の島嶼国家がドミノ式に断交していくのは必至と見られています。
残るのはパラオ、ナウル、ツバル、マーシャル群島の4カ国で、残るのはかつての日本統治のよしみをいまでも大切に思ってくれているパラオくらいとも言われていますが、チャイナマネーの札束・ワイロ攻撃にいつまで立ち向かえるかどうか。
この地域は、米軍がフィリピンから撤退した後には広大な軍事的真空地帯となっています。
サモアから西側は、米海軍の力が及ばず、オーストラリアがかろうじて守っている海域です。
この地域こそ、かつてオーストラリアと米国の連絡を遮断しようとして軍を進めて自滅した旧日本軍のルートでした。
http://murasaki-syoumeidan.com/solomon-guadalcanal/
青線が連合軍の通商路、赤線が日本軍の遮断作戦で、緑色で囲んだ円がソロモン諸島 黄色で囲んだ部分が有名なガダルカナル島です。
ガダルカナルは今はソロモンの首都となっていますが、ここが先の大戦の天王山となったのは、このソロモン諸島が米国や日本とオーストラリアの海上連絡線を断ち切る位置にあるからです。
それは今も変わりません。
この海貿易ルートを切断されれば、オーストラリアは鉄鉱石や石炭を輸出できず、機械、自動車部品、原油などの輸入ができなくなります。
オーストラリアの経済 - Wikipedia
ですから、今や太平洋を二分すると宣言した習にとって、この南太平洋諸国を取ることの意味は、単に台湾との国交を切断して孤立化させるだけにとどまらず、オーストラリアをも孤立化させ、中華共栄圏の東端としてしまう野望があるからです。
これら財政基盤が貧弱な南太平洋諸国に、中国は街金よろしくジャブジャブとカネを貸し付けていますが、いったん返済出来ないとなったらスリランカで起きたような借金のカタに港を百年租借することなど平気のヘイザでするでしょう。
するとそこに中国は海軍基地を作り、南シナ海の要塞島とを結ぶ広大な太平洋海上権益圏を形成するかもしれません。
日本にとって、これらの南太平洋の国々を中国に抑えられていくということは、決して他人事ではないのです
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