デニー氏の仕事は「心の喪失感」を訴えることではない
衝撃的な事件がおきました。
首里城が炎上し、その大部分を失いました。言葉もありません。
喪失したものはあまりにも大きく、その中には二度と復元できないものも多く含まれています。
下の写真の正殿が焼け崩れる様を、多くの県民、国民は間のあたりにしました。
この光景は、私たちの中で長くつらい記憶として刻まれることでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=2eGJ8wNrhqk
今日の午前から消防の現場検証が始まります。
炎上直後に消防車が駆けつけていますが、正殿(「唐破風」からふぁーふー)から出た火は、 折からの強風に煽られて手の施しようがないほど延焼の速度は速く、瞬く間に炎に包まれてしまいました。
当初はイベント準備作業からの失火かといわれていましたが、この準備作業は正殿前の御庭(うなー)で行われていて、建造物内部には立ち入っていませんでした。
放火の疑いは残るものの、正殿は施錠されていました。
正殿内部の漏電による失火がもっとも可能性がありますが、爆発音がしたという証言もあり、解明を待たれるところです。
まだ焼け跡から煙がでているような時期に、安易なテロ説を流すのは厳に謹んで下さい。
今後検証されるべきは、安易な犯人探しではなく、この宝石のような文化遺産の火事がどうしてこれほどまでに拡がってしまったかについて検証することです。
第1に、消防車は速やかに到着しましたが、現実の消火活動には手間取りました。
それは城壁の石垣に阻まれて敷地内部に消防車が進入できなかったことです。
そのために、本来ならば消防署は最初に炎上した正殿正面の広場(うなー)に十数台の消防車を並べて消火活動をしたかったでしょうが、ホースを数百メートルに渡って継ぎ足し継ぎ足しながら消火することになってしまいました。
とうぜん水圧も落ち、十分な数の放水ホースを確保することすら難しかったと思われます。
第2に、そもそも失火を正殿内部でくい止められなかったことです。
ここで食い止められれは、他の建造物への延焼はなく建造物内部を一部焼いただけで済んだかもしれないからです。
「正殿には他の建物からの延焼を防ぐため、外壁に沿ってカーテン状に水を噴出する「ドレンチャー」が設置されていたが、今回の火元は正殿内部とみられ、市消防局は「本来の効果を発揮できなかった可能性が高い」とする。
木造の歴史的建造物は火の回りが早いため、消防法は国宝や重要文化財に指定された建物について、面積にかかわらず消火器や自動火災報知機の設置を義務づけ、文化庁も消火設備の整備に力を入れている。
しかし、首里城は戦前、正殿が国宝に指定されていたが、1945年の沖縄戦で全焼。城跡の上に復元され、今回の火災で焼失するなどした正殿など7棟は、いずれも戦後に復元された。このため文化財保護法に基づく文化財には指定されておらず、防火対策の対象にはなっていなかった」(読売10月31日)
ドレンチャーとは建造物の外部に水の壁を作って延焼を防ぐ消防装置のことです。
上の写真は高野山の金剛峯寺・御影堂でのドレンチャーの実演風景ですが、首里城に設置されたドレンチャーがほとんど役にたたなかったのはなぜでしょうか。
また驚くべきことには、首里城は国宝や重要文化財でもなかったために、もっとも重要な室内消火設備であるスプリンクラーすらなかったことです。
沖縄タイムス(11月1日)によれば、正殿の赤い塗装には沖縄独特の「桐(とう)油(ゆ)」を使っており、これが自然発火やすく延焼しやすかったとしています。
また下地の漆も島袋弘樹那覇消防局長は「漆を塗った建物はいったん燃え出すと簡単に消せない」としています。
このような塗料の燃えやすさに加えて、スプリンクラーのような消火設備が欠落していたことが致命的でした。
「一方、正殿の屋内にはスプリンクラーがなかった。設置義務はないが、屋部憲右(文化財建造物保存技術協会) さんは「沖縄の代表的な建築物なのだから、しっかりした設備があるべきだった」と疑問を呈した。
建築防火工学が専門の東京理科大の大宮喜文教授も「木造で、しかも壁で仕切られない大きな部屋があり、火災の広がりは早いと考えられる。だが、スプリンクラーがあれば全焼に至らなかった可能性がある」とみる。
復元工事を手掛けた国の国営沖縄記念公園事務所の記録によると、正殿にはホースを引き出して放水する「屋内消火栓」があった。大宮教授は「内部で火災が大きくなった場合は人が入れずに使えなくなる」と説明する。
また、正殿の火災報知機には空気の熱膨張を感知する「空気管」方式が採用されていた。目立たない代わりに反応が遅く、大宮教授は「景観に配慮したのではないか」とみる。
建物外部には水のカーテンを作って他の建物への延焼を防ぐ「ドレンチャー」があったが、結果として南殿や北殿にも火が回った」(沖タイ11月1日)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00491971-okinawat-oki
このために、スプリンクラーが装置されていれば、本来内部で初期鎮火できたはずのものが、たちまち正殿を焼き尽くして、他の建造物にまで延焼していったのです。
なぜこんな初歩的な消火装置が欠落していたのか、なぜ沖縄県は取り付けようと考えなかったのでしょうか。
https://www.sankei.com/life/news/191031/lif1910310
そこで第3の問題です。この火災の責任を問わないわけにはいきません。
デニー知事はこう述べています。
「言葉に言い表すことのできない喪失感に包まれ、本当に胸が痛む思いでいっぱいです。しかし、それと同時に琉球王国の象徴であり、歴史と文化の心に彩られた首里城を必ず復元させなきゃならないという強い思いも湧き上がりました」
(毎日10月31日)
https://mainichi.jp/articles/20191031/k00/00m/040/257000c
ならばデニー知事に問わねばなりません。
「言葉に言い表すことのできない喪失感」は誰の責任で生じたのでしょうか。
それを明らかにする義務が知事にはあります。
なぜなら首里城の管理責任者は他ならぬデニー氏が知事を務める沖縄県だからです。
たとえば先述したようにスプリンクラーが設置されていれば、これだけの大事にならずに済んだのです。
防火専門家が指摘するように漏電が原因なら、どうしてここまで放置されてきたのか、まともな防火点検をしてきたのか、防火計画はあったのかさえ怪しいものです。
たとえば消防車は敷地内に入れない、消防ホースは継ぎ足してやっと敷地に届くようなありさま、敷地内の消火栓は足りない、スプリンクラーがないから正殿で止まらずに延焼が始まる、ドレンチャーはものの役に立たない、こんなないない尽くしだから全焼したのではありませんか。
まともな防火計画があれば、広場まで消防車が入れるようななんらかの仕組みを作っていたし、そもそもスプリンクラーも取り付けていたはずです。
違いますか、デニー知事。
あえて冷たい言い方をしますが、あなたの「胸が喪失感で一杯」になろうとなるまいと知ったことではありません。
知事は哀しむことが仕事ではないからです。
知事がやるべきことは、行政の責任者として、まずは何がこの大火の原因かをあきらかにすることです。
それができて初めて、「政府や国内外の関係機関、県民および国民や世界のウチナーンチュ(沖縄の人)の皆様の協力」(毎日前掲)を要請出来るのです。
さて今後ですが、この首里城復元プロジェクトの中心を担った高良倉吉琉球大学名誉教授はこのように述べています。
「太平洋戦争末期の沖縄戦(1945年)で灰燼(かいじん)に帰した首里城。89年から始まった復元に関わった高良倉吉(たからくらよし)・琉球大名誉教授(72)は31日午前4時ごろ、共に復元に取り組んだメンバーからの電話で出火を知った。那覇市の自宅から見える赤々と燃え上がる炎を「信じられない」とぼうぜんと見つめた。
沖縄戦で多くの資料が失われた中、関係者が調査や研究を重ねて、正殿復元では建物内部の構造も琉球王国時代を忠実に再現。「完全木造で琉球王国で使用された往時にかなり近づけた」と自負する。北殿は資料散逸で内部まで再現できなかったが、沖縄の歴史に触れられる資料館として「他県にはない沖縄の歴史的象徴」をよみがえらせた」(毎日2019年10月31日)
世界遺産として認められたのは石垣などの城址だから、建造物が燃えてもまた作ればいいというコメントを出している人がいました。
そんなに簡単ではありませんよ。いったい誰が再建するのですか?
おそらく、今、再度作れば300億から500億はかかるでしょう。
そんなカネを誰が出すのでしょうか。国か県でしょうか。
菅氏は国が支援するという言い方をしていましたが、内情は厳しいはずです。
というのは、国は今回の打ち続く大災害の復旧と再建で予備費を使い切りつつあるからです。
文化的復旧よりは、目の前の被災地復旧が優先される時期にたまたま当たってしまったのです。
奇しくも来年度予算の折衝時期が始まりますが、沖縄県が国におんぶにだっこで出してもらう気ならお止めなさい。
それでは国に借りを作ることになりますよ。
国はなんとかやりくりしてその程度の財源はひねり出すでしょうが、あくまでもそれは沖縄県が自助努力を尽くしてからのことです。
デニー知事は募金を募ると言っていますし、地元2紙も大規模に募金活動をするようです。
沖タイや琉新が社屋を売れば数百億など簡単です。
首里城が「沖縄の誇り」と言うならば、それはかつて独立国だった琉球王朝が常に心にあるからです。
ならばいっそうのこと、本土政府のカネに頼るべきではありません。
広く県民に「首里城再建基金」を募るべきです。
沖縄県予算も身銭を切るべきです。
それでどれだけ積みあがるか分かりませんが、無意味な「ワシントン大使館」やデニー知事の道楽のような万国津梁会議などの冗費を省いただけで違うはずです。
大事なことは、沖縄が自力で首里城を再建してやる、という気構えなのです。
しかしそれでもなお再建は困難を極めるでしょう。
というのは、資金だけの問題ではないからです。
高良先生たち、この復元プロジェクトに関わった人たちの思いを、篠原章氏はこう書き記しています。
「高良先生はしばしば、「復元作業の過程で左翼陣営の人たちから、“支配と搾取と奢侈の象徴である王族の城など復元しても無意味だ”と批判された。“そうじゃないんだ。大工や職人を中心に当時の琉球の大衆が身につけていた技術と文化の結晶が首里城なんだ。たんなる支配・搾取・奢侈の象徴などではない”といってもなかなか理解されなかった」と語っておられた。ぼくは高良先生この言葉に感動を禁じえなかった」(批評.com
https://hi-hyou.com/archives/8889
高良先生たちは、建設当時の大工や職人、そして木材に至るまで宝石のようにすくい取ろうとしました。
https://www.fnn.jp/posts/00355220HDK
「平成の復元に当たって高良先生は、首里城の建材に用いられていたイヌマキの木(チャーギ)が沖縄に残されていないことに気づき、断腸の思いで沖縄以外の地域にイヌマキの木を求めたという、その苦い経験をもとに、高良先生は次の首里城の修理に使うためのイヌマキを植林している。
が、そのイヌマキはまだ幼木で使える状態にはない。いちばんの問題は、復元に携わることのできる人材もすっかり高齢化し枯渇しているということだ」(篠原前掲)
そして首里城は今年1月に御内原エリアの復元が終了し、予定された復元作業は一段落しようとしていました。
その矢先に、それをあざ笑うようなこんな事態を迎えてしまいました。
問題は山積しています。
コンクリート製の外形だけのものを作るなら「速やかな復元」が可能です。
しかしそれでは「沖縄の誇り」としての首里城を再建したことにはなりません。
首里城再建を担った高良先生を継ぐ若者が現れ、イヌマキの森を育てていく時間が必要です。
私は再建を焦る必要はないと思います。
焦って魂のこもらないものを作ってもしかたがありません。
時間を味方にして、県民のみならず国民から広く浄財を集め、かつての高良先生のような情熱を持った人を育てていくことから初めてもいいはずです。
そう考えると、来年のオリンピックの聖火リレーがこの無残な首里城焼け跡から始まるというのも、なにか意味があることのように感じます。
※改題しました。すいません。
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あれだけの大惨事であったのにもかかわらずけが人が出なかった(であろう)ことは不幸中の幸いです。
随分以前ですが、ウチナンチュの初老の方と「複雑な沖縄のこと」を何気に話してたとき、「全部なくなってしまえばいいのサー、みーんな貧乏だった元のウチナーになればいいのサー」と小声で話してたことを今回の大惨事で思い出しました。と同時に、これから色んなことが「表面化」して来るのではないか、とも感じました。
投稿: 宜野湾くれない丸 | 2019年11月 1日 (金) 07時46分
うーん、政府のカネで30年がかりで復元した大切な観光資源であり沖縄本島文化の象徴を焼失したのは実に残念。
が、なんですか?このお粗末な消火体制。
真っ先に速報記事出した琉新は「この時間帯には誰もいないはず」と、微妙に犯罪性を伝えてましたが(うわっ!デマ情報飛び交う兆し)、実は祭り期間で直前までスタッフが場内にいたとか。
で、火災報知器が鳴ったから警備員が鍵開けて入ったら、もう煙でどうにもならなかったとか。
スプリンクラー無し。
城内に放水砲3機に消火栓4箇所ですか。それも機能不全とか。。
木造建築ですからスプリンクラーがあったら即座に自動消火できたでしょうし。お粗末!
白川郷(世界遺産)や福島の田村宿なんか、毎年消火訓練で盛大に放水砲をフル稼働していて、それこそ名物になってるんですけど。。
ちなみに、首里城は大正時代に国宝認定されるほどに琉球文化を政府が尊重してきたわけですけど、マスコミは戦争が!ばかりでウンザリ。
ところで、宮古や石垣の住民にとって悪逆非道な尚王朝のシンボルってどんな気持ちなんでしょうね。。。
投稿: 山形 | 2019年11月 1日 (金) 08時46分
首里城は最近に国管理から県管理に変わりましたが委託されているのは同じ団体であり、防火設備体制も国管理の時から同じでしょう、まさかスプリンクラーを県管理になってからわざわざ取り外したというわけではないでしょうし。
原因究明はいまからでありまずは知事が首里城を失った沖縄県民の心に寄り添い再建を誓うのは悪くない対応です。寄付も募るとのこと。
今この悲劇を待ってましたとばかりに知事批判に政治利用するのは分断を煽るだけですね。
投稿: 沖縄県民 | 2019年11月 1日 (金) 10時24分
山形さんそのとおり!
戦前大正期のぼろっくそい首里城を国の宝として、国宝指定したのは当時の政府なんですよ。戦争戦争ばっかり言うなですわ。
私の祖父母は、首里城復元には反対していましたね。
貧乏人のやっかみみたいなものですが、それだけ昔の王族と琉球貴族にはいい感情を持っていなかったという人たちもいたという訳で。
投稿: やもり | 2019年11月 1日 (金) 10時49分
やもりさん。ちーっす。久しぶり。
ですよねえ。琉球王朝時代の貴族なんて、李朝時代の朝鮮みたいなもんで、搾取階級ですからねえ。。
で、いくらやもりさんだからって、京急の変電所に入って電車止めちゃダメですよ(笑)
いや、冗談です!
投稿: 山形 | 2019年11月 1日 (金) 11時15分
首里城のけばけばしかった(過去形)朱色の外観は、中国への「冊封」を強調しているようにしか思えませんでした。米軍により焼失した以前の首里城はあの色ではなかったという記録写真もあるようです。
また、長年首里城の城主であった第二尚氏一族は、中国に対して最大限の令を尽くすとともに、人民に対してひどい政治をしていたという意見もあります。(翁長元知事やデニーを彷彿させます。)
首里城は、初代統一琉球王である英雄尚巴志一族をクーデターで残らず王宮から一掃させたいわゆる「金丸一族」の末裔が引き継いでいました。金丸は中国との冊封貿易を穏便に続けるためだけに、自らの滅ぼした尚氏の血筋を偽称し(第二尚氏)尚家第8代の王(尚円王)として、尚の姓を名乗りました。ちなみに首里の玉陵(たまうどぅん)は、第二尚氏によってつくられた王家の墓陵です。
首里城の再建の前に沖縄県民は、もう一度琉球の歴史の再検証と首里城再建のあるべき姿を議論すべきではないでしょうか?
投稿: | 2019年11月 1日 (金) 11時37分
原因がなんであれ木造建築火災を舐めていたとしか思えない防災体制ですね。
再現性を最優先に消火施設を最小限にするならそれ相応の万全の管理体制
・漏電の原因になる埃や小動物の徹底除去
・不審物の有無
・閉園後の室内の監視体制の強化
素人が思いつくだけでもこれくらいは最低限必要です。
「発火すらさせない」という高いレベルの厳しさが求められるはずです。
警備員の「施錠していたから正殿内は見回っていなかった」と取られる発言や室内火災で迂闊に外気に触れさせる行為をしていたり等、とても万全の体制であったとは言えない状態が透けて見えます。
県知事のまるで災害にあったかのような被害者スタンスのコメントもたいへん気になりました。
周辺住民への謝罪をひとことで済ませ、延焼を食い止めた消防の方々への感謝の言葉もなくただひたすら「アイデンティティ」だの「再建に全力」と言われましても空虚な言葉にしか聞こえてきません。
どんな原因であるにしろ間違いなく存在するのは国から移管された国定公園をわずか一年も経たないうちに消失させたという現実です。
その責任をどう取るのか、「再建に全力」と宣言するのであれば国に泣きついて防衛予算に手を付けて基地反対派や地元マスコミの反感を買う覚悟くらいはみせてほしいと思っています(無理でしょうけど)
個人的に楽しみにしていた奥武山サッカースタジアム計画はおそらくこれで凍結でしょうね、本当に残念です。
投稿: しゅりんちゅ | 2019年11月 1日 (金) 11時38分
文化財としての建築物などでは消火設備は景観を損なうものして嫌がられる向きもありそうですね。しかし、無くなってしまっては元も子もない。日本中に無数にある伝統的建築物の防火対策について一石を投じることになったように思います。
失ってしまって初めて首里城が意外と大きな存在だったのだと気づきました。そういう存在になったのは髙良倉吉先生たちの「資料のないものは創らない」という徹底した実証主義の下に再現が果たされたからだと思います。失ってしまったことは残念至極ですが、これを機に伝承作業が活発になることに期待したいです。
髙良倉吉先生の言葉に希望を見出すことができました。
「戦後の沖縄復興の象徴だった首里城 復元に尽力した歴史学者が継ぐ思い」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/491959
「焼失した首里城を今後どうするかは行政上の課題だが、仮に再び復元することになれば、今度はゼロからの出発ではない。三十数年かけて蓄積した資料や情報がある。人もいる。国営公園としてどうするのか、今後を見守りたい。」
しかしながら、山形さんややもりさんがおっしゃることも然り。
王侯貴族なんて欧州でも搾取階級ですわね。それでも大概の国民は王朝文化を含めて自国の伝統文化は好きでしょう。先島は複雑ですかねぇ。
投稿: クラッシャー | 2019年11月 1日 (金) 12時32分
私も早朝のテレビを呆然と見ていました。確かに悲しい出来事ですが、管理人さんの仰るとおり首里城が県民の誇りであるならば、県や県民、世界のうちなぁんちゅ等県の関係者を中心に誇りを持てる首里城再建に向けて努力するべきです。
知事コメントを今か今かと待っていましたが、韓国からの無言の帰沖でようやく午後2時ごろ会見を開いたかと思えば被害者顔して再建を政府にすぐさまお願いだとか、やはりというか心底ガッカリしました。本当にあのお方はア〇です。
去年の夏に首里城に行きましたが、本殿内部に高見台のような畳間の部屋があり、壁のコンセントには観光で来た中国人のスマホが2箇所接続されていました。何かを抜いて接続されたスマホは畳の上です。近くの廊下の突き当りに警備員が居ましたがどうやら容認されている様子だったので何も言いませんでした。
ここからは私の憶測ですが、それらの機器等が放置されていたとして過充電で発火というのもありうるのではと思ったりします。沖縄では今でも熱中症対策用に携帯型の扇風機が外出時必携だったりしますのでスマホに限らず充電したい人は多いのではないかと・・。
いずれにしても全国的に災害に見舞われている日本、まずは人命と生活基盤保証が第一で政府は沖縄のわがままに付き合う必要はないです。
投稿: なびー@沖縄市 | 2019年11月 1日 (金) 12時58分
たまたま、拝見しました。失礼を承知で苦言を呈します。
まず、憶測でいろいろと書き連ねるのはどうかと思います。
県予算の無駄遣いや、社屋の売却云々の話は別次元の問題です。再建に必要な金額なども想像で書かないで頂きたい。具体的な根拠が無ければパブリッシュすべきではない。根拠があるなら示して欲しい。
想定外を想定するのは、安全衛生の基本です。防火対策がお粗末だった事は明らかですが、スプリンクラーさえあればここまでならなかったという根拠はどこにあるのでしょうか。
再建に向けては、言われなくても最大限ウチナーンチュとしても努力しますし、『まずは国になんとか助けてもらうべきだ』という意見は私の周りでは皆無です。
アラフィフの法務省勤務者としまして、看過できず思わず慣れないコメント欄というものを書き込んでしまいました。
法務大臣の不祥事も身内として恥かしい限りですが、これまで何度も任命責任を言葉だけで逃げている人と、デニーさんの火事の責任とどちらが糾弾されるべきでしょうか。
投稿: | 2019年11月 1日 (金) 13時02分
国が金出さなかったら、知事デニーは中国様から金を引っ張ってくるんじゃないかな?結果焼けた首里城とは似ても似つかぬものが爆誕することになる。それを後押しするのは当然ながら在沖メディア。その時は「こっちの方が未来志向だ!」とでも祭り立てるのだろう。
投稿: 蛮 | 2019年11月 1日 (金) 13時59分
まあ管理が国から県に移行したとたんに防火設備や警備員の質が激変するなどありえません、ましてや管理団体も同じで。
一応防災訓練は行っていたようで、しかしなぜスプリンクラーなどなかったか、国管理の時から検証しなければならないこと。
実証主義にこだわるあまり、その辺がおろそかになっていたかもしれませんね。
また離島出身者の気持ちはそれぞれ複雑だと思いますが、私の祖父母(離島出身)は非常にショックを受けていました。
投稿: | 2019年11月 1日 (金) 14時16分
火災保険は入ってなかったのでしょうか?
投稿: 泰山木 | 2019年11月 1日 (金) 14時22分
山形さん
私ら宮古んちゅの感覚では、「県民のシンボル」とか「心のよりどころ」といったような新聞の一面に書かれているような気分はないですね。
下地市長は議会で、「誠に無念であり、言葉も出ない。県民の心のよりどころとして親しまれ、愛されてきただけに残念」と言ってますが、市民的にはちょっとオーバーに聞こえているよう。
そもそも私もそうですが、首里城へはガキのころ修学旅行でいっぺんこっきりしか行った事のない人が多いです。あの施設にノスタルジーも一切ありません。
かと言って、「あれは、離島差別の象徴」みたいな一時代前の左翼的ねじくれ言説も聞かれません。
ただもう、今はあの燃えっぷりに度肝を抜かれてます。そして、大事な観光資源・私たち共通の資産が失われたという認識はありますね。
それよりも、韓国訪問を早々に打ち切って、早速デニーさんは本土に「おねだり」に向かった由で、まあ何と節操がないと言うべきか。
県庁行ってる友人などに聞きますと、「辺野古の問題はともかくも、本土との関係は、ほぼほぼ上手く行ってる」と言う事のようでもあります。
篠原章氏が提出した沖縄県の重要な問題点は、政権の左右関係なく骨がらみに達しているようです。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2019年11月 1日 (金) 15時29分
お久しぶりです。それにしてもスプリンクラー設置がなされていなかったとは驚きを禁じ得ません。私もこのニュースを聞いた時は強い衝撃を受けました。しかし幸いにも本当の意味での文化財は無傷です。ここはポジティブに考えていくべきであると思います。志と強い意志さえあればたとえ何十年かかろうとも必ずや再建できるでしょう。前回の経験・ノウハウ・人材もあることですしね。あと県は徹底的に原因究明を行い、きちんとした再発防止対策を講ずるべきです。
投稿: 中島みゆき | 2019年11月 1日 (金) 17時08分
報道に違和感を感じます。地震で崩れた熊本城と同じ感覚になっていませんか。違うでしょう。これは天災ではありません。人が介在して起きた火災です。100%人災なのです。人災で失われた建物に対して、いきなり再建話ですか?
首里城の建物は文化財ではありません。ほんとうに沖縄の人達に慕われていた建物だったのでしょうか?ほんとうに沖縄の人達の心の拠り所になっていたのでしょうか?観光施設の一つにしかすぎなかったのではないでしょうか?
沖縄の人達は“一人前の大人”として扱われていません。沖縄県の管理する建物で、沖縄県が主催するイベントの最中に起きた火災です。どうみても沖縄県の失態です。
沖縄県だから、と手加減して報道されているのです。同情されているだけです。子供扱いされているのですよ。厳しいこと言ってもね〜と。
投稿: 九州M | 2019年11月 1日 (金) 21時26分
いつも多方面からの考察に恐れ入ります。
今回の火災の件ですが、首里城の管理が直前に国から県へと変わっているとのことでした。
国有施設であればある程度の線引きはありますが、国から県へ管理委託し、さらに県から民間へ指定管理者として管理を委託するかと思います。
今回の首里城は、これまでは国から直接指定管理者へ管理を委託していたかと思われます。(当方の調査不足でしたら申し訳ないです)
国から県に管理者が変わりましたが、委託先の民間の指定管理者が変わっていない。であれば、それまで管理していた国にも責任があるのではと考えます。
投稿: rom専 | 2019年11月 1日 (金) 21時50分