マンデラの夢と南アフリカ・スプリングボクス
いや、すごい試合になりましたね。もちろん昨夜の南アフリカ対ウェールズです。
まさに力と力、互角の戦いが最後の最後まで続きました。
日本を完膚無きまでに負かした南アについ肩入れしてしまいましたが、素晴らしい一戦でした。
https://news.jsports.co.jp/rugby/article/201903102...
この南アフリカチームをみていると、矛盾の塊です。
その矛盾が矛盾のまま眠らずに、力に変えているとでも言ったららいいのでしょうか。
キレイゴトではなく、いまも主力であるデクラーク、フィルミューレン、エツベスなど多くの選手がオランダ系で、彼ら統率するコリシは黒人初の主将です。
さて歴史を遡れば、オランダ入植者たちは、ボーア戦争で破れて英国人に支配されました。
いまでもオランダ系の人たちをボーア人(アフリカーナ)と呼びます。
ジャック・ヒギンズというアイリッシュが書いた名作『鷲は舞い降りた』には、英国に深い恨みを抱くボーア人婦人が、ナチスに協力してチャーチル暗殺を狙う様子が描かれています。
彼女に協力するのがアイリッシュでした。
今回のラグビーワールドカップを見ても分かるように、UK(連合王国)から出ているのはアイルランド、ウェールズ、スコットランド、そしてイングランドで、それぞれ一国として扱われています。
それぞれ力いっぱい自国語で国家を歌っています。下の写真はウェールズ語で国家を歌うウェールズチームです。
https://www.world.rugby/video/489766?lang=ja
さてこの虐げられたボーア人が初めて国の主導権を握ったのは1961年のことでした。
ボーア人の政党である国民党がしたのは英連邦離脱でした。
ですから、いまでも英連邦の枠組みに止まっているイングランド、アイルランド、ウェールズ、スコットランド、そしてNZ、オーストラリアなどは、南アから見ればなにを好き好んであんな衰退した帝国の枠組みにすがっているのか、といったところでしょうか。
コメンテーターに、英連邦内の戦いと言っているひとがいましたが、南アからすれば冗談じゃないといったところです。
むしろ今回の決勝戦はなんとイングランドですから、まさにボーア戦争の構図の再現です。
オランダ系の選手は口には絶対に出さないものの、あいつらだけには負けたくないと思っているでしょうね。
このボーア人たちがしたもうひとつのことは、あまりにも悪名高い黒人隔離政策でした。
この世界で最も苛烈だった差別政策をアパルトヘイトと呼びますが、あれはオランダ語です。
スポーツも白人がするスポーツと黒人がするスポーツとに別れていました。
サッカーは貧しい黒人がするもので、ラグビーは白人専用の競技だったわけです。
これを根底から打破しようとしたのはネルソン・マンデラでした。
マンデラが初の黒人大統領となってめざしたのが、黒人がかつてのボーア人のように新たな支配人種となるのではなく、人種融和でした。
彼はその夢をラグビーにかけます。
南アのラグビー代表チームを「スプリングボクス」といいます。
スプリングボックスが国のシンボルマークとして使用されたのは、1904年のボーア人によって建国されたオレンジ自由国のエンブレムからで、後に南アフリカ連邦にも受け継がれました。なおこれは英語のスプリングのように聞えますが、実はアフリカーンス語の"De Springbokken"でしたが、短縮されて"Springbokke"となったようです。
草原を優雅に走り回る野生の動物の名はステキです。
https://rugbyhack.com/2019/08/27/sa/ スプリングボクスのシンボルマーク
野生動物のほうのスプリングボック
しかし、スプリングボクスは当時三流チームは一流とはいえませんでした。
とうてい英連邦圏のオールブラックスになど歯がたちませんでしたが、それでも白人たちには強く愛されていたそうです。
しかし、それを見る黒人たちの眼には、スプリングボクスこそが、アパルトヘイトの象徴そのものとして写っていたのです。
もちろんスプリングボクスには、一名の黒人選手もいませんでした。
マンデラを熱狂的に支持した黒人層は、こんな白人主義の権化であるナショナルチームはさっさと解体してしまえ、いやラグビーなんていう白人のお遊びは止めてしまえとさえ叫んだのです。
それに対してマンデラは、そのようなことをすれば今度は白人が黒人に対して恨みを抱くことになる、それはかつてのボーア戦争や英連邦離脱がなにを生んだか見ればわかるだろう、むしろこの白人スポーツだったラグビーに黒人も参加して共に新たなナショナルチームを作ろうじゃないかと唱えました。
マンデラは抑圧の象徴だったラグビーを人種隔離の象徴から融合の象徴に変えることを目指したのです。
この彼の孤独な戦いはクリント・イーストウッドの『インビクタス』 にも感動的に描かれています。
マンデラと主将のフランソワ・ピナール ラグビーリパブリック
「1995年、歴史が大きく動く。
楕円球の祭典。人種間に大きな溝があった国に、『ワン・チーム、ワン・カントリー』のスローガンが躍った。白人への敵対心がぬぐえない人々に対し、南アの新大統領になったマンデラは、「スプリングボックスを応援してほしい」と精力的に説いて回った。
迎えた開会式。マンデラ大統領は前日のチーム激励の際にもらった緑のキャップをかぶってグラウンドに登場し、大歓声を浴びる。
最大の理解者に守られた選手たちは、国全体のために戦うことを誓い、一生懸命覚えた新しい国歌を誇り高く歌った。チームを後押しする声は日ごとに高まり、快進撃が続いた。
そして、決勝進出。6月24日、マンデラの長年にわたる努力と苦労は実を結ぶ。黒人も白人も、あらゆる肌の国民がスプリングボックスを応援し、ニュージーランド代表との激闘の末、南アフリカは優勝を遂げた。
表彰式、背番号6のスプリングボックスのジャージーに身を包んだマンデラが、大仕事を成し遂げた主将のフランソワ・ピナールに栄冠を渡す。
「ありがとうフランソワ。君がこの国のためにしてくれたことに心からお礼を言います」
「いいえ大統領、あなたがこの国のためにしてくれたことに心から感謝します」
会場は「ネルソン! ネルソン!」の大合唱。ピナールがカップを高々と掲げ、マンデラは笑顔で拳を何度も突き上げた。スタジアムのファンだけでなく、南ア国民4300万人の応援がもたらした勝利だった」(ラグビー・リパブリック 竹中清)
https://rugby-rp.com/2014/12/05/column/legend-man/10799。
この新生スプリングボクスの選手たちのジャージの肩にはマンデラが投獄されていた時の囚人番号「46664」が縫いつけられていました。
マンデラの囚人番号をつけたフランソワ・ビナール主将 ラグビーワールド前掲
今回、南シ代表チームが声高らかに歌う「虹色国家」は5つの言語で歌われています。
黒人運動で盛んに歌われた「神よ、アフリカに祝福を」(コサ語、ズールー語、ソト語)と、旧国歌「南アフリカの叫び」(アフリカーンス、英語)が編曲されて一つとなったように、それぞれ別の5つの言葉によってひとつの国歌を歌っているのです。
そして今スプリングボックは、大きな曲がり角に差しかかっているようです。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091600674&g=...
シヤ・コリシはこのように述べています。(上写真中央)
「マンデラ大統領はスポーツのクオータ制を支持しなかっただろう」
クオータ制とは、人種間の不平等を解消するため一定数をマイノリティー・グループに割り当てる制度のことです。
「クオータ制が必要な時期は過ぎた。南アの代表チームは多様で、パフォーマンスも良好だ」(南アフリカ人種関係研究所・マリウス・ルート)
コリシ主将は選手はその能力と力で選ばれるべきだと言っています。
しかし現実にはいまだに南アの有名スポーツ選手は白人が占めている裕福な階層が行く学校の出身者が占めています。
「ルート氏は「クリケットとラグビーでは少数の学校がトップ選手のほとんどを輩出している。これらの学校は良い施設、コーチに報酬を払うための潤沢な資金と、しばし誇り高いスポーツの伝統を持つ。南アの一流クリケット選手を生み出しているのは約40校だ」と記しています」(木村正人)
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20191020-00147673/
コリシがいうように、人種割り当てからも自由になった時、マンデラの夢が一歩近づいたのかもしれません。
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80年代中ごろから末期にかけて、南アフリカを訪れる機会が何度かありました。アパルトヘイト最末期のころです。スポーツでも政治でも南アフリカ云々と耳にするたび気になってしまいます。あの当時に彼の地に行けたことは私にとって大変な財産となってます。
投稿: 宜野湾くれない丸 | 2019年10月28日 (月) 06時20分
いやあ、スゴい試合でしたね。
どっちも固い固い!あれだけ互角の試合は珍しいです。
良くも悪くも「違い」を生み出したのがスクラムハーフのデクラークでした。
積極的で素早い潰しで何度も貢献してましたが(日本もやられました)、積極的過ぎてラックに突っ込んだせいでウェールズ渾身の同点に繋がるトライへの場面では、そのせいで相手が最後に1人余りました。
ずっと研究してオールブラックス対策をして見事に果たした、ジョーンズHCのイングランドは徹底的にマークしてくるでしょう。レベルがもう高すぎて。。
アフリカーンスの話は、90年代に英語の「超訳」で話題になった「ゲームの達人」でもかなり詳しく出てきて、主人公が辛酸を舐める前半の鍵になったところでした。
投稿: 山形 | 2019年10月28日 (月) 06時30分
ーしかし、スプリングボックは当時三流チームでした。ー
との表現だけではは、如何かと。確かに、アパルトヘイトへの批判の声が高まり、6カ国ラグビー等のすべての国際大会から閉め出され、弱体化したことは確かですが、それ以前のスプリングボクスは、オールブラックスにすら勝ち越していたほどの強力なチームでした。アパルトヘイトへの批判は避けられないとしても、この強豪チームを国際試合で見られなくなることを、大変残念に思ったものでした。
投稿: 元南相馬 | 2019年10月28日 (月) 07時29分
南相馬さん。すいません。確かに強豪の一角でしたね。
「一流とはいえない」に修正しました。
投稿: 管理人 | 2019年10月28日 (月) 07時36分