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2019年11月15日 (金)

宜野湾くれない丸氏寄稿 首里城は、メディア、アカデミズムがつくりあげた幻想であるとも言える

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 宜野湾くれない丸さんから寄稿を頂戴しました。ありがとうございます。

頂戴した記事にあった首里城の城壁の曲線についてですが、私見をいえば、そもそも軍事施設というのは、軍事的合理思想と美意識の融合なのです。
日本の城砦も同じです。
現代では軍艦や航空機などにも、民族の美意識と合理性が共存しています。
どちらがではなく、その双方の接点なのです。

たとえば、城壁の積み上げ方は、矢や銃で撃つ場合に死角ができないように配慮され設計されています。
だから本土の城壁は複雑なジグザグを成しています。
首里城も同じで、王府を防衛する軍事施設である以上、簡単に攻め落とされては困ります。
ですから、わざわざ建設に困難であるが攻めにくい山の上に作っています。
王府の権威を見せるためだけなら首里の市中に作ればいいのですが、あえて石材を運搬するのに大変な山の上に持ってきたのは攻めめにくくするためと、海に向かって権威を誇示するためだと思います。

また下写真2枚のように城壁を高く築いて、いざという時に場内に敵を入れないために入り口を極度に狭くしています。
また入り口の上には上から攻め手を攻撃できるやぐらも設置されていますし、城門脇を高くして抱え込む形になっているのは横矢を撃つためだと思われます。

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今回、消防車が入れなかったのはこの
城壁に妨害されたからです。
城壁も、曲面で構成することで攻め手の逃げる場所を封じています。

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https://www.flickr.com/photos/95528214@N08/3883555

この軍事的合理性で作られた城砦を、固有の美意識で建設すると、かたや角張ったものとなり、かたや局面を多様することになります。
ただそれだけといえばそれだけのことですが、その美意識の側だけ取り出すと、「沖縄は優雅な曲線だが、本土は戦闘的な鋭角的だ」という無意味な比較に走ってしまうことなります。

さらにこれを平和イデオロギーに接着すると、「平和的な琉球王国vs好戦的ヤマト」という沖縄タイムス好みの記事になります。
一回、こういう色眼鏡から離れて沖縄の歴史を見てみませんか、という宜野湾くれない丸さんのご意見はまさに卓見です。

                                            ~~~~~~~

  ■首里城は、メディア、アカデミズムがつくりあげた幻想であるとも言える
                                                                             宜野湾くれない丸

「沖縄研究には沖縄観光の集客のための戦略が色濃く影を落としてきたのではないか」、とは吉成直樹氏(法政大学沖縄文化研究所元所長)の言葉です。
昨年2月、ある出版社のホームページに掲載された約1,600字そこそこの簡潔なレポートの冒頭にこのフレーズがありました。
それ以来、私はこのフレーズに引っかかっていました。
何故ならば私が肌で感じている「沖縄の違和感」がここに凝縮されていたからです。
氏の沖縄に関する文献は、よく知られている沖縄・琉球の歴史観に「一石を投じる役割」を持っているという感想を私は持っています。
だから私の中でバランス感覚を保つという意味あいもあり、氏の文献は毎度興味深く読ませて頂いています。


「あるひとつの論説に、対極する論説が出てくる」ということは、アカデミックな世界において大変に建設的で健全なことであると同時に、歴史を背景に生きる「生活者」としても重要なことであると思います。
つまり「偏った見方や考え方」が行き過ぎると、不健全になってしまいバランスを失ってしまった自身にさえ気が付かない不安定な状態となってしまうからです。それが自身にとって「幸」なのか、「そうではない」のかはまた別の話として・・・。


吉成氏のレポート詳細は以下のサイトをお読み頂ければと存じますが、氏の言わんとするところは、1975年以降に始まった沖縄観光キャンペーンのことを「ここで注意したいのは、行政、沖縄県民、メディアとともに研究者も一体となって推進された点である』(※)という
ことであろうと私は理解しているし、私自身そう感じています。
https://www.7gatsusha.com/column/182/


具体的には、このフレーズの「研究者も一体となって」という点が私の「違和感」を醸し出すところなのです。

適例かどうか疑問ですが、直近のことなので一例を挙げると、首里城消失後の11月4日のタイムス「大弦小弦」で県立博物館・美術館の前館長、安里進氏の言葉を引用しながら、「直線は緊張を生む。あえて逃げ道をつくり、緊張を避ける琉球独自の美意識が育った。城壁も緩やかな弧を描く。角が鋭い本土の城壁とは対照的だ」(阿部岳記者)と書かれています。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/493286


一方で、吉成氏は「グスクの特徴である美しい曲線を描いた城壁を作ったのも、防御のための工夫だった」(「琉球王国がわかる」107頁)と述べ、更に「鉄が農具のために使用されることはあまりなく、そのほとんどは武器か武具の製造に回された」とも述べています。(同107-108頁)。
城壁ひとつをとっても「曲線美を強調」する見方と、「敵からの防御策」として「工夫」した結果だと述べている相反する論説です。
どっちが正しいのか?どっちも正しいのか?専門家でも「分からない」ということなのでしょうか?
例えば、この両者について、どっちから一方の声が大きく、しかも政治・メディアがバックアップする勢力が背景にあったとすれば、おそらく「そちらの論説が主流となってしまう」わけです。
これは「県民の不幸」であることには違いありません。
逆に「幸」とするのは一体どこの誰なのでしょうか?


このような「相反する論説」が多いのが、これまた沖縄関連の特徴でもあります。
特に歴史の分野において多い気がします。
歴史の素人、一般市民、生活者から言わして頂ければ、そのような場合はなぜ「論議をかわさないのか」不思議なのです。
なぜなのか白黒をハッキリさせろ、と強調するのではありません。
少なくとも「そういった相反する論説が存在する」ことを一般人としては「理解」したいだけなのです。それは「偏った考え方」に陥らない為の方法論としてなのです。
「あー、この件は色んな見方、言い分、研究成果があるよな」という状態が「精神的健康」なのです、少なくとも私にとっては。


ブログ記事にも掲載されてましたが、上記にあげたような小さな「相反する論説」が重なり続けた結果、「平和国琉球」という「偏った幻想」が広がっていく原因となっていることは事実です。小さな積み重ねが、その後の大きな溝となって噴出してくるのです。

ましてや、歴史観と政治は切っても切り離せないほど密接な関係性と危険性をもってます。
「利権」や「イデオロギー」的な問題も絡むからなおさらです。
であるからこそ「バランス」が必要不可欠なのでは?判断基準となる「バランス」なのです。つくづくそう思います。
歴史家や政治家、経済人、教育者が講じる「歴史」なるものは、はてさて先ずは「疑ってみる」ことが第一なのだろう、と。
そして自身のリサーチでこの「判断基準」を構築していくことが、「今を生きる者」として第一義なんだろうという事を痛切に感じます。


不謹慎な言い方ではありますが、「首里城消失事件」は私にとって「様々な見方・考え方が浮き出てくる絶好のチャンス」でもある、という思いがあります。
それは「県民の為の県益」を取り戻すことに繋がると。
「復元ありき」で進行する風潮に「今一度立ち止まって考えてみましょうよ」と感じています。
先に挙げたタイムス「大弦小弦」で安里進氏はこうも述べてます。「

再建は急がなくていい。左右も上下もなく、多くの県民が参加できるようにしてほしい」。また、以前の復元に尽力された高良倉吉氏もテレビのニュースで同様な発言をされてたと思います。

「国益」「県民益」を考えましょうよ。観光施設として27年間働き詰だった首里城の役割は「そんなものではない」、と私はそう思ってます。
大切なものであればあるほど。

 

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コメント

以前、プラント建設現場で石垣職人近江穴太衆の末裔?氏(一応土木技術者)から話伺いましたが、「石材の石質は石垣の外見にも影響与える」ような事言われてました。

材質の硬度表すモース硬度では花崗岩(御影石)6.5、安山岩5、大理石(石灰岩)3とかなり硬度異なります(ダイヤモンドは10)

私は詳細迄は解りませんが沖縄のグスクの石材は石灰岩が多い(らしい?)から、火成岩たる花崗岩等で出来た本土(九州人には違和感有る表現)の石垣よりその素材の柔らかさが建造物全体に表れてるかな?って考えました。

尚、第二次大戦の戦車でもロシアのT34はその傾斜装甲でドイツの3号4号に優位に立ちドイツはそれを取り入れた5号を投入してるから単純に見た目のみで物事考えて良いの?とも考えてしまいます。

うん。まず対案とか対論が出てきて議論するのは実に健全なことです。
でないと、いつのまにか極論が引っ張る流れに自分が飲み込まれそうにもなります。
地元の方からこのような意見が出るのは必然にして当然なのだと思いますね。

Siさん。
石の加工性ってのは重要ですよね。離島ではとうぜんながら珊瑚の残りの石灰岩が多くなるのは分かります。
本土でもやはり産地によって戦国~江戸~明治と産出性や加工性と技術向上による栄枯盛衰がありますね。鋸山が衰退して大谷石があれだけ掘られたりです。
私の地元でも幕末から明治期に「石」の産出地変わってますしね。技術が進むと硬い花崗岩になります。
戦車装甲にしても、まあ厚さだけじゃなく形状も当時は重要でした。今は貫通弾と複合装甲ですからカクカクしてますね。。

おっと、忘れた。

歴史的必然ですが。。
九州では「本土」という意識が当たり前ですよね。
これが同じく海峡1つ隔てただけの北海道に行くと全く違います。
東北からの旅行客でも「山形ナンバーなんて初めて見ました。本土からいらっしゃったんですか?」と聞かれて驚いたことがあります。20年以上前ですけど。。

同じひとつの事柄も、立場によって見えている景色も物差しも違う、なんてよくあることなので、物事をより複数の面から見て考える作業はラクなことではありません。
材料を得る度に見るべき世界が拡がって、とっちらかっちゃって、思考に終わりがないような気持ちになります。
それだけに、無理くりでも1つに決めてしまう方が、従わせたい側も従う側もラクだということで、ここに大きなバカの壁、もしくは落し穴があるわけですね。
ある言説について、それの何処が明確なエビデンスまたは通説たり得る客観性を備えたもので、何処が話者筆者自身の主観なのかを切り分ける習慣なり理解力なりが無いと、質の悪い言説を産み、それが流布することになります。
騙したり騙されたりしたくないならラクをしない、これに尽きます。
幸いにも今は、比較が容易に可能なネット時代ですからね。

さて、「平和を愛する琉球王国」という価値観で1択化するには、本当にそうだろうか?と思う話に事欠きませんよね。
戦争で中山を滅ぼした尚巴志が父親をあらたな中山王にしたのを始まりに、北山次いで南山を滅ぼし、沖縄島周辺の島々と奄美を武力制圧、その後権謀術数渦巻く護佐丸・阿麻和利の乱を経て、尚家の世子がいたにも関わらず、血縁関係が無い家臣であった金丸が即位して尚氏を名乗って尚円王となり、それまでの尚家は滅ぼされました。主謀が誰であれ、クーデターによって成立したのが所謂第二尚氏ですね。
そして第二尚氏は先島諸島を武力制圧しました。
これらはどう見ても平和を愛するどころか酷い話ですが、後世の我々が平和な心で客観的に見るならば、あれはそういう時代で「も」あったのだと思うしかありません。
「平和を愛する琉球王国」1択の人たちは、第二尚氏下の琉球王国が薩摩支配や琉球処分の被害者である見方のみをクローズアップして、望む結論から逆算しているように私には見えます。
所謂第一尚氏時代と第二尚氏成立の経緯と圧政は無かったかのような扱いで、首里玉陵にあるのは第二尚氏の墓だけ、第一尚氏の墓はそれに比してひっそりとして冷遇されています。
途中から赤の他人が尚氏になっている王家の正統性を含めて、沖縄の「誇り」や「祖霊崇拝」とどう整合させられるのか、あるいはどう欺瞞を取り除けるのか、私はそんなことを考えています。
「様々な見方・考え方が浮き出てくる絶好のチャンス」ということに私も同意します。
ただ、そのチャンスを掴める人と掴めない人があるでしょうけれど。

宜野湾くれない丸さんの記事は含蓄に富んで考えさせられます。確かに官民学一体となって観光に向かっていったところはあるでしょう。それが更にあからさまになってきたのは翁長知事誕生前夜のように思います。

かつての平和の島国琉球はこうであったあったはずだ、こうでなければならないとメディア、行政、(御用)学者まで総動員して沖縄の歪んだ空間が作られてしまったように感じます。高良倉吉先生達が「失われた有形の文化」を徹底した実証主義のもとに行ってきた業績を踏みにじるものだったのではないでしょうか。

今こそ、琉球の歴史を改めて県民ぐるみで見直す機会としたいものです。あくまでエビデンスに基づいてです。

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