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2019年11月21日 (木)

osyou氏寄稿 沖縄と先島 ~ 首里城火災に見た歴史観と政治観 ~

034

八重山在住の osyouさんから寄稿を頂戴しました。ありがとうございます。
私は首里城炎上事件について多様な視点を持ちたいと思います。
掲載にあたり、原文を忠実にアップし、流れを大事にするために一括掲載といたしました。

                                                                                           ブログ主

                                                 ~~~~~~~

沖縄と先島 ~ 首里城火災に見た歴史観と政治観 ~
                                                             osyou

10/31の早朝、スマホの画面を確認すると、県紙の速報が配信されていた。
「首里城から火」「正殿が激しく燃える」
題字とともに目に飛び込んできたのは業火に包まれる正殿の画像だった。
NHKの速報動画をスマホで確認してみる。
素材のイヌマキの良さなのか、宮大工の匠の誉なのか、いつもの威厳を保とうとして、漆黒の闇に屹立する紅蓮の炎に包まれた正殿は、「朱塗り壁の赤瓦」普段の豪奢な王朝絵巻を離れ、
妖艶な美を醸していた。
美しいものが最後まで美しくあろうとするかのように。

首里城焼失後、政府はその日のうちにいち早く支援を明言した。
現場検証も終わらぬうちに、韓国への観光誘客トップセールスから帰沖後、飛ぶように上京した知事をはじめ、沖縄選出の超党派国会議員団等が政府や与党幹部に支援要請をする様を、県民は元より他府県の方々はどのような心境でその姿を見ていたのだろうか。

焼失後、県内マスコミを始め、SNS上では当然のように「首里城一色」の記事であふれた。
「沖縄の魂が燃えた」「誇りを失った」といった悲哀に満ちた言葉が飛び交う。
悲壮なほどに打ちひしがれる県民の声を目の当たりにして、軽く驚きを覚えた。
「首里城とはそこまで愛されていたのか」と。
ただ、私の考えを述べれば「象徴としての復元首里城」が燃えたことは残念には思うが、沖縄の魂が燃えたとは思っていない。
沖縄の魂は神や先祖に祈りを捧げる各地域の伝統行事や祭祀にあり、誇りとすべきは三線や舞踊をはじめとした伝統文化を継承してきた先輩方や、次世代に残そうとする若者達、そして何よりその文化の中で生きるオバアや子供達の笑顔こそが「沖縄」なのだと考えている。
そもそも首里城が復元されたのは平成4年で私の少年時代に首里城は無い。小学校の修学旅行で那覇に行った折に見学したのは守礼の門だけである。那覇住まいならまだしも、離島域に住む30代後半以上の世代には首里城は全くと言ってよいくらい馴染みが無いのである。
しかしながら、あの華麗な建築物が一夜で灰になる喪失感は理解はできる。特に首里城近辺で生まれ育った30歳前後の若い人たちは、離島住まいの私などよりは遥かにショックを受けられた方がいることには心を痛める。

閑話休題。
私の住む石垣の友人知人たちのSNS上でもその焼失を悼む声が多数確認できた。
もっとも、SNSで普段から記事を投稿する面々はもちろんこの事件を投稿するのだが、逆に普段記事を投稿する方々でも首里城関連の
記事を投稿しない方々もいた。ショックのあまり投稿できないのか、はたまたシェアしたくなるような思わず膝を打つような意見が無いのか。それはまるで「スルー」するかのように感じられた。その後、SNSのタイムライン上が「首里城募金」の投稿記事で埋め尽くされるまでにそう時間はかからなかった。

そんな折、こんな声がチラリと友人から聞こえてきた。
「寄付の動きがあちこち出ているけど、先島人頭税搾取の象徴たる首里城には、八重山郡民として心情的に募金は出来ない」という声がある、と。
これには軽く衝撃を覚えた。
保守系筋の方からこのような声が聞こえてきたからである。
恐らくだが革新県政の玉城知事に金をビタ一文出したくないが、それを表立って言うことはできない。歴史観と政治観、二重の拒否理由が相まって「先島人頭税」が顔を出してきたものだと推測される。「先島人頭税は現代にまで陰を落とすのか」と思わず唸った。
石垣島では比較的革新寄りとされる八重山毎日新聞。11月16日付の 名物コラムでもこのように書いている。「
首里城はかつて、先島にとって圧政の象徴であった。」と。

事実、私自身の中にも複雑な感情はある。
先島と首里は過去に人頭税があり、更に遡って八重山は首里王府に対し、大浜の豪族オヤケアカハチが反旗を翻した過去がある。
また、郷土の詩人「伊波南哲」の作品「長編叙情詩オヤケアカハチ」から脚本が書かれたアカハチが主人公の子供演劇は石垣島では大人気だ。無論、子供たちの熱演の素晴らしさもあるのだが、アカハチと王府、小さな島を舞台に繰り広げられる物語は、島の人々の(ささやかな)判官贔屓を起こすには十分過ぎるほどなのだ。
それらの過去を考えた時、僅かとはいえ、仄かに暗い感情が頭をもたげてくることは否定はしないし、件の保守系の方の気持ちも十分に理解できる。

しかし、そのような声があるのを承知で、自分自身に言い聞かせる為にも敢えて言う。
「奇貨居くべし」と。
秦の政治家、呂不韋が言ったとされる言葉である。
近年、何かと暗くなる事件や事故が多い沖縄。
左右葛藤のみならず、沖縄県と政府等、何かと対立をする構図が喧しい昨今だからこそ、首里城再建に向けて、できうる限り大同団結するべきであろう。首里城は確かに沖縄の栄華の粋である。光が強く当たるからこそ、先島にも陰は落ちるが、沖縄における「物語」の象徴でもある。故に私はこの言葉を肝に銘じたいと思うのだ。

ただ、原因究明と責任の所在だけは徹底的にするべきだ。
関係者の処分は難しいと思う。あれだけ莫大な時間とお金をかけた建築物の賠償など無理だ。昨今のネット上での集中批難を考えると、それもまた酷である。むしろ、管理責任者として県知事が頭を垂れ、県関係者の謝罪はあって然るべきではないだろうか。
県紙は2022年までに玉城知事が再建計画策定を計画していると報じている。
仮に本土復帰50周年の目玉にしようというのであれば、話は綺麗だが復帰50周年の秋に知事選を迎える為、知事選への弾みと受け取られるような野暮はよした方が良いと思われる。
特に県紙と政治家の方々に強く言いたい。首里城再建まで「政争の具」にするべきではない。
「県民の誇り」とまで言い切るのであらば。

首里城復元のためにその人生を賭してこられた高良先生が御年72歳。
復元工事が始まった当時は、30代の働き盛りであられた。
今、30代、40代の私たち沖縄の中堅世代が生きているうちにでも再建できればそれでいいではないのか。左右葛藤を乗り越え、先島と本島の対立を乗り越え再建する。先の八重山毎日新聞のコラムも人頭税の過酷さを断じながらも結びにはこうある。
「そういう歴史も内包していることを踏まえつつ、早期再建を望みたい。」これには私も同意する。
それでこそ真に「球陽」のシンボルたりえる。

あえて「琉球のシンボル」と呼ばなかったのには理由がある。
私は「琉球」とことさら強調する呼び方は敬遠してしまう。
当ブログ宜野湾くれない丸さんの記事(11月15日付)にあったように、

>>「相反する論説」が重なり続けた結果、「平和国琉球」という「偏った幻想」が広がっていく原因となっていることは事実です。小さな積み重ねが、その後の大きな溝となって噴出してくるのです。

「琉球」と人が語るとき、特に政治家やマスコミが語るときにどうしても「政治的なマジックワード」になってしまっている現実があるように思われる。
同じ理由で敬遠する言葉がもう一つある。それは「ウチナーンチュ」だ。
故翁長知事は「イデオロギーよりアイデンティティー」と説いた。しかし同じ文脈で「ウチナーンチュ」を語ってしまった結果、「ウチナーンチュ」という言葉の政治言語化を決定的にしてしまった。20世紀におけるシオニズム同様、「レキオイズム」と言っても過言ではないだろう。ウチナーンチュという言葉はもはや「思想」に近くなってしまっているのだ。
沖縄県民は郷土愛が強い。私の親の世代は「沖縄人はうるさい」と本土で言われたこともあるかたもいる世代だ。しかし今や沖縄の文化はBEGINや安室奈美恵などのアーティストの活躍もあり、90年代以降その個性を誇れる時代になった。しかしそのアイデンティティーを強調するあまり、県民自らが無意識ながらも本土との違い(線引き)を鮮明にしている。それをマスコミや一部政治家の手によって分断の溝を深く掘られてしまい、利用されている現実があるように思われる。この現象を沖縄の保守陣営は認識すべきだ。
話を「琉球」に戻す。
先に挙げた理由から私は「琉球」という呼称を敬遠してしまう。琉球と王国(王府)はセットになってしまいがちだからだ。
この言葉を首里城再建の文脈で語られた時、先島の住人は「本島との溝」を感じてしまう人間は少なくないはずだ。そこでもう一つの伝統的な美称「球陽」
という呼称をあえて使いたい。

最後に、私は八重山人(エーマンチュ)であると同時に、沖縄県民であり、日本人だ。
無論、同県人として沖縄に対する同胞意識は強く持っている。興南高校が甲子園で春夏連覇を成し遂げた時は飛び上がるほど嬉しかったし、
沖縄水産が夏の甲子園決勝で涙を飲んだときは涙が止まらなかった。橋本モンデール合意の時などは「ようやく山が動いた」と高揚したのも覚えている。
ただ、沖縄本島のマスコミや革新政治家が繰り広げる「対政府与党戦」の政治ショーに付き合わされることには辟易する。先島住民だけでなく、
久米島も含んだ本島以外の離島圏域自治体の本音はここにあると思う。
沖縄本島の政治家やマスコミが「ウチナーンチュ」「琉球」を強調するとき、それは本土との溝だけでなく、
自ら先島との溝を掘っている行為であることにそろそろ気づいてもいいのではないだろうか。それが政治言語として使用された時、(
少なくとも私は)500年前のアカハチの無念と、人頭税の悲しみに嘆息を覚えるのである。

再度申し上げる。「奇貨居くべし」と。

結びに当たり、この場を与えてくださった管理人様に感謝をいたします。
文末に、同じくSNS上で見つけた、沖縄本島の方の投稿記事抜粋を貼って結びとします。

                                                                                                                                                                                             あ「ある友人が言っていたんだけどもさ。
建築用の木材を調達するために山原に植樹公園をつくる。突貫工事ではなく一つ一つ心を込めた作業をするために、そのための琉球宮大工職人を育てる。
そこにお金をかけてみるって、おかしな話かな?
もちろん時間はかかるよ。植樹して木材になるまで数十年はかかる。もしかしたら100年ぐらいかかるかも。
でもそれでいいんじゃねぇの?
その時、今この島に生きている人間は誰も生きていないかもしれない。我々はもうあの朱色に輝くお城を見ることはできないかもしれない。
でもさ。
未来に夢を託せるじゃん。
これからこの島で生まれ育っていく、まだ見ぬ子供たちに「琉球人」としての誇りを手渡すことができるじゃん。この島でしかできない仕事をうけついでもらうことができるじゃん。

時間とともに金もかかると思う。だからさ、100年かけて県民みんなで貯金するんだよ。今この時も既にたくさんの人たちの善意が集まっていると思うけど、その善意にさ、政治色のついた、なにかと引き換えにされそうなお金はくっつけないほうがいいと思うな、俺わ。県民一人一人が小さくても積み上げた気持ちを、次の時代の首里城に託そうよ。
100年かかろうと200年かかろうと、大丈夫だよ。琉球王国の思いは決して死なない。この島に住む人たちが先人に恥じないよう、胸を張って生きていくことができれば再建に要する時間がどれほどかかっても、大丈夫。むしろそれこそが俺たちが首里城に込めた思いだったはずじゃん。

どんなにお金をかけてもどんなに時間をかけても崩れ落ちる時は一瞬だって、あの正殿が身をもって教えてくれたからさ、だから時間は問題じゃない気がするんだよね。
中島みゆきの『命のリレー』はこんな言葉から始まる。
「この一生だけでは辿り着けないとしても命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ」
これじゃない?
県民一人一人が心を同じくして優しい気持ちで見上げられる首里城をつくる。その為には今、この島に山積する問題を片づけて、次代に引き継ぐのは琉球王国の誇りだけでいい、そう思わん?」

                                                                                 令和元年11月18日 osyou

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コメント

言い方は悪いかもしれませんが「周辺部」からの貴重な視点だと思います。私は「奄美」という「琉球王国の周辺」、「米統治下時代の周辺」、「鹿児島県の周辺」、そして「琉球文化の周辺」と、あらゆる場面での「周辺」なのですよね「奄美」という島々は。その奄美の中でも「親分的」な島とその周りの島々がある。「周辺」からは「中心」が比較的よく「見える」と同時に様々な「思いを抱いて」いるものです。

北の端に登場した太宰治と南の端に登場した西郷隆盛は、同じように「良く見えた」。北は「心の中を」、南は「国の行く末」が良く見えた・・・とはずいぶん前に誰かが話してました(名前は忘れました、失礼)。

>漆黒の闇に屹立する紅蓮の炎に包まれた正殿は、「朱塗り壁の赤瓦」普段の豪奢な王朝絵巻を離れ、
妖艶な美を醸していた。

なるほど、当日まだ明けない早朝、いつものようにつけたテレビに映し出された首里城を見て呆然としながらも不謹慎ながら「美しい」と思った私がいました。何度映像見ても美しいです。同じ思いので見ていた方が他にもいらっしゃったとは。

沖縄の魂や誇りに関するお考えや「琉球」という言葉に対する嫌悪感、「うちなーんちゅ」という言葉のひとり歩きに対する憂いなど共感できる内容が殆どでした。

今回消失した首里城に関する思いは人それぞれなので、私も含め私の周辺でも話題にすることは殆どありませんでした。政治や宗教の話題は職場でできないのと同じで。

ちゃんと沖縄の魂がこもった本当の首里城再建を未来に託すという友人の方のご意見、大賛成です。

osyouさん、示唆に富む記事ありがとうございます。

私は県民投票のCMが大嫌いでした。沖縄(うちなー)のためにというフレーズの背後に、沖縄(だけの)ために、さらには沖縄(本島だけの)ためにという意識が透けてみえるように感じられたからです。

なるほど、「レキオイズム」、これだ!と感じました。これほど言い得て妙というか的を射たフレーズはないのでは。流行らしたいくらいです。

私も御友人の考えに賛同します。

「焼失前の首里城正殿がVRでよみがえる」
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1027941.html
当分はゴーグルでも貸し出して、これで見学できるようにでもしたらいんじゃないの、と思います。これも多少時間はかかるでしょうが、実物建てるよりは金も時間も手間もかからんでしょ。

見るものを魅了しつづけてなお未完。サグラダファミリアを思わせる話です。

良い文章を読ませて頂いたと感じました。

「先島人頭税搾取の象徴たる首里城」というような声は、内心は分かりませんが、宮古の保守的な人たちの間でも聞いた事がないです。

しかし、焼失した翌日はこそ別にして、(私の周りだけかも知れませんが)以降は全くと言っていいほど首里城の事は話題にもならず、再建の話も募金の件も出ません。

私はもはや首里城は鉄筋で建てるべきだと思います。
屋根なんかもガリバーかチタンの成型屋根で十分です。
たしかに観光資源としての首里城の再建は必要と思います。

けれど、文化の伝承とか、歴史や学問的意義のある観点は総じて沖縄県人の意識としては低いですよ。でなければ、ああもやすやすと燃やすはずもありません。
もちろん、あの安っぽいアイデンティごっこなんか政治的なものにすぎませんし、近年のブームが作り上げた創造物でしかありません。

大事な事は税金からの支出は極力抑えるべきだという事。
沖縄からのたっての願いで数千億かけて普天間の移設を行い、自ら失火を経て今度は観光のための再建を行うわけですから、保険金と寄付で賄うように工夫すべきです。
それで十分、近代的な施設ができると思います。

ところでデニーさんは所有権移転云々のジャブを繰り出しましたが、あれは引っ込めました。「言った主旨が違う」との事。
その裏には国の姿勢に満足した様子がありありです。そして、またもや国は沖縄に大金を突っ込む事になるのでしょう。

そんな事では多くの物言わぬ国民が沖縄嫌いになるのが当然に思え、その方がむしろ怖いと思えます。

識者や政治家が一括りに「沖縄の心」とかいうのとは違う、一人一人の郷土愛や暮らしへの思いが伝わる記事やコメント。
ここで拝読できることをありがたく感謝します。

うちの町内会で再建の募金を集め回っていましたが
今は色々と思う所があるのでやんわりとお断りしたところ
「どうして?」と顔をされました。

募金なんて個人の自主性からくるもので
けして町内会のメンツを保つためにやるものではない。
思いの強さや形は人それぞれ。
募金がどのようなルートで国管轄の再建資金に活かされるのかすら決まっていない段階にも関わらず窓口は作られ続々と集まる募金。
「なんか気持ち悪い」
と感じるのは私だけでしょうか?

・デニーは「500年前のアカハチの無念と、人頭税の苦しみ」を理解しているか?ギターばっかり弾いてないで知事として県内にそういう感情を持った方がいることを理解せよ!

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