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2019年11月24日 (日)

 山路敬介氏寄稿 「首里城再建問題」から~ 沖縄社会雑感

 

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首里城炎上事件について、ぜひまとまった山路さんの意見を聞きたくて、強引に寄稿をおねがいしました。
無理言ってすいませんでした。ありがとうございます。

今回は一括掲載いたします。

                                                           ブログ主

                                                       ~~~~~  

 
               「首里城再建問題」から~ 沖縄社会雑感
                                                                            山路敬介

首里城再建問題に関しては、ブログ主様はじめosyou様の記事のコメント欄ににて意見を述べていたのですが、そういうシラケ傾向の内容でも構わないので思うところをまとめて述べるようにブログ主様から要請がありましたので、以下に記します。

シラケた内容を皆様に読んで頂こうとは大変失礼な事のようですが、首里城問題は首里城再建問題に限らない沖縄行政の根本的な問題を含んでいて、どうかそういう読み方をして頂けるならば興味深い点もあると思います。
コメントの方で申しましたように私のところの宮古島では今、再建問題をふくめ首里城についての話題が上る事はまずありません。これは、歴史的経緯がどうとか、政治的問題云々の話ではなくて、要するにあまり興味が無いようなのです。この点は本土で心配される方々以下でしょう。

焼失時点で「沖縄のシンボルだった」とか、「心のよりどころ」などと言われても反発する向きはなかったですが、やはり本島は物理的にも心情的にも遠く、そういう温度差になってあらわれたと思います。
私自身にしてもそうで、かつて一度は首里城を訪れたといいましたが、あれは私の勘違いでした。
守礼門の前での集合写真が残っていたのでそう思い込んでいたのでしたが、あれは焼けた建物が出来る前の事でした。那覇に行ったときには遠目に見た事はありますが松山に通うほうが忙しく、首里城に立ち寄った事もなかったです。

ですが、首里城近隣の方々や本島南部の方々の痛みにはいたく共感します。そこにあるべきものが突然になくなったわけですから、その喪失感は相当なものでしょう。
ただ、新聞や政治家に「県民の心のよりどころ」とか、「県民のアイデンティティー」だとか、ある種「県民統合の象徴」のように集約されて言われると、これらは明らかに間違っているし、なにしろ気持ち悪くて仕方ありません。
単にリベラルらしいタテマエ的ウソっぽさがイヤというのもありますが、この「気気持ち悪さ」の原因は言うまでもなく、沖縄県の全体性気質を想起させ、集団帰属意識の延長線上にあると考えるからです。

だいいち、焼けた首里城が「県民のアイデンティティー」っだったというなら、戦災で焼けてから再建までの期間の県民のアイデンティティーはどこにあったのか?
後世の作り物にすぎない建物がアイデンティティーとはけったいで、偶像崇拝的じゃないのか? 等々、そういう愚問も発したくなります。 

焼けた首里城は文化的価値の高いものでした。高良倉吉氏などの学識のある方々の苦労の賜物です。栄華を誇った時代だけに焦点を当てた研究成果には言いたいことも山ほどありますが、それはそういうものと納得して思います。
しかし、考えなければならない点もあるのじゃないでしょうか。
あれを主として請け負ったのは清水建設で、国建など地元業者が協力して工事は行われています。桧の材料は余さず本土からのもので、何とかいうシロアリに強い沖縄県在来種の木材も県内調達ではありません。
大工工事は富山の宮大工があたりました。石材など台湾からの資材協力も欠かせませんでした。工事費はもちろん本土丸抱えです。わずかに赤がーらだけが県内製造です。

そうすると一体、「沖縄県のアイデンティティー」なるものは沖縄県だけが造ったものではありません。
むしろ沖縄県で失われたものは本土などでは大事に残されていて、かつ保存されていた事とともに、その協力体制に重要な意味があると言えるでしょう。それを「沖縄のアイデンティティー」だの何だの、権利意識に代表される流行の言辞を振りかざすのは間違っています。

歴史上、首里城は5回も焼けた事が確認されています。古い写真で確認される先の戦災で焼けた建物は、薩摩の指示と財力で賄われたものです。
それが焼けた跡地に琉球大学を米軍が建て、琉大の引っ越しで空いた所に先日焼けた首里城を建てたのです。
そういう地歴のある重要な土地柄ですから、イベントなどの開催にあたっては、もっと多角的な視野でみた催し物にしてもらいたいものです。

本題に入ります。
本土で沖縄社会の問題点を一番的確に知っている知識人は、あいかわらず篠原章氏です。辺野古問題など篠原氏とは意見が合わない部分も多々あるのですが、そうした方法論は別にして、「沖縄を識る」という事に関しては沖縄県人以上です。
橋下徹氏のように全く的外れで浅薄な知識をもとにした、誤った提言を立場に応じて繰り広げる芸能人兼用弁護士さんとは好対照です。
以下、多くの点で言論テレビ(有料部分含む)の篠原章氏と花田紀凱氏の対談からも参考にさせて頂いています。

まず首里城焼失の原因ですが、篠原氏は真相究明をのぞむ多くの保守派の方々が指摘するように「延長コード」にあるかどうか、これに疑問を投げかけます。確かにコードの焼失痕などを見るならば、そう言えるかも知れません。しかし、先につながっていたのが20W程度のLEDライトが二個程度では、そういう見方は出来ないのではないか?と言います。 

私もそう思うのは、琉球新報がアップしている美ら海財団の二時間あまりの会見(https://www.youtube.com/watch?v=J0S-_35x6EQ&t=90s)を何度か見直しているからです。
彼らの二転三転する受け答えとピントのずれた回答、特に財団の男性担当者はひどく、真相究明する意思の全く無い事、(冒頭でこそ頭をさげていますが)あの責任感など微塵も感じていない様子をみれば、なお隠すべき事があったり、曖昧にして決着を着けたい思惑を強く感じざるを得ません。
美ら海の担当者は収蔵していた文化財点数もまともに答えられず、搬出した文化財の状態も把握していませんでした。今も何がどれだけ焼けて無くなったのか、その発表はありません。

尚泰王の子孫は個人所有する文物が文化財指定された時に、それらを沖縄県ではなく、台東区に寄贈しました。
その後台東区から沖縄県に移管され、同時に尚泰王の子孫と沖縄県の和解がなりました。その中に今回焼失した文化財があったかどうか、それは私にはわかりません。しかし、当時台東区からプライドを賭けて取り戻す事をした沖縄県ですが、文化財を守る行政の資質には欠けているようです。

このような状態ではとても再建そのものに賛成できません。すくなくも「再建」など到底口にすべき段階ではないです。会見では、国の人間が県や財団を擁護している様子もみられ、あせりまくった美ら海財団はたわいもない質問も含め、一切まともに回答出来ていません。

国から県へと、全国でも例外的に管理を移行したのは、県からのたっての要望を受けてのものです。県の思惑は、国管理のままでは規則や管理基準やかましく、自由にイベント等での活用が出来ない事からです。
消防や県警ではいまだに原因を特定していません。その事自体が異常ですが、明らかにイベント関係者が国管理時代よりも遅い時間まで徘徊していた事は事実です。たとえば、イベント用品(仮装用の扇やヒモなど)が正殿内にしまわれていて、その出し入れが火災直前にもありました。そういう事が国管理時代からあったのか? こうしたいくつもの疑問が尽きません。

篠原章氏は、今後5年程度は再建せず放っておくべきと言います。
ですが私は沖縄観光業の継続的発展のため(というよりも、これから来る沖縄観光業の深刻な沈滞を少しでもやわらげるため)、やはり、早期再建は必要と思います。
それには観光者向けに特化した建築で十分で、文化財を安全に収蔵できるように鉄筋コンクリートでこそつくるべきです。

費用の面も重要です。もし焼失した首里城と同じものを作るのであれば、150億とも200億ともいわれる費用が必要です。火災保険で上限の70億円賄うとしても、あとを寄付金でたりるはずもありません。
しかし鉄筋コンクリートであれば、小型の博物館並みの近代的な設備をしても保険金と寄付で賄えるでしょう。防災設備も完ぺきなものに出来るし、管理も余程しやすくなります。

しかし、政府はすでに沖縄県と再建のための協議に入っているようです。
技術的にはともかくも、後詰めの100億円近い金を国費から捻出する事に国民的合意が得られるでしょうか? 
沖縄県の要望で数千億かけて普天間の移設をし、離党振興や県北部にあてられた国費からの補助金も莫大です。いくら日本の安全保障の根幹を担う米軍基地を多く擁する県だとしても、それを逆手にとった県の増上慢は許されるものではありません。

国が費用を捻出する事には、マスコミによって表向きは大方の国民的合意が得られたように映る事に出来るでしょう。
ですが、本当のところの大部分の「声なき声」、それらはすでに沖縄についての不満があふれ出るくらいのマグマとなって溜まっている事を県民は知るべきです。

いわゆる「沖縄嫌い」とか、「沖縄疲れ」が生じつつある事も自覚すべきなのです。
わが県がどれだけ他県に比して優遇されているか、そういう不公平感を国民の大多数が感じる事になれば、その時こそ何処かの誰かの思うツボです。

沖縄というのは奇妙なところで、赤がーらの職人にインタビューしたところ、最初は「当時の職人が他界しているので、同じものの製造はむづかしい」と答えます。県内で再建熱が高まってくると、その同じ弟子たちが「同じものが造れる」と胸をはります。

篠原氏はそういう場面もみて、「全国的に文化財は丈夫なチタン製屋根材だし、そういうものの方が安全だろう」と言います。そのとおりと思います。
 私の同僚のうち二人のパソコンの待ち受け画面が変わりました。赤々と燃えて崩れおちる寸前の首里城の姿です。どういう操作をしたものか私にはわかりませんが、たしかに美しく仕上がっています。
けれど、青空をバックにした在りし日の堂々とした首里城ではない事に軽く疑問を感じました。
今回の首里城炎上は「焼失したからこそ、その価値を増した」、そういう本質的な事を感じざるを得ない事件でした。


                            文責 山路 敬介

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コメント

山路さんの今回の論説、おおいに同意します。


あの大阪城でさえ、大正期の大阪人が管理のし易さ、火災防止ということで、
エレベーター付きの鉄筋コンクリートで再建されています。
なんでもなーなーの沖縄では、鉄筋コンクリが一番無難でしょう。


戦前、首里城近辺で奉公をしていた祖母の話では、
正殿は神社の社殿として使用されてはいたが、壁板が剥がれたりして荒れたまま、城内の一部を首里高等女学校が使用していたとかで、
それなりに使われてはいたが、当の沖縄というか、首里の人たちからも大事にはされてなかったイメージです。


山路さん、そしてosyouさん、
考える好材料を頂戴してありがとうございます。
osyouさんの寄稿の時にコメントしたかったのですが、機を逸してしまい、まとめてで大変失礼致します。

あの朝、火災の模様を伝える情報バラエティ番組をくるくるとザッピングしながら見ていました。
なのでどの局のどの番組かは失念していますが、首里のあるパン屋さんの名が聞こえました。
その名を聞いて私が思い浮かべる店と同一なら、私も何度か利用した有名店なので、そこの店の人へのリアルタイム電話取材だというから聞くことにしました。
火事への驚きの話などの後、スタジオから「首里城へはよく行かれますか?」との質問に、パン屋さんの人は「いえ、行っていません」と、あっさり答えました。
画面は火事の様子ですが、スタジオの質問者の反応の声に、戸惑いがありありと感じられました。
行っていない、そりゃそうだよな、と私は思いました。
あの首里城は、近隣の皆さんには日常見えている当たり前の風景の一部になっていたでしょう。
それがあのような形で急に無くなれば、悲劇的な気分は掻き立てられるし、喪失感もあるでしょう。
でもこれまで、日常見えてはいても訪れていたわけではないのは、まぁ普通です。
あのパン屋さんの人正直だ、と私は好感を持ちましたが、同時に、もうメディアからインタビュー依頼の声は掛からないだろうな、とも思いました。

或る「もの」の実物の有る無しがアイデンティティやら心の拠り所を証明したり担保したりするというならば、大切な物・者を失くした・亡くした人はいったいどうすればよいのでしょう?
それとも、首里城の建物だけが沖縄の人々のアイデンティティを保証できるというのでしょうか?
大切なものはそこに無くてもそこに居る・在る、そう思えるから乗り越えたり、心の規範にしたりしていける、そのようなことは世の中に幾つもあります。
「ものがあり続けること」が何より上位にくるというのは、神々の島沖縄、神々の島日本に馴染む考え方には、私には思えません。
いや、一神教の国々の皆さんだって、信仰する神以外にも、今はもうない人やものを心に持ち続けて、それが自分という人間を構成する要素のひとつになっていたりするでしょう。
建物の有る無しにあまりに早く、あまりに拘るのは、どうしても拝金や唯物の志向を感じます。

一方で、金は汚くもあり、大事なものでもあります。
いつの日か、防災と文化財保管がしっかりした形で再建するならそれでいいし、建物でまた稼ぐのもいいでしょう。
あの首里城のところに琉球大学があった時代、文教の「城下町」はそれなりに学生たちで賑わい、商店の利用もあったけれど、琉球大学が去り、観光客のものと言っていい首里城が出来てからは、客はレンタカーやバスで直接首里城に乗り付け、乗って去っていく。
多かったという中共人や韓国人客は、それぞれ中共人や韓国人が経営する店に行って飲食買い物するか、バスで大型ショッピング・モールに行って飲食買い物します。
県として首里城でまた稼ぐ、それが大事ならば、稼ぐことを望んでいるのに、仕組みからこぼされる地元の人々がないように、それは願います。

ああ、正直首里城に特段の思い入れの無い私には、これくらいが精一杯でありまする。

初めまして。
先だっては皆様の論評ありがとうございます。
山路さんの今稿でも書かれてる通り
>>リベラルらしいタテマエ的ウソっぽさがイヤというのもあります
>>沖縄県の全体性気質を想起させ、集団帰属意識の延長線上にあると考える

事件後の報道を見る限りは、私は前者の感が非常に強く感じられました。なので、情緒(報道)には情緒(歴史感情論)で返す、というアンチテーゼを目的に、SNSで投稿したものです。それに過去記事を含め、大幅加筆したものが、私の今回の論考になります。

歴史に関して言えば、「今更何百年も前の事言う人いるの?」と思われるかもしれませんが、実際に居ます。これはここ数年の実体験も元になっています。
個別の事を申せば長くなるのですが、一言で申すなら「首里人の気位」でしょうか。もちろん、一部の人なのは承知してますが、まさかこの身で体験するとは思ってもいませんでした。
ただ、私が歴史上の被害者論を持ち出すときはある程度限定してます。
「過度の本島からの同調圧力がなされた場合」に限ります。
極端な例を言えば
「私たちは何百年も大和や薩摩に虐められてきた。だから貴方も同県人なら分かるでしょ?」
的なことを言う人(実際はマスコミや政治家がほとんどですが)が居たら、「じゃあこっちも言いたいことがある」と。
しかしながら、私が「結び」に引用したように、若い人でも「琉球王国」「琉球人」という人がいるのも確かな事実なのです。(記事は結構シェアされてましたよ)

島でも各村々には事情があります。
首里との繋がりが深かったり、土着祭祀の禁止令(後に解かれましたが)や、間切りによる強制移住(野底マーペ伝説)など、過去の政策による反感があったりとか。
それらの出来事は今でも「古謡」として八重山に残っており、そのうちの幾つかは、南方にもかかわらず「北の哀調」で歌われ、また島の人に好まれています。
八重山は昔より「歌と踊りの島」と言われてきました。
今でも各村の御嶽で行われる各祭祀には、舞踊や歌などの芸能が神前に奉納されます。
それは本島でもエイサーやハーリー等、祖霊や神に感謝をする伝統芸能として残っています。故に拙稿では「沖縄の魂」と表現しました。

宜野湾よりさんがおっしゃるように、本島の人でも「全然思い入れありません」てあっけらかんにおっしゃる方も、私の周りにもちろんいます。
山路さんのおっしゃるように、鉄筋コンクリートの方が安全だと私も思います。私の記事のレスでこのようにも書かれていました。
「文化の伝承とか、歴史や学問的意義のある観点は総じて沖縄県人の意識としては低いですよ。」
その通りです。実際問題として、現代に生きる我々沖縄県民が、沖縄の伝統工芸品をどれだけ知っているのでしょうか?織物、紅型、焼き物など、土産物に活路を見出そうとしている分野を除けば、木工芸や漆芸などはほぼ絶滅危惧種です。首里城再建がそれらに活路を見いだせる形になればいいな、と個人的には思っています。

それと、「一般財団法人 沖縄美ら島財団」
本来なら、マスコミはここにスポットを当ててほしいと思っているのですが。。。

沖縄のこのような角度の意見が聴けるこのサイトのありがたさを改めて感じています。
首里城再建に関しての異様なまでのスピード感は「心のよりどころを失った悲しみ」よりも「消失させてしまった恥を一日も早く消したい」という思惑が見え隠れしていてとても同意出来ないのです。
再建計画を2022年の復帰50周年の目玉になどと直接な関わりの無いはずの那覇市議会が言い出した時にはそれは核心に変わりました。

首里城公園は奥まった路地の中に駐車場を作ったためピーク時の午前中は押し寄せるレンタカーと観光バスで毎日のように大渋滞を起こすキャパオーバー状態で、それに対する対策もロクにされてはいない状態でした。
正殿を復元するのであれば公園の周辺環境を見直し、地域住民の負担にならない観光客の受け入れ態勢を含めた計画案でなければならないと思っています。
上物が戻ればめでたしめでたしではないのです。

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