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« デニー氏の仕事は「心の喪失感」を訴えることではない | トップページ | 日曜写真館 南アフリカ優勝おめでとう »

2019年11月 2日 (土)

首里城は沖縄文化の最高の到達点だった

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首里城炎上から1日たちました。色々な意見がでています。
多くは「沖縄の心のよりどころを失った」とするものが多数を占めますが、保守系の一部からは、文化財としても意味があるのは世界遺産に登録された礎石だけで、建造物は中華帝国に媚びへつらった彩色がなされているし、むしろ燃えてしまったのもよかったとでもいわんばかりの意見もでているようです。

これはかつて首里城再建プロジェクトが持ち上がった時に、左翼陣営の一部から、首里城は「支配と搾取と奢侈の象徴である王族の城など復元しても無意味だから再建する必要はない」(批評.com) とする意見の裏返しです。
だからなんなのです。
14世紀から15世紀にかけて作られた首里城を後世のイデ
オロギーで斬ってみて、なにか意味があるのでしょうか。
500年以上後の時代の人間が、ある者はアレは抑圧の象徴だといい、あるものはコレは中国に媚びているといったところで、そんなものは今の価値観で言っているだけにすぎません。

当時にはそんな人民史観などなかったし、中華風だと言われても中華帝国は琉球王国を冊封していたのですから、中国の紫禁城に模してあるのは当然です。
その時代にその時代なりの理由があってそうしたのであって、それが琉球王朝のあり方でしたし、それを含めて沖縄の歴史なのです。

再建作業当時元の色彩がわからずに、紫禁城の赤色を選択したのですが、後に見つかった下写真のような後に米国公文書館で見つかったというカラー写真の色とは異なっています。
瓦の色も違うようです。

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仮にこのカラー写真が正しいのなら、全体にぐっと渋めとなるでしょう。

ただし上の写真が見つかったのは2014年のことですから復元作業当時には、このカラー写真は見つかっていませんでした。
とっくに塗ってしまった後になって、どうやって参考にするのでしょうか。
見つかっていれば、大分違った色になった可能性もありますが、なかったものはどうしようもありません。
だからといって、復元に携わった人たちがまるで中国に媚びるためにあの赤色を選んだかのようにいうのは、いかがなものでしょうか。

そもそもあの写真が撮られたのがいつかはわかりませんが、いずれにしても完成時から数百年経過して現代となってからのものです。
首里城再建事業がめざしたのは完成時の姿でした。
したがって完成直後に撮られたカラー写真ならいざしらず、こんな数百年後に撮られた写真と比較されてもねぇってかんじです。

この写真だってひどい退色現象を起こしているじゃありませんか。
あくまでも再建事業が目指したのは首里城の完成時のものですから、比較すること自体意味がありません。

かつての平安京ですら、真っ赤な中華レッドで彩色されて金をあしらったど派手な色だったのです。
それが何百年も立って今見るような渋い色になったわけですが、もし完成当時を再現するなら首里城のような色になるかもしれません。

また、意味があるのは世界遺産登録された礎石だけで、建造物に意味がないというのも暴論です。
当時いかなる木材で作られてきたのか、いかなる塗料を使用していたのか、その下地にはなにを用いていたのか、どのような内装で、どんな彫刻がなされていたのか、きわめて緻密な歴史考証が多くの歴史研究者によってなされてきた結晶として、あの再建首里城があったのです。
いわば現代沖縄歴史学と沖縄文化到達点との出会いが、あの首里城なのです。

再建プロジェクトのリーダーを務めた高良倉吉氏はこう述べています。

「たんなる支配・搾取・奢侈の象徴大工や職人を中心に当時の琉球の大衆が身につけていた技術と文化の結晶が首里城なんだなどではない” といってもなかなか理解されなかった」(篠原章批評.com)

たとえば正殿の赤い塗装には沖縄独特の「桐(とう)油が使われていますが、お手軽にやるなら化学塗料を塗れば済んだのに、あえてこの困難な選択をしたわけです。
それは桐油が古くから沖縄で
灯油、油紙、雨合羽、傘に用いられた自然塗料だったからです。
一方でこの桐油は容易に燃えやすく、今回の火災を広げた原因となってしまいました。

また下地塗料に琉球漆を用いたのも、琉球独特の紅漆や螺鈿の漆工から推察すると、尚巴志王当時に既にあったという歴史考証によっています。

屋根瓦の色がカラー写真と違うという指摘もあるようですが、これもそうとうに突っ込んだ議論が専門家でなされています。
結局、戦前の在りし日の首里城を見た老人を集めて話を聞いても、あるものは赤だったといい゛ある人はいや黒だったというふうに意見がわかれたのです。
結局、当時使われたであろう琉球瓦を使用することになったのですが、それを作れる技術は奥原製陶ただ1軒しか残っておらず、4代目主奥原崇典氏の尽力によって瓦が復元されました。

そして建造物自体をイヌマキ(ちゃーぎ)としたのは、沖縄において古くから木造住宅の高級建築材として利用されており、国の重要文化財の中村家などにも用いられているからです。
これはイヌマキが強い抗蟻性をもち、住宅の天敵のシロアリに耐える力があるからだといわれています
イヌマキほど沖縄の風土に適した木材はないのです。
しかし、再建事業の時には、沖縄で一本も残っていませんでした。
高良先生たちは、首里城を再建するために、イヌマキの森を再生するところから始めたのです。

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「1992年まで行われた首里城の大規模な復元工事の際に、首里城公園友の会事務局の副会長で、首里城復元の委員だった高良倉吉さんは信じられない事実を知った。
「沖縄県内で調査をしてみたら、首里城の復元に使えるイヌマキは一本も見つからなかったんです。“一本も”ですよ…」
結局、当時の首里城の修復には、沖縄以外の場所のイヌマキを使うことになった。
「私達は戦争で首里城を失っただけではなく、それを支えるイヌマキという木さえも失ったんだと…。ショックでしたね」
首里城の修復で悔しさを感じた高良さんは、1993年からイヌマキの植樹を始め、今では毎年2回行われる植樹祭には多くのボランティアが参加するようになり、草刈りや肥料入れなどの樹木管理を行っている。
琉球王朝時代に行われていた、首里城の修復などのための計画的な森林保護が復活していた」
(『沖縄にゼロからイヌマキの森を作る。首里城を守るためにできることとは?』 フューチャーランナーズ~17の未来~)

https://www.fnn.jp/posts/00355220HDK
http://www.fujitv.co.jp/futurerunners/archive.html

このように首里城の再現事業は、中華帝国に媚びるためでもなんでもなく、かつて500年前には首里の丘の涼しい風になぶられるようにして確かにそこにあった、首里城という沖縄文化の最高の到達点をいまに蘇らせることだったのです。
その意味で、首里城は「沖縄の心のシンボル」たり得たのです。
仮にその色が紫禁城風だとしても、その価値を落とすことになりません。

だからこそ、これを燃やしてしまった県の責任は厳しく問われなければならないのです。
政治的に利用するのでもなんでもなく、国の管理時からスプリンクラーがなかったという言い訳は聞き苦しい。
文部省・文化庁が文化財の火災に対して的確な指導をしなかったことは事実です。
文化省は仕事をしない省庁として有名ですが、彼らもまた責任を問われるでしょう。
しかし文科省の責任と県の責任は分けて考えるべきです。

文科省もスプリンクラーをつけなかったから県の責任はない、といわんばかりの議論をするなら、それは責任転嫁です。
国から県が管理を受け継いだ以上、もはや県の管理に入っているのであって、万全の消火体制をとるべきでした。
文科省は遅ればせにスプリンクラーの設置を推奨する文書をだしてはいました。
しかし首里城を管理している団体は、それすら把握すらしていなかったのです。

「那覇市消防局によると、消防法によるスプリンクラーの設置義務はないが、文部科学省は今年9月に文化財にスプリンクラーの設置を推奨する文書を配布した。指定管理者の美ら島財団首里城公園管理部首里城事業課の町田宗紀課長は文書について「把握していない」と述べた」(琉球新報11月1日)

結果論で言っているのではありません。
最低限やればできることを
しなかった無作為が問題なのです。
たとえば、今日の報道によれば、警備員が正殿前の階段を上がった時点で煙がたちこめ息も出来ない状況だったそうです。
警備員は手にした消火器を使うこともできず、消防に電話するだけで精一杯でした。
おそらくチロチロと燃えだして、警報機が感知するまで1時間以上経過していたと思われます。

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琉球新報11月2日

これも報知器を熱感知ではなく煙感知方式のものにしておけば、警備員による初期鎮火が可能だったかもしれません。
煙感知報知機などはいまではビルのトイレにすらついています。
そして感知できたとして、駆けつけた警備員が備えられた消火銃を使用できたかとなるとわかりません。
消火銃は高圧で、訓練がない人間には、筒先を握っていることすらできないからです。

ですから煙感知報知機と連動し、自動的に消火を開始するスプリンクラーが必須の設備なのです。
スプリンクラーがなかった事に対してこのような擁護する説もあります。

「文化財のスプリンクラー設置について、工学院大学理事長の後藤治教授は「中の美術品などを濡らしたくないため、スプリンクラーを設置している国宝や重要文化財は少ない。スプリンクラーの設置は人命救助を基準に決まるので、建物の文化財としての重要性とは無関係」だ」(AbemaTV)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00010019-abema-soci

そうでしょうか。当時正殿に濡らしてまずいものがあるなら、防火扉があった北殿に集中させて収納すればいいのであって、正殿は美術館ではありません。

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琉球新報

後藤氏は勘違いしているようですが、むしろ正殿を含む首里城そのものが美術品なのです。
人命保護がスプリンクラー設置の要件だというなら、今回は鎮火まで実に11時間かかり、強風に煽られて周辺住宅地域まで火の粉が降り注いで、避難指示がでたほどです。
まさに人命にかかわるような大火だったのです。

仮に文化財だからという理由でスプリンクラーをどうしてもつけたくないなら、初期消火はすべて人力となるわけです。
したがって自動消火器なき人力に頼る消火訓練を積み重ねてきたのか、消防署が速やかに正殿正面の広場にまで進入して消火活動にあたれたのか、消火栓の数は適当だったのか、真剣に検討したのでしょうか。

消防官たちはまるで「巨大なストーブに向けて消火したようなかんじだった」(那覇消防局)と証言しています。

また数十台の消防車が駆けつけましたが効果的な消防が困難でした。
その理由を那覇消防局はこう語っています。

「首里城直近にある2つの防火消防水槽から取水して放水するためには、城壁を迂回しながらホースを延長するために時間がとられた」(産経11月2日)

このようなことは、消防訓練をなんどかしていれば洗い出せたことのはずです。
それをせずにいきなりぶっつけ本番を迎えてしまったのです。
県がこの首里城再建プロジェクトの重さを知っているなら、そこに使われている木材、塗料、下地材にいたるまできめ細かくチェックして防火対策を立てるべきだと思うのです。 
自然素材の集合体であった首里城をいかに火災から守るか、防火専門家たちの知見を集めればこんな惨事を呼ばなかったのではありませんか。

しかし県は首里城を観光の目玉ていどにしか考えていなかったようです。
自分たちの文化を守り、引き継いでいくことは、結果として観光資源になるのであって、観光に使えるから文化があるのではありません。

そのくせ燃えると真っ先に出る第一声が、「国の援助をいただいて再建したい」と、ふだんは国の政策に抵抗することを目的化させているような県知事が平気で言い出すのはおかしくはありませんか、と私は思います。

 

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コメント

首里城の管理者「沖縄美ら島財団」が保有した1,510点のうち、400点もの貴重な文化財の数々が一夜にして消失しました。「文化」というもの、「文化財」というものと、現実に生きている私たちとの「関係性」をもう一度、真剣に考えてみませんか。どうですか、沖縄県庁のみなさん、沖縄県のみなさん。これは私たち県民の問題なのです。明日11月3日は「文化の日」です。

私も父も転勤族でしたので、なぜか関西と沖縄を除く日本国内を転々としてきました。こんな中で特に名古屋と熊本は、お城が市民から街の象徴として認定されていてとても愛されています。どちらの城も戦国武将加藤清正が関わっており、両市への赴任当初は必ず城の比較を尋ねられた記憶があります。
名古屋城は本丸御殿の再建を「金しゃち募金」で、熊本城は地震被害の復興を「復興城主」という仕組みで、それぞれ補っています。私は現在両市の市民ではありませんが双方に寄付をしていて、市外の者にも寄付時の所得控除以外に継続的なメリットがある仕組みになってます。
沖縄県の皆さんがこんな動きをしたら、観光地ですから名古屋や熊本より多額のお金が集まりそうですし、知事に居丈高に言われるよりも、国も援助しやすくなるのではないかと思います。

報道を見るかぎり、首里城は沖縄県固有の財産のように勘違いしてしまうのではないですかね。
所有権はもとより国にあって、今回焼失した建物も国庫が負担したものです。
そうであれば国民共通の財産ですし、「やたら中国に阿っている」だとか、「瓦の色が変だ」「派手過ぎるし、想像の産物にすぎない」とかの意見だって、一応は納税者の意見ではあるワケです。

私個人的には、あの琉球王に見立てた人物が冊封氏らしき中国役人に土下座する催しを公園内で中国人観光客相手に見せるのは時宜的に良くないし、そういう行事が引き続き行われるなら再建を急ぐ必要はないと思っています。 まぁ、せまい了見でしょうけれど。

沖縄県は政府を急かし、菅官房長官も「できる事は何でもする」と言ってますが、いくら何でも支援金募集活動は早すぎます。
出火原因の特定や県の管理責任もハッキリされない現在ですし、保険金と言ってもああいう特殊建設物は再調達価格にとおく及ばないないでしょうから、国の出費が莫大になる事は間違いありません。

本土では地震や台風などの自然災害で生活すらままならず未だ立ち直っていない方々も多く、他県とのバランスが必要です。首里城焼失は自然災害ではないのですし。

くわえて近頃の県と国との関係性もあり、表面だけの報道ではうかがい知れない沖縄への目線は実は非常にきびしいと言わざるを得ません。そういう声なき人たちをふくめ、広く国民のコンセンサスが得られるようになるまで十分な時間が必要と思います。

首里城は国が再建のケツを持ってくれるってんだから恵まれてますよね。うちの地元の城が燃えても県も国も金出してくれませんよ。

正直、デニー知事のこのタイミングでの国への支援表明は沖縄のタカリ体質ここに極まれりって感じで受け止めてます。
原因究明、責任者の処分、再発防止策定、再建費用の見積り、県で出せる財源と不足分の見積り。ここまでやって国への支援要請とするのが順序じゃないですかね。

沖縄のアイデンティティだ、心の拠り所って言うならなんでもっと大事に管理してなかったのか!!失火で消失なんて大失態だし、燃えちゃったからおかわりちょーだいなんて普通はありえないでしょう。

他県民にしてみれば沖縄のアイデンティティなんてどうでもいいんですよ。そんなに大事なら県費と寄付で再建すればいい。県税で復興特別税でもやればいいってのが正直な感想です。

まあそうは言っても沖縄も日本のいち自治体、そこの希少な歴史文化に国が金を出すのもありでしょう。
ただそれをするにも順序ってものがある。
辺野古で国に楯突いてる知事がこういうときだけ国頼りっていうのは、行政の長の役割としてはアリでも、心情的には受け入れがたい。

沖縄県が国の力を借りて本気で首里城を復活させたいなら、県外からどう見られているかを意識してシナリオを書いてもらいたい。

出火原因が法的な不備や設備の点検不足などに該当しない場合「誰にも責任は無いのではないか?」というトンデモない暴論まで県幹部から出ているようですが

・木造で可燃性の高い塗料をふんだんに使用している
・山城なので本殿に容易に消防車両が近づけない
・高台なので火の勢いを助長する風が常に吹いている
・周辺道路は細くそこに行くまでの県道29号も頻繁に渋滞する幹線道路
・城の東と南方面には住宅地が隣接している
・人気観光スポットなので人の出入りも頻繁に行われる

ざっと上げるだけで首里城の火災に対する危険性はこれだけあるわけで、これを一般の建築物の防災ガイドラインを当てはめて問題が無いと結論付けるのはあまりに危機意識がありません。
今回の出火が深夜だったからこれで済んだだけで、昼間の観光バスで渋滞する時間帯に発生していたら消防車両が現場に到着する事もままならず付近の住宅に延焼し多数の死傷者を出していた可能性すらあります。

また指定管理団体が変わっていないから県には責任が無いという意見も見受けられますが、県管理になってから本殿でのイベント使用に関するハードルを下げそしてその本殿から出火ともなれば責任を問われるのは当たり前の話です。

さらには先のノートルダム大聖堂火災を受け8月に文化庁が国内文化財の防火対策ガイドラインを発表し、9月には文部科学省が文化財にスプリンクラーの設置を推奨する文書を配付しているが、美ら海財団の首里城担当者は文書について「把握していない」とコメントするなど県や美ら島財団の防災に対する意識が決定的に欠けていたのではないかと思われる情報がポロポロ出てくるので今や消失感よりも怒りの感情の方が大きくなっています。

これでいて国からの支援をあてにしてるのが見え見えの知事や議員達の行動がもう情けなくてしかたありません。

疑問なのは火災の翌日に、ろくに現場検証もせずに沖縄県警と消防が「イベントの準備が火災原因とは考えにくい」と発表したことです。おそらくイベントの当事者にヒヤリングしただけでしょう。

火災発生の直前(深夜)まで、まさにその場所でなんらかの作業をしていたのです。作業していた人達から「火元になるものはなかった(はず)」「電源は切った(はず)」「施錠した(はず)」、そして一時は「正殿には立ち入っていない」との報道すらありました。

多くの事故は、その“はず”から起こっているのです。“はず”を疑うことなしに真実にはたどり着けません。同じような火災が京都で起こったとして、このような報道はありえません。とことんイベントの関係者を追求するはずです。

仲間意識丸出しの会見を垂れ流す新聞・TV。同情だけのTVコメンテーター。一人前の大人として、責任ある当事者に扱われていない沖縄。沖縄の人達は腹が立たないのでしょうか?

日本のオールドメディアや野党は、自分の欠点を埋める努力をしないままとにかく何時でもマウントポジションを取ろうとするので、何度でも同じ失敗を繰り返しますが、ここにも同じ現象があります。
出火原因もまだ判らないうちから、自由ある人の世の常として当然出てくる憶測を含めたネット上の意見から選り好んだものだけを「デマだ」と断定できてしまう新聞社の記者もそう。
出火原因もまだ判らないうちから、再建の費用拠出を他者に求めて動き出してしまうデニー知事その他の人たちもそう。
首里城およびその火災消失を自分たちの優位性確保の道具にするから、急いでいるのがわかってしまいます。
1日も早い再建を願う気持ちは理解しますが、実際に急いた動きをしてしまう理由は、政治でも金銭でも世論形成でも実利を追うからだと考えるのが妥当です。
はしたなく、あさましいことです。
自然災害ではないことは確かなようですから、近接する民家などの被害を除いては、よんなーよんなー(ゆっくりゆっくり)、何を何故、どうやって失ったのか、どんな取り戻し方をするのか、情報が出尽くすのを待って考えさせてくれよ、と考えます。
間違えたくありませんからね。

まだ検証作業すら終わってないのに、もう国に支援要請(お金くださいってことね)とか、沖縄生まれ沖縄育ちの私でも情けないよら恥ずかしいやら。しかし、県も財団も決定的に防災意識が欠けていたんですね。本当に人的被害がなくて良かった。

皆様おっしゃられるとおり、沖縄のアイデンティティだのうちなんちゅの底力だのいうのであれば、極力自力で再建する姿勢をみせるべきです。これは何かと問題になる(問題にさせてる)国防案件なんかと違って、どうしても国が行わなければならない事案ではないのですから。

ところで、20年程前のものですが沖縄サミットが行われるにあたって、髙良倉吉先生のスピーチがあったようですが、驚くほど示唆に富んでいます。

「日本の多様性としての沖縄--歴史・文化の視点から」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/koryu/kuni/jigyo/summit/culture/ryukyu.html

>沖縄県設置は、琉球王国の伝統を持つ地域に決定的な影響をもたらしました。500年にわたって、中国を始めアジア諸国との交流した蓄積を持つ地域が、たちまち日本の辺境となってしまったからです。
>当時の日本の中で最もアジア通であった沖縄は、遅れた存在ということになり、その地域が蓄積した長い伝統が否定されることになったのです。当時の沖縄には中国語、中央語である北京語だけではなく、地方語の福建語を話す語学人材も沢山いました。北京にある中国の最高学府に留学した経験を持つ人材もいました。そのような人材が、何の役にも立たない時代が登場したのです。

沖縄の根深いコンプレックスに繋がる出来事だったかもしれません。サムレー達の問題で庶民には関係ないことだったかもしれませんが。

>沖縄側の意識改革も必要です。個性的な地域である沖縄は主体的に、将来の日本のあり方、日本が国際的に果たすべき責任についてどう考えるべきか、また、そのために必要な理論や行動計画をどう構築すべきか。私自身も、目下その課題に真剣に取り組んでいるところです。その課題を考える時の私の確認は、歴史としっかり向かい合うこと、同時にまた、歴史としての現在をしっかり観察すること、そのうえで未来に対して責任ある態度をとることです。

実に卓見であると思いますが、20年たった今でも全く実践できていないどころか後退しているようにすら思えます。被害者意識を全面に押し出して国、本土に対峙するようなやり方から脱却すべきだと思うのですが。

デニー知事や県庁は、首里城復元を令和4年(2022年)の「日本復帰50周年事業」へ入れ込むような新聞報道がなされてます(本日の新報)。令和4年に「復元計画策定発表」というシナリオです。令和4年までの3年間で計画案と予算を煮詰めるってことですか?知事在任中の「手柄」にしたいとしか見えません。この案件を政府との「既定路線化」したいが、為の早々の官房長官との面談。既に政府要人面々からは「復元へ向けて協力する」旨の発言が飛び交ってます。首里城消失事故(事件?)は、すでに「政治問題化」してます。原因特定も、責任の所在も、今後の対処対策も、何もかも分からないままのこの時点で・・・。あまりにも拙速、安直すぎます。復帰事業にするとあれば「首里城の有り方」を県民皆で考え、その結果を復帰50周年に発表するというのも一案だとは思います。昨日今日で「何かを決める」段階ではありません。

私は、この首里城火災喪失の報と、それに関する政府・県・県民
や地元紙の意見を聞いて、何かしら違和感というか齟齬感という
か、納得のいかないワダカマリを感じました。他の人のコメントに
あるように、涙が出るほどの喪失感を受けた大事な文化遺産なの
に、なんでカンタンに次々に燃えちゃったの?事あるごとに反政府
で盛り上がる人達が、揃いもそろってもう日本国になんとかせいよ
と言うのは、それは地元沖縄(の左)として、あまりに矜持が無いの
では?と、そういう疑問が私のアタマに残るからです。

管理人さんの言うように、原因が特定できない今、あんまり断定調
の物言いは良くないので、火災原因が判明したらそれに基づいて、
また文句タラタラを書かせてもらいます。

一つ言える事は、また繰り返し書いて恐縮ですが、官にせよ民に
せよ団塊世代以後は、ペーパーテストで序列化され、マニュアルで
管理され管理し、現場を知らずして現場の下請けに指示を出して、
下請けの意見には耳を貸さず、組織内の政治力をより強化して、
天下りなど既得権を確保する、というのが行動原理になっていて、
現実問題にオリジナルな思考で最適解を見つけていく、という事が
大の苦手になっています。

その意味で今回も、 「誰も悪くなかった、ありゃ事故だわ」「そうだ、
そうだ」 「国の税金使えば、政治家は票になるし、県は権限を持て
るし、民間は潤う」「そうだ、そうだ」  「結果オーライじゃね?」 で
終わりそうな気が・・

お久しぶりです
デニー知事にしてみれば、特盛の説明責任がある談合疑惑から逃げ出すように韓国に行ってたら、この首里城焼尽ですからね。再建の先頭に立つ県知事を演出して、談合疑惑の方は人のうわさも七十五日状態に出来る絶好のチャンスです。
あさましいとか、言われようが国に泣きついてみせるのもお得意の「お涙ちょうだい」路線でしょう

県幹部の「誰の責任でもない」とかの発言もあったようで、
アホンダラ1号さんのおっしゃるような状況になってきたようですね。

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