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2019年12月17日 (火)

では、どうやったら原子力なしでCO2削減ができるというのか

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小泉大臣の父親は有名な反原発運動家でいらっしゃいます。
初めは引退しての暇つぶしの手慰みかととおもいましたが、どうやらど真剣のようで、その血が進次郎氏にも遺伝してしまったようです。

小泉パパは再稼働反対だそうです。
再稼働反対というのは、安全性を規制委員会から認められても原発絶対反対、段階的削減にも反対という意味です。
20%を越えていたエネルギー基盤を、40年くらいかけて徐々に減らし、別な電源に替えていくためには、一定の数の原発を動かす必要があります。
だからこそ、廃炉にするためにも、「悪の電力会社を潰せ」などという一部脱原発活動家の暴論は止めにしてほしいものです。

もし、本気でそんなことをすれば、電力会社は新たな電源の開発投資が不可能になる上に、廃炉資金を捻出することができなくなります。
ではその原発ゼロの20%超の穴はどうするのかといえば、小泉翁は再生可能エネルギー(再エネ)だそうです。

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小泉翁はこう言っています。  


「今こそ原発をゼロにするという方針を政府・自民党が出せば一気に雰囲気は盛り上がる。そうすると、官民共同で世界に例のない、原発に依存しない、自然を資源にした循環型社会をつくる夢に向かって、この国は結束できる。 」
(ハフィントンポスト 2013年10月2日
 

ああ、まるでマックのセットメニューだ!
ところが、実はこのふたつは本来、なんの関係もない別次元のテーマなのです。  
再エネは、もっとも古典的なエネルギー源として古くからありました。

中世にはほぼ今の原型を完成させていますが、産業革命で大部分はすたれつつも、地域にしぶとくしがみついて生き抜いてきました。  
それが改めて再注目されたのは、1979年のスリーマイル島事故以後の脱原発運動の盛り上がりからです。 
当時は反原発運動といっていましたが、若き日の私もその一翼を担っていました。
この中で再生可能エネルギー(再エネ)、当時の言い方では「市民エネルギー」という言い方を好んで使っていましたっけね。  
その言葉のニュアンスどおり市民が、「裏庭で自分の家のエネルギーくらいは作ってみせる。その分原発はいらないんだぜ」という気持ちが込められていました。  

飯田哲也氏の初期の本には、1986年のチェルノブイリ原発事故以後のスウェーデンで同じような、地域で市民が知恵と金を出し合って風車を建てていくエネルギー・デモクラシーの様子が描かれています。  
世界中で私のように、市民が日曜大工で怪しげな「エネルギー発生装置」を作ったり、市民ファンドで風車を作っていたのです。 

さて、言うまでもなくこのようなある意味牧歌的な再エネは、今では「神代の時代」の昔語りにすぎません。
なぜなら、今や脱原発運動は、裏庭どころか再生可能エネルギーを社会全体の代替エネルギーと位置づけてしまったからです。  

結論から言いましょう。私はかつての再エネの実践者の経験を踏まえて、それは不可能だと断言します。 
再エネは元々そのような近代工業国家規模のエネルギー源ではなく、地域の生活や生産に密着した「もうひとつのエネルギー源」でしかないからです。 

発電規模のケタが違う再エネを「飛躍」させようとすれば、必ず別の矛盾を引き起こします。 
それは反原発運動の意識の延長で国家規模の、しかも世界で屈指の工業技術国の代替エネルギーを再エネに据えてしまったドイツの経験が物語っています。  

ドイツではいくら優遇策であるFIT(全量・固定価格買い上げ制度)に厖大な金をつぎ込んでも再エネは07年時点で最大で16%にしか伸びませんでした。 (下図参照) 

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熊谷徹

ちなみにその内訳は、風力発電が4割、バイオマスが3割、水力が2割、太陽光が1割未満です。  
驚かされるのは、太陽光は再エネの代表選手のように思われているものの、実は全エネルギー源の0.2~0.4%(2010年現在)にすぎないことです。
 一方、ドイツは原発を暫時停止(完全停止していません)することによって、低品質の硫黄酸化物の多い国内石炭火力発電が49%にも増えてしまいました。 

皮肉なことには脱原発政策によって化石燃料シフトが起きてしまったのです。 これによってドイツの炭酸ガス排出量は一挙に増えています。 

実はわが国もまったく一緒でした。わが国はある意味ドイツより過激な「全原発停止検査」ということを初めてしまったからです。
なんの法的根拠もなく、ただのカン氏の「お願い」で、全原発ストップですから呆れたもんです。
結果がこれです。火力発電一色となりまなした。

Photo_2

2013年度のエネルギー源別の発電電力量の割合http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id035081.html

[追記]コメントで新しい数字を頂戴しましたので追加いたします。

2018年度の実績値 → 2030年度の計画値
原子力 6% → 20-22%
石炭 31% → 26%
LNG 38% → 27%
石油 7% →  3%
再エネ 17% → 22-24%(*再エネは水力を含む)
出所:
・ 2018年度エネルギー需給実績(速報値)
・ 第5次エネルギー基本計画(2018年7月発表)

化石燃料を主体とした発電を続ける限り、わが国は二酸化炭素を削減することは不可能なのが分かるでしょう。
原発を止め、9割弱を化石燃料に依存している現状では、パリ協定目標を達成することは不可能です。
つまり、エコ政策を突き進もうとして二酸化炭素ガス削減するためには原発を一定割合で組み込まねばならず、組み込んだら今度は反原発派から「危ない原発反対」とやられるという二律背反になってしまうわけです。
反原発派の運動家諸氏にどうやったら原発を止めたままで、CO2削減できるのかお聞きしたいものです。

特に2008年からの2年間の二酸化炭素の排出量の増加は危険視されています。脱原発よって環境が確実に悪化したのです。  
2009年の国連気象変動サミットにおいて、鳩山元首相が国際公約してしまった1990年比で2020年までに25%温室効果ガスを削減するという目標年になってしまいましたが、原子力発電なくしてどのようにするのかはまったく不透明です。
(*CO2削減率問題については過去ログをご覧ください。)
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-a3c7.html 

下図を見ると、1997年の京都議定書以降も、CO2は増加の歯止めがかかっていないのが現状です。
京都議定書 - Wikipedia

 

Warming_chart01_2

 

Warming_chart01化石燃料などからのCO2排出量と大気中のCO2濃度の変化出典:電気事業連合会「原子力・エネルギー」図面集2010http://www.jnfl.co.jp/recruit/energy/warming.html

このように京都議定書は失敗し、パリ協定もまた実行が疑問視されていることは確かです。
それ以前の1990年に8%削減という政府目標を立てた時ですら、そのために原発を9基増設し、当時60%台だった稼働率を一挙に81%にまで引き上げ、太陽光も20倍にする、と試算されていました。 

また、2009年時点で、政府は電力に占める原子力の割合を当時の30%から2030年には50%にまで引き上げる計画を立てていました。 
とうぜんのこととして、それらの計画は3.11以後、完全に白紙になりました。 
ここで、ではどうやったら原子力なしでCO2削減ができるのか、という問題に直面せねばならなくなったわけです。 

当座の間、新エネルギーで現実的に供給体制に入っているものはありません。
存在するのは、唯一化石燃料のみです。
福島事故当時から数年間の電力は、今まで稼働を止めていた旧型火力発電所を再稼働したものによって補われていました。
事故前の2010年11月時点で原発は230億キロワット時を発電し、電力需要の30%を超えて供給していました。 
それが事故後の2011年11月には70億キロワット時と3分の1以下に減少し、10%を切りました。それが現在2012年5月時点ではゼロです。 

では、火力発電の増加ぶりを見ましょう。2011年11月時点で、363億キロワット時であったものが、493億キロワット時と35%増大し、2013年には電気供給量の実に80%を占めるまでになっています。 
脱原発の世論の流れによって、皮肉にも日本は今や8割を化石燃料に依存するCO2大国に生まれ変わってしまったと言っていいでしょう。 

この状況が続くのならば、1990年比25%削減など夢のまた夢であって、大量の排出権購入を考えない限り、わが国は外国に排出権購入で膨大な富をむしりとられ続けることになります。 
つまり、原子力をゼロを実現すれば、片方の地球温暖化阻止という環境問題を犠牲にせざるをえず、温暖化阻止のために炭酸ガスを削減使用と思うと原発を一定範囲内でうごかすしかないのです。
今回のCOP25で明らかになったのは、このようなパラドックスが現実のものとなったことです。

  

 ※お断り また元のフォントサイズにもどしました。大きいと読みやすくはあるのですが、やたら面積をとってしまうし、なんとなく冗長です。

 

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コメント

停電しようが構わず火発止めればいい。死人が出ようが、生活できなくてもやればいい。

自分がちょっとでも損するディールは誰もやりたくないからCOPで話はまとまらないし、再エネ推しの陰にはピンきり数多の再エネファンドがあるし、馬に乗るか歩くしかない生活には多くの人がもう戻れない。
ヒトが生きるなら経済活動はついてまわるが、それが地球環境に悪だというなら、人類絶滅が最善となる。
科学の知見、技術の発展に目も資金も注ぎながら、今ある使えるものを使いつつ、ヒトの生活と環境へのインパクトの間のバランスを探り実行し続けるのが結局、中庸、常識的、現実的になる。

単位体積あたりのエネルギー量の話は、多くの国で10代のうちに習うと思われるので、各種エネルギーの密度の比較に思い至る人もまた多い(はず)と考えられるが、GSユアサのテクニカル・リポートでは
https://www.gs-yuasa.com/en/technic/vol10/pdf/010_01_001.pdf

原子炉1基の発電量(需要側100万kWのベースロード)に相当する電力は、国内の平均的な立地で、1,000kW級メガソーラーで設備稼働率15%として約6,700個、世界最大5,000kW級風車で設備稼働率15%として約1,300台分だという。
エネルギー密度の話を忘れている人でも、このような比較の一例を知ると、動植物への影響を比較的少なくできると考えられる砂漠地帯を豊富に持っているとかでないと、再エネ50%目標は現実的でないと分かる。
極端を見ないと中庸がわからない、惨事を見ないと動かないのが、政治体制や思想にかかわらず、最大限の自由を求める代償であったりもするわけだけれど。

今ある発電方式はどれも電力の垂れ流しに思える。
なぜ蓄電を考えないのか理解できない。
特に太陽光や風力発電のように常時発電できない発電方式は蓄電池ありきのものと思っている。
昔、自宅に水瓶があったように、電気の瓶がある感じ。

しかし、蓄電池が普及しすぎると、いまのソーラパネルのように廃棄ゴミ問題が発生するだろうとも思う。
作ったはいいものの、処分ができなとなると原発と一緒だし。。
いたちごっこが人類の性ですかねぇ。

いつもの日本ムラ社会論から言うと、原子力発電による電力が無く
て困る人が大勢出てこないと、リクツでは日本人は動きませんわ。
このまま、化石燃料の価格が高騰するか、世界的なCO2排出規制
で規制をクリア出来ずにCO2を排出する権利を低CO2国から買うか、
そんなこんなで電気料金がバカ高くなって、日本人の生活水準が東
アジア最低になって、初めて日本は変わることが出来る。

「俺達、なんでこんなに貧困になったんだろ?ガイコクじゃ電気自動
車が主流になったって? 日本人はやっぱ軽自動車でしょ!ガソリン
喰わんっしょ」なんて言い出して、あの韓国にさえマジでバカにされて
言い返せなくなって、そして初めて「やっぱ、原子力発電なんだわ」
と解る。この時に至っては、反原発派もしれっとして「だから俺達は、
最初からビンボー人の味方だって言ってたじゃん、いいな原子力は、
さすが技術の日本だぜ」なんて言い張ってる。

広島・長崎。米国との和平交渉を依頼してたスターリン率いるソ連の
突然の満州侵攻と、国体やら天皇陛下の処遇やら言ってられずに、
もうポツダムでも何でもかんでも受け入れるしかなくなった、あの現実
を思わずにはいられませんわ。(その頃、私はいませんでしたけど)

悲観的ですいません。ローコストな蓄電技術の完成を祈りますわ。

> 先日述べたように、実際止まっている原発の代わりとなる電力は、
> 今まで稼働を止めていた旧型火力発電所を再稼働したものによって補われています。

再稼働した休眠火力は、さすがにもう全部止めてますよ。


管理人さまも色々資料を挙げていらっしゃいますが、資源エネルギー庁発表でもう少し新しい電源構成の数値がありますので、私からも紹介しますね。


(2018年度の実績値) → (2030年度の計画値)
原子力 6% → 20-22%
石炭 31% → 26%
LNG 38% → 27%
石油 7% →  3%
再エネ 17% → 22-24%

(*再エネは水力を含む)
出所:
・ 2018年度エネルギー需給実績(速報値)
・ 第5次エネルギー基本計画(2018年7月発表)


2018年度で76%が火力(化石由来)ですが、発電所の耐用年数が40年~45年です(石油の発電プラントは新設禁止)から古くなった順に廃止されますし、2030年までに40年以上経過しているものを引くと計画値くらいになると思います。
石炭、LNGの発電所で新設の計画がされていて、環境影響評価も済んでいるものもありますが、どうも塩漬けになっているっぽく、これ以上新設の火力発電所は作らないと思います。
(一応10電力所有の発電所の、出力、燃料、運転開始年は全部見てみましたw)

一方で、原子力は現在準備中のものが順次再稼働して行けば、2030年計画値が達成します。
粛々と進めているものと思います。

太陽光の卒FIT後の買取価格は7~8円/kWhと、卸売市場の火力以下の水準ですから、今後はたいして増えるとも思えず。太陽光以外の地熱、風力あたりを増やさないといけませんね。

まとめると「2030年までに、火力は耐用年数運用停止で自然減、原子力は計画通り、再エネはもうちょっと増やす」です。
そんなに嘆くようなこともなく、ほどほどにイイ感じで進行してるんじゃないでしょうか。


進次郎大臣については、まあいっか、って思って見てます。
経産省の大臣があんなだったら困っちゃうけど、まあ、環境省なんでね、あんなもんでよいのではないでしょうかw

連投すみません。


個人的には、エネルギー自給率を高めるべき、と考えますので、国産の再エネ、準国産の原子力、どちらも増やさないといけないと思います。火力のコストメリットや使いやすさは十分理解しますが、ほぼ輸入の火力を過剰に優遇する価値を感じません。
我が国の2030年計画では26%も石炭を残してますが、火力全廃とは思わないけど、石炭をもうちょっと減らしてその分をLNGと原子力に割り振ればいいのになあ、と思います。

「環境にやさしく」とかいう話じゃなくて、
世界中のLNGプラントの75%が日本企業によって作られていることや、水素や蓄電の分野で日本の技術が世界的に優位性があることを考えれば、世界中で脱石炭の流れができるのは悪いことだとは思いません。
エネルギーや環境に関する日本の技術を世界に輸出できればいいですね。

横須賀様。的確なご指摘に感謝します。
いまでも旧式火力で補われているという部分を以下に差し替えました。
「福島事故当時から数年間の電力は、今まで稼働を止めていた旧型火力発電所を再稼働したものによって補われていました」
新しい資料は記事中に追加でアップさせていただきました。
ありがとうございます。

おっしゃるようにFITは民主党政権の思いつき的な政治的な制度設計でしたから当然縮小していますので、ひところの狂ったような太陽光ブームは下火になっていくでしょう。
また火力は旧式が停止し(というかとっくに停止していたものを再稼働させていただけですが)、新型に置き換わっていきます。

原子力は再稼働が徐々に認められて、きわめてゆっくりなペースですが、最低限のシェアになるだろうと思われます。
蓄電分野には各企業は全力を注いでいて、たぶん近年には再エネのブレークスルーがあるかもしれません。
かつてのような心情的なそれではなく、まともな蓄電技術にバンクアップされているものなら、元来「市民エネルギー派」の私としても大いに歓迎します。

問題はむしろ経済外的要素です。
こんかいのCOPとかパリ協定うんぬんという外圧で日本独自のエネルギー構築が攪乱されることです。
またグリーンファンドも無視出来ぬ勢力になっています。
外にいい顔をしたがるわが国ですから、この外圧の影響はでると思われます。

そう言うときに、この人物が環境大臣ねぇ、というところです。

killyさんは何を言ってるのかわからんので無視。

さるまねエースさん。
国も大学も企業も「安全で効率よくて大容量」な蓄電池の開発に必死ですよ。もちろんいかに安く作るかも含めて。主に全個体リチウムイオン電池ですね。
特に再エネにはセットで考えるなんてのは誰でも同じことなので「実際に家庭用のエネファーム」とかそうなってるでしょ。そんな当たり前のことを言われてもなんだかなあ?です。

ちなみに、ソフトバンクグループ(あの会社大丈夫か?)が大規模出資で話題になったサウジアラビアの超巨大メガソーラーにはNaS(ナトリウム硫黄)電池が採用されています。

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